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Dragon Age II

2011年12月23日 (金)

【DA3】Skyrimに学べ。

 うひひひ。ムジカ博士がさくっと変節しております。 

 やっぱSkyrim11百万本出荷は衝撃の出来事だったようだ。

 残念ながらBioWareはまだ5百万本ですら達成したことはない。SWTORでいくんだろうけど。

 「これからのファンタジーCRPGはオープンワールドだぜ」

 ちょっと遅い気もしますが・・・。

http://www.gamespot.com/news/next-dragon-age-taking-cues-from-skyrim-6347939

"We're checking [Skyrim] out aggressively,"

"We like it. We're big admirers of [Bethesda] and the product. We think we can do some wonderful things."

 いやいや、申し訳ないけどBethesdaのアドマイヤー?
 それは言っていなかったぞ。少なくとも今までは。

 するってえと、DA3はオープンワールドで、しかもマルチプレイかい?

 MMORPGならSWTORでたくさんだ。おなか一杯。

 旦那、Skyrimにマルチプレイなんてありませんぜ。

 Bethesdaから、なーんにも学ぼうとしてないんじゃないのかね?

2011年12月 5日 (月)

DAマルチプレイの是非

 前記事、書いていたらテンションあがってしまって、だいぶ疲れた。

 本題はDAマルチプレイの是非。 

 ここで、もう一回関係ない話題に延々と脱線する手もあるが、JB(ジェームズ・ブラウン)じゃないんだから、皆いい加減疲れるっつの。

 ここはひとつ責め方を変えて、Dragon Ageのアーチ・ライヴァル(のままだったらいいな)、新作Skyrimが絶好調のBethesdaのディレクターにして救世主、トッド・ハワード氏の意見を聴いてみる。
 だいぶ前の記事(3月)だが、SkyrimにMultiplayを入れない理由を述べている。IGN。 

http://pc.ign.com/articles/115/1158651p1.html

 Skyrimについてファンが望んだ最大の要素は、ドラゴンとマルチプレイであったが、前者はすでに実装された。

「マルチプレイについてはチームで何度も検討されたが常にボツであった。僕たちが嫌いなわけじゃないし、やりようによっては面白いものになりそうだとは考えている」

 最大の危惧はソロ部分から開発者を引っこ抜かなきゃならないこと。それによってソロプレイのほうが破綻してしまうこと。 

「僕らの本当に望むことは、できる限り最良のシングル・プレイヤー・ゲームを開発すること。(マルチプレイ導入は)それに没頭しているべき開発者の時間を取り上げてしまうことになる」

 潔い決断ではありますが、Bethesdaが今あるのは、トッドのおかげであるし、ZenimaxもBethesdaも名前は違うけど似たようなものである。彼に逆らうことが無意味なことは誰もが知っているし、もし彼の意見が封殺されていたら、オープン・ワールドRPGの実質的な完成がなったMorrowindは生まれておらず、Bethesdaはもうこの世にはありません。

 Mass Effectのディレクター、ケーシー・ハドソン氏は、ME3に「マルチプレイを導入した理由」は述べていません。ただ「本編に負けないくらいすげえものになるぜ」としか言っていない。
 トッドとケーシーを比べちゃいかん、というなら私の知る限り、BioWare共同創業者のムジカ博士もまだ何も発言していない。よってEAからの一方的お達しであることは間違いないと思う。
 もうひとりの共同創設者であるゼスチャック博士のほうはスマホ・ゲーに首っ丈のようだが、これはLB(ギャリオット氏)も一緒で、あの世代のクリエーターには当然の反応なんでしょう。そうでなければ今名を残していないはずだ。
 Dragon Ageのマルチプレイについては、もし本当であっても、まだKotakuに「すっぱ抜かれた」だけだ。

 面白いのは、Mass EffectにCo-op実装と発表される前後、各大手ゲームサイトが、一斉に擁護にまわったこと。

 つまり、こういうことだ。

 「(ファンの)お前ら、落ち着け、うるさい、黙れ、話を聴け。お前らはDA2に続いて、Mass Effect まで殺す気か?!」

 だがファンの声は、「何を言うか、神殺しはEAのほうじゃないか!」というものだ。
 
 すでにEAのCOOピーター・ムーア氏のお話で紹介したとおり、EAはあらゆるコンテンツのマルチ・プラットフォーム化を計ろうとしている。マルチプレイ化もその必然的な延長線上にある。

 IGNが最近になってMEへの擁護意見を掲載した。ポイントはみっつ。

 http://xbox360.ign.com/articles/121/1213665p1.html

1.ME2では余り大したものでもなかった本編の(主として)コンバット周りが改善されるかもしれない。
 ME3のコンバット周りは、BF3の開発者とのコラボであるのは間違いない。

2.MEユニバースの拡張が図られるかもしれない。 
 シェパード艦長のストーリーアークは終わってしまう。だがマルチプレイによって、MEの世界はまだまだ拡張可能である。リプレイアビリティも確保できるだろう。

3.そもそもプレイする必要がない。
 本編のコンテンツは本編のプレイのみで全て可能だ。60USDの元はそれで取れる。
 マルチプレイはそれ自体を楽しむものであるほか、本編の進行を容易にする役割もあるが、それだけだ。

 このうち大事なことは、3.だと思う。1.は別段マルチプレイを実装した結果じゃない。それと独立してBF3開発チームとコラボ(エンジンやノウハウを流用)すれば、実現できないわけではない。
 2.は「まずマルチプレイありき」であるので、(私のように)それに別段興味のないプレイヤーには何も響かない。

 Uncharted 3のプレイはまだネイサンががきんちょのままで止ってるが(ラノベ読まんといかんし)、Unchartedシリーズのマルチプレイがいくら秀逸だと言われても私は手を出さないし、それでUncharted 2は十分元は取れたと思っている(一作目も十分楽しんだが、マルチプレイがあったかどうか失念した)。

 Dark Soulsだってマルチプレイをやったほうが面白いだろうが、まったくやらないからどうなる、というレベルでもない。

 「零式」には、マルチプレイ・モードがある。ご褒美としてのおまけが色々あるし、公式ホームと連動した企画でもいっぱいおまけが手に入る。その有無で極端にゲームプレイの難易度が変わる可能性はある。
 だからといって、別段まったくプレイしない場合でも(コンテンツ・コンプリート・マニアでもなければ)本編を楽しむのに大きな支障はない。「はがない」の登場人物じゃないが、「モンハン」をひとりでやる不毛さ(侘しさ、寂しさ?)に比べれば、ぜんぜん元は取れる。

 私の感じでは、トッドは結局The Elder Scrollsにマルチプレイを入れるつもりがないのかもしれない。それはBethesdaのような「独立系」のお家事情もあるだろう。外部に助けを求めない限り、上のような開発者融通に関する危惧は払拭できませんからね。Fallout のMMOだって自社ではやる気がなかったわけだし(企画はまだあるが、一旦ぽしゃったみたい)。
 やるのであれば、それ専用のゲームではないか。

 DAマルチプレイについては、DA3がもう一回ネット上でのヘイトくらったらどうなるか、という点はやはり誰もが気にしているはずだ。ファンのヘイトは本質じゃなく、DA2の場合は「やっつけ仕事」が諸悪の根源なのだが、わざわざマルチプレイでもう一回火中に飛び込む必要はあるのだろうか。

 DA2ヘイターの多くが比較しているBaldur's Gate II。あるいは同一エンジンのスピンアウトIcewind Dale。そのマルチプレイは当時さすがにPCファンで好事家しかやっていなかっただろう。Diabloがマルチプレイを拡げた素地はあったとしてもね。
 BioWareのオンライン・コミュニティーが花開いたのはNeverwinter Nightsだ。しかもあれは元々マルチプレイ用RPGでもある。

 Skyrimと異なり、DAはパーティ中心、キャラクター中心のストーリーである。元々マルチを志向していたNeverwinter Nightsのヘンチメンが「まあいないよりマシ」程度だったのに比べ、DAのコンパニオンはストーリーと切り離すことができない。
 それもあって私はDAのマルチプレイとは、MEのような別コンテンツのCo-op、Uncharted(あるいはDRD)のような本編と関係ないCompetitiveモードでもいいが、まったく別のSocialゲームがメインじゃないかと思ってる。

 本来はオンラインRPGの先駆者であったBioWareが、ME、DAのマルチプレイ化で攻撃されるというのも考えてみれば皮肉だが、いつもBG、あるいはSW:KOTORばかりが話題の前面に出て、NwNはあまり触れられないというのも原因のひとつだと思っている(NwNのマルチプレイやパーシステント・ワールドを楽しんだファンは騒ぎをただ黙ってみつめているだろう)。 

 SW:KOTORは、展開の舞台をMMORPGであるSWTORに移した。根本的なMMOへイターであればともかく、KOTORのファンがSWTORに何か文句を言うなら理由はひとつしかない。KOTOR3はもうソロゲームでは出ない、ということだけだ。
 BGファンがDA:Oを褒め称えつつ、DA2をののしる理由が「おもてたのと違う!」というのとはだいぶ様相が異なる。

 SWTORはソロでもそこそこ遊べるつくりだ。ひとりでもかなりの部分は進行できる。つくりとしてマルチプレイでも遊べる部分と、マルチプレイでしか遊べない部分が分かれている(確かに定額課金の問題はある)。

 別ものだったら何も関係ないんだから。わざわざヘイターに材料を与えて火に油を注ぐような道を選ぶとは思えないんですが。

 この問題の最大の論点は、あたかも「友達のいないやつはゲームをするな」という(多くの友達を巻き込んで遊んでもらえば儲かる)作り手側の立場と、「だってゲームで遊んでるんだから基本友達なんていないんだよ」という多くのプレイヤー側の実情との矛盾かな。

 ま、我らチョーズン・ワンズ! 「選ばれし者たち」とでも思わなかったら、こんなもん好き好んでやってませんよねー。 

朝ブログ

 ラノベ考察のほうは、まだもうちょっとかかるので、本業(?)のほうを。

 DA マルチプレイの是非

 と思ったが、案の定壮大に脱線した。次回かな。

 だいたい「ラノベ考察」とかぶちあげたもんだから、気合入れて正座して読まなきゃなくなっちゃったのです。本末転倒。読むのが苦行になってる(笑)。
 実は「バカテス」にはまり倒して他のが読めていないというのもあるけど・・・。

 話によると最近の中高生は「朝読」というんだそうだ。授業開始前に読むのか。それもすごいな。

 かつては「朝練」。はしりはスポコンブームの影響なのか、部活動を朝やっちゃうこと。もちろん放課後もやる。
 剣道などの武道の世界では「朝稽古」って普通にありましたよね。あれは参加者に老人が多いからだと思ってたんだが。
 練習がほとんど業務みたいな大学体育会ならわかるけど、中高生がやってたんだよね。なんと自分も付き合わされたことがある。超夜型なので死ぬかと思った。
 でもきっと今でもあるんだろうな。

 今では「朝スポ」というんだそうだ。でもこれはスポーツ・ジムなどに朝通うとか、ジョギングするとか個人的な活動らしい。意外な「朝練」には(トラン)ペット、フルートなど金管・木管系。なるほどね・・・。かつては夕暮れ時がそういう楽器の練習どきだった。河原の土手の上でやるとかがデフォルメ(デフォルト。デフォルメて。「バカテス」読みすぎ?)だったけど、やっぱうるさいしな。

 やがて「朝シャン」。バブル前というか、実質バブル期の女子高生かな。抗菌、除菌ブーム、潔癖主義のはしりってのもある。髪の毛も衣裳も「クリスタル」じゃなきゃいけないのだ。顔はともかく。
 昔は「朝寝、朝酒、朝湯」などは身上(しんしょう)を潰す元といわれたのに。私も学生時代、昼まで学校行きませんから遅いシャワーを浴びていると、親から小原庄助扱いを受けたものだ。 

 そういえば「朝マック」っていつ頃からだろう。バブルかなあ・・・。崩壊後かなあ。
 そういえば関西では「朝マクド」なのかなあ。都会の朝人口よりモーニングセットを出す喫茶店の数が多いかもしれない名古屋では商売きつそうだなあ。

 バブル期にはやったのが今でいう「朝会」。朝会議とか朝勉強会。アメリカ人の「ブランチ会議」とか「ブレックファスト・ミーティング」を模して、例えばエリート銀行マンなどが、朝から晩まで誰が一番オフィスに長くいるか競争をやってたらしい。いやいや、ノーパソしゃぶしゃぶ通ってたのは違うって、あれは大蔵省担当、いわゆるMOF(モフ)担。銀行の企画部だよ。やつらほっといても出世するから。モフモフからかわいいのを連想しなーいっ。
 でも銀行たくさんつぶれたけど。でもメガ化したけど。でも銀行員いっぱいクビになったけど。

 最近でも事情は変わらないようで、超夜型が故に個人的にすごいイヤな言葉は「朝活」。上位10%のエリートが実施しているんだってさ。朝一番の「フレッシュ」な時間帯に脳が活性化するとかどうどか?

 エリートの定義も、上位10%の信憑性も、朝一番に活性化するも、何から何まで胡散臭いが、株屋新聞によると「クリアな頭で仕事や習い事に効率よく取り組めると、 年代を問わず広がっている」んだそうだ。まずこの新聞記事は日本語がおかしい気がする。
 しかもあの「勝間」なんとかいうねーちゃんの匂いがするな。「勝つまでやめるな」ってのは、八代亜紀さんを出すまでもなく、真実だけどね。もしかしてペンネーム?

 「朝チャレ」とかなると、もう何を言っているのかわけがわからない。

 ビジネスの成功者には「朝型」が多い。だから朝活動すれば成功する。
 そうじゃなくて、前半は十分条件じゃねえの? 夜型で成功した人だっているだろう。ちゅうか大発明家、真のビジネス成功者なんて基本寝てないだろうし。

 だいぶ前に、人類が朝夕ニ交替制に移行、ってのを思いついたことがあるが、きっとサイファイの奇才、コード・ウェイナー・スミスの小説群に登場する「ゴー・キャプテン」、「ストップ・キャプテン」からの連想だったのだろう。
 そこでは宇宙旅客船の亜空間航行中の舵取りを前者が、それ以外の通常航行(宇宙空間では停止しているに等しい)中の旅客船全般に関するマネジメントを後者がやる設定だったと思う。豪華客船ならではの船内パーティーの開催、金持ち同士のいざこざの仲裁なども後者の役割である。

 前者は(いわゆるエスパー的)異常な才能を有している関係もあって、普通の人々(すなわち乗客・乗員たち)とまともなコミュニケーションがとれない、みたいな設定だったかな。
 これを読んだときはハッとしましたね。なんて素晴らしいアイデアなんだと。

 でも、人類ツー・シフト制は(これもサイファイの鬼才である)ラファティあたりが書いていそう。それからヴァンパイア・ストーリーにはそんな感じなものもある。

 もしそうだったら、私はまっさきに遅番(夜番)に立候補する。
 あと核燃料事故があってもへっちゃらかな。だって人口の半分ずつ(と仮定して)寝てるはずだし。オフィスも学校も半分でいいんだぜ? エコだろ、え? エコじゃないか。 

 さて、ここで問題です。通勤列車の本数も半減するでしょうか?
 答え、しない。通勤総人数自体は減らないからほんとは一緒である。時差出勤と同様、ピークが緩和されるだけだ。ただし、ピーク時の個別の列車編成は効率化されそう。

 頭のあれなサヨクの人が言ってる「みんな一緒に貧乏になろう」のワーク・シェアリングと勘違いしないようにね。こっちは給料は変わりませんよ。ただ夜勤手当とか無駄な残業は減っちゃうかも。

 まあ、オフィス、学校など頭数依存の設備が半分で済む、などの影響はあるので実は総投資規模は今より減る。それを含めればマクロ的に経済減衰はあるかなあ。それをもって結果的に名目給料水準が減るというなら、反論できないかな。ただし後述のとおり物価も低下が予想されるので実質可処分所得的にどうか、は考えないといけない。

(ただし設備などは、耐用年数問題があるから再投資が半減するわけではない。一つの設備を今より倍こき使うことになりますからね。鉄道・道路のようなインフラは必要性は減らない(初期状態が半分で済むわけではない)し、耐用年数にも影響は出ないから再投資レベルにも変化ないが、実際いつメンテナンスすんだよ、という問題は出る。ある時間帯の交通量・列車本数が半分なら影響は少ないかも)

 効率化とはピークを排除することだから、ピーク依存で支出されていた消費も減るし。つまり(時間帯依存の商品・サービスに限るが)需要過剰で獲得困難だから高いという需給バランスの均衡点が価格帯の下方にシフトしちゃう。総需要量は変わらなくても、価格が下がってしまう。品(つかサービス)余りのデフレ・・・。このインパクトもかなりありそう。

(なお、朝型人経済と夜型人経済の間で需要ギャップが存在する商品・サービスがある。わかりやすいのが寒暖差関連。例えばアイスクリームは朝型人のほうが大量に消費するが、夜型人はそうでもないとか。ただしビールは同等に飲むと想定・・・していいのかな。
 あ、かちわりからの連想ですけど、甲子園大会は春夏それぞれ二回やります。「定時制の甲子園」はなくなる。
 さて総試合数はどうなるでしょう? 朝夜間で決戦をしないなら出場高校総数が変わらない前提で今より一試合少ないだけ。だってトーナメント制は一試合で必ず敗者が一校生まれるから、残った勝者の数の差(今は一校、朝夜制で二校)だけの話ですね。
 プロ野球・サッカーとかは今のままで2セットなりたつかなあ・・・。

 エアコン本体には朝・夜で季節別価格差が存在するはずだ。電力自体はその形では備蓄できないので影響は少ない(ピーク電源の一部がなくなるので発電コストはさがるはず)。それから照明器具の価格。そういう事態があれば必ずアービトラージ、鞘取りビジネスが生まれる。朝夜をまたぐ転売屋(アービトラージャー)とかも横行しそうだなあ。株式などは時間外取引なる概念がそもそもなくなりますね。売買の回転があがるという可能性はあるのかな。

 供給側で見ると、これはお天道様依存で考えるといい。農作物問題。まるで太陽の恵み、植物の光合成が朝型人の「所有物」みたいに勘違いして農作物を「人質」にすると両者間に深刻な不和が生まれる。それに夜型人が対抗できる手段は(夜間蓄熱とか限られたもの以外)あんましないんだよね。夜光性の植物でも栽培するか。ドラウ(ダーク)エルフじゃねっての。

 ちなみに、朝型人のアマテラス信仰、「日の丸」、「旭日章」などは残る一方、夜型人にはツクヨミ信仰、「満月」、「三日月章」というものが生まれます。どちらも正式に国旗になります。
 私は「新月新聞」を購読して、「星空テレビ」を観ます。

 宝塚も再編だな。星組、月組、宙組で、夜ばっかじゃねえか。しょうがない、花組、雪組は譲ってやるか。もういっこだなあ。晴組って変だな。夜だって晴れだし(だったら雪だって夜も降るよ)。日組、陽組は語呂が悪すぎる。うーん、朝組(笑)。天組は?(ファーストフード屋さんみたい)。いやあれ天屋だから。わかった、Sol(ソル)組!(漢字でもないし、宙(そら)とかぶってる気がするよ) あー、わかんね、光組でもくれてやるか(でも月光(げっこう)って・・、もー、さっきからうっさいわ! 妥協じゃ妥協!と激高(げっこう)する。笑わなくていいです)

 こんにちわ、白泉社です。「花とゆめ」はふたつに分かれます。朝版「はな」と夜版「ゆめ」です。今後ともどちらもご愛顧よろしくお願いします。

 赤十字社は別に三日月社にしなくていいいの。あれは宗教問題だから。
 憲法とか法律は、朝夜制移行に関する改訂だけ埋め込めばいいかな。天皇制はややこしいから(買いたくないケンカ売られたくないから)うやむや・・・)

 でもこれに慣れれば、全員が一斉に大移動する馬鹿げた窮屈な生活に戻ることはできないと思うし、新たなビジネスが生まれる可能性もあります。上のような転売屋はともかく、朝型と夜型の人たちのコミュニケーション断絶を防止するようなものがひとつ。どんなのかは知らない。

 ただ政治家までツー・シフトになるので、ほおっておけば奴等二倍になる。なに、それこそ半分づつでいいって? 今でもそれでいいんだよ。でもいつまでも実現しないでしょ。奴等は既得権益は手放さない。例えばレンホウ先生が二人必要になる。朝レンと夜レンね(笑うところね)。あと官僚も総数増える恐れはある。

 総理だって朝番、夜番がいる。指名選挙は朝夜セットかな。外交交渉が切羽詰っていても、「あ、私はここまで。あとは夜番とよろしく」と帰っちゃう。まるでエアライン国際線のアメリカ人のカウンター係みたいにあっさり。戦争中だって、交替しちゃうんだ。まー、でもこれは実際にもそうか。

 なんなら(どっちがどっちとか言わないが)、首都だって東京都と大阪都で朝夜交替制にしてもいいぜ。でも全国各地に万遍なく朝型・夜型が分布する前提だから、仮に大阪都をどっちかの首都にしちゃうと役人から業者からなにからそっち型の人だけ集まっちゃう。議会の問題まで出る。だから首都は東京のままで、朝夜交替ってのが筋かも。

 ここでは家庭・居住用途建物の利用もシフト制にする、ってのは想定してません。想定するとドタバタ・サイファイになる。
 ただし理屈上、結婚・交配は朝型・夜型どおしで行なわれるので、どんどん溝が深くなるんだよな。やがて差別から闘争に発展し・・・、ユートピアものだと思ったら、デストピアものか、これ?

(追加:ここ、浅はか。設定にもよるけど、やがて長い時間が経つと、やっぱ朝型と夜型の境界での結婚てのが出てくるんだ。それは「制度」になるかもしれない。
 叶えられない悲恋? いやあ、それはすでにあるんだよ。ファンタジー映画「レディホーク」(Ladyhawke)。恋人どおしの二人は呪いをかけられる。黒騎士(ルトガー・ハウアー)は昼は人間で夜は狼。美女ミシェル・ファイファーが昼は鷹、夜は人間。でもまあ、プロットとしてはアリですね)
 
 本題(でもないが)に戻ると、人類は核燃料発電自体まだ必要としていなかったはずだ。

 でもシフトの設計を間違うと朝夕のピークがバッティングして今よりピーキーになっちゃうか。いや嘘だな。やっぱりピークは今より減るからピーク電源は少なくて済む。でもポンギに遊びに行けなくなる? 早朝か午前中行けばいいじゃん。きっと夜型の人たちがお店やってるよ。でもそれやると「朝番組」のキャスターたちみたいに早死にするんだよなー。

 本来、人類の体内時計は朝型にセットされているというのが定説らしい。うーん、でも哺乳類って結構、夜行性も多いですよね。
 それこそ文化的人為淘汰じゃないのかしら。

 遺伝子寄与説なるものがあるな。クロック遺伝子。

 私が超夜型ってのは、過去に遺伝子が傷ついてしまったヴァンパイアかウェアウルフの血統を引いているのかもしれない(どう考えても、んな、かっこういいものであるはずがない)。
 ということは、夜ネトゲで闘ってるやつって、みなアボミネーション(異形)?!

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 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

 ツクヨミ・シュライン(夜のみ閲覧可)

Images
 ありがたやありがたや、なんまいだぶなんまいだぶ。

Tukuyomi2
 き、きっさまー、ツクヨミ様を冒涜するかーっ!

(上のうた。今見ていたら、みんな「天女を帰すな説」になってる。「月灯り」じゃなかったのか・・・。なんだよ、ずっと直裁的な俗な歌だったんだ。ずっと勘違いで感心してきて損したよ)

 

2011年12月 4日 (日)

Dragon Age Movie インタヴュー。

 まだ自分みてへんけど、取り急ぎ。

http://www.youtube.com/watch?v=UaMaCp_mMRI

 レイドロウ氏も出とるな。あんまり喋らんとき。

 あかん、もうヘイターでいっぱいだ(笑)。

2011年12月 3日 (土)

【DA3】Dragon Age Multiplayer

 あー、ガイジンのみんなが騒いでいたのはこれか・・・。 

 Dragon Age マルチプレイヤー。

http://www.gamespot.com/news/ea-cooking-up-dead-space-spin-offs-dragon-age-multiplayer-6346857

 Dead Spaceネタは省略します。FPSとしてはいいゲームだけどね。

 出どころ、Kotaku。話半分だな。 

 DAにマルチプレイ・フィーチャーを追加。スタンドアロン製品かどうか不明。

 マルチプレイ・モードでは、BF3のFrostbite 2 エンジンを利用。

 Co-opあるいはcompetitive。ドラゴンがプレイアブル(失笑)。

 

 EAは取材拒否。

 GameSpotの見立て。 Looking mostly not bogus、概ねガセではなさそう。

 ME3にマルチプレイを追加したことからみて、DAにも追加されるとの見方は固そう。

 ただし既存シリーズのフォーミュラからの大きな逸脱となるので、実装には極めて慎重にならざるを得ないだろう。独立したタイトルの可能性あり。だがEAがデジタル空間で自社フランチャイズの勢力を広げようとする意図に変わりはないはずだ。

 

 DA3じゃなく、DA2.5とかかなあ。これこそSocialかな。 

 さあ、またファンとレイドロウ氏のバトル再開ですか。 

 フォーラムみにいこうっと。

2011年12月 2日 (金)

BioWare Social

 しばらく覗いていなかったので、Dragon Age Legendsの開発者がBioWare/EAに吸収されてSan Francisco (shop)になったことは知らなかった。

http://www.gamespot.com/news/ea-acquires-social-rpg-developer-klicknation-6346961 

 さらに別の開発会社も買収し、今度はBioWare Sacramento。 

 EA、また小さな会社を潰すために買ったか、などと言われるのは仕方がないが、この二社でBioWare Socialなるグループを形成し、BioWareブランドのソーシャル・ゲームを拡充していく方針とか。ムジカ博士。

"The new BioWare Social unit will bring BioWare and EA franchises to the growing audience of core gamers who are looking for high-quality, rich gameplay experiences on social platforms." 

 高品質でリッチなゲームプレイ体験のソーシャル・ゲームを求めるコア・ゲーマーに訴求する、などなど。 

 DALもあまり続ける気がしないのですが、friend申請がいつまでも来るので、たまには見に行かないといけない。ぼんやり画面をみていると、EAのキャッシュ・カウ二頭、FIFAとマデン・フットボールもすでにソーシャル・ゲームが出ているのね。

 私はサッカーはさっぱりなので、一時期PS2版をやり倒したことはあるマデン・フットボールをちょいと覗いてみた。Madden NFL Superstars。

 ああ、ファンタジー・ベースボールのあれか。実名のNFL選手、もうあんまし知らんのだなあ。
 

 適当にやってみたが、試合自体は勝手に計算されて結果が出てしまう。緒戦勝ったんだけど、なんで勝ったかもようわからん。

 昔のようにほとんどのチームのスタメンをそらで言えるような時代だったらはまったかなあ・・・。どうだろ。(マデン・フットボールにははまり倒したけど)

 ということでおしまい。

 高品質でリッチなゲームプレイ体験。たしかに見た目デザインなどは文句ないですな。選手の実名利用もNFL(選手会かな)とパッケージで契約してるので追加コストないだろうし。 

 リッチなゲームプレイ体験? んー。

 AtariのDnD Heroes of Neberwinterも、デザインはあまり文句のつけようがない。でも、ゲームプレイが激烈につまらん。もちろん課金させる気満々だろうから、激ムズというか、足止めする手段が沢山用いられているのも興ざめする理由。

 BioWare Sacramentoが開発しているというAge of Champions。ちょっと試してみた。
 まず入り口で絵がひどいね。EAブランドのもののように素敵なBGMも一切なし。コンバットには音楽があったが。
 

 これも一体なにが起きたかわからないうちに緒戦に勝った。レベルアップ!

 ん、色々いじくっているとなかなか面白いかも。
 確かになんか癖になりそうな予感はするが、これって高品質でリッチなゲームプレイ体験なのかねえ。BioWareに吸収されてから実現するってことかな。
 

 おいらたちの時代はもう過ぎ去ったのかねえ・・・。

http://www.4gamer.net/games/144/G014446/20111202039/

 なんとFFまで正式にモバゲー進出と。

 おいらたち(もうええって)。

2011年11月24日 (木)

【DA2】メイジ・テンプラー抗争解釈(改訂版)

 前記事で書いたとおり、DA2のメイジ・テンプラー抗争の解釈。誤っておりました。

 ここに修正いたします。

 元記事はここだ。The Witcher 2の記事だから、関係ないところが多い。次に再掲する。

 そして、解釈間違いとか修正とか、その他は赤字で記す。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/the-witcher-2-1.html

 DA2の物語は、デザイン側が確信犯的にそうしているように、リアル地球の中世ヨーロッパを世界のモデルにしながら、実は当時ではなくて近代、あるいは今まさに世の中でおきている現代社会の物語を描こうとしている。しかも巨視的に。
(でも、狂人とは悪魔が取り憑いたものである(悪魔が取り憑いたからこそ狂ったのである)、という中世ヨーロッパの発想がその根底に暗黙裡に用いられていることをすっかり私が見逃していた)

 DA2のもっとも重要な物語は、メイジ・テンプラー抗争である。差別、抑圧、叛逆の物語。
 テーマは「自由」。最近色々手垢がついてしまったのであまり使いたくないが、言い換えると「正義」の物語だ。しょうがないな、ジャスティスが登場するわけだから。
 (テーマは「自由」。もうひとつはその裏返しである「権力」、「統治」)

 くどくなるが、前にも書いた私なりの解説を書く。推定無罪という発想がなぜあるか。個人に対して体制があまりにも強力だからである。どんな凶悪卑劣な個人(その集団)であっても悪行のレベル・範囲・悲惨さはたかが知れている。一方で歴史を紐解けばすぐわかるが、国家や体制の行なった殺人はとても信じられないレベルであり、範囲も悲惨さも常軌を逸したものが多い。

 だから、どんな凶悪犯の容疑者であろうが、国家権力がその犯罪を完璧に証明できなければ無罪であるという原則を(少なくとも自由社会を標榜する国々は)持ち込んだし、頑なに遵守しようとする。その結果、(個人である、あるいはある集団の一員である)大量殺人犯がまんまと逃げ延びてまた同じことを繰り返しても「仕方がない」と考える。国家権力への歯止めのほうがはるかに重大であり、それが破綻した場合のほうが比較にならないほど陰惨な結末を迎えるという発想だ。

 なぜDA2の世界でその原則が守られないか。なぜメイジには自由が与えられないのか。蒙昧な中世社会だから? であればどうしてメイジだけが抑圧される? じゃあ迷信深いから? 魔法は恐ろしいものだから? そこが変だというならそうだが、DA2の物語の住人たちは実はたいして迷信深くない。とても現代的な発想をしてしまうという私の勝手な発想が見事に混入していました) だが「魔法は恐ろしいもの」という部分は正しい。迷信ではなく、この世界では紛れもない真実である。
 
 「個々人の力はとるに足らないものである」という前提が、メイジの場合に限って崩れているから、というのが答えだ。頭のおかしなメイジひとりいれば、街ひとつぐらい跡形もなく吹き飛ばせるのだ。それを「管理」(コントロール)しないでどうするのだ、という発想から始まる。

 DA2の世界観ではそういうことだ。グランド・クレリック・エルシナは陋習にとらわれた愚昧で旧守的な宗教権力者だろうか、(気が触れる前の)ナイト・コマンダー・メレディスは問答無用で横暴な圧政者であろうか、という問いに答えるのは簡単ではない。(確かに簡単ではないが、以下に述べるように全然違う意味でそうだ)

 そしてそれだけじゃない。 
 「でも、私は(私の娘は)メイジであっても気が触れてはいないんです!」という叫びこそ、この話が安直に割り切れない、簡単には終われない味噌の部分だ。「お前がおいらを嫌うのはどうぞご自由に。だが、おいらのせいで黒人全部をキライにならないでくれ」というのは、有名なファンク・ミュージシャンの言葉である。このような一般化が行なわれると、これはいわれなき差別と見分けがつかなくなる。

 ここですね。そうではない。つまりDA2の世界のメイジ以外の住民たちは、「フェイドと交流できるメイジは、必ず気が触れる(=悪魔に取り憑かれる)」という発想を自然に抱いていたのです。例外はないんです。私はこれを間違えていた。

 だからチャントリー・テンプラー(あるいはクナリ)がやっているメイジ隔離(束縛)は現代人の発想にかぶれた私が考える「いわれなき差別」などではなく、DA2世界では例えば伝染病を発症した患者のごとく「真っ当に隔離しなければならない」という話になるんですね。「メイジの誰かが惨事を引き起こすかもしれない」ではなく、「そのメイジも、どのメイジも必ず惨事を引き起こす」という発想です。作中人物でいえば、フェンリス的発想と言っていいかもしれない。クナリも全員そう思っている。危ないかもしれない、ではなく、現に危ないんです。

 そうなると見方は大きく変わります。
 DA2の世界の事実として、必ずしも全てのメイジが気が触れる(=悪魔に取り憑かれる)わけではない、という前提をおきましょう。フェイドにはスピリッツもいる。

 住民たちは事実と違うことを信じているわけですから、大変迷信深いことになります。あるいはなんらかの洗脳が非常にうまくいっていることになります。

 そして実はグランド・クレリック・エルシナ、コマンダー・メレディス、キャプテン・カレンなどのほうが、ハロウィングの儀式を通じて、メイジは必ずしも全員が悪魔の誘惑に負けるわけではないと知っているがゆえに、一般人よりメイジのことをはるかに理解していることになる。つまり、「一般人とテンプラーの認識は一緒」と考えていた私は間違い。
 チャントリーがサー・アルリックの「純化政策」、メイジ皆殺し計画を阻止したのも「必ずしも全員が取り憑かれるわけではない」という理解があったからでしょう。
 (もうひとつ、もっと恐ろしい理由は後述)

 
ではなぜ、チャントリー・テンプラーはそういった事実と違う誤解(迷信)を大衆の発想から払拭しようと努力しないのか。なぜハロウィングを通過した(悪魔の誘惑に勝った)メイジには与えられるべき自由を与えないのか。

 とても根深い、本質的な、権力と差別の構図が隠されている。

 メイジは生かさず殺さず。なぜならメイジが必ずしも危険ではない事実が大衆に暴露され、解放されれば(または裏返しでサー・エルリックの皆殺し計画が実現してメイジが世界から存在しなくなれば)、チャントリーの支配が揺るぎ始めるから。

「いま、狂人(メイジ)は都市における個人の位置づけにかかわる『統治』の問題として前景化する。かつて狂人(メイジ)は別世界から到来するものとして歓待された。いま、狂人はこの世界に属する貧民、窮民、浮浪者の中に参入されるがゆえに排除される」

 フーコーが言うように、「別世界からの来訪者」(「まれびと」ですね)である限りは歓迎されていた(これがDA2世界に現存しているモデルとしてデーリッシュ・エルフ社会があります。指導者であるキーパーはメイジでなければならない)のに、「この世界の市民」にカウントされると同時に共同体から排除された。

 「なんだかわからない存在」だから隔離されたのではない。「なんであるかはっきりわかった
」、理解されたから、区別され、隔離され、排除された。

 これはDA2の世界では、はじめての世界宗教が生まれた頃、チャントリー創設によってはじまった。

 この見方であれば、チャントリーは愚昧で旧守的なのではなく、狡猾で邪悪な存在となる。  

 いわれなき差別を受けていると考える(これはいいですね、メイジ仲間にはハロウイングの儀式を通過した者はいるわけだから、彼らはメイジが100%気が触れるわけではないと知っている)ほうは、(法制度、すなわち体制が役に立たないわけだから)その状況を打破するためには(つまり正義を実現するためには)、結局暴力に訴えざるを得ない。そうして環が一周してしまう。元の「メイジはいつか必ず気が触れるいつ気が触れるかわからない危ない存在だから、全部管理すべきだ」というこの世界の通念としては正しい本来正しいかどうか疑わしい物語を、アンダースやオシノなどメイジたち自身が暴力を行使することによって実現してしまい、さらに補強してしまう。あるいは過去、虐げられたメイジがずっとそういうことを繰り返してきたからこそ、この社会通念が完成を遂げたのかもしれない。
 「反社会的である」とレッテルを貼られたメイジは、自ら「反社会的」な行動を起す。


 こうした物語は、最近の「正義」ばやりなどよりもずっと前から、現代人なら誰でも思いをめぐらしていた部分ではないだろうか。最近流行している、そういう分野への興味が増しているなら、社会の悩みが増大しているのかもしれない。DA2の物語がインスパイアされたと思われる9/11のことには敢えて触れない。構図は確かに似ているが違うところもあるだろう。
 (現代人の発想にたって物事を見てはいけない、という反省文でした。失礼しました)

 追加:この見方は、フェラルデンやカンバーランドではサークル・タワーの管理がゆるゆるなこと(カンバーランドではメイジ自治まで実現している)や、テヴィンターでは実際サークルがチャントリーに対して優位に立っている事実などの理由も説明できるかもしれない。つまり大衆とチャントリー・テンプラーのメイジに対する理解(むしろ無理解か)がどのくらい乖離しているかの度合いでも違うわけです。なんと大衆がメイジに無理解なほど、メイジへの束縛は緩い(メイジにとって自由が多い)。恐ろしい話です。

 追追加:「無理解」はわかりにくいかな。DA2にはカークウォールに移住した女性店主がいましたよね。最初はアンダースの所在を隠してかくまっていた。「彼は確かにメイジだけど、治療院を開いて皆を助けているいい人だよ」。「いい人だよ」のみ注目して「メイジ」であることはどうでもいいわけですよね。こういうのを私は「無理解」と言っているつもり。

2011年11月21日 (月)

【DA2】やっとDA2の話題できる。(ボーナスアイテムふたつ)

 BioWareの公式でDA2のストーリーDLC三つ全部買った酔狂・・・、熱心なファンの皆様にボーナスアイテムのプレゼントとか言ってますね。

http://social.bioware.com/forum/Dragon-Age-II/Dragon-Age-II-News-and-Announcements/Dragon-Age-II-DLC-Bonus-Items-8705250-1.html

 どういう風の吹き回しだろう。

 四つ目のDLC用意しているから心配すんな、ってこと?

・Pendant of the Morning Frost

・The High Lord's Belt

 どうやらゲームのDLCセクションを見てみると、タリス編を終えたときにもらえるはずだったThe Deep Greenと同じ扱い。アイテム名がなんとなくそう(MotAをリファーしてるぽい)だよね。

 これ(The Deep Green)、ソーシャル・サイトの不具合でうまくもらえない人が続出してて、すったもんだしてたので、そのお詫びかな。

 四つ目のDLC関連ではなさげです。性能的にもレベル5くらいの初期キャラでは重宝する程度。 

 うーん、新しいDLC、年内には来ないのかなあ。

 

2011年11月11日 (金)

Dragon Age と The Elder Scrolls

 今うんうん唸っているテーマに関連しそうなので、Dragon Age と The Elder Scrollsの関係でも考えてみよう。
 断っておきますが、比べてどっちが勝ったとかまさっているとかいった、ガキみたいな話にはなりません。そんなものは個人の嗜好で左右される。

 もう少し普遍的なことがいえないかな、というのが狙い。ま、失敗するかもね。

 なお本来「世界」と書くべきところ、敢えて「社会」と書いている部分があります。後から使うつもりの社会学者・宮台真司氏の定義が通常のものとは違うので、混乱しないようにするため。セダス大陸は世界じゃないの? Skyrimで主人公が歩くのはワールド(世界)じゃないの?という疑問が湧くかもしれません。野生とか自然とかそれらもひっくるめて「社会」と言い切っています。気になったら「世界」と読み替えてください。今のところは問題ないはず。

 色々なアナロジー(比喩)があると思います。もちろんアナロジーの限界をわきまえて言わなければならない。ふたつの事柄が「似ている」ということは裏返せば「似ていない」部分があるということだから。

 それぞれを「箱庭」と「砂場」と呼ぶ手がある。いまいち定義がはっきりしていないが、強引に自説に寄せてしまおう。

 DA2に代表される「箱庭」RPGは、「社会」を中心に据えています。BioWareの開発者が何度も口にするようにDragon Ageの物語は「セダス大陸とそこで生活する住民たち」が主役である。よって(偶発的に選ばれた)主人公は必然的にコンパニオン集団という小さな社会と係わりあいつつ、セダス大陸という大きな社会に向き合うことになる。
 「箱庭」RPGはパーティー・プレイの形式を取ることが多いのはある意味で必然であるのかもしれない。

 通常の箱庭RPGであれば、その「社会」に係わりあう主人公の物語で終わります。「空の軌跡」シリーズがそうですね。人間関係に非常に重きを置く。FFの一部にもありますね。中期の作品はみなそうかな。JRPGはすべてそうである、ただし、といって例外を挙げたほうが早いかもしれないくらい。これには理由がありそうです。それは後述。

 おっと、忘れないように書いておこう。FFXは、あれは民俗学でいう境界人とマレビトの物語ですね。「シン」を倒す宿命を帯びてしまった巫女のユウナは、いかなる共同体にもまともには入り込めない存在、境界的存在(マージナルマン)。外部からの来訪者(異人、まれびと)であるティーダの力を借りて、使命を全うする。
 泣いたでしょ? そら泣きますよ、だって物語原型だもの。他にもありますね。例えばIco。主人公が異形であるが故に部族から追放された境界的存在で少女がマレビト(これは見方を変えると逆も言えるかも)。境界的存在の例に「ナウシカ」を挙げる人も多い。広い意味では「カリオストロ」だって境界的存在(クラリス)とマレビト(ルパン)だし、そもそも宮崎駿の物語の原型ともいえる。「もののけ姫」もわかりやすい。姫は人間でも自然でもない境界の世界にいる。主人公は遠く東国から訪れた「マレビト」。
 The Witcherのゲラルトも眠狂四郎も境界的存在といえます。きりがないね。

 だが、Dragon Ageの世界では、「社会」の外側により大きな存在があることが前提となっている。問いは「箱庭」がなぜそこにあるのか、だ。不在の神メイカーの教えを伝えるチャントリーはそのことを明示的に示そうとする。「宗教」は「社会」より大きな存在です(そうでなければ、人々が完璧に理解できるなら、そもそも宗教の存在意義がない)。

 ところが「宗教」もまたそれより大きな何かを前提にしている。DAではメイカーなる「全能神」がその一つ。またフレメスが予言するように「抗えない大きな変化」なるものもある。如何ともしがたい事柄があるわけです。

 そうした存在は、それ自体が目に見えない、手に取れない、コミュニケーションできない存在です。到底不十分ながらも、言葉でしか描くことができない。作り手はシナリオのセリフを熱心に書き込み、プレイヤーに売りこまなければならない。メイカーを登場させずして、不在の神メイカーについて語らなければならない。抗えない何か、が何かすらわかっていないのに、それについて語らなければならない。

 「BioWareはシナリオが売り」ではなく、必然的にシナリオを磨き上げなければならないものを作っていると考えたほうがいいかもしれない。
 誤解のないように触れておきますが、BioWareのDnD準拠のゲーム(Baldur's Gate、Neverwinter Nights)に登場するDeities、神々、いわゆるパンテオンは「社会」の中の存在です。なぜなら対話できるから。レスポンスがあるから、ご利益・祟りがあるから。

 JRPGが「社会」を描きこむのも、日本がアニミズムだから。森羅万象に八百万の神が宿るというだけあって、社会が全体でありその外まで規定していないから。何事ですら、山河が相手ですら「話せばわかる」と思っているから。嘘だと思ったら地鎮祭とか竣工式とか、なぜやると思います?
 この世界に意味不明で「抗えない力」などないと思っている。天災への接し方ですら基本的な発想は「なにか意味があんだろう、仕方あんべ」。あの「震災は天罰」などといった、空気を読むことすら拒否した発言がそれを象徴しているんでしょう。

 DnD準拠のBioWareゲームが膨大なセリフを必要としたのは、DnDフェイルーン亜大陸の複雑な世界情勢を描かなければならなかったことがひとつ。
 もうひとつは、悪のBaal神の末裔として生まれたBGの主人公が何ゆえに善をなすのか、NwNでは戦う善の神Tyrのしもべであるパラディンはいかにして堕落してゆくのか、といった、ぼんやりとですが「抗えない力」に関するモチーフが顔を出しているからもある。
 ただし、DnDはライセンサーWtoCの許しなくして「社会」、フェイルーンの物語世界をぶち壊すことはできませんから、DAに比較すると物語は「社会」と接する「個人」にぐっとよったものになってしまいます。そしてまさにそれが、BioWareが人様のDnDではなく自社IP(フランチャイズ)を欲した理由でもある。「好きなように造って好きなようにぶっ壊す」ため。

 Mass Effect 2のDLC、Overlordには、私が最初誤訳をやらかしたセリフがあります。

 イギリスの19世紀ヴィクトリア朝時代の詩人・劇作家ロバート・ブラウニングの次のセリフが元だった。
“Ah, but a man's reach should exceed his grasp, or what's a heaven for?”

 拙訳は「何言ってますか、人は見えないところ、手の届きそうにないところまでも目指すべきなのですよ。そうでなければ天国は何のためにあるのですか?」

 まさにこういうことですね。
 ちなみにMass Effectの世界では、「銀河文明の意味は何か」(箱庭はなぜそこにあるか)という問いに対して、「リーパーズの餌場でしかない」という答えを提示している。リーパーズとは交渉こそできませんが、対話はできる。存在がハッキリしている。勝てるかどうかはともかく戦えてしまう。Mass Effectは想像を絶するほどの時空の広がりを描こうとしていながら、上の一行で説明を終わることができる。今後もうひとひねりあるのかもしれませんが、今のところは外敵の襲来と戦う銀河文明「社会」の物語でしかないんです。BioWare開発者が「シェパードはあくまで軍人だからね」というように、非常に単純な物語です。

 DAシリーズ、特にDA2が膨大なセリフを必要とするのは、メイカー、抗えない力、セダスを襲う変化の予兆などを示さなければならないから。それはセリフでしかできない。なぜなら目に見えた瞬間にそれらの超越した何かが矮小化されるから。
 また私が抗えない力に「運命」や「定め」などとレッテルをはらないのも同じ理由です。そうすることによって、まるで人が何かを手中に収めたように勘違いするから。そもそも個人の運命や定めの話などではない。社会あるいは文明全体がどのような混沌状況に置かれるか、不確実性に支配された社会がどう振舞うかがテーマだと思われるからです。

 一方でMass Effectがハードボイルド的なぶっきらぼうな語りで済んでしまうのは、それが物語のスピード感、宇宙空間における無常観を示すのに最も合っていることもありますが、最大の理由はリーパーズを含めた全てを目で見える形で提示できるからです。何百万年前の出来事ですら、宇宙をさ迷う難破宇宙船を見せることで示す。説明はあまりいりません。
 一番もたもたしているのがゲスという集団意識の説明ですが、ヒューマンとのハイブリッドのような対話可能な代表者を登場させたり、現代のコンピューター・ネットワークのメタファーを用いることで済ませてしまった。まあ、これは仕方がない。

 「砂場」RPGのTES(Morrowind、Oblivion、そしてまだ見ていないがSkyrim)もまた「社会」を事細かに描き込んでいます。そこでは確かに人々が息づき、生活し、争い、恋をしているだろう。そしてDA2と大きく違うのは、その「社会」自体を探索し、争いに巻き込まれ、打ち勝っていく「個人」が主役であることです。

 TESでは「社会」の外の存在を意識することは希薄です。「砂場」は目の前に与えられた。その意味を問うことはしないし、させない。たしかに異次元からの侵攻は存在しますが、例えばOblivionのそれは目に見え、戦えるわけだから現実世界の軍事大国と置換可能でしかない。その点でDA2のブライトも天災や疫病のメタファーであると言えます。Skyrimのドラゴンと戦えるように、DAのアーチディーモンとは戦える。それらは「抗えない力」でも、想像を絶する超越した存在でもない。

 TESは一人称視点(あるいは主人公の肩の上からのぞく三人称視点)を貫徹します。主役となる「個人」はプレイヤー。「社会」と係わりあうプレイヤーに特別な言葉は、実は必要ありません。冒険者として地元民たちと最低限のコミュニケーションさえできれば、野生動物や化け物に殺されないだけの武芸があれば十分なのです。
 TESはシナリオが弱い、ストーリーが不在などといわれますが、それらは元々「いらない」ものです。同様の「砂場」RPGを指向するTwo Worlds IIでも、やはりセリフは単純なコミュニケーション手段でしかありません。

 同一フォーマットを用いたFallout 3もまた同様です。「社会」の隅々まで歩き回る主人公が何を見て、プレイヤーがどう感じたか、それだけが大事である。様々な出来事に共通する意味づけなんかいらない。しいて言えば、やっぱこうなってるよな、とナットクできる要素があればいい。

 Fallout: New Vegasでは、開発したObsidianがやたら凝った設定とプロット、メチャクチャ細かく書き込んだセリフを見せてくれました。たしかにそれによってFallout 3にはない不思議な味わいは生まれた。
 一方でFallout 3に比較して「窮屈である」と感じる人もいるでしょう。Fallout 3ではEnclave、Brotherhood、その分派など敵対はしているものの、誰が誰とどう戦っているのか誰にもわからないままですが、New VegasでNCRとカイザーというふたつの大組織が地理的にも地図を二分している構図にしてしまえば、カオスぶりは大きく減ってしまう。
 人によっては「いらない」はずのストーリーを押し付けられたと感じるでしょう。DLCであるOld World Bluesのようにごく限られた範囲で濃密なストーリーを展開すると、これはうまくいったわけだから、ストーリーが悪いわけではないのですが。

 DA2は、「抗えない力」に翻弄されてもがき苦しむ(危機的状況をどうにかして克服しようとしている)「社会」と、そうした「社会」に対する主人公(プレイヤー)の接し方を描いている。逆に言えば、「社会」がどう抗おうが大きな変化は訪れるし、そのもたらす影響、混沌は計り知れないという期待(諦め)がある。
 主人公が逆境にあること、それを克服することはテーマじゃないんです。現にそうである場面はOriginsでもDA2でもそんなに多くはない。

 TESでは広大な土地(「社会」と言っておきます)を歩き回ること、それ自体が目的であり、「個人」である主人公(プレイヤー)がその経験をどう感じるかが大事である。遍歴、武者修行、冒険者の原型ですね。

 JRPGの多くは、「社会」の中の濃密な人間関係を描こうとする。なぜなら日本にはもう濃密な人間関係が身近にあまり存在していないからかもしれない。逆境に置かれて苦悩するのも、ここでは主人公かその近しい人物である場合が多い。

 Dark Soulsについては以前も書きました。主役はもはや「個人」どころじゃない。その個人の「行為」自体が目的である。その点ではスーマリや、もっと古くはスペースインヴェーダーと変わりはない。物語・ドラマはプレイヤーが「いや苦労したわい」という点にある。物語・ドラマの外にある。

 どれが良いとか悪いとか、優るとか劣るとか、そういうことではないんですね。

 ただし私がThe Witcher 2の物語にはピンとこなかった感想を抱いたり、FFXIII(零式含む)の背景設定に「はあ?」と思ってしまうこととは、深い関連があるのかもしれない。 

 

2011年10月23日 (日)

【DA2】MotA IGNレヴュー

 書いたのにアップすら忘れていた。テンションひくっ!

 褒めとるなー。IGNはDA2本編も8.5だったけど、Mark of the Assassinも8.5?

 GameSpotのケヴィンの7.0(X360)くらいが妥当ではないかと思っていたのですが(あちら本編は三大プラットフォームとも8.0)。

http://pc.ign.com/articles/120/1200628p1.html

 おお、こちらも、祝宴の様子を"Literal farce"(文字通りのファース、笑劇)と呼んでいるな。私が一番最初にそう書いたんだけどな!(誰も読んでないから威張っても意味ないよ・・・)

 Buffy(ヴァンパイア・スレーヤーだよね)やFirefly(カルト・サイファイTV映画)のようなゴアとレヴィティ(gore'n'levity)。レヴィティってなんだ。「浮ついて軽はずみな陽気さ」か。levitateからきてんのかな、あら逆か。

 ヴァラエティのある場面展開が高評価を得たということかな。レヴュアーによればプレイ時間はたった6時間? 

 いや、そんな長くかかったかな・・・。パズルにどんだけてこづったってことか?

 MotAネタ、こっちのテンションめっちゃ低いな・・・。

  

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