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2011年12月 1日 (木)

ラノベ考察(4)

 4,5と連発でいきますね。

 というのも先にコメントでご紹介いただいたのが「狼と香辛料」。
 ちょうどその頃読み始めた「このラノ」で第三位の作品がやはり<狼>ものの「ベン・トー」であるから。

 なに違う?

 なお、本考察シリーズでは第一巻しか読みません。その理由はどこかで書きました。
 しかも、第二巻以降物語がどう展開するかも(ブログに書く時点までは)極力目にしないようにしています。残念ながら、今第何巻まで出ているか、第何巻で完結したか、それはいつか、この作者の別の作品は何か、などの関連情報はどうしても目にしてしまう。それが読み方に影響を与えるのも避けられない。しかたがない。出遅れたほうが悪いんだから。
 
 もちろん、個人的に気に入った作品は続けてこっそり読み続けています。

 私の場合、「バカテス」を手に入れた時点でこの勝負は勝ちゲーム確定。「コール・オフ」(ラウンド強制終了、なつかしのローラーゲーム用語(笑))してリンク(リングじゃねえよ)から脱出しても困らないのだ。勝ったから。死屍累々のサイファイ・ファンタジー・ジャンル以外で、その手の面白いもの見つけたらラッキーという目的のひとつが達成されたから。

 よってこれから消化試合、というわけではない。できるだけマジメにいきます。

 「狼と香辛料」はなにを今更言うわけでもなく、極力ライトノベルさを消した、一昔前のある種の匂いを帯びたサイファイ・ファンタジーそのままの作品ですね。証明終わり(おいおい)。

 これをことさら「経済ファンタジー」というのは、どうかなと思うけど(そこを本格的に突っ込むと長くなるんでやめますけど)、これはね、このフォーマットはありましたよ。
 猫耳(ではなく狼耳?)、イヌガミ・オオカミ伝説(ではなく狼神伝説?)、(見かけ)ウェアウルフ譚、ぼんやりしても気がつくそっち系要素はあります。主人公が行商人であること、あるいは広く「交易」というテーマもヴィデオ・ゲーム的(あるいはボードゲーム的)そっち系要素であるかもしれない。

 でも、一番手っ取り早く作品を「公開」できるチャンスがあったのがラノベコンテストだから、これはラノベなのでしょう。そして一般小説として出してここまで脚光を浴びたかというと、「確かになあ」という気はする。こういうものを受容できる環境というのはもうラノベに限定されてるんですね。そこは情けない気がする。

 そしてまたしても境界人とマレビト。お前、それしか切り口ないんかいになってきてますが、だってそうなんだからしょうがない。

 マレビトの説明はあまりいらないですね。ふとしたことから若き行商人である主人公男性の旅に同行することになった美少女、実は狼神の化身は豊穣の神でもあり、同時にトリックスターでもある。都市文明の発達によって形成されつつある「近代」にとっては忌むべき「陋習」、「迷信」を体現した存在でもある。村の豊作祈願の祭りで豊穣の神が追い込まれていくのは、二重の比喩ですね。都市の拡大によって追い込まれていく「伝説」、「旧習」。
 豊穣の祈り・祭りが求める「恵み」は土地改良・農薬などによって実現を狙う「生産性」によって置き換えられようとしている。

 主人公にとって彼女は、マスコットであり、知恵袋であり、相棒かつ用心棒であり、守るべき存在でもある。いずれロマンス相手になるだろうことも仄めかされる。 
 行商人は定義上、どこのコミュニティにも属していない。都市に店を構え、強力な商人ギルドに参加し、家族を持ち、富を築いて平穏に暮らしていくのがとりあえずの「ゴール」ではあるが、それを実現する手段は己の才覚でしかない(ことになっている)。
 
 商人にはプライドは邪魔である、方針はただ機に望み変に応ずるのみ、みたいなことを良く口にする主人公は、師匠の教えであるそれを十分に理解していながら、そしてできるだけ商人らしく、「如才なく」立ち回ろうと心がけながら、やっぱりその「商人道」では失格者である。
 金勘定よりも相棒の救出を優先するから。

 ところが結局、物語中で主人公が得る最大の(金銭的な)富は「己の才覚」なんかじゃなくて、「信義」(honor)あるいは「信頼」(trust)に起因するものであった。ちょっと驚くくらい穏当な結末。

 もちろん金銭的な富なんかとは別に、それよりずっと大きなトレジャーを得る。DA2のギャムレンズ・グレーテスト・トレジャーじゃないけど。
 それはなにか。物語の続きですね。まだこれからも続くふたり旅。

 上では余り触れておらず、作中(第一巻)でもほとんど触れられていない教会、騎士団、そしてちょろっと顔を出す王国などの「制度」を背景にした物語でもあるから、たとえヴィデオ・ゲーム的(ボード・ゲーム的)に捨象されているとはいえある種の「社会」を描いている。
 狼神が実在する世の中、「世界」がまだ「社会」と分離していないことを示しているから、ただ単に「世界がどうなろうが君を守る」物語でもない。ずっとオーソドックスな古い物語フォーマットに近い。

 ラノベではこのように「社会」を描くと「お仕事系」に分類されちゃうようだ。まあねえ・・・。
 例えばコンビニ店員秘話や宅配便奮闘記のような「お仕事系」なんかでは割り切れない構えなんですけど、「経済ファンタジー」ってのも異形すぎてね。むしろ古臭く感じられるか。

 古臭いかどうかは別にして、これが「懐かしい」と感じるなら、その理由はハッキリしてます。「新しい制度」と「伝統」の境界を描くフォーマットがどこかで見たような馴染み深い、オーソドックスなものであること。オオカミ伝説、狼神・山の神、豊穣の神の物語というアニミズム的普遍的なテーマであること。

 猫耳(いやオオカミ)と尻尾を無視して、何か書くのってこんなに辛いのね・・・。別段、犬猫好きでもないんだけどね。

**********

 しばらく前ですが、「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という新書がありました。なんの結論も出さないことがテーマの哲学の本だったので煮え切らない、なんだかわけわからん本でしたが、テーマで勝ってしまったものですね。「そういえばそうだ」だから。この本によれば1965年からだまされなくなったそうですが、「なぜか」はお前が考えろ的にぶん投げている。もちろん私もぶん投げてお終い。  

     

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