フォト
無料ブログはココログ

« The Witcher 2 ようやくクリア。 (3) | トップページ | The Witcher 2 ようやくクリア。 (5完) »

2011年10月27日 (木)

The Witcher 2 ようやくクリア。 (4)

 だいぶ勉強を余儀なくされた・・・。できるだけ書いてみよう。

 DA2の物語は、現代的な普遍的なテーマを中心に据えているという話だった。それが成功しているかどうか、好きか嫌いか、興味の有無などは個々人の観点に委ねられるでしょう。

 The Witcher 2の物語は何か。

 ひとつには、スコイテルの物語がある。
 もうひとつには、王族間の戦乱、陰謀の物語がある。
 ゲラルトの自分探し(アイデンティティの回収)もある。

 本来は、ミュータントであり、かつ名うてのモンスター・ハンターであるゲラルトの個人的な私的物語であるべきだったのではないか、というのが私の感想だ。

 ご承知の方も多いだろうが、ゲラルトは波蘭の有名なファンタジー作家Andrzej Sapkowskiが創造した主人公だ。一部日本語版にもなっている。私はさすがにそこまで手を広げていなかったので、ご興味があればどうぞとしかいえない。「エルフの血脈 (魔法剣士ゲラルト) 」。また読まないといけない本が増えたよ・・・。どうにかしてくれ。
 (実は、英語版しかないと書いてから、不安になってAmazonで検索してみた。そしたらあった。翻訳者はどうやら波蘭語の人たち? さすが日本、ダボハゼ翻訳文化は健在なり!)

 だから原作がどんな中身かは、波蘭語もさっぱりな私はWitcherWikiやWikipedia(en)に頼るしかないが、それによれば、ゲラルトの造形は、90年代の波蘭社会に存在した、the neo-liberal anti-politicsな思想に由来しているという。あきらかにキーワードですよね。
 うーん、どんどん調査範囲が拡がっていくな・・・。

 さくっと書くと、前半部分は新自由主義。市場優先、民間企業の効率性重視。小泉・竹中政権の話は今我勝ちに盛んに批判されていますから、Wikipedia(jp)はまたしてもやくに立たないが、Wikipedia(en)には珍しくこの世界的なムーヴメントの例として日本が記載されている。
 残念ながら波蘭の記述はないのですが、"Poland"の項には90年代(ソビエト崩壊前後)に社会主義経済から市場経済への移行のため「ショック療法」が用いられたとある。一時的スランプは経験したが、旧共産圏ではいちはやく市場経済を軌道に乗せ、また良質な労働者の供給源としても評判をとり、EU加盟への道を容易にしたそうだ。

 なお、元々の新自由主義は陳腐な言い方をすると小さな政府と大きな社会を標榜する考え方。ところがネオリベというときには市場原理主義を意味し、小さな政府と小さな社会を意味するのだそうだ。ややこしい。ややこしいけど、ここでは前者でしょうね。

 これらから推測するに、anti-politicsというのはいわば社会主義的なものへの忌避という感情、反動が国民全体に拡大したものでしょう。市場経済は安全保障、外交、警察、流行の言葉でいうと暴力装置を一手に握る国家の存在が前提ですから、アナーキズムでは成り立たない。だがアンタイ・ポリティクスというのであれば、反動が大きいほど、容易にアナーキズムに遷移してしまう可能性はありそうですが。

 そして、次もポイントみたいです。Wikipedia(en)のゲラルトの記事"Geralt of Rivia"、一部そのまま引用してしまおう。

"Geralt lives in an ambiguous moral universe, yet manages to maintain his own coherent code of ethics. At once cynical and noble, Geralt has been compared to Raymond Chandler's signature character Philip Marlowe. The fantasy world in which these adventures take place owes much to Polish history and Slavic mythology."

「ゲラルトは、道徳観の曖昧な世界に生きてはいるものの、彼独自の一貫した倫理観を有している。シニカル(厭世的、諦観的)でかつノーブル(超然とした、高潔な)である点は、レイモンド・チャンドラーの描いた主人公、フィリップ・マーロウにも比較される。ファンタジーの世界観は、波蘭の歴史とスラヴの神話に多くを負っている」

 つまり、フィリップ・マーロウのような極めて現代的なキャラクター・モデルを、波蘭の長い歴史の中に放り込んだ。 

 前半はいいですよね。問題は後半。波蘭の歴史・・・。そら、知らんわ。

 簡単な答えとしては、「私が波蘭の歴史に無関心であったが故に、ゲラルトを取り巻く世界の物語が読めない」というもの。

 でもそれだけ? 差別の話、王族間の戦乱の話が読めないなんて、今までどこにいたの?

 しかも波蘭の歴史なら、どこででも読むことができる。ネット社会万歳。
 厳密に正しいかどうかを調べるわけじゃないから十分。

 案の定、ゲラルトの生きる世界と同様に、リアルの波蘭にも王族間の長い分裂の時代があった。
 1138年に王国を7つに分割した王は、それぞれを后や息子たちに相続した。どこの国の歴史を見てもわかるとおり、これは「やってはいけない」措置。波蘭も例外ではなく、分裂は対立を呼び、さらに分裂を呼んで、どんどん小さな領邦が増えていったそうだ。モンゴルの襲来もあり、荒廃して無人化した地方にドイツ人などの移民を受け入れざるをえなくなった。こうした経緯によって波蘭人とドイツ人入植者の間の紛争の種が生まれた。1295年にようやく名目上の統一が実現するが、王は即位の翌年に暗殺される。 

 まだまだ続きますが、ここら辺がゲラルトの物語が背景として借用しているところでしょうね。王の暗殺も定番。The Witcherで悪の帝国として描かれているNilfgaard帝国が、(神聖ローマ帝国ではなく)ローマ帝国をリファーしているらしいなど、若干時代的に錯綜している設定もあるみたいですが。
 そして、歴史を眺めていると、スコイテルのような種族差別の物語があまりしっくりこないこともわかります。14世紀にペスト流行の犯人とのデマを流されたユダヤ人が、宗教的にも民族的にも寛容な波蘭に大挙して移住してきたという話からも想像できそう。

 そういう下調べで何がわかるか。まずスコイテルのほうから。

 スコイテルの迫害の物語は、波蘭の歴史からではなく、あきらかに指輪物語からの現代的変換でしょう。エルフ・ドワーフなど先住種族が生活して繁栄していた世界に、後発種族として乗り込んできたヒューマン(文明)がやがて数的にも質的にも凌駕してしまうというのは、The Witcherがそうであるように、指輪物語を父とするファンタジー世界の雛形です。DnDではそのまんま借用しているし、Dragon Ageではエルフがヒューマンに圧迫されて差別を受けるようになる扱いです。DAのドワーフは他種族から迫害こそ受けていないがダークスポーンとの永遠に続く戦いで先細り、やがて滅びを余儀なくされる設定。

 DAのドワーフの絶滅危機の物語こそ比較的斬新ですが、Mass Effect のクローガンのように(犯人は人間じゃないけど)人為的に(生物学的に)絶滅を運命付けられる、となるとこれはリアル世界でも何度も行われてきた。そしてドワーフもクローガンもそうした絶滅の危機が目前にあるにも係わらず、部族間で(種族全体の危機を加速するような)無益な抗争を繰り広げている。どちらも、他に何の味付けもいらないくらい強烈な物語です。

 一方でDAのエルフの物語はThe Witcherのスコイテルの物語と同様に単にそこに置いただけ。「差別反対!」と割り切るか、そうしないかを迫られるだけなんです。

 そういう弱い物語を補強するために、DA2では仕掛けが用意されました。エルフであるフェンリスがテヴィンター・マジスターの奴隷であったことを示すために、その内面(セリフ)を示すだけではなく、その改造された肉体でもわかるようになっている。
 後者がなかったら、きっと(自分で奴隷時代の話をするしかない)インパクトが弱いままのキャラクターになってしまったでしょう。プレイヤーたちにも、そしておそらくデザイナーサイドの者たちにとっても、彼が奴隷の出身であることを決して忘れさせないようにしたんです。奴隷と言うのは、そのくらい感情移入が難しく、簡単に忘れ去られてしまいやすい設定ということだと思う。少なくとも現代人にとっては。

 メリルの場合も同じです。デーリッシュも異教徒として差別の対象ですが、それもまた弱い物語になりやすい。人間てのはそのくらい無関心でいられるほど、異質な他者に対して冷淡で残酷なんです。ああ、これはタリスの言葉だったか?
 メリルを強烈な存在にするため、禁断のブラッド・マジックを持ち込み、一族から追放された存在とした。最愛の師匠の運命までゆがめてしまうことにした。ただ種族の歴史を回収したいという(善なる)衝動だけに突き動かされた彼女にとっては、あまりに理不尽で過酷な運命ですが、そのくらいでないと伝わらない。
 私を含めた現代人のプレイヤーはそのくらい鈍感なんです。少なくとも開発スタッフたちは「自分たちだってそのくらい鈍感だよな」とわかっているからやっている。

 DA:Oではどうか。エイリアネイジの主人公は、いきなり「領主の初夜権」問題にさらされる。それはイギリスに本当に存在したかどうか疑わしいのだそうですが、「悪名」は普遍的に伝わっている。これも、もうこれ以上は説明いらないくらい強烈な話ですね。
 デーリッシュのほうはその意味ではちょっと弱かった。むしろ6つのオリジン・ストーリーでは(唯一ダンカンが「慈悲」を理由にウォーデンをリクルートする物語でもあるので)一番ほのぼのとした旅立ちの話になっている。本編のウェアウルフの話には確かに差別・憎悪の物語が背景にありますが、そちらも真剣に構えていないとあまりよくわからない結果になる。

(デーリッシュ・オリジンの話は、以前も書きましたが「もののけ姫」の主人公が外の世界の争いに「巻き込まれ」、呪いを受け、長老の言葉に従って呪いの解除の可能性を探るため外の世界に旅立つ物語と良く似ています。これも物語原型なんでしょうね。もちろん「もののけ姫」には宮崎駿ならではの隠しテーマ(少年の通過儀礼)があるんでしょうけど)

 The Witcherのスコイテルの話にコミットできないのは、そのような工夫があまりないまま、ぽーんと放り投げてくるからだと思う。ウィッチや、ストリガ、ウェアウルフの話は丁寧に背景がなぞられるのに、スコイテルは「みんなわかってるだろ?」という感じだ。そうされるとこちらは決定不能になる。「差別反対!」で行くしかないじゃないか。あるいは「どんな理由でもテロ反対!」かどっちか。

 王族間の抗争の物語は、もうあまり説明も要らないと思う。ウィッチャー、モンスターハンターでしかないゲラルト(プレイヤー)にとって、そうした抗争は「だからどうした?」でしかない。そう思わせないように、物語冒頭では王の暗殺事件に巻き込まれることになり、終盤では友人と王族の命を天秤にかけさせる。とくに後者は、あまりにせこい・・・。私がしらけてしまった瞬間だ。Mass Effectのヴァーミヤ強制選択とか、DA2リアンドラのくだり同様、脱力してしまったのだ。

 とても物語にコミットメントできない。その後のチート臭い、うそ臭いボス戦二連発で、さらに後味の悪さが増幅され、クリア後は、ただオブリゲーションを達成しただけのような感覚に苛まれた。しばらく、(もうひとつの展開を見るため)リプレイなんてとてもできそうにない。

 そろそろ苦しくなってきたので、学者の知恵を借りよう。社会学者である宮台真司氏のいくつかの著作を関係あるかなと思って一夜漬けで読んでみた。だからつまみ食いの範囲を出ないでしょうが、少なくとも何かの足ががり(手掛かり?)はあるかもしれない。

 まず、コミットメントに対置させられるのはデタッチメントだそうだ。前者が「自分もそうだ」と表現されるなら、後者は「確かに<世界>はそうだ」となり、どちらも享受可能性を生み出すとある。DA2の物語については、私はその両者とも売り込まれたことになるが、前者(ホークの生き方)については比較的弱く、後者(カークウォールのメイジ・テンプラーの抗争)は比較的強い。

 TW2についていえば、後者(スコイテル、王族の争い)に関して「確かにそうだ」という思いはまったくない。なんだかわからんけど好きにしてくれという感じ。そして前者(ゲラルトの自分探し)は、前作では自分と同じ異形なものたちとの戦い(またはそれらの回避)を通じてコミットできる部分があったのだが、今作ではどうにも探しようがない。
 上に書いたような、アンタイ・ポリティカルなムーヴメントの影響を受けたフィリップ・マーロウ的なキャラクターが、世界の不条理や抗争にどうして積極的に立ち向かおうとするんだろう、という問題に何も答えてくれていない。どうして無関心を貫いてはいけないのだろう。友人と王族の命を天秤にかけるということは、「私的なもの」と「公的なもの」を強制的に選ばせるということだ。そんなの選べますか?!  

 また「対立は統合の証」だそうだ。そして、この場合の統合はよろしくない。「対立を支えている暗黙の統合によって排除されてしまう何かへの鈍感さ」を意味するから。
 DA2のメイジ・テンプラーの対立は、単純な二項対立(差別反対と治安維持)ととらえる自由ももちろんあるが、そう簡単には割り切れない仕掛けがあることはすでに書いた。
 TW2は、古めかしい発想の単純な二項対立を前にして、現代的な主人公に振舞わせようとしている。なにか斬新なものが生まれる期待もあったかもしれないが、私の思う限り、それは表面剥離しちゃっている。

 プレイすればわかるが、開発期間が足りなかったんだろうなと思わせるくらい短い。DA2も同様の納期問題があった。DA2はシステム面で生煮え、やっつけな部分が色々批判されている。TW2はシステムを作りこむあまり、物語のほうをすっ飛ばしてしまったのかもしれない。

 それともこの物語が理解できない、コミットできない私のほうが鈍感なのかな。

 最後に、宮台氏のいう神義論が面白いので、直接関係あるかどうかわからないが書いておく。

 「神が万能なのになぜ悪(不条理)があるのか」というのが神義論、ヘブライズム。
 「(万能の)神がいないのになぜ善があるのか」というのが逆(コントラ)神義論、ヘレニズム。

 DA2は、おそらく前者の物語を語ろうとしている。これは容易にわかりますよね。
 TW2もキリスト教圏の波蘭人が作った物語ではあるのですが、物語の世界はまだカルトが沢山ある分裂した多神教の世界。そこにゲラルトを登場させたということは、異形の者、すなわち社会の外部からやってきた英雄として善を実現し、世界を改変する物語、後者の物語を語りたかったのではないかな。
 そう考えると、ゲラルトが(結果的に)善をなすかどうかは、The Witcher 3に引き継がれたということでしょうか。

 

« The Witcher 2 ようやくクリア。 (3) | トップページ | The Witcher 2 ようやくクリア。 (5完) »

ゲーム」カテゴリの記事

コメント

スコイアテルのベースは世界中にある移民問題です
前からいた連中が後から来た連中と喧嘩してるだけというしょーもない話です
外側の存在を自認するゲラルトはそれを冷静に見れるはずだけど、実際そうでいられるかどうかは別問題
肩入れするわけでもなく切り捨てるわけでもなくという距離感が、特に東欧の人たちには心地良いんでしょう

DA2の場合はDAOというある程度歴史の流れを変えられる前作からの変化があったのに対し
TWは個人対社会の不条理劇という点でほとんど変化が見られないのが続編として受け入れられているポイントかと

TWシリーズの落とし所については、小説のスタンスを守るつもりならおそらくほとんど変化は起きないという結末になると思われます
主人公がふんぎり付かずの対症療法に徹したあげく死ぬ話なので

 はっきり書くといやらしいかなと思ってやめたのが、そこなんですよね。逆に書いていただいて書けるようになった(笑)。
 移民問題もあるし、たぶんジプシーからボヘミヤンから放浪民の問題も昔から現在までごく日常に存在しているから「みんなわかるだろ?」で済むんでしょうね。むしろそれ以上説明を重ねるのが冗長。
 調べると日本ではなんと「ジプシー」が放送禁止用語?! 期待通りの日本人の行動パターンだな・・・。

 王族の話も、これは私だけかもしれないけど、「あれだよ、ほらあれ」という感じのところが、「はあ?」なんですけどね・・・。
 
 確かに小説ではずっと私的な葛藤になるだろうし。
 無理矢理エピックさを持ち込まざるを得ないゲーム上の要請があるでしょうしね。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: The Witcher 2 ようやくクリア。 (4):

« The Witcher 2 ようやくクリア。 (3) | トップページ | The Witcher 2 ようやくクリア。 (5完) »

Dragon Age 2 プレイスルー

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30