フォト
無料ブログはココログ

« あてつけのようにSkyrimガイドブック到着 | トップページ | ラノベ考察(2) »

2011年11月26日 (土)

ラノベ考察

 もしかしたらシリーズになるかもしれない、何を今更ラノベ考察。

 いやいや。元々、食わず嫌いだから。MMOだって黎明期から数えて個人的参入まで10年弱かかったから。「このラノすご」は、すでに8周年だそうだから。いい感じで出遅れてます(いい感じて)。 

 とはいえ、ものがものだけに、地図も何も持たずに暗闇のジャングルにパラシュート降下するのは怖い。という臆病さも手伝い、「このラノ」を眺めて、うーん、ここらかなあ、と選んだ第一陣。 

 まずすでに書いたとおり、2011作品部門一位の「ソードアート・オンライン」(第一巻)。
 MMORPGをテーマにしている、というので、これはこのブログは避けるわけにはいかない。

 あとは、「お前どんだけ臆病なんだよ!」といわれそうだが、「バカとテストと召喚獣」、「とある魔術の禁書目録」、それぞれオリジナル第一巻。
 

 どちらもケーブルTVでちらっと見た気がするし、PSNでもGyaoでも有料でアニメが見れるし、元々名前は良く知ってました、というのが理由のひとつ。ノベルに飽きたらアニメで誤魔化そうという魂胆がもうひとつ。

 「とある」のほうはランキングでも第二位だったのでこじつけられる。「バカと」(「バカと」って。「バカテス」ね)のほうは第五位だったけど、読者の声を読んだところ、第三位「ベン・トー」と第四位「円環少女」には、ただならぬ殺気(妖気?)を感じたので、第一弾にいれるのは回避した。カワードと呼ぶなら呼べ。(もし玉砕せず第一弾を読み続けられたら)第二弾でいれるつもり。

 テーマは、これも読みもしてないくせに勝手に思いついた「販売戦略上、ラノベというレッテルを貼られた一般小説である。美麗なイラストがついている一般小説である」という話が正しいかどうかを見極めたいということ。
 あと、サイファイが死んだ今、単純に面白い(そっち系)ノベルがあったらめっけもん、という功利主義的理由。

 隠された理由は、Skyrimが12月8日まで遊べねえことだよ。

 まず「ソードアート・オンライン」読みました。

 一般小説です。少なくともサイファイが一般小説ならば。
 ただ、「サイファイです」という名目で出したらどうなってたかわからないですね。説明します。

 ラノベがライトである理由、これも一冊も読んだことのないお前に何がいえるんだよ!といわれてもしょうがない段階で、こう書いた。

「(アニメ・ゲーム文化のバックグラウンドを有している)読者に共有されている暗黙裡のルール(セット)について作者は作中でことさら説明する必要がない。その復号作業は読者側にビルドインされたルール(セット)に委ねられている。よって、記述はそれを前提にして必然的に簡素にならざるをえない。
 そういう復号コードを有していない読者には「なんのことやら?」と通じない。
 言い方を変えれば、これこそ文化以外の何ものでもない」

 形も、中身も、「サイファイ」です。仮想世界の設定がファンタジー世界だから「ファンタジー」でもある。
 ところが「フルダイヴものという、ありがちのような設定」(これ、「このラノ」にあった17歳♂のコメント。17歳。17歳て。てめー、こっちはな、20年以上前にな、フルダイヴのな、「クローム襲撃」とか「記憶屋ジョニー」(JM)とかな、「ニューロマンサー」とかギブスンの小説読んで、あまりの感動に鼻水出して喜んでたんだぞ! そういういたいけな心を持った純情な若者だったんだぞ! ったく今時の若者は・・・)ではありながら、もうそんな説明は(あることはあるが)ほとんどしない。所与であると。わかれと。皆「ドラえもん」見て育ったんだろと。

 「サイファイ」として出してしまうと、こういうところが批判される可能性がある。だが、MMORPGなんて説明し始めたら、知ってる読者にとっては冗長で飽きるし、知らない読者にはいくら説明したってわかってもらえない。しかも描こうとしている中身はギブスンのような漠然とした仮想世界ではなく、もうそういったものへの理解が所与となっている時代(つまり今)を前提としたより詳細な、オタク的なディテールであるわけだから、

 コンピューターのアナロジーだと、OSとミドルウェアまでは読者は知ってるだろうと。さらに類似アプリ(MMORPG)についても一般的な知識はあるだろうと。だから説明はこの小説に登場するオンラインゲームの(読者がすでに知っているものとの違いである)特徴的なことしか述べない。

 そこが「ライト」なのかもしれない。しかしそこだけ。 

 これはラノベとは何かを考えるにあたって本当に適切な作品を選んだのではなかったせいかもしれないが、MMORPG以外の解読するためのルール(セット)、つまり読者がわかっているべき前提知識をあまり必要としていないのだ。

 形の上では剣戟ものである。世界を(というか仲間を、恋人を)救う勇者の英雄譚である。登場人物たちの多くはヴィクトリア朝文化のような感傷的な上品な価値観で支配されている。主人公のロマンスも痛々しいほどにうぶで純情で、それでいてあっけらかんとして(開放的でか)直裁的である。
 

 この仮想世界からの脱出は、レイドを繰り返して全てのボスを倒すことでしか実現しない。ところが仮想世界上での死は現実社会に置き去りになっている肉体の死でもある。ボスとの戦いでプレイヤー(アヴァター)が死んでしまっては取り返しはつかない。

 こうした仮想世界に閉じ込められた者たちのそれぞれの反応も、誇張や省略はあるが、概ね無理がない。レイドを主導するもの、ソロの道を進もうとするもの、ただ手をこまねいて誰かが解放してくれるのを待っているもの、この世界の日常統治を厳格化しようとするもの、略奪者に落ちぶれるものと、(命こそかかっていないが)MMORPGのプレイヤー類型の説明にもなっている。
 

 ネタバレは避けるが、込み入ったプロットもほとんどない。私が心底怖れていた「ケータイ小説」のような唐突な展開もまったくない。理路整然と、淡々と、この仮想世界の恐怖を描く。「出てきた奴殺しときゃ感動すんだべ」みたいな無茶な、幼稚な展開も一切ない。
 

 娯楽小説として十分面白い。実際、これは「おとな」(もちろん中高生はこの場合おとなだ)の読み物と言ってもなんの問題もないでしょう。MMORPGという解読のルール(セット)さえ身についていれば隅々まで楽しめる、という但し書きがつくのであるが。 

 それでいて、やはりMMORPGのゲーマーが「あるある」と首肯できる要素も存分にある。多少形式的な面はあるが(職人ギルドのプレイヤーは縁の下の力持ちとか。まあね・・・)。
 

 よくありがちなゲームシステムの表面上だけなぞって、舞台がどこでもいいようなつまらない物語を描くゲームもの、では全然ない。MMORPGのエッセンスを描いているから、そういう罠にはおちないのだ。
 

 例えばアニメ「ハンター×」のネトゲ編が、ゲーム・システムの表面上だけなぞちゃって、なんだか設定をぜんぜん使い切れていない感じを受けたり、押井さんの映画「アサルト・ガールズ」が黒木メイサさんのお尻を撮りたかっただけじゃないか、あるいは途中で撮るの飽きちゃったのかと思われるほど、世界に最後に残ったゲームがこんなにつまらなそうなのはどうなの、とつっこみたくなるほどぺらぺらなのとは違う。

 逆にキャメロンの映画「アバター」が、MMORPGでは全然ないのに「MMORPGのハイゲーマーの話じゃん!」と感じるのは、やっぱあの人は(仮想現実の)エッセンスをつかまえるのがとてもうまいからだと思う。

 文体も、セリフも、うわついたところが全然ない。奇をてらった突飛な用語も概念も一切ない。ジェネリックな材料でこれだけの話が書けるというのは、発見であった。それであるから「MMORPGを知らなくても大丈夫です!」という読者の声もある。現実社会との橋渡しがなされている(フックを喪っていない)こともあるが、エッセンスをきちんととらえていることが大きいと思う。

 物語は第一巻で完璧に完結している。エンディングも見事で、綺麗に終わる。

 今、巻数を重ねているのは、主人公が別な仮想世界を渡り歩いているからのようだ。その事実が、メタ的にオリジナル第一巻のエンディングの味わいをちょっぴり毀損してしまうが、それは出遅れたこっちが悪い。すんません。

 だが、続編はおそらくこの第一巻以上に優れた話にはなりようがない気がする。そのくらい、作者の考えるMMORPGのエッセンスを思う存分吐き出している気がする。 

 アニメ映画化が決まっているようだ。プロットもこのままで十分じゃない?

 ひとつだけ、気になったことがある。それは最後に書きました。

 (以下、Wisdomの高い人がこれを読むと、本編をちょっと読んだら結末がわかってしまうネタバレあり)

 宮台真司氏が「マトリックス」だったか押井さんの「アヴァロン」だったか、そういう仮想世界の物語について「自分の生きていた世界の創造主が絶対神だから(ほかにもあったはずの世界のありようが、たまたま今こうなっている事実を)許せるのに、そうでなくて創造主が自分と似たような人間であったらそれは許せない」という話で、彼のいう世界と社会の関係を説明していた。 

 この物語は、主人公たちをこの仮想世界に閉じ込めたのが誰かは最初からわかっている。にも係わらず、主人公と恋人は、途中で「この世界からの脱出が果たして良いことなのか」と考え始める。愛し合う二人がいればそれでいいのではないかと。

 すでに閉じ込められてから二年間が経過している。早く脱出しなければ、現実社会の自分たちの肉体(を維持している装置)がそんなに長期間持ちこたえられない可能性はほのめかされるが、それはあまり重大なこととして扱われないのだ。確かにそういう舞台設定は「ありがち」で「陳腐」であるから避けたのかもしれない。

 だがある事件をきっかけにして、自分たちは決してこの世界に留まってはならない、という決意を抱く。抱いたのかな? 最後までそうではなかったのかな? 

 そこらへんがなんとなーくあやふやである。

 つまり、この私たちの住んでいる世界そのものへの批評性があるのか、どうなのかという話だが、娯楽小説なんで、まあいいかな、と思う。凡百のサイファイだってそんなところ外しまくっているものはたくさんあるだろう。

 気になったのは、もしかして宮台氏の指摘と真逆の現実、「誰が作った世界かはわかっているけど、腹も立つことは立つけど、この際、現実社会にもどれなくてもいいや」という発想、なんとなく陳腐だけど、実はそれが読者の共通認識にあるのかなー、とか思ったことだが、気にする必要はないのかもしれない。

« あてつけのようにSkyrimガイドブック到着 | トップページ | ラノベ考察(2) »

ゲーム」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ラノベ考察:

« あてつけのようにSkyrimガイドブック到着 | トップページ | ラノベ考察(2) »

Dragon Age 2 プレイスルー

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30