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2011年11月 9日 (水)

世界の創造(2)

 表題にナンバリングする意味すらないほど、繋がりは乏しいかもしれない。
 問いへの答えは実は漠然とあるのだが、ハッキリするまで伏せておこう。

 ドラクエ(1986-)25周年のイヴェントがあって、堀江さんが色々なところで同じことを言ってますね。
 容量が極めて限られていた時代、無限に湧いてくるアイデアを必死になってなんとか詰め込もうとしていた時代が一番愉しかった、というお話です。
 ドラクエIII(1988)だったか、オープニング・シークエンスが完成していたにもかかわらず、容量の関係で(最初のFC版では)丸ごとカットされたのはあまりにも有名なエピソード。
 その作品でやりたいことを全部やってしまっていたので、続編を期待する声にどうこたえようか困った、というお話もある。

 その容量も関係ありそうだ。スクウェアの初期の作品はどんな物語だったのでしょうか。

**********

「ファイナル・ファンタジー」(1987)

"土、火、水、風の4つの力がさえぎられ、暗黒に包まれた世界。人々は世界を救う「光の戦士」の伝説を信じ、待ち続けていた。

長い長い旅の果てに、光の戦士の証である4つのクリスタルを手にした4人の若者がコーネリアの地へと辿りつく。そのころコーネリアでは、かつてこの王国のナイトであったガーランドによってセーラ姫がさらわれるという事件が発生していた。戦士たちは、王の願いを聞き入れ、ガーランドが立て籠もるというカオスの神殿へと向かうことになった。ガーランドを倒し、姫を取り戻した戦士たち。王はその感謝の印としてコーネリアの北にある橋を修復させた。失われたクリスタルの輝きを取り戻し、世界に再び平和をもたらすために、戦士たちは橋を渡り、未知なる大地へと旅立つ。"

「ロマンシング・サ・ガ」(1992)

"架空の世界「マルディアス」の物語である。昔、3人の邪神が神々の王と人間に戦いを挑んだ。デス、シェラハは最後には降参したが、邪神サルーインだけは降参しなかった。神々の王は10個の宝石を作り人間の英雄に与え、英雄は自らの命と引き換えにサルーインを封印した。これが伝説となった時代がゲームの舞台となる。"

「ロマンシング・サ・ガ2」(1993)

"かつて世界には、現代人よりも遥かに寿命の長い古代人が繁栄していた。古代人は長命であるが故に死を恐れ、彼らにとって自らの命を脅かすモンスターの存在は最大の脅威であった。

そんな中、世界に7人の勇者が現れる。彼らは魔物に立ち向かい勝利を遂げ、「七英雄」と称えられるようになった。しかし、モンスター達との戦いが終わりを告げると、七英雄はいずこかに消え去ってしまい、世界には“いつの日か彼ら七英雄は戻ってきて、再び世界を救う”という伝説だけが残った。

時は流れ、天変地異により古代人がいなくなった世界では、かつて短命種と呼ばれ古代人の奴隷となっていた現代人が繁栄していた。バレンヌ帝国レオン皇帝の時代、世界は活発化したモンスターの脅威に晒され、人々は伝説の七英雄にすがるようになった。

そんな折、突如として七英雄が現れた。しかし、かつて英雄と呼ばれていたころの面影はなく、ただの凶悪な7匹のモンスターへと変貌していた。

小国であるバレンヌ帝国の皇帝に、古代人の生き残りから七英雄に対抗するための力として自らが認めた跡継ぎにその能力を受け継がせる能力「伝承法」が与えられる。世界を七英雄の脅威から救うため、バレンヌ帝国と七英雄との時代を越えた長きに渡る戦いが始まる。"

「FFT」(1997)

"かつてイヴァリースを二分して争われた後継者戦争「獅子戦争」は、ディリータという名の若き英雄の登場によって幕を閉じた。

一人の無名の若者が立ち上がり、雄々しく戦い、英雄となり戦争を収める。イヴァリースで暮らす者ならば誰もが知っている英雄譚ではあるが、歴史学者アラズラムが入手した「デュライ白書」によると、本当の英雄は歴史に名前が残っていない、名門ベオルブ家の末弟であるという。しかし、教会によれば神を冒涜し国家の秩序を乱した元凶そのものだという。

どちらが「真実」なのか、アラズラムと共にプレイヤーは「真実」を探求する旅へと出かける。"

*********

 わざとそういうタイトルを選んでいるだろう、我田引水じゃないか、という批判は確かにありそうですが、印象的なものを選んだつもりです。

 FFは、固有名詞を除外して書き直せば、こんな話。

 土、火、水、風の4つの力がさえぎられ、暗黒に包まれた世界。人々は世界を救う「光の戦士」の伝説を信じ、待ち続けていた。

 ここまではそのまま。「伝説」があります。

 長い長い旅の果てに、光の戦士の証である4つのクリスタルを手にした4人の若者が辿りついた王国では、ナイトであった者に姫がさらわれるという事件が発生していた。戦士たちは王の願いを聞き入れ、神殿でナイトを倒して姫を取り戻した。王はその感謝の印として北にある橋を修復させた。失われたクリスタルの輝きを取り戻し、世界に再び平和をもたらすために、戦士たちは橋を渡り、未知なる大地へと旅立つ。"

 「4」はクリスタル(すなわちエレメント)の数でもあり、光の戦士(キャラクター)の数でもある。大事なのは、4人がいかなる経緯で光の戦士になったのかということは「長い長い旅の果てに」という以外、触れられていないこと。つまりこの物語は、とても長い物語の途中から語り始められる。旅の理由は、失われたクリスタルの輝きを取り戻す、それだけ。

 前振りに使ったくせに「ドラゴンクエスト」(1986)をなぜここで選ばないか、というと、あちらは物語原型である囚われし乙女(本来は悲嘆に暮れる乙女)、"damsel in distress"をそのまま踏襲しているからです。"knights-errant"、遍歴の騎士たちにとって、そういう境遇の乙女を(なんらかの邪悪の手から)救出することこそが、彼らの存在意義なのだから。説明無用、問答無用なんですね。「遍歴の騎士」というのは日本でいう「武者修行」と言ってもいいみたい。ファンタジー世界の冒険者のはしりです。

 いや、問答無用じゃねえだろ、で大名作「トン・キホーテ」が生まれた。
 騎士に救ってもらうどころか、逆に乙女(ではなくなった後だが)が王子を救っちゃう、となれば「ラプンツェル」。(グリム童話。ディズニー映画はどうせデタラメだろうから観ていない)。

 同じようにFFの主人公たち戦士の動機についてもなんの説明もされていません。でも、これで済んでいた。

 だいぶ時代が後になりますが、サガ・シリーズの初のSFC版となったロマサガは、マルチ・キャラクターの同時進行シナリオ(フリー・シナリオと呼ばれていた)のさきがけともいえる作品。

 8人の主人公それぞれにいわゆるプライヴェート・クエスト(群)があり、ほんとはそっちが、あるいは8人の誰の視点から見るかによって見方の変わる世界を見せるのが主眼じゃないかと思われる造りなのですが、上述の世界設定、すなわち「伝説」に従った一応の最終目的らしきものはある。

 8人が係わる理由づけは巻き込まれ型。プライヴェート・クエストを解決しようとする強力な動機づけは各自にあるが、最終目的達成は話の流れ上ですね。だって「伝説」がそうだから。(余談:ところでアルベルトとシフのお互いの係わり合い方はやばいよね。ゲームでやっていいのかと思った。余談終わり)

 ロマサガ2は前作のシステムは踏襲したが、世界は別ものとよく言われる。でも上述の世界観をお読みになればわかるように、「伝説」のパターンは奇妙に(じゃなく当然か)一致しています。前作の同時並行進行という水平の世界を、時間軸という垂直の世界に変換してみました、という感じでしょうかね。ロマサガ3、あるいはPSにプラットフォームが移ったサガフロンティア・シリーズなどは一作目に回帰しているので、アイデアは一番最初にすでに完成していたということでしょう。

 リストの最後にFFTを並べたのはもちろん意図があります。あまたあるJRPGで、上述のFFやロマサガのような、世界観と呼べるものは「伝説」時代にしか存在していない世界のものと、以前に列挙したヨーロッパの歴史を土台にしている、中にはそのままリファーしているような作品群があるとして、FFT(あるいはオウガバトル)はそのどちらともとれる割には、どちらにも属さない存在であるかもしれないから。
 ご承知の方も多いでしょうが、誘拐と奪還、戦乱と裏切り、陰謀と政争、重税と貧困、結果としての乱世。物語は混沌とした邪悪なモチーフのオンパレードである。

 メチャクチャ詳しく書きこまれた背景設定もあります。イヴァリース・ワールドと呼ばれる、FFTの舞台はFFXII、やベイグランド・ストーリーにも使われている。
 ところがそのこと細かく書き込まれた「歴史」自体には本来何の意味もない、というところが味噌。イヴァリース(畏国)、オルダリーア(鴎国)、ロマンダ(呂国)など登場する諸国はみな漢字一文字で表現され、それが独特の世界を印象づけようとしていますが、逆にそれがものすごく抽象化されている、記号化されているな、という印象を与える。つまり、そうした背景は実は物語上「どうでもいい」。置換可能。

 置換可能ではないのは登場人物、主人公の物語なんですね。上でいえば「真実を探る旅」ですら、主人公にぐっと引きつけて描いている。

 同じ作者の作品をちょっとみてみましょう。

「ベイグランド・ストーリー」(2000)

 これも名作の誉れ高いですが、イントロ説明は非常に込み入っていて長い。まとめます。

"カルト教団一味が某国の公爵邸を襲撃占拠。治安騎士団は特殊任務専門のエリート・エージェント(主人公)を投入。法王庁も聖印騎士団にて介入し、邸宅への放火によって暴徒を強引に鎮圧する。
 主人公は邸内で首謀者に遭遇するが取り逃がし、あげく公爵の御曹司も拉致されてしまう。
 事件後、主人公はカルト教団のアジトに潜入するが、聖印騎士団も同様に向かう。だが潜入した者たちはことごとく消息を絶つ。
 一週間後、襲撃の難を逃れていた公爵は何者かに暗殺される。最後に面会したのは治安騎士団のエージェントであるち主人公と名乗る人物であった。だが主人公の行方は誰も知らない。"

 もっとずっと書き込まれているのですが、物語が記号化されていることがお分かりになるでしょうか? 騎士団には俗(治安騎士団)と聖(聖印騎士団)とふたつあるとか、公爵、カルト教団であるとか。
 そして、こちらもそういう背景の詳細な部分はゲームの物語としては「どうでもいい」。主人公エージェントの物語のみが意味をもつ。

「ファイナルファンタジーXII」(2006)

 こちらは設定自体にはイヴァリースが残っていますが、作者(松野さん)は途中でお辞めになっている。ただ、世界設定ののりだけは一緒です。濃密で詳細に書き込まれた背景自体、その詳細に特段の意味はない。Wikipedia(jp)によれば次のようなことだそうだ。

"世界に関する情報がストーリー中で明示されることは少なく、主にハントカタログにある「賢者の知識」などで情報が具体的かつ断片的に公開されていき、世界観への純粋な興味や過去作品とのミッシングリンクなどでプレイヤーを遊ばせていく形となっている。"

 作者が交代したから触らなかった、ではなく、むしろこういう形で傾向がハッキリと示されたと考えるべきでしょうか。
 作者個人を云々するつもりもないのですが、Wikipedia(jp)によれば次のようなことだそうだ。

"世界観の構築を非常に重要視したゲーム作りを行う事で有名であり、シナリオ制作にあたってはまず歴史や神話、文化や政治体制など世界の根幹となる部分を細密に設定し、それらを土台とする広大な空想世界を創造(『オウガバトルサーガ』や『イヴァリース』)、その中の出来事として物語を作るというスタンスを取る。製作するストーリーラインの多くは西洋ファンタジー調を基とし、国家、宗教、人種間の紛争に及んだ複雑なものである。"

 ただし、その世界観とゲームの物語とは直接的には繋がりはない、というのが私の見解。たぶん世界観を作ること自体がとても愉しかったのでしょう。
 そういえば、「青の6号」についてのマンガ夜話の番組をようやく観た。真実は放送時にちゃんと観ていたのにすっかり忘れていた、ということだったけど。
 そこで岡田氏など出演者が「小澤さとるさん(「青の6号」)はきっと設定段階がものすごく愉しかったんであろう、そこだけ終わったら、あとはもういいやとなっちゃったのかも」とコメントしていた。まったくそのとおりだと頷いたし、松野さんがFFXIIでいやになっちゃった(かどうかはしらない)のも、きっとヒゲとかうっせえ親父がたくさん口出ししてきたからかなあ・・・。

 それはともかく。

 ざっと整理だけしておきましょう。

 FF(あるいはドラクエ)の物語は、まずRPGなるもの、そのシステムへの理解を高めるというメタ目的があった。よって、物語自体は借り物(騎士道物語)でもよかったし、「伝説」(光の戦士)でもよかった。プレイヤーが「うんうん」とうなづければOK。
 だから大事なのは世界でもなければ、主人公でもなかった。主役はゲームシステムだった。
 ただしFFの「長い長い旅の果てに」ってのは今読み返すと、そこはかとなく素敵で、いいですねえ。
 容量を含む技術的制約、RPGなるものへの理解の不在、FCソフトのきつい納期などなど、制約は大変多かったでしょうし、そのせいもあっただろうが、無意識下にも「長い物語のごく一部」ってのはあったのだと思う。

 ロマサガでは「伝説」を取りあえず用意してはいるが、それと「世界」は密接に絡み合いながらも、物語はずっと主人公寄り。この場合「世界」は余り掘り下げられず、漠然とヨーロッパであるとか、その周辺であるとか、あまり説明を要しない(奇をてらわない)で「うんうん」とうなづける設定である。

 FFTの異質さは、上に書いたように膨大な背景設定、すなわち「世界」を描きながらも、実際には完全に主人公の物語であること。世界は極端に記号化されてしまって、一見ヨーロッパ風でこそあるが、時代も国籍も何から何まで捨象されている。王国A、権力者B、王子C、平民Dなのだ。

 そんなの、ただの作者(ライター)の違いじゃねえか。という反論がありますよね。それに答えるため、以前に著名JRPGの設定を引用していたのです。それらがどれかに当てはまるとか、全体で何かが見えれば「作者個人の指向性」ではなく「時代性」ってことですよね。
 もっとも「作者個人の指向性」と「時代性」をなぜ切り離すのだ、という議論もありそうだけど。
 だが、もうだいぶ長くなった。答えもあまりよくまとまっていないし、自分でも準備不足を強く感じるので、しばらく寝かせてみようかな。

 

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