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2011年11月

2011年11月30日 (水)

Ender's Gameにハリソン・フォード?

 自分用のメモみたいなもんです。

 サイファイ・ムービーが密かに花盛り、ということはMass Ettect ザ・ムーヴィーの監督を誰がやるのか、という予想記事でようやく知った。

 その手の映画を撮れそうな監督が(私の予想に反して)今はかなりの数いる、というお話でした。詳しくは次の古いブログ記事(2010/5)。

 http://vanitie.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/me2-07a6.html

 Mass Effect ザ・ムーヴィーのほうは、ハリウッドの企画の山に埋もれて、その後一向に話題が出てこなくなりました。まあ、シナリオやコンセプトを長期間じっくり暖めるのがハリウッドでは普通なんだそうだ。

 IGNを覗いていたら、ふと目に止ったのが次。

 Ender's Game、「エンダーのゲーム」映画化、ハリソン・フォード出演?

 http://movies.ign.com/articles/121/1213591p1.html

 まず、そもそも「エンダーのゲーム」が映画化される話もそれで知った。ま、私の場合いつもそんなもん。

 IGNの記事履歴を見ると、原作者オーソン・スコット・カードが映画化について触れているのが2007年あたり。2011年10月に発表された公開予定は2013年3月。企画段階から、それだけ時間かかるんですね・・・。

 映画「トランスフォーマー」のプロデューサー・チームが手がけるというお話。
 心配めさるな、監督はマイケル・ベイではなく、X-Men Origins: Wolverineのギャヴィン・フッド。

 原作自体についてはサイファイ・ファンには言うまでもないでしょう。そうではない人に詳しく説明するとお話の興を削ぐ可能性があるので、imdbに掲載されている短いプロットで勘弁してもらう。

"70 years after a horrific alien war, an unusually gifted child is sent to an advanced military school in space to prepare for a future invasion."

「異星人との壮絶な戦争から70年後。将来予想される異星人の再侵略に備えるため、類稀なる資質を有して生まれた子供たちが、先端的な軍事学校に集められる」

 小説自体はかなり古いですよ。コアとなる短編は1977年、長編の出版は1985年かな。

 オーソン・スコット・カードは、Dragon Ageの最初のコミックの原作を手がけた(そしてあんまし面白くなかった)のでサイファイ関係ない人もご存知かもしれない。

 あの「エンダーのゲーム」を映画でどう料理するんだろう、映画「ハリポタ」みたいにしてお茶を濁すのかしら、と愉しみでもあるが、もうひとつの興味は映画があたった場合の続編。
 「死者の代弁者」(Speaker for the Dead)、「ゼノサイド」(Xenocide)に連なる本当の続編はやらないだろうなあ。だってなんだかハリウッド映画になりそうもない中身なんだよなあ。

 きっと外伝的なほうを選ぶのでしょうけど、「エンダーズ・シャドウ」(Ender's Shadow)は同一イヴェントを別視点から描いているので違うのか。
 ハリウッドお得意の手法、原作にない物語をでっち上げて続けるのかな。

 そしてAmazon.co.jpで見ると、「エンダーのゲーム」邦訳(1987)は中古でお求め下さい・・・。

 日本ではサイファイは死んで、まだ死んだままですなあ。
 ま、映画化で再販する準備かもしれないけどね。

 

【SWTOR】WoWクローン・ウォーズ

 いや、中身は思いついていないのであるが、一発ギャグのタイトル思いついちゃったんで書いちゃった。

 もちろん英語圏などではこのギャグはもう誰でも使っているのかもしれない。(検索中・・・、見つからないな。もうずーっと昔に終わったネタかもね)

 うーん、何書くべ(今からか!)。

 SWTOR、誰がどうみたってWoWクローンである。もう完全に開き直ってる。むしろ設計思想も見かけすらも完璧に優等生的にコピーしようとしている感じがある。とはいえ私自身WoWにコミットしたプレイヤーでもないので、WoWクローンとの比較で述べているだけですが。

 哀れ悲惨な末路を辿ってしまったCryptic。私が密かに期待していたDnD4.0準拠の、MMORPGではないマルチプレイを実現しようとしたNeverwinterは大陸国の会社に買収されたとたん、ジェネリックなMMORPGに方針転換されちゃった。

 かつてCryptic(City of Heroes/Villainsで有名)のCOO(もうクビになったかな)が「良質なMMORPGなんて俺たち9ヶ月でちょちょいのちょいで作れちゃうんだよな」とのたまって、Star Trek OnlineとChampion Onlineを(無謀にも)ほぼ同時にローンチした。親会社Atariの財政がマジメに厳しかったというお家事情もある。

 そのニ作品が曝された厳しい批判はほぼ完全に一致している。すなわち「ローンチ時点のコンテンツがあまりに不足している」こと。ベーターでカンストできちゃうこと。すぐにド暇になること。
 それなりのサブスクライバーは集め、Atariの収益に少しは貢献したという説もあったが、結局開発コストを賄うことができず、Atariから大陸国のPerfect Worldに丸投げ叩き売りされてしまった。

 そのニ作品が極めて辛らつなプロ・レヴューを受けたことに対して、CrypticのCOOがゲーム・メディアのそこここで反省行脚をしていた時期がある。面白いのでまとめてみる。

 MMORPGでは、ローンチ時点で実装していなかったもの(こそ)を欲しがるユーザーの声が大きいのが普通だ。例えばPvP。例えばもっと込み入ったクラフティング。開発側は、そんじゃやってみようかと「ユーザーの声」を頼りに追加で開発して実装しますよね。
 有料サブスクライバーという開発者にとって意味ある数字には、実はなーんも反映されないのだ。増えも減りもしない。すなわちただ働き。すなわち骨折り損。ユーザーの声は変な声? 

 そうではなくて、MMORPGの場合、ローンチ時点に実装していなかったものは、たとえ後からいくら頑張って付け足したって意味がないという真実に気がついた、と彼は述べていた。
 FFXIV。サルベージ(沈没船を引き揚げる、そこから物資を回収する、まさにそれのこと)中ですね。いっそ一からもう一度作り直しちゃったほうが早いし、きっと交替した開発チームは本質的にはそうしているのでしょう。つまり、ダメ出しされた元をいくらいじくったって、コンテンツを追加したって、もうだめなんだよ、とCrypticのCOOは苦い反省とともに述べていたのです。

 MMORPGはユーザーと開発者が一緒に育てるもの。小さく生んで大きく育てるもの。黎明期はそうだったのでしょう。だって誰もMMORPGなんてコンセプトを知らないんだから。例外はあるかもしれませんが、今はもう通用しない。

(コンセプトとしての例外、成功例にE.V.E.をあげる人がいる。一方でLB(ギャリオット氏)がTabula Rasaで何か変わったこと(NCの言うところのグラウンド・ブレーキングで真にユニークな何か)をやろうとしていたが財布を握っているNCはやっぱそれを認めなかった例もありますよね)
 
 さらにMMORPGではローンチ時点のサブスクライバーがその後経時的に増えることはないという仮説。これも黎明期のタイトルやデ・ファクトなスタンダード・フォーマットを実質的に確立したWoWなどでは嘘でしょうけど、実は他のほとんどの(WoWクローンかどうかに係わらず)タイトルに通用しちゃうんですよね。
 だからサルベージが必要なMMOのマーケティングでは、新規顧客獲得よりも、「引退」、「休止」したプレイヤーに対するウェルカム・バック・キャンペーンが重視されたりする。

 SWTORがスタートダッシュでどこまでいくか、に個人的に非常に興味があるのもそこなのです。
 SWTORは、Crypticの落ちた罠にはおちていないようです。つまり、ローンチ時にはありとあらゆるMMO的コンセプトを実装しておかなければならない、ということを忠実に守っているようです。何一つ目新しいものはない、悪い言い方をすればジェネリックであるとはいえ、MMOだからきっとあるよねと思いつくものはほぼ網羅的に実装されている。

 そしてSWTORがWoWクローンであることはやむなし、むしろ必勝法はそれしかないのであるという、倒すべき相手を完璧に模倣するしかない、という悲しい現実があることもハッキリわかるかなと思っています。

 MMORPGの宣伝には「完成形」、「次世代」、「新機軸」など踊っていることがありますが、ただでさえ敷居の高いそのジャンルに、既存ユーザーの敷居まであげちゃう「新機軸」を実装することは果たしてどうなの、という根本的な問題ですね。前述のTabula Rasaの失敗もその一例。

 WoWのaging(疲労)問題が言われますが、疲労しているのは別段WoWのフォーマットじゃないんでしょう。終わりのない果てしない物語を標榜していたWoWですら、もう一部のコア・ファンは物語に疲れちゃったということなんでしょうね。

 いや、WoWのフォーマットが制度疲労してるんだよ、だとすると・・・。んー、またブラウザ・ゲー、スマホ・ゲーが覇権を握るっていういつもの話題ですか?
 まあ見極めるしかないな。

 

【SWTOR】Blizzard口先反撃

 ActivisionBlizzardの「悪名高き」ボス、CEO、Bobby Kotick氏が「SWTORは言うほどもうからねえんじゃね?」と口先反撃。

 http://www.gamespot.com/news/kotick-skeptical-of-star-wars-the-old-republic-6346762

 先にお伝えしたようにWoWからのエクソダスが始まってしまっている関係もあって、ActivisionBlizzardの株価もどーんと落ちたそうだ。それに対する釈明ともとれる。

 GameSpotによれば先にパンチをお見舞いしたのはEAのほうで、BF3とCoDMW3のFPSハルマゲドンについてEAの重役たちが、ActivisionBlizzardのゲームが「性根から腐っている」ことを示したい、などと述べていたそうだ。

 Kotick氏の悪名高さには色々ありますが、「既存IP(フランチャイズ)に依存して、徹底的に掘り下げる、(彼の言葉では)エクスプロイト(搾取)しまくるのが基本戦略。よって売れるかどうか判らない新規タイトルに手を出す必要はない、という「縦深掘り下げ搾取戦略」、及び、この戦略の必然的延長線上にあるのですが、同一タイトルを毎年必ず一本出す「アニュアライズ戦略」という発想の持ち主であることは始終攻撃の的になっている。
 「アニュアライズ」はEAも「マデン・フットボール」などで執拗に行なってきた戦術ですが、今は、その(悪名の)代名詞がCoDシリーズになっているのは衆目の一致するところではないかな。

 「まあまあ、お互い冷静に紳士的に行こうよ」と言いつつ近づき、パンチの返礼を浴びせる。ハリウッド映画の定番ですかね。

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 ローンチが来月に迫ったEA/BioWareのSWTORが、MMORPGのマーケットをBlizzardのWoWからいくばくか盗み取ろうとしていることに対し、ActivisionBlizzardは領土を死守するためによりアグレッシヴな対抗策を打ち出すだろう。

 ロイター通信によれば、Bobby Kotick 氏は自社のメディア・サミットの場でSWTORの話題に直接触れ、WoWが一定のシェアを奪われるという巷の予想はまったくあたらないと切り捨てた。またジョージ・ルーカスへのライセンス・フィーの支払いを考えればEAのこのプロジェクト全体に採算性があるかどうかも疑わしいとも語っていた。

「自分たちの過去の経験からみてもスター・ウォーズものの成功はルーカスを利するだけであり、EAがどうやって経済性を確保しているのか自分は不思議でしょうがない」(ActivisionBlizzardのスターウォーズ・タイトルにはStar Wars: The Force Unleashed、the Lego Star Wars series、Star Wars: The Clone Warsがある)

 今年二月にはEAのCEO、John Riccitiello 氏が、「SWTORは50万サブスクライバーで十分元が取れます」と述べていた。アナリスト諸氏はSWTORについて数百万本代の売り上げを予測。あるアナリスト・グループは今年の8月の時点で、SWTORローンチ最初の年(つまり2011年内)にサブスクライバーは2百万に達するのではないかと予想している。
 一方BlizzardのWoWのサブスクライバーは、過去6ヶ月で10%減少している。

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 ActivisionBlizzard対EAのハルマゲドン。FPSについで、MMORPGが次の戦場になりつつある。これにBioWareさえ巻き込まれてなければ、お弁当持ってピクニック気分で高みの見物なのだが・・・。
 だが、そろそろローンチ時期が発表されそうなDiabloIIIにぶつけるような手段はEAは持っていないような気がします。RTSだってそう。まだまだ前者が有利な立場かしら。(もちろんEAには金城湯池、FIFAとマデン・フットボールというお乳を垂れ流し続けてくれるキャッシュ・カウが二頭もいる。スポーツもので儲けて、主戦場(FPS、MMORPGなど)で反撃という図柄ですね)

 なんか、BioWareがそういうジャンル(アクションRPG、RTS)のタイトルまで無理矢理作らされるような気がしてしょうがないんですが・・・。本業(ソロRPG)をやってくれー。

(追加)これ、冗談でも妄想でもないんですよ。BioWareのRTSについてはどこかで読んだ記憶もある。うーんと(検索中・・・)、これだ。

 http://www.geek.com/articles/games/the-mystery-of-biowares-new-game-solved-20111124/

 BlizzardのStarCraft人気を支えているのは、実は半島国とドイツというのは一般常識。北米あたりでは言うほどコミットされていない実情がある。もちろん利益に色はついていないので、どこで売れたっていいんですが。空白がある。

 Mass Effectシリーズは、ME3でシェパード艦長のストーリーアークが完結することは公表済み。
 一時期あったMass Effectユニバースを用いたMMORPG説は、さすがにSWTORとかぶり倒すのでとりあえずない。

 FPS移行説も、これもBF3とコンタミするからないかな(Haloは成立してるか・・・。自信なさげ)。

 EAにとって今のところ弱いRTS分野にBioWareとMass Effectのブランド力で再参入という説の信憑性はあるっちゃありますよね。記事ではFPSとRTSのハイブリッドではないかとスペキュってます。

 かつて一世を風靡した(私がまじめに遊んだ最後のRTSもこれのRed Arertですが)名作Command and Conquerシリーズの開発者Westwood Studiosは、VirginからEAに売却され、2003年にEAの手によってスタジオが閉鎖されている(いつもの物語だな)。
 その後はEAがライセンスを保有してコンスタントに作品は出している。この新作をBioWareにやらせる説も実はあります。ま、BioWareっていっても、正確にはBioWareMystic、Mysticのほうはお仕事がイマイチあれなんで、そこを食わせるためにやる説もあながち否定できない(今はEAのLAがやっている)。

 つうか、言っちゃ悪いけどMMORPGだってEAはUOの新作を生まれる前にぶっつぶしたわけだから。今慌ててSWTORでかつての栄光を再生しようとしてるのだ。行動パターンはずっと一緒なのかもしれない。

 いや、まじ怖いんだよ。EAの続編つぶし、スタジオつぶしの悪名は、歴史的事実に基づいているのだ。BioWareは稀な例外であると信じたいのだが・・・。

 

2011年11月29日 (火)

ラノベ考察(3)

 三つ目は重たいの来た。

 「とある魔術の禁書目録(インデックス)」。

 TVアニメの最初のほうをぼやーんとしながら観た記憶があった。
 スピン・アウトで「とある科学の」ってのも観た記憶がある。レールガン(ガウスガン)が普通にネタで取り扱われちゃってるのね、とちょっと驚いたのでよく覚えている。でも第一話から何話かのぞいただけで、「ふーん」で終わった。アニメとかシリーズ全部観るのやたら時間かかんだよな。それと、そっちは萌え要素がかなりきつめだったからかもしれない。

 なぜ重たいか。

 その前に、まず「お前、全部の作品、第一巻だけ読んで判ったような気になってんじゃねえのか?」という批判(が当然あるとして)に答えておきます。

 すでに何十巻にもなっている作品世界、第一巻だけ読んでもわからないんじゃないの?
 もし「ラノベ」というジャンルがあるなら、そこでは「わかりますよ」と言っていいとおもう。
 ラノベっつうか、現在の非情な出版状況下では、ですね。

 それ以前、しばらく前の作品だと、作者の名前がそれなりに重たい場合も多い(ネーム・ヴァリューってやつ)。希少価値である新人もなんとか育てようみたいな発想もあった。だからスタート時「あいたたた」でも、途中でちゃっかり軌道修正してなんとかなっちゃうみたいな大らかな世界もないわけじゃなかった。古臭いけど「ドカベン」なんて最初何の話だったか知ってます?
 でも、少年ジャンプ・システムじゃないけど、今は「第一巻」でダメならダメ。

 作者も編集者もイニシャル・イニングで一発ホームランぶちかますことに全精力を傾ける。先頭打者ホームランが一番嬉しい。
 長く生き残っているってことは、まずそれにまんまと成功したってことですよ。必要条件。
 ゆえにエッセンスは第一巻に包含されている。言ってしまえば、それで成功した第二巻以降は別の戦略・戦術を用いてくることもあるはずですよね。そっちこそ「萌え要素」てんこもりという世界があるのかもしれない。それをさして「ラノベ」はライトということかな。

 この作品はなぜ重いか。そして私の感想が「だろう」とか「違いない」とか、煮えきれないものになるのはなぜか。
 私がラノベの趨勢を知らないからですね。
 ラノベなるレッテルを貼られた作品群へのアンチテーゼになってるんではないか。と考えても、比較する相手を知らないのだ。煮え切らない話になるのは勘弁。

 まず科学と魔術の関係(先入観)についてのオーソドックスな批判がありますね。何度も出てくる、魔術はRPGの魔法使いのように簡単にはいかないのだ、というテーマ。凡百のRPGやそれに安易に基づくラノベ批判なんでしょうね(自信なさげな理由は述べました)。
 もちろんヴァンシアン方式(バレット方式)の魔術が原則であったDnDファンから言わせれば、「RPG原型の魔法はもっとずっと面倒臭かったんだよ」と言いたいが、オールドタイマーの愚痴ですね。MMORPGで完成されたマナ(MP)あるかぎりファイアーボールをぶっ放す(つか最近ではマナ自体省略されることも多々ある)世界に慣れ親しんだ人たちには通じない。

 科学哲学という分野がありますね。ぶっちゃけると、まさにそういう科学と魔術の境界を取り扱う分野とも言っていい。人間は科学によって宇宙の理をどこまで解明できるのか。解明できたと思っちゃっていいのか、っていうお話。解明できないなら、それはオカルト(魔術)と何が違うの?
 哲学ですからとっても難しいですが、興味の対象としては非常に面白い世界ですね。そしてなんでそんな分野に興味を抱くのか。

 明るく素直な科学少年少女の物語、簡単に言うと「未来」が、「嘘」であることがばれて久しい。核燃料事故なんて、そういう問題の重大性をことさら示すためのものに思えてしかたがない。すなわちあの核燃料エンジンを搭載した「科学の子」批判だ。とっても深いテーマなんでここは一旦逃げます。
 まさかいまどき科学万能の進歩の世界を真に受けている中高生はいないだろうけど(そういうバカなおとなはいるけど、そういう訓練の結果なんでしょうがない)、この物語はまず、そういう「ちゃぶ台返し」から始まる。
 さらにとっても上手なのは、魔術こそ「超能力を持たざる者に与えられた手段」というもう一回ちゃぶ台をひっくり返した世界を造っていること。これはうまいですね。お見事としか言いようがない。

 そういうひねりからはいっているので、ほんとはラノベ(あるいはサイファイ・ファンタジー)のルール(セット)の理解があれば二度三度おいしいのではありますが、別段いるのか?と言われると、あんましいらないかもしれない。

 それからコンセプトは明らかに「竹取物語」、かぐや姫伝説ですね。賢明なるラノベ読者は当然みな気がついているようで、この作品と竹取物語でネットを検索したって結構出てきますね。これもずるい。「竹取物語」は、悲しいお話にしかなりようがないという予感があるからですね。
 「竹取物語」は筒井先生の「時をかける少女」でもありますね。マレビトの物語です。未来を改変しちゃならないんで、君の抱いている僕に関する記憶は消すしかないんだよ、で、みんな泣きますね。泣きます。なにしろ物語原型ですから。
 多感な思春期の少女を(おとなでもこどもでもない、しかも女子であるから)境界人であるとこじつけると、境界人とマレビトのモデルにも解釈できますね。

 「とある」は境界人とマレビトの完璧なモデルでもある。
 主人公は境界人である。有能力者の超能力の発達を第一義に創設された学園都市では彼は異端である。ところが超能力を一切有しない大多数の一般人からも受け入れられない才能を持ってしまっている。異能なる力であれば神の力ですらディスペルできる右手。よって彼は超能力者(持つ者)でもなければ、超能力とも魔術とも無縁な中立一般人でもない。ましてや魔術師集団から忌み嫌われる存在でもある。
 本人が自称限りなく不幸な存在というのは、読んでいるとほんまかいな、と思いますが、どのコミュニティからも相手にされない意味では「不幸」かもしれない。
 インデックスはマレビト。説明不要ですね。彼女は魔術師の世界では特異な存在でもある。

 さて、本題は解読のための特別なルール(セット)が必要か、でした。
 高校性である主人公のこ汚い学生寮、そのベランダにある日この世のものとは思えない美少女が引っかかっている、とか、主人公は食費にすら困っている貧乏学生とか、インデックスは大食いであるとか、中学生にしか見えない担当教師とか、主人公にやたら粘着してくる女子中学生とか、十四歳なのに身長2メートルのパイロマスター、カタナ遣い風の女性魔術師とか、シグナルはバンバンあがってますね。

 でも、そういうシグナルを剥ぎ取っても、物語は一切揺らがない。どれひとつ、本筋と関係ないからですね。

 これは評論家のおっさんたちが分類している「セカイ系」でもある。世界の命運を左右する宿命を帯びた君を、俺は命を賭けて守る。学園都市の超能力教育の話やどういう経緯でそうなったかなどの「社会」の話は、ずーっと後景にあるし、ほとんど語られません。「社会」、すなわち「規範」と「常識」を代弁するのは「担任教師」とエンディングに登場する「医者」くらい。 
 
 私などがちょっと気になる「え、それだけの理由で救っちゃうの?!」が必要なルール(セット)なのであれば、必要。だけど、小説なんてそんなもんじゃねえの、と思えば、不要。

 最初に書いた、「第一巻」で先頭打者ホームランをうたなきゃダメ、なのは間違いないでしょうが、うまくいったら「第二巻」に繋げなくちゃダメ、でもある。当初からやたらそれっぽいシグナルをあげまくるのはその計算もあるんでしょう。

(また懺悔臭いことを書けば「出した奴片っ端から殺せばいいんだろ?」という安易なプロットが「ラノベ」でなかなかお目にかかれないのだとすれば、それも物語の芽を摘まないようにする計算に基づくものなのかもしれません。だからといってFFを許しているわけじゃないけど)

 でもそういうメタ的な話を除外すれば、「萌え要素」とかそんなものに頼らずとも、ひとつの物語(サイファイ・ファンタジー)として成立していると考えていいんじゃないのだろうか。

 先述の「セカイ系」の主人公の「君は俺が是が非でも守る」設定が唐突過ぎる、というのがライトさへの批判だったら、まあそうかなあ、と思うんだけど、でも恋愛とか、おっさんおばさんが「家族を守る」(家族愛?)とか、「負債は次の世代に引き継がないぞ」(人類愛?)なんてのも、そんなもんだよね、ともいえなくもないのだけど?

 まだ三冊なんで、総合的なことはいえない。上の科学哲学の話じゃないけど、私がやってるのが「帰納法」的発想なんですよね。そして「帰納法」って、科学的真実を証明するのにめちゃくちゃ分が悪いのだそうだ。考えればわかりますよね。すべての事例(この場合一体いくつあるのか知らないラノベなるレッテルを貼られた小説群)を参照しない限り、命題(この場合、ラノベと一般小説とどこが違うんじゃ?)が正しいなんていえないんだから。いやお前がやってるのは実は「アブダクション」というほうが正しいかも。

 ただそんなに堅苦しく考えなくても、ひとついえること。サイファイ・ファンタジーは死んだのじゃなくて、ラノベというレッテルを貼られた小説群の中に普通に生き残って、下手すると繁栄を謳歌しちゃってるのかもしれないということ。

 サイファイ・ファンタジーというジャンル小説からのエクソダスがすでに普通に起きていたということなんでしょうか。(おかげでラノベ評論なる世界にサイファイを殺したSF評論家まで跋扈しているのが苦々しく感じるのは私だけだろうか)

 小松左京さん追悼の本を買った。類似のものはいくつかあって、今手元にないのでどれか忘れちゃったが、そこで筒井先生がまだ駆け出しのSF(エスエフ)作家である頃の独白が載っていた(すでに読んでいたので何かから再掲されたものだ)。まだSFの読者数が日本全体で5万とか10万とかそんな時代のお話。
 イメージ湧かない? あー、Dragon Age とか Mass Effectとかを英語版でプレイする人口がそんなもんだと思う。日本語版だと、そうねー、20万とか30万? Skyrimはどうなるでしょうね、愉しみ。
 つまり、SFなんざ、ごく限られた年齢層(高校生から大学生あたり)の非常に面倒くさい読者層を相手にするしかないのか、やがて読者ははれてその世界を「卒業」していくことが想定されるので、常にその世代層に到着した新しい世代のやっぱり面倒くさい読者を相手にすることの繰り返しなのか、という嘆き。

 後に筒井先生が、ある時代からの日本人の馬鹿みたいなサイファイ・リテラシーの高さ(「ドラえもん」のおかげですか?)を評して「浸透と拡散」という、ゲリラのチェ・ゲバラみたいなことをのたまっていたそうだ。

 ラノベというレッテルは後からついたものだろうし、こういう状況もその浸透と拡散の結果なのかなあとか思っちゃったりしてる(自信がなさげな理由は上で述べました)。

 あ、「とある」はだから立派な一般小説だと思いますよ。そして上に書いたひねりが上手すぎるので、きっとお話も長持ちすんだろうなあ、という予測もなりたつ(らしい(笑))。

【SWTOR】ジェダイ・ナイト

 途中、何度かパーティー・プレイも経験しましたが(つか洋サバ標準、強引に拉致られた、だけですが)、例のWindowed ModeからFullscreenモードへの切り替えができてなかったので、撮影がみな真っ黒けであった。残念。

 Blizzardの偉い人が、以前ヴィデオ・ゲーム(特にMMORPG)づくりの必勝法を述べていた。
 一言で言うと、「物語が永久に終わらないこと」だそうだ。
 MMORPGの場合は、(一定以上の品質水準維持という前提がいるが)とにかくコンテンツのヴォリューム勝負になる。WoWが数次のエキスパンションを重ねてきたのも、この「王道」を頑なに守ろうとしていることでしょう。そしてこれまで成功してきたんでしょう。

 先日引用した記事では、WoWのagingが問題視されていた。コンテンツに「飽きている」層が生まれており、STWORへの移住が大規模に起きるのではないか、というあるアナリストの考察があったが、それでもWoW全人口のわずか10%だ。10百万人以上のプレイヤーの残り90%は「まだまだ飽きていない」と考えると、なんとも壮絶な話ですね。いや「飽きたけど居座る」という話になると、これはもうヴィデオ・ゲーム評論の世界を逸脱した話になっちゃう。社会学的テーマだ。

 一方でWoWユーザーの半数が「SWTORを買ってみたい」と考えているようなので、ネットワーク効果というか、エクソダスの流れがある閾値(クリティカル・マスと呼ばれているもの)を超えてしまうと、今度は「雪崩を打って」というレベルに変質する可能性が否定できない。
 なぜなら、マルチプレイを中心に考えているプレイヤーにとって、MMORPGは「月極友達レンタルシステム」(byペニアケ)だからだ。
 ただし「惰性」という宇宙最大の恐るべき力もあるので、一概にはなんともいえない。
 それから、結局SWTORもWoWのフォーマットにストーリーを乗せただけであるという世界に気がつけば、飽きるスピードも意外に早いかもしれない。

 一方で「友達何それ?」のソロ・プレイヤーにとってはコンテンツのみが意味を持つ。
 コンテンツ重視にも二種類があって、ゲームプレイそのものにフォーカスする者と、ストーリー性・ドラマ性を求める者。MMORPGやFPSの場合、後者は極端に少ないと言われている。

 元々「いらない」から少ないのか、それともそういう世界を提供されてこなかったから「いらない」もの扱いなのか。
 BioWareはSWTORで、既存のWoW準拠型(クローン)MMORPGの大変革を狙っているのではなく、「味付け」を変えようとしているんですね。 

 これは同時進行中のラノベ考察をやっていても言えることだし、もう何度も繰り返し言ってきました。

 ストーリーは根源的に悲しい。なぜなら必ず終わりがあるから。
 ドラマは根源的に愉しい。なぜなら必ず驚きがあるから。

 SWTORは、先達Blizzardの教えに従って「ストーリーの終わり」を見せないことにしたようだ。SWTORの開発を発表した2008年10月に、BioWareのゼスチャック博士が述べている。SWTORの「売り」(差別化のエンジン)は特異なストーリーテリングであり、膨大な量のコンテンツだ。

http://www.gamespot.com/news/star-wars-the-old-republic-revealed-6199726

 BioWareが、RPGメーカーとしての名声を磐石なものとしたSWKOTOR(2003、Star Wars: Knights of the Old Republic)に対するファンの声援は根強く、Obsidianの開発したSWKOTOR2以降も続編を待ち望む声は大きかった。ゼスチャック博士はそんな声に答えて「これ(SWTOR)は、SWKOTORの3、4、5、・・・・・・12プラスになると考えてくれ」と冗談交じりに述べている。そのくらいヴォリュームが大きくなるよという意味だった。 

 ソロ・プレイで(とりあえずの)エンディングまで見せてくれるほど甘くはないだろうが、その言葉にどうやら偽りはないようだ。そしてジェダイ・ナイトのクエストをプレイしていると、なつかしのKOTORの味わいがそこここに見え隠れしているのも事実だ。銀河の首都コルサンの街並みは今風のグラフィックで美麗に、壮大に描かれているが、そこで展開する個々の物語はKOTORでプレイヤーの心を掴んだものと実はさして変わらない。
 これはStar WarsサガのBioWare解釈版である。後者の比重のほうがはるかに大きい。 

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 風光明媚なのは、ジェダイ・ナイトのシナリオだから。シス卿のシナリオは赤と黒が基調のおぞましい風景に支配されている。トルーパーやスマグラーであれば、戦乱の真っ只中の最前線に降り立つし、シティー派エージェントなどは、いきなりシティ・クエストからはじまる。

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 ごくごく普通のMMORPGのマップ。離れた拠点間はタクシー(スピーダー、スピードバイク)などでファストムーヴ、移動が可能。普通ですね。

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 そこらじゅうにポピュレイト(群生)しているモブ。別段驚くような相手でもない。
 コンバットは非常にオーソドックスで、今風の「完成形」とか「次世代」とか見慣れた人には余りに普通と感じられるかもしれない。

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 ジェダイの前線基地。ヴェンダーもそこここに配置され、クエストを歯を食いしばってやらなきゃないような、ご無理ご無体なことはありません。不条理な攻撃を受け、あっという間にやられて死ぬこともあまりない。ボーっとしてると別だけど。

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 風景は優れてるなあ。

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 キャラクター・シートはKOTOR仕様をモディファイしている。

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 ボスっぽいのいた。

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 話を聞いていないとお手上げ、ということはないが、なんでジェダイでもシスでもない、こいつがフォース使えんねん、という「ひねり」は気がついたほうが面白いかも。

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 ジェダイですから、当然「懐柔」か「説得」から入ります。

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 なぜかフォースで吹き飛ばされます。

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 女子キャラでよかった(笑)。

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 関係ないですけど、私の場合、RPG一周目はかならずローフル・グッド(秩序にして善)とか、この場合光(ライト)サイドでやる。
 理由は、選択肢で悩むのが面倒臭いから。ワールドとかシステムとか目新しいものに一斉に触れているので、そのうえモラル的に悩ましい選択肢とか考えると脳みそがパンクしちゃうからです。その点、「善」とか「光」とか、簡単じゃん? 模範解答ありだから。

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 これは俯瞰を狙って撮影したわけじゃなく、たまーにカメラが他所向いちゃうことがある。この点は結構不満を述べる人が多い。General Chatを盗み聞きしてるだけだけど。

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 特殊スキルの発動さえ抑えておけば、あとはチャンバラで勝てます。

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 お約束のCODEXも、Mass Effectばりとまではいかないが、かなりの分量がありそう。

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 スピーダーの代金がもったいないので、えっちら走って帰る。

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 どこぞで見つけて修理に出していたドロイド、T7がようやく復帰。ジェダイ・ナイトのコンパニオン。カラリングは当初三つから選べるみたい。
 主人公の服装も、着替えればきちんと反映されます。

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 うちの(うちのって言うな)T7はなぜかマッカッカになってしまった・・・。うーん、クリック間違えたかな?

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 わけもわからず高レベルの敵に歯向かうと、まず死ねますね。こいつはグループで来てもまだ無理だ。後のほうのクエストに関係するんでしょうか。

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 こっちが文脈上必須なボス。

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 T7 死んでますけど、気にしない。

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 ボスもジェダイ臭いので、飛んだりはねたり。

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 命乞いの場面が多い。ごく簡単な光と闇のモラル・チョイスです。
 ジェダイ・ナイトを選んでいるので、こういうときに余り考えないで済む。
 「おとなしくお縄を頂戴し、裁きを受けなさい!」です。

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 ここは何の場所かというと、パダワン(ジェダイ見習い)からナイトに昇格するイニシエーション(通過儀礼)に必要な、自分用ライトセイバーを製作するところでもある。

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 材料を祭壇(つか工房でしょう、これ)に載せ、瞑想する。

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 カットシーン。

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 たまりませんねー。オールド・タイマーのファンにとっては。

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 誰でもやってみたくなるよねー。

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 めでたくナイトになりましたので、新しいタイトルも選べるようになりました。MMORPGでは普通ですね。

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 他にもクエスト残していそうだが、いつベーターが中止・中断するかわからん。

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 急いで旅立っちゃおう。

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 どこに向かったかもよくわからんかったのですが(字幕ちゃんと読めよ・・・)。

 いや、MMOだとまじめに読まない癖がついちゃってんだよね。よくないことだ。

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 宇宙ステーションですね。ところが、中継地でしかないはずのここで、やたらたくさんのクエストが発生する。おそらく将来的にもどんどん増えていくのだろう。
 あの泣かず飛ばずであったStar Trek Online、そのステーションとの最大の違いは、あっちは、いくらそれらしきキャラクターがポピュレイトしていても、一切ただの「書き割り」でしかなく、どうせ何も起きないんだろうな、と最初からわかっちゃうこと。
 こっちは、「まだ何か見逃してないか」とあわくって必死に駈けずりまわらないといけないこと。

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 レベル10でアドヴァンスト・クラスが選べることの謎が解けました。
 アドヴァンストでもなんでもない、これが普通の「クラス」だ。よって、8クラスに二つのサブセットがあるから、実際16クラス最初からあることになる。
 「ヒラ」のジェダイ・ナイトはようするに「パダワン」(見習い)のことだったんでした。
 私は「ライトセイバー二刀流」の方を選んだ。まあ、ベーターが終わればワイプされちゃうから真剣に考えたわけじゃない。

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 友達のいない私にお手紙など来るはずがない?!

 一通目はコレクターズ・エディッション(じゃない、早期予約、プレオーダー)のオマケ、ライトセイバーに特殊な色がつくやつなんでいいのだが、二通目はなんだ?!

 もしかしてさっきパーティーに拉致られた際、「もうそろそろ抜けるね、ありがと」の英語チャットがへたくそすぎて、怒られて粘着されているとか?! それとも稀な女子キャラなので粘着されてるとか!

 な、あほな。ゲーム内キャラクターのお手紙でした。Mass Effect 2にも、Dragon Age 2にもありましたね。クエストで関係したNPCキャラクターが「その後」を手紙(メール)で教えてくれるってやつ。

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 酒場。VIPラウンジ用のトークンは、コレクターズ版をお買い求めいただいた方すべてに提供するとある。ほんとに大丈夫か・・・。BioWareこういうややこしいのはずしまくるからな・・・。

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 中継地点にいつまでおんねん、と言われそうだが、ほんとに広くて見所一杯なのだ。
 でも確かにきりがないので、銀河首都コルソンに向かっちゃおう。

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 まあ、最初は度肝を抜かれる。

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 なんだっけ、議事堂かな? とにかくでかさを強調する、プレイヤーを圧倒するように視点のずっと上まで占領するデザイン。

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 これもだね。

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 ソーシャルの意味がさっぱりわからないが、こんな衣裳も売っている。なんに使うんでしょうか?(これも他のMMOのパクリでしょうけどね・・・)

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 新米だろうがジェダイ・ナイト。セネター(元老院議員)とかに平気でアポなしで謁見できる。

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 いかにもモラル的に危なそうな方ですよね。現にクエストもモラル・チョイスものだ。

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 押井さんじゃないけど、お尻ばかり撮影しているわけではない。

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 装飾デザインの気合の入り方もはんぱじゃないです。

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 Mass Effect 2に流用したんだね、と思われるスピーダーでの街中移動。
 どっちがどっちを流用したかわからないけど。

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 タクシー代わりなんで自分で操作は(まだ?)できない。

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 こういうところ、ずるいよなー、と思う。
 広さを強調するため、新しい場所に到着すると映像はまずこのパンから入るんですよ。
 広いなーと思わせる手ですね。

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 これは大変なゲームに付き合ってるんじゃないか・・・、と思い始めている。

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 うっかりしていると見落としてしまうくらい、そこここにクエストベアラーのNPCがいる。
 同じ場所に戻ってくると増えていたりするので、なかなか気が抜けず面白い。

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 悪党ギルドに占拠された街。よくあるプロットではある。

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 ジェダイなのに、ネットワーク修理、インフラ屋みたいなこともさせられる。

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 グダグダになった夫婦関係の仲裁まで引き受ける。ジェダイの任務か?

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 うーん。

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 お約束の暗黒街のボスとの対決。
 ジェダイの力であっさり投降するよう説得してしまうのだが、画像がなぜか撮れていない・・・。

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 Star Warsらしいキャラも色々からんできます。

 漫然とご紹介しました。

 MMORPGとしては極めてオーソドックス。ビックリするような仕掛けもないし、コンバットも至って普通。
 ただし膨大なストーリー・プロットで味付けをしているので、ソロ・プレイでも飽きずに普通に先に進める。
 全体としては予想を上回るかなりよさげな出来栄えではないかというのが、感想です。

 バグらしきものには余り遭遇しませんでしたし、突然落ちることも数えるほどしか発生していない。ちょっとエラティックなカメラ周りへの不満はみな抱いているみたいですね。

 

  

【SWTOR】困った、とまらない・・・。

 困っちゃうんですよね、こんなもの作られると。

 やめられません。とまらなくなる。

 ジェダイ・ナイト編だけに特化してやってみたが、おそらく10時間以上やっているはずなのに、一向に終わりが見えない。しかもこれってまだまだアクト・ワンの途中くさい。アクトいくつあるのか知りませんけど。

 グループ特化シナリオもあるけど、それ以外はソロでなんとかなっちゃうのだ。 

 こんなの、じっくりやってる暇ないっちゅうの。

 だが、MMOライトユーザー(とっくに引退しています)にとっては、8つのクラス、4つのストーリーライン(例えばジェダイ・ナイトとカウンシルは、クラス特化シナリオもあるけど、おそらくメインプロットはほぼ同じはず)があって、こののりで物語が続くとすると、完全に元取れちゃいます。

 BioWareお得意のグレイな選択(SWTORならlight/dark)もクエストごとに執拗に出てくる。コンパニオンの機嫌が良くなる・悪くなる以外にも何か隠し味(アウトカム、コンシークエンス)があるんだろうか。 

 ME3が来るまでのBioWare日照り状態の私にとって、恵みの雨で丁度いいかもしれない。

 スクショが撮れなかったのは、単純にWindowed Modeだったから。枠のないWindowed ModeなんでてっきりFullscreenかと思っていたのだった。
 ようやく撮影ができるようになったので、次回にでもまとめてちょっとアップ。

 とはいえMMORPGですから、そんなびっくりするようなシーンはなかなかないのですが。

 なお、クラスによっても違ったりしますが、Hope、Deceived、Returnという三つのトレイラー並みのカットシーンがスタート早々に見れます(もっとあるでしょうが)。

 このうち次のリンクのReturnは、自分はどこでも見たことがなかった気がするのです。だいぶ前に公開されているようなので見逃したのかな?

 
 http://www.youtube.com/watch?v=OzdCdRPESps

 「ハン・ソロ」代わりのスマグラー・キャラがトム・セレックぽい造型になってる。映画「スター・ウォーズ」のハン・ソロは、ハリソン・フォードに決まるまで大変な紆余曲折がありましたが、こんな感じのスター・ウォーズ外伝も見たい気もするのは私だけ?

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 いつものBioWareのフェイスモデルと同じで、美形に見えるモデルはごくごく少ない。でもいいの。ちゃんと胸とお尻でかいし。バタ臭いの大好きなんで文句なし。 

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 ベータといいつつ、週末ストレステストだから、そろそろ終了してデーターは全部ワイプなんだろうな。

 あんまし気合いれてもしょうがないと思いつつ、つい熱が入ってしまった・・・。

 

 

2011年11月27日 (日)

【SWTOR】エクソダス

 SWTORベータ(実際にはローンチ直前のストレステストだ)、結局最初のクラスはジェダイ・ナイトにしてしまった。

 さっきみたらNA(北米)のサーバーはぐちゃぐちゃに混んでいるが、EU(欧州)のほうは結構スカスカみたい。時間帯も関係あるかな。自分はわけもわからずNAのほうにしてしまった。NAだけでサーバー40本以上あるのかな?

 おやりになれば即座にわかると思いますが、World of Warcraft(WoW)及びそのクローンのフォーマットからほとんど逸脱していません。斬新な、奇抜な、というところは一切なく、懐かしいとか、見慣れたとかそんな感想でしょう。カメラ周りとか多少、んー、と思うところありますが、もう6年近く運営しているWoWと比べてはいけないかも。 

 私の場合、どういうわけかスクショがうまく撮れないのですが、グラフィックからは初期公開画像で散見されたような、お子ちゃま向けのコミック臭さはほとんど払拭されてます。まあまあアダルトな、なかなかいい感じ。

 ただ、ストーリーのヴォリュームははハンパないみたい。すべてのクエストベアラーNPCは声優つきで喋るし、半日近くジェダイ・ナイト編のオープニングやってますが、まだまだありそうで、いつおわんだよくらい長いです。

 ベータがいつ突然中止・中断になるかわからないので、全クラス入り口だけは8つ全部覗いてみた。 4つの惑星(マップ)で8つのクラス別の物語。種族・性別によってセリフは微妙に違うがプロットには関係ないかな。コンパニオンもクラスで固定。あるレベル以上のナイトがR2D2みたいなドロイドを全員お供にして連れているのはちょっと格好悪いんだが、それは初期惑星を出ればもう気にならなくなるのかしら。

 実はこのソロパート、8人分ですか。これ全部済ませるのに下手するとそこらのソロRPGのゲーム一本分くらいの時間かかるよ。もちろんぜんぜん難しくないし、MMOなのでコンバットは繰り返しルーチンですけどね。

 ジェダイ・シスの物語は「秩序・復讐」というテーマですから、やっぱわかり安すぎて大枠ではつまんないけどね。スマグラー、バウンティ・ハンター。エージェントなどのほうがお話が面白いに決まってますね。実際そっちの「フォースって何?」クラスは導入部ワクワク感丸出しのプロットだし。ソードプレイよりガンプレイのほうがなんとなくよくできている気もするし。 

 でもプロットが凝っているなんていっても、所詮はMMORPG。ぼーっとしてセリフ聴いていても「あー、なんちゃらいうボスをやっつけろね、あいあい」、「みっつなんとかってのを回収ね、らじゃらじゃ」という程度がわかれば全く問題なし。英語字幕もあるからうたた寝してても安心(何度かしました)。 

 ただし、この圧倒的なテキスト量。日本語版は・・・。一応雨乞いの踊りを踊っときますが。そんな簡単にはいかないかなあ。 

 次のGameSpotの記事は、WoWの有料購読者が3月から10%減少し、10百万人台まで落ち込んじゃった、というもの。

http://www.gamespot.com/news/activision-blizzard-stock-downgraded-on-world-of-warcraft-declines-6346436

 アナリストはWoWの制度疲労(aging)のせいが理由のひとつだが、ローンチの近い STWORに大規模なユーザー流出が起きることもあるのじゃないかと予測している。 

 アナリストの読みではWoWからSWTORへの移行組は0.9百万から1.6百万の範囲だそうだ。WoW現役ユーザーの中でSWTORも購入してみると応えたもの50%、購入するかもしれないと応えたもの38%を足すと、多くのWoW現行プレイヤーが、(FPSのBF3対CoDMW3とは違って(笑))ライバルのSWTORにも興味があることになる。
 
 

 SWTORをローンチ時からプレイする人のすべてがWoWからの移行組なわけないのですが、そのエクソダス組だけでBioWare/EAが「浮きます。ペイします。商売成り立ちます」というイニシャル50万人を超えて百万人行っちゃうわけ?

 アンケートに応えているのはわりとコアプレイヤー、WoWを知り尽くして、今一番不満を持っている層ってことでしょうかね。カンストプレイヤーもいるだろう。
 

 うそ、これは、蓋を開けてみたらSWTORのローンチ時にはなんかすごいことになるかもしれない。3百万、いや5百万くらい行っちゃう? 

 とはいえ、このアナリストの予想が実現した後ですら、WoWにはまだ10百万人程度の固定ユーザーが残る計算になる。こっち(MMMORPG)もActivisionBlizzard対EAのハルマゲドンの予感なのか?
 EAがんばれー。ちゅうかBioWareつぶしたらしょうちせんぞー。
 メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー。

ラノベ考察(2)

 二つ目は「バカとテストと召喚獣」第一巻。

 これはいかん。はまる。

 ・学園もの

 ・戦国もの 

 ・ドタバタ

 私の大好物を三つ入れられたら、そらハマリますよ。 

 んー、故に冷静に見れないかも。 

 中身の説明とそこからの連想でまずお茶を濁そう。 

 とある高校の二年生。学業成績で仕分けされちゃった負け組最下位バカクラスが、エリートクラスとの下克上を繰り広げる。試験の成績に応じて召喚できる自分のミニチュア、召喚獣を戦わせて雌雄を決する。試験召喚戦争。
 戦いの動機は、圧倒的に差別された教室の広さ、備品。目的はエリートクラスが与えられている高級設備(ノーパソとかシステムデスクとかリクライニングチェアとか、発想がちょっちおっさん臭いけど)の獲得。

 作者は、学校の成績で人生が決まるとか話が重たくなるから、設備の取り合いにした、と言われているようだが、もう「学校の試験の成績が人生を左右する」なんていう神話は幻想であることがみんなにばれちゃっている(ことになっている)から、あっけらかんと設備を取り合う話も別段さほど違和感がない。しかもそれが「番長もの」みたいなレネゲイドの話じゃない、戦いには先生が立会わないと成立しないんだよ、ということで「安全弁」を用意している。つまり物語は破局へなんて向かわない。あくまで日常の循環であることを示す。

 好きな異性を取り合う、でもなければ、プライドを賭けて、でもなく、ただ快適な教室を欲する。つまり、その戦いにあんまし意味はない。主人公は本来エリートクラスにいるべき賢い可愛い女の子がある事情でバカクラスにいること、「掃き溜めの鶴」状態に置き去りにされているのは犯罪行為であると憤慨して、クラス代表(クラスで一番成績がいい人、昔は神童と呼ばれた男、でも今はバカクラスだけど)に下克上を始めようといい出すが、別に彼女を獲得しようなんて思っちゃいない。まあ、ちょっとは思ってるかもしれない。無理だろうけど(とは思っている)。

 そんだけのお話。 

 学校でのサバゲーとかスクランでもやってたし、クラス間戦争の話はほかにもいっぱいありますよね。年代の違うアニメ・コミック・ノベルと比べると差異が如実にわかるかもしれない。
 下位の立場から下克上でのし上がっていく話はDnDドリストシリーズの冒頭の物語がそうですが、こっちは管理された戦争であるから、ああいう陰湿、冷淡、残虐な話にはならない。

 読者には(ア二メ・ゲーム)のルール(セット)、「お約束」の知識がなければならないかどうか。最初はかなり強烈にそうかと身構えていたが、意外とそうでもない。カードバトル、料理の超絶下手な美少女、ドイツ帰り美少女、優等生とバカ、信長的カリスマ、薔薇百合、女装・男の娘、巨乳貧乳、サドマゾ、それらも表面上なぞっただけのごくごく穏当な世界で済む。何ひとつぎらぎらしない。カードバトルなど何一つ知らなくてかまわない。
 無駄なものを一切削ぎ落とした記号、つまり萌え要素(メガネっ子、ツンデレ、妹、猫など)をほとんど用いない。
 

 では美麗なイラストがついた一般小説か。おそらくそれでいいんだと思う。 イラストに頼る部分すらかなり少ない。ラノベは読み始めたばかりで参照できないのがつらいが、例えばゲーム「ペルソナ」シリーズのキャラクターたちのほうがキャラ設定をずっとイラストに頼っている(萌え要素あり)。「FF零式」などはもう、ほとんどイラストでしかキャラクターを表現・説明できない(萌え要素てんこ盛り)。 

 それではこのノベルはまるでライトではないことになる。だが、読後感は完璧にライトだ。それはなぜ? ライトな部分とはどこか。ちりばめられたギャグか。主人公が単に何も考えていないバカだからか。 

 「空気系」というのがあるらしい。「セカイ系」のぎらぎらした肩の凝る世界に辟易した読者・視聴者たちが、そういう油分を除去、毒抜き、脱色した世界を志向した、などとの説明があるようだ。「セカイ系」が社会を省略して世界と個人を直結して描く物語であるのに対し、世界も社会も捨象して、主人公たちの身の回りの雑事をひたすら延々と描くものと理解されているらしい。 

 上にも書いたように、この戦争は完璧に管理されたもの、主人公たちの日常である。作者が意図的に排除したと述べている「成績で人生が決まるとかいう重たい話」は「社会」に関するものにあたるが、そうした物語もすでに現実社会の誰の目からも幻想であるとばれているので元々心配する必要のないものだ。教室設備の改善という、特にたいした意味のない目的のため戦うという日常生活を送っているだけの物語だ。そう言う意味では「空気系」なのかもしれない。

(誤解のないようにいっておくと、成績がいいから、いい学校に入ったから即勝ち組なんてもう誰にも言えなくなったということ。成績が悪いから即負け組は・・・、あんまり変わっていないかな。さっきのは「幻想」だけどこっちは「真実」かも。でも「まあ、だめもと」と割り切れるのと、「こんなはずじゃなかった!」ではダメージが違いすぎる。どっちにメンタル、自殺者が多いのかな)

 「空気系」の最大の特徴に、物語性が排除され、萌え要素の配置で置換されるというものがある。
 上述のとおり、萌え要素が概ね欠落しているのでこの点には疑問符がつく(いや、そういう要素が欠落しているあっさりしたキャラクター萌えというのがあればあれだが、それはただ話をまぜっかえしているような気もする。あからさまな癒し系というのも出てこない)。

 形式的な物語がある。幼馴染への一途な思い、白馬の王子様への恋慕、恋愛感情のシグナルを100%見逃す鈍感な男性、奇策を弄する戦術家同志の欺瞞合戦・戦時交渉。隠し玉で最後の一発大逆転を狙う(というメロドラマ)。
 

 どこかで聴いたようなオーソドックスな物語ばかりだが、それで十分。そうしてこういう物語はなかなか決着がつかない(思い通りにならない)から、同じところをぐるぐる循環するドライブ力も高い。

 もう巻数もだいぶ重ねているし人気も衰えない。斬新なギャグを出し続けるのはきつそうなのでこれは驚く。きっとキャラクターを増やしていってるんでしょう。

 自分も第一巻でやめてしまうのは惜しいかな、と思い始めている。女装する場面が読みたいんだろうとか、そういうこというのやめてくれない?

 

 読んだ人しかわからないだろうが、お遊び。 

 明久 女性・男性・マゾ
 

 雄二 男性・男性・サド
 

 美波 男性・女性・サド 

 瑞希 女性・女性・マゾ 

 土屋 女性・男性・サド 

 秀吉 男性・秀吉・マゾ 

 相性の良いはずの明久・美波のカップル、雄二・瑞希のカップルにすんなりならないところがまた、宙ぶらりんなロマンス話もいつまでも続きそうだね、と思わせるところか。

2011年11月26日 (土)

ラノベ考察

 もしかしたらシリーズになるかもしれない、何を今更ラノベ考察。

 いやいや。元々、食わず嫌いだから。MMOだって黎明期から数えて個人的参入まで10年弱かかったから。「このラノすご」は、すでに8周年だそうだから。いい感じで出遅れてます(いい感じて)。 

 とはいえ、ものがものだけに、地図も何も持たずに暗闇のジャングルにパラシュート降下するのは怖い。という臆病さも手伝い、「このラノ」を眺めて、うーん、ここらかなあ、と選んだ第一陣。 

 まずすでに書いたとおり、2011作品部門一位の「ソードアート・オンライン」(第一巻)。
 MMORPGをテーマにしている、というので、これはこのブログは避けるわけにはいかない。

 あとは、「お前どんだけ臆病なんだよ!」といわれそうだが、「バカとテストと召喚獣」、「とある魔術の禁書目録」、それぞれオリジナル第一巻。
 

 どちらもケーブルTVでちらっと見た気がするし、PSNでもGyaoでも有料でアニメが見れるし、元々名前は良く知ってました、というのが理由のひとつ。ノベルに飽きたらアニメで誤魔化そうという魂胆がもうひとつ。

 「とある」のほうはランキングでも第二位だったのでこじつけられる。「バカと」(「バカと」って。「バカテス」ね)のほうは第五位だったけど、読者の声を読んだところ、第三位「ベン・トー」と第四位「円環少女」には、ただならぬ殺気(妖気?)を感じたので、第一弾にいれるのは回避した。カワードと呼ぶなら呼べ。(もし玉砕せず第一弾を読み続けられたら)第二弾でいれるつもり。

 テーマは、これも読みもしてないくせに勝手に思いついた「販売戦略上、ラノベというレッテルを貼られた一般小説である。美麗なイラストがついている一般小説である」という話が正しいかどうかを見極めたいということ。
 あと、サイファイが死んだ今、単純に面白い(そっち系)ノベルがあったらめっけもん、という功利主義的理由。

 隠された理由は、Skyrimが12月8日まで遊べねえことだよ。

 まず「ソードアート・オンライン」読みました。

 一般小説です。少なくともサイファイが一般小説ならば。
 ただ、「サイファイです」という名目で出したらどうなってたかわからないですね。説明します。

 ラノベがライトである理由、これも一冊も読んだことのないお前に何がいえるんだよ!といわれてもしょうがない段階で、こう書いた。

「(アニメ・ゲーム文化のバックグラウンドを有している)読者に共有されている暗黙裡のルール(セット)について作者は作中でことさら説明する必要がない。その復号作業は読者側にビルドインされたルール(セット)に委ねられている。よって、記述はそれを前提にして必然的に簡素にならざるをえない。
 そういう復号コードを有していない読者には「なんのことやら?」と通じない。
 言い方を変えれば、これこそ文化以外の何ものでもない」

 形も、中身も、「サイファイ」です。仮想世界の設定がファンタジー世界だから「ファンタジー」でもある。
 ところが「フルダイヴものという、ありがちのような設定」(これ、「このラノ」にあった17歳♂のコメント。17歳。17歳て。てめー、こっちはな、20年以上前にな、フルダイヴのな、「クローム襲撃」とか「記憶屋ジョニー」(JM)とかな、「ニューロマンサー」とかギブスンの小説読んで、あまりの感動に鼻水出して喜んでたんだぞ! そういういたいけな心を持った純情な若者だったんだぞ! ったく今時の若者は・・・)ではありながら、もうそんな説明は(あることはあるが)ほとんどしない。所与であると。わかれと。皆「ドラえもん」見て育ったんだろと。

 「サイファイ」として出してしまうと、こういうところが批判される可能性がある。だが、MMORPGなんて説明し始めたら、知ってる読者にとっては冗長で飽きるし、知らない読者にはいくら説明したってわかってもらえない。しかも描こうとしている中身はギブスンのような漠然とした仮想世界ではなく、もうそういったものへの理解が所与となっている時代(つまり今)を前提としたより詳細な、オタク的なディテールであるわけだから、

 コンピューターのアナロジーだと、OSとミドルウェアまでは読者は知ってるだろうと。さらに類似アプリ(MMORPG)についても一般的な知識はあるだろうと。だから説明はこの小説に登場するオンラインゲームの(読者がすでに知っているものとの違いである)特徴的なことしか述べない。

 そこが「ライト」なのかもしれない。しかしそこだけ。 

 これはラノベとは何かを考えるにあたって本当に適切な作品を選んだのではなかったせいかもしれないが、MMORPG以外の解読するためのルール(セット)、つまり読者がわかっているべき前提知識をあまり必要としていないのだ。

 形の上では剣戟ものである。世界を(というか仲間を、恋人を)救う勇者の英雄譚である。登場人物たちの多くはヴィクトリア朝文化のような感傷的な上品な価値観で支配されている。主人公のロマンスも痛々しいほどにうぶで純情で、それでいてあっけらかんとして(開放的でか)直裁的である。
 

 この仮想世界からの脱出は、レイドを繰り返して全てのボスを倒すことでしか実現しない。ところが仮想世界上での死は現実社会に置き去りになっている肉体の死でもある。ボスとの戦いでプレイヤー(アヴァター)が死んでしまっては取り返しはつかない。

 こうした仮想世界に閉じ込められた者たちのそれぞれの反応も、誇張や省略はあるが、概ね無理がない。レイドを主導するもの、ソロの道を進もうとするもの、ただ手をこまねいて誰かが解放してくれるのを待っているもの、この世界の日常統治を厳格化しようとするもの、略奪者に落ちぶれるものと、(命こそかかっていないが)MMORPGのプレイヤー類型の説明にもなっている。
 

 ネタバレは避けるが、込み入ったプロットもほとんどない。私が心底怖れていた「ケータイ小説」のような唐突な展開もまったくない。理路整然と、淡々と、この仮想世界の恐怖を描く。「出てきた奴殺しときゃ感動すんだべ」みたいな無茶な、幼稚な展開も一切ない。
 

 娯楽小説として十分面白い。実際、これは「おとな」(もちろん中高生はこの場合おとなだ)の読み物と言ってもなんの問題もないでしょう。MMORPGという解読のルール(セット)さえ身についていれば隅々まで楽しめる、という但し書きがつくのであるが。 

 それでいて、やはりMMORPGのゲーマーが「あるある」と首肯できる要素も存分にある。多少形式的な面はあるが(職人ギルドのプレイヤーは縁の下の力持ちとか。まあね・・・)。
 

 よくありがちなゲームシステムの表面上だけなぞって、舞台がどこでもいいようなつまらない物語を描くゲームもの、では全然ない。MMORPGのエッセンスを描いているから、そういう罠にはおちないのだ。
 

 例えばアニメ「ハンター×」のネトゲ編が、ゲーム・システムの表面上だけなぞちゃって、なんだか設定をぜんぜん使い切れていない感じを受けたり、押井さんの映画「アサルト・ガールズ」が黒木メイサさんのお尻を撮りたかっただけじゃないか、あるいは途中で撮るの飽きちゃったのかと思われるほど、世界に最後に残ったゲームがこんなにつまらなそうなのはどうなの、とつっこみたくなるほどぺらぺらなのとは違う。

 逆にキャメロンの映画「アバター」が、MMORPGでは全然ないのに「MMORPGのハイゲーマーの話じゃん!」と感じるのは、やっぱあの人は(仮想現実の)エッセンスをつかまえるのがとてもうまいからだと思う。

 文体も、セリフも、うわついたところが全然ない。奇をてらった突飛な用語も概念も一切ない。ジェネリックな材料でこれだけの話が書けるというのは、発見であった。それであるから「MMORPGを知らなくても大丈夫です!」という読者の声もある。現実社会との橋渡しがなされている(フックを喪っていない)こともあるが、エッセンスをきちんととらえていることが大きいと思う。

 物語は第一巻で完璧に完結している。エンディングも見事で、綺麗に終わる。

 今、巻数を重ねているのは、主人公が別な仮想世界を渡り歩いているからのようだ。その事実が、メタ的にオリジナル第一巻のエンディングの味わいをちょっぴり毀損してしまうが、それは出遅れたこっちが悪い。すんません。

 だが、続編はおそらくこの第一巻以上に優れた話にはなりようがない気がする。そのくらい、作者の考えるMMORPGのエッセンスを思う存分吐き出している気がする。 

 アニメ映画化が決まっているようだ。プロットもこのままで十分じゃない?

 ひとつだけ、気になったことがある。それは最後に書きました。

 (以下、Wisdomの高い人がこれを読むと、本編をちょっと読んだら結末がわかってしまうネタバレあり)

 宮台真司氏が「マトリックス」だったか押井さんの「アヴァロン」だったか、そういう仮想世界の物語について「自分の生きていた世界の創造主が絶対神だから(ほかにもあったはずの世界のありようが、たまたま今こうなっている事実を)許せるのに、そうでなくて創造主が自分と似たような人間であったらそれは許せない」という話で、彼のいう世界と社会の関係を説明していた。 

 この物語は、主人公たちをこの仮想世界に閉じ込めたのが誰かは最初からわかっている。にも係わらず、主人公と恋人は、途中で「この世界からの脱出が果たして良いことなのか」と考え始める。愛し合う二人がいればそれでいいのではないかと。

 すでに閉じ込められてから二年間が経過している。早く脱出しなければ、現実社会の自分たちの肉体(を維持している装置)がそんなに長期間持ちこたえられない可能性はほのめかされるが、それはあまり重大なこととして扱われないのだ。確かにそういう舞台設定は「ありがち」で「陳腐」であるから避けたのかもしれない。

 だがある事件をきっかけにして、自分たちは決してこの世界に留まってはならない、という決意を抱く。抱いたのかな? 最後までそうではなかったのかな? 

 そこらへんがなんとなーくあやふやである。

 つまり、この私たちの住んでいる世界そのものへの批評性があるのか、どうなのかという話だが、娯楽小説なんで、まあいいかな、と思う。凡百のサイファイだってそんなところ外しまくっているものはたくさんあるだろう。

 気になったのは、もしかして宮台氏の指摘と真逆の現実、「誰が作った世界かはわかっているけど、腹も立つことは立つけど、この際、現実社会にもどれなくてもいいや」という発想、なんとなく陳腐だけど、実はそれが読者の共通認識にあるのかなー、とか思ったことだが、気にする必要はないのかもしれない。

あてつけのようにSkyrimガイドブック到着

 またAmazon.comからでかい荷物が来た。

 到着は実は数日前で、しばらく時間がなくて開封もせず放置していた。きっと映画のBDを衝動買い・まとめ買いしたやつでしょう。何を買ったかすらもう忘れているが。

 ようやく暇になったので、開けてみた。

 The Elder Scroll V: Skyrim - Official Game Guide, Collector's Edition (hardcover)。
 Free Access to the interactive world map code inside

 ちぇっ。

 まだ遊べねーんだよっ! 

 しかし最近の洋物のガイドはすごいね。Fallout 3のが嚆矢だったと思うが、それまでの時代の「お前ほんとにゲームプレイした?」みたいなレベルのものから、「これ造るのどんだけ時間と手間かかったんだよ!」という、微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ)ものに変貌している。素晴らしい。

 日本では、あのFFシリーズなどのアルティマニアでしばらく前にその世界は実現していた(ちょっち編集方針は洋物ガイドとは違いますけどね)。Amazon.co.jpで検索すると、どうやらFFVIIIとロマサガ2あたりから? 1999年くらいかな。

 アルティマニア・シリーズの分厚さが「辞書並み」という形容なら、最近の洋物ガイドは「アメリカの大学の教科書」並みに厚くて重い。購入したのはハードカヴァー版だが、ソフトカヴァーの通常版があるところも、あちらの教科書に似ていなくもない。 

 そして全編フルカラーである。データー重視、ストーリー(プロット)重視のつくりであるから画像枚数はあまり多くはないとはいえ、雰囲気をかもし出すには必要十分な感じ。
 

 読んでしまうとプロットまでわかっちゃったりするので、目を細めて文字が読めないような感じで眺めるしかないのではあるが。
 もちろん全てのタイトルのガイドがそのレベルにあるわけじゃないだろう。Mass Effect 2のガイドは「うーむ・・・」であったし、Dragon Age 2のものは編集方針は賢いと思ったが、イマイチかゆいところに手が届くまでではなかった。このBethesdaの作品群を担当しているスタッフは優れている(出版社であるPrima Gamesのものがすべて優れているわけじゃない)。

 FPSもの(BioShockシリーズなど)は、なにしろマップが中心であるから、ネットで見れば済む、なくても良いといえばそれまでだが、ゲーム世界とマッチする美麗なデザインで「見せる」よりは「魅せる」工夫がされていて、アートブックとして眺めるのが愉しい。ゲーム自体は怖いけど。
 

 RPGだってネットで見ればいいじゃないか、IGNもGameSpotもWalkthroughを載せるだろう。

 そうなのだ。購入した全てのゲームのガイドを買っているわけじゃない。現に私はUncharted シリーズのガイドは買わない。宝物が見つからず、ほんとに頭が痛くなってきたらIGNので済ませちゃう。

 ところが、ペルソナ・シリーズ、空の/零の軌跡シリーズ、そしてFF、零式などは日本語ガイドブック買っちゃう。

 洋物だとDragon Age、Mass Effect、Fallout、そしてThe Elter Scrollsなどのシリーズは買っちゃうなあ・・・。

 RPGだから買う。わけでもないんだな、これは。The Wicherにはオフィシャル・ガイドなるものはないが、出ても買わないと思うし。The Two Worldsだってノーサンキューだな。 

 ネットの攻略がここまで充実していない時代は、とりあえず詰まっちゃうと困るので保険でガイドを買っておこうという動機であった。そして案の定あまり役にはたたず、ほとんどネットにないだろうはずの情報を探してネットをうろうろすることが常であった。

 最近では単純にそのゲームに対するコミットメントの度合い如何になってきたようだ。「好きだから」とりあえず買っとくか、という感じ。映画やゲームのサントラ盤などを買っちゃう人を見て「いるのか、それ?」と思うが、自分のガイドブックも「使うの(必要なの)かこれ?」という点では同じですね。

 あんまり読むとまたSteamへの怒りが抑えきれなくなるので、やめよう。ん、Steamが悪いわけじゃない?
 わかっているがとりあえず怒りを向ける標的は必要なのだ。それもでかいほうがいい。
 いやニューウェルとかそういう意味じゃなくて。

 

 そういえばSteamでもそういうガイドブック買えますよ? それじゃだめ?

 わかったよ、認めりゃいいんだろ! フェティシズムです。あの新品の洋書のインクと紙のにおいがたまらなく好きなの!

コピーのコピーのコピー。(2)

 やっぱ主犯は朝日新聞のこの記事であった。

 http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201111200107.html

押井監督は「日本人が科学技術の表面的な受容と円滑な運用のみにかまけ、その技術の核たる思想、技術をゼロから立ち上げる思想を持たなかったことが今回の原発事故を生んだ」と指摘。 

 どうやらそれが思想性? 科学哲学的なことを言っているのだろうか?

「工芸品的に細部を作り込みたがるその日本人的な意識が、細緻(さいち)な映像表現に好適なロボット・アンドロイド・サイボーグなどへと向けられた結果、肉体や自意識をめぐるテーマへと結びつき、つまりはアニメという表現形式が発展過程でテーマをはらんでしまった」 

 先に記事で書いたオタクのありようそのままですね。「職人芸的」がここでは「工芸品的」になっていますが。私の元ネタもルーツをたどれば押井さんの元ネタに行き着くのでしょう。

「『現実に根拠を持たない』アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける」

 「悪のにおい、危険なにおいのする誇大妄想の極限」、そのとおりですね。押井さんの自己紹介でもあるわけだから。

 「若者」に対してはこう述べているそうだ。

「あなたたちは限りなく凡庸で無名で何の個性もないんだ、『一人一人がかけがえのない存在だ』なんて大人のウソを信じるのはやめて、早く幻想を捨てろ、夢を持つな、あなた方の未来にいいことなんて何一つないんだ――というところから始めたらどうでしょうか」 

 こんな「幻想」を抱いている「若者」が沢山いると信じている無邪気なおっさんがいるということに驚愕する。中学生・高校生が「大人にはこう話しときゃいいや」と考えて押井さんに話をしたことを真に受けている。これも自己投射ですね。「自分はその時代、夢を信じていた」。

 そして「幻想のない時代」こそが「コピーのコピーのコピー」という状況を作り出している。矛盾するように見えながら、実はそれが正しい理解でしょう。アニメの中のハーレム状態が現実化する可能性はゼロである。100%嘘である。だからこそ無害であり、安心して没入できる。このようにアニメもまた時代を映す鏡である。ひたすら循環せよ、という「スカイクロラ」の世界はもうとっくに実現していると。

 であるならば、何ゆえに押井さんは、若い表現者に対して「表現」できてないと説教をするのだろうか。そういう状況を自分が打破するという「幻想」や「夢」を抱け、と叱咤しているのだろうか? 

 矛盾しているように見える。でもきっとそうなのだろう。そういう逆説が好きなのだろう。押井さんもあまりわかって喋っていないから、なんとなーく迫力があるように聴こえて朝日新聞のライターも幻惑されているわけですね。 

 そもそも「批評性」を著しく欠いている朝日新聞が、最近のアニメは「批評性」を欠いているとの押井さんの(陳腐な、つまり批評性を欠いている)批評を真に受けた記者の記事を載せる、この批評性のなさ(陳腐さ)の循環。わけわかんなくなってきましたが、これこそが、若者だけなんかじゃない、大人もひっくるめた現状なんだよ。 

 そしてそうした批評性のない陳腐な発想を大量生産しているのが朝日新聞。というこの文章自体が批評性のない、陳腐な文章であるというこの現状。これ以外になにがあると。

 「王立宇宙軍 オネアミスの翼」(1987)。冒頭、主人公(森本レオさん)のつぶやきからはじまる。
 

 そんな時代から、「若者」はこういう認識であった。若者であった私がいうのだから間違いない。

 そして(押井さんじゃないけど)宮崎駿は、この「無名の若者たち」の作品製作に多大な援助をしつつも、その出来上がった「若者らしい」コンテンツには立腹し、批判した。象徴的ではないでしょうか。

いいことなのか
それとも、わるいことなのか、わからない
でも、多くの人間がそうであるように
俺もまた、自分の生まれた国で育った
そして、ごく普通の中流家庭に、生まれつくことができた
だから、貴族の不幸も、貧乏人の苦労もしらない
別に、知りたいとも、思わない
子供のころは、水軍のパイロットになりたかった
ジェットに乗るには、水軍に入るしかないからだ
速く、高く、空を飛ぶことは、何よりもすばらしく美しい
でも、学校を卒業する2ヶ月前、そんなものにはなれなって事を
成績表が教えてくれた

だから、宇宙軍に入ったんだ

2011年11月25日 (金)

ファンボーイ心理学(2)

 前回からの続きです。もう十分に観察されている事柄の直訳面倒くさくなってきたので、そこは要点だけにします。心理学者のコメントはわりとマジメに訳す。

**********

 ユーザー・レヴューはユーザーが実際に思っている評価点より、高く(低く)採点することがある。なぜなら表示されるのは算術平均であることがわかっているので、今の平均が自分の考えより低ければ、それを押し上げようとして自分の考えとは別にできるだけ高く(10点)、逆であればできるだけ低く採点(零点)するからだ。

 LittleBigPlanet では4556ユーザーのうち、5点か6点をつけたのはわずか55ユーザーだけだ。 こんな白黒ハッキリした子供じみた騒ぎでは、一般のユーザーがゲームの欠点を指摘したり、良いところを褒めようなどという気は元から失せてしまう。

 トローリング(日本語では「荒らし」のようなものと考えればいいかも)が事態をさらに悪化させる。メタクリティックを見れば、CoDMW3とBF3の間の戦いにこんなにも多くのゲーマーが参加しているのかと驚くはずだ。もちろんそれぞれにアンチな感情を抱く層があるのは認識していたがこれほどあからさまなのは驚くべきことだ。次のようなプロファイルを有するユーザーの多さには呆然とする。

(BF3の3つ全てのプラットフォームに10点、CoDMW3の3つ全てに零点をつけているユーザー・プロファイル)

 誰であってもどちらかが好きなのは間違いないだろうが、10点と零点? 非合理的だし、直情的で幼稚だ。

 このようなひたむきさへの心理学的説明。心理学者。

「社会心理学でいう、Ingroup Biasというコンセプトだね。自分と同じ集団に所属している者、同じ考え方をする者に対して優遇的な扱いをすることだ。これはハードコア・ゲーマー間では普通に見られる。特に膨大な時間を費やすなどした場合、そのゲームに非常にアタッチする人々がいる。そしてそのゲームが自分の属する集団を示す紛れもない印であるとみなしはじめる。
 自分の見方と違う誰か他のもののお気に入りゲームを罵ることは、自己のIngroupの優越性を主張することであり、自分と対抗する見方が自分にとってなんら脅威に値しないということを確認することなんだ」

(訳:そしてWikipedia(en)によれば、二つのグループが近似してくれば、自分のユニークさ(無二のアイデンティティ)を争うための抗争はさらに激化するとある。BF3とCoDMW3は、DA2、Skyrim、Dark Soulsの三者間よりもずっと似ていますね)

 不幸なことに、世の中には議論するのが困難な相手がいる。そういう相手にBF3が満点でCoDMW3が1点にも値しないというのは客観的でないと説得するのは難しいのだ。

心理学者。「臨床心理学者は、人々の心には合理的と経験的思考プロセスの二重性があると考えることがある。合理的マインドは客観的事実、論理、妥当な論拠などに基づく。これは新情報を獲得すればあっさりと変更される。経験的マインドは感情、本能、直感、ヤマカン(gut feelings)などに拠っており、そう簡単には変わらない。
 
 経験的マインドでヴィデオ・ゲームに向き合う人々はたくさんいる。ゲームは作品(artform)であるから当然だ。あるゲーム、あるフランチャイズにあまりにも感情的にアタッチされてしまった人の合理的マインドが自らの経験的マインドを説得することは難しい。期待はずれのCoDMW3を見せられた人々は、感情的反応が行動的反応を制御する。この場合、メタクリティックで大騒ぎすること。誰か俺たちの意見を聴け!というためにね」

 MW3の開発者Sledgehammer Gamesの共同創設者、CCOのGlen Schofield は、「これは驚くべきことでもないし、開発者が出て行って何か喋っても特段驚くべきことじゃない」とツイッターで述べた。実際彼が不可解なまでに低すぎるスコアについて、「頼むからみんな正直に採点して助けてくれ」とツイッターで述べていたことを指す。世界最大級の娯楽ブランドのひとつである会社の開発者が、こんなにもいとも容易くハイジャックされてしまうメタクリティック・スコアのようなもののために腐心するというのも興味深い話だ。

 こうした辛らつな仕打ちは、Dragon Age II、LittleBigPlanet、Bastion、Toy Soldiers: Cold Warなどでも見られたので新しいことじゃない。最終的にメタクリティックが介入しスパムを除去しているところだ。

 小さなスタジオにとって、この種のサボタージュはとりわけ壊滅的打撃だろうが、爆発的に売れているCoDMW3にとっては果たしてどうなのだろうか。

 ユーザー・レヴューは、より広い読者を想定せざるを得ないプロ・レヴュアーの視点を補完するための優れた手段になり得る。残念ながら、ゲーマーたちが大人になるまで、こうしたファンボーイ・ナンセンス、反社会的不正行為によって真っ当な批評が覆い隠されてしまう事態は避けられないのだろう。

 心理学者。「オンラインのほとんどの人々は、一般に基本的特権はみな平等であると考える。敵対的批評をアップする者でも、論理的議論をする者でも、スパムボットでも、悪名高き『ピカード艦長のフェイスパーム』(Star Trekの彼が、顔に片手を当てて、あいたたた、とやってるやつ)を載せる者でも、みな自由に意見を述べることができる。

 ゲームとしての呈を一切なしていない稀代の「クソゲー」Big Rigs: Over the Road Racingにですら10点を入れる者は多く、メタクリティックの平均スコアは4.1であり、CoDMW3を上回る。

 心理学者。「誰でも何でも自由に掲載できるウェブサイトの品質問題は常に存在する。掲載するための資格も、出版社の承認も何もいらない。メタクリティックがそういう制度を持ち込めとは言っていない。それはちょっとあほくさい。だが、メタクリティックのように誰でも自由にアクセスできるフォーラムのユーザー・レヴューは、眉に唾して(with a grain of salt)眺めるべきじゃないのかな」

**********

 なるほど世界はこれほど平和である、と考えるか。
 いや世界は、何事も実際このように回っているので大変心配である、と考えるか。

 それは受け手の問題。あたしゃ疲れた。

 「MW3のようなゲームがこんなことで影響を受けるのか?」

 DA2は影響を受けたような気がする。ただそれはごくごく真っ当に「DA:Oと違う」ことが忌避されたのかもしれないしね。それは自由な選択だからね。

 しかしActivisionではなかったけど、Sledgehammer Gamesの開発責任者がツイッターでスコアを物乞いしてたとは。それだけはDA2のレイドロウ氏もやらなかったぞ。

 彼もまた世界の仕組みがわかっていなかった、ということだろうね。
 まさかメタクリティックのプロ・レヴューじゃなく、ユーザー・レヴューを開発者ボーナスの査定材料につかうとか、アホなことはしていないと思うけど。

  

コピーのコピーのコピー。

 新聞が有名人の行為をあげつらって、それにネットがこんなこと言ってますよー、という記事出すのは「もういい加減やめろ」と思います。有料購読者として言う権利はあるはずだ。

 産経新聞はじめ(つか産経新聞が一番多い気がするが)みなそうやって元手のほとんどかからない記事で数を稼ぐ。次の記事に関しては発信元は新聞社ですらない。

(お断り:本当は元ねたの朝日新聞の記事を読んでからじゃないといけないだろうけど、テクニカル・トラブルでそこだけ読めないのだ。後日何かあったら修正・加筆します)

 つまり「今のアニメはコピーのコピーのコピー」という表題からして、「この記事さえもコピーのコピーのコピー」(ネットをコピったJ-CASTの記事をコピッた産経)であるという複合的なマトリョーシカ(入れ子構造)。そういう意味では興味深い。

http://tv.jp.msn.com/news/article.aspx?articleid=767589 

 まずコンテンツについて一言私見をいえば、「押井さん、映像表現者なんだから、まず映像で批判をたたっ殺してみせてよ」という点がひとつ。裏返して「この人は(当然なのかもしれないが)なんて言葉が雑なんだろう」という点。

「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」

 記者(この場合J-CAST)によれば、昨今のオタク消費型コンテンツは新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如しているそうだ。つまり(世界に対する)「批評性」に乏しいと言っているわけですね。そして(さえない男子に別嬪の女子が群がる)「ハーレム・アニメ」の勃興がその顕著な例かもしれないとしている。

 ちょっと待ってくれ。ハーレム・アニメの勃興こそが「何か」を「表現」してんだべ?
 ラノベのあの信じられない隆盛ぶり、カオスぶりは「何かが起きてる」と考えずにいてもいいのかい? 偶然なのかい? 

 コピー化についてはかねてから宮崎駿も危惧していたという。

 そしてネットの皆様。「現在主流となっているアニメのファン達は、自分達の趣味趣向、好きなアニメを批判するのは許せない、と激しく反発。しかし理論で立ち向かえないからなのか 『押井のアニメくそつまんねーんだよ』、『押井も信者向けの消費財じゃん』などといった作品批判や、人格批判へと発展し、大混乱となっている」

 「理論で立ち向かえないから」(笑)。
 おいおい。
 負けんなよ!

 まあ、しょうがない。(アニメ・ゲーム)オタクのありようからして、サブカルチャーに代表される(社会全体から見て)極めて狭い(オタクではないものにとってはどうでもいい)特定分野に限定された強い関心・興味を抱き、それら分野に包含される事象(アニメ・ゲームの場合は世界設定とかキャラクターなどが代表だが、それに限らず声優、デザイナー、アニメーター、アニメーション技術、ゲームシステムまで含む)の細部・ディテールに偏狭的(偏狂的?)に注目するあまり、社会全体とその特定分野の事象との関係性について倒錯的な混乱をきたす(つまり現実社会と仮想社会とどっちがリアルかわかんなくなってもそれでもいいやと思う)傾向があるし、とりわけ職人芸的な世界に対する嗜好が強く、それらを発見し、類型・類比に基づいてミクロ的に分類することを至上の悦びととらえるわけだから、体系的に反駁するとかめんどくさいことは苦手なのだ。
 ほんとは他の分野のオタク、日本史オタク、天文オタク、鉄屋さんなどもこういう公式に当てはまるわけだが、門外漢なのでそこはやめておく。

 まず押井さんのだって宮崎駿のだって、理論でもなんでもないじゃん。感性がそのまま口をついてるだけじゃん。「いまどきの若いもんはなってない」という人類社会が続く限り永久に続く老人の繰言だべ。 
 ただそれだけなのに、自分がビッグネームだと承知のうえで「この印籠が目に入らぬか!」とやるから、皆でへそ曲げてんだろ? 

 『押井のアニメくそつまんねーんだよ』、『押井も信者向けの消費財じゃん』というそれぞれは概ね正しい。特に最近のものは「ああ、押井さんも途中で飽きちゃったのかなあ」というものばかりだ。

 こっちもネットに書いている以上、「ネットの皆様」の一員。私の場合、「バカ」で、かつ「暇人」だ。

 私は押井さんとは戦車好き同士なので共感できるところもあるけど信者でもなんでもない。むしろ「お弟子さん」の神山さんのほうが溢れ出るアイデアや、共感性の高い物語づくりからも、商業作家としては優れているのはたぶん間違いない。カリスマはともかく。
 宮崎駿は呼び捨てであることからおわかりのように、アニメーターとしての比類なき才能はもちろん否定しないし、誰もできないだろうが、それ以外はただの「クソ面倒なおっさん」だと思っている。まあ、ジョブズにも通じる「クソ面倒なおっさん」であることこそある種のカリスマの根源かもしれない。

 押井さんが直接批判しているわけではないが、記事では「萌え」のせいにされているので、ちょいと弁護してみよう。「萌え」とかいまいち定義できませんが、「記号」でいっちゃうこと? 
 私だと女性パラディン(DnD)、ライトニング(FFXIII)、セブン(零式)などの類型キャラにとりあえずコミットしちゃうってこと? でいいのかな? 違ったら教えて。

 フェティシズムは「モノ」が対象だけど、「萌え」の対象はキャラクター(犬猫含む?)でいいの? 「メガネ萌え」とは言わないよね。「メガネっ子萌え」はあるけど。「ツインテール萌え」といった場合、髪の毛に注目したらフェティシズムだけど、そういう髪型の女性に注目したら萌えでいい?

 そしてそういう類型が成立すれば、置換可能であると考えていい?

 例えば、Fate/Stay Nightの遠坂凛はツインテールであること、イメージ・カラーが赤であることから、エヴァ・アスカを明らかにリファーしている、置換可能であると考えていい?
 そうしてツインテール・キャラをいくつか思い出せば(って私にはあまり出てきませんが)エステルであり、スクランのエリであり、ぱすちゃの竜胆リナ・・・、まあ他にもありそうだが、ある特定の属性をコノート(含意)していると考えていい? (あれよ、あれ)
 そうしてラノベ集のイラストを眺めていれば、ツインテール・キャラは山ほどいるけど、必ずそうした属性類型に位置づけられるか、またはその裏返し(つまり定型の否定)のどちらかであることがほとんどであると読んでもいないのに結論付けていい?

 つまり、私が「萌え」なのかもしれない「ライトニング属性」は、実は「パラディン属性」、「オスカル属性」、一般化すると母性を前提とした「ガーディアン属性」なわけだが、それはアニメ・ゲーム世界では決してツインテールでは登場しない。これはいい?
(ところが、ツンデレ・キャラは(言っちゃった)、必ずツインテールである、は成り立たない)

 ちなみになぜ私が「ガーディアン属性」萌えかを説明することもできる。私の類型が「女性・男性・サド」だからだ。女性的な面の強い生物学的男性で性的嗜好がサド。こういう類型が(ヘテロセクシャルであるとの前提で)好むのが裏返しの「男性・女性・マゾ」。男性的な面の強い生物学的女性で性的嗜好がマゾ。そのまま「ガーディアン属性」であることがお分かりいただけるだろうか。この話も機会があれば少し詳しくやってみてもいいかも。

 こうして特定集団(アニメ・ゲーム・オタク)に一定のルールが形成され、暗黙裡に合意されること。なんていいます?
 「文化」ですよね。若者は、リアルの社会に参入されるためのあるルール(セット)を了解するイニシエーション(通過儀礼)とは別に、オタク社会に参入されるため、こうした暗黙裡のルール(セット)を了解するという、また別のイニシエーションを受けるわけですよね。

 立派な文化じゃないのー?

(さらに自分でも今気がついて仰天したが、ラノベがなぜ「ライト」なのか判明した。つまりそうした読者に共有されている暗黙裡のルール(セット)について作者は作中でことさら説明する必要がない。その復号作業は読者側にビルドインされたルール(セット)に委ねられている。よって、記述はそれを前提にして必然的に簡素にならざるをえない。だってどーみてもツンデレなのに、彼女はツンデレであるとか書くと冗長、くどいから。そしてそういう復号コードを有していない読者には「なんのことやら?」と通じない。これこそ文化以外の何ものでもない、と冗長なことをまた書く。
 さらにこのブログ記事ですら、読者にはアニメに造形が深い方が多いかもしれないという前提で書いているので、洋ゲーしか知らんという人には「なんのこっちゃ?」でしょうね。つか、ここまで読むそういう読者がいるとは思えないけど)

 そして文化とは模倣。コピーの積み重ねですよね。

 押井さんや宮崎、彼らの属する文化集団は先達からなにも模倣していないのですか? その先達はさらに先行者から何かを模倣したと考えるのが自然じゃないですか?
 であれば、若者文化批判は、程度の違いの問題ではないですか? 

 受け売りの構造主義を持ち出すと(ここまで辿りついた屈強な読者ですら)脱落するのは間違いないのでほどほどにするけど、「作者は死んだ」説ってありますよね。様々な作品をバルトはテクスト、織り上げられたもの、と呼び、それは多様なローカルな言葉遣い(エクリチュール)からなるとしている。その多様なローカルな言葉遣いが対話し、模倣しあい、反目しあうが、あるところで収斂する。それは(今まで信じられたように)作者ではなく(意外にも)読者である、ってやつ。

 作者が何か作品を出した。     

 「俺様がこう意図して書いた(描いた)作品だ。そう理解せよ」

 暴力ですね。きっと怒っている人たちは、ここにファシズム、それが言いすぎなら理不尽な家父長制の匂いを感じるのでしょう。とりわけ思春期の子達は、そういう物言いにもっとも敏感に反応するはずだ。おっさんになると「うわ、このじじいばかだなあ」ってへらへら笑っていることができる。

 「俺様が書いた(描いた)らなんだかわからんが、こんなものできちゃいました。これどうよ?」

 この物言い、なじみありませんか?「電車男」、「ブラック会社」、「ケータイ小説」などなど。
 多くの人に好まれれば(共感されれば)、驚かれれば(珍しがられれば)普及し、今の時代なら容易にコピペ(ダビングとはもういわんのか、ダウンロード)され、(ネット上も含め)人口に膾炙し、さらにコピペ・ダウンロードされ普及する。

 「作者の死」は内田樹氏によれば「コピーライトの死」を予言していたとされる。それが法的にどうのこうのは言いませんが、皆がネットという加速装置を手に入れてしまった社会でこの流れのスピードはもう誰にも止められない。(USではまたしてもネット監視法案を出すようだが、ネットの激流にもまれて藻屑となると予想されている)

 だから、押井さんや宮崎に(無言も含めて)何かを言うなら、次のどっちかじゃないかな。

1.自分の属する集団が文化を形成するにあたって当然のように受け継いだ先行の集団の文化については何も触れず、自分の属していない(若い)集団の立派な文化を否定する、あなたは一体何様、馬鹿野郎様?
 自分が属していない(若い)集団の文化を詳しく知らないでいられるのは、クリエーターとして知的怠慢ではないの? 

2.ま、どうせ先に死ぬじじいだし、とせせら笑って何も言わない(という若者の「最大の特権」を行使する)。

(懺悔の部屋)

 さて、上の話で「暴力ですよね」と言っている私は、「世界の中心で叫ぶ馬鹿野郎様」という記事で、ジョージ・ルーカスがBD版のStar Warsを出すにあたり、ダース・ベーダーが瀕死のルークを見て「ノーッ!」と叫ぶセリフを付け足したことに激怒しているファンを馬鹿野郎様と呼んでおりました。
 ま、私も馬鹿野郎様であった。懺悔しとこう。
 実はしばらく前に筒井先生がご自分の読書歴に関して書かれた本を読んだ。井伏鱒二の「山椒魚」。あの驚愕のエンディング(って筒井先生と私は共有しているほう)を、全集に載せる際に作者本人が変えちゃったことに、脱力し、立腹していた。
 ここまでの作品になってしまうと、読者の共有財産なんだから、もう作者の自由なんてないんじゃないのか。そんなことを書かれていた。
 まあ、そんときですら自己弁護するため悪あがきして色々考えていたのですが、分が悪すぎる。とりあえず白旗揚げよう。どーもすいませんでしたっ!(ちっ)。

 

2011年11月24日 (木)

ファンボーイ心理学

 まだあんのかい!

 あるよ。まだネタはいくらでもある。なんだかしらないけどゴールドラッシュだ。

 http://games.ign.com/articles/121/1212865p1.html

 先に触れた話です。メタクリティックのCoDMW3のユーザー・レヴューのスコアがなんとDA2より低いこと。PC版、あいかわらず20点ですね。DA2(PC版)は42点。
 ちなみにBF3(PC版)は75点とまあ順当? DA2のライバルSkyrim(PC版)は85点ね。またレイドロウ氏涙目だ。

 CoDMW3の騒ぎについてIGN/AUが何を書いているか読んでみましょう。

 あ、ちなみに私見を述べれば、読者レヴューにはもちろん誰が何書いてもいいけど、もうそういう点数つけるのいい加減やめない?です。な、4Gamer。

 つかこれさ、Activisionが訴えたらどうなの? EA/BioWareみたいに涙目になってるだけじゃなくってさ。点数いらねえよ。プロのレヴューだけで十分。

 まずメタクリティックの「プロのレヴュアーの」スコアには、ヴィデオ・ゲームのリテール部門が注目して実際に在庫を増減するくらい大きな影響力があるよ、というところは省略。

 オーストラリアのUniversity of Adelaide、School of Psychologyの心理学博士のアドヴァイスをもらいました。
 ひととおり読んだ彼は「やたら零点が多いね!」

「これまでのシリーズを含めてイノヴェーションや新コンテンツが欠如していることが最大の不満らしい。ゲームトータルが零点とは言っていないが、こうした方向性を毛嫌いしてるんだろう。私もゲーマーだが、理由はわかる。とりわけ豪州ではそうだが、お金を出して買ったのならその価値は手に入れたいと思う。少なくともプレイヤーの中のごくごくマイノリティーは、そうした価値を見出していないと感じているのだと思う」

 ユーザーは10点から零点の間、なにかの文脈に沿って採点するなんのプレッシャーもない。公平性、バランス、信頼性などは、ちょっとした欠陥をひとつでもみつければ吹き飛んでしまう。零点だ! そこには何の大局観も分析もない。MW3がゼロならスーパーマン64はどう? それ以下? どのくらい? これは客観的評価じゃない。これはプロテストだ。

「多くはただの暴言(rants)だよね」と心理学博士。尺度もなにもなく、好き嫌い、会社がキライ。ゲームプレイの感情的体験という意味ではでっち上げられた(framed)ものだ。
 感情的にでっち上げられたレヴューは一般に両極端に割れる。感情を数字では表現できないからだ。怒ったか、興奮したか、そうでないかのどっちかしかない。メタクリティックにも優れたレヴューはあるけど、異議申し立ての罵声に埋もれている。客観的批評を誰もが求めているわけでもないだろう。そのゲームに感情的にアタッチされた人は感情的なものに惹き付けられる。

 博士がゲーマーを実験対象にして行なった研究では主要なテーマではないが、面白い結果を得ている。プレイでちょっとつまづいたところ、理不尽に難しいと感じたボスがあれば終了後に一言で「クソゲー」であるという評価を下す。
 ところがシステマチィックな評価が可能なサーヴェイを頼むと考え込み、funは7、frustratingは9などとつける。総合点は「クソゲー」なんかにならない。メタクリティックはそういう評価制度を導入することもできるが、その評価尺度は投票なんかじゃ決まらないし、コミュニティから愉しみを奪うことになるかもしれない。

 メタクリティックはこうしたレヴュー爆弾を阻止するため2010年から評価者にはアカウントを持つことを義務づけたが、もちろんまだまだ悪用は可能だ。トローリングが重要な問題であることはそうだが、もっと本質的な問題がある。

 (疲れたのでここまで。残りは次回)

【DA2】メイジ・テンプラー抗争解釈(改訂版)

 前記事で書いたとおり、DA2のメイジ・テンプラー抗争の解釈。誤っておりました。

 ここに修正いたします。

 元記事はここだ。The Witcher 2の記事だから、関係ないところが多い。次に再掲する。

 そして、解釈間違いとか修正とか、その他は赤字で記す。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/the-witcher-2-1.html

 DA2の物語は、デザイン側が確信犯的にそうしているように、リアル地球の中世ヨーロッパを世界のモデルにしながら、実は当時ではなくて近代、あるいは今まさに世の中でおきている現代社会の物語を描こうとしている。しかも巨視的に。
(でも、狂人とは悪魔が取り憑いたものである(悪魔が取り憑いたからこそ狂ったのである)、という中世ヨーロッパの発想がその根底に暗黙裡に用いられていることをすっかり私が見逃していた)

 DA2のもっとも重要な物語は、メイジ・テンプラー抗争である。差別、抑圧、叛逆の物語。
 テーマは「自由」。最近色々手垢がついてしまったのであまり使いたくないが、言い換えると「正義」の物語だ。しょうがないな、ジャスティスが登場するわけだから。
 (テーマは「自由」。もうひとつはその裏返しである「権力」、「統治」)

 くどくなるが、前にも書いた私なりの解説を書く。推定無罪という発想がなぜあるか。個人に対して体制があまりにも強力だからである。どんな凶悪卑劣な個人(その集団)であっても悪行のレベル・範囲・悲惨さはたかが知れている。一方で歴史を紐解けばすぐわかるが、国家や体制の行なった殺人はとても信じられないレベルであり、範囲も悲惨さも常軌を逸したものが多い。

 だから、どんな凶悪犯の容疑者であろうが、国家権力がその犯罪を完璧に証明できなければ無罪であるという原則を(少なくとも自由社会を標榜する国々は)持ち込んだし、頑なに遵守しようとする。その結果、(個人である、あるいはある集団の一員である)大量殺人犯がまんまと逃げ延びてまた同じことを繰り返しても「仕方がない」と考える。国家権力への歯止めのほうがはるかに重大であり、それが破綻した場合のほうが比較にならないほど陰惨な結末を迎えるという発想だ。

 なぜDA2の世界でその原則が守られないか。なぜメイジには自由が与えられないのか。蒙昧な中世社会だから? であればどうしてメイジだけが抑圧される? じゃあ迷信深いから? 魔法は恐ろしいものだから? そこが変だというならそうだが、DA2の物語の住人たちは実はたいして迷信深くない。とても現代的な発想をしてしまうという私の勝手な発想が見事に混入していました) だが「魔法は恐ろしいもの」という部分は正しい。迷信ではなく、この世界では紛れもない真実である。
 
 「個々人の力はとるに足らないものである」という前提が、メイジの場合に限って崩れているから、というのが答えだ。頭のおかしなメイジひとりいれば、街ひとつぐらい跡形もなく吹き飛ばせるのだ。それを「管理」(コントロール)しないでどうするのだ、という発想から始まる。

 DA2の世界観ではそういうことだ。グランド・クレリック・エルシナは陋習にとらわれた愚昧で旧守的な宗教権力者だろうか、(気が触れる前の)ナイト・コマンダー・メレディスは問答無用で横暴な圧政者であろうか、という問いに答えるのは簡単ではない。(確かに簡単ではないが、以下に述べるように全然違う意味でそうだ)

 そしてそれだけじゃない。 
 「でも、私は(私の娘は)メイジであっても気が触れてはいないんです!」という叫びこそ、この話が安直に割り切れない、簡単には終われない味噌の部分だ。「お前がおいらを嫌うのはどうぞご自由に。だが、おいらのせいで黒人全部をキライにならないでくれ」というのは、有名なファンク・ミュージシャンの言葉である。このような一般化が行なわれると、これはいわれなき差別と見分けがつかなくなる。

 ここですね。そうではない。つまりDA2の世界のメイジ以外の住民たちは、「フェイドと交流できるメイジは、必ず気が触れる(=悪魔に取り憑かれる)」という発想を自然に抱いていたのです。例外はないんです。私はこれを間違えていた。

 だからチャントリー・テンプラー(あるいはクナリ)がやっているメイジ隔離(束縛)は現代人の発想にかぶれた私が考える「いわれなき差別」などではなく、DA2世界では例えば伝染病を発症した患者のごとく「真っ当に隔離しなければならない」という話になるんですね。「メイジの誰かが惨事を引き起こすかもしれない」ではなく、「そのメイジも、どのメイジも必ず惨事を引き起こす」という発想です。作中人物でいえば、フェンリス的発想と言っていいかもしれない。クナリも全員そう思っている。危ないかもしれない、ではなく、現に危ないんです。

 そうなると見方は大きく変わります。
 DA2の世界の事実として、必ずしも全てのメイジが気が触れる(=悪魔に取り憑かれる)わけではない、という前提をおきましょう。フェイドにはスピリッツもいる。

 住民たちは事実と違うことを信じているわけですから、大変迷信深いことになります。あるいはなんらかの洗脳が非常にうまくいっていることになります。

 そして実はグランド・クレリック・エルシナ、コマンダー・メレディス、キャプテン・カレンなどのほうが、ハロウィングの儀式を通じて、メイジは必ずしも全員が悪魔の誘惑に負けるわけではないと知っているがゆえに、一般人よりメイジのことをはるかに理解していることになる。つまり、「一般人とテンプラーの認識は一緒」と考えていた私は間違い。
 チャントリーがサー・アルリックの「純化政策」、メイジ皆殺し計画を阻止したのも「必ずしも全員が取り憑かれるわけではない」という理解があったからでしょう。
 (もうひとつ、もっと恐ろしい理由は後述)

 
ではなぜ、チャントリー・テンプラーはそういった事実と違う誤解(迷信)を大衆の発想から払拭しようと努力しないのか。なぜハロウィングを通過した(悪魔の誘惑に勝った)メイジには与えられるべき自由を与えないのか。

 とても根深い、本質的な、権力と差別の構図が隠されている。

 メイジは生かさず殺さず。なぜならメイジが必ずしも危険ではない事実が大衆に暴露され、解放されれば(または裏返しでサー・エルリックの皆殺し計画が実現してメイジが世界から存在しなくなれば)、チャントリーの支配が揺るぎ始めるから。

「いま、狂人(メイジ)は都市における個人の位置づけにかかわる『統治』の問題として前景化する。かつて狂人(メイジ)は別世界から到来するものとして歓待された。いま、狂人はこの世界に属する貧民、窮民、浮浪者の中に参入されるがゆえに排除される」

 フーコーが言うように、「別世界からの来訪者」(「まれびと」ですね)である限りは歓迎されていた(これがDA2世界に現存しているモデルとしてデーリッシュ・エルフ社会があります。指導者であるキーパーはメイジでなければならない)のに、「この世界の市民」にカウントされると同時に共同体から排除された。

 「なんだかわからない存在」だから隔離されたのではない。「なんであるかはっきりわかった
」、理解されたから、区別され、隔離され、排除された。

 これはDA2の世界では、はじめての世界宗教が生まれた頃、チャントリー創設によってはじまった。

 この見方であれば、チャントリーは愚昧で旧守的なのではなく、狡猾で邪悪な存在となる。  

 いわれなき差別を受けていると考える(これはいいですね、メイジ仲間にはハロウイングの儀式を通過した者はいるわけだから、彼らはメイジが100%気が触れるわけではないと知っている)ほうは、(法制度、すなわち体制が役に立たないわけだから)その状況を打破するためには(つまり正義を実現するためには)、結局暴力に訴えざるを得ない。そうして環が一周してしまう。元の「メイジはいつか必ず気が触れるいつ気が触れるかわからない危ない存在だから、全部管理すべきだ」というこの世界の通念としては正しい本来正しいかどうか疑わしい物語を、アンダースやオシノなどメイジたち自身が暴力を行使することによって実現してしまい、さらに補強してしまう。あるいは過去、虐げられたメイジがずっとそういうことを繰り返してきたからこそ、この社会通念が完成を遂げたのかもしれない。
 「反社会的である」とレッテルを貼られたメイジは、自ら「反社会的」な行動を起す。


 こうした物語は、最近の「正義」ばやりなどよりもずっと前から、現代人なら誰でも思いをめぐらしていた部分ではないだろうか。最近流行している、そういう分野への興味が増しているなら、社会の悩みが増大しているのかもしれない。DA2の物語がインスパイアされたと思われる9/11のことには敢えて触れない。構図は確かに似ているが違うところもあるだろう。
 (現代人の発想にたって物事を見てはいけない、という反省文でした。失礼しました)

 追加:この見方は、フェラルデンやカンバーランドではサークル・タワーの管理がゆるゆるなこと(カンバーランドではメイジ自治まで実現している)や、テヴィンターでは実際サークルがチャントリーに対して優位に立っている事実などの理由も説明できるかもしれない。つまり大衆とチャントリー・テンプラーのメイジに対する理解(むしろ無理解か)がどのくらい乖離しているかの度合いでも違うわけです。なんと大衆がメイジに無理解なほど、メイジへの束縛は緩い(メイジにとって自由が多い)。恐ろしい話です。

 追追加:「無理解」はわかりにくいかな。DA2にはカークウォールに移住した女性店主がいましたよね。最初はアンダースの所在を隠してかくまっていた。「彼は確かにメイジだけど、治療院を開いて皆を助けているいい人だよ」。「いい人だよ」のみ注目して「メイジ」であることはどうでもいいわけですよね。こういうのを私は「無理解」と言っているつもり。

今更構造主義ですか?

 「このラノベすご」と一緒に購入した書籍がいくつかある。

 ミステリー。ディクスン・カーの「火刑法廷」(The Burning Court、1937)が新訳になっちゃった。旧訳ではもちろん読んでいたが、あっちは1976年だったのか・・・。

 なぜ新訳が必要になったんだろう。一つの理由は原著の注釈が訳出されてなかったからか。
 まさかまさかのカー・ブーム再来? いや、一般に新訳ブームのようだ・・・。残念。

 これも読後に?!になる、「ローズマリーの赤ちゃん」ネタ。ネタバレはしません。オカルト・怪奇事象(対)推理小説(名探偵)の戦いの図式は「リング」もそうだね。

 それから以前入手してどこかにあったはずだが見つからなかった梅原猛氏の「梅原猛の『歎異抄』入門」。これを再読したいと思ったのはなんでだろう・・・。まあ読めば思い出すかな。

 この記事のテーマは内田樹(たつる)氏の「寝ながら学べる構造主義」(文春新書)。

 このブログでは別に構造主義自体のことは(ほとんど)書きません。

 今更感爆発の構造主義ですが、(私を含め)人が偉そうにそういうときはなーんも理解していない場合が多い。あるいは「サイファイは死んだ」と一緒で、もうそういう発想が暗黙裡に根づいちまったんだよ!ということなのかもしれない。  

 9年前に出版されていたらしい。なぜ目立つところに置いてあったかというと、そういうフェアの一環だかららしい。

 定年退職してようやく暇ができた、知に目覚めた人たちを相手に一回コッキリ講義した内容をまとめて加筆して本にしてあるそうだ。
 私が買ったのは次のような面白い「まえがき」を「立ち読み」したから。

 「よい入門書」は「私たちが知らないこと」から出発して、「専門家が言いそうもないこと」を拾い集めながら進む。

 「ろくでもない入門書」は「素人が誰でも知っていること」から出発して、「専門家なら誰でも言いそうなこと」を平たくリライトして終わり。

 私がそれなりに何か言えるマネジメント系、経営学系の場合は(特に日本人のは)概ね下。だからアドバイスを聞かれれば「読むな、買うな、時間の無駄」ということにしている。
 何度も登場しているミンツバーグ教授の「戦略サファリ」などは上。私の専門外だと、(つまり「専門家が言いそうもないこと」の部分に確信がもてないので、おそらくと言うしかないけど)おそらく上述の「梅原猛の『歎異抄』入門」。それから最近読んだ中では「科学哲学の冒険」(戸田山和久著)。

 「よい入門書」は「私たちは何を知らないのか」を問う。「私たちはなぜそのことを知らないままで今日まで済ませてこられたのか」。

 著者もいうようにラディカルな問いかけですね。そして著者の文章をお読みになったことがある方は、しょっちゅうラディカルなことを言う方であることもご存知でしょう。
 実はこのブログでも過去こっそり引用しているのですがお名前は出さなかった。

「批評性というのは、ぎりぎりそぎ落とせば、『定型性に対する倦厭』のこと」という部分であった。

 「私たちは何を知らないのか」という問いは、適切に究明されるならば、「私たちが必死になってそこから目を逸らそうとしているもの」を指示してくれる。

 つまり私は、『ラノベ』に『「ラノベ」とは単に普通の小説に「ラノベ」という「レッテル」を貼った編集・出版サイドのセコイ戦略であろう』という『レッテル』を貼ることで、自分の関心の外に必死に押し出そうとしていたのです。あなおそろしや。手遅れになる前に気がついてよかったぜ!

 何が手遅れかって? 何か面白い物事が、しかも自分の興味の対象である領域の周辺あるいはその中で起きているのに、それを知らない不幸以上に不幸なことありますか? (ああ、まず衣食住足りた上でね)

 でもこの「知らない不幸以上の不幸はない」もすさまじく難解なテーマなんでしょうけど。

 拾い読みするだけでも面白いのです。

 「肩が凝るのは日本人だけ!?」では、「もし語というものがあらかじめ与えられた概念を表象するものであるならば、ある国語に存在する単語は、別の国語のうちにそれをまったく意味を同じくする対応物を見出すはずである。しかし現実はそうではない」というお話で、だから元が誤訳でもなんでもない、旧仮名遣いでもない、十分間に合ってるはずなのに「新訳」が成立する理由にもなるし、故浅倉久志さんではないが同じ翻訳家が自分の翻訳に改訳を繰り返すわけだし、外国語が難しいって悩んでいる人ってこういう語が一対一対応してるという発想の人が多そう。だってもしそういうのが成り立つなら、例えば英語と日本語がそうなら冗長なわけだからどちらか廃れるよね。

 「私たちは『他人の言葉』を語っている」、では、「私の持論」のほとんとが「他人の持論」であることを説明する。そうだよな、このブログも90%以上、下手すると95%以上そうかも。「英語はゲームで覚えるもの」はあまり言っている人はいないが、これだって洋楽の小林克也氏とか、映画評論家とか、スポーツ解説者とか、他のジャンルの方を見ながら「きっとそうだよな」と思っていただけだもの。
 
 他人の言葉を聞いて、しかも納得させられて覚えているわけだから安心して人に伝えられるし、その文章はきちんと完結しており、抑揚・緩急までもちゃんとしている。
 タクシーの運転手たちが社会問題についてキッパリと持論を述べるのも始終ラジオを聴いているからかもしれないと。なるほど。私もよく車内雑談に付き合わされるほうですが、最近では「核燃料発電なんてもういらないっすよ!」とかね。「でもこの冬はやばいんじゃないの?」とか茶茶いれると、そこはラジオでも言っていなかったのか、相手はむっとしてしまうとかね。

「その反対に純正オリジナル、出来立てほやほやの無垢の『私の意見』は、たいていの場合同じ話がぐるぐる循環し、前後は矛盾し、主語が途中から変わるような、『話している本人も自分が何を言っているのかよくわかっていない』ような困った文章になる」

 Vanityの自己弁護出た。つい先日自分のブログにそんなこと書いたかも。そうなんです。文章をお書きになることがある人はおわかりだろうけど、大変辛い産みの苦しみなんです。 だから(一般化すると)話がスッキリしてねえなあ、こいつバカじゃねえの、と思えるときこそ、その人は自分の言葉で必死に何か言おうとしているときなのだ。もちろん特殊ケースとして「本当にバカ」というのはある。

 それに比べたら散文やゲームのセリフの翻訳なんて全然楽です。でも詩文、あるいはオカルトの大家(世紀の犯罪者)クロウリーの「法の書」みたいのものの翻訳は大変そうだけど。

 それから(もうちょとだけ構造主義に入っちゃっていい?ってすでに入ってるけど)、蒸気機関車はああいう(車輪を使う)形である必要はなかったが「たまたま」選ばれてそうなった、という発想は、サイファイ・リテラシーのある人なら(私を含め)セーフですよね。著者がいうように映画Wild Wild Westのような馬型の機関車だっていいわけだから。そうなれば必要なインフラは「線路」ではなかったかもしれなかった。「駅」だってどうだったか。

 ところがその次で私がエラーしやがっていたことを指摘されてしまった。

 「狂人は共同体の成員として認知されており、固有の社会的役割を担っていた」
 ご承知のかたはフーコーね、とお気づきでしょう。そう、『狂気の歴史』。
 サイファイ好きとしてもこの発想は知らなければいけないし、エラーしたのはここじゃない。
 日本もそうだったという人もいる。例えば「ひょっとこ」がそうだった説。これ以上は(誤解を招きかねないと言う意味で)ヤバイ話になるからやめるが。それとも世の中も「もののけ姫」がOKになってきているから地ならしはできてるのかな・・・。
 
 「というのも、狂人は中世ヨーロッパにおいては悪魔という超自然的な力に『取り憑かれた人』と見なされていたから。狂人は『罪に堕ちる』ことの具体的な態様であり、共同体内部ではいわば信仰を持つことの重大性の『生きた教訓』としての教化的要素を果たしていた」

 ところが近代のはじまりとともに、中世ヨーロッパでは狂気と正気を「科学的な用語」を用いて厳密に分離可能であると考え始め、人間主義的視点が拡がるにつれて標準的ではない人間は社会から組織的に排除されることになっていく。フーコーのいう「大監禁時代」ですね。

(先日国王夫妻が来日していたブータンは国民総幸福量?で一番だそうだが、実は厳格なチベット仏教思想を守る国民性なので、障害者は「前世で残酷な悪いことをしたから」そうなったという発想で社会から相手にされないのだという。誰にとっての幸せかという、またきついテーマきたので一旦逃げとこう)

 やってしまった。この発想、Dragon Age 2のメイジ・テンプラー抗争の解釈からずっぽり抜け落ちていた。
 そらそうだ。ゲイダーさんも他の人も西洋人だ。こうした発想(前提)はあまりに普通過ぎて敢えて触れない。ところが日本人の私にはそれがさっぱりないので抜けてしまう。

 ここでDA2に脱線すると話がわやだから、次の記事で修正版を書こう。

 なにが恐ろしいって、あたしゃフーコー関係なんて、昔結構読んでんだよ。つまり何読んでいたかわからなかった、さっぱりだったわけだ。愕然とした。
 そういう意味ではこの本も入門書として優れているということかしら。

 そしてもっとメチャメチャにしようと思ったら、なんとこれは「火刑法廷」のベースに流れるテーマだったりする、とか言って書けばいいのだ。だって「火刑」、火焙り、魔女、アンドラステだもん。
 今書いてびっくりした。ランダム(でたらめ)に買ったはずの本なのに。無意識って怖いね。

 ネタはまだまだありますが、長くなるのでこれはその次の記事に譲ろう。
 
 時間があればだけど(泣)。

 ところで「鬱病」なるレッテルを貼ることは上のこととどのような関係があるのか。「昔は鬱病なんて言って会社来ないやつなんていなかったよな」とおっさんが良く口にしますね。
 練習問題ね。
 あたしゃ面倒なんで答えは書きませんけど。

 

ネタ地獄(別の意味で)

 ネタがありすぎて、時間がない。

 祝日、所用があって東北新幹線にのりました。
 おっさんの習性として、暇ができるとどうしてもリアル書店に寄ってしまう。

 そういえばその前日、最近Amazion.com(US)で英語版メディアを購入するのがブームという人と話をして、「もうネット以外の媒体は意味を失うんでしょうかね」と聞かれた。
 専門家でもないけど思いついたのは、Pull系(ひっぱるほう)には強いけど、Push系(おすほう)はどうか、というマーケティングの陳腐な議論。

(ここの読者の方はご存知かもしれませんが、私はマーケティングの重要性はもちろん認めるが、巷の古式ゆかしい「主流」アプローチについてはかなーり懐疑的。まずマーケティングが経営学の一分野として本当に成立してるかどうかも(経営学が学問かどうかと同様)疑ってますけど、ここは話を簡単にするために割り切る。ちなみに私が真剣にアカデミックに勉強したことがある「学問」は経営学だけです。)

 音楽CDは終わってるらしいが、DVD/BDのゲンブツはヴィデオ・ゲームのパッケージ販売と同様、結構きついかもしれません。「品質」が変わらないなら「ゲンブツ」を所有する効用、例えば私がまだ抱いている幻想、はただのフェティシズムでしかないかもしれない。なんとか48のCDが爆発的に売れるのも、あれも意味は違うそうだ。(といっても昔はCD/塩ビ版のミリオン・セールスなんて連発していたはずだが、いまはジャニーズとなんとか48くらい?)

 DVD/BDもリテールはすでにきつい。ネットワーク環境という外的要因に左右されますから、USやその他一部の国のように、まだまだゲンブツを選ぶしかない住民がいるうちは残りますが、日本、あるいは半島国のように、狭いせいもあって十分に環境整備できちゃった国ではかなりきつい。
 ところが(映画・ゲームはまだマネジャブルだとしても)、把握不能なほど膨大な楽曲数を取捨選択すること自体が不可能になっているので、Push系機能としてなんらかの措置は残りそう。

 メディアではラジオ(の機能)が生き残る可能性があるかもしれない。災害時広報用としてだけじゃなく、Push系としても。一方テレビは技術的にあまりに重すぎる(つまり色々な意味でお守りがいる、ネットやラジオに比べてロバスト(堅牢)ではない)のでどうかな。
 もちろんそれらもネットで代替可能だともいえます。ラジオじゃなくて動画生放送が主流になるかもしれないしね。

 私にとって読みたくもないサッカーの記事や、小市民的生活の知恵に紙面を大きく割いているパッケージとしての新聞はいつか終わる。同じように読みたくもないエッセイまでパッケージングされている週刊誌も、ある世代が退場するとそれと一緒に終わる可能性がある。でもPush系の役割はどこかが代替しないといけないんじゃないかな。
 
 そして書店。例えばUSではリテールは壊滅した。元々あまり書籍を読む国民でもないし、すでに寡占状態であったところにAmazonショックがきちゃった。そのブームで書店など立ち寄ったことがない人たちまでネットで買い始める。日本と違って再販価格制度も元からないのでリテールは即死した。
 結構書籍を読む国民であった太平洋のこちら側。通勤電車で新聞・雑誌はもとより、書籍を読んでいる人などもう数えるほどだ。何をしてるか? ご承知のとおり。そして縮小しつつある書籍マーケットに占める通販、電子図書、(そして静画?)の割合がどんどん高くなっていくのもきっと間違いがない。

 ではAmazon(通販)で何もかも間に合うのか、というとPush系が恐ろしくへぼい。膨大な出版物の全貌は把握不能になっているのに。
 リテール書店の「効用」はひとつはPush系マーケが成り立つ。今週の売れ筋の棚、賢いカリスマ店員の並べ方の違い、popの活用で大きく違う。
 もうひとつはだいたいの書籍が「立ち読み」できること。ここがCDとは大きく違う。
 リテールCDショップで試視できるじゃないか? あれはPush系ですね。全部のCDを試聴できるわけじゃないし、そんなだったらネットが完全に優位。

 Amazonでも「立ち読み」できるぞ? 適当にあっち側が選んだページだけね。リテールなら好きなところを眺めることができます。日本人の大好きな「あとがき」や「解説」だけ読む人もOK。Amazonにカリスマ書店員が配置され、「立ち読み機能」がそこまで追従してきたらどうなるかわからないけどね。

 Amazonは「検索性」と「即時性」でリテールより優ってますよね。同一作者の過去の著作履歴と、そのアヴェイラビリティが一瞬でわかる。そして即座に注文できる。
 それから日本中の「古本屋」ネットワークが抜群の威力を発揮するという効用もある。
 もちろんみんなの大好きな「転売屋」が跋扈するという負の効用もある。ま、世の中いつもそんなもんだよ。

 Amazonのお奨めというのは、「これならこれと似ています」ですが、こちとらそんな情報は当然「知っとるわい!」となりやすい。「外目似ていないけど、実は関係あるのよ、あなたならこっちじゃなくて?」を(なんと棚の配置で)奨めるのがカリスマ店員。これはAIに置き換え可能ならコンピューターでできちゃうようになるかもしれない。でも難しそう・・・。今度AIの専門家に聞いてみる。

 余談がいつもどおり長いが、私の知らないもの、いいものをゲットできる可能性がネットよりは高いかもしれないという期待を込めてリテールの書店内をそうやってふらふら歩いているわけですね。

 見つけましたよ。皆様には「常識」であっても、私には「不常識」なのだ(私は非常識ではない)。

 「このライトノベルがすごい!2012」(宝島社)。
 いい年こいたおっさんが、書店でパンチラ満載(・・・意外とそうでもなかった、くっ)の本立ち読みして恥ずかしくないのか?
 おっさんはもうなーんも気にしません。

 「立ち読み」しました。買いました。へそ出してるネーちゃんの表紙でも堂々と。

 購入の理由は、第一位がMMORPGファン絶賛!という作品であること。「ソードアート・オンライン」?
 もちろん投票数が少ないので、磐石の結果ではないだろうが、読者によればMMORPGファンの心をくすぐるのだそうだ。ありえへん。成立せんだろう。こいつ(作品のほう)は是が非でも読まないと。
(以前奨められた宿題のFate/Stay nightは、映画版を半分だけ観た。TVシリーズはPSNで全話見れるのだが時間がない。観終わって感想書きます。忘れてないからね)
 
 もうひとつの理由。

 書中にある評論家連中(本書では目利きと読んでいる)のいくつか選んだお勧めの選抜が無残にバラバラである。「権威」サイドの合意が一切形成されていない。
 こいつは完璧なカオスだ。カオスだからきっと何か面白いことが起きているはずだ。いやそもそもカオスである理由を知りたい。

 「すごい!」シリーズはミステリーはともかくSFは全くあてにする気もなかった。なぜならSFの場合、高邁な評論家連中が「初心者はこう読め!」という偉そうな言説を吐いているだろうに決まっているからだ。「山はここからこう登れ、なぜなら俺がそう登るからだ」。
 そういうお前らがサイファイを殺した。しかもよく見たら仕事ないのか上のラノベの評論家までやってる人が・・・。

 「初心者への入門書」というのが成り立つのは体系だった「学問」の世界ですよ。娯楽・趣味の世界ではルール(将棋・囲碁)、基本的技術(ゴルフ・釣り)、お作法(スキューバ・登山)、しきたり(茶道・俳句)などを教えるのはあるでしょう。総じて「規範系」と呼べるものですよね。ドレスコードみたいなもんだ。そういえば今や完璧にすたれたといわれる「男性ファッション系」の「入門書」もあった。女子は雑誌が担ってるのかな? まわりから騒がれるから入門書もいらないか。
 でもその後は個々人でいかなきゃ。体で(頭で)覚えなきゃ。MMORPGやマルチプレイFPSなら百ぺん死んで覚えなきゃ。
 「そう読まないお前らウンコ」という言説がサイファイを殺したんです。自分たちが偉そうにしたいから敷居をあげたんです。容易に追いつかれないように。
 
 ラノベは、そういう汗臭い、口角泡吹いてる、唾飛ばしてるおとなの「うーん」なところが皆イヤだから生まれたと思う。
 私は、ラノベなるレッテルを貼ると売れるからそうしているだけで、普通に小説だと思っていた。「一般」となんら境界などないはずだと思っていると書いた。むしろ小説家・画家の活躍の場が提供されるなら好ましいことじゃねえの、くらいにしか思っていなかった。
 
 でも私はリストを見て目がくらくらした。パンチラのせいじゃねえよ! 「シャナ」とか「とある」とかもちろんおっさんですら知っているものがあるが、あまりに知識が少ない。広大なカオスの海が・・・。

 ネタ一個見っけ、と思ったのが正しい。さあまた宿題が増えた。いつやるんだ。

 ちなみに固い(ライトじゃなくヘヴィーな?)本も何冊か買いました。ほんとはそっちのほうが膨らむネタなんですけど、それは次回かな。
  

 

 

 

 

 

 

 

2011年11月23日 (水)

あれ、Diablo III発売日決まったの?

 Amazon.comで、コレクターズ・エディッション(99.99 USD)のレコメンきてたので、脊髄でクリックしようとして、「あれ、発売日決まったっけ?」 

 GameSpotではまだTBA(To Be Announced)。未定。IGNでは2012/1Q。

 ふっ。これも日本語ローカライズ間違いなしだろうから、Steamからはぶられるんでしょ?

 This item is also available for shipping to select countries outside the U.S.  

 まあ、日本はその中に入っているからいいでしょう。アジアは北朝と大陸国以外って書けよ。

 マルチプレイをガリガリやるわけでもないので、お得アイテムもいらない。様子見ですね。

 

 それと、まさかのDiablo IIIコンソール化計画。

http://xbox360.ign.com/articles/121/1213046p1.html

 

 公式には発表していないが、「コンソール版開発者の採用」が成功するにあたっての最大のネックなので、わざわざ漏らしているようだ。

 ディレクターJay Wilson氏によれば、実現する場合でも、PC版の「移植」(port、graft)はしない。コンソール版を「製作」する。 

 Steamの百貫デブが12月8日まで触らせてくれやがりませんので自分ではわからないですが、SkyrimのPC版操作性でちびりそうなくらいお怒りになってる外人ゲーマーが多く、トッド(ハワード)もなんらかの対策を約束しているそうだ。 まだBethesdaが会社つぶれそうな頃の起死回生の成功体験、TES: Morrowind。その当時のコンソール優先開発方針が染み付いちゃってるんだね。
 BioWareもあんまし人のことは言えないみたいだ。

 さすが原子力空母艦隊Blizzard。金持ちケンカせず。性急に出すつもりもなく、じっくり作りこむつもりですね。Blizzardだけは自社製品のリリースはいつまでもTBAでいいし。

 ほかとは違う遥か上の高みから、「移植はダメ、プラットフォームごとに造る」と、ごくごく普通のことをのたまっております。

 "We don't want to port it. We want to build it for console. There's a key difference. Certainly, a lot of things get brought over, but a port is trying to take a PC game and graft it onto a console.

"Our goal is to make a game that feels like it's natively made made for a console. If we make it, we want it to feel like a Blizzard game and that we built it for that platform from the ground up."

"We are still in active exploring mode. We haven't officially announced a product. We like our product announcements to be a big deal. We haven't been as secretive about this one because our biggest barrier is actually getting a console team."

2011年11月22日 (火)

「零式」のキャラは類型化できるのか。

 「零式」のキャラクター。RPGステロタイプ(あるいは青春群像ドラマのステロタイプ)の総決算として、ちょっと分析すると面白いかもと思いついていた。

 青春群像ドラマというのは、教室での座席(自由みたい)が「さもありなん」だから。
 プレイしてない人はわからないから置いてきぼりします。

 ゲームはまだ二周目中盤。全部のムーヴィーを見ていないが、なんとか総括の原案が書けるくらいになったかな。

 軸に何を使うかで出来栄えが決まっちゃうんで、悩みます。
 まず悩まなくて良いのが性別、武器。

 ひとつはDnD的RPG類型、アトリヴュートでいく方法がある。
 STR(腕力)、DEX(敏捷力)、CON(耐久力)、WIS(知恵)、INT(知識)、ときて、CHA(カリスマ)どうすっぺ、と思ってしまった。全員イケメン、美形だから外見的には100点。それ以外の意味のカリスマってのもクラス・ゼロなんだから全員あるんだろうな。まず外して考えてみるか。

 なお、ゲーム内のアトリビュート・スタッツとは関係なく、イメージで選んでいます。

 それから人間(仲間、愛)・仕事(任務、業績)という軸もありそう。これもわりと陳腐な二元論セオリー。つまりチームワークにあたって仲間、人間関係のほうを大切にするか、ゲッタ・ジョブ・ダン、仕事の完遂を第一に考えるか。

 秩序と混沌もあるね。チームの一体化を優先するか、「おれが(あたしが)好きなようにやるさ」を先に考えるか。

 簡単には割り切れなさそうなのもあるし、とってもざっくりなんで、異論反論ありそうです。クラス・ゼロ以外の脇役は思いついたら書いてみる。

 エース   男、カード、DEX、INT、人間、秩序 
 デュース  女、フルート、DEX、WIS、人間、秩序
 トレイ    男、ボウ、DEX、INT、任務、秩序
 ケイト   女、マジックガン、DEX、WIS、任務、混沌
 シンク   女、メイス、STR、CON、任務、混沌
 サイス   女、サイズ、STR、DEX、任務、混沌
 セブン   女、ウィップ、STR、WIS、人間、秩序
 エイト   男、アンアームド、STR、CON、任務、秩序
 ナイン   男、スピア、STR、CON、任務、混沌 
 ジャック  男、カタナ、STR、CON、人間、混沌
 クイーン  女、ソード、DEX、INT、任務、秩序
 キング   男、ガン、DEX、CON、人間、混沌

 男6、女6、これは決まっている。
 STR6 DEX7、CON5、WIS3、INT3、ちょっと方針違ったかな・・・。やりなおす。
 人間5、任務7、うーん考え直す。
 秩序6、混沌6、これはいい。

 アトリビュートは5つから主要二つを選ぶのではなく、STR/DEXとWIS/INTの対比でやってみよう。腕力なのか敏捷力なのか。知恵(感性、右脳)なのか知識(理性、左脳)なのか。

 エース  男、DEX、INT、 人間、秩序 
 デュース 女、DEX、WIS、人間、秩序
 トレイ   男、DEX、INT、任務、秩序
 ケイト   女、DEX、INT、任務、混沌
 シンク   女、STR、WIS、人間、混沌
 サイス   女、STR、INT、任務、混沌
 セブン   女、STR、WIS、人間、秩序
 エイト   男、STR、INT、任務、秩序
 ナイン   男、STR、WIS、任務、混沌 
 ジャック  男、STR、WIS、人間、混沌
 クイーン 女、DEX、INT、任務、秩序
 キング  男、DEX、WIS、人間、混沌 

 男6、女6、
 STR6 DEX6、WIS6、INT6、無理矢理あわせた感もあるが、こじつけてぜんぜんダメなキャラはないね。
 人間6、任務6、シンクちゃんを変えた。シンクちゃんは発言自体が自分でもなにいってるかわからない場面が多く、一番難しいのだ。
 秩序6、混沌6 

 男、STR3、DEX3 、当然女もSTR3、DEX3
 男、人間3、任務3、女も同じ
 男 秩序3、混沌3、同上。

 ひとまず、こういうことだね。

 解釈で違いそうな部分もあるけど、ちゃんと網羅的になってるということ。

 並び替えると、男子ではとっても残念なこともわかります。秩序とINTがシンクロしちゃってる。これはどっちかの軸がいらないことになるな。WISで秩序、INTで混沌がいない。
 1.元々そういう類型にならざるを得ない。
 2.エースを間違えたか・・・。

 元々、性別を除くと2*2*2*2、16パターン必要なんで人数自体足りないという説もある。マキナとレムで代替する手もあります。

 エースとキングをひっくり返すか。
 エースもよくわかんないキャラではある。クラス・ゼロの代表の扱いなんで味付けが薄い、ってことだ。クイーンの次にINTが高そうなのでそっちは間違いなさそうだが、秩序か混沌、どっちでもとれる。
 キングは教室の座席の一番はずれに坐っていることから「他と距離を置く」なら混沌。いや、ナインですら宥めすかす「親分肌」に注目すると秩序。後者でいうと女子でいうセブンに似てくる。そっちにしようかなあ。
  いや、エイトがWISでジャックがINTか。そっちだ。下が完成形。

 エース  男、DEX、INT、人間、秩序
 トレイ   男、DEX、INT、任務、秩序
 エイト   男、STR、WIS、任務、秩序
 ナイン   男、STR、WIS、任務、混沌
 ジャック  男、STR、INT、人間、混沌
 キング  男、DEX、WIS、人間、混沌

 女子では、比較的網羅的。
 
 デュース 女、DEX、WIS、人間、秩序
 セブン   女、STR、WIS、人間、秩序
 クイーン 女、DEX、INT、任務、秩序
 ケイト   女、DEX、INT、任務、混沌
 シンク   女、STR、WIS、人間、混沌
 サイス   女、STR、INT、任務、混沌

 転入生ふたりは苦しい。マキナとレム、どっちが任務よりか・・・。どっちもふたりの間のことを重視してる面も否めない。

 マキナ 男、STR、INT、人間、混沌
 レム  女、DEX、WIS、人間、秩序

 それ以外の転入生はやめとく。性別をひっくり返したりするとクラス・ゼロオリジナルメンバーの誰かに似てくるのだ。

 最後にクラスゼロのメンツをDnD典型クラスにピッタリ当てはまるとうまく着地できるかなと思ったんだが、これは見事に破綻した。一押しのセブン(!)がパラディンであると強引に持っていこうとしたが失敗。

 代わりに座席順で見てみる。元々とても納得できる座席なんですが、この分析上はあんまし意味なかったかな・・・。

 まあ、お遊びだし、こんな簡単に割り切れたら世話はない、という説もありそうですね。
 血液型を勝手に想像するお遊びも破綻しそうなんてやめておく。

 座席順、前段クイーンを真ん中にして女子が密集、ももっともな感じだけど、中段のメンツがいかにも、ですよね。トレイ、セブン、サイスは真ん中あたりで密集しているけど、ジャックは離れているのもなるほど、と思う。
 ナインはあからさまに「引いてる」けど、一番奥で離れているキングはベースボールのキャッチャー的位置かもしれない。実は全体を見ているとか。

 この座席を決めるのは、スンナリ、アッサリ決まったと信じているのですが・・・。どうだろう。

 なに、パンチラの有無がない?
 PSPの画面小さすぎて・・・。どうなってるのか判別がつきませぬ。セブンもスカートの下にスパッツみたいなのはいてるし。制服も袖とかないし、一体どれが原型なのか。ドレスコードメチャクチャ。

前列

 エース  男、DEX、INT、人間、秩序
 マキナ  男、STR、INT、人間、混沌  
 レム    女、DEX、WIS、人間、秩序
 デュース 女、DEX、WIS、人間、秩序
 ケイト   女、DEX、INT、任務、混沌
 クイーン 女、DEX、INT、任務、秩序
 シンク   女、STR、WIS、人間、混沌
 エイト   男、STR、WIS、任務、秩序

中列

 トレイ   男、DEX、INT、任務、秩序      
 ジャック  男、STR、INT、人間、混沌  
 セブン   女、STR、WIS、人間、秩序
 サイス   女、STR、INT、任務、混沌

後列  

 キング  男、DEX、WIS、人間、混沌
 ナイン  男、STR、WIS、任務、混沌

 人間・任務を縦軸、秩序・混沌を横軸にすると。とりあえず、3人づつバラけたから、これでいかがでしょう。(WIS/INTが縦横綺麗に分かれないのが不満ではありますが)

          秩序              混沌
                                               
 人間      エース  INT         シンク WIS 
          デュース WIS         ジャック INT
          セブン  WIS         キング  WIS
          (レム)  WIS        (マキナ) INT

 任務      クイーン INT         サイス INT
          エイト  WIS          ケイト INT
          トレイ  INT          ナイン WIS   

Civilization: The East and The Rest

 表題は先に書いた、ニーアル・ファーガソンの新著。本人が紹介している記事の掲載された日本語版ニューズウィークを捨てずに持っていた。発掘したので前記事で省略してしまった六つのキラー・アプリケーション、簡単に触れておこう。

 前記事とはこれ。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-6bd5.html

いつもどおり、ぜんぜん関係ない話に埋まってるのでポイントだけ再掲。

********** 

 日本語版ニューズウィークに、結構変わったエッセイを載せているハーヴァード大学教授の歴史学者がいる。ジョブズが死んだときも、「iPhoneなどに騒ぎすぎている間に(ジョブズが血を引く)シリア人の貧しい子供たちの数はひとつも減っていない」など、変わったこというなあ、と気にはなっていた。

 Niall Ferguson、ニーアル(ニール)・ファーガソン博士。ネットで調べると、実はイギリス人(スコットランド・グラスゴー出身)であり、オックスフォード大モードリン・カレッジ出身で、ケンブリッジ、ニューヨーク大学を経て現職。リーマン・ショック後のアメリカ政府の財政対応については、例のクルーグマン博士(ノーベル経済学賞を受賞した経済学者、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストでもある)と派手にドンパチやったりした人らしい。

 今回、"Civilization: The West and The Rest"なるあからさまな書名の本を出したので、こいつはひとつ読んでやろうかと思い立った。日本語版ニューズウィークにその書物のサマリーを著者自身が書いていたのを読んだからだ(ネットで調べると11月9日号だそうだ)。

 The West、西洋文明が1500年あたりから長くThe Rest、すなわち「アジア」を凌駕してきた。だが振り返ればそれ以前はThe Restがはるかに優勢であった。

 (その点について、1400年代のロンドンと南京を比較した記述など上のリンク記事で抜粋してますが、ここでは省略) 

 今、西洋文明のたそがれが囁かれている。西洋のキラー・アプリを用いないアジアの大陸国がついに目を覚まし、西洋優位の時代は終わるのか否か。
 いや、問題は西洋自体が勝利の秘訣であったキラー・アプリを捨て去りつつあるように見えることだ。

 「キラー・アプリ」なる表現が今更感爆発で「古くさ・・・」と思ってしまうのですが、まーイギリス人だしねえ。言葉のセンスはこの際関係ないだろう。

 原語でそのキラー・アプリを列挙すると、Competition、Science、Property、Medicine、Consumption、Workだ。 

**********

 さて、ここから日本語版ニューズウィークの翻訳者の訳語でお届けします。よって翻訳の文責は私にはない。

 原題は"America's 'Oh, Sh*t!' Moment"、訳題は「瀕死のアメリカは復活できるのか」。Vanity訳なら「アメリカおわた?」かな。

 一つ目の重大なポイントは、(一般の漠然とした思い込みとはまったく逆に)ペルーのインカ帝国(マチュピチュ)にしろ、ローマ帝国にしろ、ソビエト・ロシアにしろ、最近のカダフィー政権にしろ、独裁を支える複雑な社会システムは突然崩壊する、という指摘だ。昨今の金融危機を見れば金融帝国もその例外ではないといえる。つまり危機は、あっという間にやってきて、気がついたときは「手遅れ」、「どもこもならん」、「あかん」くなっている。

 よって、アメリカの崩壊への道筋は、今一向聴(イーシャンテン)なのかすでに聴牌(テンパイ)なのか、ということが話題になる。

 余談だが、テンパッテる(パニック寸前でテンションが高まっている)という表現はまさにそういう事態を顕わしている。元は、かつての私(今はもうやってないから)を含めたヘボ麻雀(マージャン)うちが、九蓮宝燈(チュウレンポウトウ)は嘘にしても、手の内を全て同じ数牌(シュウパイ、絵柄、トランプのスーツのようなもの)で揃える役、待ちの広い清一色(チンイーソー)の場合のように、「どの牌で和了(ホーラ、上がり)か」きちんと把握できていない様子。他者が捨てた同スーツのパイにいちいち「ぴくっ、ぴくっ」と反応する様などを言っていたはずだ。「ははーん、対面(トイメン)テンパッテるな」とバレてしまう様。

 筆者は6つのキラーアプリが鍵だという。The Rest(すなわち東洋)に対してThe West(西洋)が優勢であった理由の根拠だ。( )内は、原書でそれぞれを説明する章の表題で私が追加した。

**********

・競争(Competition): 多数の国において国内で競争。現代企業の原型。

・科学革命(Science): 17世紀のすべての画期的な発明が西洋発。

・法の支配と代議政治(Property): 英語圏で生まれた社会と政治秩序のシステム。
 私有財産権と投票権・議会が代表。 

・近代医学(Medicine): 19から20世紀の医療分野での発明はほとんど欧米から。

・消費社会(Consumption): 生産性向上技術(供給側)と、安価な高品質製品への欲求(需要側)の両立していたイギリスにおける産業革命。

・労働倫理(Work): 労働集約型の職場の成立、貯蓄、それによる資本の蓄積。

 これらにより、15世紀まではThe Restに(文明として)劣っていたThe Westが、20世紀前半には世界の58%の土地、74%の経済を支配するに至った。「大いなる乖離」の時代。

 日本をはじめとしたThe Restのキャッチアップは、アジア的OSにこのアプリを搭載したからうまくいったと説明できる。
 問題は、大陸国を含むアジアが、あるいは南米・アフリカが豊かになることが好ましくないのではない。むしろこの「大いなる収斂」のもう一つの理由、西洋がこれらアプリを削除する(放棄する)ことを危惧しているのだ。すでにその傾向を示す事例は枚挙に暇がない(ここでは省略)。

 アメリカは、システムに入り込んだウィルス(ヴァイルス)を除去しなければならない。
 (競争を阻害する)独占、(教育の意義を失墜させる)楽勝科目、(法を曲げる)ロビイスト、(医療制度の)機能不全。(貯蓄に対する意味での)個人の借金など。

 他の国でうまくいっているアプリも取り込み、リブートする必要がある。西洋のOSはMS-DOSではない。時代遅れではないはずだ。西洋でリブートに成功するのは、まずアメリカであると信じている。次の(大統領)選挙まで待つ余裕があるかどうかはわからないけど。

**********

 以下、翻訳の文責も私に戻りました。

 ここには、社会学者などのような、「いや問題は、そもそも社会システム自体でしょ」という視点はない。それは「OS、すなわち新自由主義、はまだ古くない」という発言に集約されている。
 社会学者などにいわせれば、「そのOS、すなわちモダンがもう古い」、ポストモダンに移行して久しいわけなんだそうだ。この書籍の邦訳はまだないが、出版されれば必ずそういう指摘(批判)が出るに決まっている。間違いない。

 だが、これは原著をちゃんと読み終わってからいうべきだろうが、ウェーヴァーのいうキリスト教(プロテスタント)の精神などの側面から考えれば面白いかも、という魂胆で私はこれを手に入れた。

 なぜなら6つのアプリのほとんどを占める「科学」は信仰から生まれたから。絶対神が創出した世界に矛盾などあるわけがない(矛盾、奇蹟を起せるのは絶対神以外にはありえない)。であれば、その世界の理(ことわり)、公理、アクシオマティックなシステム(axiomatic system)を解明することこそ、信仰ではないか。科学(人文科学を含む)に切り分けられないのは主体が個人である労働倫理くらいだが、これこそウェーヴァーが解明しているとおりキリスト教的なもの。(そして蛇足的に追加すれば、著者が日本はアジア的OSにアプリを載せてうまく行った、というこの場合のOSとは「仏法即世法」、松下幸之助も「業即信仰」として使ったそうだが、それであるという説もある)

 いみじくも、著者はそのウェーヴァーを引いている。ウェーヴァーは儒教的合理主義を"rational adjustment to the world"、「世界への合理的適合(世界との合理的調和)」と位置づけ、西洋のコンセプトである"rational mastery of the world"「世界の合理的な理解(精通)」と対比したという。もちろん、こうした視点では、明朝以前から大陸国が技術的に優越していた事実を見落とす罠に陥るという著者の警告つきであるが。

 これは、東洋文化が自然(すなわち世界)との係わりあいにおいて"harmony"(調和)を重要視する一方で、西洋文化では"dominance"(支配、あるいは自然の克服)を意味するという通俗的な対比とも共通する。環境問題が国際社会では「なんだかなあ・・・」となってるように感じるのも、私はひとつにはこれがあると思っている。

 エコゲリラ、エコテロリストは、「ほおっておいたら人間は自然を支配してやがてダメにしてしまう」という発想に立っている。つまり自分たち人間は耐え難いほど「悪」なのだ。捕鯨問題で「うーん」となってしまうのは、そもそもここの発想が異なるせいもある。バッファローや象牙の話を出すまでもなく、程度問題考えないのはいつの時代もお前ら白人(象牙は大陸人含む)だったんじゃないの?というどす黒い憤怒を抱くのもそのせいだ。ネイティヴ・アメリカンどうなっちゃった?
 もっとも、そういう糾弾自体、ほおっておいたらダメじゃん、という性悪説に乗っかっていることでもあります。日本人は君ら白人とは違う、という証明でもできれば別ですが。あるわけないか。

 捕鯨問題では日本人は反撃しないからいじめやすいのもある。自衛隊の艦艇でシーシェパードに幅寄せすると面白いが、むしろ日本人が騒ぎ出す(ふりをする)。「話せばわかるはずだ」だから。相手は問答無用なのに。アメリカのフリゲート艦なら撃沈しちゃうだろうけどね。
 ノルウェーなんていじめたら「お前ら弱い者虐めすんな!」と視聴者が怒るが、日本ならヒール(悪役)としても十分な大国だ。あと、やつらは寒いのキライ、太平洋のほうが過ごしやすいのもある。オーストラリアはオランダと並んで太平洋戦争開幕早々、ちっぽけな艦隊を一隻残らず日本に全滅させられた恨みもある(本当)し、その仕返しをするチャンスも奪われた。でもそれだけじゃない。

 もちろん、今やそんな二元論で割り切れないほど新自由主義の蔓延、グローバリゼーションが進んでしまい、日本人だって知らずして世界の環境を破壊しまくっている、間接的に手を貸しているのは間違いない。

 絶対神が創って人間に手渡したこの世界だ。神は不在だ(創造主が創造物の中にいるわきゃないね)。だから、あとは人間が好き勝ってやっていいんだ。キリスト教的発想は必然的にそこにいくのだそうだ。「支配」の発想だ。

 一方で「原罪」の発想がある。禁断の果実を食べたから罪深いのではないという説もあって面白い。食べるな言われたら食べる。物語原型。
 食べたことを容易に認めようともしなかった、あるいは詰問されると他者のせいにしようとした(最初は蛇、その後はアダムとイヴ(エヴァ)どおしのなすりつけあい)こと自体が罪深いのだ。食べるなと言われたらもう食べません。この反省は成り立ちそうだ。だが嘘をついた、他者を糾弾した。これはまたやるだろう。神の力なくして到底克服できない罪だ。知恵の果実を食べて嘘をつく知恵がついたという逆説としても面白い。

 原著には、「文明」の例が列記されている。「文明」の確固たる定義づけなど徒労に終わるだけの試みだが、ヴィデオゲームCivilization的興味で紹介しておく。
(日本文明を単一国家文明と区分したおかげで、日本でも大流行したハッチントンの「文明の衝突」はリファーされていない)

 例えばプレ・モダン時代には、The West、India、China、Byzantium、Islamの5つという説。
 すでに消滅したもの7つ(Mesopotamian、Egyptian、Cretan、Classical、Byzantine、Middle America、Andean)に現存している5つ(Chinese、Japanese、Indian、Islamic、Wstern)を加えて12と言う説。これにさらにJewishを加えると言う説。これら文明間の係わり合いが、個々の文明内部の有様と同様、歴史的変化の最大の要因であることは間違いないという。

 ここからは私見です。
 現存している5つにJewishを加えれば、ひとつの切り口は「宗教」であることは間違いない。Chineseがなんの宗教ですか、Japaneseがなんの宗教ですか、というとても難しい議論はある。私見では、Japaneseはアニミズム信仰が少なくとも21世紀まで生き残った稀に見る例だといえるかもしれない。

 今思いついたので完璧な(しかも例によって長い)余談になるが、書いておく。鎖国政策によって大航海時代から取り残された日本人は、それにもかかわらず外来の見たこともないようなものを示されると目を輝かせて興味を示した、という当時のガイジンの記述が今でもたくさんある。隠れキリシタン問題を出すまでもない。江戸時代(あるいは渡来人、仏教伝来まで遡るのか、ずっと以前)から外国かぶれなんざます。なぜか。

 天動説が顕著な例だ。当時の日本人は地球儀が大好きになった。「なるほど世界(そんな単語はありませんでしたが)はこうなってるのか」と皆素直に受け入れる。「邪悪な教え」とか「魔物の戯言」などとは決して切り捨てない。(個人的にはあまりコミットしていないんだけど)志士たち、吉田松陰や竜馬がペリー艦隊の黒船を絶対にその目で見なければ気が済まなかったし、現に無茶な旅程で見にいったことは、TVのおかげもあって日本人なら誰でも知っていることだろう。松陰などは密航しようとまでした。

 後に尊皇攘夷などというが、みな大変なバテレンかぶれだった。だからこそ、あっというまに列強遠征艦隊と伍せるような幕府艦隊を建造できた。これは太平洋戦争直前でも一緒だ。大正デモクラシーの時代を想起すればわかるように、ありえないほどのアメリカかぶれだった。米英日の海軍軍縮会議だって、そこにまぜてもらえるだけで舞い上がっちゃって、結局八八艦隊を建造できなかったなどのババを引いた。八八艦隊がなかったから戦争に負けたんじゃないけど、それによって戦争が起きなかった可能性はあったかもしれない。

 日本敗戦後来日して「日本人は12歳のボーイ」とのたまった、精神年齢12歳のあまり戦争に勝ったことのないヘタレ将軍マッカーサー元帥を皆が神と崇めた。昭和天皇は人間に引きずり降ろしたのに。これはなんと足元のTPP騒ぎまで続く。

(これも良く知られていないだろうが、当時のアメリカ一般大衆、l国民にとって対独戦は実は「遠い彼方の向こう側の戦争」。ところが太平洋の戦争は「祖国防衛のための是が非でもやらないといけない戦争」であったという説もある。マッカーサー陸軍中将(太平洋戦争開始で大将)は東南アジアにちょっと詳しかったこともあったが、米国民に大変な人気があった。スティーヴ・ジョブズなみのクソ野郎とわかっていても大統領が最高司令官として使ったのはそのせいもある。カリスマっていうやつ?)

 余談終わり。

 多分「この世のものは話せばわかる」アニミズム信仰のせいだろう。この世に真に邪悪なんてものはないんだ。人間(日本人含む)の理解を超越したものなんてないんだ。だって人間だって世界の一部だから。森羅万象みな横一線なのだ。だからなにか意味があるんだ。話せばわかるんだ。まるで「零式」のセリフのような、一言で言うと性善説。DnDでオリエンタルの日本らしき文明を「秩序にして善」と規定したのもあながちまちがっていない。「秩序」はこの場合、サムライの「名誉」をいう。

 ちなみに天皇はthe Emperorと訳しちゃったのが間違いの元かもしれない。いやそもそもすめらぎ、すめらみことあるいはおおきみに外来語で「天皇」と当てて呼んだのが間違いかもしれない。Priest King(祭司王)だろうという説もかつてあった(人気はないらしい)。シャーマンの側面はあった(今でもある)んですね。

 もちろん「性悪説」と「性善説」の二元論に陥ることは避けたい。「覇道」と「王道」の話でもない。そうではない。そんな簡単だったら、とっくの昔にけりはついている。

 Chineseの宗教って何よ、というのも難しいですが、JewishとChineseが際立っているのは、世界の隅々まで広がる莫大な個人ネットワーク。文明を考えるにあたって「宗教」と別の切り口ですね。Jewishだって日本と一緒で形式的には(人造国家ではあるが)一国一文明なのですが、国際的なマンパワーの拡がり方が段違いです。

 「西洋対東洋」、「イギリス・アメリカ対大陸国・日本」、「キリスト教文明対それ以外」、「白人対色つき(カラード)」などの安易で単純な二元論はいけない。ステロタイプ論に堕しやすいからですね。しかもここでは「先進国・中興国対後進国」の二元論すら捨象してしまっている。アフリカは話にも入れてもらえない。

 だが「いけない」もなにも、少なくともそう考えてきた人たちはいた(今もいる)わけだし、無意識に間違いなく白人(アングロ・サクソン、クリスチャニティ)至上主義に陥りかねないはずの著者が、それを認めて書いているとしたら読む価値はあるはずだ。むしろ克明な歴史的知見を積み重ねてThe Westが優位にたった理由を明かすことは、「白人だから当然勝った」という白人至上主義自体を覆す価値がある。

 「いけない」で思考が終わると、国連的、ユニセフ的、アグネス・チャン的な能天気論で逆に危険な気もします。その三つは全部ことごとく間違いです。「国連的・ユニセフ的・アグネス・チャン的」には世界は回っていないから、国連が必要なんです(ユニセフとアグネス・チャンはいらない)。
 人類は一家、世界は皆兄弟なら、なぜ15世紀イギリスは延々と戦争をしていたのか。建国以来アメリカはなぜ戦争をいつまでも続けるのか。最大の需要を創出する「産業」だからか。

 こういう話、単にヴィデオ・ゲームを遊ぶ材料なわきゃないんです。知らなくたってシド・マイヤー先生のCivilizationは遊べる。
 でも知っていて損はない。そう思ってます。私の説が全部正しいなんて一言も言ってない(それこそ何様だよ)ので誤解なきよう。

2011年11月21日 (月)

【DA2】やっとDA2の話題できる。(ボーナスアイテムふたつ)

 BioWareの公式でDA2のストーリーDLC三つ全部買った酔狂・・・、熱心なファンの皆様にボーナスアイテムのプレゼントとか言ってますね。

http://social.bioware.com/forum/Dragon-Age-II/Dragon-Age-II-News-and-Announcements/Dragon-Age-II-DLC-Bonus-Items-8705250-1.html

 どういう風の吹き回しだろう。

 四つ目のDLC用意しているから心配すんな、ってこと?

・Pendant of the Morning Frost

・The High Lord's Belt

 どうやらゲームのDLCセクションを見てみると、タリス編を終えたときにもらえるはずだったThe Deep Greenと同じ扱い。アイテム名がなんとなくそう(MotAをリファーしてるぽい)だよね。

 これ(The Deep Green)、ソーシャル・サイトの不具合でうまくもらえない人が続出してて、すったもんだしてたので、そのお詫びかな。

 四つ目のDLC関連ではなさげです。性能的にもレベル5くらいの初期キャラでは重宝する程度。 

 うーん、新しいDLC、年内には来ないのかなあ。

 

四つ来た。

 やっぱ、これなんかありますよ。

 1.Vanityに死亡フラッグがたっている。 

 2.ただの偶然。(あるいは必然であるがゆえの偶然)

 3.いや、私がそれをひきつけるなんらかの同時代性というか、シンクロニエティ。

 Pieter Bruegel the Elderの"The Triumph of Death"、「死の勝利」なる絵画。次のWikipedia(en)に小さいけど写真があります。もちろん、絵画・美学に造型の深い方はとっくの昔にご承知であろう。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Brueghel_the_Elder

 もうなんども繰り返したが、これまでの三回は順番を追っていくと次のような経緯で、ここのブログに顔を出している。

 ・BioWareのCRPGであるDragon Age II(2010)のアート・ディレクターが、黒澤明監督の「蜘蛛巣城」(シェークスピアのマクベスが原作)と並んで、DA2のアートの方向性を決めるに際してインスパイアされた作品として挙げた。

 ・フレンチ・コミック(BD)の大家メビウスの"L'INCAL"(アンカル、2010)の日本語版のおまけとして、彼に影響を受けた多数の漫画家のうちのふたり、藤原カムイ氏と谷口ジロー氏の対談がついている。そこで、メビウスの描くモブシーン(群集シーン)を評して、谷口ジロー氏が似ている絵画として挙げた。

 ・筒井康隆先生の「驚愕の曠野」。その河出文庫版(1991年初版)の解説者が、この作品の世界を読み解く手掛かりとしてまっさきにこの絵画との類似性を挙げた。

 まあ、世の中、二度あることは必ず三度ある。美術史的に有名な作品なんだろうから上の選択肢でいったら、2の「必然であるが故の偶然」でしょ。
 例えばピカソの「ゲルニカ」を例示する評論などに続けて三回出くわしたら君、驚愕しますか? こういう時代だ、あり得るでしょ。

 いやいや。ブリューゲルはピカソでもゴッホでもゴーギャンでもないから。そんなこといわれたって、なんの安心感も生まれないから。 

 そしてこのたび運命の四つ目が来た。これは九蓮宝燈(チュウレンポウトウ)の聴牌(テンパイ)なのか一向聴(イーシャンテン)なのか。そして九蓮宝燈を自摸(ツモ)したら私は死ぬだろう。死ぬのだ。間違いなく死んでしまう。
 世の中、「若者の麻雀(マージャン)離れ」が進んでいるかもしれないので、麻雀にまで読み仮名をつけておいた。 

 日本語版ニューズウィークに、結構変わったエッセイを載せているハーヴァード大学教授の歴史学者がいる。ジョブズが死んだときも、「iPhoneなどに騒ぎすぎている間に(ジョブズが血を引く)シリア人の貧しい子供たちの数はひとつも減っていない」など、変わったこというなあ、と気にはなっていた。

 Niall Ferguson、ニーアル(ニール)・ファーガソン博士。ネットで調べると、実はイギリス人(スコットランド・グラスゴー出身)であり、オックスフォード大モードリン・カレッジ出身で、ケンブリッジ、ニューヨーク大学を経て現職。リーマン・ショック後のアメリカ政府の財政対応については、例のクルーグマン博士(ノーベル経済学賞を受賞した経済学者、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストでもある)と派手にドンパチやったりした人らしい。

 今回、"Civilization: The West and The Rest"なるあからさまな書名の本を出したので、こいつはひとつ読んでやろうかと思い立った。日本語版ニューズウィークにその書物のサマリーを著者自身が書いていたのを読んだからだ(ネットで調べると11月9日号だそうだ)。ただし、この本を手に入れたはいいが、一体いつ読むつもりなのかは自分でもわかっていない。時間を下さい。 

 The West、西洋文明が1500年あたりから長くThe Rest、すなわち「アジア」を凌駕してきた。だが振り返ればそれ以前はThe Restがはるかに優勢であった。

 次の部分、ブリューゲルの絵画の話につなげないといけないので、書籍のほうから抜粋。

 きっとDragon AgeとかCivilizationとか好きな人にはOKな話だと思うのだが・・・。 

**********

 1420年の長江河畔(原文はYangzi riverなのでそのままだと揚子江だが実は誤用だそうだ)とテムズ河畔を比較すれば如実にわかる。

 当時は南京(明)がおそらく世界で最も大きな都市であった。さらに永楽帝が遷都した北京には紫禁城が完成する。この新旧帝都をつなぐ長江河畔には大運河をはじめとした水上交通網が整備され、周辺の農地は改良され、莫大な量の交易が行われていた。
 

 対してロンドンのテムズ河畔はみすぼらしい。確かにロンドンは交易の中心地であり、羊毛(毛織物)で財をなした商人が市長を務め、また商用と軍用を問わず造船も盛んであった。もちろん紫禁城(The Forbidden City)よりはるかにおぞましい(forbidding)タワー・オヴ・ロンドンだってあった。だが南京から訪れた旅人の目にはどれもが貧相に映ったことであろう。英仏間の百年戦争に、有名なアジャンクール(アジンコート)の戦い(1415年)によって勝利したヘンリー五世が凱旋したロンドンは、ただの小さな街に過ぎなかったのだ。 

 都会の生活水準も南京が上回っている。ロンドンは14世紀中盤に上陸した黒死病(ペスト)で多くの人口を喪い、チフス、赤痢、天然痘なども猖獗(しょうけつ)のきわみであった。イギリス人の平均寿命(すなわち新生児の平均余命)は37歳(1540-1800)で、ロンドンでは20歳代だ。ヘンリー五世自身、赤痢のため35歳で崩御した。

 フランスとの戦争は永久に続くかのようであったし、フランスと戦っていなくても、イギリスはどこかとしょっちゅう戦争をしていた。この時代の貴族の四分の一は暴力によって殺されている。殺人の発生率は現代の最悪水準にある都市群を上回る。

 トマス・ホッブスが言うように、この時代のイギリス人の生活は「人間の自然状態」(the state of nature)、孤独で、貧困で、不快で、残酷で、短命である。フランス人の生活もまた、輪をかけてひどいものであった。日々の栄養は現代人の半分程度であり、フランス人の背は極めて低かった。 

 貧民の高い死亡率によって裕福な者等がさらに裕福になる。黒死病によって多くの貧民が死ぬが、生き残った者は貴重な働き手として高給を手にすることができたという主張もある。裕福な家の子は成人まで生きる確率は高いだろう。だがそれだからといって、西洋がその他(東洋)を凌駕した説明にはならない。現代のアフガニスタン、ハイチ、ソマリアを見てみればよい。

 現代の学者や読者は、当時の「死」がどのようなものであったか忘れてはならない。「死の勝利」(1562)、フランドル(ベルギー)のピーター(ピーテル)・ブリューゲルの洞察に優れたこの名作は、リアリズムに従っているわけではないのは当然だが、なにも彼は自らのイマジネーションだけに頼って、この眺めているとはらわたをえぐられるような気分になる死と破壊の絵姿をものしたわけではないだろう。

 骸骨の軍勢に支配される土地では、犬が死肉を漁っているその横で、王は死にかけたまま横たわり、その財宝はなんの役にもたたない。背景にはふたりの男が縛り首になっており、四人が車輪の拷問を受けており、これから即座に首をはねられそうな者もいる。軍隊が衝突し、馬は焼け死に、船は沈む。前景では、老若男女を問わず、兵か市民かを問わず、ごちゃまぜのまま狭い四角い隧道に押し込まれ、誰も逃れることはできない。ミストレスのため唄うトルバドール(吟遊詩人)もまた難を逃れることはかなわない。

 この画家もまた、筆者より若い40代でこの世を去った。

 それより一世紀後に、イタリアの画家サルヴァトル・ローザが、全てのメメント・モリ(memento mori、死すべき定めの者ら)に送る作品、L'Umana Fragilità (1656)、単に「人間のもろさ」(human frailty)と題した絵画を描いた。ナポリ(ネイプルズ)を襲った疫病がまだ乳児であった自らの子を含め多くの家族親戚を連れ去ってしまったことを嘆いてものしたこの作品では、ローザの妻が抱きかかえるわが子を、不気味なにやつきを浮かべながら奪い去ろうとする死の天使(the angel of death)が闇の中から浮かび上がる姿が描かれている。

 画家がキャンヴァスに記した八つの単語。

 Conceptio culpa
  Nasci pena
  Labor vita
  Necess mori

  「受胎は罪、誕生は苦痛、生命は労苦、死は不可避」

 当時の欧州の死生観をかほどさように端的に描き出した言葉がほかにあるだろうか。

(以下のリンクにその作品の画像あり)

http://www.apex-magazine.co.uk/2010/11/salvator-rosa/

********** 

 なんとホッブスも登場した。筒井先生が「驚愕の曠野」で描いたのは(一部は)「人間の自然状態」(the state of nature)。MMORPGの擬似世界を私が「放置すればまったき悪であるはずなのに」というのもそれ。メビウスのは・・・。んー、一概にそうじゃないが、アンカルのモブ・シーンなんかはまさにそうですかね。
 ということは、関連性はそこにあるということなのか。

 翻ると、「零式」について「いやいや、そんなのないでしょ、そうは回ってないでしょ」と愛想を尽かすのも、作り手側のそうしたことに対する認識が私ごときよりはるかに幼いからである。

 そうであれば、今自分が(ブログ的に記事をひねり出すため、という口実で)悩んでいる世界とか社会とか個人とか、そうした話題に通底するから、必然であるがゆえの偶然。死亡フラッグはたっていない。 

 ところで、ここまで抜粋してしまったら、この書物のテーマについても触れざるを得まい。筆者によれば、大きく6つの理由(彼はキラー・アプリケーションズと呼ぶ)があって西洋が優位にたった。アジアの一部(すなわち日本、半島国、台湾などなど)がそのアプリをアジア的OSに載せて西洋の成功を模倣した。
 

 今、西洋文明のたそがれが囁かれている。西洋のキラー・アプリを用いないアジアの大陸国がついに目を覚まし、西洋優位の時代は終わるのか否か。
 いや、問題は西洋自体が勝利の秘訣であったキラー・アプリを捨て去りつつあるように見えることだ。

 「キラー・アプリ」なる表現が今更感爆発で「古くさ・・・」と思ってしまうのですが、まーイギリス人だしねえ。言葉のセンスはこの際関係ないだろう。

 くだんの日本語版ニューズウィーク誌が手元にないので、原語でそのキラー・アプリを列挙すると、Competition、Science、Property、Medicine、Consumption、Workだ。 

 ぱっと見わかりにくいのは、PropertyとWorkでしょうか。Propertyとはすなわち「法の統治」のことです。Workは「勤労倫理」とでも言ったらいいかな。

 それらについては面白かったらいつか紹介します。 

 なお、この東西二元論的発想(イギリス・アメリカ対大陸国・日本、ヨーロッパ対アジア)は、読みもせずにユーロセントリック史観と見ればかなり叩かれやすいものであり、表面ツラをなでると評価も真っ二つという感じでしょうか。現にAmazon.comのレヴューなど眺めるとそんな感じ。「傲慢こかしてよかですか」扱いする者もいる。

 ただ、私は筆者の苛立つ態度に、あのコッポラが「地獄の黙示録」(Apocalypse Now、1979)を製作するさいにほとんどパク・・・、下敷きにしたコンラッドの「闇の奥」(Heart of Darkness、1902)を重ね合わせて思い出してしまう。コンゴ河の上流で大量の象牙を会社に送りつけてくる優秀な男(白人)に会いに、別な白人が河をさかのぼっていくお話。病気のため河を下ってきたはずの上流の男は、なぜか途中でまた密林の中に帰っていってしまう。

 残念ながら白人じゃないんで、この話にどこまでコミットできるかわかりませんけど。

 歴史学者の目として面白いと思ったのは、昨今ますます死んだ者たちのことに注意を払いなさ過ぎる傾向が強まっている、という表現。現在生きている人類は、これまで生きていた人類総数のたかだか7%でしかないそうだ。
 

 いかにも、この地上に生まれそして死んでいった、これから生まれる者もひっくるめて人類(だけね、犬猫は除く)全部を救済しようとするキリスト教の発想でしょうか。そうした発想から生まれたサイファイもあった。例えばフィリップ・ホセ・ファーマーのリヴァー・ワールド・シリーズ。「果しなき河よ我を誘え」。絶版ね。そうだろうね。サイファイもまた死んだ。しかしこれも主役が「河」なんだよな・・・。 

 まあ、「河」は人生そのものですか。これは必然であるがゆえの偶然。

2011年11月20日 (日)

零式一周通過。

 やっと。一周目通過。

 ああ、下にはかなりネタバレあるけど、いやなら読まないで下さい。

 モンハンはあまりやらないし、アドホックのマルチプレイも経験していませんので知識は限定的ですが、(Vita発売直前と言う意味で)PSP時代の最後を飾る作品のひとつとして.相応しいできばえだと思う。ゲームプレイは。グラフィックは。

 物語は、予想通り、腹立たしいだけの感想。
 だって、これで物語がごくごく順当に良ければ、全体としてかなりの出来栄えであったはずだから。
 スクウェアどうなっちゃったの、と思わざるを得なかったようなXIIIの能天気バトルデザインから一転して、零式のバトルはいくら続けてもさほど飽き飽きしてこない点で、最近稀。PSPでは「ペルソナ3」があともうちょっとだよなーと思ってたのを越えちゃった。

 ムーヴィーにしても一周目エンディング間際のカットシーンの品質水準には文句言っちゃダメでしょう。(おそらく容量の関係で)全編その水準でとおすことは不可能だったのだろうけど、ストーリーが全然あれなのに、絵・CGアニメーションだけで(もしかして感動しなくちゃいけないのかと)あやうく騙されそうになったもの。そのくらい凄みがある(ミュージック・ヴィデオ的にだが)。PSPのちっちゃい画面で見たのがもったいないくらいだ。

 物語は一周ではわからない? そういうのが作り手の態度としてどうかは置いておいても、今二周目の途中ですが、何週やってもやっぱりわからないのではないか感は一向に薄まらない。というか、物語が進んで設定がどんどんネタバレしていく過程で、「ああ、やっぱ適当ぶっこいてんだな」とどんどん愛想が尽きてくる。

 世界の全てのものには意味があるそうだ。実際には意味なんてないのに。
 六億回以上繰り返してこれなら、どんだけダメな宇宙なんだ。
 まるでゲームデザイナーが考えたようなご都合主義の世界観(いや考えてんだろうけど)。
 戦争はきちがいが始めるから理由や意味なんてなくていいけど、はじめたならちゃんとリアルに描きましょうよ。知らない間に戦況がポイポイ変わる。あるいは、全体の戦況なんて登場人物たちに関係ないなら、一切見せなきゃいいのだが、登場人物たちが戦況を変えたという話にしたいらしいから、なんとなくもっともらしい嘘の戦争を描く。
 「残された者が悲しむから」死者の記憶は喪われることになるという、予想通りの、だからこそ腹立たしい設定。  
 そして頻発する登場人物たちの「死ぬのが怖い」発言。上のような設定をしてしまっているから話は「みんなから忘れられるのが怖い」になっちゃう。命ってそんなもんなのか?
 根底にはいつもの「まあ出てきた奴片っ端から殺しときゃみな感動すんだろ」という安易な発想。
 究極兵器のために蒸発した都市群。当然多くの人口も生活も一瞬で灰燼に帰した。ところがその土地にゆかりのある者たちの妙なさばけ方。まだついこの間起きた出来事なのに。
 結局エリート部隊の物語でもなく、ただ単に人身御供であったというこれもまたよくある物語だが、なんの脈絡もなくそう。

 この世の全てのものには意味があるのだという。だとしたらこの無軌道ぶりはなんだ?
 どれひとつ、なんの意味もない。

 誰が書いたか造ったか知らないが、そいつの頭の中にしか存在していないなんだかわけわかんない世界を押し付けられることに辟易とする。いや「おれはそう思うんだよね」と主張するだけならいいが、どうやら「それが正しいだろ」と思っている、押し付けようとしている節があるのが腹が立つ理由だ。「死ぬのは痛くて苦しい」のだそうだ。皆それを忘れちゃだめなんだそうだ。死んでもいない人に言われたくないよな。

 これはほんとに何がしたいの? なに、仏教的世界観を換骨奪胎して、ファヴラなんとか造ったの? XIIIのときは全然違ったよな。あれもわけはわからなかったが。

 以前も書いたが、そうなると世界の設定はもういいと。ほっとけと。キャラクターにコミットできるかどうかの勝負になるし、それで救われることだってある。

 よく言われるように、クラス・ゼロのキャラクター数が多すぎて誰もがのっぺらぼうである、よって誰にもコミットできないという批判がある。それ自体はそうかもしれないが、ここにはマキナとレムという転入生の物語がある。実際にはそちらのふたりが主人公で、その物語にプレイヤーをコミットさせようとしている節もある。そして徹底的に浪花節だが、それはそこそこ効果をあげている。

 もちろん上のように、複雑骨折してるのか、そもそも骨(脊髄)があるのかどうかも不明な世界観とこのカップルの「古式ゆかしい幼馴染の恋」物語のつながりはゼロ、ヌルである。

 そもそもなぜこの二人をエリート部隊に転入させたか、それもきっと「意味がある」んでしょうけど、私にはぴんとこなかった。

 男の子は故郷の村を焼かれ、兵士である兄をクラス・ゼロのせいで喪ったと思い込んでおり、クラス・ゼロのエリートの仲間たちに救われているばかりで、このままでは生き残った唯一の身近な者である幼馴染の女の子すら救えないのではないか、という無力感に苛まれている。またその思いを口に出すから、仲間からは「ヘタレ扱い」される。やがて幼馴染を守るためには強力な力を手に入れるしかないと思い立つ。

 一方で女の子は(浪花節らしく)不治の病に冒されている。男の子も含め大多数の者は気がついていない、知らない。子供の頃、生まれ故郷で男の子から将来結婚しようと告げられた思い出を大事に生きている。もちろん、この戦乱を無事生き延びたとしても、結婚できるまで生き長らえることができるとは思っていない。

 そういうふたりの物語自体が(陳腐かどうかは置いても)悪いわけではない。
 問題は、それとクラス・ゼロとの係わり、このなんちゃらいう世界との係わりがどこにもないことだ。まあ、結末ご存知で肩を持ちたい方は色々弁護するんだろうけど、それもあまり効果的なものではなさそう。

 クラス・ゼロは人数が多すぎて、一人ひとり描き分ける余裕がなかったようだ。私が最初に感じた「こんなわかりやすいメンツって古くないか?」という感想の理由はそれであった。皆でほぼ平等にセリフを分担すれば、どうしてもステロタイプ的な発言をする一言居士だらけになってしまう。
 彼等彼女等の背景も一切不明と置いているので、「サイボーグ009」的群像にもならない。むしろ12人でひとつの意識とみなしたほうがすんなりわかるかもしれない。

 私は、辛うじて指先一本だけマキナ・レムの物語にひっかかった(フックされた)。上のように話をスラスラ書けるってことはそうだろう。浪花節だけに、こっちが勝手に舌足らずな物語を補強できるからだ。
 もちろん個人的にはセヴン一押しだ。WisdomとDiscipline性の高い女性パラディン・タイプだし(だが、そういうキャラクターであると理解するのも私が勝手に補強してるんですけど)。

 ほんとにこれ、このよくわかんない「おれの世界」をFFで押し付けられる世界は、いつまで続くんだろう。ゲーム自体、相当いい感じなので、心底残念でならない。   

 最後に、「零式」でほとんど唯一心に残ったセリフ。

 リフレッシュ・ルームなる食堂兼酒保(しゅほ。軍隊の酒場だが兵士はともかく候補生たちは酒飲めないか?)でレムがつぶやく一言。

 「クラス・ゼロで女子会企画したら、みんな来てくれるかな」

 誰も理解できないくだらねえ「セカイ」を描くのに腐心するくらいなら、こういうにっこりできるセリフを増やしたほうがよっぽどいいと思うよ。

 

2011年11月19日 (土)

シンクロニアティ

 セレンディピティ(serendipity)が、ジョン・キューザック、ケイト・ベッキンゼールの映画の影響もあってか「偶然の一致」、「偶然の出会い」などと本来の意味とは違った意味で用いられていると書きました。

 それをいうならシンクロニアティ(synchroneity)のほうが近いかもしれない。ここでは「同時代性」みたいな意味で使いますが。

 これは書かずにはいられない。引用する記事の中身がどうというより、metacriticのユーザー・レヴュー、FPS、同じことの繰り返し(定型性)、マイケル・ベイ監督、私がつい先日書いたいくつかの話となんだかやたら共通するから。やっぱ同時代性があるんじゃなかろうか。

 IGNのエッセイ。「FPSファンであるには辛い時代なのか」

http://xbox360.ign.com/articles/121/1212379p1.html

 CoDMW3のユーザー・レヴューも、壮絶な数字になっている、と言う書き出し。20点(レヴュアーは81点)。レイドロウ氏喜べ、DA2の42点(PC版、レヴュアーは82点)が20点も勝っているぞ! やったね!

 一千万人以上が遊ぶことになるゲーム、たかだか数千人のいたずらで動いてしまうユーザー・レヴューはどうでもいいのですが、記事は、FPSの世界、やっぱなにかが起きてんじゃないの?という疑いから書き始める。ちなみに記者はUKの人。

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 原住民(natives、旧来からのFPSゲーマーのこと)は憤っている。同じ公式が毎年毎年繰り返されることに飽きている。同じことが繰り返されるマルチプレイ、おざなりすぎる(by-the-numbers)シングル・プレイヤー・キャンペーン、そしてマイケル・ベイばりのさあ目を回せとばかりのストーリーライン、それらがつまった騒がれ過ぎのベストセラー・ゲームなぞ、もう沢山だ。
 技術もなんだか前にも観たような陳腐なものだが、レヴュー・スコアは高止まりし、売り上げはむしろ向上している。何が起きているんだ? FPSジャンルは果てしなく続くワンパターンのわだちから抜け出せないのか? それとも、我々があまりに慣れ親しんでしまっただけの話なのか?

(訳:Familiarity breeds contempt. っていいますね。親しみは軽蔑を生む)

 フェアにいうなら、その両方ともだろうが、シングル・プレイヤー軽視、メイン・イヴェントであるマルチ・プレイヤーの前座扱いとの傾向はもうはっきりしている。筆者の懸念は友人から「シングル・プレイヤーなんてそもそも誰が気にする?」と切り捨てられることが多々あるが、いや、私は気にする。ものすごく多くの人たちだって賛同してくれるはずだ。

(訳:諸手をあげて賛同します。CoD、あるいはCoD2あたりのシングル・プレイヤー(しかなかったけど)は面白かったなー。CoDMWだって、ちょっと短かったけど確かに面白かった)

 その後エッセイはPS2、Xbox時代の昔話になりますが、Haloだけを例外として、マルチプレイヤーなんて時間の浪費でしかなかったそうだ。一方次に挙げるようなシューターのシングル・プレイヤー・キャンペーンには確かに風味があった。
 Half-Life、 GoldenEye、Unreal、Quake II、Duke Nukem 3D

 この「なんでもあり」方式のおかげもあって、さらに優れたシングル・プレイヤー・ゲームも生まれていった。System Shock 2、Deus Ex、No-One Lives Forever(訳:ケイト・アーチャー!)、TimeSplitters、Rainbow Six、Halo。これらは前世紀末に残された豊沃な遺産の氷山の一角である。
 どれもが何か新しいもの、はっきり際立つもの、そして知性あるものをこのジャンルに持ち込んでくれた。そして開発者たちだって、プレイヤーたちの鼻っ面にドカンと不意打ちくらわせることになんの躊躇いもなかった。
 コンソール機のマルチ・プレイヤー・モードが流行り出してからだって、この流れはしばらく続いた。Metroid Prime、Half-Life 2、Doom III、The Chronicles of Riddick: Escape From Butcher Bay、F.E.A.R、Bioshock、Call of Duty: Modern Warfareなどを見れば明らかだ。

 いまや、開発者たちは自分たちの(おそらく大多数のプレイヤーたちのでもありそうだが)「心地よい領域」から外に踏み出すことは決してしないようだ。 Battlefield 3のシングル・プレイヤー・キャンペーンは、近年まれに見るタイクツで無価値なものであった。.

 その後記事は、新しく優れたエンジンを用いていながら、実際にプレイヤーにゲーム内で何かをさせることはどんどん減っていくこと、観客のように扱うことなどへの不満が続きます。目標マーカーまで近づき、見えるものを全部打ち倒し、ヘルス・バーが減ったら物陰に隠れて休む。延々とその繰り返し。プレイヤーにはなんら苦労もさせなければ、選択もさせない。まるでプレイヤーのフラストレーションをひとつ残らず取り除くことに強迫観念を抱いているかのようだ。そして結局、さっきまでなにが起きたかなどひとつも思い出せないことになる。
 物語の貧弱さにも責はある。「だって悪い奴だからな」の一言で敵を撃ち殺す。

 AIにしたところで、我々はもう十年も前に飽きてしまった「もぐらたたきゲーム」のシステムのままだ。適当な間隔で同じ場所に頭を出し、ヘッドショットを撃たせてくれる。
 Haloが十年も前にやったように、また六年前にF.E.A.R.がそうであったように、 こちらの動きを先読みしたり、こちらに反応する敵というものはなぜ出せないんだろう。開発者たちはそのような本質的な部分ではなく、ド派手なシネマティック・カットシーンと印象的な仕掛け花火を造るほうにばかり注力している。

 QTE(クイック・タイム・イヴェント)をどうしても入れなきゃないというオブセッションを抱いているらしいのも意味がわからない。そんなものはすぐに行き止まりにぶちあたるって七年前には皆気がついていたんじゃないのか?

 ヘタクソな演技、無意味なストーリーライン、予測可能なAI、ミリタリー・シナリオのクソタイクツな使い方、一本道マップ、そしてチャレンジも野心も一切抱く必要のないキャンペーン・モードが気にならない? マルチプレイヤーにしか興味がないなら、今は君たちにとって幸せな時代だ。

 そうでない私たちは、やはり声を上げ続けるべきだ。誰か気がついてまじめに聴いてくれるまでね。

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 面白かったし、個人的には(シングル・キャンペーン復興の)趣旨に賛同します。
 (世をすねた)イギリス人の(ばか能天気な)アメリカ人批判としても面白いかもしらない。

 ちょっと変えればマイケル・ベイ映画、ハリウッド映画批判にもなるもんね。

 好事家の嗜みであったFPSが、お子ちゃま向けジャンルになってしまったこと。一足飛びに「コンソールが悪い」ってことではないんでしょうね。「大衆化」ってわりとこうなる必然にあるのかもしれない。水は低きに流れる。
 ファミレスでたかだか千円ちょっとのメシくいながら、店員にものすごいクレームつけてるクソ親父とがきどもを思い出すね。一家揃って超頭悪そうなの。
 まあ、そういう層はまともに字が読めないからRPGジャンルにはやってこないだろうけど。

 定型性を嫌う。まさに批評らしい批評ということで愉しく読ませてもらいました。
 やっぱイギリス人の見方には共感することが多いわ。イギリス人と決め付けられるかって? "Bloody awful."(全くクソだな)言ってるんだから間違いないと思うけどね。 

2011年11月18日 (金)

メタクリティック・アビューズ

 もういいよ、そんなの。

http://www.gamespot.com/features/jurassic-park-user-reviews-abused-6346288/

 Jurrasic Parkなるゲームがあることすら知らなかったが、もちろん遊ぶわきゃないが、ようするに、開発者が10点のユーザー・レヴューをメタクリティックに投稿したという騒ぎ。

 なお、GameSpotとMetacriticの所有者はいずれもCBS Interactive。GameSpotがリファーするクリティック(批評家)スコアもつい先日Metacriticに変更されました。

 まだクリティック・レヴューも投稿されていないのに、ユーザー・スコアに10点満点が四つも並んでいて、その文体の特徴も似通っているのでGameSpotの編集者が「あまりに胡散臭い(fishy)」と見抜いたことによってばれた。

 知らなかったのですが、Dragon Age IIのメタクリティックのユーザー・レヴューにもBioWareの従業員が10点満点をつけていたそうだ。もちろんご承知のように4点台のユーザー・レヴュー、大海にインク一滴でしたけどね。

Developers should have enough faith in their work to let it stand on its own merits. Proud of their work or not, the act of posting these reviews without proper disclaimer that the authors themselves worked on the title is inherently deceptive and shows a gross lack of respect for their game's potential players.

 開発者は矜持を糺せ(名誉に関する意識に敏感であれ)。まあ、そうでしょうね。

 だが、GameSpotの従業員もユーザー・レヴュー自体はさすがに批判しないわけね。

 次のリンク先記事で先に紹介した、Street Cleaning Simulatorなるクソゲー。GameSpotのレヴュアーが1.5(Abysmal)をつけたが、(GameSpotの)ユーザー・レヴュー平均は9点台だ。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/street-cleaning.html

 ただ点数をつけるんじゃなくて、ゲーム・サイトのレヴュアーの良いゲームを褒める「常套句」を皆で持ち出して競い合っているところがとても愉快で、GameSpotまで面白がって、そうした「常套句」を散りばめたこのゲームの紹介ヴィデオまで作ってしまった。ヴィデオを観ればまごうことなきクソゲーであることは一目瞭然なんだけどね(笑)。

Addictive, revolutionary and an absolute masterpiece.

A remarkable inspiring experience.

My son, on his third birthday, he will play this game for his first time.(笑、これ好き)

absolutely perfect

A Truely Epic Game!

best game for ever

One word....Amazing!

A genre defining masterpiece.

 探しきれないけど、あと"Instant classic !"とかね。
 ヴィデオ・ゲームのレヴュアー側の「定型性」に対する痛烈な皮肉にもなっている。

 お遊びとしてはしゃれていました。もちろん当の開発者たちがどのような末路を辿ったかに思いをめぐらす人は私を含めてあまりいない。大衆は残酷なんです。

 だが上で触れたようにDA2のユーザー・レヴューをBioWare従業員が投稿したのだとしたら、それは4点台という謂れなき評価への憤怒の念によるものであったのであろう。もちろん私はBioWare亡者だから弁護するのであって、Bethesdaでそんな事件がおきても「ふーん」だし、ましてやTelltale(Jurrasic Parkの開発者)についてなんて無関心の極み。

 お客様は神様だそうだ。神様だからあらぶるのも自由なんだろうか。
 一般大衆には「矜持」、「名誉」は求めないのか。求めても無理?
 腹立つなら、見なければいいんだよな。そうだよな。でも腹立つよな。
 Dark Soulsがどうして70点台なの、4Gamer様? あの企画開始当初に投稿したあたしのレヴューはざくざくに添削しときながら、最近バカも杓子もフリーパスじゃねえか。

 ユーザー・レヴューなんて参考にして買うゲームを決めている人などいないと信じたい。信じたいけど、いるんでしょうね・・・。

 ではレヴュアーのスコアを、お前はなぜ信頼するのか。これも何度か書いたけど、彼ら(彼女ら)はなにしろ生活かかってますから。あるいはより良い職場に転職するなり、自立するなり、「箔」を求めていますから。滅多なことで下手打つことはできません。もちろん彼ら(彼女ら)はスーパーオタクとして、ヴィデオゲームについて私なんかより数多く長時間触れているだろうと推測していることもある。上の言い方を真似れば「矜持がある」と信頼しているからですね。もちろんレヴュアーだって商売ですから、「ちょうちん持ち」もあるでしょうが、そんなのヴィデオ・レヴューにかかわらずどこだってある。

 ただ、(例えばGameSpotケヴィンのRPGレヴューを立て続けに読めばわかりますが)レヴュアー各人には独特の癖がある。独特の視点がある。それがわかっている範囲で、「このレヴューは信用しよう」と思うことにしている。
 判りやすく言えば、あのニュース・キャスター、元プロレス・アナウンサーの視点にはまったく同感できない(お前の言うようには世の中はなっていない)ので、彼が何を言っても私は「一切受け入れない」。判りにくいか。 

 例えば映画はどうなのか。マイケル・ベイ監督の諸作品。「世の中に対する批評性がない」(よって批評に値しない)そうなのだが、それなのに大手メディアはこぞってレヴューを出している。メタクリティック見てみよう。
 映画監督なのでAverage Movie career score というものが見れます。39点です。赤点ですね。
 Transformers(2007)が最高で61点。他はほんとに赤地の点数(40点以下)がならんでいる。
 Transformers: Revenge of the Fallen (2009、35点)、Transformers: Dark of the Moon (2011、42点)、古いものではPearl Harbor(2001、44点)、Armageddon (1998、42点)。The Rock (1996、59点)などなど。ホラーは怖いので私は観ないからオミットしたが、
ユーザー・スコアはざーっとみて、平均60点くらいかな。

 では最も稼げそうな監督は誰か。ハリウッドに何人かいるでしょうけど、マイケル・ベイはその一人でしょうね。だって(知る人ぞ知る)人脈もあるから、とよく揶揄される。

 DA2のマイク・レイドロウは、メタクリティックのユーザースコア42点で涙目になっちゃった。
 マイケル・ベイはこういう話題になると決まってヘラヘラ笑い飛ばす。だってぼくちんが作ると儲かるもん。本心でどう思っているかは推察するしかないけど、とにかく開き直っている。
 (私はトランスフォーマーはあまり真剣に観ないが)身の回りではとてもサイファイ好きとは思えない妙齢の女性含め、老若男女問わず、あのシリーズが「好き」という人は驚くほど多い。ああ、「日本人のサイファイ・リテラシーが異様に高いのはなぜ」について以前同じようなこと書いたかな?

 映画とゲームは違う。違いますね。映画は「芸術」だそうです。だから「批評性」なる良くわからない言葉が出てくる。ネットを探すと、ある見方として(世の中の)「定型性に対する倦厭」なる解釈がある。まさにマイケル・ベイ監督が叩かれる理由かもしれない。「お約束」だから、「ご都合主義」だから、「予測可能」だからダメ。「世の中はそうなっていない」からダメ。

 面白いから(あと、ここまでで読者がかなり減っただろうから、残りの方を繋ぎとめるために)宮崎駿も観てみよう。もちろんメタクリティックは英語サイトです。5本だけ評価がのっているが、全部行こうか。Princess Mononoke (1999、76点、やっぱガイジンはバカかも)、Spirited Away (「神隠し」、2002、94点、急に賢くなったのか)、Howl's Moving Castle (2005、80点)、Ponyo(2009、86点)、Tales from Earthsea (「ゲド戦記」2010、47点)。最後だけ脚本のみ、監督は息子さんなので全部自責点にするのはどうかと思うが、それを加えたって76点、なかったらゆうゆう80点台。
 (ちなみに社会学者・宮台真司氏が、筒井先生原作「時をかける少女」のアニメ版(宮台氏は絶賛)と「ゲド戦記」(宮台氏は「これはあかん」)を比較してとても面白い考察をしていた。機会があったら紹介することにします)

 物語の「芸術性」とか「批評性」が評価されてるんでしょうかね。レベルの高いアニメ技法とかではなく。

 ヴィデオ・ゲームは少なくともまだ「芸術」と呼ばれることは少ない。「サブカル」の一種に位置づけられる(言葉はなんの定義もせず緩く使ってます)。レヴュアーは誰も「芸術性」で評価はしていない。いや、していてもそれをあからさまにすることはほとんどない。"fun"が最大の褒め言葉だから。だが、「定型性」を忌避する態度は、各サイトのレヴューにもろに表れている。一般にシークエルは前作より低い評価を貰う暗黙の了解などもある。そういう意味でレヴューは「批評」なのかもしれない。

 一方では、(これもネットを眺めていると)「批評性はわが身限りでよい」、皆が褒め称えていても自分でこれはあかんというものからは黙って立ち去れ、という立場を述べる人もいる。(上の引用もこの引用も「有名な」方のものだが、それこそ「あー、彼ね」と受け止められるのがイヤなので敢えて名前はお出ししない)

 いつものように自分で何を書いているかわからなくなってくる恍惚感に浸りつつ週末なんで、もうやめよう(ここまでで読者数零確定か)。  

 そういえばウォール・ストリート占拠組は、「寒くなったので」そろそろ解散しそうなのだそうだ。

 大変気の毒であり、申し訳ないけれども、私の予想はあたった。嘘だと思ったら、過去記事・・・探すの面倒だけど、どこかにある。
 アメリカでこういう活動は無理。
 大衆がアトム化してしまったから。
 もちろん日本でも無理。

 アメリカはともかく、日本のほうは自分の予想がはずれればいいのに、と思ってますけどね。

 ネットの書き込みをそのまま引用して記事乱発してる産経新聞、その他の新聞社。たしかに元手はかからないだろうけど、お前らいい加減にしとけよ、と有料購読者のこっちは思う。根は一緒だよ。 

ハルマゲドンの行方

 BF3とCoDMW3の壮大なハルマゲドンの周辺にいて、その戦いの趨勢の影響を間違いなく受けるBioWare亡者にとって、気が気ではない。

 とか言っちゃって、 もちろんベースボール観戦的な無邪気な興味も否定はしない。結局人間って、そういうわかりやすい対決が好きなんだよな。

 どうなったのかなあ。GameSpot。 

http://www.gamespot.com/news/call-of-duty-mw3-sales-top-775-million-in-five-days-6346238

 まず、そもそもCoDのElite(有料ぼったくりサービス)がテクニカル・トラブルでへくってたんですか? 知らなかった。

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 CoDMW3はローンチ五日にして全世界全プラットフォームで775百万USDを「売り上げ」、今までの記録であった前作Black Opsの650百万USDを凌駕した(CoDMW2は550百万USD)。

 さらに、次の5つのリテール・パートナーで、北米でローンチされた過去の全てのタイトルのトップに躍り出た。Amazon.com、GameStop、Best Buy、Target、Wal-Mart。

 Xbox 360版は、発売初日に3.3百万プレイヤーがログインし(同時ユーザー数ではXboxLiveの新記録)、のべ7百万時間以上のマルチプレイを遊んだ。 (Black Opsはそれぞれ2.6百万プレイヤー、5.9百万時間であった)。
 Sony(PSN)は同種の数字を明らかにしていないが、責任者は"hugely successful"であったと述べている。

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 記事内でBF3を引用することはしていない。よって自分で探さなければならない。

 Battlefield 3のローンチ最初の週の「売り上げ」ユニット5百万本(「出荷」は10百万本)。

http://www.gamespot.com/news/battlefield-3-week-one-sales-top-5-million-6343166

 記事中のアナリストは、BF3の年内売り上げ予想は8百万本、対してCoDMW3は16百万本としている。上のCoDMW3の売り上げ額775百万円をざっくり60USD(標準的パッケージ価格)で割れば13百万本に相当する。BF3は最初の週でこのアナリストの予想の60%、CoDMW3は80%くらい売り上げたことになる。予想はBF3に甘すぎ、CoDに辛すぎたのか、それともホリデイシーズンの関係もあるか、ローンチが先行したBF3にはユーザーの様子見があったか。

 とにもかくにも、すごい数字が並んでこちらも感覚が麻痺している。CRPGのトップランナーと比べちゃおう。
 Skyrimは、出荷最初の48時間で3.5百万本を売り上げた(出荷数は7百万本)。

http://www.gamespot.com/news/skyrim-tops-35-million-sold-6346105

 7百万本がはければ売り上げは450百万USDとなる(ここで使っている価格は65USDくらいですね)。

 なんだよ、RPG凋落なんて嘘じゃないか。ニッチなんてお前が言っているだけじゃないか!

 確かにゼニマックス頑張ってますね・・・。くっ・・・(RPGゲーマーとしてはもちろん歓迎すべきことだが。BioWare亡者としては痛し痒し)。
 BF3とCoDMW3を両方遊ぶ人がどのくらいいるのか、FPSもRPGも両方遊ぶ人はいかほどか、残念ながらそういう数字は見つからない。だからプレイヤー規模の想定がちょっとできないですが、だいたいの関係はわかりますね。上の問いどちらも「いない」、「いない」と考えると、ミリタリーFPSのファン層は25百万人規模かな。まだBlack Opsから移行していないって人もいるだろうけど。

 アッサリ書いていますけど、25百万人ってオーストラリア一国の人口以上ですからね。丁度北朝くらいだ(統計があってるかどうかも含めたとえが悪いな・・・)。World of Warcraft、課金ユーザー13百万人といわれて久しいけど、こちらギリシャ並(たとえが悪いな)。

 RPGを少なくとも一つは遊ぶ人(つまりSkyrimを遊ぶ人)。7百万人と考えるとFPSの三分の一以下か。なぜか私以外の日本人が大好きなスイスの人口並。

 話をFPSに戻すと、私の予想はトップCoDMW3と、ファー・ビハインドのセカンド(恐ろしく離された二位)BF3だけが残って、他のFPSは立ち行かなくなる、というものでした。
 導入こけたらしいEliteが軌道に乗り、EAも当然Originで同様のサービス(つかぼったくり)をはじめるだろうから、それができない(つまり規模が稼げない)タイトルとの資金力(開発の体力)格差はさらに拡大していく。
 あー、そう書いたとき、厳密にはHaloは意識になかったと認めます。リアリスティック・ミリタリーものFPSと言わなければならなかったかな。
 こんな事実は、まだ観測されていない、まだ確認されていない。予想があたっているかどうかは判らない。

 元来「多様性」が命であるRPGはそうはならない、売り上げベースではSkyrimを筆頭に、BioWare作品群、その他FFなど和製ビッグタイトルを含め、いくつか生き残っているタイトルが割拠する時代が続くのかなーと思っています。1百万本以上売れるタイトルは、ごくわずか、おそらく5フランチャイズくらいでしょうけど。
 (Diablo IIIをRPGに入れてしまえば、当然トップになりそうですけどね)

 「多様性」といいつつ、5タイトルかよ、とお感じの向き。

 新自由主義、市場主義経済。「自由」といいながら品数の選択はごくごく限られていくんですよね。見た目、計画経済とどこが違うんじゃとなっていってしまう。
 もちろん、上はすべてPC/MACあるいはコンソール機というロートル・プラットフォームのお話。スマホなりブラウザなり、「多様性」がなんだかわけわからないほど拡がっていることはそうしたゲームをあまり遊ばないロートル・ゲーマーの私なんかより皆様のほうがよくご存知のとおりです。(RPGに限れば、ガラパゴス・ジャパン。奇妙な独自の繁栄を謳歌してますけどねっ)

 

HiveMind、要チェック。

 これはちょっと気になります。4Gamer奥谷氏の記事。
 ウィル・ライト氏の次回作は、中身よくわかんないけど今自分が色々考えている分野に妙に親和的な気がする。

http://www.4gamer.net/games/143/G014375/20111117033/

 彼がやるんだから、The Simsに毛が生えた程度のであるはずはない、という期待があるが、やっぱり、リアルライフとゲームワールドの融合であることは間違いないみたい。詳細は(おそらくご本人も)まだわかっていないが、上の記事でも引用されている元記事(Gamesbeat)の以下の発言でなんとなく、そんな感じがする。

“Rather than craft a game like FarmVille for players to learn and play, we learn about you and your routines and incorporate that into a form of game play,” Wright said.

 "we learn about you" の"we"とは、すなわちゲーム(システム)。

 リアルライフで(私のことではありませんが、AVサイトばかり観ているとか)しょうもないルーチンばかりやっていると、それがカリカチュアライズされたThe Sims的世界が展開する、なんて私ごときでも思いつくので、そんな陳腐なものではないと思う。

 HiveMind、ハチやアリの集団意識のことかな? サイファイだとMass Effectでいうゲスのような集団意識知性。
 気になるのでちょっと記憶の片隅にとどめておこう。

2011年11月17日 (木)

【SWTOR】ベータ・キー

 Star Wars: The Old Republicのベータ・キー・ギヴアウェイ。

 IGNでは先にあったのですが、よくよく見たらプレミア(有料)会員限定であった。
 ベータって言っても、12月20日リリースだよねえ。IGN有料会員になってもあまりお得じゃないし、ともちろん見送った。

 GameSpotにも同様にギヴアウェイのお知らせ。どうせ有料だべ、と思って何の気なしにクリックしてたら。取れた?

http://www.gamespot.com/event/codes/star-wars-tor/?&tag=stitialclk 

 GameSpotの無料会員資格は必要。いますぐ会員になっても良いみたい。

 ただし現時時間で今週金曜日には閉まっちゃうようだ。ご興味あるならお急ぎ下され。

 いつからベータがはじまるとか、特にまだお知らせはなし。無難な線では一ヶ月前、11月20日(現地)あたりからかな。

 うーん。それともリリース延期かな(笑)。

 なにがすげえって、ずーーっと前から公式サイトでベータ・テスターには応募していたのに、そちらからはなしのつぶて。やたらパスワード変えろとか、セキュリティがどうしたとか、そんなメールばっかきやがった。抽選で落選したんだろうなあ、と思って気にもしていなかったのですが。

 もう何度かクローズドを経ているのだろうが、そんなお知らせもないし。
 GameSpot様様?

 いや、もう素直に無邪気に手放しで喜ぶには、世の中の汚らしいものをだいぶ見てきてしまった。またなんかひと悶着あるんじゃねえの?

 とはいえ、万が一本当にベータに参加できるとしても。
 やってる暇あんのか? まじめにやったら死んでしまうんちゃうか?

 入り口付近覗くだけになっちゃうだろうねえ。

 公式のアップデートもぜーんぜん読んでません。なんだかクラスがえらい増えやがったのかな。いやそんなこたない。ジェダイもシスも四つだ。ああ、上級クラスがそれぞれあるのね。ふたつづつかな。でもレベル10で上級クラスが選べてレベル20まで成長できる。その後は、まだかな。

 宇宙船はいつもらえるかなー。

 なんだかさっぱりわかんねえよ!

 Star Wars、映画版とたかだかアニメ版しか知らないので、アメリカのお子ちゃまにメチャクチャバカにされそうだ。お前らがまだこの世に影も形もないうちから、こちとら日本の片田舎で学校サボって映画館で"Star Wars"を三連チャンで観とったんだっつの!

 くらいを英語でチャットできないとなー。

 スローライフで、ソロゲーで行こうかな。

 お、コンパニオンはVETTEさんできまり! ローグでパイレーツ。イザベラかっての。

 ありゃ、クラスによって初期コンパニオン固定ですか・・・。すげえイヤな予感。

 あ、やっぱり。VETTEさんはシス・ウォーリアー限定コンパニオンであった。 

 うーん、いきなりシス・サイドはいやだなあ。でもジェダイ・サイドのコンパニオンはむさ苦しいのばっかだなあ。

 (ひとりでいつまでやってんだと)

【ME3】ストーリー・リーク事件

 IGNによれば、Mass Effect 3のストーリー・ファイルまでベータ版と一緒に誤ってリリースされてしまったとのこと。

http://pc.ign.com/articles/121/1212602p1.html

 よって、ストーリーは当初内容から改変される可能性がある。

 リーク自体についてはこっちの記事。丁度色々あってネットを観ていなかったので見過ごしてました。

 http://xbox360.ign.com/articles/121/1211826p1.html

 マルチ・プレイ・ベータ用の内容をロシアのファン経由でXboxLiveにアップ。このルート、胡散臭さ爆発(笑)。

 BioWareヒューストン氏によれば、「社内ファイルが漏洩したようだ。それらのファイルは古いもので最終製品のストーリーではないとしても、ME3のストーリーを純粋な形で味わいたいファンは読まないように」とのこと。

 「読まないように」と言われたら「読む」。「わたくしが機を織る姿を見てはなりません」といわれたら「見る」。物語原型。

 まあ、たとえどんなストーリーであったかわかってもここには書きません。
 

 そして上の記事に戻って読んでみると、珍しく共同創業者のゼスチャック博士が喋っています。暇なのかな。

 あらら、本文ではもうひとりの創業者ムジカ博士(EAのRPG部門ボス)の発言になっとるぞ? IGNも混乱してるのかな。

 ああ、この「我々のコア・ヴァリュー(基本理念)のひとつは『謙虚さ』"humility"である」はムジカ博士の口癖ですね。「ファンの声は全て聴く。フィードバックは全て読む。よいアイデアがあれば取り込む。ファンは観客であり、我々がビジネスを続けるためになくてはならない存在である」

 重役らしき決意表明(のいつもの繰り返し)は以上。以下、リークに関するお話。 

 ムジカ博士によれば、総体的に見て、今回のリークにはポジティヴな面があったという。ファンが新しいコンテンツについて議論することでゲームへの興味がさらに高まったから。しかしながら最終製品でないものがファンの目に触れたことについての影響は感じているとも述べた。

「製品が未完成のうちに人の目に触れることは開発チームにとって辛いことだ。あれはプレ・リリース・デモであった。あのスクリプトはああした形であんなにも早くリリースされるものではなかった。だが我々の開発チームの結束は固いから、そんな辛さは克服するだろう。皆ファンに素晴らしいゲームを提供することだけを考えているんだ。Mass Effect シリーズの中でも最良の製品にしようとコミットしているんだ」

 ムジカ博士は最後に、ファンはそうしたリーク情報を読まないで欲しいと要望し、それを読めば実際のプレイ経験に影響を与えてしまうだろうと警告もしている。「ストーリーを台無しにしないでくれ。ストーリーの愉しみは、未知の事柄に、新たな冒険への道筋の探求と発見にあるのだから。ファンがそうした発見の愉しみを喪うようなことのないように祈る」

 むしろ言われなくても知りたくないですよ。

 EAのRPG部門のボスであるムジカ博士が登場すること自体が、こうした問題はEA/BioWareにとってことさら重大である、というメッセージなんでしょうけどね。

 計らずもストーリー・ドリヴンRPGの弱点、いや、ストーリーの弱点が明らかになってますよね。

 「ストーリーの愉しみは、未知の事柄に、新たな冒険への道筋の探求と発見にある」

 一回コッキリなんですね。
 ライター衆が何人も何ヶ月も頭抱えて最良のストーリーを書き上げたとしても、遊んだら一回コッキリ。
 FPSのようにエンジンさえあれば、あとはマップを変えるだけで皆延々と口開けてクリックしてくれ続けるジャンルとは比較にならない知的労働集約型。

 そしてRPGはいくら頑張ってもFPSのトップレベル・タイトルの十分の一程度のファンしかいない。

 因果な商売ですなあ。いや因果な世の中ですなあ、か。

伊達や酔狂でやっとんじゃい!

 えー、長期安定読者数(少ないけど)を誇っていたこのブログのヴューに突然ピーキーな動き。

 やっぱ人気はワイルド7かな。いや青6か、南無三。

 違うわ。Skyrimでしょう。LaffyさんがSteamやっつけたらしいから質問はあちらにお願いします(勝手振り)。

 まー、いいですわ。Bethesdaだし。1ヶ月弱でしょ? 「零式」だってまだラストダンジョンだし(てこづってる・・・)、Uncharted 3だってネイサンまだガキだし(進んでいない)、あーあと思い出すのもあれな仕掛品が多数。ブログ記事も含めて。

 ここはBioWare亡者のブログですので、Skyrimについてはそんな感じかな。

 だが震災までセットで思い出されてしまうのであれだが、本年3月のBioWare作品Dragon Age 2のリリース前後の騒ぎ。あちらもSteamの日本リリース日程ジャストにあわせて輸入パッケージ版にもタイマーサーバーがかまされていました。 

 さあ、次なる戦場はMass Effect 3です。2012年3月リリース。

 既にEAはSteamから完全訣別、離脱しておりますので、Steam絡みの問題はおきようがない。ニューウェル氏がどんなに媚売っても復帰はないでしょう。これはいい。

 だが悪の公爵、EAのCOOムーア氏がのたまっていたように次は「皆の大キライなOrigin」が控えている。
 あれはBF3のためだけに設定したと信じたいのだが・・・。すなわちCoDMW3とのハルマゲドン対策、抱え込み用、あとセキュリティ対策。あと個人情報盗み用(byガイジンEAヘイター)。

 つうか、今更ながら気になるのがIGNのMass Effect 3サイトに以前載っていた"Japan 2012/1Q"なる謎のリリース時期。今探すとその表記ごとどこかに行ってしまっているのですが。
 きっとコンソール版のことだと思う。明記はされていなかった。

(お、Mass Effect 3のストーリー・リーク問題の記事があるな、記事一個もうけっ)

 Bethesda、すなわちゼニマックス・アジアのSkyrimがコンカレントな(つまり本国版開発中からの同時進行的)ローカリゼーションを実現しているように、本当にMass Effect 3も北米版と時期を開けずに日本語版をリリースすることはできるのかしら。
 最近のME3マルチ・プレイ発表のどたばたぶりを見ているとさすがに間にあわねえんじゃねえの、という気もするのですが。そもそもマルチ・プレイ・サーバー日本語対応してんのかね。別に立てる? きっと後追いだよねえ・・・。(ストーリー・リークとそのための修正問題も発生したようなのでさらに可能性は薄い。それは次の記事で紹介します) 

 そんなに心配ならPS3版でやればいいじゃない? 日本語版が早めに出たらそれ買えばいいじゃん。
 
 それでは、ME1から今まで脈々と培ってきた(ちょっと日本語変かも)、マイ・シェパードのセーヴファイルが有効活用できんのだよ!(またこれで犬関係のリンクがつくな)
 よしんばPC版に日本語版があったとしてもだ(ないと思う)、やっぱ英語版セーヴファイルはインポートできなかったりするんだ。

 だからMass Effect 3は私の場合もう英語版PC版一択。他に道はない。

 よって、英語版PC版を入手したはいいが、「日本語版X360(PS3)版は3ヶ月後になります。それまでお待ち下さい」というふざけた不条理な事態を恐れているのだよ。

 Originそこまでちゃんとしてないよね。EA雑だもんね。同じ悪でもSteamみたいに緻密な悪じゃないよね。

 こっちは伊達や酔狂でやってるんです。頼むから、全体にとってなーんの意味もない、私たち英語版で遊びたい日本人という極少数派をいじめるだけの無粋な真似ほんとやめてくれ。

 

 

2011年11月16日 (水)

懐かしい作品でMMORPGを考えてみた。

 身辺に色々あったせいか、遠い昔に読んだ(はずの)作品をどうしても読み直したくなって、没頭してしまった。

 とはいえ、偏向した読書歴しかないので、筒井康隆先生の作品に限るのですが、「あれはちょっと」という方はここでご退席されたほうがいい。

 リストを作ったりして記憶にとどめようとかする、そういうきちんとしたマニア(きちんとしたマニアって・・・)でもないので、勘違いもはなはだしいことが多い。
 ブログを書きながらずっと気になっていたことがある。「MMORPG的な世界といえば、あれだよなあ」と記憶を辿って「旅のラゴス」に行き当たった(これが勘違いです。説明します)。

 出版されたら早速購入しているはずなので、どこかにはあるはずだが、もう探すのも面倒。いつごろ読んだかなあ、とネットで調べたら1986年? 
 もう20年以上前か。Amazonなどでも絶賛されているので(そこで勘違いに気がつくべきであった)、これかな、と思って今でも入手可能な新潮文庫版を買ってみた。

 読み直してすぐに思い出した。ラゴスなる青年が、老年期を迎えるまでの紆余曲折の半生を辿ったもの。そこは地球ではなく、二千年前くらいの過去に地球(らしき)文明のエリートたち(約千人)が宇宙船で到達したらしいある惑星の現在の物語。

 その二千年前の文明の遺産である数千冊の書物をどうしても読まなければならないと思い立ち、書物が保存されているという南の大陸に向かって、生まれ育った北の都市から旅立ち、やがて戻ってくる物語(では終わらないのだけど)。
 そう書くとなんてことはないようだが、物語は細部が大事。中身をここでなぞってもしょうがない。なるほど、こういう風な受け取り方をするのか、とむしろAmazonの読者レヴューに納得してしまう自分に驚いた。
 20年前のまだ青臭いガキから抜け出せない頃の自分には、読み解けなかったつうことでしょうか。逆に十分に年を取ってから読むと、あまりに切なく痛すぎる物語である。

 でもこれは、私が思っていたMMORPGの世界ではない。確かにRPG的な世界であることは間違いないが、そんな枠に収まる話でもない。これといった事件がおきないのに物語の中では何年も経過する。RPG的なキャラクターは頻出するが、別段彼らを軸に何かエピックな事件が起きるわけでもない。

 読み始めて「あら、違ったわ」と思ったが、そんなに分厚い小説でもないし、途中でやめられるものでもない。あっと言う間に読み終わってその感慨にふけりつつ、では私が思っていたのはどの作品であったろう、とまた悩み始めた。

 この時期であることは間違いないんだよなあ・・・。
 ネットのリストを眺めて、「驚愕の曠野」という題名が目に付いた。これだ。
 ようするにもう絶版であったのです。いや、同名の文庫はあるが「自選ホラー傑作選」として出版されているようだ。

 今更筒井先生のホラー集を読み直す度胸もなく(めっちゃ怖いのが多い)、絶版になっているほうの(しかも自分は単行本で手に入れているはずだが)文庫本を中古で入手してみた。

 これだ、これだ。
 単行本出版は1988年だ。オンラインゲームはまだ隆盛する前。ようやくインターネットなるものが好事家の間で話題になっていた頃かな。そうだね、日本におけるはじまりが1984年だ。

 自分は、購入してすぐに読み終えて(作品としては非常に短い)、その後読み直していない。
 MMORPGだよなあと思ったのは、だから自分が食わず嫌い時期を経て、ようやくMMOをかじった頃(2006年くらい?)に思い出したということだ。
 Amazonのレヴューにいかほどの正統性があるかは置いておいて、「旅のラゴス」に比較してこちらに注目する筋は余りいないようだ。

 なぜなら、「旅のラゴス」は読んだ者同志が「あそこがよかったよねー」と言い合える、口コミで再体験できるものだが、「驚愕の曠野」は読んだ者同志であってもお互い説明できない。いや作者がまず説明を拒否している部分もある。

 だからあらすじ(なんてないに等しいが)をなぞっても、この作品を解読するのにあまり意味はない。だが「MMORPGだよなあ」という類似点を示すには十分かもしれないのでやってみよう。

 物語は膨大な物語の途中、332巻から始まる。だがこれは枠物語でもある。その物語を子供たちに読み聞かせているおねえさんがいる。おねえさんが過去の登場人物を述懐していることからして、今までずっと読み聞かせてきたらしい。だが途中で読み聞かせる者が交替することからみて、彼女が第1巻から読み聞かせてきたのかどうかも疑わしい。(追加:読み直すと、おねえさんが最初から読んできたことをうかがわせるようなセリフもあった)
 表面的には仏教でいう輪廻転生の世界を模している。物語の登場人物たちは仏教でいうところの人間界にはいないようだ。殺伐とした、不条理と邪悪が支配する世界。

 ここにはわりきって理解できる因果はない。登場人物はなぜここにいるのかもわからないし、この世界ではなにが道理なのかもわからない。食糧として塩肉が与えられるが、どういう経緯で誰から与えられるかも判然としない。その塩肉のみが(生存に必須という)共通価値を持っているので、それを奪い合う争いは頻発する。むしろ争いは全てそのために発生する。

 MMOとの類似は偶然だと思うが(偶然ではないという説も展開できそうだが)、登場人物たちはだいたい四名程度で行動する。隙あれば塩肉を奪い合う物騒な世界だから一人旅は危険すぎるという理由がある。だが登場人物たちはあまり同じメンバーと長い間行動を共にしない。そもそも旅の道連れには全幅の信頼を置けない、あるいは情が移る、なども理由だろうが、ある登場人物の視点からは、まだ清清しい良い関係のうちに袂を分かち合ったほうがいい、という企みがあることもほのめかされる。「あいつはいい奴だったなあ」と後から思い出せる程度の関係を結んで別れる感じ。

 当初同行していた仲間のうち、怪力で名をあげた男が(読者が途中から知った時点から数えて)早々に物語から姿を消す(消したように見える)ことからみても、この世界を生き抜くためには腕力だけではどうしようもないことがわかる。ならば知恵か? 当初の仲間と別れたひとりの登場人物は、賢く、如才なく、この世界を知恵で行きぬくことを運命付けられているようにも思われるが、彼はあるときこの世界で十四尊仏の名を馳せている高僧のひとりと出会う。

 しばし高僧と同行することにした彼は、この賢者とみなされている男が、実はなにひとつ知恵を有していない(この世界について何もわかっていない)ことに気がつき、小さな希望を示して大きな失望を与え続ける魔物の類ではないかと思い、このままひきずられては自分の身も危ういと考えて殴り殺してしまう。知恵を頼りにしてもどうしようもない。知恵の代表である存在に愛想を尽かした瞬間だ。個人的にはこの部分が一番衝撃的であった。

 
 一方で、当初の四人のひとりであった男、なんの才覚もない「ただ乗り」男なのだが、ある土地で、盗賊(すなわち塩肉漁り)の討伐隊を編成するため呼びかけている武神の募集に自ら応じる。もちろん自分は何もせず勝利の分け前を掠め取るためだろう。だが討伐は失敗し、彼も敗残兵となり、その後ありえないほど悲惨な目にあって死ぬ。

 この武神も、先の賢者たちがこの世界の知恵を表出している(と目されている)のと同じように、この世界の武勇を表出する(と目されている)十八武神のひとりなのだが、それですら盗賊たちに常勝とはいかないようだ。知恵も武勇も、何一つ頼りにならない。

 では慈愛か。先に書いたように「あいつはいい奴だったなあ」という仲間の記憶を大事に生きようとする、またある猫への愛情を心に秘めていることが途中で示される、この世界の慈愛を表出しているような男ですら、読み手のおねえさんによれば「みんなは彼が好きよね。でも結局死んじゃうけど」とあっさり死を予言されてしまう。おねえさんの好きな登場人物は彼ではないようだ。
 もしかしたらその男が何度も述懐するように「自分は人殺しの場には何度か立ち会ったが自分で手は一度も下していない」という潔癖さ、善良さを、彼女は「この人はわりとわかっている人なのね」と評しながらも、独善さとみなしていたのかもしれない。

 やがて賢者を殺した男は、その自戒の念に苛まれつつ一人旅の果てにある建物にたどり着く。ある手掛かりによって、そこはどうやらおねえさんが子供たちに物語を語り聞かせていた場所であることが示される(枠物語の枠すら存在しなかったことになる)。だがもうそこには誰もいない。男はそこに残された大量の書物を読み始める。風化し、ぼろぼろになりつつある知識の断片。物語もだんだん断片的になっていく。

 その男が読んでいる物語は今までの登場人物たちが回想していた別の男たちの物語。時系列が狂っているようにも思えるが、彼らが転生した後の物語なのかもしれない。だがそこでも、登場人物たちのある者は死に、または散り散りになり、生き残ったある男はまたしてもこの建物に辿り着き、そして風化しつつある書物を読みふける・・・。

 あのおねえさんが子供たちに「私はこの人が好き」と言っていた物語の登場人物。彼と、悪辣なる巨漢とのエピック・バトルがごくごく断片的に語られる。一匹の猫を救うための戦い。猫はおねえさんだったのか? 
(実はこの世界の人間には男性しかおらず、女性が人間の姿では転生してこない。そこにも物語としての仕掛けがあるようだが、ここではあまり関係ないので除外)

 最後には、この世界が表出した原因らしき「放射性物質」なるセリフも一行だけあって、説明好きな読者も満足させようとしているらしいが、なんの脈絡もない風化した物語の断片が続いて、あっという間に終わる。いや、ほんの少し覗き見させてもらっていた私たち読者の前から消えるだけなのだろうが。

 おわかりのように物語自体を読み解くのは非常に荷が重い。ここで省略したエピソードもいくつかある。ネタバレで読んでいない人の興ざめになるのを避けている面もあるが、いくらエピソードを重ねても理解の足しにはならないせいもある。これでも私の解釈を交えて書いたつもりだが、その解釈自体「誤り」の可能性も否定できない。解釈すること自体が「誤り」という仕掛けも考えられる。

 だが、MMORPGとの奇妙な類似性はおわかりいただけたのではないか?

 なぬ、わからん? MMORPG食わず嫌いですか?

 形式的には、物語にははじまりも終わりもない。しかも果てしない繰り返しが予言される。もっというと物語自体の意味すらない。

 登場人物は少人数のパーティーで行動するが、長期間固定されない。突出した力(武勇)も、知恵も、慈愛も、ただ乗りも、どれもが意味を持たない。でも、これらこそMMORPGのプレイヤー類型そのものではないですか。武勇(一番派)、知恵(探求派)、慈愛(社交派)、ただ乗り(ただ乗り派(笑))。

 十八武神が盗賊退治で兵を募る。もろですよね。レイドでもクエストでも。なぜにそんなに武勇に長けた存在が「兵士」なり「冒険者」を募らなければならないのか。特に説明はない。しかも討伐は失敗することもある。ワイプ・アウト(全滅)したレイドですね・・・。 
 殺される賢者にしても、この世の理を理解しているなら「お前さんが謎を解けよ!」とつっこみたくなる。そして当初はそういう賢者の話に付き合って色々役務をこなしても「あれが足りない」、「これが足りない」、「ああ、やっぱあっちだった」といつまでひきづられるんだよと。

 塩肉。でもやっぱりこの世界でも「価値あるもの」はある。非常に単純化されてるが生存に必須なもの。人々はそれを奪い合いながら、奪われないように腐心しながら旅を続ける。
 そもそも「生存」に意味があるかどうかも物語では解き明かされない。転生はするらしいとおぼろげながらわかってはいても、だったらあっさり死んだほうがいいと考える登場人物はいない。今よりましな世界に転生する保証などひとつもないから。
 なにゆえに電子的ゲーム内通貨を神格化するのか、とか言いはじめると非常に陳腐でつまらない話になりそうだが、では言い換えましょう。塩肉のような「価値あるもの」の存在もなさそうなのに、なぜ繰り返し繰り返し同じコンテンツを遊ぶのか? 答えられますか?

 RPGには「成長」の物語という側面がある。私がMMORPGがRPGと違うと感じるのは、その「成長」の側面がMMOではあっという間に非常に希薄になるからかもしれない。やがて物語は繰り返し性、一過性、惰性、無意味性に呑み込まれ、あるいは(物欲なる)煩悩の追求が支配的行動になる(すくなくとも他者からそう見えるように振舞わざるを得なくなる)ことには、例外がないのではないか。

 (例えば「旅のラゴス」が多くの人の心を打つのだとしたら、それはRPGとの類推で言えば「成長」の物語だからだ。そして悲しいかな、「成長」と「述懐」は裏返しでもある。どんなに素晴らしいストーリーでも、いつか終わってしまうことになるのも物語が悲しい理由だ。だがMMORPGには普通始まりも終わりもない。元々割り切れる物語などないのだから)

 筒井先生がネットゲーム隆盛前にMMORPGを予言した、などというつもりはない。
 なにしろここで言っているのはMMORPGというゲームの仕組みではない。そこで遊ぶプレイヤーたちが結局取ってしまう行動なのだ。
 物語は、やがて必然的にそうなっていっちゃうのかな、という驚き、まさに驚愕すべき事実に初読から二十年も経ってようやく気がついた、というお話でした。

 **********

(追加)ひとつ、忘れていた。河出文庫版(1991年初版)の解説者が、この作品の世界を例示するためにまっさきにブリューゲルのあの絵画との類似性を挙げている。
 "Dragon Age 2"のアート・ディレクターがインスパイアされたというあれ。
 フランスのコミックス(BD)の大家メビウスのモブシーン(群集シーン)を評して谷口ジロー氏が口にしたあの絵画。
 「死の勝利」ですか。Pieter Bruegel the Elder、同名の息子と区別するため(父)または(老)と表記される父親のほうの作品。

 次のリンク先、Wikipedia(en)にある"The Triumph of Death"と言う作品ですね。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_Brueghel_the_Elder

 奇妙な一致は何を意味するのか。単なる偶然なのか。 
 美術史的には「死の舞踏」というムーヴメントの一例としてしか扱われない作品のようですが、なにやら時代と洋の東西を越えた共通認識を表出したものなのかな。

 

 

 

TPPとは関係ないけど。

 Skyrim到着。予定より早い。さすがDHL。

 だがAmazonからですとの宅配業者の声に玄関を開けてパッケージを見た瞬間、のけぞった。

 なんつう大きさ。ジャイガンティック(gigantic)は言いすぎだが、ヒュージ(huge)は言ってよいと思う。

 自分のミドルタワーのPC本体を丁度横二つ並べた感じ。ドラムスでいったらそうね、14インチのタム一個がはいりそうな大きさのダンボールだ。

 配送業者が帰ってから、玄関でそのままへたり込んだ。ソフトウェア一本のパッケージがなんでこんなに大きいんだよ?
 アメリカ(特に地方)の住宅事情はわきまえているつもりだったが、やっぱスケールが違う。

 どこに仕舞うんだよ、とそればかりが頭にあって、フィギュアはちら見しただけ。やっぱいらない・・・。

 ソフトウェア自体は通常のパッケージよりも貧弱な紙(薄手のダンボール)包装。

 ああ、地球環境問題で巷間かまびすしいのに、太平洋上ジェット燃料を使って、ほとんど空気だけを運んでしまったのね・・・。

 とはいえ、ソフトウェア自体に問題はない。早速PCにインストールしようとすると。

 Steamが起動。すごいイヤな予感・・・。

 案の定、「このソフトウェアは、まだリリースされてねえよ」という警告。

 ああ、日本の(コンソール版)のリリース日にあわせてあるのね。

 やられました。

 日本のコンソール版のリリース日は(SteamのPC英語版も)12月8日、トラトラトラの一日前。約1ヶ月も待たされることになる。

 その間、同時に予約購入したはずのオフィシャル・ガイドブック(コレクターズ版)でも眺めてよだれたらしておくか、と思ったが、これが出荷されていない。さらにリスクヘッジで日本のAmazonに注文していたノーマル版ガイドブックは「日本に出荷できない」とのことでキャンセルされている。

 まあ、汚らしい大人の事情があるのはわかりますが、いつもながら、ここらへんの仕切りがなんだかメチャクチャだよな。

 もちろん、日本語版で遊ぶ人様よりたかだか1ヶ月早く英語版を手に入れて、偉そうにプレイ内容を書くなどというスノッブ的な趣味はない。だが正規に入手しているのに「プレイさせない」というのは、これはなんでしょう。

 「日本人は日本語しかわからない、遊べない」という前提を置くのは勝手だが、そういう前提なら裏返せば「英語版で遊ぶ日本人は存在しない」ということでしょう。だから私などは日本人ではないことになる。だったらUS版のアンロックで遊ばせてもかわまんのではないか。
 今回は、「日本人は日本語で遊べ」といって、「PC版にも実は日本語ローカライズ版が同梱されているのでアンロックもコンソール版とあわせる」という方針か。 

 だがツイッターで誰かがBethesdaマーケに質問するまで、「PC版に日本語版同梱」などという情報はなかった。なぬ、Steamには記載されてたと?
 Steamが信用してほしいなら、いまだ「開発中・・・」と表示されるできそこないを修正してからにしてほしい。

 まあ、三分間くらい以上のような激怒状態を経験して通常状態に戻り、ヒュージなダンボール箱を押入れの最奥部にたたきこんで、すっかり忘れて他のことをはじめたわけですが(おそらく12月8日を過ぎても思い出さない可能性が大。こういう記事を書いているのも自分にその記憶を強く印象付けようという試みかもしれない)。

 「日本人は日本語で遊べ」に文句を言うつもりは一切ない。そこ誤解しないように。

 丁度、佐藤優氏がキルギスに関するエッセイで、域内大国であるトルコのトルコ語と親和的言語ではないキルギス語と、ほとんど通訳なしでトルコ語と会話が通用するアゼリ(アゼルバイジャン)語との違いを述べていた。欧米のニュースは概ねトルコ語に翻訳されるのでアゼリ語圏の人は世界の情報を得ることができる。一方キルギス語(通じるのは450万人しかいないそうだ)はそういう状況にない。よってこの国を取り巻く諸情勢の中でも言語戦略が大変重要となる。
 ロシア周辺(ぺリフェリ)であったエストニアはじめ日本人が何故か大好きなバルト三国(「ヴァルキリア」は誰がどう考えてもあれがモデル)ではすでにロシア語から英語へのシフトがはじまっているそうだ。ドイツ語も超えちゃったのね。ロシアや欧米の世界戦略に直結するような地政学的に非常に奥深い話だなあ、と思った。言語・言葉は大事ですよ。

 日本にはダボハゼ翻訳文化があることは間違いないし、それは実は大変重要なことである。
 高等学問を全部母国語で学べる国なんて実はそんなにないんですよ。娯楽の世界だって、一体なに不自由がありますか?
 むしろヴィデオゲームが(その仕組み上面倒なこともあって)、ダボハゼ文化から取り残されているのではないか、という危惧を一時期抱いていた。
 単に、日本の産業全体がへたれて金回りが一時的に悪くなっただけであった、と最近では気づくのですが、今度は反動でなんでも翻訳(まさにダボハゼ!)ブームになっているのかも。

 そしてこの状況の周辺にいる(日本人なのに英語版で遊びたい酔狂な)我々マージナルな存在がこんないわれなき扱いを受けることになろうとは・・・。でもたった三分間の怒りで済んだから大したことでもない。

 日本人の、特にマスコミの、すごい悪いくせは「TPP」などという略号ですべて理解したつもりになって終わること。もちろんヴィデオゲームとTPPはほとんど関係ありません。だって私はAmazon.comから買うのに税金を払っていない(ただしあまりに纏め買いすると横浜税関が勝手に課税するからご注意)。アメリカ人だってネットで買うと(州税である)消費税を払わない。昔から元々通信販売などで州をまたぐと州税を回避できたんですが、あちらでは今Amazonを標的に大問題になっている。

 つまり、ネットビジネスは時代を先取りしちゃってるわけですが、ネットビジネスが税務当局の網からずっぽり漏れていることが政府当局は面白くないわけです。ただしカリフォルニアのように州の財政が終わっちゃってる(前知事がターミネーターだけに?)ところで、人身御供、アドバルーン代わりに騒がれているような気もしますけどね。果たしてどんだけのインパクトがあるんだろう。

 TPPについては、「お前らいくらなんでも騒ぎすぎ」と識者がこぞって「騒いでいます」。その風景も日本国民がこれまで何度通ってきた道なんだろう。
 たった一言で自説を述べるならば、先にこのブログで触れたミンツバーグ教授の「呪い師と狩人たち」の物語で終わってしまう。「トナカイの骨を焼け」。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-f9a2.html

 リンクなんて貼っても読んでいただけないのは百も承知なので、再掲。
 元はマジックとマネジメントの関連について考察する文章です。

********** 

 でたらめな(ランダムな)世界では、でたらめな行動パターンがベストなこと。よく練られた魔法の儀式はまさにこれだ。でたらめな(行き当たりばったりな)行動を促する。 

 カナダのラブラドール(Labrador)インディアンは狩りがうまくいかない日が続けば、トナカイ(caribou)の骨を焼く。骨に亀裂が入り、次に向かうべき方向を「ランダムに」教えてくれる。

(「オラクル」ですね。亀の甲羅と動物の骨、亀甲獣骨文字というものが古代大陸の殷(商)の時代にありました。占いは日本にも輸入されました。卑弥呼の亀甲占いは(史実的に正しいのかどうか知らないですが)キャラクター・イメージとして定着しました。
 映画なんかにもありますね。映画のエンディングで主人公が立つ荒野のどまん中で消えかけた道が二つに分かれている。主人公はコインを投げる。あるいは枯れ枝を投げる。どの道風任せの旅だし)

 これは非常に有効な戦術である。トナカイの骨はランダム・ナンバー・ジェネレイターだ。

 この装置がなければ、ハンターたちは、過去のバイアスに囚われて、すでに何度か手ぶらで帰ってきた方向にまた向かってしまうかもしれない(そして当然今度も手ぶらで帰ってくる確率が高い)。またハンターたちが決まりきったルートを選べば、獲物の動物たちのほうもそれを知って回避戦術を取る確率も高い。

 迷信が行動をランダム化するのに有効であるのに対し、魔法はそのランダムな行動を「正当化」する。これは二次的だが大事なポイントでもある。

 ところが、今日の経済予測や企業の事業計画手法は、概ね機能不全を起こしている。なぜか。
 過去のパターンに囚われ、バイアスがかかっているからである。イノヴェーションに踏み出すのではなく、過去を正当化してしまっているからである。
 ほとんどの予測テクニックからはランダムな結果ではなく、バイアスのかかった数値の羅列しか出ない。
 トナカイの骨を焼くほうがよっぽどいい。

**********

(今読み直したら重要な例示が欠けていますね。「動物の骨を焼く」はたしか「もののけ姫」冒頭にもあった)

 つまり「反対派」も「推進派」も影響度合いがよくわかっていない。わかっていないときにどういう行動パターンが必要か。人類は不確実性と向き合う難しさについては太古の昔からわきまえていて、サイコロを転がして(あるいは動物の骨を焼いて)いたんです。

 でも、今回の騒ぎで私が一番心配なのは、次の点だ。
 上にも書いたように例えばトルコは間違いなく域内大国である。日本は域内どころか世界の大国のひとつである。「黒船来襲」、「尊皇攘夷」のメタファーがいまいちなのは、そこが全然違うところ。

 なぜなら、今まで様子見していたカナダもメキシコも(NAFTAのFTA圏ですよ?)日本の様子を注視しつつ、「アメリカにいじめられるから逡巡してたけど、んじゃうちも参加すっぺか」となっている。ビッグ・プレイヤーだと知らないのは自分だけ。
 まるで日本は自分の行動が他に全く影響を及ぼさないかのように振舞っているのがとても信じられない。あるプレイヤー自身の行動によってゲーム全体の枠組みが変わる。こういうゲームは実は解けません。解けないから皆悩んでいる。

 悩んでわからないままシャーマンが座していると、ラブラドール・インディアンなら部族が飢えて死ぬ。もちろん「影響など微々たるものである」と座して待つ戦略を否定はしないが、そんな声はあまりないでしょう。影響が微々たるものなら踏み出せばいいんだし。

 SkyrimからTPPを見据えるとなんか格好いいけど、ほとんど全く関係ない話。ま、記事ひとつ稼げたからいいか。

2011年11月13日 (日)

Skyrim、PC日本語版?

 Skyrim、PC版も日本語版ローカライズ済みとか。

http://www.4gamer.net/games/125/G012566/20111111062/

 む、すでに日本語版が選べるようになっているのか、それともローカライズ・ファイル追加とかするつもり? あるいはSteam版だけ?

 Bethesdaマーケ・ハインズ氏の勘違いじゃないことを祈りましょう。

 しかしそうなってくると、来週でいいやと思っていたパッケージも、早く届かねえかな、と気もそぞろになるね。頼むぜDHL。 

2011年11月11日 (金)

Dragon Age と The Elder Scrolls

 今うんうん唸っているテーマに関連しそうなので、Dragon Age と The Elder Scrollsの関係でも考えてみよう。
 断っておきますが、比べてどっちが勝ったとかまさっているとかいった、ガキみたいな話にはなりません。そんなものは個人の嗜好で左右される。

 もう少し普遍的なことがいえないかな、というのが狙い。ま、失敗するかもね。

 なお本来「世界」と書くべきところ、敢えて「社会」と書いている部分があります。後から使うつもりの社会学者・宮台真司氏の定義が通常のものとは違うので、混乱しないようにするため。セダス大陸は世界じゃないの? Skyrimで主人公が歩くのはワールド(世界)じゃないの?という疑問が湧くかもしれません。野生とか自然とかそれらもひっくるめて「社会」と言い切っています。気になったら「世界」と読み替えてください。今のところは問題ないはず。

 色々なアナロジー(比喩)があると思います。もちろんアナロジーの限界をわきまえて言わなければならない。ふたつの事柄が「似ている」ということは裏返せば「似ていない」部分があるということだから。

 それぞれを「箱庭」と「砂場」と呼ぶ手がある。いまいち定義がはっきりしていないが、強引に自説に寄せてしまおう。

 DA2に代表される「箱庭」RPGは、「社会」を中心に据えています。BioWareの開発者が何度も口にするようにDragon Ageの物語は「セダス大陸とそこで生活する住民たち」が主役である。よって(偶発的に選ばれた)主人公は必然的にコンパニオン集団という小さな社会と係わりあいつつ、セダス大陸という大きな社会に向き合うことになる。
 「箱庭」RPGはパーティー・プレイの形式を取ることが多いのはある意味で必然であるのかもしれない。

 通常の箱庭RPGであれば、その「社会」に係わりあう主人公の物語で終わります。「空の軌跡」シリーズがそうですね。人間関係に非常に重きを置く。FFの一部にもありますね。中期の作品はみなそうかな。JRPGはすべてそうである、ただし、といって例外を挙げたほうが早いかもしれないくらい。これには理由がありそうです。それは後述。

 おっと、忘れないように書いておこう。FFXは、あれは民俗学でいう境界人とマレビトの物語ですね。「シン」を倒す宿命を帯びてしまった巫女のユウナは、いかなる共同体にもまともには入り込めない存在、境界的存在(マージナルマン)。外部からの来訪者(異人、まれびと)であるティーダの力を借りて、使命を全うする。
 泣いたでしょ? そら泣きますよ、だって物語原型だもの。他にもありますね。例えばIco。主人公が異形であるが故に部族から追放された境界的存在で少女がマレビト(これは見方を変えると逆も言えるかも)。境界的存在の例に「ナウシカ」を挙げる人も多い。広い意味では「カリオストロ」だって境界的存在(クラリス)とマレビト(ルパン)だし、そもそも宮崎駿の物語の原型ともいえる。「もののけ姫」もわかりやすい。姫は人間でも自然でもない境界の世界にいる。主人公は遠く東国から訪れた「マレビト」。
 The Witcherのゲラルトも眠狂四郎も境界的存在といえます。きりがないね。

 だが、Dragon Ageの世界では、「社会」の外側により大きな存在があることが前提となっている。問いは「箱庭」がなぜそこにあるのか、だ。不在の神メイカーの教えを伝えるチャントリーはそのことを明示的に示そうとする。「宗教」は「社会」より大きな存在です(そうでなければ、人々が完璧に理解できるなら、そもそも宗教の存在意義がない)。

 ところが「宗教」もまたそれより大きな何かを前提にしている。DAではメイカーなる「全能神」がその一つ。またフレメスが予言するように「抗えない大きな変化」なるものもある。如何ともしがたい事柄があるわけです。

 そうした存在は、それ自体が目に見えない、手に取れない、コミュニケーションできない存在です。到底不十分ながらも、言葉でしか描くことができない。作り手はシナリオのセリフを熱心に書き込み、プレイヤーに売りこまなければならない。メイカーを登場させずして、不在の神メイカーについて語らなければならない。抗えない何か、が何かすらわかっていないのに、それについて語らなければならない。

 「BioWareはシナリオが売り」ではなく、必然的にシナリオを磨き上げなければならないものを作っていると考えたほうがいいかもしれない。
 誤解のないように触れておきますが、BioWareのDnD準拠のゲーム(Baldur's Gate、Neverwinter Nights)に登場するDeities、神々、いわゆるパンテオンは「社会」の中の存在です。なぜなら対話できるから。レスポンスがあるから、ご利益・祟りがあるから。

 JRPGが「社会」を描きこむのも、日本がアニミズムだから。森羅万象に八百万の神が宿るというだけあって、社会が全体でありその外まで規定していないから。何事ですら、山河が相手ですら「話せばわかる」と思っているから。嘘だと思ったら地鎮祭とか竣工式とか、なぜやると思います?
 この世界に意味不明で「抗えない力」などないと思っている。天災への接し方ですら基本的な発想は「なにか意味があんだろう、仕方あんべ」。あの「震災は天罰」などといった、空気を読むことすら拒否した発言がそれを象徴しているんでしょう。

 DnD準拠のBioWareゲームが膨大なセリフを必要としたのは、DnDフェイルーン亜大陸の複雑な世界情勢を描かなければならなかったことがひとつ。
 もうひとつは、悪のBaal神の末裔として生まれたBGの主人公が何ゆえに善をなすのか、NwNでは戦う善の神Tyrのしもべであるパラディンはいかにして堕落してゆくのか、といった、ぼんやりとですが「抗えない力」に関するモチーフが顔を出しているからもある。
 ただし、DnDはライセンサーWtoCの許しなくして「社会」、フェイルーンの物語世界をぶち壊すことはできませんから、DAに比較すると物語は「社会」と接する「個人」にぐっとよったものになってしまいます。そしてまさにそれが、BioWareが人様のDnDではなく自社IP(フランチャイズ)を欲した理由でもある。「好きなように造って好きなようにぶっ壊す」ため。

 Mass Effect 2のDLC、Overlordには、私が最初誤訳をやらかしたセリフがあります。

 イギリスの19世紀ヴィクトリア朝時代の詩人・劇作家ロバート・ブラウニングの次のセリフが元だった。
“Ah, but a man's reach should exceed his grasp, or what's a heaven for?”

 拙訳は「何言ってますか、人は見えないところ、手の届きそうにないところまでも目指すべきなのですよ。そうでなければ天国は何のためにあるのですか?」

 まさにこういうことですね。
 ちなみにMass Effectの世界では、「銀河文明の意味は何か」(箱庭はなぜそこにあるか)という問いに対して、「リーパーズの餌場でしかない」という答えを提示している。リーパーズとは交渉こそできませんが、対話はできる。存在がハッキリしている。勝てるかどうかはともかく戦えてしまう。Mass Effectは想像を絶するほどの時空の広がりを描こうとしていながら、上の一行で説明を終わることができる。今後もうひとひねりあるのかもしれませんが、今のところは外敵の襲来と戦う銀河文明「社会」の物語でしかないんです。BioWare開発者が「シェパードはあくまで軍人だからね」というように、非常に単純な物語です。

 DAシリーズ、特にDA2が膨大なセリフを必要とするのは、メイカー、抗えない力、セダスを襲う変化の予兆などを示さなければならないから。それはセリフでしかできない。なぜなら目に見えた瞬間にそれらの超越した何かが矮小化されるから。
 また私が抗えない力に「運命」や「定め」などとレッテルをはらないのも同じ理由です。そうすることによって、まるで人が何かを手中に収めたように勘違いするから。そもそも個人の運命や定めの話などではない。社会あるいは文明全体がどのような混沌状況に置かれるか、不確実性に支配された社会がどう振舞うかがテーマだと思われるからです。

 一方でMass Effectがハードボイルド的なぶっきらぼうな語りで済んでしまうのは、それが物語のスピード感、宇宙空間における無常観を示すのに最も合っていることもありますが、最大の理由はリーパーズを含めた全てを目で見える形で提示できるからです。何百万年前の出来事ですら、宇宙をさ迷う難破宇宙船を見せることで示す。説明はあまりいりません。
 一番もたもたしているのがゲスという集団意識の説明ですが、ヒューマンとのハイブリッドのような対話可能な代表者を登場させたり、現代のコンピューター・ネットワークのメタファーを用いることで済ませてしまった。まあ、これは仕方がない。

 「砂場」RPGのTES(Morrowind、Oblivion、そしてまだ見ていないがSkyrim)もまた「社会」を事細かに描き込んでいます。そこでは確かに人々が息づき、生活し、争い、恋をしているだろう。そしてDA2と大きく違うのは、その「社会」自体を探索し、争いに巻き込まれ、打ち勝っていく「個人」が主役であることです。

 TESでは「社会」の外の存在を意識することは希薄です。「砂場」は目の前に与えられた。その意味を問うことはしないし、させない。たしかに異次元からの侵攻は存在しますが、例えばOblivionのそれは目に見え、戦えるわけだから現実世界の軍事大国と置換可能でしかない。その点でDA2のブライトも天災や疫病のメタファーであると言えます。Skyrimのドラゴンと戦えるように、DAのアーチディーモンとは戦える。それらは「抗えない力」でも、想像を絶する超越した存在でもない。

 TESは一人称視点(あるいは主人公の肩の上からのぞく三人称視点)を貫徹します。主役となる「個人」はプレイヤー。「社会」と係わりあうプレイヤーに特別な言葉は、実は必要ありません。冒険者として地元民たちと最低限のコミュニケーションさえできれば、野生動物や化け物に殺されないだけの武芸があれば十分なのです。
 TESはシナリオが弱い、ストーリーが不在などといわれますが、それらは元々「いらない」ものです。同様の「砂場」RPGを指向するTwo Worlds IIでも、やはりセリフは単純なコミュニケーション手段でしかありません。

 同一フォーマットを用いたFallout 3もまた同様です。「社会」の隅々まで歩き回る主人公が何を見て、プレイヤーがどう感じたか、それだけが大事である。様々な出来事に共通する意味づけなんかいらない。しいて言えば、やっぱこうなってるよな、とナットクできる要素があればいい。

 Fallout: New Vegasでは、開発したObsidianがやたら凝った設定とプロット、メチャクチャ細かく書き込んだセリフを見せてくれました。たしかにそれによってFallout 3にはない不思議な味わいは生まれた。
 一方でFallout 3に比較して「窮屈である」と感じる人もいるでしょう。Fallout 3ではEnclave、Brotherhood、その分派など敵対はしているものの、誰が誰とどう戦っているのか誰にもわからないままですが、New VegasでNCRとカイザーというふたつの大組織が地理的にも地図を二分している構図にしてしまえば、カオスぶりは大きく減ってしまう。
 人によっては「いらない」はずのストーリーを押し付けられたと感じるでしょう。DLCであるOld World Bluesのようにごく限られた範囲で濃密なストーリーを展開すると、これはうまくいったわけだから、ストーリーが悪いわけではないのですが。

 DA2は、「抗えない力」に翻弄されてもがき苦しむ(危機的状況をどうにかして克服しようとしている)「社会」と、そうした「社会」に対する主人公(プレイヤー)の接し方を描いている。逆に言えば、「社会」がどう抗おうが大きな変化は訪れるし、そのもたらす影響、混沌は計り知れないという期待(諦め)がある。
 主人公が逆境にあること、それを克服することはテーマじゃないんです。現にそうである場面はOriginsでもDA2でもそんなに多くはない。

 TESでは広大な土地(「社会」と言っておきます)を歩き回ること、それ自体が目的であり、「個人」である主人公(プレイヤー)がその経験をどう感じるかが大事である。遍歴、武者修行、冒険者の原型ですね。

 JRPGの多くは、「社会」の中の濃密な人間関係を描こうとする。なぜなら日本にはもう濃密な人間関係が身近にあまり存在していないからかもしれない。逆境に置かれて苦悩するのも、ここでは主人公かその近しい人物である場合が多い。

 Dark Soulsについては以前も書きました。主役はもはや「個人」どころじゃない。その個人の「行為」自体が目的である。その点ではスーマリや、もっと古くはスペースインヴェーダーと変わりはない。物語・ドラマはプレイヤーが「いや苦労したわい」という点にある。物語・ドラマの外にある。

 どれが良いとか悪いとか、優るとか劣るとか、そういうことではないんですね。

 ただし私がThe Witcher 2の物語にはピンとこなかった感想を抱いたり、FFXIII(零式含む)の背景設定に「はあ?」と思ってしまうこととは、深い関連があるのかもしれない。 

 

Skyrimがきてしまう。

 しかもムダにコレクターズ・エディッション。フィギュアなんていう偶像崇拝の発想はとっくに卒業しているし、飾る場所に困るだけだ。

 Amazon.comはすでに出荷しているそうなので、入手は来週初めかな・・・。 

 よしんば今週末手に入れてもまだまだ「零式」もあるし、Uncharted 3なんて冒頭2時間くらいしか遊んでいない(ネイサンはまだガキんちょ)。

 Dark Souls ? 無茶言わんでくれ。あれは心身とも充実してないときにやるもんじゃない。

 IGN、GameSpotともSkyrimには高評価(PC版で9.5、9.0)を与えている。

 レヴューを端から端まで読んでしまうのは興ざめなので、まとめの部分だけにしておこう。

 まず、GameSpotのケヴィンの指摘する良い点・悪い点。

 The Good

  • Immense world stuffed with varied tasks to perform
  • Dragon battles are a blast
  • Lovely art design capped by some beautiful, atmospheric touches
  • Enjoyable battles that you can approach in a variety of ways
  • Lots of compelling, self-contained stories to experience in addition to the main one.

 The Bad

  • Glitches and bugs frequently disrupt the immersion
  • Friendly AI is often more of a hindrance than a help.

 良い点を見ると、ドラゴン・バトルを除く項目は前作Oblivionにも通用する内容。
 その水準が高まったということもあるだろうが、前作までの路線はそのまま踏襲しているということでしょう。ごくごく真っ当な保守的なつくりということだ。
 エンジンを刷新したので、プレイの中身まで変更するリスクをとらなかった?
 いや、すでにやりたい中身のアイデアはとうの昔に完成しているので、それをより正確に実現するためエンジンを刷新したのでしょう。 

 IGNのレヴューのクロージング・コメント。 

"It's difficult to ever feel completely satisfied with a play session of Skyrim. There's always one more pressing quest, one more unexplored tract of land, one more skill to increase, one more butterfly to catch. It's a mesmerizing game that draws you into an finely crafted fictional space packed with content that consistently surprises. The changes made since Oblivion are many, and result in a more focused and sensible style of play, where the effects of every decision are easily seen. Featuring the same kind of thrilling freedom of choice The Elder Scrolls series is known for along with beautiful visuals and a stirring soundtrack, playing Skyrim is a rare kind of intensely personal, deeply rewarding experience, and one of the best role-playing games yet produced."

 Skyrimは、これだけプレイしたのだから満足だと感じるのは難しい。あとひとつ、もうひとつやるべきことがあって前に進む。その繰り替えし。オープン・ワールドRPGの面目躍如でしょうか。
 Oblivionからの変更については数多いそうだ。それらによってゲームは、プレイヤーの決断の結果が容易にわかるような、明瞭で理にかなったプレイ・スタイル(a more focused and sensible style of play)に導くものになっているという。

 つまりDA2のマイク・レイドロウ氏が「コントローラーのボタンを押せばなにかすごいことが起きること」と履き違えてしまった「レスポンシブネス」を、トッド・ハワード氏は間違えなかったということね。うーむ。
 言うならば、「コントローラーのボタンを押せば(マウスをクリックすれば)当然起きるべきことが自然に起きる」ということだろう。
 
 主流のFPSに代表されるようなリアリズム偏重主義という批判はあるだろうが、DA2のコンバットが一部から「あほくさ」とか「うそくさ」という悪評をとってしまったことからみても、"sensible"であることそれ自体が自然な成り行きということだろうか。

 だがDA2とTES(The Elder Scrolls)をそのまま比べるのは、Dark SoulsとSkyrimを比べるのと同様に、あまり意味がないのかもしれない。

 書いていたら非常に長くなったので記事を分けます。次回に。

2011年11月10日 (木)

Baldur's Gate が一番?

 これはどう解釈すればいいのだろうか?

 http://www.eurogamer.net/articles/2011-11-08-game-devs-favourite-is-baldurs-gate

 the World Gaming Executives networkなる団体は4年くらい活動しており、3万人のメンバーを擁しているとのこと。メンバーは主としてヴィデオゲーム開発者なのでしょうか。
 そこのホームページを見てみると、"The Business Network Hub for the Worlds Gaming Elite"とある。ヴィデオゲーム業界人コミュニティのための活動を狙いにしているようだ。

 そのうち開発者1000名が、WGE magazineの創刊企画にあわせ、オールタイムのヴィデオ・ゲームトップ20を選びました、というリストが次。ちなみにWGE magazine自体の購読はフリーだが、下のリストが載っているだけであった。

 困ったらランキング、この手の企画はいくらでも目にします。ただし編集者個人・グループによるもの、読者の投票によるものはあるが、開発者の投票というのは稀かもしれない。

1.Baldur's Gate series (1998)
2.Diablo series (1996)
3.Curse of Monkey Island series (1997)
4.Shadow of the Colossus (2005)
5.Mass Effect series (2007)
6.Batman: Arkham Asylum (2009)
7.StarCraft (1998)
8.The Legend of Zelda (1986)
9.EverQuest (1999)
10.Devil May Cry (2001)
11.Tomb Raider series (1996)
12.BioShock (2007)
13.Metal Gear Solid (1998)
14.World of Warcraft (2004)
15.Deus Ex (2000)
16.Super Mario series (1985)
17.Call of Duty: Modern Warfare (2007)
18.Silent Hill  (1999)
19.Assassin's Creed (2007)
20.Deadspace (2008)

 シークエルなどシリーズものはひとまとめにされている。
 色々な見方があるでしょう。

 例えば一般的なジャンルわけ。
 20位までにMMORPGはEverQuestとWorld of Warcraftのふたつ。
 RPGは(境界線があれだけれども)、Baldur's Gate series、Diablo series、Mass Effect seriesで3つ、The Legend of Zeldaを入れたければ4つ。
 FPSは、BioShock、Call of Duty: Modern Warfare、Deadspaceと3つ。
 その他は、自然な流れでアクションが優勢ですが、各ジャンルのトップランナーたちが並んでいる感じでしょうか。アドヴェンチャー(2、18)、プラットフォーマー(16)、ステルス・アクション(13、15)、RTS(7)とか。

 開発メーカー。Blizzard強し(2 7 14)。以下BioWare(1、5)、任天堂(8、16)、コナミ(13、18)。国籍でもまだまだ日本は踏みとどまっている。

 プラットフォーム別は、なにしろゼルダ、スーマリのように自社マシン・エクスクルーシヴがあるからあまりあてにならない。マシン自体の世代も大きく変わっている。でもPCがまだ優位な感じはしますね。

 個人的には、この中で知識すらゼロなのがCurse of Monkey Island だけでした。一度もプレイしたことがない(触ったことすらない)のはそれに加えてEverQuest、Silent Hill。
 理由は順番に、「だってそれ大人向けなの?」、「MMO食わず嫌い時代」、「怖そう」。

 EQはともかく、他ふたつはちょっとはやってみないといけなくなっちゃいました。

 一番最初に感じた違和感は、まだ"Baldur's Gate"が一番なのか・・・、というところですね。
 玄人筋が、RPGというニッチ・ジャンルの作品をいつまでも一番目に推すというのは、いかなる理由なのだろうか。
 私なりの解釈を書いておこう。

 時代で切り分けるとわかりそう。上には一番最初の作品のリリース年を調べて書いた。ただし、「長寿シリーズ」が多いのでこれは実は補正がいる。
 例えばゼルダ。FCの1986年と書いてあるが、ガイジンの開発者が投票しているんだから、本来は"A Link to the Past"(1991)か、"Ocarina of Time "(1998)なのかなあとか。
 スーマリも、1985年のFC/NESオリジナルつうか、SFC/SNES"Super Mario World"(1990)かなあとか。Baldur's Gate も間違いなく"II"(2000)のほうが好評。

 つまりですね、投票した開発者の人たちが何歳だったかが重要だと思うのですよ。きっとコア世代があるのだ。 

 マリオ、ゼルダを補正してもしなくても、20世紀末期に山がありそうなのがわかりますよね。もうひとつはごく最近のベストセラーたちの山がありそう。  
 なぬ、わからん? 並べ替えよう。

16.Super Mario series (1985)
8.The Legend of Zelda (1986)

2.Diablo series (1996)
11.Tomb Raider series (1996)
3.Curse of Monkey Island series (1997)
1.Baldur's Gate series (1998)
7.StarCraft (1998)
13.Metal Gear Solid (1998)
9.EverQuest (1999)
18.Silent Hill  (1999)
15.Deus Ex (2000)
10.Devil May Cry (2001)

14.World of Warcraft (2004)
4.Shadow of the Colossus (2005)
5.Mass Effect series (2007)
12.BioShock (2007)
17.Call of Duty: Modern Warfare (2007)
19.Assassin's Creed (2007)
20.Deadspace (2008)
6.Batman: Arkham Asylum (2009)

 これでわかるかな。
 お、自分でも気がつかなかった世界も見えてきたな。

 まず予想していたほう。
 20世紀末期にヴィデオゲームをメチャクチャ遊んでいた(にきまってますね、開発者なんだから)世代は、それから10年以上たっているわけです。PCが手に入るのがだいたい大学生時代だったとして今30歳代になってますね。 開発者の彼ら(彼女ら?)の多感な時期、膨大な時間を費やせる時期に遊んだタイトルが並んでいるのだと思う。

 一言で言ってしまうと、"Diablo"前後で大きく違う世界になった。ここに一つメルクマール(merkmal)があるのでしょうね。安物マウスを大量に購入し、何個もぶっこわしながら延々と遊べる人たちがいた。
 そしてそれにひきずられるようにPCでゲームを遊ぶことがごく普通になっていく。運良くというか、その時期にリリースできた"Baldur's Gate"シリーズはとおしてプレイするだけでも数十時間以上、全ての展開を見たいとなると数百時間もかかる作品です。膨大な時間を費やすことができるプレイヤーたちにとっては至福の時間だったのでしょうか。

 それ以前は、ヴィデオゲームの中興の祖である任天堂を擁する日本が輸出大国であった。"Diablo"の時代から彼我の相対的な位置関係、流れが変わっていったわけです。
 エポックメイキングなゲームで社会的なインパクトも大きいはずの"Civilization"(1990)、これも年代を補正するとシリーズの完成型となった"Civilization II"(1998)、あるいは"Ultima Online"(1997)なども同時期ですね。リストからは漏れてしまっているけど。
 こうしたリストでは編集者が選んでも読者が選んでも必ず上位に入選する"Half-life 2"(2004)が見当たりません。でもシリーズ初代"Half-life"は1998年リリースなのでコアの時代に含まれている。
 同じく人気投票の常連、"Grand Theft Auto"(1997)にはじまるGTAシリーズも漏れている。こうしてみると、このたかだか数年のスパンがヴィデオゲームにとって異常な時期であったことはおわかりいただけるのではないか。 ただ、なぜHL2とGTAというオールタイム・ランキングの定番が開発者に選ばれなかったか、そういう考察は門外漢の私にはちょっと荷が重い。

 それから並べなおして気がついたこと。
 やっぱ2001年のあの事件は大きかったのかなあ、ということすね。どうも断絶があるようです。リストには(事件の影響が直接はないかもしれない)日本人作家のものもありますので、アメリカ人がへこみ倒していたという前提で考えると、概ね2007年リリースの作品くらいまで影響が続いていたのかな。

 その空白の時代にリリースされたゲームは(2001年のあの事件以前から開発されていたとしても)、「ゲームなんぞで遊んでいる場合じゃない」と不当に低く評価されている(あるいは意識から消されている)のかもしれない。
 各ゲームサイトのGame of the Yearで見てみると、2001年は"Grand Theft Auto III"と"Halo"。2002年はとてもわかりやすく"Final Fantasy X"、"Metroid Prime"、"Ico"と和製が割拠。2003年は"Call of Duty"の年。2004年は"Half-life 2"一色です。2005年は"Resident Evil 4"(バイオハザード4であってる?)で2006年が"The Legend of Zelda: Twilight Princess"、"The Elder Scrolls IV: Oblivion"、"Gears of War"などなど。 

 当然オールタイムに選ばれてもおかしくないものもありながら、一方で日本勢が目立ったりもする。
 
 それとも、別の理由があるのかもしれません。優秀な開発者世代がサイクリックに生まれるとしたら、たまたまその時代に重きを置く開発者層が薄いだけだったのかもしれない。FCは1983年リリースですが、欧米ではNES(FCの欧米版)が1985年にリリース。10年足して1995年あたりがそれで遊んだ世代が30歳代になっている頃ですから、上のオールタイムが異常に密集している時代の説明になるかもしれない。さらに10年たって、その連中が40歳台で資金も権力も手に入れ、今度はプロデューサーとして活躍とかね。
 あるいはプラットフォームが切り替わる時期だったのかもしれない。

 これ以上言うには、膨大なリストを年代別に並べなおしたり、他のランキングと比較したりしないといけません。そこまでやる義理もないかもしれない。

 ニッチ産業のRPGが一番てのはどうゆうことよ、と思って考えてみた次第です。 

 
 

ワイルド7

 珍しくリアルの書店に立ち寄った。丁度買いたい雑誌があったのだが駅売りで見つからず探すためだった。どうやら発売日を間違えていたらしい。
 ふらふらと店内を回っていたら、「ワイルド7」なる文庫本がおいてあった。

 二日酔いでもあったので、それが「ワイルド7」であると認識するまでしばらくかかり、そうわかった後には「そういうタイトルを勝手に使ってはだめだろうよ」と怒り出した。

 なんだろう、宮部みゆき的な小説のタイトルだと勘違いしたんでしょうね。

 手に取ったら帯に「映画化」とある。
 腰が抜けました。へなへな。

 もちろん買わずに、急いで店を出た。モバイル・ネット環境と無縁な私は、オフィスか自宅でなければ満足する形でネットにアクセスできない(ま、さすがにケータイはあるけどね)。

 今トレイラーを観終わったところだ。

 まあ・・・。まあねえ。メンツを改変しているのも構わないし、草波が中井貴一ってのもまったくイメージ違うけど別に気にしないし。俳優たちはジャニーズではないのでそれだけで好感が持てるし。(ああ、ちゃんと見たら関ジャニがいた・・・。まあ汚染範囲は留まるところをしらんのだな、いたしかたなし)

 「八百」さんはやっぱそのまんまじゃ具合が悪かっただろうしね。プロ野球から八百長問題で追放されたことのどこが犯罪なんだろう、と思っていたが時節柄「八百長」ってのはね。

 なんだけどね。今風に「掛け替えのない仲間」とか、「命を捨てても救うべきもの」とか、「国家に追われ」とか、劇場に足を運ぶ気が一気に失せるフレーズのオンパレードなんだよな。つまりそういう話なら「ワイルド7」である必要はまったくない。DVD/BD待ちかな。

 公式サイトで「元犯罪者!」と連呼するなら、いっそ本当に元犯罪者の芸能人7人出したらどうなんだろ? って、もろ浅草キッド系のネタになっちゃうからやめますが。

 かくいう私、望月三起也先生の原作マンガは、(さすがに連載を最初からリアルタイムで読めたわけではなかったが)なけなしのお小遣いをはたいてでも、自分で全巻集めなければ気が済まなかったくらいの大フリークでございます。プラモも作ったなー。

 その前身となった「秘密探偵JA」のほうも集めたのですが、あまりにウキヨ離れした物語なので、そんなにはまったわけではなかった。ガンファイトなどの細部は見所満載ですけどね。
 「ワイルド7」(1969-1979)も連載開始当初は「JA」と似たり寄ったりのどーでもいい突拍子もない物語だったのですが、その後、よど号事件をヒントに、旅客機ハイジャックに題材を取った「誘拐のおきて」で当時としては画期的な、リアル日本の政治的、経済的諸事情なんかも描きこんでいき、大学紛争をカモフラージュにしながら、国家転覆をもくろむ自衛隊クーデター一派との死闘を描いた「コンクリートゲリラ」でついにその世界が確立した。

(一説によれば、望月先生はメンバーを徐々に殺していくつもりだったが、この「コンクリートゲリラ」で二人が殉職したときのファンの反響(すなわち怒号)があまりにすごかったので方針を変更し、長期連載を決意したのだそうだ。だがメンバーが次々に死んでいくモチーフは、その後フェイクであったり、実際にそうであったり繰り返し用いられる)

 連載漫画家まで猫も杓子もベトナム戦争ものを描いていた時代の「千金のロード」は、なぜ日本の警察官(ワイルドは警視庁所属かな)がかの地まで出張っていかなければならないのかは良くわからんかったが、「サイボーグ009」のベトナム編と並んで、出色の出来栄えだと思います。

 その後は、設定面でのハズレはほとんどなく、また物語のヴァラエティーも豊富で、自分が搭乗するはずだった旅客機の墜落現場を調査する飛葉が米軍の陰謀に巻き込まれる「爆破105」、新設新幹線に絡む暗殺計画を阻止する「黄金の新幹線」、左翼テロリスト篭城ものの「谷間のユリは鐘に散る」、たぶん先生はマカロニ・ウェスタンがやりたかったんだろうなあー、とこれもなぜか飛葉がメキシコくんだりまで出張する「熱砂の帝王」。ああ、全部書いていたらいつまでも終わらん。
 「ゴルゴ13」なら誰でも知っているが、それに比較して「ワイルド7」はなぜか人気がイマイチ。少年キングという一番売れない少年誌が連載の舞台だったせいもあるかも。私は心の中でいつも「ゴルゴ13」なんかの百倍も痛快で面白いんだけどな、と思っていたが。

 その後も、続編はできるだけ手に入れるようにしていたんですが、なんとか読めたのは「新ワイルド7」までかな。「続・新ワイルド7」、そして「飛葉」になるとちょっとついていけなくなった。先生のマンガの隠れた売りであった、スタイル100点、バタ臭い別嬪のおねえちゃんたちの登場人物が、後になっていくにつれ、ひとつもかわいく見えなくなってきちゃったんだよね。絵が雑になっていったのもある。

 それから先生の特徴のひとつ、ルーズエンドが多いこと。伏線として用意したけど結局最後まで使わなかったのね、という部分かなりある。描いてる途中でどんどん気が変わっちゃうんでしょうね。

 なお、TV版とかOVAは私の中ではなかったことになっています。あくまで原典オンリー。

 もちろん少年たちの好きそうなガン、あるいはバイク、自動車などのハードウェアの描き込みなどの要素も重要でしょうけど、なんといってもアクション映画顔負けの設定とドラマは他に類を見ないものでした。

 思い出の名シーンはいくつもありますけどね。

 やはり、友達仲間で大騒ぎしたのは「コンクリートゲリラ」のこれかしら。
 クーデター一味が都内にミサイルを持ち込むため運搬するトレーラーを、飛葉の乗る白バイが停止させる。運転手たちは「職質だろ? 面倒になったら撃っちまえ」とヘラヘラ笑っているが、飛葉が運転席に向けていきなりショットガンをぶっ放すシーンだ。
 「ダイハード3」"Die Hard: With a vengence"(1995) でブルース・ウィルス扮するマクレーン刑事がそっくりそのまま真似してます。いや真似してるのが事実かどうか(間違いないと思っているが)に係わらず、「ワイルド7」は20年も前にやってるのだ。

 それから「セレンディピティ」"serendipity"なる単語の本当の意味を説明するときに、私が必ず持ち出すのが「ワイルド7」の次の一シーン。(どの巻であったか忘れちゃった)

(注)本当の意味とは、ただの「偶然の出会い」なんかじゃなく、アルクによれば次のような意味。

 別のものを探しているときに、偶然に素晴らしい幸運に巡り合ったり、素晴らしいものを発見したりすることのできる、その人の持つ才能。
 【語源】イギリスの作家ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)が1754年の書簡で使った造語。次々に予期せぬ発見をする"The Three Princes of Serendip"というペルシャの童話から作ったもの。

 草波と飛葉は、飛葉のガールフレンドの営む喫茶店にいる。草波たちの命を狙う一味からその店全体に無数の爆弾を仕掛けたとの電話が入る(一味が爆弾を仕掛ける間、ガールフレンドが店に立ち入れないようにする伏線も張られていた)。その話を漏れ聞いた客があわてて逃げ出そうとすると床が爆発して死ぬ。窓もだめ。一歩でも動けば、あるいは手近な何かに触れば爆発する。他のメンバーも駆けつけるが、店内に入れるはずもなく、なす術もなく店を遠巻きにして見つめるだけ。
 草波と飛葉は脱出可能な出口までの床板一枚一枚を、まるで地雷原を進むようにはがして進みはじめる。

 だが一味は草波たちがそういう行動を取ることも予想しており、一定時間が過ぎればキッチンに隠してある大型の爆弾が爆発する仕掛けなのだ。人ひとりを吹き飛ばす程度の火力のそれ以外の仕掛け爆弾と異なり、キッチンの爆弾は店全体を吹き飛ばす威力があるので、爆発したら草波たちはひとたまりもない。

 しかし、その刻限が過ぎても店は一向に爆発する気配がない。遠くから双眼鏡で監視している一味の見張りが舌打ちする。なぜしくじったのか?
 ガールフレンドの妹、小学生低学年くらいの彼女が、あまりの緊張に耐えかねて喉がからからになり、キッチンの棚の中に隠すように置いてあったコップの水を飲んでしまっていた。その子がどこから水を手に入れたのか詰問されている間、一同は棚の中の爆弾を発見する。

 そのコップには水滴がしたたり落ちるようになっており、満タンになるとその重みで大型爆弾が起爆する仕掛けであった。
 「絶対に何にも触るな」と言われていたのでなかなか言い出せず、ようやく白状して怒られるのを覚悟している半泣きの妹をガールフレンドが無言で強く抱きしめる。

 映画にするならこういうシーンもありじゃねえの?

 

2011年11月 9日 (水)

世界の創造(2)

 表題にナンバリングする意味すらないほど、繋がりは乏しいかもしれない。
 問いへの答えは実は漠然とあるのだが、ハッキリするまで伏せておこう。

 ドラクエ(1986-)25周年のイヴェントがあって、堀江さんが色々なところで同じことを言ってますね。
 容量が極めて限られていた時代、無限に湧いてくるアイデアを必死になってなんとか詰め込もうとしていた時代が一番愉しかった、というお話です。
 ドラクエIII(1988)だったか、オープニング・シークエンスが完成していたにもかかわらず、容量の関係で(最初のFC版では)丸ごとカットされたのはあまりにも有名なエピソード。
 その作品でやりたいことを全部やってしまっていたので、続編を期待する声にどうこたえようか困った、というお話もある。

 その容量も関係ありそうだ。スクウェアの初期の作品はどんな物語だったのでしょうか。

**********

「ファイナル・ファンタジー」(1987)

"土、火、水、風の4つの力がさえぎられ、暗黒に包まれた世界。人々は世界を救う「光の戦士」の伝説を信じ、待ち続けていた。

長い長い旅の果てに、光の戦士の証である4つのクリスタルを手にした4人の若者がコーネリアの地へと辿りつく。そのころコーネリアでは、かつてこの王国のナイトであったガーランドによってセーラ姫がさらわれるという事件が発生していた。戦士たちは、王の願いを聞き入れ、ガーランドが立て籠もるというカオスの神殿へと向かうことになった。ガーランドを倒し、姫を取り戻した戦士たち。王はその感謝の印としてコーネリアの北にある橋を修復させた。失われたクリスタルの輝きを取り戻し、世界に再び平和をもたらすために、戦士たちは橋を渡り、未知なる大地へと旅立つ。"

「ロマンシング・サ・ガ」(1992)

"架空の世界「マルディアス」の物語である。昔、3人の邪神が神々の王と人間に戦いを挑んだ。デス、シェラハは最後には降参したが、邪神サルーインだけは降参しなかった。神々の王は10個の宝石を作り人間の英雄に与え、英雄は自らの命と引き換えにサルーインを封印した。これが伝説となった時代がゲームの舞台となる。"

「ロマンシング・サ・ガ2」(1993)

"かつて世界には、現代人よりも遥かに寿命の長い古代人が繁栄していた。古代人は長命であるが故に死を恐れ、彼らにとって自らの命を脅かすモンスターの存在は最大の脅威であった。

そんな中、世界に7人の勇者が現れる。彼らは魔物に立ち向かい勝利を遂げ、「七英雄」と称えられるようになった。しかし、モンスター達との戦いが終わりを告げると、七英雄はいずこかに消え去ってしまい、世界には“いつの日か彼ら七英雄は戻ってきて、再び世界を救う”という伝説だけが残った。

時は流れ、天変地異により古代人がいなくなった世界では、かつて短命種と呼ばれ古代人の奴隷となっていた現代人が繁栄していた。バレンヌ帝国レオン皇帝の時代、世界は活発化したモンスターの脅威に晒され、人々は伝説の七英雄にすがるようになった。

そんな折、突如として七英雄が現れた。しかし、かつて英雄と呼ばれていたころの面影はなく、ただの凶悪な7匹のモンスターへと変貌していた。

小国であるバレンヌ帝国の皇帝に、古代人の生き残りから七英雄に対抗するための力として自らが認めた跡継ぎにその能力を受け継がせる能力「伝承法」が与えられる。世界を七英雄の脅威から救うため、バレンヌ帝国と七英雄との時代を越えた長きに渡る戦いが始まる。"

「FFT」(1997)

"かつてイヴァリースを二分して争われた後継者戦争「獅子戦争」は、ディリータという名の若き英雄の登場によって幕を閉じた。

一人の無名の若者が立ち上がり、雄々しく戦い、英雄となり戦争を収める。イヴァリースで暮らす者ならば誰もが知っている英雄譚ではあるが、歴史学者アラズラムが入手した「デュライ白書」によると、本当の英雄は歴史に名前が残っていない、名門ベオルブ家の末弟であるという。しかし、教会によれば神を冒涜し国家の秩序を乱した元凶そのものだという。

どちらが「真実」なのか、アラズラムと共にプレイヤーは「真実」を探求する旅へと出かける。"

*********

 わざとそういうタイトルを選んでいるだろう、我田引水じゃないか、という批判は確かにありそうですが、印象的なものを選んだつもりです。

 FFは、固有名詞を除外して書き直せば、こんな話。

 土、火、水、風の4つの力がさえぎられ、暗黒に包まれた世界。人々は世界を救う「光の戦士」の伝説を信じ、待ち続けていた。

 ここまではそのまま。「伝説」があります。

 長い長い旅の果てに、光の戦士の証である4つのクリスタルを手にした4人の若者が辿りついた王国では、ナイトであった者に姫がさらわれるという事件が発生していた。戦士たちは王の願いを聞き入れ、神殿でナイトを倒して姫を取り戻した。王はその感謝の印として北にある橋を修復させた。失われたクリスタルの輝きを取り戻し、世界に再び平和をもたらすために、戦士たちは橋を渡り、未知なる大地へと旅立つ。"

 「4」はクリスタル(すなわちエレメント)の数でもあり、光の戦士(キャラクター)の数でもある。大事なのは、4人がいかなる経緯で光の戦士になったのかということは「長い長い旅の果てに」という以外、触れられていないこと。つまりこの物語は、とても長い物語の途中から語り始められる。旅の理由は、失われたクリスタルの輝きを取り戻す、それだけ。

 前振りに使ったくせに「ドラゴンクエスト」(1986)をなぜここで選ばないか、というと、あちらは物語原型である囚われし乙女(本来は悲嘆に暮れる乙女)、"damsel in distress"をそのまま踏襲しているからです。"knights-errant"、遍歴の騎士たちにとって、そういう境遇の乙女を(なんらかの邪悪の手から)救出することこそが、彼らの存在意義なのだから。説明無用、問答無用なんですね。「遍歴の騎士」というのは日本でいう「武者修行」と言ってもいいみたい。ファンタジー世界の冒険者のはしりです。

 いや、問答無用じゃねえだろ、で大名作「トン・キホーテ」が生まれた。
 騎士に救ってもらうどころか、逆に乙女(ではなくなった後だが)が王子を救っちゃう、となれば「ラプンツェル」。(グリム童話。ディズニー映画はどうせデタラメだろうから観ていない)。

 同じようにFFの主人公たち戦士の動機についてもなんの説明もされていません。でも、これで済んでいた。

 だいぶ時代が後になりますが、サガ・シリーズの初のSFC版となったロマサガは、マルチ・キャラクターの同時進行シナリオ(フリー・シナリオと呼ばれていた)のさきがけともいえる作品。

 8人の主人公それぞれにいわゆるプライヴェート・クエスト(群)があり、ほんとはそっちが、あるいは8人の誰の視点から見るかによって見方の変わる世界を見せるのが主眼じゃないかと思われる造りなのですが、上述の世界設定、すなわち「伝説」に従った一応の最終目的らしきものはある。

 8人が係わる理由づけは巻き込まれ型。プライヴェート・クエストを解決しようとする強力な動機づけは各自にあるが、最終目的達成は話の流れ上ですね。だって「伝説」がそうだから。(余談:ところでアルベルトとシフのお互いの係わり合い方はやばいよね。ゲームでやっていいのかと思った。余談終わり)

 ロマサガ2は前作のシステムは踏襲したが、世界は別ものとよく言われる。でも上述の世界観をお読みになればわかるように、「伝説」のパターンは奇妙に(じゃなく当然か)一致しています。前作の同時並行進行という水平の世界を、時間軸という垂直の世界に変換してみました、という感じでしょうかね。ロマサガ3、あるいはPSにプラットフォームが移ったサガフロンティア・シリーズなどは一作目に回帰しているので、アイデアは一番最初にすでに完成していたということでしょう。

 リストの最後にFFTを並べたのはもちろん意図があります。あまたあるJRPGで、上述のFFやロマサガのような、世界観と呼べるものは「伝説」時代にしか存在していない世界のものと、以前に列挙したヨーロッパの歴史を土台にしている、中にはそのままリファーしているような作品群があるとして、FFT(あるいはオウガバトル)はそのどちらともとれる割には、どちらにも属さない存在であるかもしれないから。
 ご承知の方も多いでしょうが、誘拐と奪還、戦乱と裏切り、陰謀と政争、重税と貧困、結果としての乱世。物語は混沌とした邪悪なモチーフのオンパレードである。

 メチャクチャ詳しく書きこまれた背景設定もあります。イヴァリース・ワールドと呼ばれる、FFTの舞台はFFXII、やベイグランド・ストーリーにも使われている。
 ところがそのこと細かく書き込まれた「歴史」自体には本来何の意味もない、というところが味噌。イヴァリース(畏国)、オルダリーア(鴎国)、ロマンダ(呂国)など登場する諸国はみな漢字一文字で表現され、それが独特の世界を印象づけようとしていますが、逆にそれがものすごく抽象化されている、記号化されているな、という印象を与える。つまり、そうした背景は実は物語上「どうでもいい」。置換可能。

 置換可能ではないのは登場人物、主人公の物語なんですね。上でいえば「真実を探る旅」ですら、主人公にぐっと引きつけて描いている。

 同じ作者の作品をちょっとみてみましょう。

「ベイグランド・ストーリー」(2000)

 これも名作の誉れ高いですが、イントロ説明は非常に込み入っていて長い。まとめます。

"カルト教団一味が某国の公爵邸を襲撃占拠。治安騎士団は特殊任務専門のエリート・エージェント(主人公)を投入。法王庁も聖印騎士団にて介入し、邸宅への放火によって暴徒を強引に鎮圧する。
 主人公は邸内で首謀者に遭遇するが取り逃がし、あげく公爵の御曹司も拉致されてしまう。
 事件後、主人公はカルト教団のアジトに潜入するが、聖印騎士団も同様に向かう。だが潜入した者たちはことごとく消息を絶つ。
 一週間後、襲撃の難を逃れていた公爵は何者かに暗殺される。最後に面会したのは治安騎士団のエージェントであるち主人公と名乗る人物であった。だが主人公の行方は誰も知らない。"

 もっとずっと書き込まれているのですが、物語が記号化されていることがお分かりになるでしょうか? 騎士団には俗(治安騎士団)と聖(聖印騎士団)とふたつあるとか、公爵、カルト教団であるとか。
 そして、こちらもそういう背景の詳細な部分はゲームの物語としては「どうでもいい」。主人公エージェントの物語のみが意味をもつ。

「ファイナルファンタジーXII」(2006)

 こちらは設定自体にはイヴァリースが残っていますが、作者(松野さん)は途中でお辞めになっている。ただ、世界設定ののりだけは一緒です。濃密で詳細に書き込まれた背景自体、その詳細に特段の意味はない。Wikipedia(jp)によれば次のようなことだそうだ。

"世界に関する情報がストーリー中で明示されることは少なく、主にハントカタログにある「賢者の知識」などで情報が具体的かつ断片的に公開されていき、世界観への純粋な興味や過去作品とのミッシングリンクなどでプレイヤーを遊ばせていく形となっている。"

 作者が交代したから触らなかった、ではなく、むしろこういう形で傾向がハッキリと示されたと考えるべきでしょうか。
 作者個人を云々するつもりもないのですが、Wikipedia(jp)によれば次のようなことだそうだ。

"世界観の構築を非常に重要視したゲーム作りを行う事で有名であり、シナリオ制作にあたってはまず歴史や神話、文化や政治体制など世界の根幹となる部分を細密に設定し、それらを土台とする広大な空想世界を創造(『オウガバトルサーガ』や『イヴァリース』)、その中の出来事として物語を作るというスタンスを取る。製作するストーリーラインの多くは西洋ファンタジー調を基とし、国家、宗教、人種間の紛争に及んだ複雑なものである。"

 ただし、その世界観とゲームの物語とは直接的には繋がりはない、というのが私の見解。たぶん世界観を作ること自体がとても愉しかったのでしょう。
 そういえば、「青の6号」についてのマンガ夜話の番組をようやく観た。真実は放送時にちゃんと観ていたのにすっかり忘れていた、ということだったけど。
 そこで岡田氏など出演者が「小澤さとるさん(「青の6号」)はきっと設定段階がものすごく愉しかったんであろう、そこだけ終わったら、あとはもういいやとなっちゃったのかも」とコメントしていた。まったくそのとおりだと頷いたし、松野さんがFFXIIでいやになっちゃった(かどうかはしらない)のも、きっとヒゲとかうっせえ親父がたくさん口出ししてきたからかなあ・・・。

 それはともかく。

 ざっと整理だけしておきましょう。

 FF(あるいはドラクエ)の物語は、まずRPGなるもの、そのシステムへの理解を高めるというメタ目的があった。よって、物語自体は借り物(騎士道物語)でもよかったし、「伝説」(光の戦士)でもよかった。プレイヤーが「うんうん」とうなづければOK。
 だから大事なのは世界でもなければ、主人公でもなかった。主役はゲームシステムだった。
 ただしFFの「長い長い旅の果てに」ってのは今読み返すと、そこはかとなく素敵で、いいですねえ。
 容量を含む技術的制約、RPGなるものへの理解の不在、FCソフトのきつい納期などなど、制約は大変多かったでしょうし、そのせいもあっただろうが、無意識下にも「長い物語のごく一部」ってのはあったのだと思う。

 ロマサガでは「伝説」を取りあえず用意してはいるが、それと「世界」は密接に絡み合いながらも、物語はずっと主人公寄り。この場合「世界」は余り掘り下げられず、漠然とヨーロッパであるとか、その周辺であるとか、あまり説明を要しない(奇をてらわない)で「うんうん」とうなづける設定である。

 FFTの異質さは、上に書いたように膨大な背景設定、すなわち「世界」を描きながらも、実際には完全に主人公の物語であること。世界は極端に記号化されてしまって、一見ヨーロッパ風でこそあるが、時代も国籍も何から何まで捨象されている。王国A、権力者B、王子C、平民Dなのだ。

 そんなの、ただの作者(ライター)の違いじゃねえか。という反論がありますよね。それに答えるため、以前に著名JRPGの設定を引用していたのです。それらがどれかに当てはまるとか、全体で何かが見えれば「作者個人の指向性」ではなく「時代性」ってことですよね。
 もっとも「作者個人の指向性」と「時代性」をなぜ切り離すのだ、という議論もありそうだけど。
 だが、もうだいぶ長くなった。答えもあまりよくまとまっていないし、自分でも準備不足を強く感じるので、しばらく寝かせてみようかな。

 

世界の創造(1)

 思いつくと結論も考えずにすぐ書いちゃう。悪い癖だが、何も書かないよりいいだろう。

 いつの頃からか、ずっと気になっていて、最近ようやく違和感の理由らしきものに気がついたことがある。
 気づき始めたのはいつかなあ。「伝説のオウガバトル」(1993)の頃かな? 1993年ってえらい昔だな。

 日本のサブカルについてはできるものはWikipedia(jp)を頼ろう。

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 「伝説のオウガバトル」はこんな物語からスタートする。

"賢者と呼ばれた魔法使いラシュディは、狂気にかられたのかかつての友であったグラン・ゼノビア王を暗殺、北方の軍事大国ハイランドを率いて4つの王国へ向けて戦争を始めた。強大な軍事力を持つハイランド軍はわずか一年で大陸全土を制圧し、神聖ゼテギネア帝国が誕生。その支配はまさに恐怖政治そのものであった。
 帝国暦24年。シャロームの辺境ではゼノビア王国騎士団の生き残りが一人の若き指導者を連れ最後の戦いを挑もうとしていた・・・。"

 えーとですね、うまいこと他にも例を列挙できればいいんですが、これが「原型」です。そして私がこうした物語について大きな違和感を抱いているというのが主題(なはず)。
 もちろん、世界設定はゲームプレイ上なんの問題もない。興味の対象は、なんでこんな話が必要になっちゃったの? というあたりかな。

 まず大戦争ありき。しかも大帝国が4つの王国を占領・制圧する。

"東方国家群オリエンスには4つの国があり、各国がクリスタルを擁している。クリスタルがオリエンスの人々にもたらしたのは、「魔法」、「兵器」、「盾」、「竜」 4つの力---。
 クリスタルを巡り、4つの勢力が衝突する。"

 これは「ファイナルファンタジー零式」(2011)の物語ですね。これも大戦争ありき。

 さて、別なパターンも見てみよう。

"ゼムリア大陸西部では、西部に位置するエレボニア帝国とその東隣に位置するカルバード共和国の2大国が覇権を争っている。リベール王国とクロスベル自治州は共に、この2大国に挟まれた弱小地域となっている。"

 「空の軌跡」(2004-2007)、「零の軌跡」(2010)、「碧の軌跡」(2011)、もっというと「英雄伝説」シリーズ(1989-)の舞台設定ですね。リベール王国(「空」)とクロスベル自治州(「零・碧」)が物語の舞台だ。「覇権を争っている」大国間に挟まれた小国の悲哀と抵抗が大きな物語背景。

 さて次は?

 "征暦1935年。専制君主国家・東ヨーロッパ帝国連合(通称「帝国」)と共和制連邦国家・大西洋連邦機構(通称「連邦」)との間で始まった第二次ヨーロッパ大戦は、両国に挟まれた武装中立国である小国・ガリア公国へ飛び火した。"

"この世界ではラグナイトと呼ばれる鉱物資源があらゆるエネルギー資源として使われており、ガリア公国はラグナイトの産出国であることを要因に戦争に巻き込まれている。"

 「戦場のヴァルキュリア」(2008)。こっちはずっと正直ですね。見た目も中身も近代ヨーロッパの変奏であるとわかる。そして、やはり物語の背景は「小国」の悲哀だ。
 
 ヨーロッパがモデルなのは他にもあるぜ、というお方。私もひとつ例示しておこう。

 "アドルが活躍している舞台は、まだ交通手段が徒歩と船のみの時代のエレシア大陸エウロペ地方およびその南に位置する内海メドー海の周辺地域を中心としている。(中略)ゲーム内世界の地図は現実のヨーロッパ・地中海地域の物に酷似している。また、登場する地名も「ヨーロッパ(英:Europe):エウロペ (Europe)」の様に現実の物をローマ字読みしたもの(中略)等、実際の地名を捩った物が多い。
 世界情勢としては現実のローマあたりに位置するロムンを本拠地とするロムン帝国が覇権を握っており、周辺地域に対知る軍事侵攻を行なっている"

 「エウロペ」がローマ字読み?いやそうじゃなくても元々あの姫君は「エウロペ」だよ?とかつっこみはともかく。

 「イース」シリーズ(1987-)っすね。個々の作品は冒険者アドルの冒険記、諸国紀行になっている。ちなみに私は、途中作品をとばしてしまったので、もはや通してプレイするのは老後まで断念している(笑)。最新作もちゃんとちょっとはいじっているから、偉そうに読んだもの書いているだけじゃないけどね。トラスト・ミー!

 もういっちょ、変り種。ちょうどつい先ごろ書いたThe Witcherの世界観と似ている。

"地竜王メディウスと勇者アンリとの戦いから100年後、突如復活したメディウスにより、アカネイア大陸は戦乱の時を迎える。アンリが建国したアリティアもメディウス率いるドルーア帝国とその連合軍によって滅ぼされてしまった。王子であるマルスは姉のエリスの助けによって、辺境の国のタリスへと亡命するも、エリスはドルーア帝国に味方する魔道士ガーネフによってさらわれてしまう。
 2年後、マルス達アリティアの戦士たちはタリス城の海賊襲撃をきっかけに、ドルーア帝国を打破するべく、そして愛する姉を取り戻すべく立ち上がるのであった。"

"(アカネイア王国は)アカネイア大陸の諸国を統率する宗主国。大陸で最も歴史があり、後に7つの王国に分裂する。物語のおよそ100年前、ドルーア帝国の侵攻により壊滅的な打撃を受ける。今回のドルーア戦争の勃発により王都パレスは陥落。王女・ニーナを残し、王族は全て処刑されてしまう。"

(アリティア王国は)主人公マルスの先祖である英雄・アンリによってアリティアに建国された王国。(中略)今回のドルーア戦争が始まり、マルスの父であったコーネリアス王は神剣ファルシオンを携えアカネイア王国の救援へと向かった。グルニアの黒騎士団と戦闘中、同盟国グラの裏切りにあい壊滅し、アリティア王国は滅びた。"

 「ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣」(1990)。王国分裂の物語というパターンですね。7つに分裂するのもThe Witcherの世界観がモデルにした波蘭に近い。
 その後シリーズの舞台設定は違ってくるそうだが、自分がプレイしたのは二作目まで。自信のあるものだけにしとこう。

 他にもいい例を思い出したら、どんどん付け足すことにする。とりあえずのパターンは出揃ったかな。

**********

 まあ、こんなもん、一回で結論なんて出ません。

 要は、ゲームの作り手がどういうふうに世界観を売り込もうとしていて、まず私自身はそれを「まんまと売り込まれた」かどうかを考えてみる。そこから、なんらかの法則性があるのかどうかを考え、私の偏見なのか、それとも言葉にできる何かの理由があるのかを考えることになります。

 世界観と言っても、なんだかとらえどころがない。例えば「零式」は、より大きな物語(と作者が主張している)「ファブラ・ノヴァ・クリスタリス」神話に繋がるとか。
 そっちはFFXIIIとも共有しているそうだが、いくら読んでも何が書いてあるかいまだにちんぷんかんぷんだし、「ふーん、そうなんだー」だ。よって私は「売り込まれていない」。

 なにも、なんとか王国がぁとか、皇国軍であるからしてぇとか、ナンチャラ暦何年でありぃとか、そういうところが大事なのではないのは言わなくてもわかりますよね。日本人の世界史好き、あるいは何かのファンタジー文学の原型を模倣してそうなっているわけだから。形式です。
 
 ついこの前の記事の「灼眼のシャナ」でも、Fate/Zeroでもなんでもいいが、どんな設定だろうが「それ、ありだな」と思ってもらえればいいわけですね。商業ベースでは「できるだけ多くの人たちに」か。
 
 世界観を「売り込まれた」というのは「あるある」、「確かにそうだ、そう動くかも」ということでいいでしょう。

 上の長ったらしい説明文はきっと誰も読んでいませんよね。簡略化しましょう。

 「イース」シリーズ(1987-)

 大国が覇権を握り、周辺国に侵攻を繰り返す時代。主人公は冒険者として各地を回る。

 「ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣」(1990)

 過去に異界王と勇者の戦いがあった。
 異界王が復活し、大国連合軍とともに主人公の王国に侵攻し占領する。

 「伝説のオウガバトル」(1993)

 大国が突如大陸全土へ侵攻を開始し、諸国を占領し圧政を敷く。

 「英雄伝説」シリーズの最近作群(2004-2011)

 大国二国間に挟まれた主人公の小国は、常に侵攻の危機に曝されており、一触即発の事態も経験する。

 「戦場のヴァルキュリア」(2008)

 大国二国間で戦われている戦争に主人公の小国が巻き込まれる。

 「ファイナルファンタジー零式」(2011)

 四つの大国のうちひとつが、他三国に突如侵攻を開始する。

 今回は長くなりましたので、こんなところでやめておく。
 自分でもいつ終わるのか、何かの結論が出るかどうかも疑わしい。自分の準備がどれだけ不足しているかもわからない。

 どこかで何かが変わった、と言えればとりあえずの目的(?)は達成。ほっとできるだけなんですが。 

意外な数字。

 それから、「零式」の中身とは全く関係なく、メンバーズでプレイ・データをアップロードすれば特典がもらえるという企画が、私にとっては意外な経過をたどっている。

 「零式」本体は売り上げ50万本(しかも店頭消化率75%と書いてあるのでおそらくダウンロード版は入っていない)を一週間程度で早々にクリアしたはずなのに、10万アカウントのアップロードの目標に対して、6日時点でまだ7万台。

 (以前のDA2のfacebook連動企画のように)ずいぶんと簡単にクリアできそうな目標を設定したものだと思っていたのですが。ま、もらえるものは大したものではない。

 WiFiしかインターネットに繋がる手段がないPSPだから、これは予想されたこと?
 そこの部分は敷居が高いってこと?
 この企画は自分で探さなければならないんだっけ?
 まずWiFiでネットを観なければ告知自体を知らない。だがそもそもそのWiFi環境がない、ってことか。

 記憶メディア(なんちゃらカード?)からPC経由の手段も用意すればよかった?
 いや、スマホは一家に何台もあるけど、いまどきPCなんて家庭にない?

 ・・・零号作戦、失敗?

世界の創造(前置き)

 なにか頭の中でずっともやもやとしているテーマを考えるネタってことです。

 だからテーマが「世界の創造」であるかどうかもわからない。だいたい何を書きたいかもわかっていないから、順番も何も思いついた順番、デタラメです。

 ブログ(だけではないが)のいいところは、適当に書いておいて後からいくらでも手を加えることができること。何かの予想が外れたらその記事を丸ごと削除しちゃえるし(それで逃げられるわけじゃないけどね)。
 ワープロの良いところでもあるけど、不特定少数(笑)の方に公開しているので(誤字脱字レベルからはじまって)もっとちゃんとしないといけないと思うから、不確かな点を調査する、加筆修正するモチヴェーションも高い。

 この(なんのネタかもわからない)ネタ、収拾つかなくなるからボツだよなあ、と諦めていた。

 「零式」を久々に再開した。クライマックスまでまだ少しあるようだ。もう世の中では何周も先行しているプレイヤーがいるでしょう。
 そして色々言われているでしょう。

 ここのブログではゲームプレイ自体はあまり話題として触れないことにしてますが(私ごときのプレイの何が参考になると?)、「零式」の体験版では正直「あんましこなれてないけど大丈夫なのか?」と感じてしまう面もあったことは否定できません。簡単に言うと「敷居」が高いんじゃないかと感じた。それ自体は悪いことではないんだけど、Demon's Soulでもてはやされた「取りあえず死んで覚えろ」という風潮のまたしても悪しき面だけ真似をしたのかと。

 本編はそうではなかったので安心しました。確かにかなりコツはいる。ただただ逃げ回るのが最良の戦術だったりもする。自分ではあまりハマっていなかったが「モンハン」が遊べるっていうなら、こんくらいできんじゃねえの?という発想で作ったかな。
 コンバット・ゲームプレイ関係については、ニ三のイライラする点を除けば、概ね好印象。

 やはりここでの興味の対象となるのは、物語面。これは予想通りというか・・・。

 物語世界はFFXIIIの世界と共通で、ルシがどうとかさっぱりわからないだろうと以前書いていた。そのまんまですね。聞くところによれば一周遊んだくらいでわからせるつもりもないそうだ。しかし、私の場合きっと何周遊んでもわからないと確信している。

 この議論になると必ず信者サイドから出るのが「途中までしか知らないくせに余計なことを言うな」という議論。つまり法典は何度も読み返してこそ理解ができる。聖書はすべて暗誦するくらいでなければならない。
 衆生の救済(仏教)、人間全てを対象とした救済(キリスト教)が目的である宗教がそんなはずはない。
 ちなみに「零式」でいう「有情」も「衆生」と同じ意味です。反対語は「非情」、生きていないもの、転生しないもの。

 ましてや娯楽。世界を(そう簡単には)わからせたくないなら、わからせないための意味が欲しい。
 私の疑いは、作り手自身(たち?)も、実はさっぱりわかってないんじゃないかというものだ。

 例えば、人は死ねば人々の記憶から消え去るという。そんな設定、以前からあったっけ? 
 それが「周回」を重ねなければならないゲームのつくりに関係していることも、「デジャヴ」なる言葉が作中頻発することも、その縛りからどうやら逃れているらしい登場人物がいることも、すべて仕掛けになっているのはわかる。繰り返すが自分はまだクリアしていない段階だ。

 だが、このゲームの物語は、そういう設定をご丁寧に時系列でやってしまうとメチャクチャになる、ということまで証明してくれてしまっているようだ。本来であれば、作中の登場人物たちは、もうすでに先立った多くの人たちのことを「忘れていなければならない」はずだ。

 こういう設定にするなら普通はそういう物語になるはずだ。エース(登場人物)はマキナ(別の登場人物)の自分への誹謗の意味すらわからず、まったく謂れなきものだと受け止めるはずだ。エースとマキナが記憶を喪う縛りから逃れているなら、真実が(あるとして)徐々に判明していく形になるはずだ。

 ところが、この物語ではなぜか「出オチ」である。最初に何が起きたか見せられたら、とてもではないがふたりのどちらかに(死者についての記憶を喪う辛さについて)コミットすることはできない。物語は記憶を喪うなんて設定がまるで不要のように、ただ単に肉親を殺された恨みと、友人を戦場に送った悔いという、ごくごくふつーのものになってしまう。

 この設定をなぞる、一般化・普遍化するためのシーンも用意されている。
 自分が戦場で先頭にたつのは部下をできるだけ危険から遠ざけるためだ、と雄弁に語っていたあるNPCは、登場人物たちの面前で戦死する。だが現場に駆けつけた部下たちは「丁重に弔わなければ」ならないという。では部下たちは、戦死した彼女の記憶をいつなくすのだろう?

 死ねば記憶からなくなる、という設定は別段新しいものでもない。「灼眼のシャナ」でも用いられているし、他にも数多くあるだろう。
 「シャナ」では、喰われた人間は元々いなかったことになる、という点で、「零式」のようにそういう人物は確かに存在していた記憶は残るが、具体的にどんな人物であって、自分とどんな係わり合いがあって、どんな言葉を交わしてきたかという「自分との関係性」を忘れるのとは異なる。

 前者は、ザックリ言ってしまえば「そもそもこの世は夢じゃないのか」という世界観でしょうか。隣の席の彼女はそもそも生きていない、街半分の人間がそうである。この世は夢うつつである。あるいは夢がこの世を侵食している。主人公は自分自身もすでに同じように死んでいることすら気がついていない。

 異次元の侵食によって死んでしまった人間たちが行なうべきであった営み。それが喪失されることによる世界の歪みを最小限に食い止めるため、つまり世界をなんとか修復しようとして、(理由があって食い尽くされずに残る人間の残滓から作られる)トーチなる存在を代替物として一定期間配置する。その場しのぎの苦肉の策。絶望的で無謀な試みであることはすぐにわかる。そしてトーチは残滓のエナジーを用いているのだから、それが切れれば消える。トーチ自身も消失することすら知らず、周囲の人間もトーチの存在自体が記憶から消える。

 そうした世界観を最後まで物語がうまく使えたかどうかはちょっとあれだが、背景設定だけでも、すでに勝ってしまった例だといえるでしょう。

 このように別段ファンでもない、アニメシリーズをざらっと観ただけの私ごときが、ほとんどソラで(一部固有名詞はWikipedia(jp)を参照しつつ)、これだけ書けてしまう(説明できちゃう)ということは、とてもロバストな(堅牢な)世界観を作り上げたということです。それだけじゃなく、印象的でもある。デタッチメント(あるある、そういう世界ならそうだろうなきっと)という部分も、コミットメント(今隣にいる女性が死んでいたらどうすんだよ、自分がそうだったらどうすんだよ)の部分も読者(視聴者)の心、とりわけ多感な思春期の心をうまく掴める造りになっている。

 比べる相手がちょっと悪すぎた(つまり「シャナ」の設定ができすぎであった)かもしれないが、「零式」の死生観への疑いは「知り合いが死ぬとか悲しいから忘れちゃえ」という、極めて幼稚なものじゃないのか、ということだ。杞憂であって欲しいが。それ以前に「シャナ」と異なり、物語の語り方としても、すでに設定との関係が破綻している気がしてならない。

 身近な者の死に触れたので抹香臭い話になっていたらすまん。

 本当のテーマは、「ゲーム臭い世界設定が旺盛になったと感じるのは本当か、本当ならなぜか、それはいつからか」とか、そっち方面だったのですが、上の話は、ふと思いついたので書いておく。

 人は死んだら記憶にしか残らない。その記憶すら喪ってしまうというのであれば、とても面白いし、死生観としても大事なテーマになりそうなのにもかかわらず、「零式」のその部分が予想どおりいい加減だとしたら腹が立つので、先に怒っておく。そうでなかったら(この記事自体を消してみんなの記憶からも消す、んじゃなくて)、謝ります。 

 

2011年11月 6日 (日)

お休みでした。

 喪中につき、先週一杯ネットから遠ざかっておりました。
 週明けからぼちぼち再開します。

2011年11月 2日 (水)

世界の創造レシピ?

 ご紹介いただいたラノベ(Fate/Zero)と関連の作品。とにかく時間がいくらあっても足りない状態なのでまずアニメ(映画も)から観る事にしています。ネタ探しネタ探し。

 ところでラノベという呼び方は、かなりやばくなってるね・・・。どこが「ライト」なんだろう?
 結果論的に言うと、明らかに「若者の小説ばなれ」(!)という架空の(捏造された)危機への対処として編み出された出版側の苦肉の策というのが当たっていると思う。

 いやいや、今調べたら「スレイヤーズ」(1990)までライトノベル扱いなの? なんじゃそれ、ご都合主義にもほどがあるぞ。用語が普及したのはだいたい2000年代のはずだから、遡及しちゃってるよねえ。
 まあ何かのレッテルをはるのは遡及してもおかしくないんですが、うーん、うそ臭い。

 美麗イラスト付きのヴィジュアル・ノヴェルってこと? でもないのか。

 ライトノベルから一般文芸への「越境」て。境界を捏造しておいて、こんどは越境て。三十八度線かよ。かほどさように出版側は、よかれとおもって線引きして、あげく(ジャンル交流を遮断する危険性が発生して)自分の首を締め続けているわけだな。

 なんとあの筒井康隆先生までラノベ作家をめざしておられるのか・・・。先生、定義や境界が曖昧なところには必ず顔を出すね。うー、また読まんといかん本が増えたようだ・・・。「ビアンカ・オーバースタディ」。アニメ化すんの? よかったありがたい。こちらもそのほうが楽だ。

 なお、そのラノベが好評なので続編を依頼されたところ、筒井先生は次のように「中身忘れちゃったしな」とのたまったそうである。

「何しろだいぶ以前に書いたものだから、内容を忘れてしまっている。クライマックスのアイディアも失念した。困ったことである」

 これが「だってラノベだしーぃ」という(ラノベを書いていながらラノベを軽んじてみせるという)先生独特のジョークなのか、それともご高齢でもあり、そろそろほんとに物忘れがあれなのか、あるいは物忘れがあれなことにするジョークなのか、やばい、興味が湧いてきた。時間ねえんだよ。

 その手のもの、ほとんど読んでもいないのですが、著名なものに触れてみるにつけ、どう考えても「軽く」はないな。むしろ「濃い」。

 ちら見したらFate/Stay Nightも重い。代表作かどうかは(だって他を多数読んだり見たりしたわけじゃないからあたしには判断つかない)別にして著名な「灼眼のシャナ」(小説2002、アニメ2005)が「やたら重い」感じがしたのにも通じる。といっても小説は読んでいないのでアニメのみの感想。

 やっぱ色々調べてみても、最新の娯楽小説を(イラストがついているものが大多数だが)ライトノベルと呼んでいるだけのような気がする。Wikipedia(jp)なんて、「ライトノベル」と小説は違うものという観点から書いているから、至るところ辻褄が合わず(それと「越境」などの冗長な話題もあるし)苦しいのなんのって。

 もし若者(!)が、ラノベは自分たちのジャンルだい、と主張しているなら何も言わない。そういうのは同世代の共通認識として必要なんでしょう、きっと。

 そうして捏造したジャンル(ほんとはふつうに小説)であるから、J-Popみたいに、やがて「ラノベが終わった!」とイエロー・ジャーナリズム(ご免、冗長。日本マスコミはすべてイエローだった)が騒ぎ出す。そうなっても鼻で笑っていていいと思う。日本人の物語好き、イラスト好きがそうそうへたるなんて思えない。

 あれ、あの表題は何を書こうとしてたんだ?

 ああ、あれです。ラノベに限らず、ヴィデオゲームもアニメもなんでも、ヴィデオゲーム由来のような物語設定も、その大きな特徴のひとつなんだよな、という話をしようとしていた。

 下調べしたらとてもじゃないが手に負えなくなっていった。

 どう、手に負えなくなっていったか、(ダメだった理由が)まとまったら書きます。

2011年11月 1日 (火)

どうして一番を取らないんですか?

 色々な意味でムダにはならなかったと思っている前回。
 またまたくだらないことを思いついた。数字にまつわるお話です。

 前回は「零」でしたが、今回はどっちかっていうと「九」。「一」も必然的に関係する。

 まず「六」からいこう。

 「青の6号」(1967)(あおのろくごう)。小澤さとる先生のサブマリンものマンガではその前作「サブマリン707」(1963-1965)(読み方は海自風に「なな・まる・なな」)が一部で有名ですが、個人的にはこの中途半端に終わった残念な作品が大好きであった。(後にOVA化されているけど・・・。YouTubeで一部観れますが、別もの。そっちはトウキョウが水没している話なので心臓の弱い方はご注意)

 プラモ好きであった私は、(時間が無限にあったが予算制約のきつかった)子供の頃、どちらのプラモを買おうか真剣に悩んで、結局「青6」を買った(と言っても青6本体ではなくフリッパーだったらしい)。モデルが格好いいから、ではない。どれだけコミットしていたかだと思う。金持ちの友達が「707」のモデルを見せびらかしていたので対抗心があったのも否定できない(つまり、当時は「707」が断然主流であった)。

 「サブマリン707」は、(どれだけ敵が荒唐無稽であっても)あくまで海自の潜水艦の活躍を描いたものである。だから読者は艦長以下、乗組員たちにコミットする感じになる。なんで海自のうちで潜水艦(だけ)が大活躍すんだろう、しかも原子力潜水艦ですらないのに、とか余計なことを考えると夢は簡単に壊れるのです。
(だいぶ後になってから新聞紙上で「サブマリ707F」という25年後の世界の作品も描いておられたが、これは別もの)

 のちの劇画「沈黙の艦隊」にノリは近くて、どちらも潜水艦の中だけで終わってしまう話だが、後者の場合は「夢」しか語らないから最初からいきなりどっちらけ。同一作者の「ジパング」も同じ。自分の「夢」のとおりに世界が回ると信じている系。ま、はっきりいえば私はあいつ(「沈黙の」などの作者)の独りよがりなマンガが大キライ。

 「青の6号」は、一言で言うと「707」をぽーんと架空の国際情勢下にある地球世界に放り込んだ。とたんに奇妙な味わいが出てくる。

 検索すると「マンガ夜話」でも取り上げられていたそうだが、そっちは観ていない。コメンテイターのメンツを見ると(たぶんどんだけ格好いいかを論じて)これから書く話と論旨が同じになるとは思えないけど、もし合致してしまったら偶然(つうか必然?)と考えてくれ。パクってない。トラスト・ミー!

 「707」が(少なくとも潜水艦内の)リアリティを追求しようとしたのに対し、「青6」はそれだけじゃものたりなかったのか、世界情勢まで手を広げた。
 海上航路安全を確保するため世界主要国が(またしても!)潜水艦を供出し、「青」の部隊を編成する。でも結局戦うのは国際テロ組織の(やっぱり!)潜水艦。

 ま、彼の作品で潜水艦がなぜか異常にクローズアップされているのは目をつぶりましょう。でも、軍隊のエリートといえば戦闘機パイロットの独占状態であった時代から、今は潜水艦クルーも脚光を浴びる時代になったという。どちらも平時であっても仮想敵と常時接触しなければならない役割だからもある。ちなみに米国第七艦隊の現司令官は潜水艦(シーウルフ)あがりだったりする。パイロット同様、インテリなのだ。

 だがここでは中身には触れない。形式的なところだけで十分。それも「青」のナンバリングだけで十分。

 青の1号、米国、コーバック
 青の2号、(欠番、おそらく仏国)
 青の3号、英国、マラコット
 青の4号、(欠番、おそらく独国)
 青の5号、(欠番、?)
 青の6号、日本、くろしお
 青の7号、豪州、タルボット
 青の8号、中華民国(中共ではない)、バイロン

 欠番は戦闘で撃沈されたりなどして補充されていない設定。当時こども心に「補充しろよ!」と思ったけど、複雑怪奇な国際情勢を知らないお子ちゃまだったので仕方ない。抜けているのは仏国、独国、加国とかでしょうかね。
 露国と中共は、時代背景もあって除いているはず。OVAでは青3が仏国、青の5号は露国、青8が中共、青9がシンガポールの設定らしいが、ソビエト崩壊後なので時代が違う。しかも露国は青0(零)としてタイフーン級まで供出している。

 だが、そんな細かいこともどうでもいい。教科書で習った太平洋戦争直前の「ABCD包囲網」を思い出して欲しい。つまり豪州(Bの一部)とか大陸国(C)とか、物語に登場すらしない(つまり当時からさっぱり相手にすらしていなかった)蘭国(D)に戦争には負けんかったが、米(A)英(B)には頭さげとこうか、という世界観がそのまま出ている(こんな話題、NHKのマンガ夜話でできたはずないと信じているのだが?)。 

 ここでは当時の「日本」が自分たちでそう考えている立ち位置がわかる。小澤先生個人の思い込みだって? 少年サンデーの編集者は(今は知らんが)当時バリバリのインテリです。日本を一番なんかにしたら「小澤さん、それ違う」とつっこまれる。
 もうひとつの主題。米国がやっぱり「一番」なのだ。 

(余談:話がとびすぎてブログに脚注が欲しくなる(笑)。上のリストでは「欠番」も大事。少年まんがで「欠番」といったら、プロ野球の永久欠番、すなわち(大抵の場合)「名誉」を示す。だが小澤先生は、撃沈されたから「欠番」とさらっと書いちゃう。そのほうがリアリティがあるだろうということだろう。

 007(ダブル・オー・セヴン)のダブル・オー・メンバーが映画で一堂に会する場面をご存知だろうか。円卓のまわりに人数分の席は用意されているが、いくつか空席になっているのだ。何人か殉職している(国家公務員ですから)。ショーン・コネリー(007)がその空席をじっとみつめる場面があるが、演技がいまいちあれなんでわかりずらいかも?

 望月三起也先生の「ワイルド7」(1969-1979)では、連載開始後早々に隊員のふたりが殉職する(警察官ですから)。だがなかなか補充されない。隊員の期待水準が高すぎるのか。その後も殉職者が出続けるが、隊長の草波(後に検事総長!)が「お前らの代わりはいくらでもいる」というわりには出てこねえんだよな。実際「7人」だった時代は非常に短い。これもリアリティ。

 望月先生のこだわりは仇役にも及んでいる。アメリカの五人組の殺し屋「五本指」が日本で活動する際には、仲間の一名が以前の任務で負傷してリハビリ中だが、その分の報酬も込みだと依頼主に迫る。ちょっとしたエピソードだが、強烈なインパクトがあった。余談終了)

 さて、一個だけじゃ誰も納得しないでしょうね。私も納得しない。
 「サイボーグ009」(1964-1985)のゼロ・ゼロ・メンバー。ここではソビエト・ロシア出身が001だが、これは大国というのもあるだろうが、むしろ彼の超絶的な知性という特徴が一番にふさわしいという意味もあるはず。アメリカは二番。以下、仏、独、ネイティヴ・アメリカン、中(大陸)、英、アフリカ某国(当初はケニア)、そして日本(父親外国人のハーフらしい)だ。

 アメリカが1番、はここでは違う。だが日本がオケツにきちゃった。9番だ。

 もうひとつ。

 「銀河鉄道999」(1977-1981)(読み方は和製英語でスリー・ナイン。ナイン・ナイン・ナインと呼びたいアメリカ人にも押し付けちゃったみたいだぜ!)。これは当初設定が勝手に増幅してしまっているらしく、データベースは銀河鉄屋状態になっているので、色々な分野の中途半端オタクであっても鉄道だけはさっぱり(興味ゼロ)な私はWikipedia(jp)を見るだけで気持ちが悪くなってくる。
 でもC62をモデルにしてるくらいはわかる。ぱかしゅるな。(そして原作は実在した車号であるとか、ここでそういう話するのやめてね)
 オリジナルTV版では、111から888(及び999)のぞろ目の列車(機体?)は設定されていたはず。リアルの車体をデフォルメしたようなモデルから、いかにもありそうなものまで様々である。

 ここでは999が1000まであるナンバリングで限りなくオケツに近いというところがポイント。

 三作品、時代がちがう。小澤作品と石ノ森作品はスタートが近いので国際情勢は近似しているかもしれない。松本作品の例えばナンバリング111号は実はアメリカを示すというとこれはやりすぎでしょう。そもそもその時代米国では(少なくとも旅客列車は)主要な交通手段ではないし。

 「立ち位置」のほうからいこうか。

 小澤作品では「日本の立ち位置はここら辺」という暗黙裡の了解がある。石ノ森作品ではそうではなく、一番最後になる(その後もゼロ・ゼロ・ナンバーが敵役として存在したとか、そんなの知ってるし、ここでは関係ない)。
 オケツであることになにか意味があるのか。(おそらく世界で稀有な)日本人固有の謙譲の美徳?
 ところが島村ジョーはゼロ・ゼロのリーダーと目されている。父親代わりの存在になるギルモア博士(設定はロシア人だったりアメリカ人だったり)の研究所は日本にある。 

 小澤作品があくまで「立ち位置」を気にしているのに対して、石ノ森作品では例え(敢えて?)ナンバリングが最後でも、中心的な存在を目指そうとする。それが言いすぎなら統合・融合しようとしている。
 
 そうなると果たして1がよくて9が悪いのかという価値観の話になってくる。
 
 これは色々説が出てきそうだし、例えば(宇宙の真理を追究するのだから当然だが)数字が大好きな仏教に由来する「法数」の話など延々と話をするのも愉しそうだが、それ以外で一つ示してみる。
 9に完全性を見るという手がある。
 思い浮かぶのは花札の「カブ」だ。ちなみにオイチョカブの「オイチョ」は8だ。よくわからない人が多いだろうが、トランプのブラックジャックに似ている。二枚ないし三枚の手札の合計が9に近いほど強い。例えば1と8で合計9ならカブ。プロ野球でなぜ18番がエース・ナンバーかというと「カブ」(最強)だからだ。つまり日本だけに通用する話だ。同様に27番、36番なども人気背番号だ。

 今、「エース」(Ace)というのが出てきたので忘れないように書いておく。トランプのA、すなわち1。「ファイナルファンタジー零式」の(とりあえずの)主人公はエース(Ace)。ナンバリング1だ。もともとサイコロの1からきている。

(余談:ちなみにサイコロの2はデュース(Deuce)。これも「零式」に登場しますね。さらに言えばそのあとトレイ(trey)、ケイト(cater)、シンク(cinque)、サイス(sice)だから、6までは零式のキャラクターの呼称とも一致する。サイスはサイス(scythe、オオガマ)の遣い手なんだけど、つづり(発音)が違うんだけどね・・・)

 仮説ですが、"9"は完全をあらわす。一番最後だが、一番完成している(完成に近い)。私は何度も書いているが、島村ジョーの加速装置が(9人中では)最強の改造武器であると思っている(メンバー外ではヴァージョン・アップされた加速装置遣いが登場する)。
 これに勝つには本当に時間を歪めるしかない。だが「ジョジョ」でも、「HEROES」でも、時間制御の遣い手(前者では敵、後者ではヒーロー)に肉薄できた(前者では打ち勝てた)のは「スピード」の遣い手だけ。私だけがそう思っているわけじゃないらしい。

 松本先生は、"999"の意味を「大人(1000)になるまであと一歩」、主人公が完成直前の段階だから、とおっしゃっているそうだ。なんだか似てないかい?

 まとめると、小澤作品では、日本の「立ち位置」だけを気にしていた。「707」という格好いいナンバリングを避け、敢えてなんだかもっさりして象徴性の薄い6にした。プロ野球でも6は名選手がいるが、もっさりしてるよね・・・。今はさっぱり流行らない「いぶし銀」ってやつ。
 石ノ森作品では、一番遅れてきた9が完全性、あるいは統合・融合を示すのではないか。でもそれも世界の中でどう振舞うのか、を気にかけているのは間違いない。
 松本作品は時代もかなり違う。日本は(オイルショックも経験したが)もう高度成長期の絶頂に達しつつあった。バブル時代もそろそろはじまる。もう世界とか宇宙平和とかどうでもいいかなとなって、個人、内面、それも青少年の成長(完成)の物語にした。世界の設定などのつくりはエピックでも、実際はとてもつぶやき的ですよね。

 こじつけると、「ガンダム」(オリジナル)に「日本」はヤシマ家(ヤシマ重工)という背景説明であるとか、ホワイトベースのただの通過点としてしか登場しないので、小澤作品的「立ち位置」重視。「ヱヴァ」は(なぜかNERVは日本所在で、つく予算も一番多いので)石ノ森作品的。それ以降最近のアニメは良く知らんので済みませんが、「セカイ系」ちゅうのが「ヱヴァ」後遺症として(?)2002年あたりから散見されたそうなんで、そういう潮流が"999"の「つぶやき系」の後に続く。

 そう考えると(「セカイ系」なるものがすでに消失したそうなんで、その後に)、「零式」であえて、「零」、そして「エース」、エリートを話の中心にもってきたのはなぜだ、という話になる。それについては私がゲームを一回(下手すると二回)クリアしてからだ。ナンバリング10が抜けているのも「きっとこういうことかな」という推測はあるが、まだ知らないので(知ってる人は)コメント禁止!

 翻ってアメリカはどうか。言うまでもない。"1"、最強しかない。だから"2"を執拗に攻撃(包囲、懐柔)する。ソビエト・ロシアは崩壊し、日本は抱き込まれた。大陸国への戦略も周到に計画しているという。

 なぜ国連本部はニューヨークに置くのか。なぜ国際電話はアメリカが国番号1なのか。ドメインは、なぜアメリカだけ.comなのか。なぜ和製OSのTRONの配賦を妨害したのか。言うだけ野暮だ。

 なぜアメリカとカナダの球団からなる大リーグの最高峰は「ワールド・シリーズ」なのか。なぜフォーミュラ・ワンには企業も個人も、あるいはレース会場を提供する形ですら参加したがらないのか。
 自国で間に合ってるから? 日本のプロ野球だってオート・レーシングだって自国で「間に合って」ますよ。輸入大国だ。なのに、なぜ「世界」を目指す?

 ブラックチャックのAは合計値によって"1"か"11"かどちらかに数える。ナポレオン・ソロさんではないが"11"は「ダブルエース」ってことだろうか。 

 お亡くなりになったが、アメリカにハルバースタムという名ジャーナリストがいた。
 かつて(冷戦末期、日本に経済戦争でボコられていた頃)「アメリカ大丈夫か?」と本気で心配になって、ある本を書いた。その巻末にぽつんと次の一文を載せていたのが、今でも心に残っている。

**********

 世界中の先進国,主要な発展途上国の子供達が学力テストを競った。
 特段驚くべきことでもないが,アメリカの子供達が最下位だった。
 一方,テストを受けた子供達に自分たちの国が何番目くらいと思うかのアンケートをした。
 特段驚くべきことでもないが,アメリカの子供達はみな自分たちが一番だと予想していた。

**********

 長くなったのでここまで。

 

 

 

 

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Dragon Age 2 プレイスルー

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