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2011年11月16日 (水)

懐かしい作品でMMORPGを考えてみた。

 身辺に色々あったせいか、遠い昔に読んだ(はずの)作品をどうしても読み直したくなって、没頭してしまった。

 とはいえ、偏向した読書歴しかないので、筒井康隆先生の作品に限るのですが、「あれはちょっと」という方はここでご退席されたほうがいい。

 リストを作ったりして記憶にとどめようとかする、そういうきちんとしたマニア(きちんとしたマニアって・・・)でもないので、勘違いもはなはだしいことが多い。
 ブログを書きながらずっと気になっていたことがある。「MMORPG的な世界といえば、あれだよなあ」と記憶を辿って「旅のラゴス」に行き当たった(これが勘違いです。説明します)。

 出版されたら早速購入しているはずなので、どこかにはあるはずだが、もう探すのも面倒。いつごろ読んだかなあ、とネットで調べたら1986年? 
 もう20年以上前か。Amazonなどでも絶賛されているので(そこで勘違いに気がつくべきであった)、これかな、と思って今でも入手可能な新潮文庫版を買ってみた。

 読み直してすぐに思い出した。ラゴスなる青年が、老年期を迎えるまでの紆余曲折の半生を辿ったもの。そこは地球ではなく、二千年前くらいの過去に地球(らしき)文明のエリートたち(約千人)が宇宙船で到達したらしいある惑星の現在の物語。

 その二千年前の文明の遺産である数千冊の書物をどうしても読まなければならないと思い立ち、書物が保存されているという南の大陸に向かって、生まれ育った北の都市から旅立ち、やがて戻ってくる物語(では終わらないのだけど)。
 そう書くとなんてことはないようだが、物語は細部が大事。中身をここでなぞってもしょうがない。なるほど、こういう風な受け取り方をするのか、とむしろAmazonの読者レヴューに納得してしまう自分に驚いた。
 20年前のまだ青臭いガキから抜け出せない頃の自分には、読み解けなかったつうことでしょうか。逆に十分に年を取ってから読むと、あまりに切なく痛すぎる物語である。

 でもこれは、私が思っていたMMORPGの世界ではない。確かにRPG的な世界であることは間違いないが、そんな枠に収まる話でもない。これといった事件がおきないのに物語の中では何年も経過する。RPG的なキャラクターは頻出するが、別段彼らを軸に何かエピックな事件が起きるわけでもない。

 読み始めて「あら、違ったわ」と思ったが、そんなに分厚い小説でもないし、途中でやめられるものでもない。あっと言う間に読み終わってその感慨にふけりつつ、では私が思っていたのはどの作品であったろう、とまた悩み始めた。

 この時期であることは間違いないんだよなあ・・・。
 ネットのリストを眺めて、「驚愕の曠野」という題名が目に付いた。これだ。
 ようするにもう絶版であったのです。いや、同名の文庫はあるが「自選ホラー傑作選」として出版されているようだ。

 今更筒井先生のホラー集を読み直す度胸もなく(めっちゃ怖いのが多い)、絶版になっているほうの(しかも自分は単行本で手に入れているはずだが)文庫本を中古で入手してみた。

 これだ、これだ。
 単行本出版は1988年だ。オンラインゲームはまだ隆盛する前。ようやくインターネットなるものが好事家の間で話題になっていた頃かな。そうだね、日本におけるはじまりが1984年だ。

 自分は、購入してすぐに読み終えて(作品としては非常に短い)、その後読み直していない。
 MMORPGだよなあと思ったのは、だから自分が食わず嫌い時期を経て、ようやくMMOをかじった頃(2006年くらい?)に思い出したということだ。
 Amazonのレヴューにいかほどの正統性があるかは置いておいて、「旅のラゴス」に比較してこちらに注目する筋は余りいないようだ。

 なぜなら、「旅のラゴス」は読んだ者同志が「あそこがよかったよねー」と言い合える、口コミで再体験できるものだが、「驚愕の曠野」は読んだ者同志であってもお互い説明できない。いや作者がまず説明を拒否している部分もある。

 だからあらすじ(なんてないに等しいが)をなぞっても、この作品を解読するのにあまり意味はない。だが「MMORPGだよなあ」という類似点を示すには十分かもしれないのでやってみよう。

 物語は膨大な物語の途中、332巻から始まる。だがこれは枠物語でもある。その物語を子供たちに読み聞かせているおねえさんがいる。おねえさんが過去の登場人物を述懐していることからして、今までずっと読み聞かせてきたらしい。だが途中で読み聞かせる者が交替することからみて、彼女が第1巻から読み聞かせてきたのかどうかも疑わしい。(追加:読み直すと、おねえさんが最初から読んできたことをうかがわせるようなセリフもあった)
 表面的には仏教でいう輪廻転生の世界を模している。物語の登場人物たちは仏教でいうところの人間界にはいないようだ。殺伐とした、不条理と邪悪が支配する世界。

 ここにはわりきって理解できる因果はない。登場人物はなぜここにいるのかもわからないし、この世界ではなにが道理なのかもわからない。食糧として塩肉が与えられるが、どういう経緯で誰から与えられるかも判然としない。その塩肉のみが(生存に必須という)共通価値を持っているので、それを奪い合う争いは頻発する。むしろ争いは全てそのために発生する。

 MMOとの類似は偶然だと思うが(偶然ではないという説も展開できそうだが)、登場人物たちはだいたい四名程度で行動する。隙あれば塩肉を奪い合う物騒な世界だから一人旅は危険すぎるという理由がある。だが登場人物たちはあまり同じメンバーと長い間行動を共にしない。そもそも旅の道連れには全幅の信頼を置けない、あるいは情が移る、なども理由だろうが、ある登場人物の視点からは、まだ清清しい良い関係のうちに袂を分かち合ったほうがいい、という企みがあることもほのめかされる。「あいつはいい奴だったなあ」と後から思い出せる程度の関係を結んで別れる感じ。

 当初同行していた仲間のうち、怪力で名をあげた男が(読者が途中から知った時点から数えて)早々に物語から姿を消す(消したように見える)ことからみても、この世界を生き抜くためには腕力だけではどうしようもないことがわかる。ならば知恵か? 当初の仲間と別れたひとりの登場人物は、賢く、如才なく、この世界を知恵で行きぬくことを運命付けられているようにも思われるが、彼はあるときこの世界で十四尊仏の名を馳せている高僧のひとりと出会う。

 しばし高僧と同行することにした彼は、この賢者とみなされている男が、実はなにひとつ知恵を有していない(この世界について何もわかっていない)ことに気がつき、小さな希望を示して大きな失望を与え続ける魔物の類ではないかと思い、このままひきずられては自分の身も危ういと考えて殴り殺してしまう。知恵を頼りにしてもどうしようもない。知恵の代表である存在に愛想を尽かした瞬間だ。個人的にはこの部分が一番衝撃的であった。

 
 一方で、当初の四人のひとりであった男、なんの才覚もない「ただ乗り」男なのだが、ある土地で、盗賊(すなわち塩肉漁り)の討伐隊を編成するため呼びかけている武神の募集に自ら応じる。もちろん自分は何もせず勝利の分け前を掠め取るためだろう。だが討伐は失敗し、彼も敗残兵となり、その後ありえないほど悲惨な目にあって死ぬ。

 この武神も、先の賢者たちがこの世界の知恵を表出している(と目されている)のと同じように、この世界の武勇を表出する(と目されている)十八武神のひとりなのだが、それですら盗賊たちに常勝とはいかないようだ。知恵も武勇も、何一つ頼りにならない。

 では慈愛か。先に書いたように「あいつはいい奴だったなあ」という仲間の記憶を大事に生きようとする、またある猫への愛情を心に秘めていることが途中で示される、この世界の慈愛を表出しているような男ですら、読み手のおねえさんによれば「みんなは彼が好きよね。でも結局死んじゃうけど」とあっさり死を予言されてしまう。おねえさんの好きな登場人物は彼ではないようだ。
 もしかしたらその男が何度も述懐するように「自分は人殺しの場には何度か立ち会ったが自分で手は一度も下していない」という潔癖さ、善良さを、彼女は「この人はわりとわかっている人なのね」と評しながらも、独善さとみなしていたのかもしれない。

 やがて賢者を殺した男は、その自戒の念に苛まれつつ一人旅の果てにある建物にたどり着く。ある手掛かりによって、そこはどうやらおねえさんが子供たちに物語を語り聞かせていた場所であることが示される(枠物語の枠すら存在しなかったことになる)。だがもうそこには誰もいない。男はそこに残された大量の書物を読み始める。風化し、ぼろぼろになりつつある知識の断片。物語もだんだん断片的になっていく。

 その男が読んでいる物語は今までの登場人物たちが回想していた別の男たちの物語。時系列が狂っているようにも思えるが、彼らが転生した後の物語なのかもしれない。だがそこでも、登場人物たちのある者は死に、または散り散りになり、生き残ったある男はまたしてもこの建物に辿り着き、そして風化しつつある書物を読みふける・・・。

 あのおねえさんが子供たちに「私はこの人が好き」と言っていた物語の登場人物。彼と、悪辣なる巨漢とのエピック・バトルがごくごく断片的に語られる。一匹の猫を救うための戦い。猫はおねえさんだったのか? 
(実はこの世界の人間には男性しかおらず、女性が人間の姿では転生してこない。そこにも物語としての仕掛けがあるようだが、ここではあまり関係ないので除外)

 最後には、この世界が表出した原因らしき「放射性物質」なるセリフも一行だけあって、説明好きな読者も満足させようとしているらしいが、なんの脈絡もない風化した物語の断片が続いて、あっという間に終わる。いや、ほんの少し覗き見させてもらっていた私たち読者の前から消えるだけなのだろうが。

 おわかりのように物語自体を読み解くのは非常に荷が重い。ここで省略したエピソードもいくつかある。ネタバレで読んでいない人の興ざめになるのを避けている面もあるが、いくらエピソードを重ねても理解の足しにはならないせいもある。これでも私の解釈を交えて書いたつもりだが、その解釈自体「誤り」の可能性も否定できない。解釈すること自体が「誤り」という仕掛けも考えられる。

 だが、MMORPGとの奇妙な類似性はおわかりいただけたのではないか?

 なぬ、わからん? MMORPG食わず嫌いですか?

 形式的には、物語にははじまりも終わりもない。しかも果てしない繰り返しが予言される。もっというと物語自体の意味すらない。

 登場人物は少人数のパーティーで行動するが、長期間固定されない。突出した力(武勇)も、知恵も、慈愛も、ただ乗りも、どれもが意味を持たない。でも、これらこそMMORPGのプレイヤー類型そのものではないですか。武勇(一番派)、知恵(探求派)、慈愛(社交派)、ただ乗り(ただ乗り派(笑))。

 十八武神が盗賊退治で兵を募る。もろですよね。レイドでもクエストでも。なぜにそんなに武勇に長けた存在が「兵士」なり「冒険者」を募らなければならないのか。特に説明はない。しかも討伐は失敗することもある。ワイプ・アウト(全滅)したレイドですね・・・。 
 殺される賢者にしても、この世の理を理解しているなら「お前さんが謎を解けよ!」とつっこみたくなる。そして当初はそういう賢者の話に付き合って色々役務をこなしても「あれが足りない」、「これが足りない」、「ああ、やっぱあっちだった」といつまでひきづられるんだよと。

 塩肉。でもやっぱりこの世界でも「価値あるもの」はある。非常に単純化されてるが生存に必須なもの。人々はそれを奪い合いながら、奪われないように腐心しながら旅を続ける。
 そもそも「生存」に意味があるかどうかも物語では解き明かされない。転生はするらしいとおぼろげながらわかってはいても、だったらあっさり死んだほうがいいと考える登場人物はいない。今よりましな世界に転生する保証などひとつもないから。
 なにゆえに電子的ゲーム内通貨を神格化するのか、とか言いはじめると非常に陳腐でつまらない話になりそうだが、では言い換えましょう。塩肉のような「価値あるもの」の存在もなさそうなのに、なぜ繰り返し繰り返し同じコンテンツを遊ぶのか? 答えられますか?

 RPGには「成長」の物語という側面がある。私がMMORPGがRPGと違うと感じるのは、その「成長」の側面がMMOではあっという間に非常に希薄になるからかもしれない。やがて物語は繰り返し性、一過性、惰性、無意味性に呑み込まれ、あるいは(物欲なる)煩悩の追求が支配的行動になる(すくなくとも他者からそう見えるように振舞わざるを得なくなる)ことには、例外がないのではないか。

 (例えば「旅のラゴス」が多くの人の心を打つのだとしたら、それはRPGとの類推で言えば「成長」の物語だからだ。そして悲しいかな、「成長」と「述懐」は裏返しでもある。どんなに素晴らしいストーリーでも、いつか終わってしまうことになるのも物語が悲しい理由だ。だがMMORPGには普通始まりも終わりもない。元々割り切れる物語などないのだから)

 筒井先生がネットゲーム隆盛前にMMORPGを予言した、などというつもりはない。
 なにしろここで言っているのはMMORPGというゲームの仕組みではない。そこで遊ぶプレイヤーたちが結局取ってしまう行動なのだ。
 物語は、やがて必然的にそうなっていっちゃうのかな、という驚き、まさに驚愕すべき事実に初読から二十年も経ってようやく気がついた、というお話でした。

 **********

(追加)ひとつ、忘れていた。河出文庫版(1991年初版)の解説者が、この作品の世界を例示するためにまっさきにブリューゲルのあの絵画との類似性を挙げている。
 "Dragon Age 2"のアート・ディレクターがインスパイアされたというあれ。
 フランスのコミックス(BD)の大家メビウスのモブシーン(群集シーン)を評して谷口ジロー氏が口にしたあの絵画。
 「死の勝利」ですか。Pieter Bruegel the Elder、同名の息子と区別するため(父)または(老)と表記される父親のほうの作品。

 次のリンク先、Wikipedia(en)にある"The Triumph of Death"と言う作品ですね。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Brueghel_the_Elder

 奇妙な一致は何を意味するのか。単なる偶然なのか。 
 美術史的には「死の舞踏」というムーヴメントの一例としてしか扱われない作品のようですが、なにやら時代と洋の東西を越えた共通認識を表出したものなのかな。

 

 

 

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コメント

おっ、Vanityさんにエンジンかかってきたかっ!

筒井先生の作品にMMORPGの「負」の部分を見ちゃったんですね…。
ちょっと強引な展開ではあるけど、やっぱBioWareがSWTORやることをケアしてるのかな~と思ってしまった。
MMORPGの「負」も「闇」も見てきてる身として、私も正直いって不安は感じてます。
MMORPGは、賞味期限も寿命あるデリケートなものだし、運営するってかなりリスクあるな~、と。
まぁ、やることは決まってるわけだし、やるからには成功してもらいたいです。
BioWareは今まで通り良いゲーム出してくれれば、それでOKなんですが~。

来年の「ME3」に備えて、今「ME1~2」やってます。
この後「Skyrim」やって、来年「DA2」やって、「ME3」につなげると自分としては完璧。
あぁ、シアワセ。

> エンジンかかってきたかっ!

 エンジンは切ってなかったんですがピット作業が長すぎました。

>MMORPGの「負」の部分

 そう言われてみて、逆にこういう見方もできるかなと思ったのは、次。
 「このように、放置すれば必ず邪悪や煩悩が支配するMMORPGという擬似世界(=人間社会)で、何ゆえに『善』が存在するのか」
 そこには間違いなく「善」はあったのです。それも「仲良しお友達」レベルではない、ちょっと信じられないくらい恐ろしく高尚なものまであった。(筒井先生の「驚愕の曠野」でも猫(他者)を救うためだけのために命を落とす「善なる」男がちらっとだけ登場します)
 ゲームだからこそ、プレイヤーは人間としての原初状態におかれて邪悪も煩悩もむき出しになるけど、善良なる心は(ゲーム内演技だとしても、だからこそ)その数倍も強烈なインパクトを与えてくれた。
 そういう思い出が自分の中で結晶化してるんですね。おそらく。邪悪なのはゲーム内外どっちでも当たり前だから。

>あぁ、シアワセ。

 くっ、時間さえあれば・・・。私も同じ境地にいけるのに。

 SWTOR、やっぱ気になっていたのは間違いないでしょうね。次あたりの記事で自分でベータ・キーの話してるもんね。

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