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2011年10月25日 (火)

The Witcher 2 ようやくクリア。 (2)

 ゲラルトは、The Witcherのある場面で、今まさに暴力によって体制破壊を行なおうとしているスコイテル一派への対応を迫られる。彼らを殺すのか、見逃すのか。

 (その場面かどうか忘れたが)一派のリーダーであるエルフは、ゲラルトもまたミュータントとしてヒューマン社会には決して受け入れられない存在ではないかと説得を試みるし、ゲラルト(プレイヤー)はそれを受け入れることもできる。

 だが(私の実際のプレイでも説得を受け入れたが、それはともかく)、それはゲラルトとは直接関係のない話、「あっしには関わりのねぇこって」なのだ。
 ゲラルト(プレイヤー)にしてみれば、この分岐はどんな展開をもたらすかというプロット上の興味を別にすれば「どっちだっていい」のだ。この選択は無差別なのだ。

 スコイテルはゲラルトひとりの助力だけでは革命を成功させることはできないだろうが、将来成功する可能性はゼロではない。一方、ゲラルトは世界がどう転んでもミュータントのままだ。この話から完全に疎外された第三者だ。

 もちろんゲームでは、あやふやな「中立」の道をとることだってできる。だが宿場町の騒乱から常に身を引いて、中立に徹しようとする木枯し紋次郎が必ずそれに巻き込まれるように、ゲラルトもこの対立から逃れられない。どっちつかずが最も悲惨な道になりうるのだ。

 そう考えると、Dragon Age 2のホークが最後の戦いに「巻き込まれる」のも意味づけは苦しい。「メイジとテンプラー、どっちだっていいやね」と逃げ出すオプションは物語上どうやって封じたんだっけ? チャンピオンという肩書きだけかな。
 Dragon Age: Originsのウォーデンが逃げ出さずアーチディーモンに決戦を挑むのは、武勇とか名誉とか、ウォーデンにしか倒せない事実(犠牲的精神)を抜きにしたって、ブライトがこれ以上拡散したら逃げたって意味がないからでしょう。逃げるってどこに逃げんだよ、というふうに封じている。
 物語として、ヒーローが逃げてしまう話は面白いかもしれないが、少なくともヴィデオ・ゲームで、しかもクライマックスに持ってきちゃだめだよね。やるなら一番最初だ。

 ここで、木枯し紋次郎や眠狂四郎と比較してのゲラルト論を思いついたが、さらに長くなりそうなのでまたにする。簡単にいうと、前者のふたりと比べて、The Witcherのゲラルトは、物語の中心に巻き込まれていく必然性があまりにも薄いという話になるでしょう。

 結局The Witcherのクライマックスも、スコイテルとの関係の選択の結果として分岐していく。ウィッチや、ストリガ(呪いにより変身する化け物)、ウェアウルフなどとの「ゲラルトの私的かつ内面的な戦い」ではなく、王国全体を揺るがす大暴動に立ち会うことになるのだが・・・。
 ゲラルトがそこにいる必然性(どうして知らん振りしないのか)も、私のコミットメントも、どんどん希薄になっていく。
 映画「スター・ウォーズ」のハン・ソロのように、最終決戦直前にゲラルトが「あとは知らん」と立ち去ることはどうしてできないんだろう。ハン・ソロがなんで戻ってきたかしらないが、少なくとも何かはあったはずだ。ゲラルトにはそう思わせてくれる何もない。

 そしてエンディングで、今までのゲラルトの行いのすべては人類(ヒューマン社会)がより高次な目的を達成するための預言のとおりだとする物語が語られる時点で、わずかに残っていた私の最後のコミットメントまで一切霧散する。
 それは完全にこじつけだよ。しかもそれによってすら、ゲラルトが物語にとって第三者であることは一向に解消されない。

 もちろんゲラルトは、キチガイ予言者は誰でも必ず「より高次な目的」を口にするものだ、とニヒルに吐き捨てて、相手を斬り捨てるんですけどね・・・。

 こんな話にゲラルトを付き合わせたことが気の毒になってしまうのだ。

 エピローグでは、ようやくゲラルトがもう一度ゲームの主人公になる瞬間がやってくるが、それはプレイヤーの選択ではなく固定カットシーン。そうしてThe Witcher 2に物語が繋がる。

 奇妙な符合ではあるが、The Witcher 2のオープニングもDragon Age 2と同様、過去の回想、尋問から始まる。ただしこちらで尋問されるのはゲラルト本人である。

 そこで語られるのはThe Witcherのエンディングからゲーム内時間はほとんど経っていないThe Witcher 2の冒頭の話だ。

 そして冒頭の攻城戦のくだり、映画「地獄の黙示録」前半のウィラード大尉のように、ゲラルトは完全な傍観者だ。ゲーム的な仕掛けこそあるが、たまたまそこにいたから巻き込まれたという造りになっている。

 やがて重大な事件が発生して、ゲラルトは(今まさに尋問を受けている)牢獄に入れられ、そこから「逃亡する」という意味のある目的が生まれる。
 そして逃げ出した後も、ある人物を追跡するというモチヴェーションが与えられる。ここまでは、いい感じだ。

 前半に出てくる、港町を苦しめているボス・モンスターとの戦いも、ゲラルトはウィッチャーなんだからやるでしょう。それが本業なんだから。バトル自体はボスがチートくさい動きしやがるのでキライだが。

 その後、大きくふたつに分岐する選択も、まあ別に悪くはない。中立は許されず、どちらかを選ばなければならないが。 
 その他のゲラルト個人の問題に係わるいくつかの選択についても特に問題は感じない。

 だが物語が進むにつれ、またしても政治的な大きな物語が前面にのしかかってくる。そしてまたしてもゲラルトにはあんまし関係がない。ある人物の追跡が前に進まなくなるので仕方なく戦う戦いもある。戦い自体は確かに面白い工夫があるものもあるが、通常はどうでもいいようなザコ戦だ。

 そしてラスト直前、またしても私は急停車をする。ここでもある選択を迫られたのだ。そして、前回のように「あっしには関わりのねぇこって」と言い切れないものであるところが、ずるく、嫌気がさしたところだ。

 もろネタバレなので詳しくは述べない。その後のボス戦(不可避)も非常にチート臭かったので、最後にようやく発見した追跡していた人物を「逃がす」ような選択肢はもう感情的に許せないのであった。それはもはや開発者に対する怒りをぶちまけるような戦いであった。

 物語は文字通りゲラルトを置き去りにして勝手に終わる。The Witcher 3に乞うご期待あれ!

 ボス戦がどれもチート臭い、フェアじゃない点、エンジンを刷新したわりにはコンバットが依然として「ぬるぬる」していて気持ちよくない点などには目をつぶろう。
 確かにヴィジュアルは格段によくなったし、雰囲気もいい。絶景も多い。キャラクターたちも生身の存在に思える場合が多いし、セリフもずっと気が利いている。脇役の衛兵ひとりひとりまで、ただの人形じゃない感じがする。前作にもあったが、街には人々がそこで生活している感じもちゃんとある。隠しアイテム探しやクエストの趣向もある。

 前作よりは確かに大幅に改善されている。それは間違いないし、ゲームとしては文句なし高品質だ。

 だが主人公置き去りのストーリーはまったく変わっていない。なにもゲラルトである必然性がない。

 GameSpotなどの高評価レヴューを眺めて、私とどこが違うのか考えたが、なかなか答えが出ない。上述したようなゲームシステム、ゲームプレイ、ヴィジュアルに関しては多少の差があるが概ね意見に相違はない。

 The Witcher のスコイテル、The Witcher 2の政争、自分が躓いた(というか嫌気がさした)ところに答えがあるのだろう。

 GameSpotのケヴィンのレヴュー。冒頭のThis manというのがゲラルトが追跡している人物。

"This man's identity is not a secret for long, but then, this is not a murder mystery; rather, it's a chronicle of discovery, redemption, and political upheaval. Geralt is blamed for Foltest's murder, but as he gets closer to the true killer, he becomes more and more involved in the region's power struggles."

 「追撃の果て、ゲラルトがその地方の政争にどんどん巻き込まれていく」という点を好意的に評価している。

"Not including the prologue and epilogue, The Witcher 2 is split into three acts. The first is primarily concerned with following the killer's trail, while the second greatly expands the plot, introducing so many new characters and so much lore that you might be initially confused. Yet, the convoluted plot seems poised to explode in the final episode, only to fizzle at the end. The lack of closure intimates a sequel, and it makes the final act feel abrupt when compared to the robustness of the first two. "  

「物語は三章構成で、第一章は追跡、第二章でプロットが大きく広がり(つまり政争について多く語られ始め)、登場人物やロアの数も増大する。第三章でそれら込み入ったものが一斉に爆発するように仕組まれているかと思わせておいて、実はしりつぼみで終わる」

 最後がしりつぼみなのは間違いないが、この「知らんうちに政争に巻き込まれていく」物語自体には特に問題視していないようだ。

 The Witcher 2は、GameSpotはじめ主要なゲームサイトで高い評価を受けている。これに対し、同時期のDragon Age 2が比較的「普通」の扱いであったことが、私の辛めの見方に影響を与えていることはもちろん否定しない。亡者だから。

 TW2が言われているほど、DA2と違うわけでもない。DA2のプロットは強制進行というが、TW2だってそこまでヴァラエティがあるわけではない。確かにDA2には結果に反映させない選択が多い点は指摘されるとおり。だが大きな分岐はそれぞれふたつだし、ゲームとしてはTW2のほうが短い。

 ヴィジュアル面は好みの問題が大きいが、TW2は確かに「戦略的に」絶景を見せる工夫がある。別段TW2のコンバットのほうが優れているとは思わないが、ボタンスマッシャーDA2よりはるかにクロウト受けはするだろう。

 ところがストーリーに関しては、私の場合まだDA2のほうがコミットしやすい。ホークも「取り残された主人公」である点は似ているが、ゲラルトの完璧なまでの第三者ぶりまでひどくはない。 

 それはなぜか、ぼんやりと浮かんできたが、もう少し考えることにする。

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コメント

 ゲラルトって主人公というより狂言回しですよね。それが主人公として違和感を感じることの原因だと思いますよ。システム的な成長の要素はありますが、あの世界においてはすでに、強力な兵器として一目置かれる存在ですからね。プレイヤーが成長させたという感慨を抱きにくい構造です。
 ロマンスに関しても、どんな状況でも超然、又は諦観的な態度なのに「愛してる」なんて言わせられないすよ(言わせたけど)。つまり、選択肢はあれども、キャラががっちり固まりすぎていて、それに引っ張られることが多いんですよね。

>狂言回しですよね。

 そうなんですよね、すでに固定化されたキャラクターというのはいい表現ですね。ロマンスというより日常的なエッチ。DA2がヴィクトリア朝ロマンスなのに対して、TW2はずっとアダルトな、「アヴァンギャルド」な男女関係。

>どんな状況でも超然、又は諦観的な態度 

 ここが、日本を代表するニヒルな渡世人・剣豪の木枯し紋次郎と眠狂四郎と比較ができるかな、と思ったポイントであると気がつきました。感謝します。

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