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2011年10月11日 (火)

マネジメントとマジック

 さあ、どんどん行くぞ。

 フェリシアDLCをプレイせざるを得ないことからの現実逃避とでもなんとでも呼べ。

 BioWareのゲームで、こんなのはじめてだよ。"Forced to Play"、やらされ感爆発。 

 ミンツバーグ教授のお話の続き。

 とはいえちょっとは読んでいただきたい気もするので、ゲーム関係(マジック)にちょっち迎合した。わけでもない。

 このブログが「雨乞い」ブログっていう意味は何度か説明しました。そそ、蘇我蝦夷が雨乞いにしくじったけど、皇極天皇(後に重祚して斉明天皇)が成功なさったという話。
 蘇我蝦夷なんてたった四日やっただけで効果がないので飽きちゃって「だから無駄だっていったじゃん、やめやめ」とやめた。「もー、だらしない。ちょっと貸しなさいよ!」と経典を取り上げて試した女帝が成功させた。日本人って太古の昔から変わらないね、のんきだったのねー、というね。

 ちがう、マネジメントも雨乞いも、結果と直接関係ない「儀式」にやたら凝りまくっているという話です。
 それに関連する。

 マネジメントとマジックに関する考察。

 次の話は有名なのでしょうか。私ははじめて読んだ。Rise of Nations、いやもっと古い往年のRTS、Age of Empiresあたりをイメージしてしまった。

 社会人類学者の研究。

 パプア・ニューギニアのソロモン海に面したTrobriand Archipelago(現在では公式名称Kiriwina Islands)。内陸の村では近くのラグーン(潟湖)で安全にそして良く魚が獲れる。一方外海に面した村では、漁業に危険が伴う上に漁獲高も安定しない。

 前者には漁業に関する一切の魔術的儀式が存在しないが、後者では多数観察される。

 論点はこうだ。人間の行動には根本的な矛盾が存在する。将来が予見できない、不確実性が増せば増すほど、人々はこの先どう行動すればいいかを決めるため、予測や予見を行う手法に頼る。 

 文化人類学者も心理学者も、魔法の儀式や迷信に基づく行動の重要性について長く指摘をしてきた。人々はそれらによって世界をより決定論的に見ることができ、環境とうまくやっていけるという自信を植え付け、部族をまとめ、少なくとも「吉兆」が得られたときには行動を促進する。
 そして儀式はステータス・クオ(現状の体制)を維持することに役立つ。 

 迷信は、疫病、飢饉、戦乱などの困難な時代において、その数も強度も増大する。「人は、自らの知識によっては結果も環境も確実にコントロールできないときにのみ、魔法に頼る」というのが、先に書いた漁村を観察した学者の言葉であるそうだ。 

 もちろん、ミンツバーグ教授の論点は、畢竟マネジメントも人間の行動であり、同じパターンをとりがちであるということだ。古代人の視点を現代人の高み(と勘違いした立ち位置)から見下ろして嘲るような愚はもちろん犯さない。 

 世界が不確実になればなるほど、マネジメントは予見技術や技法に頼る。それらは本当にうまくいってるのか? もしうまくいっていないのに使い続けているなら、それは迷信とどこが違う? (教授はもっとずっと皮肉っぽく、「合法的にそれらを迷信と命名してもかまわないよね」と言っている)

 迷信といえば、カルト・リーダー(新興宗教の教祖)やウィッチ・ディテクティヴ(魔女探偵)の形で現れるが、現代社会でも、魔法使い、魔女探偵(現代アメリカなどではテレビ番組で犯罪を透視して死体のありかや犯人の居場所を言い当てる、あれ)、コンサルタントなどが生まれる。なぜか?  

 実はこの話にとてもそそられたのはここまでの部分だ。日本の主たる新興宗教が発生した時期と、その地方は、極めて偏っている。実例を挙げるのは憚られるのでやめておくが、調べてみられればいい。上のセオリーがジャスト・フィットしてしまうのだ。なぜか日本の場合、教祖は女性が多いというところは私には材料が乏しいのでよくわからないが。まあ薄々わかるが、それも書くのは憚られる。

 先の記事でまったく違う著者の書籍から引用した経済学者・未来学者のガルブレイスがここでも登場する。セレンディピティ?! いや、そういうテーマで書いているから当然のことか。

 経済学や精神医学のように不確実性な対象を扱う分野では、自分が間違いないという者たちを信じずにはいられない驚くべき何かがある。
 金銭に関する議論の多くにも、ネクロマンティック(降霊術、黒魔術的)な側面がある。神秘性、魔法ですら関与していると看做される。その神秘性を認め、それを解明できると目される者たちに特別な評価が与えられる。彼らはオカルト、超自然的なにかと共鳴しているのだ。皆彼らを信じるべきだと。

 迷信こそ、カリスマティック・リーダーが混迷の時代に確かな将来を展望させる手段だ。リーダーによって人々の間に自信が生まれ、行動の指針が与えられ、もし事態がまったく改善されなければ、スケープゴートの役割まで担ってくれる。

 現代の経済予測の専門家と、雨乞いの儀式を執り行うシャーマンとの間の違いは、その見かけのほうだけであって、予測の本質は何も変わらないのかもしれない。 

 お気づきのように、ここまでの話の根底には、迷信は「よくない」、事態を把握(コントロール)できているという幻想は「抱くべきではない」というものがあります。

 だがミンツバーグ教授は迷信と魔法の大事な点(効用、効能というべきですかね)を見落としてはならない、という。

 まず第一に、人は本当に絶望的なまでに将来が不確かなとき、なにも行動を起こさなくなる傾向がある。
 そういうときこそ何か、いや「何でもいいから」行動を起こさなければならない。そうすることで直面する不確かさの一部でも解明されるかもしれないから。そう言う意味で迷信は行動を促する手段となる。 

 二つ目の点は、でたらめな(ランダムな)世界では、でたらめな行動パターンがベストなこと。よく練られた魔法の儀式はまさにこれだ。でたらめな(行き当たりばったりな)行動を促する。 

 カナダのラブラドール(Labrador)インディアンは狩りがうまくいかない日が続けば、トナカイ(caribou)の骨を焼く。骨に亀裂が入り、次に向かうべき方向を「ランダムに」教えてくれる。

(「オラクル」ですね。亀の甲羅と動物の骨、亀甲獣骨文字というものが古代大陸の殷(商)の時代にありました。占いは日本にも輸入されました。卑弥呼の亀甲占いは(史実的に正しいのかどうか知らないですが)キャラクター・イメージとして定着しました。
 映画なんかにもありますね。映画のエンディングで主人公が立つ荒野のどまん中で消えかけた道が二つに分かれている。主人公はコインを投げる。あるいは枯れ枝を投げる。どの道風任せの旅だし)

 これは非常に有効な戦術である。トナカイの骨はランダム・ナンバー・ジェネレイターだ。

(ゲーマーたちの大好きなダイス(さいころ)がかつては動物の骨などで造られていたのも意味があるんでしょうかね。die(dice)のほうは語源は「遊ぶ道具」だけど、同義語にboneがあるように過去骨で作られていたことを示す。骰子(さいころ)の「骰」は骨を投げること。投げる骨。賽子(さいころ)の「賽」は「賽は投げられた」と使われますが、賽の河原とお賽銭があるように神仏の世界に関連するらしいけど、語源はなんかはっきりしないみたい。ただ要塞の「塞」と「貝」からできている。「貝」のほうは、宝貝(「封神演義」の「ぱおぺい」ですね)、タカラガイの貝殻を投げて裏表を見て遊んだり、占ったりしてたそうだ。あ、「殻」にも投げるが入ってる! きりがねえな)

 この装置がなければ、ハンターたちは、過去のバイアスに囚われて、すでに何度か手ぶらで帰ってきた方向にまた向かってしまうかもしれない(そして当然今度も手ぶらで帰ってくる確率が高い)。またハンターたちが決まりきったルートを選べば、獲物の動物たちのほうもそれを知って回避戦術を取る確率も高い。

 迷信が行動をランダム化するのに有効であるのに対し、魔法はそのランダムな行動を「正当化」する。これは二次的だが大事なポイントでもある。

 ところが、今日の経済予測や企業の事業計画手法は、概ね機能不全を起こしている。なぜか。
 過去のパターンに囚われ、バイアスがかかっているからである。イノヴェーションに踏み出すのではなく、過去を正当化してしまっているからである。
 ほとんどの予測テクニックからはランダムな結果ではなく、バイアスのかかった数値の羅列しか出ない。
 トナカイの骨を焼くほうがよっぽどいい。 

 というお話でした。  

 迷信をバカにするのも自由だが、今笑っている君のその存在自体が、ご先祖様の大真面目な魔術的(呪術的か)儀式のおかげで、飢饉に際しても辛うじて部族が生き延びることができて、脈々と続いてきた種族の末裔であることは否定できないのかもしれない。  

 丁度、マジック(呪術、翻訳者によれば咒術)とテクノロジー(エンジニアリングが近いか)の関係を描いたジャック・ヴァンスのサイファイを読み終えたところなんで、その関連でも面白かった。
 イノヴェーション(つまり実験科学、エンジニアリングも含む)を否定する咒術師たちと、「ランダムに」実験を繰り返して、皆を困らせるできそこないのアプレンティス。

 でも、結局異種族との戦い、種族存亡の秋(とき)には、咒術師たちの使う術(幻視によって敵の士気を粗相させ、味方の兵士の力を倍増させるような、DnDでいう「心術」)は全く通用せず、実験主義のアプレンティスの編み出したやり方が勝ってしまうというお話。
 メタ的にこう書くと「科学万歳!」ですが、その世界では咒術こそ体系だった「科学」であり、実験主義が「でたらめな魔術」なんですね。なかなか面白い話でした。  

 なんかゲームにこじつけるか・・・。

 そうね、Age of Empiresでも、Civilizationでもいいけど、まっさらな(暗黒の)地図の中に最初のユニット(セトラーとか、ウォーリアーとか)がポツンと立っている風景が大好きですね。なんの手掛かりもない。どっちの方角に向かっても危険も実りも確率は一緒。満を持してある方向に向かっても山続きであげくは通行不可能な海に出てしまう。広大で肥沃な土地を見つけて喜んでも、すぐそばには蛮族が待ち受けている。
 

 なぜかその瞬間が一番充実していた。産業化・工業化が進むと、やることがルーチン化していって(要するに先が見通せて)なんだか飽きちゃう。 

 一般に砂場式(Fallout: New Vegasのようなオープンワールド)のCRPGのほうが、箱庭式(Bioware系)のものより受けるというのも、そういう(風任せな)ところの心地よさが普遍的だからでしょうね。箱庭式は遊び手のほうに「翻訳」、「解釈」が必要ですから確かに敷居は高いかもしれない。  

 New Vegasは、その舞台がザ・ストリップ、Vegasの快楽街。ギャンブルとチャンスが支配する街。だから二重の意味でランダムな世界ってことですね。あの冒頭のベニーのセリフは、オリジナルのFallout冒頭の「戦争は、いつの時代も変わらない」に負けないくらい、名セリフだと思います。 

 「このゲームは、最初からイカサマだったんだよ!」 

 はいはい、お前の訳など信用できんでしょ。原文だ。いやあ、名文だよ、これ。「18カラット(18金)の凶運続き」ってなんだよ。

"From where you're kneeling, it must seem like an 18-carat string of bad luck. But the truth is... the game was rigged from the start."

 本当に優れたローグライク・ゲーム(もどき)なら、喜んでプレイしますね。なかなか作るのは難しいでしょうけど。 

********** 

 スティーヴィー・ワンダーのSuperstitionを久しぶりにむしょうに聴きたくなったな。いやオリジナルのジェフ・ベックのヴァージョンにしようかな。

(でもあれは、「迷信はいい加減信じるのやめようぜ」って歌詞なんすけどね)

 

 

 

 

 

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