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2011年11月24日 (木)

今更構造主義ですか?

 「このラノベすご」と一緒に購入した書籍がいくつかある。

 ミステリー。ディクスン・カーの「火刑法廷」(The Burning Court、1937)が新訳になっちゃった。旧訳ではもちろん読んでいたが、あっちは1976年だったのか・・・。

 なぜ新訳が必要になったんだろう。一つの理由は原著の注釈が訳出されてなかったからか。
 まさかまさかのカー・ブーム再来? いや、一般に新訳ブームのようだ・・・。残念。

 これも読後に?!になる、「ローズマリーの赤ちゃん」ネタ。ネタバレはしません。オカルト・怪奇事象(対)推理小説(名探偵)の戦いの図式は「リング」もそうだね。

 それから以前入手してどこかにあったはずだが見つからなかった梅原猛氏の「梅原猛の『歎異抄』入門」。これを再読したいと思ったのはなんでだろう・・・。まあ読めば思い出すかな。

 この記事のテーマは内田樹(たつる)氏の「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)。

 このブログでは別に構造主義自体のことは(ほとんど)書きません。

 今更感爆発の構造主義ですが、(私を含め)人が偉そうにそういうときはなーんも理解していない場合が多い。あるいは「サイファイは死んだ」と一緒で、もうそういう発想が暗黙裡に根づいちまったんだよ!ということなのかもしれない。  

 9年前に出版されていたらしい。なぜ目立つところに置いてあったかというと、そういうフェアの一環だかららしい。

 定年退職してようやく暇ができた、知に目覚めた人たちを相手に一回コッキリ講義した内容をまとめて加筆して本にしてあるそうだ。
 私が買ったのは次のような面白い「まえがき」を「立ち読み」したから。

 「よい入門書」は「私たちが知らないこと」から出発して、「専門家が言いそうもないこと」を拾い集めながら進む。

 「ろくでもない入門書」は「素人が誰でも知っていること」から出発して、「専門家なら誰でも言いそうなこと」を平たくリライトして終わり。

 私がそれなりに何か言えるマネジメント系、経営学系の場合は(特に日本人のは)概ね下。だからアドバイスを聞かれれば「読むな、買うな、時間の無駄」ということにしている。
 何度も登場しているミンツバーグ教授の「戦略サファリ」などは上。私の専門外だと、(つまり「専門家が言いそうもないこと」の部分に確信がもてないので、おそらくと言うしかないけど)おそらく上述の「梅原猛の『歎異抄』入門」。それから最近読んだ中では「科学哲学の冒険」(戸田山和久著)。

 「よい入門書」は「私たちは何を知らないのか」を問う。「私たちはなぜそのことを知らないままで今日まで済ませてこられたのか」。

 著者もいうようにラディカルな問いかけですね。そして著者の文章をお読みになったことがある方は、しょっちゅうラディカルなことを言う方であることもご存知でしょう。
 実はこのブログでも過去こっそり引用しているのですがお名前は出さなかった。

「批評性というのは、ぎりぎりそぎ落とせば、『定型性に対する倦厭』のこと」という部分であった。

 「私たちは何を知らないのか」という問いは、適切に究明されるならば、「私たちが必死になってそこから目を逸らそうとしているもの」を指示してくれる。

 つまり私は、『ラノベ』に『「ラノベ」とは単に普通の小説に「ラノベ」という「レッテル」を貼った編集・出版サイドのセコイ戦略であろう』という『レッテル』を貼ることで、自分の関心の外に必死に押し出そうとしていたのです。あなおそろしや。手遅れになる前に気がついてよかったぜ!

 何が手遅れかって? 何か面白い物事が、しかも自分の興味の対象である領域の周辺あるいはその中で起きているのに、それを知らない不幸以上に不幸なことありますか? (ああ、まず衣食住足りた上でね)

 でもこの「知らない不幸以上の不幸はない」もすさまじく難解なテーマなんでしょうけど。

 拾い読みするだけでも面白いのです。

 「肩が凝るのは日本人だけ!?」では、「もし語というものがあらかじめ与えられた概念を表象するものであるならば、ある国語に存在する単語は、別の国語のうちにそれをまったく意味を同じくする対応物を見出すはずである。しかし現実はそうではない」というお話で、だから元が誤訳でもなんでもない、旧仮名遣いでもない、十分間に合ってるはずなのに「新訳」が成立する理由にもなるし、故浅倉久志さんではないが同じ翻訳家が自分の翻訳に改訳を繰り返すわけだし、外国語が難しいって悩んでいる人ってこういう語が一対一対応してるという発想の人が多そう。だってもしそういうのが成り立つなら、例えば英語と日本語がそうなら冗長なわけだからどちらか廃れるよね。

 「私たちは『他人の言葉』を語っている」、では、「私の持論」のほとんとが「他人の持論」であることを説明する。そうだよな、このブログも90%以上、下手すると95%以上そうかも。「英語はゲームで覚えるもの」はあまり言っている人はいないが、これだって洋楽の小林克也氏とか、映画評論家とか、スポーツ解説者とか、他のジャンルの方を見ながら「きっとそうだよな」と思っていただけだもの。
 
 他人の言葉を聞いて、しかも納得させられて覚えているわけだから安心して人に伝えられるし、その文章はきちんと完結しており、抑揚・緩急までもちゃんとしている。
 タクシーの運転手たちが社会問題についてキッパリと持論を述べるのも始終ラジオを聴いているからかもしれないと。なるほど。私もよく車内雑談に付き合わされるほうですが、最近では「核燃料発電なんてもういらないっすよ!」とかね。「でもこの冬はやばいんじゃないの?」とか茶茶いれると、そこはラジオでも言っていなかったのか、相手はむっとしてしまうとかね。

「その反対に純正オリジナル、出来立てほやほやの無垢の『私の意見』は、たいていの場合同じ話がぐるぐる循環し、前後は矛盾し、主語が途中から変わるような、『話している本人も自分が何を言っているのかよくわかっていない』ような困った文章になる」

 Vanityの自己弁護出た。つい先日自分のブログにそんなこと書いたかも。そうなんです。文章をお書きになることがある人はおわかりだろうけど、大変辛い産みの苦しみなんです。 だから(一般化すると)話がスッキリしてねえなあ、こいつバカじゃねえの、と思えるときこそ、その人は自分の言葉で必死に何か言おうとしているときなのだ。もちろん特殊ケースとして「本当にバカ」というのはある。

 それに比べたら散文やゲームのセリフの翻訳なんて全然楽です。でも詩文、あるいはオカルトの大家(世紀の犯罪者)クロウリーの「法の書」みたいのものの翻訳は大変そうだけど。

 それから(もうちょとだけ構造主義に入っちゃっていい?ってすでに入ってるけど)、蒸気機関車はああいう(車輪を使う)形である必要はなかったが「たまたま」選ばれてそうなった、という発想は、サイファイ・リテラシーのある人なら(私を含め)セーフですよね。著者がいうように映画Wild Wild Westのような馬型の機関車だっていいわけだから。そうなれば必要なインフラは「線路」ではなかったかもしれなかった。「駅」だってどうだったか。

 ところがその次で私がエラーしやがっていたことを指摘されてしまった。

 「狂人は共同体の成員として認知されており、固有の社会的役割を担っていた」
 ご承知のかたはフーコーね、とお気づきでしょう。そう、『狂気の歴史』。
 サイファイ好きとしてもこの発想は知らなければいけないし、エラーしたのはここじゃない。
 日本もそうだったという人もいる。例えば「ひょっとこ」がそうだった説。これ以上は(誤解を招きかねないと言う意味で)ヤバイ話になるからやめるが。それとも世の中も「もののけ姫」がOKになってきているから地ならしはできてるのかな・・・。
 
 「というのも、狂人は中世ヨーロッパにおいては悪魔という超自然的な力に『取り憑かれた人』と見なされていたから。狂人は『罪に堕ちる』ことの具体的な態様であり、共同体内部ではいわば信仰を持つことの重大性の『生きた教訓』としての教化的要素を果たしていた」

 ところが近代のはじまりとともに、中世ヨーロッパでは狂気と正気を「科学的な用語」を用いて厳密に分離可能であると考え始め、人間主義的視点が拡がるにつれて標準的ではない人間は社会から組織的に排除されることになっていく。フーコーのいう「大監禁時代」ですね。

(先日国王夫妻が来日していたブータンは国民総幸福量?で一番だそうだが、実は厳格なチベット仏教思想を守る国民性なので、障害者は「前世で残酷な悪いことをしたから」そうなったという発想で社会から相手にされないのだという。誰にとっての幸せかという、またきついテーマきたので一旦逃げとこう)

 やってしまった。この発想、Dragon Age 2のメイジ・テンプラー抗争の解釈からずっぽり抜け落ちていた。
 そらそうだ。ゲイダーさんも他の人も西洋人だ。こうした発想(前提)はあまりに普通過ぎて敢えて触れない。ところが日本人の私にはそれがさっぱりないので抜けてしまう。

 ここでDA2に脱線すると話がわやだから、次の記事で修正版を書こう。

 なにが恐ろしいって、あたしゃフーコー関係なんて、昔結構読んでんだよ。つまり何読んでいたかわからなかった、さっぱりだったわけだ。愕然とした。
 そういう意味ではこの本も入門書として優れているということかしら。

 そしてもっとメチャメチャにしようと思ったら、なんとこれは「火刑法廷」のベースに流れるテーマだったりする、とか言って書けばいいのだ。だって「火刑」、火焙り、魔女、アンドラステだもん。
 今書いてびっくりした。ランダム(でたらめ)に買ったはずの本なのに。無意識って怖いね。

 ネタはまだまだありますが、長くなるのでこれはその次の記事に譲ろう。
 
 時間があればだけど(泣)。

 ところで「鬱病」なるレッテルを貼ることは上のこととどのような関係があるのか。「昔は鬱病なんて言って会社来ないやつなんていなかったよな」とおっさんが良く口にしますね。
 練習問題ね。
 あたしゃ面倒なんで答えは書きませんけど。

 

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