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2011年11月20日 (日)

零式一周通過。

 やっと。一周目通過。

 ああ、下にはかなりネタバレあるけど、いやなら読まないで下さい。

 モンハンはあまりやらないし、アドホックのマルチプレイも経験していませんので知識は限定的ですが、(Vita発売直前と言う意味で)PSP時代の最後を飾る作品のひとつとして.相応しいできばえだと思う。ゲームプレイは。グラフィックは。

 物語は、予想通り、腹立たしいだけの感想。
 だって、これで物語がごくごく順当に良ければ、全体としてかなりの出来栄えであったはずだから。
 スクウェアどうなっちゃったの、と思わざるを得なかったようなXIIIの能天気バトルデザインから一転して、零式のバトルはいくら続けてもさほど飽き飽きしてこない点で、最近稀。PSPでは「ペルソナ3」があともうちょっとだよなーと思ってたのを越えちゃった。

 ムーヴィーにしても一周目エンディング間際のカットシーンの品質水準には文句言っちゃダメでしょう。(おそらく容量の関係で)全編その水準でとおすことは不可能だったのだろうけど、ストーリーが全然あれなのに、絵・CGアニメーションだけで(もしかして感動しなくちゃいけないのかと)あやうく騙されそうになったもの。そのくらい凄みがある(ミュージック・ヴィデオ的にだが)。PSPのちっちゃい画面で見たのがもったいないくらいだ。

 物語は一周ではわからない? そういうのが作り手の態度としてどうかは置いておいても、今二周目の途中ですが、何週やってもやっぱりわからないのではないか感は一向に薄まらない。というか、物語が進んで設定がどんどんネタバレしていく過程で、「ああ、やっぱ適当ぶっこいてんだな」とどんどん愛想が尽きてくる。

 世界の全てのものには意味があるそうだ。実際には意味なんてないのに。
 六億回以上繰り返してこれなら、どんだけダメな宇宙なんだ。
 まるでゲームデザイナーが考えたようなご都合主義の世界観(いや考えてんだろうけど)。
 戦争はきちがいが始めるから理由や意味なんてなくていいけど、はじめたならちゃんとリアルに描きましょうよ。知らない間に戦況がポイポイ変わる。あるいは、全体の戦況なんて登場人物たちに関係ないなら、一切見せなきゃいいのだが、登場人物たちが戦況を変えたという話にしたいらしいから、なんとなくもっともらしい嘘の戦争を描く。
 「残された者が悲しむから」死者の記憶は喪われることになるという、予想通りの、だからこそ腹立たしい設定。  
 そして頻発する登場人物たちの「死ぬのが怖い」発言。上のような設定をしてしまっているから話は「みんなから忘れられるのが怖い」になっちゃう。命ってそんなもんなのか?
 根底にはいつもの「まあ出てきた奴片っ端から殺しときゃみな感動すんだろ」という安易な発想。
 究極兵器のために蒸発した都市群。当然多くの人口も生活も一瞬で灰燼に帰した。ところがその土地にゆかりのある者たちの妙なさばけ方。まだついこの間起きた出来事なのに。
 結局エリート部隊の物語でもなく、ただ単に人身御供であったというこれもまたよくある物語だが、なんの脈絡もなくそう。

 この世の全てのものには意味があるのだという。だとしたらこの無軌道ぶりはなんだ?
 どれひとつ、なんの意味もない。

 誰が書いたか造ったか知らないが、そいつの頭の中にしか存在していないなんだかわけわかんない世界を押し付けられることに辟易とする。いや「おれはそう思うんだよね」と主張するだけならいいが、どうやら「それが正しいだろ」と思っている、押し付けようとしている節があるのが腹が立つ理由だ。「死ぬのは痛くて苦しい」のだそうだ。皆それを忘れちゃだめなんだそうだ。死んでもいない人に言われたくないよな。

 これはほんとに何がしたいの? なに、仏教的世界観を換骨奪胎して、ファヴラなんとか造ったの? XIIIのときは全然違ったよな。あれもわけはわからなかったが。

 以前も書いたが、そうなると世界の設定はもういいと。ほっとけと。キャラクターにコミットできるかどうかの勝負になるし、それで救われることだってある。

 よく言われるように、クラス・ゼロのキャラクター数が多すぎて誰もがのっぺらぼうである、よって誰にもコミットできないという批判がある。それ自体はそうかもしれないが、ここにはマキナとレムという転入生の物語がある。実際にはそちらのふたりが主人公で、その物語にプレイヤーをコミットさせようとしている節もある。そして徹底的に浪花節だが、それはそこそこ効果をあげている。

 もちろん上のように、複雑骨折してるのか、そもそも骨(脊髄)があるのかどうかも不明な世界観とこのカップルの「古式ゆかしい幼馴染の恋」物語のつながりはゼロ、ヌルである。

 そもそもなぜこの二人をエリート部隊に転入させたか、それもきっと「意味がある」んでしょうけど、私にはぴんとこなかった。

 男の子は故郷の村を焼かれ、兵士である兄をクラス・ゼロのせいで喪ったと思い込んでおり、クラス・ゼロのエリートの仲間たちに救われているばかりで、このままでは生き残った唯一の身近な者である幼馴染の女の子すら救えないのではないか、という無力感に苛まれている。またその思いを口に出すから、仲間からは「ヘタレ扱い」される。やがて幼馴染を守るためには強力な力を手に入れるしかないと思い立つ。

 一方で女の子は(浪花節らしく)不治の病に冒されている。男の子も含め大多数の者は気がついていない、知らない。子供の頃、生まれ故郷で男の子から将来結婚しようと告げられた思い出を大事に生きている。もちろん、この戦乱を無事生き延びたとしても、結婚できるまで生き長らえることができるとは思っていない。

 そういうふたりの物語自体が(陳腐かどうかは置いても)悪いわけではない。
 問題は、それとクラス・ゼロとの係わり、このなんちゃらいう世界との係わりがどこにもないことだ。まあ、結末ご存知で肩を持ちたい方は色々弁護するんだろうけど、それもあまり効果的なものではなさそう。

 クラス・ゼロは人数が多すぎて、一人ひとり描き分ける余裕がなかったようだ。私が最初に感じた「こんなわかりやすいメンツって古くないか?」という感想の理由はそれであった。皆でほぼ平等にセリフを分担すれば、どうしてもステロタイプ的な発言をする一言居士だらけになってしまう。
 彼等彼女等の背景も一切不明と置いているので、「サイボーグ009」的群像にもならない。むしろ12人でひとつの意識とみなしたほうがすんなりわかるかもしれない。

 私は、辛うじて指先一本だけマキナ・レムの物語にひっかかった(フックされた)。上のように話をスラスラ書けるってことはそうだろう。浪花節だけに、こっちが勝手に舌足らずな物語を補強できるからだ。
 もちろん個人的にはセヴン一押しだ。WisdomとDiscipline性の高い女性パラディン・タイプだし(だが、そういうキャラクターであると理解するのも私が勝手に補強してるんですけど)。

 ほんとにこれ、このよくわかんない「おれの世界」をFFで押し付けられる世界は、いつまで続くんだろう。ゲーム自体、相当いい感じなので、心底残念でならない。   

 最後に、「零式」でほとんど唯一心に残ったセリフ。

 リフレッシュ・ルームなる食堂兼酒保(しゅほ。軍隊の酒場だが兵士はともかく候補生たちは酒飲めないか?)でレムがつぶやく一言。

 「クラス・ゼロで女子会企画したら、みんな来てくれるかな」

 誰も理解できないくだらねえ「セカイ」を描くのに腐心するくらいなら、こういうにっこりできるセリフを増やしたほうがよっぽどいいと思うよ。

 

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