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2011年11月19日 (土)

シンクロニアティ

 セレンディピティ(serendipity)が、ジョン・キューザック、ケイト・ベッキンゼールの映画の影響もあってか「偶然の一致」、「偶然の出会い」などと本来の意味とは違った意味で用いられていると書きました。

 それをいうならシンクロニアティ(synchroneity)のほうが近いかもしれない。ここでは「同時代性」みたいな意味で使いますが。

 これは書かずにはいられない。引用する記事の中身がどうというより、metacriticのユーザー・レヴュー、FPS、同じことの繰り返し(定型性)、マイケル・ベイ監督、私がつい先日書いたいくつかの話となんだかやたら共通するから。やっぱ同時代性があるんじゃなかろうか。

 IGNのエッセイ。「FPSファンであるには辛い時代なのか」

http://xbox360.ign.com/articles/121/1212379p1.html

 CoDMW3のユーザー・レヴューも、壮絶な数字になっている、と言う書き出し。20点(レヴュアーは81点)。レイドロウ氏喜べ、DA2の42点(PC版、レヴュアーは82点)が20点も勝っているぞ! やったね!

 一千万人以上が遊ぶことになるゲーム、たかだか数千人のいたずらで動いてしまうユーザー・レヴューはどうでもいいのですが、記事は、FPSの世界、やっぱなにかが起きてんじゃないの?という疑いから書き始める。ちなみに記者はUKの人。

**********

 原住民(natives、旧来からのFPSゲーマーのこと)は憤っている。同じ公式が毎年毎年繰り返されることに飽きている。同じことが繰り返されるマルチプレイ、おざなりすぎる(by-the-numbers)シングル・プレイヤー・キャンペーン、そしてマイケル・ベイばりのさあ目を回せとばかりのストーリーライン、それらがつまった騒がれ過ぎのベストセラー・ゲームなぞ、もう沢山だ。
 技術もなんだか前にも観たような陳腐なものだが、レヴュー・スコアは高止まりし、売り上げはむしろ向上している。何が起きているんだ? FPSジャンルは果てしなく続くワンパターンのわだちから抜け出せないのか? それとも、我々があまりに慣れ親しんでしまっただけの話なのか?

(訳:Familiarity breeds contempt. っていいますね。親しみは軽蔑を生む)

 フェアにいうなら、その両方ともだろうが、シングル・プレイヤー軽視、メイン・イヴェントであるマルチ・プレイヤーの前座扱いとの傾向はもうはっきりしている。筆者の懸念は友人から「シングル・プレイヤーなんてそもそも誰が気にする?」と切り捨てられることが多々あるが、いや、私は気にする。ものすごく多くの人たちだって賛同してくれるはずだ。

(訳:諸手をあげて賛同します。CoD、あるいはCoD2あたりのシングル・プレイヤー(しかなかったけど)は面白かったなー。CoDMWだって、ちょっと短かったけど確かに面白かった)

 その後エッセイはPS2、Xbox時代の昔話になりますが、Haloだけを例外として、マルチプレイヤーなんて時間の浪費でしかなかったそうだ。一方次に挙げるようなシューターのシングル・プレイヤー・キャンペーンには確かに風味があった。
 Half-Life、 GoldenEye、Unreal、Quake II、Duke Nukem 3D

 この「なんでもあり」方式のおかげもあって、さらに優れたシングル・プレイヤー・ゲームも生まれていった。System Shock 2、Deus Ex、No-One Lives Forever(訳:ケイト・アーチャー!)、TimeSplitters、Rainbow Six、Halo。これらは前世紀末に残された豊沃な遺産の氷山の一角である。
 どれもが何か新しいもの、はっきり際立つもの、そして知性あるものをこのジャンルに持ち込んでくれた。そして開発者たちだって、プレイヤーたちの鼻っ面にドカンと不意打ちくらわせることになんの躊躇いもなかった。
 コンソール機のマルチ・プレイヤー・モードが流行り出してからだって、この流れはしばらく続いた。Metroid Prime、Half-Life 2、Doom III、The Chronicles of Riddick: Escape From Butcher Bay、F.E.A.R、Bioshock、Call of Duty: Modern Warfareなどを見れば明らかだ。

 いまや、開発者たちは自分たちの(おそらく大多数のプレイヤーたちのでもありそうだが)「心地よい領域」から外に踏み出すことは決してしないようだ。 Battlefield 3のシングル・プレイヤー・キャンペーンは、近年まれに見るタイクツで無価値なものであった。.

 その後記事は、新しく優れたエンジンを用いていながら、実際にプレイヤーにゲーム内で何かをさせることはどんどん減っていくこと、観客のように扱うことなどへの不満が続きます。目標マーカーまで近づき、見えるものを全部打ち倒し、ヘルス・バーが減ったら物陰に隠れて休む。延々とその繰り返し。プレイヤーにはなんら苦労もさせなければ、選択もさせない。まるでプレイヤーのフラストレーションをひとつ残らず取り除くことに強迫観念を抱いているかのようだ。そして結局、さっきまでなにが起きたかなどひとつも思い出せないことになる。
 物語の貧弱さにも責はある。「だって悪い奴だからな」の一言で敵を撃ち殺す。

 AIにしたところで、我々はもう十年も前に飽きてしまった「もぐらたたきゲーム」のシステムのままだ。適当な間隔で同じ場所に頭を出し、ヘッドショットを撃たせてくれる。
 Haloが十年も前にやったように、また六年前にF.E.A.R.がそうであったように、 こちらの動きを先読みしたり、こちらに反応する敵というものはなぜ出せないんだろう。開発者たちはそのような本質的な部分ではなく、ド派手なシネマティック・カットシーンと印象的な仕掛け花火を造るほうにばかり注力している。

 QTE(クイック・タイム・イヴェント)をどうしても入れなきゃないというオブセッションを抱いているらしいのも意味がわからない。そんなものはすぐに行き止まりにぶちあたるって七年前には皆気がついていたんじゃないのか?

 ヘタクソな演技、無意味なストーリーライン、予測可能なAI、ミリタリー・シナリオのクソタイクツな使い方、一本道マップ、そしてチャレンジも野心も一切抱く必要のないキャンペーン・モードが気にならない? マルチプレイヤーにしか興味がないなら、今は君たちにとって幸せな時代だ。

 そうでない私たちは、やはり声を上げ続けるべきだ。誰か気がついてまじめに聴いてくれるまでね。

 **********

 面白かったし、個人的には(シングル・キャンペーン復興の)趣旨に賛同します。
 (世をすねた)イギリス人の(ばか能天気な)アメリカ人批判としても面白いかもしらない。

 ちょっと変えればマイケル・ベイ映画、ハリウッド映画批判にもなるもんね。

 好事家の嗜みであったFPSが、お子ちゃま向けジャンルになってしまったこと。一足飛びに「コンソールが悪い」ってことではないんでしょうね。「大衆化」ってわりとこうなる必然にあるのかもしれない。水は低きに流れる。
 ファミレスでたかだか千円ちょっとのメシくいながら、店員にものすごいクレームつけてるクソ親父とがきどもを思い出すね。一家揃って超頭悪そうなの。
 まあ、そういう層はまともに字が読めないからRPGジャンルにはやってこないだろうけど。

 定型性を嫌う。まさに批評らしい批評ということで愉しく読ませてもらいました。
 やっぱイギリス人の見方には共感することが多いわ。イギリス人と決め付けられるかって? "Bloody awful."(全くクソだな)言ってるんだから間違いないと思うけどね。 

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