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2011年12月27日 (火)

FFXIII-2は、なかなかいいかも。

 結論からいうと、進んでおりません。FFXIII-2だけじゃなく、Skyrimも、SWTORも何にもかも。

 おかげさまでFFXIII-2の記事も、Skyrimの記事も、何も読めやしない。

 FFXIII-2はほんとうに出だしだけちょこっと触ってみた。

 ああ、こういうふうにしたのね、と納得。しかも出来栄えは(まだまだ最初ですが)FFXIIIをはるかに上回りそうな予感。

 もちろん、「えーっ」というところはある。
 バトルシステムはやっぱ踏襲しちゃったのか、とガッカリ。それからQTA(クィックタイム)とか本当にどうでもいいので「自動」にしてほしかった(そういう機能はないと思っている)。
 そういうのがやりたければ、リズムゲームとか、ヱヴァのサウンドインパクトをやります。そしてそれも自分は途中でぶん投げていることに気がつく。
 QTA撲滅運動を起してほしい。あれは誰が喜ぶの?

 こっちはFFXIIIのときも感じたけど、お話だけでいいんだよ。「やりこみ要素」がないと中古屋にぶんなげる人が多数いるからなのはわかるが、「やりこみ要素」のある、物語を知るためにはやりこむことを前提に、やりこませるように意図的に作った「零式」だって速攻で中古屋にぶん投げる人は多数いたのだ。

 どんなタイトルであれ、速攻でクリアして(零式は一回ではクリアしたことにならないにも係わらず)、中古屋にぶん投げる、どれだけ早くぶん投げたかを競うことに価値を見出している人は存在する(早く投げたほうが当たり前だが実利が多く得られるということだけでなく、その行為自体が素晴らしいと感じていると言う意味を含む)。それはもうどうしようもない。

 それがいかんというなら、鶏卵論争のはじまりだ。「零式」(に限らない)の値段づけは間違いなく、中古市場の存在を前提としているからだ。だからその分高くなっている。中古市場憎しといいつつ、そこで喪われるだろう本来獲得すべきであったとメーカーが思っている利益を本体価格に上乗せしている。だからこの議論も不毛な循環論争になる。本体があまりに高いので少し値崩れしてから中古で買おうという層がいる。でも本体があまりに高いのはやがて中古市場で値崩れしちゃうからだ。

 まあ、それはいい。今頃知ったが、前作FFXIIIにはEasyモードが追加されていた。やっぱいたんじゃねえか。あんなバトルやらされて腹立つ人たちが。

(これも奇妙な偶然でしょうが、4Gamerのコラムに あの人が上と同じようなことを書いていたようです。ただし彼の場合は、ゲームの価格が高い理由を「短いとすぐ中古屋にぶん投げられるから、長く作る。長く作るにはお金がかかる、と説明している。それももちろんそうでしょう)

 私としては、FFXIII-2の(まだまだ)美麗なカットシーン、次にはどんなのが来るんだろうというご褒美を獲得するために、いやいや義務的にバトルをやっている(FFXIIIでもそうやっていた)。まだ取っ掛かりなのにもかかわらず、モブが湧くたびにいちいち「かっちーん」となっている。邪魔だどけ。

 実はゲームプレイの大半がバトルなので、これはとっても不幸なことだ。しかも私だけならまだしも、Easyモード追加ということは、作り手は受け手のことを読み違えていたってことだろう。

 でも、前作(FFXIII)はお話すらも途中で「あとはどうでもいいかな」となってしまったのだが、今回はお話がまだひっぱってくれている。
 
 もちろん、シスじゃないや、ルシがどうした、コクーンがああしたとか、そういうところはさっぱりわかりません。さっぱりわからないから有難い、って高尚なレベルではなく、さっぱりわからないから腹が立つ。

 もうそこの部分は「零式」でもとっくに諦めている。この「なんで(JRPGの物語、というかFFは)こんなわけわかんなくなっちゃったのかなあ」という宿題もぜんぜん進んでいないことも思い出した。ヒントとして「オーガバトル」から変わったというのはなんとなくわかっているのですが、まだ言葉にはできない。サブカル評論家のおっさんたちが言っている「エヴァ後」、「セカイ系」、「日常系」でさくっとまとめることはできる、というかすごい簡単。でも、本当はそこじゃない気がするんだね。

 ラノベ(の宿題も進んでないな)は作者と編集者がそういう流れを意図的に狙うし、狙える小説というメディアですから、色々な作品がとってもわかりやすくそうくくれる(のも本質とは違うと思っているけど)。アニメ・コミックもその点ではわりと近い。

 ヴィデオゲーム(RPG)のようなクロスオーヴァーなメディアでは、とてもそんな簡単に割り切れないんじゃないのかと思っているから。

 まずプレイしたことがあるなら、誰でも気がつくのは「クロノ・クロス」との奇妙な類似性。話のつくり方(仕掛け)もそうだし、実は音楽の感じとか、雰囲気までとても似ている気がする。
 別時代の設定(FFXIII-2はタイムトラベル、パラレルワールドのお話かな)なんて、DA2みたいに同じマップの使いまわしじゃねえの、という話にもなりかねないが、それは全体のヴォリューム勝負の問題。ワールドが十分にでかければ使いまわしも気にならないのです。「クロノクロス」が退屈させなかったように、今回も退屈しないで済むのではないかと期待している。どんだけでかかったか(ヴァラエティがあったか)調べると「クロノ・クロス」のPC(プレイヤー・キャラクター)は総勢45名。全部やったなあ・・・。当時は「やりこみ」どんどこい、だったのか。

(上の4Gamerの彼氏によれば、「難しいゲーム」(これに「やりこみ」も含めよう)ができない理由は「へたくそ」なのではなく、時間とか心に余裕がない(熱意が持続しない)からだそうだ。うなづけますね。自分でも「クロノ・クロス」には、いったいどれだけの時間をかけたか覚えていないくらい没頭したもの。時間も熱意もあった。

 ただ、調べてみて思い出したのですが、「クロノ・クロス」にはいちいちバトルに付き合う必要すらない仕掛けも多く備わっていた。つまり「頼むからから物語をどんどん前に進めてくれ」という作り手の気概というか、推奨する態度が感じられた。

 FFXIII-2にも、マイナーな部分ではありますがそれに近い世界は感じられる(途中で生じる分岐をチャイにしてもう一度別パターンをやり直すことができたりする)。「FFXIII」にはそうした逃げ道がまったくない(分岐もない)。バトルで物語の進行を足止めする。「零式」は何度も繰り替えさないと物語がわからない(繰り返しても本当のところはわからない)。
 Easyモード追加がファンの要請に基づくものであったのなら、プレイヤーの誰もが時間も熱意も存分に持ち合わせている時代ではなくなっているということじゃないのか。もちろん背後にはRPGプレイヤーの高年齢化問題というのがあるのでしょう)

 なお、ガイジンの「クロノトリガー」への賛美はちょっとすごすぎるくらいだ。たしかに名作ではあるだろうが、ちょっと褒めすぎじゃないのかなあと思っていた。
 個人的には続編にあたる「クロノ・クロス」が好きだった。プレイした人には説明不要な、あの複雑怪奇なんだけど、とっても魅力的な物語。プレイしたことがない人に対してはとてもこんなところで語り尽くすことはできない。
 とっても残念なことに私としては「クロノ・クロス」の絵(ヴィジュアル表現)がイマイチだった。こればっかりは個人的嗜好かなと思っていたが、前作のような圧倒的な人気(販売は前作200万本に対して60万本だったそうだ)を博すことがなかったのは、ひとえにヴィジュアルのせいかもしれない。

 ふつうの人はFFXIII-2と「クロノ・トリガー」との類似性を言うのだろう。でも音楽から雰囲気から、「クロノ・クロス」にとっても近い気がするんだよね・・・。

 なんだろうな。ふと気がついたのは、FFXIII-2も「クロノ・クロス」も大テーマ自体が「別にその謎解かなくて良いんじゃねえの?」というところかな。セラはライトニングが死んだことを認めていないが、回りの皆にすればそれはもうとっくに終わった過去だ。しかもセラはそれを三年?もほったらかしている(スノウが変わりにライトニングを探しに出たからだそうだが、なぜ二人で行かない? セラには危なすぎるから?)。
 「クロノ・クロス」の主人公は典型的な巻き込まれ型である。こちらでは、実はとっくに死んだはずなのは主人公本人だ。

 どちらも「クロノ・トリガー」のぐいぐい引っ張るようなドライブ感(がきっと絶賛されているのだろう)がない。別に今行く必要あるのか? 今謎を解かないといけないのか? そしてその謎は本当に解いてしまっていいのか? ライトニングは本当に死んでいるのではないか、「クロノクロス」の主人公は実はとっくに死んでいたのではないか、という事実を知ってしまったらどうする気だ。

(セラが、スノウがかわりに探しに行ったということを「言い訳」にして自分でライトニングを探しに行こうとしなかった理由もそれだ。スノウと一緒に行けばいいのだ。でも行かなかった。本当に死んでいたらどうしよう。本当に帰ってこないことがハッキリしたらもうその事実には耐えられないだろう。セラは、めそめそぐずぐずしていたのではない。ライトニングを探さないように「必死に」がんばっていたのだ)

 そういうところに魅かれるのかもしれません。なぜなら世の中とはそういうものだから。わかりたくないことこそ、本当に探さなければならないことだから。

 形式的には、どちらの物語も砂浜、浜辺からはじまる? いやいや。それを言ったらFF-XIIIもそうでしょう。つうか意外にもドイツ系などのRPGまで含めて、海岸ぺりから始まるRPGってメッチャ多いのよ。ひとつは、ゲームの仕組みとして閉じられた島の世界がベースだからという理由づけもあります。でも、これは(ある民族にとっての)原体験と言ってしまっていいのではないかな。冒険は浜辺からはじまる。
 でもそれすらも、二つのタイトルの醸し出す雰囲気に影響を与えているのかもしれません。
(Skyrimのように氷雪の山岳地帯から物語が始まるもの。FF-VI。あとは・・・。もっとあるはずなんだけど)

 どちらも、マレビト(セルジュ、ノエル)、異世界からの来訪者の物語である。でもこれはファンタジー物語ではごくふつうだから。

 もちろんFFXIII-2のお話づくりでも「えーっ」というところはある。主人公セラのところに未来からやってきた男の子は人類最後の生き残りだという。うそこけって。そんな切迫感ぜんぜん感じないし。時空を渡ってきたわりには、なんかそこらのあんちゃんだし。

 まあ細かいツッコミはオタクの特権として許してもらうが、導入で私のあんまり好きじゃないあのノラ?なるグループとか出てきたけど、ちっともいやな気がしなかったしな(FF-XIIIでは、彼らですら物語の進行を妨害する(足止めする)ための要素としか感じられなかった)。

 結構期待してるんだ。問題はいつ遊ぶのだ、その一点のみ。

  

 まだ正式なレヴューではなく、X360英語版(未完全版)の4時間くらいのプレイに基づく感想であるそうだが、IGNのレヴュアーも"FFXIII-2, bigger, better"と、似たような感想を持っているようだ。

 http://ps3.ign.com/articles/121/1212845p2.html

 

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