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2011年11月24日 (木)

【DA2】メイジ・テンプラー抗争解釈(改訂版)

 前記事で書いたとおり、DA2のメイジ・テンプラー抗争の解釈。誤っておりました。

 ここに修正いたします。

 元記事はここだ。The Witcher 2の記事だから、関係ないところが多い。次に再掲する。

 そして、解釈間違いとか修正とか、その他は赤字で記す。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/the-witcher-2-1.html

 DA2の物語は、デザイン側が確信犯的にそうしているように、リアル地球の中世ヨーロッパを世界のモデルにしながら、実は当時ではなくて近代、あるいは今まさに世の中でおきている現代社会の物語を描こうとしている。しかも巨視的に。
(でも、狂人とは悪魔が取り憑いたものである(悪魔が取り憑いたからこそ狂ったのである)、という中世ヨーロッパの発想がその根底に暗黙裡に用いられていることをすっかり私が見逃していた)

 DA2のもっとも重要な物語は、メイジ・テンプラー抗争である。差別、抑圧、叛逆の物語。
 テーマは「自由」。最近色々手垢がついてしまったのであまり使いたくないが、言い換えると「正義」の物語だ。しょうがないな、ジャスティスが登場するわけだから。
 (テーマは「自由」。もうひとつはその裏返しである「権力」、「統治」)

 くどくなるが、前にも書いた私なりの解説を書く。推定無罪という発想がなぜあるか。個人に対して体制があまりにも強力だからである。どんな凶悪卑劣な個人(その集団)であっても悪行のレベル・範囲・悲惨さはたかが知れている。一方で歴史を紐解けばすぐわかるが、国家や体制の行なった殺人はとても信じられないレベルであり、範囲も悲惨さも常軌を逸したものが多い。

 だから、どんな凶悪犯の容疑者であろうが、国家権力がその犯罪を完璧に証明できなければ無罪であるという原則を(少なくとも自由社会を標榜する国々は)持ち込んだし、頑なに遵守しようとする。その結果、(個人である、あるいはある集団の一員である)大量殺人犯がまんまと逃げ延びてまた同じことを繰り返しても「仕方がない」と考える。国家権力への歯止めのほうがはるかに重大であり、それが破綻した場合のほうが比較にならないほど陰惨な結末を迎えるという発想だ。

 なぜDA2の世界でその原則が守られないか。なぜメイジには自由が与えられないのか。蒙昧な中世社会だから? であればどうしてメイジだけが抑圧される? じゃあ迷信深いから? 魔法は恐ろしいものだから? そこが変だというならそうだが、DA2の物語の住人たちは実はたいして迷信深くない。とても現代的な発想をしてしまうという私の勝手な発想が見事に混入していました) だが「魔法は恐ろしいもの」という部分は正しい。迷信ではなく、この世界では紛れもない真実である。
 
 「個々人の力はとるに足らないものである」という前提が、メイジの場合に限って崩れているから、というのが答えだ。頭のおかしなメイジひとりいれば、街ひとつぐらい跡形もなく吹き飛ばせるのだ。それを「管理」(コントロール)しないでどうするのだ、という発想から始まる。

 DA2の世界観ではそういうことだ。グランド・クレリック・エルシナは陋習にとらわれた愚昧で旧守的な宗教権力者だろうか、(気が触れる前の)ナイト・コマンダー・メレディスは問答無用で横暴な圧政者であろうか、という問いに答えるのは簡単ではない。(確かに簡単ではないが、以下に述べるように全然違う意味でそうだ)

 そしてそれだけじゃない。 
 「でも、私は(私の娘は)メイジであっても気が触れてはいないんです!」という叫びこそ、この話が安直に割り切れない、簡単には終われない味噌の部分だ。「お前がおいらを嫌うのはどうぞご自由に。だが、おいらのせいで黒人全部をキライにならないでくれ」というのは、有名なファンク・ミュージシャンの言葉である。このような一般化が行なわれると、これはいわれなき差別と見分けがつかなくなる。

 ここですね。そうではない。つまりDA2の世界のメイジ以外の住民たちは、「フェイドと交流できるメイジは、必ず気が触れる(=悪魔に取り憑かれる)」という発想を自然に抱いていたのです。例外はないんです。私はこれを間違えていた。

 だからチャントリー・テンプラー(あるいはクナリ)がやっているメイジ隔離(束縛)は現代人の発想にかぶれた私が考える「いわれなき差別」などではなく、DA2世界では例えば伝染病を発症した患者のごとく「真っ当に隔離しなければならない」という話になるんですね。「メイジの誰かが惨事を引き起こすかもしれない」ではなく、「そのメイジも、どのメイジも必ず惨事を引き起こす」という発想です。作中人物でいえば、フェンリス的発想と言っていいかもしれない。クナリも全員そう思っている。危ないかもしれない、ではなく、現に危ないんです。

 そうなると見方は大きく変わります。
 DA2の世界の事実として、必ずしも全てのメイジが気が触れる(=悪魔に取り憑かれる)わけではない、という前提をおきましょう。フェイドにはスピリッツもいる。

 住民たちは事実と違うことを信じているわけですから、大変迷信深いことになります。あるいはなんらかの洗脳が非常にうまくいっていることになります。

 そして実はグランド・クレリック・エルシナ、コマンダー・メレディス、キャプテン・カレンなどのほうが、ハロウィングの儀式を通じて、メイジは必ずしも全員が悪魔の誘惑に負けるわけではないと知っているがゆえに、一般人よりメイジのことをはるかに理解していることになる。つまり、「一般人とテンプラーの認識は一緒」と考えていた私は間違い。
 チャントリーがサー・アルリックの「純化政策」、メイジ皆殺し計画を阻止したのも「必ずしも全員が取り憑かれるわけではない」という理解があったからでしょう。
 (もうひとつ、もっと恐ろしい理由は後述)

 
ではなぜ、チャントリー・テンプラーはそういった事実と違う誤解(迷信)を大衆の発想から払拭しようと努力しないのか。なぜハロウィングを通過した(悪魔の誘惑に勝った)メイジには与えられるべき自由を与えないのか。

 とても根深い、本質的な、権力と差別の構図が隠されている。

 メイジは生かさず殺さず。なぜならメイジが必ずしも危険ではない事実が大衆に暴露され、解放されれば(または裏返しでサー・エルリックの皆殺し計画が実現してメイジが世界から存在しなくなれば)、チャントリーの支配が揺るぎ始めるから。

「いま、狂人(メイジ)は都市における個人の位置づけにかかわる『統治』の問題として前景化する。かつて狂人(メイジ)は別世界から到来するものとして歓待された。いま、狂人はこの世界に属する貧民、窮民、浮浪者の中に参入されるがゆえに排除される」

 フーコーが言うように、「別世界からの来訪者」(「まれびと」ですね)である限りは歓迎されていた(これがDA2世界に現存しているモデルとしてデーリッシュ・エルフ社会があります。指導者であるキーパーはメイジでなければならない)のに、「この世界の市民」にカウントされると同時に共同体から排除された。

 「なんだかわからない存在」だから隔離されたのではない。「なんであるかはっきりわかった
」、理解されたから、区別され、隔離され、排除された。

 これはDA2の世界では、はじめての世界宗教が生まれた頃、チャントリー創設によってはじまった。

 この見方であれば、チャントリーは愚昧で旧守的なのではなく、狡猾で邪悪な存在となる。  

 いわれなき差別を受けていると考える(これはいいですね、メイジ仲間にはハロウイングの儀式を通過した者はいるわけだから、彼らはメイジが100%気が触れるわけではないと知っている)ほうは、(法制度、すなわち体制が役に立たないわけだから)その状況を打破するためには(つまり正義を実現するためには)、結局暴力に訴えざるを得ない。そうして環が一周してしまう。元の「メイジはいつか必ず気が触れるいつ気が触れるかわからない危ない存在だから、全部管理すべきだ」というこの世界の通念としては正しい本来正しいかどうか疑わしい物語を、アンダースやオシノなどメイジたち自身が暴力を行使することによって実現してしまい、さらに補強してしまう。あるいは過去、虐げられたメイジがずっとそういうことを繰り返してきたからこそ、この社会通念が完成を遂げたのかもしれない。
 「反社会的である」とレッテルを貼られたメイジは、自ら「反社会的」な行動を起す。


 こうした物語は、最近の「正義」ばやりなどよりもずっと前から、現代人なら誰でも思いをめぐらしていた部分ではないだろうか。最近流行している、そういう分野への興味が増しているなら、社会の悩みが増大しているのかもしれない。DA2の物語がインスパイアされたと思われる9/11のことには敢えて触れない。構図は確かに似ているが違うところもあるだろう。
 (現代人の発想にたって物事を見てはいけない、という反省文でした。失礼しました)

 追加:この見方は、フェラルデンやカンバーランドではサークル・タワーの管理がゆるゆるなこと(カンバーランドではメイジ自治まで実現している)や、テヴィンターでは実際サークルがチャントリーに対して優位に立っている事実などの理由も説明できるかもしれない。つまり大衆とチャントリー・テンプラーのメイジに対する理解(むしろ無理解か)がどのくらい乖離しているかの度合いでも違うわけです。なんと大衆がメイジに無理解なほど、メイジへの束縛は緩い(メイジにとって自由が多い)。恐ろしい話です。

 追追加:「無理解」はわかりにくいかな。DA2にはカークウォールに移住した女性店主がいましたよね。最初はアンダースの所在を隠してかくまっていた。「彼は確かにメイジだけど、治療院を開いて皆を助けているいい人だよ」。「いい人だよ」のみ注目して「メイジ」であることはどうでもいいわけですよね。こういうのを私は「無理解」と言っているつもり。

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コメント

 大変興味深い話ありがとうございます。西欧では常識であっても、我々には今ひとつピンと来ない話が幾つかありますね。例えばコンパニオンのみならず登場人物が割と普通にバイセクシャルであったり、ベサニーが(ハイティーンにも関わらず)子供扱いされていたり。
 コメントを書いていたら面白い話が見つかったので自分ちの記事にします(笑)。

 たしかにこれは迂闊でありました・・・。そうじゃないんじゃない、元のままが近いんじゃない、という意見もありそうですが、いや違います、とこれはなぜか言い切れそう。

 バイセクシャルも「狂気の歴史」でいう問題の延長上ですね。フーコーはあまりに鮮やかに問題を解いてしまっているので、できのいいマジックを見せられたような気になって、頭を整理するのに時間がかかります。
「ブリューゲルの絵画に表象されているものこそ『狂気』である」、またブリューゲルが来たね・・・。どうぞどうぞ、もう気にしないから。
 「おとなとこども」、これも日欧の対比で書き始めると(自分では)大変面白いけど、終わらなくなりますよね。
 
 記事一個儲けた? ずるっ(笑)。

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