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2011年11月29日 (火)

ラノベ考察(3)

 三つ目は重たいの来た。

 「とある魔術の禁書目録(インデックス)」。

 TVアニメの最初のほうをぼやーんとしながら観た記憶があった。
 スピン・アウトで「とある科学の」ってのも観た記憶がある。レールガン(ガウスガン)が普通にネタで取り扱われちゃってるのね、とちょっと驚いたのでよく覚えている。でも第一話から何話かのぞいただけで、「ふーん」で終わった。アニメとかシリーズ全部観るのやたら時間かかんだよな。それと、そっちは萌え要素がかなりきつめだったからかもしれない。

 なぜ重たいか。

 その前に、まず「お前、全部の作品、第一巻だけ読んで判ったような気になってんじゃねえのか?」という批判(が当然あるとして)に答えておきます。

 すでに何十巻にもなっている作品世界、第一巻だけ読んでもわからないんじゃないの?
 もし「ラノベ」というジャンルがあるなら、そこでは「わかりますよ」と言っていいとおもう。
 ラノベっつうか、現在の非情な出版状況下では、ですね。

 それ以前、しばらく前の作品だと、作者の名前がそれなりに重たい場合も多い(ネーム・ヴァリューってやつ)。希少価値である新人もなんとか育てようみたいな発想もあった。だからスタート時「あいたたた」でも、途中でちゃっかり軌道修正してなんとかなっちゃうみたいな大らかな世界もないわけじゃなかった。古臭いけど「ドカベン」なんて最初何の話だったか知ってます?
 でも、少年ジャンプ・システムじゃないけど、今は「第一巻」でダメならダメ。

 作者も編集者もイニシャル・イニングで一発ホームランぶちかますことに全精力を傾ける。先頭打者ホームランが一番嬉しい。
 長く生き残っているってことは、まずそれにまんまと成功したってことですよ。必要条件。
 ゆえにエッセンスは第一巻に包含されている。言ってしまえば、それで成功した第二巻以降は別の戦略・戦術を用いてくることもあるはずですよね。そっちこそ「萌え要素」てんこもりという世界があるのかもしれない。それをさして「ラノベ」はライトということかな。

 この作品はなぜ重いか。そして私の感想が「だろう」とか「違いない」とか、煮えきれないものになるのはなぜか。
 私がラノベの趨勢を知らないからですね。
 ラノベなるレッテルを貼られた作品群へのアンチテーゼになってるんではないか。と考えても、比較する相手を知らないのだ。煮え切らない話になるのは勘弁。

 まず科学と魔術の関係(先入観)についてのオーソドックスな批判がありますね。何度も出てくる、魔術はRPGの魔法使いのように簡単にはいかないのだ、というテーマ。凡百のRPGやそれに安易に基づくラノベ批判なんでしょうね(自信なさげな理由は述べました)。
 もちろんヴァンシアン方式(バレット方式)の魔術が原則であったDnDファンから言わせれば、「RPG原型の魔法はもっとずっと面倒臭かったんだよ」と言いたいが、オールドタイマーの愚痴ですね。MMORPGで完成されたマナ(MP)あるかぎりファイアーボールをぶっ放す(つか最近ではマナ自体省略されることも多々ある)世界に慣れ親しんだ人たちには通じない。

 科学哲学という分野がありますね。ぶっちゃけると、まさにそういう科学と魔術の境界を取り扱う分野とも言っていい。人間は科学によって宇宙の理をどこまで解明できるのか。解明できたと思っちゃっていいのか、っていうお話。解明できないなら、それはオカルト(魔術)と何が違うの?
 哲学ですからとっても難しいですが、興味の対象としては非常に面白い世界ですね。そしてなんでそんな分野に興味を抱くのか。

 明るく素直な科学少年少女の物語、簡単に言うと「未来」が、「嘘」であることがばれて久しい。核燃料事故なんて、そういう問題の重大性をことさら示すためのものに思えてしかたがない。すなわちあの核燃料エンジンを搭載した「科学の子」批判だ。とっても深いテーマなんでここは一旦逃げます。
 まさかいまどき科学万能の進歩の世界を真に受けている中高生はいないだろうけど(そういうバカなおとなはいるけど、そういう訓練の結果なんでしょうがない)、この物語はまず、そういう「ちゃぶ台返し」から始まる。
 さらにとっても上手なのは、魔術こそ「超能力を持たざる者に与えられた手段」というもう一回ちゃぶ台をひっくり返した世界を造っていること。これはうまいですね。お見事としか言いようがない。

 そういうひねりからはいっているので、ほんとはラノベ(あるいはサイファイ・ファンタジー)のルール(セット)の理解があれば二度三度おいしいのではありますが、別段いるのか?と言われると、あんましいらないかもしれない。

 それからコンセプトは明らかに「竹取物語」、かぐや姫伝説ですね。賢明なるラノベ読者は当然みな気がついているようで、この作品と竹取物語でネットを検索したって結構出てきますね。これもずるい。「竹取物語」は、悲しいお話にしかなりようがないという予感があるからですね。
 「竹取物語」は筒井先生の「時をかける少女」でもありますね。マレビトの物語です。未来を改変しちゃならないんで、君の抱いている僕に関する記憶は消すしかないんだよ、で、みんな泣きますね。泣きます。なにしろ物語原型ですから。
 多感な思春期の少女を(おとなでもこどもでもない、しかも女子であるから)境界人であるとこじつけると、境界人とマレビトのモデルにも解釈できますね。

 「とある」は境界人とマレビトの完璧なモデルでもある。
 主人公は境界人である。有能力者の超能力の発達を第一義に創設された学園都市では彼は異端である。ところが超能力を一切有しない大多数の一般人からも受け入れられない才能を持ってしまっている。異能なる力であれば神の力ですらディスペルできる右手。よって彼は超能力者(持つ者)でもなければ、超能力とも魔術とも無縁な中立一般人でもない。ましてや魔術師集団から忌み嫌われる存在でもある。
 本人が自称限りなく不幸な存在というのは、読んでいるとほんまかいな、と思いますが、どのコミュニティからも相手にされない意味では「不幸」かもしれない。
 インデックスはマレビト。説明不要ですね。彼女は魔術師の世界では特異な存在でもある。

 さて、本題は解読のための特別なルール(セット)が必要か、でした。
 高校性である主人公のこ汚い学生寮、そのベランダにある日この世のものとは思えない美少女が引っかかっている、とか、主人公は食費にすら困っている貧乏学生とか、インデックスは大食いであるとか、中学生にしか見えない担当教師とか、主人公にやたら粘着してくる女子中学生とか、十四歳なのに身長2メートルのパイロマスター、カタナ遣い風の女性魔術師とか、シグナルはバンバンあがってますね。

 でも、そういうシグナルを剥ぎ取っても、物語は一切揺らがない。どれひとつ、本筋と関係ないからですね。

 これは評論家のおっさんたちが分類している「セカイ系」でもある。世界の命運を左右する宿命を帯びた君を、俺は命を賭けて守る。学園都市の超能力教育の話やどういう経緯でそうなったかなどの「社会」の話は、ずーっと後景にあるし、ほとんど語られません。「社会」、すなわち「規範」と「常識」を代弁するのは「担任教師」とエンディングに登場する「医者」くらい。 
 
 私などがちょっと気になる「え、それだけの理由で救っちゃうの?!」が必要なルール(セット)なのであれば、必要。だけど、小説なんてそんなもんじゃねえの、と思えば、不要。

 最初に書いた、「第一巻」で先頭打者ホームランをうたなきゃダメ、なのは間違いないでしょうが、うまくいったら「第二巻」に繋げなくちゃダメ、でもある。当初からやたらそれっぽいシグナルをあげまくるのはその計算もあるんでしょう。

(また懺悔臭いことを書けば「出した奴片っ端から殺せばいいんだろ?」という安易なプロットが「ラノベ」でなかなかお目にかかれないのだとすれば、それも物語の芽を摘まないようにする計算に基づくものなのかもしれません。だからといってFFを許しているわけじゃないけど)

 でもそういうメタ的な話を除外すれば、「萌え要素」とかそんなものに頼らずとも、ひとつの物語(サイファイ・ファンタジー)として成立していると考えていいんじゃないのだろうか。

 先述の「セカイ系」の主人公の「君は俺が是が非でも守る」設定が唐突過ぎる、というのがライトさへの批判だったら、まあそうかなあ、と思うんだけど、でも恋愛とか、おっさんおばさんが「家族を守る」(家族愛?)とか、「負債は次の世代に引き継がないぞ」(人類愛?)なんてのも、そんなもんだよね、ともいえなくもないのだけど?

 まだ三冊なんで、総合的なことはいえない。上の科学哲学の話じゃないけど、私がやってるのが「帰納法」的発想なんですよね。そして「帰納法」って、科学的真実を証明するのにめちゃくちゃ分が悪いのだそうだ。考えればわかりますよね。すべての事例(この場合一体いくつあるのか知らないラノベなるレッテルを貼られた小説群)を参照しない限り、命題(この場合、ラノベと一般小説とどこが違うんじゃ?)が正しいなんていえないんだから。いやお前がやってるのは実は「アブダクション」というほうが正しいかも。

 ただそんなに堅苦しく考えなくても、ひとついえること。サイファイ・ファンタジーは死んだのじゃなくて、ラノベというレッテルを貼られた小説群の中に普通に生き残って、下手すると繁栄を謳歌しちゃってるのかもしれないということ。

 サイファイ・ファンタジーというジャンル小説からのエクソダスがすでに普通に起きていたということなんでしょうか。(おかげでラノベ評論なる世界にサイファイを殺したSF評論家まで跋扈しているのが苦々しく感じるのは私だけだろうか)

 小松左京さん追悼の本を買った。類似のものはいくつかあって、今手元にないのでどれか忘れちゃったが、そこで筒井先生がまだ駆け出しのSF(エスエフ)作家である頃の独白が載っていた(すでに読んでいたので何かから再掲されたものだ)。まだSFの読者数が日本全体で5万とか10万とかそんな時代のお話。
 イメージ湧かない? あー、Dragon Age とか Mass Effectとかを英語版でプレイする人口がそんなもんだと思う。日本語版だと、そうねー、20万とか30万? Skyrimはどうなるでしょうね、愉しみ。
 つまり、SFなんざ、ごく限られた年齢層(高校生から大学生あたり)の非常に面倒くさい読者層を相手にするしかないのか、やがて読者ははれてその世界を「卒業」していくことが想定されるので、常にその世代層に到着した新しい世代のやっぱり面倒くさい読者を相手にすることの繰り返しなのか、という嘆き。

 後に筒井先生が、ある時代からの日本人の馬鹿みたいなサイファイ・リテラシーの高さ(「ドラえもん」のおかげですか?)を評して「浸透と拡散」という、ゲリラのチェ・ゲバラみたいなことをのたまっていたそうだ。

 ラノベというレッテルは後からついたものだろうし、こういう状況もその浸透と拡散の結果なのかなあとか思っちゃったりしてる(自信がなさげな理由は上で述べました)。

 あ、「とある」はだから立派な一般小説だと思いますよ。そして上に書いたひねりが上手すぎるので、きっとお話も長持ちすんだろうなあ、という予測もなりたつ(らしい(笑))。

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