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2011年10月26日 (水)

The Witcher 2 ようやくクリア。 (3)

 コメントもいただいて、少し考えを進めてみた。非常に不完全かもしれないが、Dragon Age 2との比較において結論じみたことを書いてみる。 

 なお、私がBioWare亡者である事実は、結論に影響を及ぼしているかもしれない。だがBioWare信者では決してない(気が狂ってはいない)ので信用していただきたい。トラスト・ミー!

 Dragon Age 2とThe Witcher 2の比較において、前者の大きな物語に違和感がないのに係わらず、後者には違和感がある。そして主人公(ホークとゲラルト)の係わりあい方についてはどちらも希薄ではあるとはいえ、後者のほうに疎外感を強く抱く。

 ふたつの点が(また最終的にみっつになるかもしれないが)考えられる。

 ひとつめはコメントで指摘いただいたことだが、主人公そのものの違い。
 どちらもカタギではありません。そこは共通。

 DA2ホークは、ただの(武芸などには才能のある)難民の地位からスタートして、家族をどんどん喪いつつも、仲間をどんどん増やしていく(そして敵もどんどん増えていく)、蓄財をしていく、地位を獲得していく。伝統的なPRGの「成長」とは違うかもしれないがRPG的な仕掛けは健在。

 対するTW2ゲラルトは、すでにミュータントのウィッチャー、「白き狼」として武芸に関してはこの世界で有名な存在。どうやら暗い過去を引き摺っているようだが、前作冒頭からウィッチャー仲間の「エース」である位置づけ。
 パーティープレイ前提のDA2と異なり、TW2はソロプレイ中心なので新しい仲間はあまり増えない。新登場キャラも旧知の人物に再会する場合がほとんどである。

 ホークは(アメル家という高貴な家系は利用したものの)、カークウォールの街であまり真っ当ではない手段で一代で名をなした。同じように脛に傷持つ仲間も色々集まってくる。難民仲間の敗残兵、商人ギルドの出自に否定的なドワーフ、ウォーデンから脱走したメイジ、部族から追放されたメイジ・エルフ、元奴隷のエルフ、(ひょっこりひょうたん島の黒ヒゲじゃないが)海賊船のない陸にあがった女海賊、流浪の王子。
 清水の次郎長とかそんなかな。衛兵隊長(警察部門の長)まで一目置いている。というかお仲間だもんな・・・。

 ゲラルトは、前作でウィッチャー仲間の拠点という居場所を喪っている。ヒューマンでミュータントであるから、どこのコミュニティからも受け入れられない。必然的に流れ者、素浪人となる。お友達も吟遊詩人、少数被差別種族(スコイテル)のドワーフ、ソーサレス(女魔術師)、王国の隠密、叛乱運動のエルフのリーダー。みな世間からのはみ出し者、裏街道を歩む者たちだ。
 眠狂四郎。異人とのハーフであり、かつ特権階級の侍でもあるから、どんなコミュニティからも決して受け入れられないが、剣は滅法強い彼に似ているといえるでしょう。

 ホークは出自と種族、性別、クラスは規定されているが、人格は「白紙」だ。善・秩序を重んじるように行動することも、それを否定して振舞うこともできる(商業ゲームが許される範囲内で)。

 ゲラルトは人格・個性まで固定されている。どんなときにもニヒル(諦観的)でクール(超然的)でなければならない。

 こうした対比は確かに可能だと思います。ですが、これが決定的な違いだろうか?
 FFXIIIの主人公ライトニングは選択の自由など一切ない一本道のジェットコースターのレール上を走らされる。走らされるが、私は彼女が大好きである(ミーハー的な意味も含めて)。FFXIIIには「成長」の自由があるじゃないか、というかもしれないが、プレイされればお分かりのとおりあまりない。ないっつうか、それ自体あんまし意味がない。別にそんなのいらない。

 主人公の有しているキャラクターづけは、もちろん物語に大きな影響を与えるのでしょうが、私は(眠狂四郎の大ファンであると同様に)ゲラルトの物語をもっと知りたいと思う。ライトニングの物語と同様、たとえシナリオライターが勝手に書いた物語であっても、彼がどう振舞うのか見てみたいと思う。

 だからこのひとつめ、主人公の違いは、私がTW2に言いようのない違和感を覚えた理由の決定打ではない気がする。

 ふたつめは、物語の世界と、そこで語られる物語。おそらくこれだ。

 結論からいうと、私はDA2の物語にはコミットできるが、TW2にはできない。

 なぜか。理由をひとことでいえば、私の知識不足。もっと言えば、歴史の文法がわかっていないからだと思う。まず、わかっている(つもりの)DA2のほうから考えてみる。

(以下、DA2の考察、重大な点を見過ごし、結果が誤っていることに後日気がつきました。修正版はこちら。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/da2-19d2.html

 DA2の物語は、デザイン側が確信犯的にそうしているように、リアル地球の中世ヨーロッパを世界のモデルにしながら、実は当時ではなくて近代、あるいは今まさに世の中でおきている現代社会の物語を描こうとしている。しかも巨視的に。

 DA2のもっとも重要な物語は、メイジ・テンプラー抗争である。差別、抑圧、叛逆の物語。
 テーマは「自由」。最近色々手垢がついてしまったのであまり使いたくないが、言い換えると「正義」の物語だ。しょうがないな、ジャスティスが登場するわけだから。

 くどくなるが、前にも書いた私なりの解説を書く。推定無罪という発想がなぜあるか。個人に対して体制があまりにも強力だからである。どんな凶悪卑劣な個人(その集団)であっても悪行のレベル・範囲・悲惨さはたかが知れている。一方で歴史を紐解けばすぐわかるが、国家や体制の行なった殺人はとても信じられないレベルであり、範囲も悲惨さも常軌を逸したものが多い。
 だから、どんな凶悪犯の容疑者であろうが、国家権力がその犯罪を完璧に証明できなければ無罪であるという原則を(少なくとも自由社会を標榜する国々は)持ち込んだし、頑なに遵守しようとする。その結果、(個人である)大量殺人犯がまんまと逃げ延びてまた同じことを繰り返しても「仕方がない」と考える。国家権力への歯止めのほうがはるかに重大であり、それが破綻した場合のほうが比較にならないほど陰惨な結末を迎えるという発想だ。

 なぜDA2の世界でその原則が守られないか。なぜメイジには自由が与えられないのか。蒙昧な中世社会だから? であればどうしてメイジだけが抑圧される? じゃあ迷信深いから? 魔法は恐ろしいものだから? そこが変だというならそうだが、DA2の物語の住人たちは実はたいして迷信深くない。とても現代的な発想をしてしまう。だが「魔法は恐ろしいもの」という部分は正しい。迷信ではなく、この世界では紛れもない真実である。
 
 「個々人の力はとるに足らないものである」という前提が、メイジの場合に限って崩れているから、というのが答えだ。頭のおかしなメイジひとりいれば、街ひとつぐらい跡形もなく吹き飛ばせるのだ。それを「管理」(コントロール)しないでどうするのだ、という発想から始まる。

 DA2の世界観ではそういうことだ。グランド・クレリック・エルシナは陋習にとらわれた愚昧で旧守的な宗教権力者だろうか、(気が触れる前の)ナイト・コマンダー・メレディスは問答無用で横暴な圧政者であろうか、という問いに答えるのは簡単ではない。

 そしてそれだけじゃない。 
 「でも、私は(私の娘は)メイジであっても気が触れてはいないんです!」という叫びこそ、この話が安直に割り切れない、簡単には終われない味噌の部分だ。「お前がおいらを嫌うのはどうぞご自由に。だが、おいらのせいで黒人全部をキライにならないでくれ」というのは、有名なファンク・ミュージシャンの言葉である。このような一般化が行なわれると、これはいわれなき差別と見分けがつかなくなる。

 いわれなき差別を受けていると考えるほうは、(法制度、すなわち体制が役に立たないわけだから)その状況を打破するためには(つまり正義を実現するためには)、結局暴力に訴えざるを得ない。そうして環が一周してしまう。元の「メイジはいつ気が触れるかわからない危ない存在だから、全部管理すべきだ」という本来正しいかどうか疑わしい物語を、アンダースやオシノなどメイジたち自身が暴力を行使することによって実現してしまい、さらに補強してしまう。

 こうした物語は、最近の「正義」ばやりなどよりもずっと前から、現代人なら誰でも思いをめぐらしていた部分ではないだろうか。最近流行している、そういう分野への興味が増しているなら、社会の悩みが増大しているのかもしれない。DA2の物語がインスパイアされたと思われる9/11のことには敢えて触れない。構図は確かに似ているが違うところもあるだろう。

 このように、DA2の物語は極めて現代的なテーマを中心に据えている。だから主人公ホーク(すなわちプレイヤーが)「あっしには係わりのねえこって」とうそぶいて逃げ出すことができなくても(リアル世界ではできる)、あまり違和感を感じない。私に限って言えば、これは今までずっと何度も繰り返し反芻してきたテーマであるし、(一般化の罠にはおちないように気をつけないといけないが)自由や正義などに関する政治哲学が今現在の人気テーマであるというのだから、その感覚を共有できる人は世界中にも少なくないのではないだろうか。

 一言で言えば「とても人ごとではない」ということかな。自分(主人公)がメイジだから、妹がメイジだから、差別反対だというふうに割り切れる人は幸せだが、それは(もちろんそれも自由だが)自分本位の利己的な観点である。DA2が語ろうとしている正義、すなわち利他的なテーマを見失っているともいえるので、ほんとはあんまり幸せじゃないかもしれない。「幸せ」の定義など私に聞かないでほしいけどね。

 また長くなった。TW2についてはもっとうんうん唸らないといけないので、ちょっとお休み。 

 

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