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Fallout: New Vegas

2011年12月 3日 (土)

Skyrimおらが国比較

 これも憶測記事だよなあ。

 Fallout 4はSkyrimから何を学ぶだろうか。

 Fallout 4が出ると決めつけていますが、トッドがそんなことを口走ったというのはまだないかな。でもま、あるんでしょうねえ。 

 http://ps3.ign.com/articles/121/1213479p1.html

 もちろん、12月のビッグイヴェントとはSkyrim解禁でした。待たされて腹立つけど。

 まだSkyrimをプレイしていないので中身は読めない。

 それからIGNはファミ通のSkyrim満点評価を紹介したうえで、

 http://pc.ign.com/articles/121/1213527p1.html

 どの言語ヴァージョンがエピックかという面白いことを書いている。

 http://pc.ign.com/articles/121/1213618p1.html

 ファミ通の記事のほうは、Skyrimに9.5しか与えなかった(Uncharted 3には10点満点)IGNへの抗議の声がファンボーイ中心にあがっている。ファミ通の過去の満点、ニンテンドッグと同じ扱いを茶化しているのもいる。ま、ガイジンだからな。

 言語ヴァージョン比較は、まさに私が永年待っていた世界を実現するような企画でもあり、リリース間に合わせたゼニマックス・アジア偉いと思う一方で、BioWare作品のコンカレント(開発と同時進行的)・ローカリゼーションがさっぱり実現しないのを苦々しく再認識することでもある。

 英語はともかく、仏語、独語、日本語のトレイラーが並べられており、各自投票せよと。 

 コメントをながめていると、だいぶ言語間の翻訳の感じも違うみたいだ。仏語と英語は中身がかなり違うとか、私は仏語がさっぱりなんでなんともいえないけど。

 こういうこと(英語のサイトで)やると必ず、ステロタイプなフランス叩きか、前の戦争の話になるんだけどね。(フランス人はなんと合衆国独立戦争まで遡りたがる)。それはご愛嬌だ。土俵にのっかってるだけ偉い。
 日本語に投票しているのは、アニメオタクばかりかな。

 さて、いったい、この熾烈な戦いの勝者は?

 Dark Souls!

2011年11月11日 (金)

Dragon Age と The Elder Scrolls

 今うんうん唸っているテーマに関連しそうなので、Dragon Age と The Elder Scrollsの関係でも考えてみよう。
 断っておきますが、比べてどっちが勝ったとかまさっているとかいった、ガキみたいな話にはなりません。そんなものは個人の嗜好で左右される。

 もう少し普遍的なことがいえないかな、というのが狙い。ま、失敗するかもね。

 なお本来「世界」と書くべきところ、敢えて「社会」と書いている部分があります。後から使うつもりの社会学者・宮台真司氏の定義が通常のものとは違うので、混乱しないようにするため。セダス大陸は世界じゃないの? Skyrimで主人公が歩くのはワールド(世界)じゃないの?という疑問が湧くかもしれません。野生とか自然とかそれらもひっくるめて「社会」と言い切っています。気になったら「世界」と読み替えてください。今のところは問題ないはず。

 色々なアナロジー(比喩)があると思います。もちろんアナロジーの限界をわきまえて言わなければならない。ふたつの事柄が「似ている」ということは裏返せば「似ていない」部分があるということだから。

 それぞれを「箱庭」と「砂場」と呼ぶ手がある。いまいち定義がはっきりしていないが、強引に自説に寄せてしまおう。

 DA2に代表される「箱庭」RPGは、「社会」を中心に据えています。BioWareの開発者が何度も口にするようにDragon Ageの物語は「セダス大陸とそこで生活する住民たち」が主役である。よって(偶発的に選ばれた)主人公は必然的にコンパニオン集団という小さな社会と係わりあいつつ、セダス大陸という大きな社会に向き合うことになる。
 「箱庭」RPGはパーティー・プレイの形式を取ることが多いのはある意味で必然であるのかもしれない。

 通常の箱庭RPGであれば、その「社会」に係わりあう主人公の物語で終わります。「空の軌跡」シリーズがそうですね。人間関係に非常に重きを置く。FFの一部にもありますね。中期の作品はみなそうかな。JRPGはすべてそうである、ただし、といって例外を挙げたほうが早いかもしれないくらい。これには理由がありそうです。それは後述。

 おっと、忘れないように書いておこう。FFXは、あれは民俗学でいう境界人とマレビトの物語ですね。「シン」を倒す宿命を帯びてしまった巫女のユウナは、いかなる共同体にもまともには入り込めない存在、境界的存在(マージナルマン)。外部からの来訪者(異人、まれびと)であるティーダの力を借りて、使命を全うする。
 泣いたでしょ? そら泣きますよ、だって物語原型だもの。他にもありますね。例えばIco。主人公が異形であるが故に部族から追放された境界的存在で少女がマレビト(これは見方を変えると逆も言えるかも)。境界的存在の例に「ナウシカ」を挙げる人も多い。広い意味では「カリオストロ」だって境界的存在(クラリス)とマレビト(ルパン)だし、そもそも宮崎駿の物語の原型ともいえる。「もののけ姫」もわかりやすい。姫は人間でも自然でもない境界の世界にいる。主人公は遠く東国から訪れた「マレビト」。
 The Witcherのゲラルトも眠狂四郎も境界的存在といえます。きりがないね。

 だが、Dragon Ageの世界では、「社会」の外側により大きな存在があることが前提となっている。問いは「箱庭」がなぜそこにあるのか、だ。不在の神メイカーの教えを伝えるチャントリーはそのことを明示的に示そうとする。「宗教」は「社会」より大きな存在です(そうでなければ、人々が完璧に理解できるなら、そもそも宗教の存在意義がない)。

 ところが「宗教」もまたそれより大きな何かを前提にしている。DAではメイカーなる「全能神」がその一つ。またフレメスが予言するように「抗えない大きな変化」なるものもある。如何ともしがたい事柄があるわけです。

 そうした存在は、それ自体が目に見えない、手に取れない、コミュニケーションできない存在です。到底不十分ながらも、言葉でしか描くことができない。作り手はシナリオのセリフを熱心に書き込み、プレイヤーに売りこまなければならない。メイカーを登場させずして、不在の神メイカーについて語らなければならない。抗えない何か、が何かすらわかっていないのに、それについて語らなければならない。

 「BioWareはシナリオが売り」ではなく、必然的にシナリオを磨き上げなければならないものを作っていると考えたほうがいいかもしれない。
 誤解のないように触れておきますが、BioWareのDnD準拠のゲーム(Baldur's Gate、Neverwinter Nights)に登場するDeities、神々、いわゆるパンテオンは「社会」の中の存在です。なぜなら対話できるから。レスポンスがあるから、ご利益・祟りがあるから。

 JRPGが「社会」を描きこむのも、日本がアニミズムだから。森羅万象に八百万の神が宿るというだけあって、社会が全体でありその外まで規定していないから。何事ですら、山河が相手ですら「話せばわかる」と思っているから。嘘だと思ったら地鎮祭とか竣工式とか、なぜやると思います?
 この世界に意味不明で「抗えない力」などないと思っている。天災への接し方ですら基本的な発想は「なにか意味があんだろう、仕方あんべ」。あの「震災は天罰」などといった、空気を読むことすら拒否した発言がそれを象徴しているんでしょう。

 DnD準拠のBioWareゲームが膨大なセリフを必要としたのは、DnDフェイルーン亜大陸の複雑な世界情勢を描かなければならなかったことがひとつ。
 もうひとつは、悪のBaal神の末裔として生まれたBGの主人公が何ゆえに善をなすのか、NwNでは戦う善の神Tyrのしもべであるパラディンはいかにして堕落してゆくのか、といった、ぼんやりとですが「抗えない力」に関するモチーフが顔を出しているからもある。
 ただし、DnDはライセンサーWtoCの許しなくして「社会」、フェイルーンの物語世界をぶち壊すことはできませんから、DAに比較すると物語は「社会」と接する「個人」にぐっとよったものになってしまいます。そしてまさにそれが、BioWareが人様のDnDではなく自社IP(フランチャイズ)を欲した理由でもある。「好きなように造って好きなようにぶっ壊す」ため。

 Mass Effect 2のDLC、Overlordには、私が最初誤訳をやらかしたセリフがあります。

 イギリスの19世紀ヴィクトリア朝時代の詩人・劇作家ロバート・ブラウニングの次のセリフが元だった。
“Ah, but a man's reach should exceed his grasp, or what's a heaven for?”

 拙訳は「何言ってますか、人は見えないところ、手の届きそうにないところまでも目指すべきなのですよ。そうでなければ天国は何のためにあるのですか?」

 まさにこういうことですね。
 ちなみにMass Effectの世界では、「銀河文明の意味は何か」(箱庭はなぜそこにあるか)という問いに対して、「リーパーズの餌場でしかない」という答えを提示している。リーパーズとは交渉こそできませんが、対話はできる。存在がハッキリしている。勝てるかどうかはともかく戦えてしまう。Mass Effectは想像を絶するほどの時空の広がりを描こうとしていながら、上の一行で説明を終わることができる。今後もうひとひねりあるのかもしれませんが、今のところは外敵の襲来と戦う銀河文明「社会」の物語でしかないんです。BioWare開発者が「シェパードはあくまで軍人だからね」というように、非常に単純な物語です。

 DAシリーズ、特にDA2が膨大なセリフを必要とするのは、メイカー、抗えない力、セダスを襲う変化の予兆などを示さなければならないから。それはセリフでしかできない。なぜなら目に見えた瞬間にそれらの超越した何かが矮小化されるから。
 また私が抗えない力に「運命」や「定め」などとレッテルをはらないのも同じ理由です。そうすることによって、まるで人が何かを手中に収めたように勘違いするから。そもそも個人の運命や定めの話などではない。社会あるいは文明全体がどのような混沌状況に置かれるか、不確実性に支配された社会がどう振舞うかがテーマだと思われるからです。

 一方でMass Effectがハードボイルド的なぶっきらぼうな語りで済んでしまうのは、それが物語のスピード感、宇宙空間における無常観を示すのに最も合っていることもありますが、最大の理由はリーパーズを含めた全てを目で見える形で提示できるからです。何百万年前の出来事ですら、宇宙をさ迷う難破宇宙船を見せることで示す。説明はあまりいりません。
 一番もたもたしているのがゲスという集団意識の説明ですが、ヒューマンとのハイブリッドのような対話可能な代表者を登場させたり、現代のコンピューター・ネットワークのメタファーを用いることで済ませてしまった。まあ、これは仕方がない。

 「砂場」RPGのTES(Morrowind、Oblivion、そしてまだ見ていないがSkyrim)もまた「社会」を事細かに描き込んでいます。そこでは確かに人々が息づき、生活し、争い、恋をしているだろう。そしてDA2と大きく違うのは、その「社会」自体を探索し、争いに巻き込まれ、打ち勝っていく「個人」が主役であることです。

 TESでは「社会」の外の存在を意識することは希薄です。「砂場」は目の前に与えられた。その意味を問うことはしないし、させない。たしかに異次元からの侵攻は存在しますが、例えばOblivionのそれは目に見え、戦えるわけだから現実世界の軍事大国と置換可能でしかない。その点でDA2のブライトも天災や疫病のメタファーであると言えます。Skyrimのドラゴンと戦えるように、DAのアーチディーモンとは戦える。それらは「抗えない力」でも、想像を絶する超越した存在でもない。

 TESは一人称視点(あるいは主人公の肩の上からのぞく三人称視点)を貫徹します。主役となる「個人」はプレイヤー。「社会」と係わりあうプレイヤーに特別な言葉は、実は必要ありません。冒険者として地元民たちと最低限のコミュニケーションさえできれば、野生動物や化け物に殺されないだけの武芸があれば十分なのです。
 TESはシナリオが弱い、ストーリーが不在などといわれますが、それらは元々「いらない」ものです。同様の「砂場」RPGを指向するTwo Worlds IIでも、やはりセリフは単純なコミュニケーション手段でしかありません。

 同一フォーマットを用いたFallout 3もまた同様です。「社会」の隅々まで歩き回る主人公が何を見て、プレイヤーがどう感じたか、それだけが大事である。様々な出来事に共通する意味づけなんかいらない。しいて言えば、やっぱこうなってるよな、とナットクできる要素があればいい。

 Fallout: New Vegasでは、開発したObsidianがやたら凝った設定とプロット、メチャクチャ細かく書き込んだセリフを見せてくれました。たしかにそれによってFallout 3にはない不思議な味わいは生まれた。
 一方でFallout 3に比較して「窮屈である」と感じる人もいるでしょう。Fallout 3ではEnclave、Brotherhood、その分派など敵対はしているものの、誰が誰とどう戦っているのか誰にもわからないままですが、New VegasでNCRとカイザーというふたつの大組織が地理的にも地図を二分している構図にしてしまえば、カオスぶりは大きく減ってしまう。
 人によっては「いらない」はずのストーリーを押し付けられたと感じるでしょう。DLCであるOld World Bluesのようにごく限られた範囲で濃密なストーリーを展開すると、これはうまくいったわけだから、ストーリーが悪いわけではないのですが。

 DA2は、「抗えない力」に翻弄されてもがき苦しむ(危機的状況をどうにかして克服しようとしている)「社会」と、そうした「社会」に対する主人公(プレイヤー)の接し方を描いている。逆に言えば、「社会」がどう抗おうが大きな変化は訪れるし、そのもたらす影響、混沌は計り知れないという期待(諦め)がある。
 主人公が逆境にあること、それを克服することはテーマじゃないんです。現にそうである場面はOriginsでもDA2でもそんなに多くはない。

 TESでは広大な土地(「社会」と言っておきます)を歩き回ること、それ自体が目的であり、「個人」である主人公(プレイヤー)がその経験をどう感じるかが大事である。遍歴、武者修行、冒険者の原型ですね。

 JRPGの多くは、「社会」の中の濃密な人間関係を描こうとする。なぜなら日本にはもう濃密な人間関係が身近にあまり存在していないからかもしれない。逆境に置かれて苦悩するのも、ここでは主人公かその近しい人物である場合が多い。

 Dark Soulsについては以前も書きました。主役はもはや「個人」どころじゃない。その個人の「行為」自体が目的である。その点ではスーマリや、もっと古くはスペースインヴェーダーと変わりはない。物語・ドラマはプレイヤーが「いや苦労したわい」という点にある。物語・ドラマの外にある。

 どれが良いとか悪いとか、優るとか劣るとか、そういうことではないんですね。

 ただし私がThe Witcher 2の物語にはピンとこなかった感想を抱いたり、FFXIII(零式含む)の背景設定に「はあ?」と思ってしまうこととは、深い関連があるのかもしれない。 

 

2011年9月27日 (火)

【New Vegas】Lonesome Road画像 (4完)

 画像編オーラス。 

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【New Vegas】Lonesome Road画像 (3)

 画像編ラス前。 

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2011年9月26日 (月)

【New Vegas】Lonesome Road画像 (2)

 画像編続き。 

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【New Vegas】Lonesome Road画像

 では画像編。 

 興が乗ってしまって一回では終わりそうにない。

 ネタバレ満載。「続きを読む」の下。

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【New Vegas】Lonesome Road画像(は次回)

 すでにプレイ時間が300時間を優に超えていたFallout: New Vegas。
 モハヴィ荒野を死ぬほど(何度も死んだが)うろつき回り、遂に迎えた最終章Lonesome Road。

 当然、あっと驚く結末が用意されていると思って、DA/ME以外では珍しく、プレイ中意気込んでカメラのシャッターを切り続けたのですが・・・。
 既報のとおり、「うーん」な結末であった。

 ネタバレ満載なので続きを読むの下。

 と思ったが、今回は全く関係ない脱線した話題で終わったのでした(笑)。

 New Vegasの四つのDLCは、その濃淡はあれど、それぞれ関連しており、最終章Lonesome Roadで一応の決着をみるつくりになっている。

 Dead Money
 Honest Hearts
 Old New World
 Lonesome Road
 (リリース順)
 
 実際に試していないが、どの順番でプレイしても破綻はないはず。
 ただしそれは、逆の意味でいうと非常に残念なことにリリースの遅いものを先にプレイしたとしても、リリースの早いものにその結果が反映されないということ。隠しネタの趣向はない(一部本編に持ち帰るネタがあるにはある)。
 よってリリース順にプレイするのが「物語的」には無難。

 Eurogamerの評価は、本編9点、Dead Money 7点、Honest Hearts 6点、Old New World 9点、Lonesome Road 5点。(プラットフォームによる差はない)

 IGNの評価は最も高く評価されたPC版で、本編9、以下7.0、7.5、8.0、6.5。
 GameSpotでは最も評価されたPC版で、本編8.5、以下、6.5、7.0、8.5、未評価。
 
 絶対値はともかく、非常に評価が似ている。そしてGameSpotの評価待ちだが、Old New World が優れていて、Lonesome Road が一番へぼいみたいな感じになっている。私個人の感想も実は一緒なのだが。

 ここで(いつものように)壮絶に脱線。

 デルファイ法(Delphi method)という、ランド社が考案した意志決定・合意形成のプロセスがあります。主として未来予測に用いられる。
 デルファイとは、そうそう、あの古代ギリシャのデルファイ(デルポイ・デルフォイ)のご神託(オラクル)のこと。 

 第一ラウンド、識者・専門家がある予測テーマについて、とりあえずの評価や意見を投票やアンケートの形で表明する。主催者はそれを取りまとめそれぞれの参加者にフィードバックする。ただし個々人の匿名性は守られることが条件。
 参加者は全体の傾向や個々の意見を見て、自分の意見を修正するなり、しないなりを決断し、また第二ラウンドに投票・意見表明をする。それを繰り返すことで、合意された予測精度を高めようとする試み。

 元から参加者に「これはデルファイ法でやりますよ」というか言わないかでも結果は違うでしょうね。ゲーム理論的にも。(アー、違うか、第二ラウンド以降で同じ結果にいきつくな。ロバストなシステムなんだな)

 日本のウィキには見事に項目がない。著作権侵害? みんな死ねばいいのに(だったらお前が書けよ!)。いや悪いがこちとらそんな暇じゃない。Wikipedia(en)を参照した。

 当然この方式は、「組織化されていない個人の集団より、組織化されている個人の集団の予測・判断が勝る」という仮説に基づいている。後者を表現するのに"collective intelligence"という用語が用いられる。日本語で言えば「衆知」だ。「三人寄れば文殊の知恵」だ。
 ただし、一般には個人のベストの予測・判断が集団のベストに勝る、という事例もよく観察される。集団は「流される、群れる」(グループ・シンキング、グループシンク(groupthink)。

 よく、「客船が沈没してあなたはひとりで孤島に漂流することになった。手元にある十六のアイテムのうち五つしか持っていけない。どれを持っていく?」なんて思考テストありますよね。あるいは「地球の危機に際してシェルター(あるいはアーク、ノアの箱舟でもいい)に避難しなければならない。リストにある二十人のうち八人のスペースしかない。誰を避難させるべき?」とか。

 ああいうテストを、まず参加者個々人が別々にひとりで考えて答えを出す。それからその結果を持ち寄って集団で議論して合意した結果を出す。
 (望ましい答えが最初からある前提ですが)だいたい個人のベスト・アンサーが集団のベスト・アンサーに勝つ。集団でやるとどうしても妥協とか、顔色を伺うとか、声がでかいとか、態度が気に喰わないとか、どうでもいい世界が入り込むから、と言われている。
 おそらく人類は、いつか地球の危機が訪れても、きっとそうやっているんだろうなあ・・・。

 デルファイ法の場合、参加者は当該テーマの「識者・専門家」であるところ、かつ「匿名性が守られる」ところが味噌。前者の部分において大新聞の世論調査などとは違う。あれこそグループシンクの際たるもの。政権支持率がガンガン下がっていくのも、繰り返し調査でそれが強化されているのでしょう。ネットの炎上騒ぎも同じ傾向がある。

 ヴィデオ・ゲームに関して言えば、おそらくネット上のベスト・インディヴィジュアルのひとりであろう、ペニアケの人のこのコミック。

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 ジョン・ガブリエルの大インターネット馬鹿野郎様理論
(the Greater Internet Fuckwad Theory)

"ふつうの人+匿名性+野次馬=ただの馬鹿野郎様"

 EUの財務大臣たちがいくらUSのガイトナーに恫喝されてもなかなかギリシャ問題の決着がつかない。これ悩ましいね。(日本だけを除く)為政者たちは当然「識者・専門家」ですが、(正しい解決策が最初からあるとしても)それぞれのプレイヤーの後ろには「流される、群れる、迎合する」各国大衆が控えている。政治は未来予測なんかよか、ずっと複雑怪奇だ。

 またしても本題より余談が面白い事態(と少なくとも私は思っているが)になりつつありますが、ちょっと戻そう。

 IGN、GameSpot、Eurogamerなどのゲーム・レヴュアーは間違いなく「識者・専門家」。筆一本で生業を立てているわけだから(ゲーマーとしてもジャーナリストとしても)プロ意識だって強烈にある。

 でも彼らが独自に評価する(という建前の)スコアが上記のように非常に似てくる。

 レヴューの発表時期も前後する(他者を参照できる場合がある)し、デルファイ法と違って匿名性もない。しかも同業人だからきっと大手サイトのレヴュアー同志で連絡は取り合っているだろう。
 最終的にレヴュアー個人が署名入りで書くので文章責任(文責)をとるのだろうが、大サイトはお抱えの複数のエディター・ゲーマーがプレイして評価している。当然レヴューの原稿に対する編集長や他のエディターのツッコミもある。過去に評価したゲームとの整合性も非常に尊重するだろう。
 そういう背景もあって、評価はある程度似てくる、悪い言い方をすると丸くなっていくのかもしれない。

 (もちろん、賢明なる読者諸氏のことだから、「いやそうじゃないんじゃなくて? 複数のベスト・レヴュアーが独自に評価したものを「よーいどん」で見せっこしたら似てくるんだから、まさに『ベスト・インディヴィジュアルがベスト・グループに勝つ』事例そのものといえるのではない?」というご意見があるでしょう。そのとおりだ。これだけでは何も結論は出ない)
 
 それでも(いや、だからこそ)私は個々のサイトのレヴューはまだ参照するのですが、メタスコアを全く信用しない。プロ意識のないゴミ・サイトもたくさんあれば、X360(PS3)に特化したお手盛りサイトもある。なんでNew York Timesにゲームのことを教えてもらわなかんねん、という気もするし。
 ユーザースコアなんてそれ以下。

 返す刀でたたっきると、DA2の悪評もそうした悪しきグループシンク、バンドワゴンの結果である面が否めない。(上記三サイトと違って)GameSpyなど歯牙にもかけたくないのは「メタスコアのユーザースコアもわるかったしー」などとレヴュアーが書いている始末だからだ。てめえ、プロ意識ないんかい! はあはあ・・・。

 ああ、日本はダメよ。それ以前の問題。メーカーのちょうちん持ちだもん。メーカーの広報にへそ曲げられて接待に呼べなくなると情報取れなくて困るもん。リリース前に試遊版もらえないと困るし。

 ゲーム翻訳の難しさもそこにあるかもしれない。小説、映画と違って、ゲーム、ことにRPGの翻訳など(複数のライターが分担して書いているケースが非常に多いので)とてもひとりでは手に負えない。チームで分担してやらないといけない。(映画翻訳は分担してる臭い面もないわけではないが、手下に下訳させるのはチームとは違うとみなす)

 ところが翻訳には当然正解(誤訳ではないと言う意味、対応する日本語訳がたった一種類しかないということではない。そういう受験勉強の悪しき発想を引き摺るんじゃない)があるわけで、やっぱり個人が集団に勝る。
 でもチームでやるとグダグダになる可能性大。

 自分では残念ながら日本語版は遊ばないが、最近の話(Deus Exなど)をきくと「スクエニなど大手の洋ゲーの翻訳はさすが、と言わせるものが増えている」そうである。
 いい傾向じゃないですか。

 優秀な翻訳者を大勢雇って、ちゃんとリード・エディターがいて、チームで働かせることができる(ような外注業者を雇っている)ってことなんでしょう。
 そういう面でも、ヴィデオゲームは「工業製品」の世界なんですかね。ようやく「翻訳品質」も議論される世界に入ってきたということかな。

 (さらに余談)

 私も前の記事を書くときに初めて知ったが、翻訳の世界では個人が勝るといいながら、翻訳者がうなりにうなって結局「正解」が訳出されず(できず?)、出版中止で編集者涙目みたいな事態もあるから。佐藤優氏ではないが、「翻訳者は皆職人」。「ええい!」って作品の壺割っちゃうわけだ。(壺は「工芸作品」かな?)

 あの例は「じゃ、おれやりますよ」ってなんで他の人たちが誰も言わなかったかというと、まあ・・・、やっぱギルド社会だから?

 大御所がうんうん唸っているのに、貴様ごとき若造がなんでへらへら肩代わりできるんじゃ!と狭いギルドからつまはじきされるのを恐れたんでしょうね。あるいはあえて火中の栗を拾うほどの(金銭面以外を含む)報酬でもないと思ったのか。

 エスエフの翻訳なら編集者涙目で済むから何の実害もない(文句あるなら原典を読むべき)。 

 ところが、核燃料「ムラ」(すなわちギルド)でもそれと似たようなことがやられてきたわけだ。
 あちらは「わからない」と素直に言わず、「だいじょぶ、だいじょぶ」で来たらしいが。
 大御所が言ってるなら誰も文句は言わない。
 やっぱサルから進化したのかなあ、と思っちゃうよね。

(そして、ようやくちょっとだけ本題)

 Lonesome Roadのラストシーン。ネタバレはない。

20110921_00323
 ・・・そしてこの道のりも、終わりに辿り着いた。

20110921_00324
 戦争は、いつの時代も変わらないという。

20110921_00325
 だが、ひとは変わりうる。その歩んできた道に応じて。

 いやあ・・・。「ひと」もやっぱ変わらんと思うぜ?

 

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2011年9月22日 (木)

【New Vegas】EuroGamerレヴュー。

 つうか、理解できなかったのは、あんたの英語力の問題だろ? とか思われるとあれなんで、ユーロゲーマーのレヴュアーのご意見も参考に。

 http://www.eurogamer.net/articles/2011-09-21-fallout-new-vegas-lonesome-road-review

 それでも5.0は厳しいなあ・・・。DLCっていうこともあるかな。
 マップのつくりなんて結構凝ってるんだけど。ただし過去のNew Vegasにどれだけ付加されたものがあるかというと、確かにあまりないかも。

 プロのレヴュアーですから、冒頭のひとつかふたつの段落と、おケツの段落さえ読めば要点はバッチリ書いてあります。

"I don't really know what happens at the end of Lonesome Road, the final add-on instalment for Fallout New Vegas. I mean, I know what happens in the nuts-and-bolts sense of what is actually on the screen. What I'm still unclear on are the less tangible, but no less important, questions of who and why.

This is a problem, as I've played it through twice, paying attention to the dialogue. The fact that the intricacies of the story still remain vague doesn't speak very highly of Lonesome Road's success as the de facto conclusion to Bethesda's epic post-apocalyptic adventure."

 結局、(ネイティヴかどうか知りませんが、少なくとも私よりはダイアログをきちんと聴けているはずの)レヴュアーも、「最後までなんだかわからなかった」という結論ですね。

 レヴュアーは、ゲームプレイにも触れていて、「今までデスクロウとの対決を避け続けてきたらチャンスなし」とまで言い切っている。
 (ただし、レヴュアーのいうとおりステルスボーイを常時ガンガン使って切り抜けることはできなくはないかも)

 これは真実。本編もクリア直前、DLCもすべて舐めるように遊ぶとレベル50近辺くらいになってるはずですし、(このDLCで手に入るもの以上に)ウーバーなウェポンもある。それでなんとか対処できる感じ。スキルポイントを振るところに苦慮するくらい全部100点に近くなっているだろうから、武装関係のスキルが全くお手上げってことはないかな。

 新しいモブもややこしいのが出てくるが、こちらも正しい武装を使わないと、毎回悲惨な主人公のクビチョンパ・シーンのスローモーションを目撃する。するねえ。

「完璧主義者(訳:ストーリー面では私がそうだが)でもなければ、付き合う意味はないのではないか。深みもない、ペースも悪い、本編のハウス、NCR、カイザーとの関連もあまりない。エピックなRPGストーリーの最終章がしょぼくれてるのは残念」

 レヴューにもあるように、Old World Bluesの出来がよ過ぎた。
 RPGなのに、Gears of WarとかCall of Dutyをやらされたらたまらん、というのも手厳しいですね。

 唯一核弾頭(warheads)を30基探して爆破しながら進む趣向は面白かった。Fable IIIのイーヴィル・ノーム人形40体を探すのと同じ愉しみ。

 でも、探しに行くといるんだよね・・・。

 デスクロウのやたら凶悪なやつが。形容冗長か?(笑)

 

【New Vegas】 最終章Lonesome Road

 Fallout: New Vegas のDLC、"Lonesome Road"の簡単な感想。

 ネタバレあります。 

 本文は「続きを読む」の下。

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2011年9月15日 (木)

Fallout: New Vegas、Lonesome Road トレイラー

 Lonesome Roadへの期待でも書こうと思ったが、ちょちょ、Steam Tradingってなんだ?

 つうか、もうGameSpotは映像オンリーのサイトになったのかな。こそこそ聴かないといけない環境にいると辛いんですけど(笑)。 

http://www.gamespot.com/shows/gamespot-sync/?event=gamespot_sync20110810

 むう・・・。興味なし。

 さて、New Vegas: Lonesome Roadですが、トレイラーが出ていました。

http://www.gamespot.com/pc/rpg/fallout-new-vegas---lonesome-road/video/6334318/fallout-new-vegas--lonesome-road-trailer

 長かった旅路もようやく終着点か。

 すっかり忘れているので、自分用におさらい。

**********

 主人公クーリエは、本来のクーリエ・シックスからコンタクトを受ける。彼はその名をユリシーズ(Ulysses)といい、プラチナ・チップをザ・ストリップへ届ける役目を拒んだ男だ。
 ユリシーズは、その役目を引き受けなかった理由を主人公クーリエに明らかにすると約束する。だが彼と出会うためには、地震と猛烈な嵐によって切り裂かれ、今もハリケーンに見舞われている渓谷、ザ・ディヴァイド(The Divide)への最後の旅に乗り出さなければならない。
 もちろん、その話に乗るかどうかは主人公の自由だ。

**********

 思い起こせば、New Vegasのあの冒頭シーン。Goodspringsの墓地で白黒市松模様(ちょっち違うか)のジャケットの男ベニーに9ミリ拳銃(その名も「マリア」)で脳天ぶち抜かれて死線を彷徨ってからこのかた、主人公はモハヴィ荒野中をうろつくのみならず、シエラ・マドレやら、ザイオンやら、ビッグ・マウンテンやら、色々歩かされた。

 そして、その行く先々に、本来のクーリエ・シックスの影が見え隠れしていた。

 以下、The Vaultがまとめてくれているこれまでの経緯。
 (強烈なネタバレは避けていますが、プロットのちょっとしたさわりは書いているので、これからプレイするなら、読むのは自己責任で)。

 セキュリトロンのヴィクター(実際にはミスター・ハウス)に雇われたクーリエは全部で7名(ユリシーズが辞退するので実際には6人)。うち1名が「本命」であり、プラチナ・チップをザ・ストリップまで運ぶ役目を与えられた。結果的に主人公クーリエが「本命」であった。残りの5名はガラクタを運ばされた囮であるが、本人たちはその企みについて何も知らされていなかった(当初のクーリエ・ナンバー・シックスであったユリシーズだけは事情を知っていたのかもしれない)。

 上述のベニーは、ザ・ストリップの有力なカジノ・オーナーのひとりで、ヴェガス全体の支配を狙っていた。彼は、以前鹵獲したセキュリトロン(「イエス・マン」と呼ばれている)を用いて「本命」のチップの所在を知ったことになっている。ベニー絡みのプロットは比較的単純で、本編で完結している(あなたがどういう進路を選んだとしても!)。 

 ユリシーズは、プリムのクーリエ事務所で一度はプラチナ・チップを運ぶ任務を引き受けようとするが、クーリエ・リストの自分の下にある名前(主人公のもの)を見つけ、その人物がまだ生きていることを知るととたんに任務を拒否し、その人物に肩代わりさせるよう告げて立ち去る(New Vegas本編で明らかになる話)。

 ユリシーズは、あのビッグ・エンプティー(あるいはビッグ・マウンテン、"Old World Blues"の舞台)にも訪れていることがハッキリしている。彼がそこを訪れた意図は、ザ・ディヴァイドの天候についての知見を得るためであったという説がある。
 ユリシーズはそこであのファザー・イライジャ(元ブラザーフッド)と遭遇し、交流があったことも間違いないようだ。

 またイライジャを犯罪者として追跡していたクリスティーン・ロイス(サークル・オヴ・スティールのナイト)を瀕死の状態から救ったのもユリシーズだ。イライジャはその後ユリシーズの助言もあってシエラ・マドレ("Dead Money"の舞台)に向かう。負傷から立ち直ったクリスティーンもまた仇敵イライジャを追跡してシエラ・マドレに向かったのであろう(また捕まっちゃうんだけどね・・・)。

 本編でヴェロニカが「かつての恋人」と呼んでいたのが、実はクリスティーンだった(らしい)と知ってちょっと驚きました。恋人が女性であることはわかっていたのだが。そのふたりの仲を引き裂いたのも当時ヴェロニカの恩師であったイライジャで、クリスティーンにしてみれば追跡は公的な任務と私恨の両方の意味があったようだ。

 ただし、イライジャと出会ったあとで(しかるべきアイテムを入手"してDead Money"をクリアして)本編に戻り、ヴェロニカと話をすると反映されているようですが、クリスティーンの話は彼女との会話には反映されてないぽい?(彼女が本当に恋人であったかどうかも不明瞭なのだそうだが)

 ザイオン渓谷("Honest Hearts"の舞台)では、「クーリエがやってくる」という知らせを聴いたジョシュア(あのthe Burned Manであったと特定していいはず)は、主人公とは「別なクーリエ」が来ることを予想していたという。

 すべて繋がっているように見えますが、"Honest Hearts"だけ浮いてますね。あれはやっぱりザ・バーンド・マンのその後、あるいはシーザー(カイザー)と出会った頃の彼の話をしたかっただけかな。それとも"Lonesome Road"で関連付けが明確になるのかしら。

 主人公クーリエはユリシーズについて何も知らないし、何か関係があったか覚えていない。一方、ユリシーズのほうは上述のプリムのエピソードからみて、主人公のことを良く知っているようだ。

 それも謎ですが、何ゆえユリシーズは主人公にチップを運ぶ任務を肩代わりさせる気になったのか、ユリシーズが一体何を目的に荒野を歩き回っていたのか、そしてクリスティーンやザ・ドッグが再登場するというフリはどうなるのか。興味は尽きません?

 いやいや、これでNew Vegasの物語がほんとに終わっちゃうんだよな。
 それは私にとってはすごく悲しいことです。 

 (そんなこと言ってるけど、あなた、まだ100%全てのパターン見てないでしょ!)

 えー、すでに300時間以上は彷徨ったのですが、全部見るとなると、あと300時間くらいかかりそうなので。それ辛くない?(笑)

 とはいえ、中途半端で止っていた三人目主人公の物語、ボチボチと再開しているのも事実である・・・。イーヴィル・パスは精神衛生上しんどくてよ。

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 それらのヒントになりそうな素材として、Bethesda Blogにはこのユリシーズが作成したホロテープなるものが二本アップされているのだが、悲しいことに雑音(ホロテープですから)がひどくてとても今は聴ける環境にない(笑)。
 後でじっくり聴いてみたいと思う。

http://www.bethblog.com/index.php/2011/09/06/lonesome-road-holotape-1-big-mt-1/

Dragon Age 2 プレイスルー

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