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2011年11月21日 (月)

四つ来た。

 やっぱ、これなんかありますよ。

 1.Vanityに死亡フラッグがたっている。 

 2.ただの偶然。(あるいは必然であるがゆえの偶然)

 3.いや、私がそれをひきつけるなんらかの同時代性というか、シンクロニエティ。

 Pieter Bruegel the Elderの"The Triumph of Death"、「死の勝利」なる絵画。次のWikipedia(en)に小さいけど写真があります。もちろん、絵画・美学に造型の深い方はとっくの昔にご承知であろう。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Brueghel_the_Elder

 もうなんども繰り返したが、これまでの三回は順番を追っていくと次のような経緯で、ここのブログに顔を出している。

 ・BioWareのCRPGであるDragon Age II(2010)のアート・ディレクターが、黒澤明監督の「蜘蛛巣城」(シェークスピアのマクベスが原作)と並んで、DA2のアートの方向性を決めるに際してインスパイアされた作品として挙げた。

 ・フレンチ・コミック(BD)の大家メビウスの"L'INCAL"(アンカル、2010)の日本語版のおまけとして、彼に影響を受けた多数の漫画家のうちのふたり、藤原カムイ氏と谷口ジロー氏の対談がついている。そこで、メビウスの描くモブシーン(群集シーン)を評して、谷口ジロー氏が似ている絵画として挙げた。

 ・筒井康隆先生の「驚愕の曠野」。その河出文庫版(1991年初版)の解説者が、この作品の世界を読み解く手掛かりとしてまっさきにこの絵画との類似性を挙げた。

 まあ、世の中、二度あることは必ず三度ある。美術史的に有名な作品なんだろうから上の選択肢でいったら、2の「必然であるが故の偶然」でしょ。
 例えばピカソの「ゲルニカ」を例示する評論などに続けて三回出くわしたら君、驚愕しますか? こういう時代だ、あり得るでしょ。

 いやいや。ブリューゲルはピカソでもゴッホでもゴーギャンでもないから。そんなこといわれたって、なんの安心感も生まれないから。 

 そしてこのたび運命の四つ目が来た。これは九蓮宝燈(チュウレンポウトウ)の聴牌(テンパイ)なのか一向聴(イーシャンテン)なのか。そして九蓮宝燈を自摸(ツモ)したら私は死ぬだろう。死ぬのだ。間違いなく死んでしまう。
 世の中、「若者の麻雀(マージャン)離れ」が進んでいるかもしれないので、麻雀にまで読み仮名をつけておいた。 

 日本語版ニューズウィークに、結構変わったエッセイを載せているハーヴァード大学教授の歴史学者がいる。ジョブズが死んだときも、「iPhoneなどに騒ぎすぎている間に(ジョブズが血を引く)シリア人の貧しい子供たちの数はひとつも減っていない」など、変わったこというなあ、と気にはなっていた。

 Niall Ferguson、ニーアル(ニール)・ファーガソン博士。ネットで調べると、実はイギリス人(スコットランド・グラスゴー出身)であり、オックスフォード大モードリン・カレッジ出身で、ケンブリッジ、ニューヨーク大学を経て現職。リーマン・ショック後のアメリカ政府の財政対応については、例のクルーグマン博士(ノーベル経済学賞を受賞した経済学者、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストでもある)と派手にドンパチやったりした人らしい。

 今回、"Civilization: The West and The Rest"なるあからさまな書名の本を出したので、こいつはひとつ読んでやろうかと思い立った。日本語版ニューズウィークにその書物のサマリーを著者自身が書いていたのを読んだからだ(ネットで調べると11月9日号だそうだ)。ただし、この本を手に入れたはいいが、一体いつ読むつもりなのかは自分でもわかっていない。時間を下さい。 

 The West、西洋文明が1500年あたりから長くThe Rest、すなわち「アジア」を凌駕してきた。だが振り返ればそれ以前はThe Restがはるかに優勢であった。

 次の部分、ブリューゲルの絵画の話につなげないといけないので、書籍のほうから抜粋。

 きっとDragon AgeとかCivilizationとか好きな人にはOKな話だと思うのだが・・・。 

**********

 1420年の長江河畔(原文はYangzi riverなのでそのままだと揚子江だが実は誤用だそうだ)とテムズ河畔を比較すれば如実にわかる。

 当時は南京(明)がおそらく世界で最も大きな都市であった。さらに永楽帝が遷都した北京には紫禁城が完成する。この新旧帝都をつなぐ長江河畔には大運河をはじめとした水上交通網が整備され、周辺の農地は改良され、莫大な量の交易が行われていた。
 

 対してロンドンのテムズ河畔はみすぼらしい。確かにロンドンは交易の中心地であり、羊毛(毛織物)で財をなした商人が市長を務め、また商用と軍用を問わず造船も盛んであった。もちろん紫禁城(The Forbidden City)よりはるかにおぞましい(forbidding)タワー・オヴ・ロンドンだってあった。だが南京から訪れた旅人の目にはどれもが貧相に映ったことであろう。英仏間の百年戦争に、有名なアジャンクール(アジンコート)の戦い(1415年)によって勝利したヘンリー五世が凱旋したロンドンは、ただの小さな街に過ぎなかったのだ。 

 都会の生活水準も南京が上回っている。ロンドンは14世紀中盤に上陸した黒死病(ペスト)で多くの人口を喪い、チフス、赤痢、天然痘なども猖獗(しょうけつ)のきわみであった。イギリス人の平均寿命(すなわち新生児の平均余命)は37歳(1540-1800)で、ロンドンでは20歳代だ。ヘンリー五世自身、赤痢のため35歳で崩御した。

 フランスとの戦争は永久に続くかのようであったし、フランスと戦っていなくても、イギリスはどこかとしょっちゅう戦争をしていた。この時代の貴族の四分の一は暴力によって殺されている。殺人の発生率は現代の最悪水準にある都市群を上回る。

 トマス・ホッブスが言うように、この時代のイギリス人の生活は「人間の自然状態」(the state of nature)、孤独で、貧困で、不快で、残酷で、短命である。フランス人の生活もまた、輪をかけてひどいものであった。日々の栄養は現代人の半分程度であり、フランス人の背は極めて低かった。 

 貧民の高い死亡率によって裕福な者等がさらに裕福になる。黒死病によって多くの貧民が死ぬが、生き残った者は貴重な働き手として高給を手にすることができたという主張もある。裕福な家の子は成人まで生きる確率は高いだろう。だがそれだからといって、西洋がその他(東洋)を凌駕した説明にはならない。現代のアフガニスタン、ハイチ、ソマリアを見てみればよい。

 現代の学者や読者は、当時の「死」がどのようなものであったか忘れてはならない。「死の勝利」(1562)、フランドル(ベルギー)のピーター(ピーテル)・ブリューゲルの洞察に優れたこの名作は、リアリズムに従っているわけではないのは当然だが、なにも彼は自らのイマジネーションだけに頼って、この眺めているとはらわたをえぐられるような気分になる死と破壊の絵姿をものしたわけではないだろう。

 骸骨の軍勢に支配される土地では、犬が死肉を漁っているその横で、王は死にかけたまま横たわり、その財宝はなんの役にもたたない。背景にはふたりの男が縛り首になっており、四人が車輪の拷問を受けており、これから即座に首をはねられそうな者もいる。軍隊が衝突し、馬は焼け死に、船は沈む。前景では、老若男女を問わず、兵か市民かを問わず、ごちゃまぜのまま狭い四角い隧道に押し込まれ、誰も逃れることはできない。ミストレスのため唄うトルバドール(吟遊詩人)もまた難を逃れることはかなわない。

 この画家もまた、筆者より若い40代でこの世を去った。

 それより一世紀後に、イタリアの画家サルヴァトル・ローザが、全てのメメント・モリ(memento mori、死すべき定めの者ら)に送る作品、L'Umana Fragilità (1656)、単に「人間のもろさ」(human frailty)と題した絵画を描いた。ナポリ(ネイプルズ)を襲った疫病がまだ乳児であった自らの子を含め多くの家族親戚を連れ去ってしまったことを嘆いてものしたこの作品では、ローザの妻が抱きかかえるわが子を、不気味なにやつきを浮かべながら奪い去ろうとする死の天使(the angel of death)が闇の中から浮かび上がる姿が描かれている。

 画家がキャンヴァスに記した八つの単語。

 Conceptio culpa
  Nasci pena
  Labor vita
  Necess mori

  「受胎は罪、誕生は苦痛、生命は労苦、死は不可避」

 当時の欧州の死生観をかほどさように端的に描き出した言葉がほかにあるだろうか。

(以下のリンクにその作品の画像あり)

http://www.apex-magazine.co.uk/2010/11/salvator-rosa/

********** 

 なんとホッブスも登場した。筒井先生が「驚愕の曠野」で描いたのは(一部は)「人間の自然状態」(the state of nature)。MMORPGの擬似世界を私が「放置すればまったき悪であるはずなのに」というのもそれ。メビウスのは・・・。んー、一概にそうじゃないが、アンカルのモブ・シーンなんかはまさにそうですかね。
 ということは、関連性はそこにあるということなのか。

 翻ると、「零式」について「いやいや、そんなのないでしょ、そうは回ってないでしょ」と愛想を尽かすのも、作り手側のそうしたことに対する認識が私ごときよりはるかに幼いからである。

 そうであれば、今自分が(ブログ的に記事をひねり出すため、という口実で)悩んでいる世界とか社会とか個人とか、そうした話題に通底するから、必然であるがゆえの偶然。死亡フラッグはたっていない。 

 ところで、ここまで抜粋してしまったら、この書物のテーマについても触れざるを得まい。筆者によれば、大きく6つの理由(彼はキラー・アプリケーションズと呼ぶ)があって西洋が優位にたった。アジアの一部(すなわち日本、半島国、台湾などなど)がそのアプリをアジア的OSに載せて西洋の成功を模倣した。
 

 今、西洋文明のたそがれが囁かれている。西洋のキラー・アプリを用いないアジアの大陸国がついに目を覚まし、西洋優位の時代は終わるのか否か。
 いや、問題は西洋自体が勝利の秘訣であったキラー・アプリを捨て去りつつあるように見えることだ。

 「キラー・アプリ」なる表現が今更感爆発で「古くさ・・・」と思ってしまうのですが、まーイギリス人だしねえ。言葉のセンスはこの際関係ないだろう。

 くだんの日本語版ニューズウィーク誌が手元にないので、原語でそのキラー・アプリを列挙すると、Competition、Science、Property、Medicine、Consumption、Workだ。 

 ぱっと見わかりにくいのは、PropertyとWorkでしょうか。Propertyとはすなわち「法の統治」のことです。Workは「勤労倫理」とでも言ったらいいかな。

 それらについては面白かったらいつか紹介します。 

 なお、この東西二元論的発想(イギリス・アメリカ対大陸国・日本、ヨーロッパ対アジア)は、読みもせずにユーロセントリック史観と見ればかなり叩かれやすいものであり、表面ツラをなでると評価も真っ二つという感じでしょうか。現にAmazon.comのレヴューなど眺めるとそんな感じ。「傲慢こかしてよかですか」扱いする者もいる。

 ただ、私は筆者の苛立つ態度に、あのコッポラが「地獄の黙示録」(Apocalypse Now、1979)を製作するさいにほとんどパク・・・、下敷きにしたコンラッドの「闇の奥」(Heart of Darkness、1902)を重ね合わせて思い出してしまう。コンゴ河の上流で大量の象牙を会社に送りつけてくる優秀な男(白人)に会いに、別な白人が河をさかのぼっていくお話。病気のため河を下ってきたはずの上流の男は、なぜか途中でまた密林の中に帰っていってしまう。

 残念ながら白人じゃないんで、この話にどこまでコミットできるかわかりませんけど。

 歴史学者の目として面白いと思ったのは、昨今ますます死んだ者たちのことに注意を払いなさ過ぎる傾向が強まっている、という表現。現在生きている人類は、これまで生きていた人類総数のたかだか7%でしかないそうだ。
 

 いかにも、この地上に生まれそして死んでいった、これから生まれる者もひっくるめて人類(だけね、犬猫は除く)全部を救済しようとするキリスト教の発想でしょうか。そうした発想から生まれたサイファイもあった。例えばフィリップ・ホセ・ファーマーのリヴァー・ワールド・シリーズ。「果しなき河よ我を誘え」。絶版ね。そうだろうね。サイファイもまた死んだ。しかしこれも主役が「河」なんだよな・・・。 

 まあ、「河」は人生そのものですか。これは必然であるがゆえの偶然。

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