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2011年10月

2011年10月31日 (月)

レイシキ

 だいぶ前のお話ですが、半島人とか大陸人と一緒にいて、何かの数を数えていたとき。それとも数字の羅列を何か別のメディアに書き写す(タイプしなおす)ときだったか。

 日本人ふたりでひとりが数字を読上げ、もうひとりの日本人がそれを聴いてタイプしなおす。

 例えばこんな数列があるとして。8230、6970、4510。

 はち、に、さん、ゼロ、ろく、きゅう、なな、ゼロ、よん、ご、いち、ゼロ。

 こんな感じになりますよね。

 そこで、他は日本語くさい(あるいは当時一緒にいた彼らは日本語の数え方を知っていたかもしれないが)のに、なぜ数字の"0"だけ英語の"zero"なんだと笑われるわけです。

 笑われてもなー。むしろ"0"を零、「れい」とよぶ方が稀なんだよな、とかそんな話で終わっていた。会話は英語であったので、説明が面倒くさかったのもある(この態度は非常によくないが)。
 今考えるとなんとなくわかる気がする。

 零(れい)も、zero(ゼロ)も、外国語なんだ。なぜ「ゼロ」が勝ったか(支配的になった)はわからないけど、両方とも「やまとことば」じゃないものだからどっちでもよかったのではないかしら?

 でも時刻の零時は「れいじ」と呼ぶほうが一般的。「ゼロじ」のようになるとこれはあまりに不気味だから避けられたのかしら。
 「ゼロ時間」とかいうおっかないSF作品とかあった気もするし、中身完全に忘れているが永井豪ちゃんの「ヤダモン」というTV番組の夏の恐怖シリーズでも、深夜零時には実は別な世界への窓が開くみたいな同じモチーフで「ゼロの恐怖」なるエピソードがあった。ガキんちょの私はちびりそうなくらい怖かった。
 ヴィデオ・ゲーム「ペルソナ」シリーズの闇時間だっけ、深夜からの一時間とか、ああいうノリです。

 同じように「絶対零度」など温度の零度も「れいど」ですね。

 日本の軍隊の"0"の呼び方は(おそらく今の自衛隊でも)「マル」。「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」の後半は、1208のことです。これは現在でも(警察官僚とか電信系とか)一部業界には残っているようですが、あまり人口に膾炙しない。

 「零」は、冠からわかるように雨つながり。それが極めて少ない、「恵みの雨」であることを示すそうだ。転じて「まれ」、「ごくわずか」。「令」は,儀礼用の深い帽子を被ってひざまずいて神託を受けている人。
 なんか雨乞いブログにぴったりの感じ(漢字)ですが・・・。なお、「乞う」は「物乞い」、「乞食」(こじき)などに使いますが、「零」は「お零れ」(おこぼれ)ともいうように余ったものをいただく意味にも使う。
 不人気のあっちの新ブログを「零式」に改名しようかな、ってそれはムダに検索に引っかかるだけのアクセス稼ぎだよな。

 英語圏では"0"はアルファベットの"O"に似ているから「オー」と呼ぶことが多い。むしろ日常会話では「ゼロ」のほうが稀だった気がする。たとえば大学などの基礎編の教室は"101"と称するのが定番ですが、ワン・オー・ワン。ホテルの部屋でも電話番号でも「オー」ですね。
 「ビバリーヒルズ高校白書(青春白書)」の原題は"Beverly Hills, 90210"で、数列はポスタルコード、ZIP(Zone Improvement Plan)コード、日本で言う郵便番号に近い(が厳密には違うそうだ)。読み方はナイン・オー・ツー・ワン・オー。あちらでは住居の郵便番号で住人の生活水準がわかってしまうという(悲しいような)格差の現実が背景にある。

 あの実在するかどうかよく知らないがMI6なる英国諜報部のエージェント・コード、"007"を当初は「ダブル・オー・セヴン」という(あちらの)呼び方では呼んでいなかったと思う。「ゼロ・ゼロ・セヴン」ですね。石ノ森章太郎先生はそれをパク・・・、モチーフにして「サイボーグ009」を描いた。そっちも「ゼロ・ゼロ・ナイン」ですね。そしてオリジナルへのオマージュとして登場人物のひとりサイボーグ007は英国人にした。「グレート・ブリテン」てのが仇名なのかなんなのか知らないが。

 さらに言えば、「007シリーズ」のパロディであった米TVシリーズの「0011ナポレオン・ソロ」。原題は"The Man from U.N.C.L.E."。アンクルなる国際諜報機関のエージェントが主役の物語。
 当然米国中心の話なんですけど、なんとソビエト・ロシアまでその機関に協力しているのに大陸国は除外されているのね! 
 登場人物も、エージェント・ナンバー・2のイリアくんはなんとロシア人なのよ、おたくご存知?

 この記事の冒頭で私が半島人たちに笑われたのと同じように、この読み方は「ゼロ・ゼロ・イチ・イチ」なのよ。しかもコードネームが"0011"という話すら本編にはなくて、ソロさんはナンバー"11"のエージェントというのを、日本名でわざわざ"0011"にしたようなのよね。
 あ、脇役のイリアがナンバー2なのに、どうしてアメリカ人のソロさんが11番かって? ちがうのよね、これはダブルエースなの。AA級。エース級のさらに上。特級を示すのよ。今だとアメリカ人は非常に優れたゲームをAAA級(トリプル・エース)なんてゆうじゃない? 日本だとS級よね。いわば純米大吟醸。ご存知なかったの、おたく?

 ちなみにソビエトまで味方なら敵は大陸国?というとそうではなく、自然と「スラッシュ」なるわかりやすい国際犯罪組織(007でいうスペクターね)が仇敵になっていったのね。
 超絶頭のいい科学者が悪のスラッシュの手先になるあるエピソードでは、邦題が「末は博士かスラッシュか」。もー、そのノリさいこー。素敵。あたしなんて一週間くらい笑い転げてたわ。(いいかげんイリアくんの(声優さんの那智さんの)下手なまね、やめ!)

 ヱヴァ零号機は、やっぱり「れいごうき」ですね。レイがパイロットでもあるし。

 もちろんヱヴァ零号機は、皇紀2600年(西暦1940年)に制式化された旧帝国日本海軍の零式(れいしき)艦上戦闘機(零戦)の名称をリファーしている。零戦(れいせん)は2600年の下二桁、"00"を取って「零式」ですから、レイの零号機の英語名が"TYPE-00"とゼロふたつなところでそういう意図があったことがわかる。

 ちなみに旧帝国日本陸軍は同年に制式化した偵察機などを同じ"00"でも100とみなして「百式」(ひゃくしき)と呼び習わしている。軍隊間の対抗意識かどうかわからないが、これはガンダム世界の「百式」がリファーしている。

 零戦は元々「れいせん」ですが、もう修正不能なくらい「ゼロせん」が定着してしまった。

 プラモ・オタク、ミリタリー・オタクには常識ですが、日本軍が「グラマン」などあちらの航空機を英語名で呼んでいた(一部例外あり)のに対し、アメリカ人は長々しい機体番号じゃとっさの連絡に用いることはできないし、日本語では覚えられませんから、すべてコードネーム、英語のニックネームをつけた。有名どころだけあげておく。データベースは探せばネット上にいっぱいあるが、例えばここ。

http://ww2db.com/other.php?other_id=32

 制式化順とか、海軍・陸軍の区別とか、面倒だし記事に関係ないのでさぼる。
 私からすれば見ればわかるだろなんだが、陸海の違いだけはつけておこうか。

 ちゅうかね、往年の英語版の空中戦ボードゲームで遊んでいた私は、実は(制式名称も)英語で書かれたほうがすんなり入ってくるんだよね。(正しい)日本語表記に戻すのが意外と面倒なんで有名どころだけで勘弁しておくれ。

 海)九七艦攻   Kate
 海)九九艦爆   Val
 陸)一式戦(隼)  Oscar
 陸)五式戦(疾風) Frank
 海)一式陸攻   Betty
 陸)百式司偵   Dinah
 海)二式大艇   Emily
 陸)二式(複座)戦(屠龍) Nick 
 陸)二式(単座)戦(鍾馗) Tojo
 陸)三式戦(飛燕) Tony
 海)零式戦     Zeke

 命名規約も上のリンク先にあるように戦闘機などは男子名、爆撃機などは女子名など、大雑把には決まっていたようです。

 松本零士先生のペンネームにまで「零」が入っていますが、これは「零戦とは特に関係ない」とおっしゃっている。
 ただし先生の「戦場もの」マンガでは、例えば、隼と疾風を誤認した米軍の戦闘機パイロットに対して、僚機のパイロットが「そいつはオスカーじゃねえ、フランクだ、気をつけろ!」と叫ぶシーンなど、このコードネームは多数引用されています。そっちでご存知の方が多いかもしれない。(その米軍の戦闘機がなんだったか、必死に思い出そうとしているが・・・、思い出せない)

(追加:思い出した! しかも裏もとれた。ヘルキャットですね。グラマンF6F艦上戦闘機。そして空中戦が主題の物語でもなかった。「ザ・コクピット」の「パイロット・ハンター」であった)

 ここまでしんどい作業をして、なにが言いたかったかというと 、コードネームは"Zeke"なのに、やはり米兵の間では、"Zero"という呼称が定着してしまったということ。

 全体を通じて何が言いたかったかというと、「ファイナル・ファンタジー零式」も「れいしき」なんですねー、というだけ。
 英語版は"Type-0"で売るそうだから、間違いなく零式戦闘機をリファーしている。もちろん遊べば「ゼロ」の意味はわかるのですが、だったら"Class-Zero"であるべきで、"Type-Zero"「零式」である必要はない。

 そんだけです。誰でも知ってるだろうけど。

 ん、中身?

 体験版「ナツビ」が「夏日」の意味と知り、かつそのつながりのアンロックがあると知ってあわてて爆走プレイをはじめたのが、なんと「本編」を手に入れた後。「夏服」を全部手に入れなかんがね!と休日の半日つぶしました。
 本編で見てみたけど、あそこまでの努力のかいがあったかどうかは・・・。PSP画面小さすぎるよなあ。
 よって、本編のほうはまだ第三章くらいのところでうろうろ。

 そうねえ・・・。 

 例の宮台氏の技法を借りれば、FFXIIIに続き、またしても「ルシ」の跋扈するよくわかんない世界のお話なんで、「世界は確かにそう動いているかも」との納得感は、ゼロ、ヌル、ニヒル、なし。
 世界観については前作同様に「ふーん、そうなんだー」ですね。デタッチメントによって共感するところは私にはない。

 となれば、登場人物へのコミットメント次第になる。FFXIIIが(私の場合)ライトニングで救われたように。

 その話はまたにしましょう。私としては「今のゲーム世代にモテる想像上のキャラクター原型(群)ってこういう風なのかね」という興味にひきづられて遊んでいますが、それらが「なんだか私みたいなおっさんにもあまりに良くわかり過ぎるので、ちょっと古くないかね?」という疑念がつきまとっている。

 いや、それこそ王道、定番で一切ゆるぎないのだから、という話もありそうです。ほんまかいなとは思うけど。

 ちょっと前には「零の軌跡」なるPSPのRPGがあった。あっちは「ゼロのきせき」だったかな。しかも物語の中でも、シリーズ全体のメタ的にも「新規まき直し」の意味づけをしているはずだ。(追加:それからアルファベットの"O"、環が一周するという含意もあったかもしれない。そうなってくるとFallout: New VegasのDLC、Old World Bluesの隠しテーマとも繋がる)

 プレイすればわかるが、物語は続編として出た「碧の軌跡」(あおのきせき)のプロローグでしかなかったという批判もあるのはまあ、うなずける。
 (追加:あのシリーズは前身である「空の軌跡」三部作がそうであったように、「繰り返し」、ロンド形式の物語が根底にあるので、今回もマップ・キャラ使いまわしなど形式的な部分を含め、同じテーマが何度も登場する回旋曲(すなわちロンド)の趣をどう受け取るかで、世界と登場人物にのめりこめるかどうかが決まる。
 よく言われる「キャラゲー」というのがネガティヴな意味の批判なら違う。だが「繰り返し」がうまく効果をあげているかどうかをつっこむなら、私もそう(うまくいってるとはいいがたい)かもね、と同意するかもしれない)

 今回は「零式」。なにか「零」、「ゼロ」なるものへの同時代性、共同認識があるのだろうか。

  

2011年10月28日 (金)

Uncharted 3忘れていた。

 Uncharted 3ももうきちゃうのか・・・。

 http://www.gamespot.com/ps3/action/uncharted-3-drakes-deception/index.html

 今回はなんの予備知識も入れていないから、もうちょい読むのは我慢しよう・・・、愉しみ。

 って、評価たか!

 PS3お手盛りサイトがあるとしても、GameSpotが9点、IGNが10点て。Eurogamerが8点と渋いな。

 GameSpotのまとめだけ、ちらっと。ベタ褒めじゃないか。前作9.5より低いのは、GameSpot特有の同一シリーズの続編ディスカウント・ルールかな。

 ほうほう、Eurogamerがケチつけてるのは案の定、あれか。「プレイヤー様の行動の自由を奪っている!」、「シネマティック効果を優先して、ゲームプレイを犠牲にしている!」

 (なんだかんだ言って読んでんじゃん)

 IGNのはこれはレヴュアーのラヴレターだな・・・。ゲーム冒頭からネイサンに心の底からコミットしまくり。「自分もわかる、わかるよーっ!」
 対してEurogamerのほうは、あれですな。「世界がちょっとうそ臭い」。

 (読むなっつの!)

 自分は日本語版で注文したけど、ちゃんと英語トラックも入ってるといいな・・・。

 あ、零式ももう来てるのか! 

 んー、ナスビ(かなんかしらないが)デモ版のアンロックもぜんぜんできてないんだよな。

 後回しだなあ。

 

肉食系

 正直これはホッとしました。

 BF3すでに10百万本出荷、さらに注文あり。

http://www.gamespot.com/pc/action/battlefield-3/news/6342616/battlefield-3-ships-10-million

 売り上げベースではなく、出荷ベースですが、巷で予想されていたよりはかなり上回っているはず。

 GameSpotの評価はわりと渋めの8.5ですが、他の大手サイトでも概ね好評。シングル・プレイヤー・キャンペーンがイマイチという減点ですが、いまどき関係あるんだろうか?

 こうなると11月はじめリリースのCoDのほうが気になりますが、少なくともEAとしてはフラッグシップ・タイトルが好調で一安心でしょう。RPG部門に変なしわ寄せが来ることはないかな。

 MMOのSWTORについては、Simsを擁するEAにとっても、PCゲームとしてはかつて経験したことのない予約状況だそうだ。こちらもBioWareが再起不能な被弾をしなくて済みそうで安心。さすがにいきなり10百万本てことはないでしょうけど、結構いきそうですね・・・。

 FPSはソロタイトル以外もちろんもうやりませんし(BF2で最後)、MMOもSWTORをちょっと覗くだけ。BioWareのCRPG部門に悪影響が出ないように見張っているだけです。

 そのためならFIFAだろうが、マデンだろうが、売れてくれ!

 EAのオンライン・サービスOriginにはワーブラ、THQ、カプコンの大手三社が参入してくる。うーん、こちらもSteamと全面戦争の構え。

http://www.gamespot.com/pc/action/battlefield-3/news/6342645/ea-to-add-third-party-games-to-origin

 肉食やなあ。

The Witcher 2 ようやくクリア。 (5完)

 いつまでやってんだ、という声が聞こえてきそうですが、実はこれ考えると面白い。最後にまとめではなく、つらつら考えたことを羅列。

 何度も断ります。The Witcher 2はヴィデオ・ゲーム、今のCRPGとしては数少ない高品質の作品です。ぐだぐだ余計なことを考えなければ(ボス戦がうそ臭いのはあるけど)何も気にせず時間を潰せる(ちっと拍子抜けなくらい短いけど)。

 そしてストーリーにケチをつけられるのも、ケチをつけるに値するくらいのきめ細かな世界を描こうとしているからだと思います。残念ながら同じファンタジーCRPGのTwo Worlds 2(これもゲームとしては良品ですが)の世界観はここまでいじることができるほど豊穣ではない。前作に続いてまたしても、「あれ、そういえば拉致られた妹どうなったんだっけ?」という感じにもなってるしね。

 今や贅沢にも日本語版があるんだから、The Witcher 2もTwo Worlds 2 もぜひ遊んでみることをお奨めしておきます。コンソール版ではThe Witcher 2のボス戦もそんなにチート臭くないかもしれないし(ごめん、X360はまだリリースされてないな)。Dragon Age 2はまだ日本語版がない・・・。

 ストーリー・ドリヴンという、どう考えていいかわからない用語がありますが、最近ではゲームにストーリーが大事なのは別にCRPGに限らないと言われている。だから多くのゲームが「うちだってストーリー・ドリヴンだ」と宣言する。

 以前NHKで海外のゲームテスターの会社のドキュメンタリーをやっていたが、今やカジュアルゲームにさえ、なんらかのストーリーが必要だというのが共通認識だそうだ。
 違うのはスーマリくらいかな? これは以前「遠近法」の話で紹介したアート集団の人が述べていたように、「顧客に新しい行為をさせるのはリテラシーを要求することになる。新しい行為で新しい価値を,ではなく,今までの行為の中に新しい価値を付加するほうが望ましい」という発想につながるそうだ。「行為」自体を楽しむ遊び方。

 ストーリー重視というのは、実はとても難しい。DarksporeなるPCアクションゲームは、ストーリーが弱いという自覚があったのか、同じEA傘下であるBioWareからライターを借り受けた。デモ版をしばらく遊んだが、確かにストーリー自体はわかるようになっている。背景は今風にフロントエンド・オープニングで全部見せてくれる。でも、だから?という感じだ。Diabloチックなゲーム自体と余り関係がないのだ。
 たとえが悪いが「やおい」を避けるために、よくある物語を最初にぶちこんだAV映画のストーリーみたいになっちゃう。それは実はあんまり関係ないんだよね。

 ストーリー重視であるはずの本家本元のCRPG(の手法)が批判を受ける場合は、「話長すぎ」、「文字多すぎ」、「カットシーンありすぎ」、「物語を語るためにプレイヤーの自由を奪いすぎ」というあたりでしょうか。Dungeon Siege IIIがそういう昔ながらのやり方で物語を見せ、やっぱりプレイヤーがげっそりしているのが一例。

 Half-life 2(本当は前作Half-life)を嚆矢として、開始から終了まで一瞬たりとも一人称視点を崩すことを許さず、その中で物語を提示するつくり。これはその後の多くのFPS、それからPortal 2にも引き継がれていますが、「主流」が推すのはそっちです。ここで主流派が重要視しているのは「なんびとも(笑)プレイヤーの自由を奪ってはならない」という一点だけでしょう。これが主流ですね。プレイヤーは神様なんです(そのくせ神の視点、全知三人称の視点を決して与えられないというのがアイロニー・・・)。

 Fallout 3 は絶賛するが、Fallout: New Vegasにはわりと否定的な人が多いようです。もちろん、最初にあの世界を実現したのは(Morrowind、Oblivionであの手法を極めた)Bethesdaであり、ObsidianはオリジナルFalloutの開発者一派であるとはいえ、その世界の上で巨大なエキスパンション・パックを作っただけ、という割引きがあるんでしょう。
 その他には、Obsidianがまたしても初期バグの山を築いたというのを除けば、真の意味での(なんてものがあるとして)オープン・ワールド、砂場ゲームではないという批判もありますね。

 さて、ここからが本題。私の場合はどちらもよく遊びましたが、どちらかというと後者(New Vegas)に深くコミットした。もちろん自分自身のオールド・スクール派へのノスタルジーも否定できませんが、Fallout 3の前身、MorrowindやOblivionも遊び倒したことがある。

 ちなみにFallout 3 もNew Vegasも、一人称視点を頑なに守る点は一緒。HL2とは異なり、カメラを引けば背中からのぞく限定三人称になる便宜は図られているが、神の視点は許さない。ただし例外的にオープニング・ムーヴィーとエンディングのアフターマスで逸脱している(HL2にはそうしたナレーションすらない。すべてゲーム内で語る工夫をしてある)。

 Fallout 3の衝撃的なオープニングは今でもよく覚えています。あの強烈な日光に生まれて初めて曝された主人公の眩暈の表現が収まったとき、「さて、なに(どう)すっぺ?」という思いも強く抱いた。そこがあのゲームの最大の美点ですね。
 逃亡した父親を追跡するのはもちろんゲームクリアのため必須要件ですが、プレイすればお分かりのとおり、そのプロットはどんどん延期できてしまう。むしろ父親を発見してしまうと物語の幅はずっと狭まり、ゴールに邁進するような造りになっている。

 なにしていいかわからず途方に暮れる感覚というのは、なかなか味わえない。プレイヤーは、主人公同様におそるおそる新しい世界に踏み出す。一切迷わないで済む工夫はされてはいますが、じゃあ、例えばあの目の前にある建物はなんだ? 小学校。「学校」という制度はヴォールトにもあったからわかるが、建物は知識として知っているだけで現に目にするのははじめてだ。それがプロットとなんの関係もないことはずっと先になってようやくわかるが、探索したくてしょうがなくなる。
 しばらく彷徨えば(彷徨わなくてもいいが)、ようやく会話ができる住人のいるコミュニティにたどり着く。だがそこで主人公は完璧なよそ者。そりゃそうだ。ヴォールト・ドウェラー、生まれてこの方、地下シェルターから一歩も出ずに育ったのだから。言葉こそ通じる(設定だ)が、その社会の概念は(本当は)はじめて見聞きするものだ。

 ここでは大きな世界のほうが主役になる。世界の探索が自然とテーマになる。

 舞台がワシントンD.C.であるというのは大きな味噌です。Bethesdaが東海岸の会社だからオリジナルの西海岸から敢えて話を移したというのはある。それだけじゃなく、アメリカ人なら(そしてそれ以外の多くの人も)見聞きしているはずのモニュメントが多数登場する。
 オールド・ワールドの「馴染み」の風景がニュー・ワールドではどう変貌しているのか。「あるある」、「あ、きっとそうなるはず」という発見の愉しみがある。例えば座礁した空母なんてその一例でしょう。人々はその中でコミュニティを築いている。あるよなー。生活に便利そうだもんな。
 一方でDLCのThe Pittは不評だった。ピッツバーグはD.C.ほどは説明不要な街ではなかったからというのもその一因でしょう。そもそもピッツバーグである必要も余り感じられなかったし。

 New Vegasの造りは似ているようで違う。まず主人公には、自分を殺害しようとした相手を追跡する強い動機づけがある。Fallout 3 と同じように「追跡」が物語をドライヴする。
 だが主人公はクーリエ。配達人。本来この世界では良く知られていた存在だ。主人公は記憶こそ喪っているが、訪れる世界にはかつての顔見知りだと名乗る者もいる。この荒廃した、分断された世界で貴重なロジスティックスを担当するクーリエという立場だからコミュニティの住人も好意的な場合がほとんどだ(これをやりすぎてものすごく貴重な扱いにしてしまうとケヴィン・コスナーの映画「ポストマン」のような良くわからない話になってしまうけど)。
 少なくともこの世界の「よそ者」ではない。社会の中に居場所がある存在。 

 ここでは自分自身が主役になる。喪った記憶、巻き込まれた謎、自分探しをはじめることになる。

 New Vegasのザ・ストリップが、今のLas Vegasの延長上だと考える人などいない。Fallout 3のD.C.がまだ原型を留めているのとは異なり、これでもかっていうくらいデフォルメされまくっている。住人に至ってはカルカチュアライズされた悪党のオンパレードだ。だが、だからといって「世界がうそ臭い」という話にはならない。たとえそうであっても、そこで主人公がどう振舞うか、が主眼だから。
 もっといえばヴェガスである必要だってほんとはあまりない。フーヴァーダムの戦いは「そうだよな、そら必要だよな」とナットクできるが、歓楽街はアイコン、シャレでしょう。唯一ヴェガスでよかったと思えるのは、ザ・キングそのお方を無理なく登場させることができたから。でもザ・キングにしたって、自分が物まねしている(はずの)本物のことなんてもうほとんどわからないくらい歴史(情報)は風化しているのだ。あそこは上手ですねえ。(ただしザ・キングの本物を知る現代のライターが書いているから、本人の性格は混入している臭いけどね・・・) 

 自分もそうだと感じるのも、世界はそうだと感じるのも、どちらもコミットメント可能(描かれた世界にナットクする場合はデタッチメントというのだそうだが)。でも両者の味わいがだいぶ違うのはそういう理由であると思う。

(追加:例はなんでもいいのだが、作り手の姿勢が違うのは例えばFallout 3の奴隷たち。爆薬つきの首輪をつけられて使役されている者たちがいる。主人公(プレイヤー)は義憤(あるいは功利的な理由)から奴隷商を皆殺しするのも、それを利用する悪辣な立場を取るのも、敢えて知らん振りするのも自由だ。ところがNew Vegas のDLCではクーリエ本人がそういう奴隷の立場におかれてしまう。答えはその状況からの脱出ただ一つしかない(解法は複数存在する)。Fallout 3のDLCはどちらかというと見知らぬ土地の観光ツアーの趣が主体であるのに対し、New VegasのDLCは自分探しの物語にフォーカスされている、などもそうだ)

 だからFallout 3の主人公は、ずっと世界の傍観者的スタンスをとることもできる。なにも選ばない自由があってもおかしくない。New Vegasのクーリエはそうはいかない。なにしろ重要登場人物との間には因縁がある。そこは自分で始末をつける必要がある。

 残念ながらNew Vegasの二大勢力NCRとカイザーの間の選択には、「お好きなように」という以外になんの動機づけもないのだが、それは自分自身を見つめる話と、世界の物語との間がしっくり行っていないから。でも別段強制されるわけではなく「どっちもキライ」でも「興味ないっす」でも選べる造りなので救われている。

 Two Worlds 2は、しばしば「そういえば妹どうなったっけ?」と思ってしまうので、Fallout 3のように世界を探索するほうに比重がある。The Witcher 2は、ゲラルトの自分探し、私的な物語に力点を置いたらもっとコミットできたのになあ、という感想はもう書いた。
 でも仕方がないのもわかる。いまどきCRPGは「エピック!」と名乗れないと売れないのだ。世の中の流れはそっちのほうなんだよな。

 フィリップ・マーロウでもいいが、ゲラルトはむしろジョン・カーペンターの映画"Escape from New York"の主人公スネーク・プリスキンのように「世界がどうなろうが、おら、しらね」という態度を貫いて、最後は(しゃれで!)社会に痛烈な一撃を喰らわせる、でもいいんですけどね。ちょっとアナーキーすぎるか。

 さて、そろそろ私も新しい世界、Skyrimの世界を発見しに旅立つことになります。
 もちろん、トッド・ハワードのMorrowind、Oblivion、そしてFallout 3の系列に連なる作品になるのは間違いないでしょう。そういう伝統も大事だ。
 なにが嬉しいって、プレイ記事なぞ書かずに自由にまったり遊べることですけどね。

2011年10月27日 (木)

The Witcher 2 ようやくクリア。 (4)

 だいぶ勉強を余儀なくされた・・・。できるだけ書いてみよう。

 DA2の物語は、現代的な普遍的なテーマを中心に据えているという話だった。それが成功しているかどうか、好きか嫌いか、興味の有無などは個々人の観点に委ねられるでしょう。

 The Witcher 2の物語は何か。

 ひとつには、スコイテルの物語がある。
 もうひとつには、王族間の戦乱、陰謀の物語がある。
 ゲラルトの自分探し(アイデンティティの回収)もある。

 本来は、ミュータントであり、かつ名うてのモンスター・ハンターであるゲラルトの個人的な私的物語であるべきだったのではないか、というのが私の感想だ。

 ご承知の方も多いだろうが、ゲラルトは波蘭の有名なファンタジー作家Andrzej Sapkowskiが創造した主人公だ。一部日本語版にもなっている。私はさすがにそこまで手を広げていなかったので、ご興味があればどうぞとしかいえない。「エルフの血脈 (魔法剣士ゲラルト) 」。また読まないといけない本が増えたよ・・・。どうにかしてくれ。
 (実は、英語版しかないと書いてから、不安になってAmazonで検索してみた。そしたらあった。翻訳者はどうやら波蘭語の人たち? さすが日本、ダボハゼ翻訳文化は健在なり!)

 だから原作がどんな中身かは、波蘭語もさっぱりな私はWitcherWikiやWikipedia(en)に頼るしかないが、それによれば、ゲラルトの造形は、90年代の波蘭社会に存在した、the neo-liberal anti-politicsな思想に由来しているという。あきらかにキーワードですよね。
 うーん、どんどん調査範囲が拡がっていくな・・・。

 さくっと書くと、前半部分は新自由主義。市場優先、民間企業の効率性重視。小泉・竹中政権の話は今我勝ちに盛んに批判されていますから、Wikipedia(jp)はまたしてもやくに立たないが、Wikipedia(en)には珍しくこの世界的なムーヴメントの例として日本が記載されている。
 残念ながら波蘭の記述はないのですが、"Poland"の項には90年代(ソビエト崩壊前後)に社会主義経済から市場経済への移行のため「ショック療法」が用いられたとある。一時的スランプは経験したが、旧共産圏ではいちはやく市場経済を軌道に乗せ、また良質な労働者の供給源としても評判をとり、EU加盟への道を容易にしたそうだ。

 なお、元々の新自由主義は陳腐な言い方をすると小さな政府と大きな社会を標榜する考え方。ところがネオリベというときには市場原理主義を意味し、小さな政府と小さな社会を意味するのだそうだ。ややこしい。ややこしいけど、ここでは前者でしょうね。

 これらから推測するに、anti-politicsというのはいわば社会主義的なものへの忌避という感情、反動が国民全体に拡大したものでしょう。市場経済は安全保障、外交、警察、流行の言葉でいうと暴力装置を一手に握る国家の存在が前提ですから、アナーキズムでは成り立たない。だがアンタイ・ポリティクスというのであれば、反動が大きいほど、容易にアナーキズムに遷移してしまう可能性はありそうですが。

 そして、次もポイントみたいです。Wikipedia(en)のゲラルトの記事"Geralt of Rivia"、一部そのまま引用してしまおう。

"Geralt lives in an ambiguous moral universe, yet manages to maintain his own coherent code of ethics. At once cynical and noble, Geralt has been compared to Raymond Chandler's signature character Philip Marlowe. The fantasy world in which these adventures take place owes much to Polish history and Slavic mythology."

「ゲラルトは、道徳観の曖昧な世界に生きてはいるものの、彼独自の一貫した倫理観を有している。シニカル(厭世的、諦観的)でかつノーブル(超然とした、高潔な)である点は、レイモンド・チャンドラーの描いた主人公、フィリップ・マーロウにも比較される。ファンタジーの世界観は、波蘭の歴史とスラヴの神話に多くを負っている」

 つまり、フィリップ・マーロウのような極めて現代的なキャラクター・モデルを、波蘭の長い歴史の中に放り込んだ。 

 前半はいいですよね。問題は後半。波蘭の歴史・・・。そら、知らんわ。

 簡単な答えとしては、「私が波蘭の歴史に無関心であったが故に、ゲラルトを取り巻く世界の物語が読めない」というもの。

 でもそれだけ? 差別の話、王族間の戦乱の話が読めないなんて、今までどこにいたの?

 しかも波蘭の歴史なら、どこででも読むことができる。ネット社会万歳。
 厳密に正しいかどうかを調べるわけじゃないから十分。

 案の定、ゲラルトの生きる世界と同様に、リアルの波蘭にも王族間の長い分裂の時代があった。
 1138年に王国を7つに分割した王は、それぞれを后や息子たちに相続した。どこの国の歴史を見てもわかるとおり、これは「やってはいけない」措置。波蘭も例外ではなく、分裂は対立を呼び、さらに分裂を呼んで、どんどん小さな領邦が増えていったそうだ。モンゴルの襲来もあり、荒廃して無人化した地方にドイツ人などの移民を受け入れざるをえなくなった。こうした経緯によって波蘭人とドイツ人入植者の間の紛争の種が生まれた。1295年にようやく名目上の統一が実現するが、王は即位の翌年に暗殺される。 

 まだまだ続きますが、ここら辺がゲラルトの物語が背景として借用しているところでしょうね。王の暗殺も定番。The Witcherで悪の帝国として描かれているNilfgaard帝国が、(神聖ローマ帝国ではなく)ローマ帝国をリファーしているらしいなど、若干時代的に錯綜している設定もあるみたいですが。
 そして、歴史を眺めていると、スコイテルのような種族差別の物語があまりしっくりこないこともわかります。14世紀にペスト流行の犯人とのデマを流されたユダヤ人が、宗教的にも民族的にも寛容な波蘭に大挙して移住してきたという話からも想像できそう。

 そういう下調べで何がわかるか。まずスコイテルのほうから。

 スコイテルの迫害の物語は、波蘭の歴史からではなく、あきらかに指輪物語からの現代的変換でしょう。エルフ・ドワーフなど先住種族が生活して繁栄していた世界に、後発種族として乗り込んできたヒューマン(文明)がやがて数的にも質的にも凌駕してしまうというのは、The Witcherがそうであるように、指輪物語を父とするファンタジー世界の雛形です。DnDではそのまんま借用しているし、Dragon Ageではエルフがヒューマンに圧迫されて差別を受けるようになる扱いです。DAのドワーフは他種族から迫害こそ受けていないがダークスポーンとの永遠に続く戦いで先細り、やがて滅びを余儀なくされる設定。

 DAのドワーフの絶滅危機の物語こそ比較的斬新ですが、Mass Effect のクローガンのように(犯人は人間じゃないけど)人為的に(生物学的に)絶滅を運命付けられる、となるとこれはリアル世界でも何度も行われてきた。そしてドワーフもクローガンもそうした絶滅の危機が目前にあるにも係わらず、部族間で(種族全体の危機を加速するような)無益な抗争を繰り広げている。どちらも、他に何の味付けもいらないくらい強烈な物語です。

 一方でDAのエルフの物語はThe Witcherのスコイテルの物語と同様に単にそこに置いただけ。「差別反対!」と割り切るか、そうしないかを迫られるだけなんです。

 そういう弱い物語を補強するために、DA2では仕掛けが用意されました。エルフであるフェンリスがテヴィンター・マジスターの奴隷であったことを示すために、その内面(セリフ)を示すだけではなく、その改造された肉体でもわかるようになっている。
 後者がなかったら、きっと(自分で奴隷時代の話をするしかない)インパクトが弱いままのキャラクターになってしまったでしょう。プレイヤーたちにも、そしておそらくデザイナーサイドの者たちにとっても、彼が奴隷の出身であることを決して忘れさせないようにしたんです。奴隷と言うのは、そのくらい感情移入が難しく、簡単に忘れ去られてしまいやすい設定ということだと思う。少なくとも現代人にとっては。

 メリルの場合も同じです。デーリッシュも異教徒として差別の対象ですが、それもまた弱い物語になりやすい。人間てのはそのくらい無関心でいられるほど、異質な他者に対して冷淡で残酷なんです。ああ、これはタリスの言葉だったか?
 メリルを強烈な存在にするため、禁断のブラッド・マジックを持ち込み、一族から追放された存在とした。最愛の師匠の運命までゆがめてしまうことにした。ただ種族の歴史を回収したいという(善なる)衝動だけに突き動かされた彼女にとっては、あまりに理不尽で過酷な運命ですが、そのくらいでないと伝わらない。
 私を含めた現代人のプレイヤーはそのくらい鈍感なんです。少なくとも開発スタッフたちは「自分たちだってそのくらい鈍感だよな」とわかっているからやっている。

 DA:Oではどうか。エイリアネイジの主人公は、いきなり「領主の初夜権」問題にさらされる。それはイギリスに本当に存在したかどうか疑わしいのだそうですが、「悪名」は普遍的に伝わっている。これも、もうこれ以上は説明いらないくらい強烈な話ですね。
 デーリッシュのほうはその意味ではちょっと弱かった。むしろ6つのオリジン・ストーリーでは(唯一ダンカンが「慈悲」を理由にウォーデンをリクルートする物語でもあるので)一番ほのぼのとした旅立ちの話になっている。本編のウェアウルフの話には確かに差別・憎悪の物語が背景にありますが、そちらも真剣に構えていないとあまりよくわからない結果になる。

(デーリッシュ・オリジンの話は、以前も書きましたが「もののけ姫」の主人公が外の世界の争いに「巻き込まれ」、呪いを受け、長老の言葉に従って呪いの解除の可能性を探るため外の世界に旅立つ物語と良く似ています。これも物語原型なんでしょうね。もちろん「もののけ姫」には宮崎駿ならではの隠しテーマ(少年の通過儀礼)があるんでしょうけど)

 The Witcherのスコイテルの話にコミットできないのは、そのような工夫があまりないまま、ぽーんと放り投げてくるからだと思う。ウィッチや、ストリガ、ウェアウルフの話は丁寧に背景がなぞられるのに、スコイテルは「みんなわかってるだろ?」という感じだ。そうされるとこちらは決定不能になる。「差別反対!」で行くしかないじゃないか。あるいは「どんな理由でもテロ反対!」かどっちか。

 王族間の抗争の物語は、もうあまり説明も要らないと思う。ウィッチャー、モンスターハンターでしかないゲラルト(プレイヤー)にとって、そうした抗争は「だからどうした?」でしかない。そう思わせないように、物語冒頭では王の暗殺事件に巻き込まれることになり、終盤では友人と王族の命を天秤にかけさせる。とくに後者は、あまりにせこい・・・。私がしらけてしまった瞬間だ。Mass Effectのヴァーミヤ強制選択とか、DA2リアンドラのくだり同様、脱力してしまったのだ。

 とても物語にコミットメントできない。その後のチート臭い、うそ臭いボス戦二連発で、さらに後味の悪さが増幅され、クリア後は、ただオブリゲーションを達成しただけのような感覚に苛まれた。しばらく、(もうひとつの展開を見るため)リプレイなんてとてもできそうにない。

 そろそろ苦しくなってきたので、学者の知恵を借りよう。社会学者である宮台真司氏のいくつかの著作を関係あるかなと思って一夜漬けで読んでみた。だからつまみ食いの範囲を出ないでしょうが、少なくとも何かの足ががり(手掛かり?)はあるかもしれない。

 まず、コミットメントに対置させられるのはデタッチメントだそうだ。前者が「自分もそうだ」と表現されるなら、後者は「確かに<世界>はそうだ」となり、どちらも享受可能性を生み出すとある。DA2の物語については、私はその両者とも売り込まれたことになるが、前者(ホークの生き方)については比較的弱く、後者(カークウォールのメイジ・テンプラーの抗争)は比較的強い。

 TW2についていえば、後者(スコイテル、王族の争い)に関して「確かにそうだ」という思いはまったくない。なんだかわからんけど好きにしてくれという感じ。そして前者(ゲラルトの自分探し)は、前作では自分と同じ異形なものたちとの戦い(またはそれらの回避)を通じてコミットできる部分があったのだが、今作ではどうにも探しようがない。
 上に書いたような、アンタイ・ポリティカルなムーヴメントの影響を受けたフィリップ・マーロウ的なキャラクターが、世界の不条理や抗争にどうして積極的に立ち向かおうとするんだろう、という問題に何も答えてくれていない。どうして無関心を貫いてはいけないのだろう。友人と王族の命を天秤にかけるということは、「私的なもの」と「公的なもの」を強制的に選ばせるということだ。そんなの選べますか?!  

 また「対立は統合の証」だそうだ。そして、この場合の統合はよろしくない。「対立を支えている暗黙の統合によって排除されてしまう何かへの鈍感さ」を意味するから。
 DA2のメイジ・テンプラーの対立は、単純な二項対立(差別反対と治安維持)ととらえる自由ももちろんあるが、そう簡単には割り切れない仕掛けがあることはすでに書いた。
 TW2は、古めかしい発想の単純な二項対立を前にして、現代的な主人公に振舞わせようとしている。なにか斬新なものが生まれる期待もあったかもしれないが、私の思う限り、それは表面剥離しちゃっている。

 プレイすればわかるが、開発期間が足りなかったんだろうなと思わせるくらい短い。DA2も同様の納期問題があった。DA2はシステム面で生煮え、やっつけな部分が色々批判されている。TW2はシステムを作りこむあまり、物語のほうをすっ飛ばしてしまったのかもしれない。

 それともこの物語が理解できない、コミットできない私のほうが鈍感なのかな。

 最後に、宮台氏のいう神義論が面白いので、直接関係あるかどうかわからないが書いておく。

 「神が万能なのになぜ悪(不条理)があるのか」というのが神義論、ヘブライズム。
 「(万能の)神がいないのになぜ善があるのか」というのが逆(コントラ)神義論、ヘレニズム。

 DA2は、おそらく前者の物語を語ろうとしている。これは容易にわかりますよね。
 TW2もキリスト教圏の波蘭人が作った物語ではあるのですが、物語の世界はまだカルトが沢山ある分裂した多神教の世界。そこにゲラルトを登場させたということは、異形の者、すなわち社会の外部からやってきた英雄として善を実現し、世界を改変する物語、後者の物語を語りたかったのではないかな。
 そう考えると、ゲラルトが(結果的に)善をなすかどうかは、The Witcher 3に引き継がれたということでしょうか。

 

2011年10月26日 (水)

The Witcher 2 ようやくクリア。 (3)

 コメントもいただいて、少し考えを進めてみた。非常に不完全かもしれないが、Dragon Age 2との比較において結論じみたことを書いてみる。 

 なお、私がBioWare亡者である事実は、結論に影響を及ぼしているかもしれない。だがBioWare信者では決してない(気が狂ってはいない)ので信用していただきたい。トラスト・ミー!

 Dragon Age 2とThe Witcher 2の比較において、前者の大きな物語に違和感がないのに係わらず、後者には違和感がある。そして主人公(ホークとゲラルト)の係わりあい方についてはどちらも希薄ではあるとはいえ、後者のほうに疎外感を強く抱く。

 ふたつの点が(また最終的にみっつになるかもしれないが)考えられる。

 ひとつめはコメントで指摘いただいたことだが、主人公そのものの違い。
 どちらもカタギではありません。そこは共通。

 DA2ホークは、ただの(武芸などには才能のある)難民の地位からスタートして、家族をどんどん喪いつつも、仲間をどんどん増やしていく(そして敵もどんどん増えていく)、蓄財をしていく、地位を獲得していく。伝統的なPRGの「成長」とは違うかもしれないがRPG的な仕掛けは健在。

 対するTW2ゲラルトは、すでにミュータントのウィッチャー、「白き狼」として武芸に関してはこの世界で有名な存在。どうやら暗い過去を引き摺っているようだが、前作冒頭からウィッチャー仲間の「エース」である位置づけ。
 パーティープレイ前提のDA2と異なり、TW2はソロプレイ中心なので新しい仲間はあまり増えない。新登場キャラも旧知の人物に再会する場合がほとんどである。

 ホークは(アメル家という高貴な家系は利用したものの)、カークウォールの街であまり真っ当ではない手段で一代で名をなした。同じように脛に傷持つ仲間も色々集まってくる。難民仲間の敗残兵、商人ギルドの出自に否定的なドワーフ、ウォーデンから脱走したメイジ、部族から追放されたメイジ・エルフ、元奴隷のエルフ、(ひょっこりひょうたん島の黒ヒゲじゃないが)海賊船のない陸にあがった女海賊、流浪の王子。
 清水の次郎長とかそんなかな。衛兵隊長(警察部門の長)まで一目置いている。というかお仲間だもんな・・・。

 ゲラルトは、前作でウィッチャー仲間の拠点という居場所を喪っている。ヒューマンでミュータントであるから、どこのコミュニティからも受け入れられない。必然的に流れ者、素浪人となる。お友達も吟遊詩人、少数被差別種族(スコイテル)のドワーフ、ソーサレス(女魔術師)、王国の隠密、叛乱運動のエルフのリーダー。みな世間からのはみ出し者、裏街道を歩む者たちだ。
 眠狂四郎。異人とのハーフであり、かつ特権階級の侍でもあるから、どんなコミュニティからも決して受け入れられないが、剣は滅法強い彼に似ているといえるでしょう。

 ホークは出自と種族、性別、クラスは規定されているが、人格は「白紙」だ。善・秩序を重んじるように行動することも、それを否定して振舞うこともできる(商業ゲームが許される範囲内で)。

 ゲラルトは人格・個性まで固定されている。どんなときにもニヒル(諦観的)でクール(超然的)でなければならない。

 こうした対比は確かに可能だと思います。ですが、これが決定的な違いだろうか?
 FFXIIIの主人公ライトニングは選択の自由など一切ない一本道のジェットコースターのレール上を走らされる。走らされるが、私は彼女が大好きである(ミーハー的な意味も含めて)。FFXIIIには「成長」の自由があるじゃないか、というかもしれないが、プレイされればお分かりのとおりあまりない。ないっつうか、それ自体あんまし意味がない。別にそんなのいらない。

 主人公の有しているキャラクターづけは、もちろん物語に大きな影響を与えるのでしょうが、私は(眠狂四郎の大ファンであると同様に)ゲラルトの物語をもっと知りたいと思う。ライトニングの物語と同様、たとえシナリオライターが勝手に書いた物語であっても、彼がどう振舞うのか見てみたいと思う。

 だからこのひとつめ、主人公の違いは、私がTW2に言いようのない違和感を覚えた理由の決定打ではない気がする。

 ふたつめは、物語の世界と、そこで語られる物語。おそらくこれだ。

 結論からいうと、私はDA2の物語にはコミットできるが、TW2にはできない。

 なぜか。理由をひとことでいえば、私の知識不足。もっと言えば、歴史の文法がわかっていないからだと思う。まず、わかっている(つもりの)DA2のほうから考えてみる。

(以下、DA2の考察、重大な点を見過ごし、結果が誤っていることに後日気がつきました。修正版はこちら。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/da2-19d2.html

 DA2の物語は、デザイン側が確信犯的にそうしているように、リアル地球の中世ヨーロッパを世界のモデルにしながら、実は当時ではなくて近代、あるいは今まさに世の中でおきている現代社会の物語を描こうとしている。しかも巨視的に。

 DA2のもっとも重要な物語は、メイジ・テンプラー抗争である。差別、抑圧、叛逆の物語。
 テーマは「自由」。最近色々手垢がついてしまったのであまり使いたくないが、言い換えると「正義」の物語だ。しょうがないな、ジャスティスが登場するわけだから。

 くどくなるが、前にも書いた私なりの解説を書く。推定無罪という発想がなぜあるか。個人に対して体制があまりにも強力だからである。どんな凶悪卑劣な個人(その集団)であっても悪行のレベル・範囲・悲惨さはたかが知れている。一方で歴史を紐解けばすぐわかるが、国家や体制の行なった殺人はとても信じられないレベルであり、範囲も悲惨さも常軌を逸したものが多い。
 だから、どんな凶悪犯の容疑者であろうが、国家権力がその犯罪を完璧に証明できなければ無罪であるという原則を(少なくとも自由社会を標榜する国々は)持ち込んだし、頑なに遵守しようとする。その結果、(個人である)大量殺人犯がまんまと逃げ延びてまた同じことを繰り返しても「仕方がない」と考える。国家権力への歯止めのほうがはるかに重大であり、それが破綻した場合のほうが比較にならないほど陰惨な結末を迎えるという発想だ。

 なぜDA2の世界でその原則が守られないか。なぜメイジには自由が与えられないのか。蒙昧な中世社会だから? であればどうしてメイジだけが抑圧される? じゃあ迷信深いから? 魔法は恐ろしいものだから? そこが変だというならそうだが、DA2の物語の住人たちは実はたいして迷信深くない。とても現代的な発想をしてしまう。だが「魔法は恐ろしいもの」という部分は正しい。迷信ではなく、この世界では紛れもない真実である。
 
 「個々人の力はとるに足らないものである」という前提が、メイジの場合に限って崩れているから、というのが答えだ。頭のおかしなメイジひとりいれば、街ひとつぐらい跡形もなく吹き飛ばせるのだ。それを「管理」(コントロール)しないでどうするのだ、という発想から始まる。

 DA2の世界観ではそういうことだ。グランド・クレリック・エルシナは陋習にとらわれた愚昧で旧守的な宗教権力者だろうか、(気が触れる前の)ナイト・コマンダー・メレディスは問答無用で横暴な圧政者であろうか、という問いに答えるのは簡単ではない。

 そしてそれだけじゃない。 
 「でも、私は(私の娘は)メイジであっても気が触れてはいないんです!」という叫びこそ、この話が安直に割り切れない、簡単には終われない味噌の部分だ。「お前がおいらを嫌うのはどうぞご自由に。だが、おいらのせいで黒人全部をキライにならないでくれ」というのは、有名なファンク・ミュージシャンの言葉である。このような一般化が行なわれると、これはいわれなき差別と見分けがつかなくなる。

 いわれなき差別を受けていると考えるほうは、(法制度、すなわち体制が役に立たないわけだから)その状況を打破するためには(つまり正義を実現するためには)、結局暴力に訴えざるを得ない。そうして環が一周してしまう。元の「メイジはいつ気が触れるかわからない危ない存在だから、全部管理すべきだ」という本来正しいかどうか疑わしい物語を、アンダースやオシノなどメイジたち自身が暴力を行使することによって実現してしまい、さらに補強してしまう。

 こうした物語は、最近の「正義」ばやりなどよりもずっと前から、現代人なら誰でも思いをめぐらしていた部分ではないだろうか。最近流行している、そういう分野への興味が増しているなら、社会の悩みが増大しているのかもしれない。DA2の物語がインスパイアされたと思われる9/11のことには敢えて触れない。構図は確かに似ているが違うところもあるだろう。

 このように、DA2の物語は極めて現代的なテーマを中心に据えている。だから主人公ホーク(すなわちプレイヤーが)「あっしには係わりのねえこって」とうそぶいて逃げ出すことができなくても(リアル世界ではできる)、あまり違和感を感じない。私に限って言えば、これは今までずっと何度も繰り返し反芻してきたテーマであるし、(一般化の罠にはおちないように気をつけないといけないが)自由や正義などに関する政治哲学が今現在の人気テーマであるというのだから、その感覚を共有できる人は世界中にも少なくないのではないだろうか。

 一言で言えば「とても人ごとではない」ということかな。自分(主人公)がメイジだから、妹がメイジだから、差別反対だというふうに割り切れる人は幸せだが、それは(もちろんそれも自由だが)自分本位の利己的な観点である。DA2が語ろうとしている正義、すなわち利他的なテーマを見失っているともいえるので、ほんとはあんまり幸せじゃないかもしれない。「幸せ」の定義など私に聞かないでほしいけどね。

 また長くなった。TW2についてはもっとうんうん唸らないといけないので、ちょっとお休み。 

 

2011年10月25日 (火)

The Witcher 2 ようやくクリア。 (2)

 ゲラルトは、The Witcherのある場面で、今まさに暴力によって体制破壊を行なおうとしているスコイテル一派への対応を迫られる。彼らを殺すのか、見逃すのか。

 (その場面かどうか忘れたが)一派のリーダーであるエルフは、ゲラルトもまたミュータントとしてヒューマン社会には決して受け入れられない存在ではないかと説得を試みるし、ゲラルト(プレイヤー)はそれを受け入れることもできる。

 だが(私の実際のプレイでも説得を受け入れたが、それはともかく)、それはゲラルトとは直接関係のない話、「あっしには関わりのねぇこって」なのだ。
 ゲラルト(プレイヤー)にしてみれば、この分岐はどんな展開をもたらすかというプロット上の興味を別にすれば「どっちだっていい」のだ。この選択は無差別なのだ。

 スコイテルはゲラルトひとりの助力だけでは革命を成功させることはできないだろうが、将来成功する可能性はゼロではない。一方、ゲラルトは世界がどう転んでもミュータントのままだ。この話から完全に疎外された第三者だ。

 もちろんゲームでは、あやふやな「中立」の道をとることだってできる。だが宿場町の騒乱から常に身を引いて、中立に徹しようとする木枯し紋次郎が必ずそれに巻き込まれるように、ゲラルトもこの対立から逃れられない。どっちつかずが最も悲惨な道になりうるのだ。

 そう考えると、Dragon Age 2のホークが最後の戦いに「巻き込まれる」のも意味づけは苦しい。「メイジとテンプラー、どっちだっていいやね」と逃げ出すオプションは物語上どうやって封じたんだっけ? チャンピオンという肩書きだけかな。
 Dragon Age: Originsのウォーデンが逃げ出さずアーチディーモンに決戦を挑むのは、武勇とか名誉とか、ウォーデンにしか倒せない事実(犠牲的精神)を抜きにしたって、ブライトがこれ以上拡散したら逃げたって意味がないからでしょう。逃げるってどこに逃げんだよ、というふうに封じている。
 物語として、ヒーローが逃げてしまう話は面白いかもしれないが、少なくともヴィデオ・ゲームで、しかもクライマックスに持ってきちゃだめだよね。やるなら一番最初だ。

 ここで、木枯し紋次郎や眠狂四郎と比較してのゲラルト論を思いついたが、さらに長くなりそうなのでまたにする。簡単にいうと、前者のふたりと比べて、The Witcherのゲラルトは、物語の中心に巻き込まれていく必然性があまりにも薄いという話になるでしょう。

 結局The Witcherのクライマックスも、スコイテルとの関係の選択の結果として分岐していく。ウィッチや、ストリガ(呪いにより変身する化け物)、ウェアウルフなどとの「ゲラルトの私的かつ内面的な戦い」ではなく、王国全体を揺るがす大暴動に立ち会うことになるのだが・・・。
 ゲラルトがそこにいる必然性(どうして知らん振りしないのか)も、私のコミットメントも、どんどん希薄になっていく。
 映画「スター・ウォーズ」のハン・ソロのように、最終決戦直前にゲラルトが「あとは知らん」と立ち去ることはどうしてできないんだろう。ハン・ソロがなんで戻ってきたかしらないが、少なくとも何かはあったはずだ。ゲラルトにはそう思わせてくれる何もない。

 そしてエンディングで、今までのゲラルトの行いのすべては人類(ヒューマン社会)がより高次な目的を達成するための預言のとおりだとする物語が語られる時点で、わずかに残っていた私の最後のコミットメントまで一切霧散する。
 それは完全にこじつけだよ。しかもそれによってすら、ゲラルトが物語にとって第三者であることは一向に解消されない。

 もちろんゲラルトは、キチガイ予言者は誰でも必ず「より高次な目的」を口にするものだ、とニヒルに吐き捨てて、相手を斬り捨てるんですけどね・・・。

 こんな話にゲラルトを付き合わせたことが気の毒になってしまうのだ。

 エピローグでは、ようやくゲラルトがもう一度ゲームの主人公になる瞬間がやってくるが、それはプレイヤーの選択ではなく固定カットシーン。そうしてThe Witcher 2に物語が繋がる。

 奇妙な符合ではあるが、The Witcher 2のオープニングもDragon Age 2と同様、過去の回想、尋問から始まる。ただしこちらで尋問されるのはゲラルト本人である。

 そこで語られるのはThe Witcherのエンディングからゲーム内時間はほとんど経っていないThe Witcher 2の冒頭の話だ。

 そして冒頭の攻城戦のくだり、映画「地獄の黙示録」前半のウィラード大尉のように、ゲラルトは完全な傍観者だ。ゲーム的な仕掛けこそあるが、たまたまそこにいたから巻き込まれたという造りになっている。

 やがて重大な事件が発生して、ゲラルトは(今まさに尋問を受けている)牢獄に入れられ、そこから「逃亡する」という意味のある目的が生まれる。
 そして逃げ出した後も、ある人物を追跡するというモチヴェーションが与えられる。ここまでは、いい感じだ。

 前半に出てくる、港町を苦しめているボス・モンスターとの戦いも、ゲラルトはウィッチャーなんだからやるでしょう。それが本業なんだから。バトル自体はボスがチートくさい動きしやがるのでキライだが。

 その後、大きくふたつに分岐する選択も、まあ別に悪くはない。中立は許されず、どちらかを選ばなければならないが。 
 その他のゲラルト個人の問題に係わるいくつかの選択についても特に問題は感じない。

 だが物語が進むにつれ、またしても政治的な大きな物語が前面にのしかかってくる。そしてまたしてもゲラルトにはあんまし関係がない。ある人物の追跡が前に進まなくなるので仕方なく戦う戦いもある。戦い自体は確かに面白い工夫があるものもあるが、通常はどうでもいいようなザコ戦だ。

 そしてラスト直前、またしても私は急停車をする。ここでもある選択を迫られたのだ。そして、前回のように「あっしには関わりのねぇこって」と言い切れないものであるところが、ずるく、嫌気がさしたところだ。

 もろネタバレなので詳しくは述べない。その後のボス戦(不可避)も非常にチート臭かったので、最後にようやく発見した追跡していた人物を「逃がす」ような選択肢はもう感情的に許せないのであった。それはもはや開発者に対する怒りをぶちまけるような戦いであった。

 物語は文字通りゲラルトを置き去りにして勝手に終わる。The Witcher 3に乞うご期待あれ!

 ボス戦がどれもチート臭い、フェアじゃない点、エンジンを刷新したわりにはコンバットが依然として「ぬるぬる」していて気持ちよくない点などには目をつぶろう。
 確かにヴィジュアルは格段によくなったし、雰囲気もいい。絶景も多い。キャラクターたちも生身の存在に思える場合が多いし、セリフもずっと気が利いている。脇役の衛兵ひとりひとりまで、ただの人形じゃない感じがする。前作にもあったが、街には人々がそこで生活している感じもちゃんとある。隠しアイテム探しやクエストの趣向もある。

 前作よりは確かに大幅に改善されている。それは間違いないし、ゲームとしては文句なし高品質だ。

 だが主人公置き去りのストーリーはまったく変わっていない。なにもゲラルトである必然性がない。

 GameSpotなどの高評価レヴューを眺めて、私とどこが違うのか考えたが、なかなか答えが出ない。上述したようなゲームシステム、ゲームプレイ、ヴィジュアルに関しては多少の差があるが概ね意見に相違はない。

 The Witcher のスコイテル、The Witcher 2の政争、自分が躓いた(というか嫌気がさした)ところに答えがあるのだろう。

 GameSpotのケヴィンのレヴュー。冒頭のThis manというのがゲラルトが追跡している人物。

"This man's identity is not a secret for long, but then, this is not a murder mystery; rather, it's a chronicle of discovery, redemption, and political upheaval. Geralt is blamed for Foltest's murder, but as he gets closer to the true killer, he becomes more and more involved in the region's power struggles."

 「追撃の果て、ゲラルトがその地方の政争にどんどん巻き込まれていく」という点を好意的に評価している。

"Not including the prologue and epilogue, The Witcher 2 is split into three acts. The first is primarily concerned with following the killer's trail, while the second greatly expands the plot, introducing so many new characters and so much lore that you might be initially confused. Yet, the convoluted plot seems poised to explode in the final episode, only to fizzle at the end. The lack of closure intimates a sequel, and it makes the final act feel abrupt when compared to the robustness of the first two. "  

「物語は三章構成で、第一章は追跡、第二章でプロットが大きく広がり(つまり政争について多く語られ始め)、登場人物やロアの数も増大する。第三章でそれら込み入ったものが一斉に爆発するように仕組まれているかと思わせておいて、実はしりつぼみで終わる」

 最後がしりつぼみなのは間違いないが、この「知らんうちに政争に巻き込まれていく」物語自体には特に問題視していないようだ。

 The Witcher 2は、GameSpotはじめ主要なゲームサイトで高い評価を受けている。これに対し、同時期のDragon Age 2が比較的「普通」の扱いであったことが、私の辛めの見方に影響を与えていることはもちろん否定しない。亡者だから。

 TW2が言われているほど、DA2と違うわけでもない。DA2のプロットは強制進行というが、TW2だってそこまでヴァラエティがあるわけではない。確かにDA2には結果に反映させない選択が多い点は指摘されるとおり。だが大きな分岐はそれぞれふたつだし、ゲームとしてはTW2のほうが短い。

 ヴィジュアル面は好みの問題が大きいが、TW2は確かに「戦略的に」絶景を見せる工夫がある。別段TW2のコンバットのほうが優れているとは思わないが、ボタンスマッシャーDA2よりはるかにクロウト受けはするだろう。

 ところがストーリーに関しては、私の場合まだDA2のほうがコミットしやすい。ホークも「取り残された主人公」である点は似ているが、ゲラルトの完璧なまでの第三者ぶりまでひどくはない。 

 それはなぜか、ぼんやりと浮かんできたが、もう少し考えることにする。

The Witcher 2 ようやくクリア。

 長く中断していた"The Witcher 2"をようやくクリアして、その感想でも書こうかと思ったが、どうやら長くなりそうだ。どうも、自分でもよくわかっていない世界で他のRPGの物語とは「何かが違う、そして自分はそれをあまり受け入れられない」という感覚がある。かなり実存的な(!)判りにくい話になりそうだが・・・。
 物語の核心的なネタバレは避けています。

 前作"The Witcher"は、BioWareエンジンを使って波蘭のBioWareフリークが作ったRPGという触れ込みだったので、2007年10月のリリース直後にPC版パッケージを購入した。

 しばらく遊んでいたが、当時リアルが忙しかったこともあって途中で放り投げた。だが、リアルが忙しかろうが、本当に面白いものは時間を作っても遊ぶはず。今思えば、私が放置したのには二つの理由があった。

 ひとつは「英語のセリフがさっぱりわからん」というもの。急に英語が読めなくなったのか・・・、と心配になったが、ゲームサイトではアメリカ人もかなり怒っていた。波蘭語か独語かしらないが、そこから英語に翻訳する水準の問題であったそうだ。

 モンスター・ハンターのミュータントと言う設定やプロット自体は非常にそそるものであったが、ゲーム・システム自体もさほど感心するものではなく、だいたいAuroraエンジンでアクション・へヴィーなのは無理だよな、と思った。そもそもTRPGのDnDゲームをCRPGに移植するため開発されたエンジンであるから、見た目はどうあれ発想は2Dである。

 そのせいか、コンバットの感覚がとにかく「ねとねと」している。主人公ゲラルトは地べたを「ずるずる」這いずり回る感じで戦う。これはあまり心地よいものじゃないし、とにかく思ったとおり動かすのに一苦労する。それが放り投げた二つめの理由。 

 だが、丁度CRPGが「冬の時代」であったこともあり、The Witcherは大手ゲームサイトでもそれなりの高評価を得ていたし、(英語翻訳の関係ない)独語圏などでは上々の売り上げを達成したようだ。
 資金の目途がついた開発元CD Projekt REDは、ほぼ一年後の2008年9月にEnhanced Editionを出した。

 英語翻訳は(GameSpotによれば翻訳だけじゃなく元の文章も)完璧に見直されていたし、ゲームプレイやグラフィック面もエンハンストされ、追加コンテンツもあった。
 ゲームプレイの根源的な「ぬるぬる」感はやはり残っていたが、ストレスはだいぶ減った。GameSpotいわく「ガラスの表面のように滑らかな」コンバットというのは、まさにそこが開発者の狙いであったことはよくわかるが、ちと褒めすぎだと思うけどね。でもだいぶましになった。

 オリジナルを持っている私は、本来無料でこのエンハンスを受ける権利があったのだが、結論から言うとEnhancedもパッケージを購入した。
 これは今回The Withcer 2でも経験してしまったが、とにかく彼らのWebサイトの意味不明なつくり方とか、どうして分割する必要があるのかわけがわからないファイル管理とか、複雑怪奇なインターナショナルのヴァージョン管理(不在)とか、「ぬるぬる、どろどろ」どころか一歩も前に進めないような世界だったのだ。
 やっと必要なファイルを特定し、ダウンロードしてインストールしても動かない。おそらく大画面ディスプレイに対応させるには特別の措置が必要だったとか、そんな話だったのかもしれない。面倒くさくなって金の力に任せた。

 The Witcherシリーズには市販の攻略本(オフィシャル・ガイド)が存在しない。売り上げ規模のせいで出版社から相手にされていないのか、そもそも企画開発文書全部が波蘭語で書かれているので(英語圏の)編集者に読めないのか、それとも敢えて内製化する方針なのか。どういう理由かわからないが、そのときも、今もない。
 だが、Enhanced Editionのほうにはプロット全部を丁寧になぞり、クエストもすべて謎解きしてある美麗な(ちゃんとした英語の!)ブックレットがついてくる。それがもらえたからお金払った価値はあった。

 ぶっ壊れたPCを買い換えていたので、一年前に中断したセーヴファイルもどこにやったか忘れた。だから一から遊びなおした。今度は澱みなくプレイを進めることができ、あのダークな世界を隅々まで堪能したのだが、エンディングの手前で急停車してしまい、また長い間(なんと二年間だ)放置することになった。

 The Witcher 2のリリース時期(2011年5月)が発表され、前作のセーヴファイルをインポートできるという話を聴いて、急に思い出した。
 何かの理由で中断したのだから、一時はもう諦めてマッサラでThe Witcher 2を遊び始めようかと思ったが、チャンスを逸するのが、だんだん惜しくなってきた(笑)。

 今回はファイルも見つかって、どこで中断したかも思い出した。

 プレイした方ならおわかりのとおり、そうでない方にもネタバレにならない程度に言うと、スコイテル(Scoia'tael)なる少数種族(被差別種族)のノン・ヒューマン(ドワーフとかエルフ)に同情的に行動するか、敵対的に行動するか最終的に決めるところ。

 決めかねずにうんうん唸ったあげく二年も放置した? いやそうではない。
 RPGならごくごく普通、定番、もっといえばあまりに陳腐な二項対立の分岐だ。

 「そんなの、どうでもいいかな」と思ったのだと思う。「ふーん、そうなの?」って感じ。

 そして嫌気がさした。

 Dragon Age 2では、結果的に意味のない見掛けだけのフェイク分岐があまりに多いことにぶちきれているファンが大勢いたが、ここで言っているのはそれでもない。そっちは「あたしの判断聞いといて、結局ガン無視かよ!」という怒りだ。それはもちろんわかる。リアルでそんなことされたら、誰だってぶちきれる権利がある。それをひねれば、お笑いの重要なネタにもなる。人の話を聞かないキャラは不滅のボケだ。

 わかるし、私なんかDA2のリアンドラのくだりは「判断も聞かないし、そもそも結果をなんとか変えようと努力すらさせない」点にぶちきれたのだ。「努力が必ず実るようにしろ!」というのじゃない。こどもじゃないんだから。とどのつまり結果は同じでも「無意味だろうが不可避だろうがなんだろうが、なんとか、もがかせて欲しい」だ。

 The Wicher の分岐は物語にきちんと反映される。中には立ち消えになってしまうものもあるが、Dragon Age: Originsほど複雑怪奇に分岐するわけじゃないから、トレースするのは楽だ。

 うかうかしているとThe Witcher 2が発売されてしまう!という焦りを原動力にして、その後のプレイは爆走につぐ爆走で終わらせた。と言っても中断したのはクライマックスの手前なので大した時間がかかったわけではなかったと思うが。
 でも、そういうモチベーションがなければ、やっぱり中断したままだっただろう。

 ここから、私はうんうん唸ることになる。なぜ、The Witcherのスコイテルのくだりにコミットできなかったのか? そこはThe Witcher 2にも引き継がれる点であるが、やはり同じように、私にはどうでもよかった。

 コミットできなかったのは、差別・被差別のテーマじゃないと思う。The Witcher 2では、それが依然重要なテーマのひとつであるとはいえ、王族たちを含む権力者たちの醜い争いが前面に出てくるせいもあって、だいぶ物語の背景のほうに後退する。そのテーマがいやなら、The Witcher 2の物語にはもっとコミットできたはずだ。

 私がどうしても心からコミットできない理由は、おそらくではあるが、主人公ゲラルト自身が、この物語の完全なる傍観者であるからかもしれない。

 ゲラルト自身、ミュータントであるから差別の対象だ。だが一方でモンスター・ハンターという「職業」、ないしは「任務」を帯びている。それは住人の安全な生活に欠かせない。
 つまり彼は、この世界の住人から侮蔑と畏怖の両方を受けている。

 同じような存在にウィッチ(魔女)、ソーサラー(魔術師)がいる。魔女の場合、住人から忌避されながらも、住人たちの生活にどうしても欠かせない部分も担っている。例えばエクソシスト(蟲(むし)払い、悪魔祓い)、例えば治療者。
 差別・被差別の話にはこれ以上深く踏み込まないが、こうした二面性はアンタッチャブルの大事な点だと言われている。

 ソーサラー(ソーサレス)は、例えばThe Witcer 2にも引き続き登場するヒロインのトリス・メリゴールドがそうだが、この世界では魔法を取り扱える者は非常に稀な存在である。そして被差別の立場をばねにして、強力な魔法を必要とする権力者たちに取り入ることが多く、今では隠然たる権力を行使するギルド的な組織(カウンシル・オヴ・ソーサラーズ)を形成している。なお、ゲーム中に登場する魔術師はなぜか美形(しかも巨乳!)女性が多いが、カウンシルは元々はブラザーフッド・オヴ・ソーサラーズという組織であったそうなので、プレイヤーへのただのアイ・キャンディー的な意味かも(笑)。

 さて、The Witcherの物語前半で、ある魔女の運命がゲラルトの手に委ねられる。このくだりはとても印象的だ。被差別であるゲラルトは、同様にいわれなき差別・糾弾を受けている魔女をどう取り扱うのか。彼女に対する住人のリンチを見過ごすのか、それとも住人たちを傷つけてでも救うのか。
 たとえ陳腐であっても魅力的なエピソードだ。私は100%コミットできていたと思う。
 今調べたら、クエストのタイトルは"Lesser Evil"。そのまんまだ。

 その他、親の因果が子に報い、化け物に変身する呪いに出生時に祟られた高貴な女性とか、ライカンスロープに感染した人狼であるとか、「異形」であるものに関するエピソードがいくつかある。それらもゲラルト自身が異形のものであることと、ウィッチャーとして異形であるものを打倒しなければならないという、分裂気味の立場、あるいはカルマにひきつけてコミットすることができる。殺すか、それとも救うのか。

 ウィッチャーの物語とは、本来こういう物語だったはずだ。

 ところが少数種族であるスコイテルは、ゲラルトと同様に被差別ではあるが、その立場は政治的なものであって、本来的なものではない。つまり、体制が違えば非主流種族は主流になりうるのに対し、ミュータント、ライカンスロープ、祟られし者などは常に差別の対象であるから。

 そしてゲームでは、上述の分岐のどちらでも成立する様に、プレイヤーが選択に理由づけできるように、彼らに政治ゲリラ、「過激派のテロリスト」というレッテルをはる。だから、いわれなき種族差別に憤る彼らに同情的であるのも「正義」だし、彼らが暴力で体制破壊をもくろむことに憤慨するのも「正義」なわけだ。

 長くなったので、一旦切ります。つうか、うろ覚えの部分多いので、ちょっちThe Witcher Wikiで勉強しないといけないかもしれないからなんですけど。 

画像で一言。

 元ネタはここ。BioWareのfacebook。

 http://www.facebook.com/BioWare

2011_10_24_neverwinternights

 懐かしいNeverwinter Nightsのこのコンセプト・アートで一言という企画。

 例文。

  "ポーションを早くっ! くそっ、あのあほバード、どこ行きやがった!"

 (笑)。

  "ああっ、またシャツの上からブラつけてるわ!"

 ふうむ。設定が悪いのか、他の人たちのコメントが読めません・・・。

 しょうがない、私のやつをご披露。
 
 "ファイアーボールだめっ、これハードコア・セッティングだってばっ!"

 ・・・。

 わかる人だけわかればいいのっ!

 なぬ、女性はウィザード/ソーサラーじゃなくてクレリックぽい?

 んじゃ、ファイアーボールじゃなくてフレームストライクで。

2011年10月24日 (月)

フェイク・スティーヴ

 「日本語版ニューズウィーク」先週号に、偽ジョブズこと、ダニエル・ライオンズ記者のエッセイが載っていた。

(お断り)

 知らない方がここに飛び込んでこられて、「私も愛読者です」などと言われると大変迷惑なので、断っておきます。

 別に私はこの雑誌の「愛読者」などでは全然ない。毎週見かけたら駅売りを買ってはいるが。むしろ「ヘイト読者」のほうが近いかもしれない。以前からあたかも世界に日本が存在しないかのような記事で埋める編集方針に怒りを覚えていたが、震災後は打って変わったように「日本が、半島が、大陸が、原発が」と破廉恥なまでに売り上げ優先に走っている。そういう記事は日本の他の週刊誌がはるかに得意な分野であるのに。つまり、全然売れていなくてあせっているということだ。

 私がしつこく読んでいるのは、もちろん他の日本語メディアでは余りなぞらない世界中の紛争や動乱の情報を(しかもアメリカ人の視点の情報を)欲しいからもあるが、この雑誌の死に際、どうやって終わっていくのか見たいという興味のほうが大きい。

 もちろん本家のNewsweek自体、アメリカの読者に向けたものであるから、そのまま記事を持ってくれば日本のことなどまず載っていないのは当たり前。だが日本語版はそれをそのまま有難がって掲載していたわけだ。

 そして最近では、スティーヴ・ジョブズ逝去の記事をいつまでひっぱんねん!

 ご多分に漏れず、本家Newsweekの誌面も以前はApple賛歌のオンパレードだった。ところが、そのAppleが既存メディアを叩き潰す将来が予見できると、突然アンチAppleに鞍替えした。丁度Newsweek自身の経営が破綻寸前であったというのも理由にある。もちろん、既存メディアにとっての「寄生虫」であるGoogleに対しても同様のパターンで、最初は諸手をあげて絶賛していたが、やがて「悪の企業」扱いになっていった。最近ではfacebookにまでケンカを売っているようで、手当たり次第という感じになっている。

(本家Newsweekは、かつてのオーナーであったThe Washington Post Companyからとある資本家に(一説によると価額1USD、及び全ての負債を引き取る条件)で売却され、その後2011年にWebニュース・オピニオン・サイトのThe Daily Beastと統合されて誌面を刷新している)

 偽ジョブズとして五年前から(最初は匿名で、途中で身元がばれてからも)ブログを書いていたダニエル・ライオンズ(テクノロジー担当)の回顧風エッセイが愉しい。

 この話ご承知の人も多いだろう。残念ながら英語版も日本語版もWebで見つけることはできなかった。ライオンズのこれまでの記事の一部はWebで読めるので、しばらくすると登場するかもしれない。そう期待できてしまうこと自体が、既存メディア凋落の理由のひとつでもあるのですが。

 私自身は、Appleにも、ジョブズにもなんの興味もなかった時代の話なので、このエッセイで事の次第をはじめて知ったわけだ。

 フォーブス誌で「退屈」と言ったら「退屈」に失礼なくらいの退屈な仕事(さもありなん)をしていたライオンズが、単なる暇つぶしのジョークではじめた偽ジョブズのブログ。あまりの人気沸騰(一時期では月150万件のアクセス)にやめられなくなったそうだ。
 (後にジョブズの体調悪化の際に中断し、死期が本当に迫っていると見られた頃に中止したそうだ)
 
 そのブログの中身については、(とても面白いが)ただのジョークなので触れないが、人気が出てしまった後で、ライオンズはあわててジョブズの人となりを研究する。そこで見出したジョブズ像が、非常に卓越していると思う。

 気難しく、失敗が多く、善悪が同居していて、暗黒のエネルギーに満ち溢れ、エゴイストで、ナルシストで、部下に辛らつで、人をこきつかうことを厭わず、平気で他人を侮辱し、ユーモアを理解しない男であったという点だ。
 そして実績はちょっとしたマシン(電子機器)を世に送り出しただけ。

「僕はアップル製品が好きだ。だが、ジョブズが『世界を変える』などと語り、自分をガンジーやアインシュタインやマーチン・ルーサー・キングと同列に扱うようなCMを流すのを見ると、いくら何でもやりすぎだと思う。ポリオのワクチンを作ったわけじゃない。飢えをなくしたわけでも、エイズを治す薬を開発したわけでもない。コンピューターとスマートフォンを作っただけだ。
 確かに優れた製品だが、それが世界を救った? 所詮は消費者向けの電子機器、みんな、頭を冷やしたほうがいい」

 私がずっと抱いていたスティーヴ・ジョブズ像そのまま。ライオンズによれば、それがジョブズの信仰していた仏教精神とどう折り合いをつけていたか信じ難かったそうだが、そこにこそブログで笑いを取れるポイントがあったわけだ。

 (この話は、以前任天堂の山内翁が語っていた次のような話を想起させる。「ヴィデオ・ゲームはこの世の中に一切必要ないのだ。世界平和になんの関係もないものだ。我々は必要のないものを売りつけているのだ。だから任天堂は大変なんだ」)

 この記事で紹介されている個々のギャグもどれも秀逸だが、最高なのはむしろリアルのほう。偽ジョブズのブログが世間を沸かしていた頃、シリコン・バレーのある会議に招かれたジョブズがビル・ゲイツと二人で登壇したときのこと。

 ビル・ゲイツ。「断っておくけど、僕は偽スティーヴ・ジョブズじゃないからね」

 会場爆笑。

 司会者に「偽ジョブズを読んだことは?」と聴かれ、ジョブズは「なかなか笑える書き込みもあるね」と答えたというが、私の意見としては、これはもちろん嘘だろう。だってジョブズにその手の辛らつなギャグが理解できるとは到底思えないし、むしろ逆上していたはずだしね。ライオンズは「本人が偽ブログを読んでいた」と感動しているが、賢い彼のことだ、感動しているふりかもしれない。

 カリスマ企業経営者に美徳なんていらないのでしょう。むしろ美徳には経営者として邪魔なものがあるかもしれない。

 私個人は、上にあげた秀逸なジョークもその例だが、「まんまと成功したことによって」突然目覚めて、その後気が狂ったように働き始めたビル・ゲイツのほうが、ずっと人間的で好きだ。後に慈善家となったこと、「教育」に目を向け始めたことなど(それらの是非はともかく)からも推察できるが、ビル・ゲイツはそこで、自分は果たして「神に選ばれし者」にふさわしいのか、という深刻な内なる葛藤に苛まれていたのだと思う。

 ライオンズが言っているようにただの電化製品。私は、どう考えてもMicrosoftやGoogleのように20世紀/21世紀を代表するエポック・メイキングな企業になるに決まっている相手とAppleを同列に扱うのは違うと思う。少なくとも今のところは。

 だが世界のメディアは、今のところアメリカ、英語圏メディアが支配している。アメリカ人の本国人びいきは誰にも止められない。そして、彼らにはもう余り他に誇るべきもの、あるいは誇るべき人物が残っていないのだ。

 ウォール・ストリートを占拠する連中は、Appleのマシンで連絡を取り合う。おそらく皆Appleが大好きなはずだ。
 もちろん私だって、オプション、フューチャーなどの金融商品の古き良きほのぼのとした世界まで併呑して、「デリヴァティヴ」なる奇怪な、オカルトチックな化け物を発明したウォール・ストリートのウィザーズ(魔術師たち)や、それを見過ごした政治家、FRBなどの官僚たちのことは果たしてどうかと思っている。みんな資本によって操られているだけなんだけど。

 だが今やMicrosoftも、Googleも、あるいは既存の「悪の企業」でいえばExxonMobleまでも時価総額でパスしてしまったというAppleだって、大資本には違いない。形式的には十分「悪の企業」なはずだ。
 でも、ウォール・ストリートのデモ隊に聞けば、Appleは「他とは違う」と答えるだろう。デモ隊に参加していない人だってアメリカ人なら「違う」というに決まっている。あれは「いい」のだと。

 「美徳」に走ったはずのゲイツは「悪の帝国」を築いたと批判される。
 「悪徳」のジョブズが「善なるもの」を生み出したと賞賛される。

(なおGoogleは、その出所自体が「悪」。彼らが内部的には「悪(evil)には染まるな」というモットーを有していることがその証拠)

 それがなぜか。それがわかれば苦労はしないし、わかったとしても、そんな大事なことを、こんなところに書いたりしない(笑)。

 将来、もし大陸国がアメリカに変わってヘゲモニーを握るようなことがあれば、パーソナル・コンピューターも、スマートフォンも全部大陸で発明されたことになるだろう。

 なんか、そこらへんかなあ・・・。

なりふり構わず。

 4Gamerの奥谷氏の記事。BlizzCon。

 WoW年間契約者にDiablo III無料配布。

http://www.4gamer.net/games/008/G000817/20111022001/

 EAとActivisionBlizzard二社のハルマゲドン、なりふり構わなくなってきたな・・・。

 MMOとDiabloのファン層がかぶってるとはあまり思えないんだけど。つまりDiabloを待っている人が新たにWoWの会員にはならないんじゃないか。
 WoWの現会員をそっちに誘導するってことかな。e-BayでDiabloを売るなんて、Battle.net警察が許すとは思えない。

 EA/BioWareのSWTORを本気で怖がってるのか、チャンピオンの余裕しゃくしゃくで、相手が生まれる前に叩き潰す気か。

 ちなみにスター・ウォーズ・ファンとMMOも親和性低そうなのが心配。つまり、DAとMEに悪影響が及ぶという範囲で心配。

 BF3とMW3も(たとえがものすごく悪いけど)全面戦争状態。

 そっち(FPS)は人ごとですが、この勝負どう転ぶのか、巷の読みどおりMW3の圧勝なのかどうか、興味しんしんですねえ。

 でもMass Effect 3もすでに、(やっぱりたとえが悪いけど)この戦争に巻き込まれているね。Co-opマルチ・プレイヤー・モードは、一体どのライバルを相手にした戦いなのかわからないけど。

 ちなみに同じ奥谷氏のジョブズ追悼記事。

 ジョブズは別にヴィデオ・ゲームなんて育ててないんだけど(Appleは確かにゲームを育てた面は多少あったけど)。たぶんゲーマーとか、相当バカにしてたんじゃないの?と思うよ。スノッブだし、性格悪いし。

 ま、今は何を言っても無駄か・・・。

 確かにそんなことは書いていないけど、いつものことで4Gamerの記事はちゃんと読まないとタイトルがミスリーディングなんだよなあ。

 ヴィデオ・ゲームというなら、ビル・ゲイツの(Microsoftの)貢献のほうが、はるかにずっと、何百倍も大きいんですが。

 カリスマとは、げに恐ろしきものなり。

 http://www.4gamer.net/games/036/G003691/20111017053/ 

2011年10月23日 (日)

【DA2】MotA IGNレヴュー

 書いたのにアップすら忘れていた。テンションひくっ!

 褒めとるなー。IGNはDA2本編も8.5だったけど、Mark of the Assassinも8.5?

 GameSpotのケヴィンの7.0(X360)くらいが妥当ではないかと思っていたのですが(あちら本編は三大プラットフォームとも8.0)。

http://pc.ign.com/articles/120/1200628p1.html

 おお、こちらも、祝宴の様子を"Literal farce"(文字通りのファース、笑劇)と呼んでいるな。私が一番最初にそう書いたんだけどな!(誰も読んでないから威張っても意味ないよ・・・)

 Buffy(ヴァンパイア・スレーヤーだよね)やFirefly(カルト・サイファイTV映画)のようなゴアとレヴィティ(gore'n'levity)。レヴィティってなんだ。「浮ついて軽はずみな陽気さ」か。levitateからきてんのかな、あら逆か。

 ヴァラエティのある場面展開が高評価を得たということかな。レヴュアーによればプレイ時間はたった6時間? 

 いや、そんな長くかかったかな・・・。パズルにどんだけてこづったってことか?

 MotAネタ、こっちのテンションめっちゃ低いな・・・。

  

【DA2】新コミック、ゲイダーさんのコメント(フォーラム)

 新コミック・ミニシリーズ(アリスター、イザベラ、ヴァリックがアンティーヴァに行くという内容。まだタイトルもわからない)について、ゲイダーさんがフォーラムでコメント。

 やっぱ、キャノン・ストーリー(正典)問題で喧々諤々なところに登場。

http://social.bioware.com/forum/1/topic/315/index/8522950&lf=8

**********

 コミックが自分のプレイスルーにどんな影響をあたえか心配してるなら、影響は与えないよ。もし、我々がコミックの出来事をゲームの中に反映させたいと考えたら(あくまで「もし」)、どうなるかはインポート・ファイルの内容に依存する。アリスターが生きていて、他の詳細も合致しているなら、もしかしたら(訳:コミックの内容を反映したアリスターがらみのイヴェントが)発生するかもしれない。そうでなければ、そのイヴェントは発生しないか、少し変わった形で発生する。

 すでに存在しているキャラクターを用いることにした理由は、彼等が多くの人たちに愛されているからだ。私も含めて。みんな彼等がもっと活躍するところを見たいし、その場合ストーリーは彼等にちなんだものになる。偶然でもなんでもない。単純な話だよ。

 この発想が嫌いな人もいるだろうが、誰も無理やり読めとは言っていない。当たり前の話だ。だが、みんな非常に楽しみにしてくれているのは嬉しいし、我々のできばえを披露できることを楽しみにしているよ。

**********

 (BioWareのデフォルト正典でよいと思う、という意見に)

 我々は必ずデフォルトのストーリーを決めないといけないんだ。誰もがインポート・セーヴを持ち込むわけではないし、不完全なファイルの場合もある。実際のところ、大多数のプレイヤーはそっちなんだ。
 だがそれを「正典」とは呼ばない。プレイヤーのセーヴファイルの内容を無視して、過去の出来事の顛末を決めて押し付けるなんてことはしないから。例えばBG2ではそうであったが、それこそ「正典」だよ。

**********

 (コミックからゲームへの反映ではなく、みなが怖れているのは過去のゲームからコミックへの反映だろう、という指摘に)

 すまんが、それは根拠のない不安だろう。アリスターがキングになる、ドランクになる、ウォーデンのままである、あるいは死んでしまっている可能性がある、ということはプレイヤーは皆知っているわけだ。オルタナティヴな世界はすでにあるわけで、パンドラの箱はもう開けられているんだ。

 多くの者がある展開を「正典」と考えているからと言って、個々のプレイヤーには何の影響もない。皆がアリスターは王になるべきだと考えているからといって、君のプレイスルーで彼が死んでしまった場合に、何を気にする必要がある? 君のゲームプレイは君のなした選択によって左右される。ゲーム以外の分野で、プレイヤーのゲームプレイと関連するかもしれない場所を完全に避けるなんて我々以外にはそもそも不可能だし、我々もそんなことはしない。(ウォーデン・ホークなどの)プレイヤー・キャラクターに特定の肉づけをしてしまうなんてことはしないが、それ以外は「あり」だ(fair game)。

**********

 あとはおつむのちょっとあれな「ファン」とのやり取りなんで省略。

 なにしろ、ほとんどの場合ゲイダーさんに「質問」してんじゃないんだ。「私のアリスターは、クースランド出身のウォーデンと結婚して、ああしてこおして・・・」とか、「私のウォーデンはレリアナとのロマンスが続いていて、だからああしてこうなって・・・」とか、要するに自分の(ストーリーの)話をしたいだけ。それは、「私だけのストーリー」はRPGではもちろんとっても大事なことだが、「自分以外」にも世界中に何百万のプレイヤーがいて、それぞれがお前と同じように「私のストーリー」を持っているということを、なんでわからんのだ!

 まともな「質問」としては、「そんなにアリスターが人気ならコミックじゃなくて、DLCを作ったらどうなのよ?」というもの。

 もちろん答えは、マンパワー(即ちお金、即ち時間)がかかりすぎるから。コミックは4、5人。DLCは60人。
 (コミックならアーティストの想像力だけで)新天地の物語をはじめられるが、ゲームでやるとなると環境設定も大変だし、プレイヤー・エージェンシー(ゲイダーさんがよく言う、agency。難しい言葉ですが、ヴィデオ・ゲームのプレイヤーはコミックの読者とは異なり、主人公を代弁・代行しうること)という複雑な問題も発生するから。

 最後に、アリスターDLCの可能性があるかどうか教えろと粘るファンに、以前、その可能性をほのめかしていたBioWareのシニア・ライターであるクリスチャンソン氏が応える。

**********

 「レリアナズ・ソングDLCをリリースするとき、私がほのめかしたかもしれないが、アリスターDLCの可能性はあったよ。グレイ・ウォーデンの「イージー・カンパニー」(気楽な仲間)的なやつで、ダンカンに弟子入りしたルーキー・ウォーデンのアリスターが最初の数ヶ月に経験する物語を念頭においていたよ。書いたら面白かったかもしれないけど、DLCは造るのが大変なんだ。でも、その話に関するエピソードは他のどこかで顔をのぞかせるかもしれないけどね。
 だから、じらすような話なのは申し訳ないが、我々一同、アリスターが大人気なのは良くわかっているから。そりゃあもう、存分にね。

**********

 お願いだから、DA2は、フェリシアのDLCで終わりにしないで!

 ちょっとだけ、メタ的な視点を追加。

 DnDワールドにも著名人・セレヴは存在する。だがこの手の問題はあまり起きない。大枠はワールド設定という物語で規定されているから。

 TRPGであれば、DM(ダンジョン・マスター)が個別にシナリオを考えるから、物語はローカルでパーソナル。CRPGになった場合でも、その大きな世界設定(グレイホーク、フェイルーン、エベロンとか)の中のごくごく限られた、ある一面を切り取っただけの物語であるとプレイヤーたちが了解している。「世界設定が主役」なんです。

 DAワールドは、まだそこまで成熟していないのだ。だから(TRPGで育ってきた)レイドロウ氏とかゲイダーさんがいくら「セダス世界が物語の主役」と口をすっぱくして言っても、まだプレイヤーに了解されていない。認知されていない。

 物語はどうしても登場人物を中心に動いていくし、多くのプレイヤーが注目するのもキャラクターにならざるを得ない。だから「アリスターがどうしたこうした」が重大な論点になってしまう。
 それはCRPGの限界かもしれないが、例えばNeverwinter Nightsでは、アリヴェスの物語は長い歴史の一ページであると認識されているわけだし、Baldur's Gateシリーズでもそう。

 ロア(lore、注)というとても翻訳の難しい言葉がありますが、DnDワールドはメタ的にそれがプレイヤーたちに共有されていたんですね。DAワールドはまだ若い。空白が多い。豊穣かつ潤沢なロアが蓄えられ、世界がおのずと動き始めるまでには、時間がいるんです。

 同じように、「スター・ウォーズ・サガ」が必死に空白を埋めようとしている。ずっと深みのある「スター・トレック」のような世界になんとか到達しようとしているんでしょう。

(注) loreの語義。

 a perticular body of knowledge or tradition (Merriam-Webster)

 accumulated facts, traditions, or beliefs about a particular subject (The Free Dictionary)

アンパンマンじゃなくてっ。

 年金がえらいこっちゃ?!

 週間文春などのいわゆる週刊誌は滅多に買わないが、厚生省の連中が今度はどんな悪事を企んでいるか知るために買った。

 「今そこにある危機」"Clear and present danger"を読まされても、なーんの意味もないのはわかっている。解決策はまたしても思考停止気味に「自己防衛のため、みんなで貯金しよう!」だ。まさしく「合成の誤謬」"fallacy of composition"ってやつね。

 だいたい「ファイナンシャル・プラナー」ってのはなんだよ? なにを「プラン」してんだよ。アメリカじゃ今は、ボディーガード(もっと露骨に用心棒"enforcers"とか門番"bouncers")のことを、「セキュリティ・コンサルタント」などとと言う。その類か。

 私などはこの付和雷同的行動を見聞きすると、「恐怖の総和」"Sum of all fears"を思い出す。こちらは元々の意味はウィンストン・チャーチルが使ったように、もっとずっと深いけどね。

"Why, you may take the most gallant sailor, the most intrepid airman or the most audacious soldier, put them at a table together - what do you get? The sum of their fears."

 そんな話じゃない。愉しい話をしよう。

 三ページだけ読んで捨てるのももったいないから中もだいたい読んだのだ。

 やなせたかし氏が、インタヴューを受けていた。かなり面白かった。

「僕も、漫画家仲間は三歳下の水木しげる以外はみんななくなってしまったから・・・」と言われるやなせ氏も92歳だそうだ。出征されたおふたりが最後の生き残りというのも、人生ってなんだろうね、と思わせる。

 ひとつの時代が終わりかけてるのね、という話と、かつての漫画家たちの間の心の団結というか、「同志」の感覚というか、そういう話と、ふたつのことがわかる。
(「絆」というのは民主党がこ汚い手垢をつけたので使いたくない)

 ちなみにやなせ氏も(ずっと年下の)手塚さんはもちろんだが、とは言っているが、石ノ森章太郎も絵がほんとにうまくて、何でもできちゃう人だった、と語っている。

 やなせたかしといえば「アンパンマン」しか知らなくてもぜんぜん結構だが、このインタヴューでも出てくるように、編集長として取り組んだ「詩とメルヘン」とか、「いちごえほん」などの活動のほうが印象深い。

 こんなブログにそういう(甘ったるい)書籍の名前が出てくると、不吉で不気味に感じるかもしれないが、まあ母親の影響もあって、家にそういうものがあったからとりあえず目に付くものは何でも読んでいた。ちなみにコミックは禁止されていたので隠れて読んでいた。親がそういうことすると、こういうひねくれたオタクが育つ。こっちは必死だったからなんでも手に入る軟弱なオタク(そんな言葉はなかったけど)に負ける気はまったくしなかったが。

 残念ながら詩のほうも、メルヘンのほうも、まったく感化されることなく、詩心は今でもサッパリ、ゼロ、ヌルだが、おそらく当時のイラスト作家はそこでしか描けなかった、そして読者もそこでしか目にすることはなかった(やなせ氏いわく)「甘い」イラスト群はとても印象深かった。「詩とメルヘン」は三十年続いたと知って驚いた。今は休刊だそうだけど。

 そのほかにも、ミュージカル、演劇、テレビなど、その分野ではほとんど無名で経験もなかったやなせ氏のところに未体験な仕事の話が次々と舞い込んでくる話も面白い。
 「詩とメルヘン」のように長く続いた企画も、「アンパンマン」のように爆発的に流行した漫画も、スタート当初は「そんなのゼッタイだめだろう」という業界の「常識」に抵抗されて苦労されたというのも、とても面白い話だ。

 なにも、「現代日本では詩心が喪われた」とか、「昔のほうがよかった」とか、それこそ思考停止的な下らない話をするわけじゃない。だいたい詩心がヌルの私が言うことじゃない。今の漫画家たちだって私にとってはずっと年下の人も多いだろうが皆「漫画家の先生」だ。後発なだけに、相当大変なはずだしね。

 上に書いたように「ひとつの時代が終わりかけている」という話と、彼ら先駆者たちの間に「連帯」があった、という話が気になったのであった。

 ひとつ付け加えるなら、手塚治虫のように若くして栄光の座にありながら一度ドン底まで落ちて、また復活したような作家もいれば、五十歳を過ぎてはじめて広く認知されたやなせたしのような作家もいるんだな、色々だな、ということかもしれない。

 手塚治虫は最後まで自分自身が第一線で戦わなければ気が済まない人だったようだ。水木しげるによれば「一番病」の患者でもあった。もちろん、六十にして亡くなったから、やなせたかしのように「アンパンマンのアニメは、ここまでくれば僕がいなくても十分できるでしょう。他にやりたいことはたくさんある」という達観した境地になる機会はそもそもなかったのかもしれない。
 
 長生きはするもんだ? 年金の話にはつなげたくなかったんだよなあ・・・。

 

 

【DA3】DA3開発正式発表、DA3ティーザー@NYCC

 複雑だなあ・・・。

 BioWareが、DA3の開発を正式に発表したという。

http://ps3.gamespy.com/playstation-3/dragon-age-2/1169665p1.html

http://www.1up.com/news/dragon-age-iii-announced

 そしてNYCC(ニューヨーク・コミック・コン)で、レイドロウ氏とゲイダーさんの出演したDAパネルの映像。撮影者はユーザー。

http://www.youtube.com/watch?v=sjexkoGVKlY

http://www.youtube.com/watch?v=JRVd-qS2Rgo

 コミック、アニメに加え、DA3についての話もある。 

 以前からレイドロウ氏が話していたというDA3のスコープ(この場合、セダスのどの範囲をカヴァーするかということ)についても画像込みで説明がされた(4:30あたり)。

Daomap
 DA:Oのカヴァーしていた範囲。フェラルデン王国。

Da2map
 DA2のカヴァーしていた範囲。カークウォールとそのごく周辺のみ。ロード・アイランド州並みの狭さ・・・。

 そして、DA3。

Da3mapf
 こうすることだってできたかもしれないが・・・。

Da3map
 このくらいまで広げるつもりだと!

 セダス大陸の南半分をカバーするということか。確かに以前レイドロウ氏が語っていたようにフェラルデンの4から5倍はある。

 でも。ああ、複雑な心境だあ。

 セダス大陸の地図。

Thedasmap_wallpaper_1920x1200

 フェラルデン、オーレイ、ネヴァラ、フリー・マーチズ、そしてアンティーヴァ南半分くらいはカヴァーされているのか。

 アンダーフェルズ落選・・・。テヴィンター落選・・・。テヴィンター帝国も多少範囲に入っているが、首都ははるか北なのだ。

 これが正式に決定されたというのではなく、単に「このくらいのスコープで考えているよ」と言っているので、あくまで例示であって欲しいのだが。
 アンティーヴァだって、これじゃ首都が入ってないし。大雑把なレイドロウ氏のことだから、てきとうにザクッと丸で囲んだだけであって欲しいなあ。

 それとフェラルデン入っちゃうのかあ。もう、個人的にはあそこはいいんだけどなあ。またロザリングかなあ。三部作とも登場させる気かな。

 うーん、寝る前に観るんじゃなかった。

 このままでは、私の予想は本命オーレイしか当たらない。Win3じゃなくWin1、それも誰が考えてもあたるものだけになっちゃうよ。

 まあ、アンダーフェルズは完全に大穴狙いだったけどね。

 まだ負けが決まったわけじゃないだろうけど、悔しいー。

2011年10月22日 (土)

【ME3】コミック Redemption/Evolution/Invasion

 ようやく、コミックMass Effect: Evolution(イルーシヴ・マン誕生秘話)が手に入ったのに、もう次のコミック出すの? え、もう出たの?

http://www.comicbookresources.com/?page=preview&id=9236

 今度はInvasionとか。イシュー1ではオメガのアリアが、侵入者と戦うとか。

 アリアはRedemptionでも登場したし、その後の単発のエピソード(Incursion)にも出たなあ・・・。
 オメガって、そんなに掘り下げるところなんかなあ。
 ああ、オメガ4リレーが近いからか。

The Omega space station is the center of lawlessness in the galaxy, a den of vice ruled by the deadly asari Aria. It is also a strategic foothold in a galaxy-wide power struggle, and when the station comes under attack from a new threat unleashed by the humanity-first organization Cerberus, Aria is forced to become more ruthless than ever to protect her home—and her dominion.

 侵入を試みているのは、(またしても)サーベラス?

 あー、このモンスターって、ME2の最後でイルーシヴ・マンにコレクターズの技術を渡しちゃったから開発されたのかな。

 やべえ、私のME2のエンディングそれだよ・・・。

 BioWareTVによれば、Mass Effectのコミックは売り上げ好調なんだそうだ。

 まあ、ストーリー・ドリヴンのRPGなんでコミックと親和性が高いのはもっともでしょうけどね。

 こちらは、完結してAmazonで普通に買える様になるまで待つしかないか・・・。

 あ、iTunesで買える? 面倒だけど見てみようか。

 買えた(笑)。Dark Horse Comicのアプリはいるみたいだけど。これでDAのコミックも買えちゃうな!(来年だけどな)

 字がちいせえよ・・・。iPod Touchだもん・・・。 早まったか。

 お、Dungeon Siege IIIのコミックもあるのか。ゲームよか面白かったりして(笑えない)。

【ME3】Mass Effect 3 デモ。

 来年1月のいつか。シングル及びマルチ・プレイヤー・モード。

http://social.bioware.com/forum/1/topic/324/index/8554052

 うへ、Origin登録必須か! BF3のプレイヤーは即座にプレイ可能? 他の人たちは?

 むー。Originを広めようという意図があまりに露骨だし、だいたいBF3のプレイヤーがME3遊ぶか? 字読めんのか?

 他の手段はまだ公表できないだと?

 あ、マルチ・プレイヤー・モードの場合のみね。ソロ・モードは誰でも自由にゲットできるみたい。

 んじゃ、関係ねえや。

 - the single player portion is available to everyone on day one of the demo.

2011年10月21日 (金)

どうして「ソースコード」じゃだめなんでしょうか?

 脱力。

 以前ちらっと触れたかもしれない、"Moon"(2009)というサイファイ映画。監督がデヴィッド・ボウイの御曹司、ダンカン・ジェームズと知り、「はいはい、親の七光りね」とバカにして観て、結構やられました。あちらで評判よいだけあるなと。
 何を書いてもネタバレになりそうなのでやめておく。

 その彼の新作で、やはりサイファイに題材をとった"Source Code"(2011)というのがある。
 ソース・コードは、もちろんIT分野でいうソース・コード。人間がプログラミング言語を用いて記述したコンピューター・プログラムのこと。ソース・プログラムなどとも言う。

 実は、英語版BDを仕入れたのだが、PS3で観るとアスペクト比が何だかおかしいのか、英語字幕が画面の下からちょん切れてしまう。PCで観ようとしたら、ソフトウェアが古かったらしく動作しない。

 英語字幕に頼らずうんうん唸って、最初のほうは観たのだが挫折した。サイファイでしかも非常に込み入った構造の物語なので、手掛かりがないのは辛い。

 友人は海外出張中の機内で観たらしく、いきなり中身を話し始めようとするから、「ネタバレ厳禁!」と釘をさす羽目に。しばらく前にBD仕込んでたのに、たまたま観た奴に負けるのかよ・・・。

 ようやくPC側のソフトウェアが更新されて、問題なく鑑賞できるようになったのがつい昨日。半分くらい観たのかな・・・。だからまだオチはしらない。

 主人公の俳優は、どこかで観た事あるなあと調べたが、あまり大作にはでていなかったみたい。

 その彼の顔写真が映画の主役として新聞記事に載っていた。

 お、また出てるな。売れっ子の路線に乗っかったかな?と思い、どんな映画に出たのか読んでみた。

 「ミッション:8ミニッツ」か。なに? 8分? 「ソースコード」にも8分の話は関係あるな。

 同じかい!

 なんだよその邦題。最初は「60ミニッツ」あたりの連想でマスコミ・ニュース関連の何かと思い、次にミッションから「ミッション・インポッシブル」のノリを想起しちゃったじゃないか。

 "Moon"の邦題は確か「月に囚われた男」。そのノリはOK。「分解された男」、「接続された女」などのサイファイの名作を連想させようとしてるだろうから。
 しかし、これはない。

 え、どうして「ソースコード」じゃだめなんですか?

 それはね。食卓の「ソース」と間違うからだよ。
 日本人はそんなにITリテラシー高くないんだよ。「ソースコード」なんてIT専門家じゃないと知らないから。

 そうなのか?

 "Taken"が「96時間」(2008)だったっけ。まあ、「テイクン」じゃなんのことかわからんだろうから、仕方ないけど。

 "Law Abiding Citizen"(2009)が「完全なる報復」? ま、これも仕方ないっす。こういうのはそもそも概念として日本人にピンとこないだろうから。

 "Book of Eli"(2010)が「ザ・ウォーカー」。なにがなんだか。

 "Sucker Punch"(2011)、これは本当に恥ずかしいので書きたくないんだが。確かに「サッカー・パンチ」って意味がわけわからんからしょうがないのだが(元々は「いきなり不意打ち」)。

 「エンジェル・ウォーズ」。半島国のMMOかよ!

 まあ、日本はまだ、ご先祖様たちが「カタカナ」を発明してくれたので、100%無理矢理翻訳しないといけないどこかの国みたいなことはないんですが。
 中学生の教科書に出てくるくらいの単語までOKとか、内部ルールでもあんすかね?
 「ミッション」が中学生の教科書にあるかどうか知らんけど。もう日本語化してるということか。

 だったら、"Kick-Ass"(2010)は「キック・アス」じゃだめでしょう。そんな用法載ってる教科書見てみたいもんだよ。

 ん、お前英語でわかるとかいうけど、フランス映画でそれやられたらどうする?

 だよなあ。例えばいったい何度リメイクすんだろっていう「三銃士」。あ、でもこれも"The Three Musketeers"(2011)って英語だぞ?
 思いつかないんで、古いけど"Le fabuleux destin d'Amélie Poulain"(2001)、"Le pacte des loups"(2001) "Nid de guêpes"(2002)、"L'instinct de mort"(2008)。
 お手上げ状態。
 でも今調べたら、一時期(丁度Taxiとかアメリとかジェボーダンの頃だから10年も前か)の勢いないな・・・。商業上という意味では。

 脱力から立ち直って他のページを読んでいたら "Cowboys & Aliens"(2011)。
 これは「カウボーイ&エイリアン」。原題をなぞっている。助かった(笑)。一対一になっちゃってるけどしょうがない。

 日本語にすると複数形が消えちゃうから? へー、じゃあ、どうして「エンジェル・ウォーズ」は「ウォーズ」なの?

 (スター・ウォーズがあって、スクール・ウォーズがあったからなんだよな・・・) 

【DA2】DA新コミック(ゲイダーさんコメント)

 前回の新コミック記事で、ゲイダーさんがコメントしている部分だけ見てみましょう。

 DA3はどうなるか、というヒントがあるかもしれないから。項目名は私が勝手につけたもの。

 http://www.comicbookresources.com/?page=article&id=34930

**********

・Dragon Ageワールド

"DAは一般のファンタジーワールドにあるような「つかみ」(trappings)を全て取り揃えている。魔法、エルフ、ドラゴン。
 だが、その調理法はあまり見慣れないものだろう。ダークで、善悪の区別は曖昧で、最も善良無辜なる者にすらとんでもない災難が襲い掛かる。エルフは歴史を失い、ドラゴンは絶滅の危機から復活しつつあり、魔法は忌み嫌われ、教会の力で抑圧されている。
 さらにキャラクター・ドリヴンでもあり、物語はエピックであるかどうかよりも、人々のあり様(ありさま、ありよう、human condition)に比重を置く。"

・コミックというメディア

 "DAは、あるゲーム・タイトルの物語であると同時に、セダス世界の物語であるから、他のメディアにも良くフィットする。語るべき話は多いので、何もメディアをヴィデオ・ゲームに限定することはないだろう? 小説、facebookゲーム、アニメ映画などもあるわけだから、コミックへの展開だって自然な流れだ。BioWareのみんながコミックを読んで育ってきたってのもある。私だってそうだ。Dark Horse(コミック出版社)と仕事ができるなんて夢が現実になったようなものだよ。

 そうした全ての部分(メディア)、ゲーム、ヴィデオ、小説、アニメ、コミックが、お互いを補完しあうために大事なことは、それらを、ひとつのしっかりまとまったもの(a cohesive whole)にすることだね。"

・まだ語られていない物語

"語ることのできるファンタジー・ストーリーは数多いだろうが、全てのファンタジー・ストーリーがDAの世界に合致しているわけではない。だから可能な場合は常に、我々が造り出している全体の物語の一部に当てはまるようにしたい。
 DAの物語が別のメディアで語られるなら、物語全体のロア(物語世界の背景設定・知識)を豊かにするため用いずに、わざわざ独立した無関係なものにするなんて考えられないだろう。

 ゲームの中で結局使わなかったサイド・プロットはたくさんあるし、この世界のある地域にはまだ訪れてもいないし、ゲームを丸ごと開発しなくたってずっと容易にそうした部分に展開する方法があるだろう。それ自体とてもエキサイティングなのに、DAの世界とその可能性について熱心な関心を抱いてくれているBioWare以外の人たちと仕事を共にするのはなおさらだ。
 まとめると、Dragon Ageに関する全てのものは、お互い補完(注)しあうべきであり、ファンにとっては、それぞれがシームレスに繋がるものでなければならないということ。"

(訳注:原文complimentary(お祝いの)だとこういう意味にならない。たぶん記者のタイポで、意味はcomplementary(補完的な))

・新コミックのコンテンツ

"新しいミニシリーズは、DA:Oのアリスターと、DA2のイザベラ、ヴァリックの物語だ。三人はアンティーヴァへ旅をする。そこはエキゾチックな国、アサシンの国であり、アリスターの過去に関する謎を探求している三人が危険に見舞われる。セダスのドラゴンに関する驚くべき秘密も明らかになるだろう。

 DAのファンのみんなが、今までしばらくの間不思議に思っていただろういくつかの事柄、それから我々が他ではまだ語ることができなかったいくつかのプロットについて触れることになる。DAシリーズのリード・ライターである私自身が書いているので、全体の物語と澱みなく繋がるものであることは請け負うよ。ファンから愛されているキャラクター、まだどこでも明らかにされていないロア。面白くならないわけないじゃない。"

********** 

 以上ですかね。あとはDark Horseへのお世辞などなど。
 新ミニシリーズは一巻(1イシュー)12ページのデジタル版が、来年2月から隔週で合計六巻、iPad/iPhone向けアプリと、Dark Horseのデジタル・コンテンツとして配信される。紙版はないようですね。日本でも普通に入手できることを祈る。

 「エピックであるよりも人々のあり様に重きをおく」

 エピックを拒否するということではないでしょう。ちょっと考えればわかるとおりヴィデオ・ゲームの世界で「エピック」にするのは簡単。でかく、騒々しく、賑々しくやればいいから。
 かたや「人々のあり様」を見せるのは大変。小説と違ってト書きがない。セリフに多くを依存するのでその点アニメ映画の技法に近いかも。生身の俳優の映画なら表情とゼスチャーがふんだんに使えるけど、それもできない。でもRPGにはCODEXという独特の手段はある。

 「エピック」が叙事詩、「劇的」な物語であるとすれば、「人々のあり様」は叙情的な物語、「つぶやき」です。
 DA:Oが「エピック」寄り、DA2が「つぶやき」寄りだったわけですが、DA3は、私の読みではその双方を取り入れてはいるが、形式上「エピック」になると思う。

 こんな読みも根拠は簡単です。「スターウォーズ」のエピソード4から6を考えればよい。「強・弱・強」、「陽・陰・陽」。ソナタ形式を踏襲するはずだから。
 そして3は1のエピックな物語の拡大再生産(二代目デススターとの戦い)であり、同時に2で提示しながら未解決のテーマ(あっちは主人公親子の関係ですね)を解決しないといけない。
 そういえば、BD化でファンが大騒ぎしている、ダース・ヴェイダーが「ノーッ!」で叫ぶヴァージョンをテレビでやってましたね。久しぶりにじっくり観たけど、クライマックスの皇帝とルークのやりとり、あれが「つぶやき」ですね。かたやハン・ソロ、ランド・カルリシアンの戦いのほうが絵に描いたような「エピック」な物語。そんな感じです。

 こんな基本的な構造までチャレンジングに変えることはしないと思うんですよね。
 だから見かけ上はDA:Oを上回る「エピック」な造りだけど、ストーリー自体はDA2以上に主要登場人物個々人の感情のひだに踏み込む「つぶやき」的なものになるのではないか。

 Mass Effectはそのままで、「強・弱・-」、「陽・陰・ー」ときた。ME2は「つぶやき」に相当踏み込んだ内容。だからME3は「強・陽」で終わるはず。上の方式をどれだけうまく実現しているかが私の興味の対象です。

 例えばThe Witcher 2のThe Witcherシリーズは、もとからこのソナタ形式を拒否して「強・強・-」、「陰・陰・-」と来てるので三作目が完結編であるなら、それも「強」で「陰」。それはそれで味わいが出るかもしれない。The Witcher 2はようやくクリアしたけど最後まで暗かったな・・・。ところどころで「ニヤッ」とさせられるところはありますけどね。

 Dark Soulsは、また違っていて、単体で見ればロンド形式。しかも「強で陰」、キース・エマーソンせんせではないが「奈落のロンド」。

 最後に、この12ページ×6冊のミニコミックという形態。今や主流のようですが、これがアメコミを読むのが辛い原因のひとつなんだよな・・・。狭くて短い紙面(画面)にこれでもかってくらい情報ぶちこむんだ。

 メビウスの「アンカル」、なかなか面白かったが、一気に読み終わるまで結構体力使いました。

 自分では言葉にできなかったことを、巻末の(メビウスの大ファンという)藤原カムイと谷口ジローの対談でおふたりが見事に言ってくれていた。やっぱプロは違う・・・(当たり前)。
 手元にテキストがないので、表現は「私の言葉」に置き換わっているので注意。

 藤原カムイ氏いわく、BD(バンド・デシネ、フレンチ・コミックのこと)は、ひとつのコマの中なのにいきなり時間が流れたりしているから、読みかたが大変。セリフもどいつがどれしゃべってるか見極めるまで面倒であると。

 私のいう「文法」の一例だと思います。これは確かに辛いのだ。だがある程度日本のコミックにも取り込まれているので、まったく手掛かりがないわけじゃない。

 谷口ジロー氏いわく、モブシーン(暴動などで多数の群集が登場するシーン)がすごいよな。あれ書くの大変なんだよな。全部同じに描ければいいんだけど、そうは行かない。そして日本のマンガだと、見開きで渾身のモブシーン描いても、読者に数秒ですっとばされる。ちゃんと見ろよ!という意味でセリフとか付け加えたりしないといけない。

 (これも「文法」、「慣れ」でしょうけど、日本人のコミックの読み方は加速装置つきかっつうくらい高速。作者もそのスピード感を阻害しないようにやるから、長編でもあっつうまに読み終わってしまうわけだ。内容が薄いとかじゃなく、そうじゃないと商業的にきついってことだったのだと思う。逆にアメコミの形式だと「読み飛ばす」なんてまずできないし、「余白の美」を多用するのはかなり無理。基本的な坐り心地の悪さの原因はそこかな)

 そして、どちらのご発言か忘れたが、BDは隅から隅まで舐めるように読んで欲しい。ひとつの場面を30分はじっと見詰めてもらうくらいじゃないと、というのもナットク。それが読んでいると疲れる原因でもある。

 つけたしですが、メビウスの作風(特にモブシーンを評して)、谷口氏があの「死の勝利」にも似た世界を再現していると言っていた。

 DA2のアート・ディレクターが黒澤明の映画「蜘蛛巣城」と並んでインスパイアされたという、ピーター・ブリューゲル(父親のほう)の「死の勝利」"The Triumph of Death"のことで、「死の舞踏」、「死の凱旋」などと呼ばれるジャンルの絵画です。 

http://en.wikipedia.org/wiki/Danse_Macabre

 そうか、「エピック」でかつ「つぶやき」ってのはこういう風に実現できるのか。 
 モブ・シーンにそのヒントがあったなんて。そしてこの、直接関係ない世界どおしの奇妙な符合。同時代性ってやつかな。

 手ナリで書いていると、いいこともあるな。

 

 

2011年10月20日 (木)

【DA2】DA新コミック

 やっと見つけた。DAの新しいコミックの記事。

http://www.comicbookresources.com/?page=article&id=34930

 時間がないのでぶん投げときます。
 ゲイダーさんが原案で、別のBioWareライターが脚本で、登場人物はアリスター、ヴァリック、イザベラ。

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 うーん、今度はファン迎合路線で来たか。

 たしかに先のオーソン・スコット・カード(「エンダーのゲーム」などであちらでは爆発的人気を博した著名なサイファイ作家)原作のコミック。本編に関係するキャラクターはフェラルデン・タワーの騎士隊長グレゴーくらい。テーマはテンプラーとサークル・メイジの確執だけど、そうした背景についても思いっきり消化不良気味だったからなあ・・・。つまり、設定がDAである必要のほとんどないお話だったのです。普通のお話としては面白いけど。

 やはり設定を良く知る人に書かせようということにしたのか。そしてDAシリーズで人気のあるほうからキャラクターを選んだと?(イザベラは実は不人気らしいが、アンティーヴァに由来があるし、ゲイダーさんも好きなキャラでしょうしね)

 公式フォーラムは、またしてもアリスターに関する継続性問題(キングか、ドランクか、ウォーデンか、それよりも死んじゃってたらどうする?)で騒いでいるやつがいるが、ほっとこう。それ言ったら、イザベラだって色々ある。どう転んでも死にはしないだろうけどね。アリショクに渡したってどうせすぐ逃げ出すんだろうし。

 気になるのは、舞台がアンティーヴァであること。

 DA3に登場させるための顔見世?

 それともここに登場したらDA3には出ない?

 これでDA3までのつなぎ、DA3を推理する材料は三つになった。

 ひとつはカッサンドラ主演のアニメ。カッサンドラはネヴァラの名家の出ですが、アニメの舞台はまだはっきりしていなかったですよね。

 さらにゲイダーさんの小説(ウィンとシェイルが顔を出すそうで、オーレイが舞台の一部だそうだ)。

 今度はアンティーヴァか。

 お、もしかしてDA3の舞台はテヴィンターも含めて、ここら辺全部出るのか?!

 ああ、もちろん買いますよ。亡者ですから。でも第一巻は来年2月だそうです。日本のiTunesでちゃんと買えるかなあ。(スコット・カードのは第一話しか買えずであった)

2011年10月19日 (水)

アニメの文法(2)

 なんでこんな表題にしたんだっけ?
 
 そうそう、NYCC(ニュー・ヨーク・コミック・コン)でDragon Ageの新しいコミックシリーズが発表されると、どこかで読んだからだ。どこだっけなあ・・・。 

 ちなみにKotakuに、DAやMEのアーティスト(カトゥーニストかな)のことが書いてある。

 http://kotaku.com/5850753/the-cartoon-concept-art-of-mass-effect--dragon-age/gallery/1

 いやいや、このノリどうなのよ、と最初思ったけど、慣れというのは恐ろしいもので、もはやこうじゃなきゃDAじゃないくらいに見えてきてしまいます。

Xlarge_mattrhodes_daiiconcept
ファンでなくてもゲーマーならどこかで一度は目にしているだろう、フレメスのコンセプト・アート。

Xlarge_da2_cast_lineup
 ただし、べサニーの不細工っぷりは。こうならなくてよかった・・・。
(主人公ホークの顔をやたらいじってると、メチャ不細工なべサニーが登場することもありますけどね)

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 Mass Effectのコンセプト・アート、キャラ設定、絵コンテもされているようだ。
 あ、これ丁度いいな、サブジェクト・ゼロ、ジャックのヴィジュアル設定の案ですね。

 だいぶ前ですが、(っても去年か)読者の方の口車にのって(いや背中突き飛ばされて感謝してますよ!)ME2の紙芝居まではじめてしまった頃。

 DA:Oのときは、ココログの不具合で多数掲載できなかったため画像自体を吟味したので、一枚一枚なにかコメントをつけることを自分に義務づけていた。プロのコメディアン、それも最高レベルの連中がやっている"IPPON"、元々はダウンタウン松本が深夜にこっそりやっていて、カルト的に受けていた「写真を見て一言」みたいなつもりで、(出来栄えはプロに比べるべくもないが)愉しくやっていた。

 ところがME2をはじめたあたりでは画像を何枚でも掲載できるようになり、しかもDA:Oの数倍もアクション・シーンが多いため、その「一枚に必ず一言」の方針が挫折した。

 丁度、ジャックの登場シーンの頃だ。セリフはほとんどない。
 あきらめて、ただ画像を羅列してみた。

 フレンチ・コミックみたいで、これはこれで味わいがあるな、と思った。

 そのときも書いたのですが、コミックやアニメには実は「文法」がある。

 どういう意味かと言うと、文法を知らないと「読めない」。

 いまや大陸国にも「新幹線」なるものが開通しているから違うだろうが、かつては、日本にはじめて出張旅行で来た大陸国人は、高速で運行中の新幹線の通路を立ちあがって歩けなかった人が多かった。
 いや、まじで。だって私は同行して何回も目撃したから。
 あれは「慣れ」、「学習」なんです。

 日本人でもアメリカ人でもフランス人でもいいけど、子供の頃からアニメやコミックを見ているから読める、わかる。

 そして、文法は日本、アメコミ、フレンチで昔は全然違っていた。

 ところが、(アメコミはアメ車と一緒で日本では今でもさっぱり、ガン無視だが)日本人作家がフレンチの文法を取り入れ、またアメリカ、フランスなども日本のコミックの文法を取り込み、だんだんグローバリゼーションが進んできちゃった。

(笑い事じゃない話。藤子先生の「ドラえもん」をフランスのTVで放映してるとき、現地の日本人のお子ちゃまが「日本のだよ」と自慢したら「これはフランスのマンガだ。うそつきの日本人め」と周りからガッツリいじめられたそうだから。それを聴いたときには、のびた君のどこがフランス人だよ!と思ったけどね。「ベルばら」ならともかくな。どちらも大人気だったそうだが)

 以下、事実誤認、間違い抜け漏れあればご指摘いただきたい。

 ざくっというと、手塚治虫の前は、田河水泡でも長谷川町子でも(当時の日本人が理解可能な)演劇的な文法であった。前書いた「遠近法はキリスト教文明が発明した文法」説にこじつけるなら、遠近法のない世界。歌舞伎とか、能狂言とか、書割りの前で演じる旅芸人の舞台とか。

 手塚治虫がウォルト・ディズニー(のアニメ)をミミック(模倣)してコミックを書き始め、遠近法だけじゃなく、映画的文法も一気に日本の漫画に導入された。日本のコミックは「マンガ」として非常に特異な形で発達をはじめた。ファースト・インパクト。

 石ノ森章太郎先生がフランス映画の当時のムーヴメントに触発された別の文法を取り入れたり、さいとうたかおが「彼(章太郎)には勝てない」と少年向けとは別ジャンル、エロ・グロ・ナンセンスが中心だった「劇画」を深堀りして一大ジャンルにしたりした。

 あ、これ追加。「少女マンガ」ちゅうのは日本独特の世界であった、と言い切っちゃっていいかな? なんで発達したのかな。丁度このあたりですね。

 やはり映画(アメリカン・ニュー・シネマ)や、ごくごく一部の好事家の嗜みであったフレンチ・コミックなどの影響を受けたと言われる大友克洋がデヴュー。コミック・アニメの世界に事実上のセカンド・インパクトを与えた。

(その頃、フレンチ・アニメのオムニバス映画「ヘビー・メタル」(1981)が日本でも上映され、不肖私、ガキンチョのくせに偉そうに観にいったが、やはりちんぷんかんぷんであった。あのころからセリフほとんどないんだよな。興行的には散々であったようだ。日米戦の日本兵に関する部分、太平洋戦争におけるB-17のエピソードが出てくるところ、で一部内容を省略していた説もあった)

 大友克洋自身が制作した映画"AKIRA"は、日本では興行的にはいまひとつだったようだが、高い評価は国内に留まらず、フレンチ、アメコミなどにも影響を与えた。2005年、フランスの芸術文化勲章シェヴァリエを受章。

 あまり知られていないが、石ノ森先生のコミック「幻魔大戦」(平井和正原作)の映画化(1983)のキャラクター・デザインは大友。ふたりとも宮城県出身で大友は石ノ森の存在は相当意識していた。映画自体は・・・。残念賞。キース・エマーソンせんせのサントラと主題歌は・・・。うーむであったが。

 個人的にはこの頃、谷口ジローのハードボイルドものも大好きだったのですが、「インパクト」まで言うのは褒めすぎだろうなあ・・・。活躍の場がずっと「劇画」寄りであったので人気が限定的だったのかもしれない。

 大友克洋、谷口ジロー、藤原カムイ、浦沢直樹、最近では松本大洋などがフレンチの大家メビウスの大ファンであるというのは、どこにでも書いてありますね。両者はもう融合しちゃって見分けがつかなくなっているのかもしれない。

 一方アメコミに影響を受けた作家? 誰だろう。タツノコプロ。吉田竜夫。それはあるかも。タツノコ繋がりで望月三起也? 違うなあ。ハリウッド映画の影響はあるだろうけど。
 手塚プロ出身だけど寺沢武一? 完全に日本人の作品だと思いますけど?
 荒木飛呂彦?(また宮城県きた) ヨーロピアン、イタリアンですよね。ルーツはミケランジェロ(マイケランジェロ)だそうだ。

 おしなべて脳天気であったアメコミのヒーロー・ヒロインたちが、ある頃から突然「カルマ」を背負い始めたのも、日本のコミック・アニメの影響ではないかと思います。手塚治虫の作品の主人公たちは例外なく、なんらかの「カルマ」を背負っていた。同世代の日本の作品もみな右倣えだった。「巨人の星」はともかく、「アタックNo.1」の鮎原こずえなど(ネタバレになるから書かないが)ありゃ、ひでー話だぜ(コミック・アニメとも)。あれは必要ねえよな。そういう「無理矢理のカルマ」の部分が、宮崎駿が手塚治虫に愛想を尽かした理由のひとつかもしれない。

 宮崎駿、全部観ているわけじゃないので言いっぱなしになるけど、あちらの主人公は「カルマ」なんて背負っていない。むしろわざと忌避してる感じまでする。じゃあなにがモチベーション、主人公の衝動の源泉かというと・・・。「信念」かな?

 宮崎駿といえば、ピクサー(故ジョブズがジョージ・ルーカスから買収、現ディズニー傘下)の監督・アニメーターは宮崎駿のアニメーションに触発されたと公言していたり、今や日本アニメの代名詞の扱いですが、サード・インパクトと呼ぶのはどうか。
 
 映画「マトリックス」(1999)も、ウィリアム・ギブスン(スチーム・パンクのサイファイ作家)、ジャン・ボードリアール(フランスの思想家)のほか、"Ghost in the Shell"、「攻殻機動隊」(1995)などの日本アニメに強く影響を受けたそうだ。

 "Ghost in the Shell"は、"AKIRA"と並んで、アメリカのちょっとした大学のある街なら、今でも必ずどこかの映画館で上映しているようですが、これもインパクトというのとは違うかな。

 思いつくだけでもこれだけあって、多分私の知らないもっと膨大な事例があるのでしょう。

 ええっと、話を元に戻すと、私個人、フレンチの文法に違和感はあまりない。影響を受けた日本の作家の作品に数多く触れてきているからだと思う。

 かたやアメコミは今でも全然ダメ・・・。ひとりで立って歩けません。

 熱心な友人から、観ろ、読め、としつこく奨められていて、一応買ったけど、へそ曲がりだからずっとほったらかしていた、アラン・ムーア原作、デイヴ・ギボンス作画の"Watchmen"のコミックとザック・シュナイダー監督の映画。
 そしてメビウスの"L'INCAL"(アンカル)。

 "Watchmen"のコミックは英語版。
 アラン・ムーアもギボンスもイギリス人ですが、中身は間違いようのないアメコミ。
 辛かった・・・。ストーリーなどが辛いんではないんですよね。文法なんですよ。
 もちろん、グラフィック・ノヴェルと称するだけあって、テキストは膨大。でも辛いのはそこでもない。
 あー、なんで辛いのか言葉にできないなあ。

 ちなみに映画はビックリするくらい原作そのまま。ザックってば、よくぞここまでなぞったよな、というくらい。アラン・ムーアというのは本当に気難しい作家らしく自作の映画化自体に大反対。契約上本人に差し止める権利がなかったようだが、(原作を完全になぞった)ザックの映画の存在自体、認めていないそうだ。そういう理由で原作そのまんまだったのでしょう。なお、ザック・オリジナルの映画、"Sucker Punch"(2011、邦題は恥ずかしいので書きたくない)は事前の期待が大きすぎただけに、「うーん」でした・・・。

 フランク・ミラーのグラフィック・ノヴェル、"The Dark Knight Returns(Batman)"も"Watchmen"と同時に購入していた。映画「ダーク・ナイト」は面白かったし、ゲームのなんとかアサイラムも面白かったので、「やっぱ食わず嫌いは良くない、バットマンもマジメに読んでみよう!」と思ったらしい。忘れたけど。

 あの映画とは何の関係もない・・・、みたいです。
 最初の数ページで挫折したので、良く知らない。

 ほんとに読めないんだ、と愕然とした。

 英語以外からっきしダメなんで、"L'INCAL"のほうは日本語訳。これは大丈夫。わかる。わかるし、こういう画風?の作家、日本にたくさんいるじゃん!

 ただそれだけが書きたかったのだ。今気がついたけど。 

 あ、アニメの文法じゃなくてコミックの文法の話だった。ま、いいか。  
  

アニメの文法

 EAの悪の公爵のプレゼンの記事でも書いたように、「ファンの声を聴いて」、「全てのプラットフォームをつなげていく」ポリシーでいくと、RPG(MMOを除く)はどうなっていくのかと心配になっている。

 古臭い言い方だが、マルチ・メディアを駆使した(コケむしてるなあ)メディア・ミックス(カビ生えてるなあ)戦略(ほんとは戦術だけどな)であれば、現行路線。 
 Web(ソーシャル)ゲーム、モバゲー、コミック、アニメ、ムーヴィー、サントラ、キャラクター・グッズ。Tシャツ、フードつきパーカー、リソグラフ。最近ではトランプ(プレイングカード)まで出すそうだが。
 これであれば、おそらく(コアとなるPC/Mac/X360/PS3向けの)ゲーム・コンテンツ自体へのインパクトは少ない。現状維持路線が、将来も商業的に有効である保証はないけど。

 一方で、全てのプラットフォームで共通の何か(ゲーム?)をすることであれば、多大な影響がありそうだ。

 コアとなるゲームが(今のような形で)独立してあって、それ以外にそういうユニヴァーサルなコンテンツがある、という世界も想像できるし、それであれば上と同様インパクトはそんなにない。

 そうではなく、プラットフォームは全部融合しちゃってひとつのデジタル環境を作り出すとなると、おそらく上の四つのプラットフォームが主役の座から滑り落ちることになる。PCは元々キメラ(カイメーラ)的化け物だから対応できるかもしれないけど、主役ではない。新しい主役はブラウザなのか、iPadなのかそれは私にはわからない。

 もちろん、カジュアル・ゲーマーの皮を被ったコア・ゲーマーである私は、現状維持を所望するわけですが、その場合、CRPGが絶滅危惧種に陥る危険も無視できない。
(すでにそうなってるという説が嘘であることは最近の大作ラッシュで証明されたが、主流のFPSよりファンベースが一桁小さい、たかがニッチ。依然として危機は続く)
 
 ブラウザ・ゲー、モバゲー(それらがカジュアル・ゲームだと仮定して)などの良質なものが提供されるのであれば、フランチャイズのファンベースも拡大するはずであるから全く悪いことではない。ただし、カジュアル・ゲーからやがてコアのプラットフォーム・ゲームに大量に移住してくるという期待・仮説は、事実として確認もされておらず、私から言わせれば「神話」。カジュアルかコアかどうかは生れつきです。人は、"born to be a casual gamer", "born to be a core gamer"だと思っているから。あ、まず「ゲーマー」として生まれつくかどうかもあるけど・・・。これはみんなそうだろうな。ゲームは古代からあったわけだから。

(人は生れつきヴィデオ・ゲーマーかどうか、となるとややこしい。だがEAによれば全世界の「ゲーマー」は現在推定15億人。そろそろ、そう言い切ってもいいのか・・・インフラのない土地や、(自分が死んだり怪我したりするまでは)ヴィデオ・ゲームよりか百倍面白い本物の戦争をしている地域もあるからね。)

 つまりバラバラにやっていたのでは波及効果が限定的である。規模の経済、範囲の経済は獲得できない(しにくい)。それぞれに開発固定費がかかっちゃうからね。
 そう考えると、やはりEAなどのマーケMBAが考える結論は、「全プラットフォーム融合」のなにかであろう。どんなものかは門外漢の私が考えても想像もつかないけど、EAがFIFAシリーズで実践しようとしているそうなので注目している。

 私が最も重視するRPGのストーリー部分(セリフだけではなく選択だの分岐だの予期せぬ帰結だのなんだの全部含む)はメディアがどうであっても土台「テキスト」ですから、何が起きたところで影響は非常に小さい。悪夢のパターンは、CRPG自体が絶滅する場合のみ。

 影響を受けるのはコンバットなどのゲームプレイ、マップの雰囲気などを含めたドラマ(とその周辺)部分、ヴィジュアルの部分でしょうね。

 そして、ドラマ部分をそれほど気にはしていない私は、何も心配することはないのかもしれないのだが・・・。

 余談ではあるが、MMORPGはRPGとは違う(ダメとはいっていない。まあジェネックなWoWクローンはどうかと思うけどね)と思っているのはストーリー部分を捨象してしまって、ドラマ部分が肥大化しているから。だが、逆に言えばドラマは(例え同じコンテンツでも何が起きるかわからず、どきどき・わくわくするから)根源的に愉しい。ストーリーは(物語はやがて終わるから)根源的に悲しい。
 
(Dark Soulsは、ドラマ部分が奇妙な形で肥大化したRPGということで特筆されるのかもしれない。オープンワールド系のFallout: New Vegas、あるいはまだ見てもいないがSkyrimなども、実のところはドラマ部分が売りなんでしょうけどね。New Vegasは、そこにストーリーまで持ち込もうとした。少なくとも一部はうまく行ったと思っている)

 WoWの有料ファンベースと、ワンタイトルのCRPGの売り上げが桁一つ違う理由はそういうことなのかなー、と思う。しかもWoWの場合課金は延々と続くわけだ。

(WoWが独占状態で、他のMMOは例外なく「その他」である理由は「ネットワーク効果」。上の話にこじつければ、プレイする人数が多いほど「ドラマ」に出会う確率が高い、ってことかな。BioWareはSWTORでMMORPGに「ストーリー」を持ち込もうとしているようだが、果たしてうまくいくのでしょうか)

 演劇に関しては、私はファンですらないまったくの素人ですが、今来日されているシェークスピア女優(映画では007シリーズのMの役で有名)のお話が面白い。
 ダボハゼのように仕事を選ばないと自嘲されている(こっちから言わせれば何だってできちゃうという才能だと思うが)彼女は、ご自分が出演した映画は過去のもの、あまり観ないそうだ。演技をやり直したくなって仕方がなくなるから。一方、舞台は愉しい。毎日、毎回、違った試みができるから。
 
 例えばミュージカルでもよろしいが、同じ舞台をなぜ何度も観にいくのだろう、と他人の行動を疑問に思いつつ、自分こそ好きなミュージシャンのコンサートは(同じ楽曲であるのに)何回も観に行くよな、と気づく。コンテンツは同じでも、毎回違う。MMOはそっちなんですよ。ドラマ。

 そしてCRPG(ソロゲーム)は映画なんですよね。小説なんです。ストーリー。リプレイアビリティってのは、私の場合「まだ見ていないコンテンツ」を見たい、ということでしかない。

 もちろん、映画や小説と違い、ゲームもまた、CRPGは特に、キメラ(カイメーラ)的化け物であるから、私の見方はその一面を見ているだけである。高難易度で再度戦いたいとか、もっとうまくプレイしたいとか、レアアイテムを取りっぱぐれたとか、「やりこみ」とか他にも愉しみはたくさんあるでしょう。

 いつまでもアニメの話が出ないじゃないか? 

 ああ、いつものことです。手ナリで書くとこうなっちゃう。即興、アドリブ命! そこにドラマがある! ストーリーは期待するな(笑)。

 アニメの話は次回に。

2011年10月18日 (火)

悪の公爵登場。

 という表題のジョークすら、誰にも通じないかも知れない。悲しい。

 EAのCOO、ピーター・ムーア氏のEBゲームズ・エキスポでのプレゼン。

http://www.gamespot.com/pc/action/battlefield-3/video/6340347/eb-games-expo-2011-ea-keynote-with-peter-moore

 COOとは、ご存知のとおりチーフ・オペレーションズ(オペレーティング)・オフィサー。大抵の製造業・サービス業の企業の場合はCEO(チーフ・エクゼクティヴ・オフィサー)に次ぐナンバー・ツー。本業(現業)の最高責任者だ。簡単に言うと大店(おおだな)の番頭はんかな。

 SEGA(US)のプレジデントも経験されているが、最も有名なのは、MSのインタラクティヴ・エンターテイメント部門担当のコーポレート・ヴァイス・プレジデントであったこと(日本と違ってあちらのVP、「副社長」は腐るほどいてCOOより格下)。すなわちXBOX、X360部門の親分。EAへの移籍はEA Sports部門のトップに就任するためであったが、家族のいるサン・フランシスコに帰りたかったのもあったそうだ。
 ゲーム業界の前はリーボックに勤めていた。
 イングランド・リヴァプール出身。(フランス人じゃないから、表題のギャグもあまり効果ないな・・・) 

 プレゼンは英語版だが、大丈夫。たったふたつのことしか宣言していない。

 ・EAは、ファンの皆の声を聴いてゲームを作っていくぜ!

 ・EAは、すべてのプラットフォームを結び付けていくぜ!

 ・私は、リヴァプールの大ファンだぜっ!
      (プロ・サッカー・チーム、イングランド・プレミア・リーグ)

 あれ、みっつか。

 9分あたりで、「(EAがSteamにケンカ売ってはじめたオンライン・ショップの)Originのことを皆が嫌ってるのは知ってるぜ。でもみんなすぐ好きになるぜ」と言っているのは受けた。

 NES(ファミコン)時代の「トップガン」を死ぬほど遊んだくらいのゲーム狂だったそうだ。

 要点だけ画像で。

Platform
 全世界ゲーマー人口の推移。2000年には2億人。2011年には15億人。2015年にはどこまで増えるのか。

(画面下半分の絵は、あらゆるプラットフォームを全てつなげていくというEAの意思を示したもの。ゲーマー人口の爆発的な増加は、プラットフォーム百花繚乱によるものである、という意味もある。) 

Sims
 EAの金看板ゲーム、Sims Socialにログインした人。2ヶ月で世界中6千6百万人。オーストラリアの人口の三倍。

(MMORPGの雄、WoWのサブスクライバーは全世界で1千2百万人だが、みな有料課金メンバー。Sims Socialは無料でしたっけ。両者は比較すべきではない数字だが、ソーシャルの破壊力は圧倒的であるという意味でしょう。)

Future
 "Bigger"が一番最初なのを笑っちゃいけないけど(笑っちゃうけど)、EAの今後の進むべき道。「よりでかく、より良く、いつでも、どこでも、どんなプラットフォームでも遊べるゲーム」という宣言は、「よりでかく」がEA独自のポジショニング宣言(競合には模倣困難な点)ですが、他はいまどき普通ですね。
 大事なことは一番最後の行。「そういうふうにすべきだと、ゲーマーのみんなが教えてくれた」というところか。 

Me3
 旬な話題として、最後にはMass Effect 3のトレイラーが上演され、ケーシーも(とてもこの場には出席できないくらい忙しいが)ヴィデオレターでちらっと登場する。 

 ここで私は、ME3のマルチプレイ・モードが"four men co-op"であることを初めて知った。残念、ごくふつうのco-opであったか。

 EAにとっては本来ME3よりずっと大事であろう、FPSのBattlefield 3について新情報はなし。

 上の画像以外の部分でも特に変わったことは言っていないのです。ビジネスでは、そういう点がとても大事ですけどね。(方針に変更がない限り)耳にタコができるくらい、同じことを口をすっぱくして繰り返すのが経営者の役目。

 ところで、リヴァプールの大ファンであることはどうぞご自由にと思うが、他の二点。
 
(なお私事であるが、彼のことをWikipedia(en)で調べて本当によかったと思っている。 リヴァプールの現在のオーナーは大リーグのボストン・レッドソックスのオーナーでもある、すなわちアメリカ企業であることは知っていた。EAはFIFAシリーズで儲けてるくせに、(アメリカ人は)サッカーとかよくわからんから、適当にアメリカ人がオーナーであるチームをファンだと言い張ってるだけだろ、という疑いからスタートしたのである。イチローがいるから、任天堂(Nintendo of America)がオーナーだからマリナーズ・ファンの日本人みたいに。
 ところが、なんとご本人はリヴァプール生まれのイングリッシュであった。悪口言う前には相手のことをちゃんと調べましょう、という好例。それからアメリカ人がサッカー音痴というのも最近は変わって来ているらしいですね。私自身サッカー音痴なのでわからないけど)

 「ファンの声を聴く」と「全てのプラットフォームを繋げる」。
 それら自体は何も悪いことではなくごく普通のことです。

 そして、ご本人も「何も『カジュアル』っていう意味じゃねえぜ」と言われているけど、それは「ほおっておけば『カジュアル』に偏向するから」でしょう。 

 悩ましい。とっても悩ましい。

 Atariがカジュアル・オンリーに路線を切り替えたのは、そもそも資金がないから。ビッグ・ゲームを作れないからだ。これはしょうがない。
 だが、弱肉強食の恐竜世界を生き残ってきたEAまで、そっちに行ってしまうと・・・。 

 かたやもう一方の生き残り、ActivisionBlizzardのBlizzardのほうは、Starcraft 2でも、来年リリース予定のDiablo IIIでも今のところ頑なにPC/Macオンリーを貫く構え(次世代MMOのTitanも今のところPCオンリー)。ここはハッキリと違いが出ている。

 上の"Bigger"は、もちろんBF3のことであり、FIFAやマデン・フットボールのことであり、Simsのことである。今回は登場しなかったがBioWareのMMO、SWTORのことも含むでしょう。
 OriginをSteamに負けないくらいに育てるということでもあるでしょう。

 RPGはどうなっちゃうんかなあ。今までのように、三大(Macを入れれば四つだが)プラットフォーム向けのコアゲームを中心に、Web(ソーシャル)ゲーム、コミック、アニメ。ムーヴィーというフランチャイズ展開のままなのか、それともFIFAシリーズで目指そうとしているらしい、全プラットフォーム(上の画像ではiPhone、iPadは当然、3DSもWiiも入ってるんですけど)共通の何かをやるのか。

 後者の場合、水は低きに流れる。悪貨は良貨を駆逐する。その恐れは拭い去れない。(Blizzardはまさにそういう理由もあって、コンソール向けにすら展開をしていないのでしょう)

 「ファンの声を聴く」と言っている「ファン」って誰のことだろう、ということですかね? 

僕だけのものっ!

 産経新聞、黒田記者、知る人ぞ知る半島国ウォッチャーであるが、面白いことを書いていた。

 かの国は今や躍進も著しく、同国のフラッグシップとも呼べる某企業はジョブズ逝去の弔問期間もまだ終わっていないのに、iPhone4Sにガチでケンカを売りつけるほど。
 日本の工業界の最後の拠り所、(空母ドロスならぬ)トヨタ自動車も猛追されて安穏としていられないとか。
 自信を完全に喪失しているその他の日本企業は、「かの国へ学べ」と、またこの国の思考停止の悪い癖を発揮して大合唱。

 そういう話は、どこにでも書いてあるのでここではやめておく。ただ、ニューズウォーク日本語版にたまに執筆している半島国出身のライター氏は「あんな極端なまでの受験地獄、出世地獄の世界を真似したいなんて、日本人はほんとにものがわかっていない」と嘆いていた。彼によれば、敗者は本当に惨めな敗者となる世界。おそらくだから、彼はそれを嫌って(何事についてもぼんやりしている)こちらに住み着いたのであろう。こちらはそんな熾烈な世界は想像するしかないが、もちろん想像はつかない。

 お話はそこではなく、その、田舎チームが全国区の人気チームになったような大躍進について、黒田記者がこのように感想を吐露している部分。

 「筆者をはじめ昔からの(半島国)ウォッチャーたちはどこか落ち着かない。手のひらにのせ、ためつすがめつ、なでたりさすったり、長い間、そっと大事に育ててきた、他人には相手にされず自分だけのものと思ってきたモノを、取られたような気分というか。」

 文章ではあまり伝わらないかもしれない。彼のいつもの文章にもまして読点(、)が多いのが彼の「思いのたけ」なのかもしれません。

 こういう「取られたような気分」に由来すると思われる行動。最近であればなんとか48など、アイドルやタレントなどのファンに注目していると頻繁に観察できる。

 なお、あの「劇場」のあるビル。あの界隈。ちょうど劇場がオープンした頃(2005年だそうだ)には、まだゲームのオンライン販売が充実していなかったせいもあって、仕事帰りにもっぱら洋ゲーを仕入れるためよく出入りしたし、もちろん劇場がオープンしたことも知っていた。だが、誓って言うが、「劇場」自体には一度も行っていない!
 あのあたりの地理に妙に詳しいので、最近身の回りの人たちから完全に疑われているが、いまだに(全部で何人いるか知らないが)3人しか識別できんのだよ。騒がれていた1位と2位が誰かすら知らない。トラスト・ミー!
 
「僕だけが知っていた頃はよかった、あの頃が身近な存在だった。あの頃がサイコーだった。人気が出た今はダメだ。わけのわからない大衆に迎合しはじめた。新しいファンは何もわかってない。手垢がついた。汚されてしまった! 奪われてしまった! もう僕の知っていた、愛していた存在じゃない!」

 この気分を表現するのにアンビヴァレンス(ambivalence)、表裏一体の愛憎を抱くこと、を使うのは時間差の概念が希薄であるからちょっと違うかもしれない。(ちなみに日本語でよく「アンビバレンツ」と言うのは、アリスソフトとは関係なく、ドイツ語ですね。あー、誓って言うが、あの界隈のそういうソフトの売り場にも立ち入ったことはないっ! ・・・社会見学としてニ、三回だけ・・・)

 むしろ「かわいさ余って憎さ百倍」と言うことわざに、時系列のニュアンスがあるのであれば近いかもしれない。ただし、そのニュアンスがあるのかどうかは良く知らない。

 人気が出れば出るほど、登場するチャンスが増えるのだから、ファンが出会えるチャンスは増えるはず。それよりもなによりも、「トップアイドルになりたい」という本人たちの夢に近づいていくのだから、本来ファンとしては喜ばしいはずなのだが・・・。

 こうした「気分」、私には元々あまりない。Dragon Age だろうが、Mass Effect だろうが、もっとずっと人気が出ればいいのにと思っている。ここでたまに紹介する(どちらかというと好事家向けと呼ばれる)サイファイ作家にしても、もっと読まれればいいのに、と思っている。
 そうでなければ、こんなところで露出シュミのブログなど、はなから書かない。

 例えばアニメなどでも、オリジナルから付き合ってきた「ガンダム」、「ヤマト」などは人気が出れば出るほど、作り手は懐が暖かくなって続編なり新機軸なりが登場するわけだから、「もっと売れろ!」と思っていた。残念ながらどちらも、人気が爆発するまでには長い雌伏期間が必要ではあったけど。

 ただし、余談であるが、私には根本的に「アンチ・主流派」という本性がある。だから、最初から問答無用みたいな感じで人気沸騰しているところ(例えば"ONE P**CE")には行かない、最後まで永久に行かないという癖がある。よって入り口レベルでは、どちらかというと少数派の世界(例えば"銀魂")に入る確率は高いのですけどね。

 実は高貴な生まれなのにも係わらず、事情があって田舎で育ったから(田舎メディアではそれしか報じられなかった)読売ファンである。これは例外。親の影響も大。ガキだったしな。でも本当に面白くなったと思われるのはどこが勝つかわからなくなった最近である。

 4Gamerの失敗企画、読者レヴューはそろそろ考え直したらどうなんだろうと思う。 

 "Dark Souls"に関する内容で、今、上のような「気分」の発露が多く観察される。

 これ以上は言わない。レヴューなんだから「感性」も大事だし、「前作に比べて」などのメタ的な評価が混入するのも仕方がないだろう。
 だが、あまりに純粋にむき出しに「もう僕の知っていた、愛していた存在じゃない!」という話を聴かされると、こちらの「気分」がかなり悪くなるのも事実であった。

2011年10月17日 (月)

【DA2】MotAはじめました(ロング・ヴァージョン)

 ・・・例えばこの、MotAはじめました。きっとこの言葉の裏には、こんな物語があったんだと思う。

♪ あのフェリシアのせいで メンツの枠が足りなくて

 パーティーバランス取るため何度も思い直して 本日

 三人目ローグ主人公 メイジ抜きパーティーでとうとう

 MotA(エム・オー・ティー・エイ) はじめました

 スカイ・ホラー刻んでる間 タリス勝手に死んでたけど MotA はじめました

 アルファ・ワイヴァーンと戦うときにも チョロチョロして多大な被害

 MotA はじめました

 ちょくちょく斃れるタリス 知らぬ間に主人公まで巻き沿い MotA はじめました

 (間奏、ハーモニカ・ソロ)

 三月にこのブログはじめてから はや半年が過ぎて

 容量もそろそろやばくなって来た時期 新ブログに引越し 

 読者不足でヴューの量 徐々に徐々に減らした MotA はじめました

 ついにやってしまった不人気ブログ 途方にくれる毎日 MotA はじめました 

 マイクが余計なこと言うから 急激に厳しくなったファンたち

 久々に見たスコア クソゲーのメタスコアにうりふたつ

 突然現れた The Witcher 2 なるライバル MotA はじめました

 絶え間なく起こる ヘイター論争 なぜ人は傷つき 傷つけあうのだろう

 MotA はじめました

 MotA MotA MotA はじめました ♪

 ・・・お客さん注文は? お客さん?

 あ、えーと、Skyrim。 

 (ご注意)声に出して唄わないでね。そこまで語呂は合わせてない・・・。 

(オリジナルPVはこちら)

 http://www.youtube.com/watch?v=X6AUxVRc2dk

2011年10月16日 (日)

【DA2】冷やし中華はじめました?

 極悪非道プレイを進めていたので、なかなか(精神的に)のらなかった三人目ローグ・ビッチのプレイスルーようやくさきほど終了。

 初のテンプラー支持。そのほかも前のふたりとは色々変えた。

 詳しくは行く行く機会があったら。

 MotAのセリフが面白い、というのではじめたが、最初の二回は、アヴェリン・ベサニー、アンダース・カーヴァーという縁故重視のメンツであったので、言うほど面白くない。

 しかもバンターの鉄板と思われるヴァリック、フェンリス、イザベラ、そして意外に受けているらしいメリルがまだ登場しないのだ。
 それであせって三人目をゴールさせた次第。四人目(メイジ男子)はAct2を終わらせ、Act3に突入。

 でも・・・。

 タリス枠占有きっついよ・・・。

 ウォーリアー、アヴェリン、ベサニー、タリス。

 メイジ、アンダース、カーヴァー、タリス。

 ここまではなんとか、バランス構成。

 三人目MotAをプレイしようとしてはたと困った。(レガシーはずっと前に終了している)

 ベンチを見回すと、残りのロースター(メンバー表)は・・・。

 フェンリス、ウォーリアー。
 ヴァリック、ローグ。
 イザベラ、ローグ。
 セバスチャン、ローグ(そう。アンダースはあんなことになっちゃったの)。
 メリル、メイジ。

 そしてホークはアサシン・ローグ・・・。

 ファーストばっかり残っている(昔の)ジャイアンツ・ベンチかよ!

 ローグ四人残りました。そして主人公もタリスも、ローグ。

 この連立方程式は解けねえーーーっ!

 IGNの記者が、フェリシアに唆されてメイジ抜きパーティーで戦って鼻水出たと聴いていたのもあって、びびり倒し。

 でもしょうがない。面白いセリフが聞きたい!

 ローグ主人公、フェンリス、ヴァリック、タリス。

 メイジ抜き。でもフェンリスがいるし、主人公はアサシンなんでボス単体には滅法強い。
 ポーションガブ飲みでなんとかなるかしら。

 このメンツではじめました。

 これはまだいける。でも次は?

 メイジ主人公、メリル(ロマンス)、イザベラ/セバ、タリス。

 勝てんのか、これ?! いけるのか、これ?!

 なんか、あのギター弾き語りで「冷やし中華はじめました」を唄う彼のような、物悲しいエレジーが聴こえてくるのです・・・。

 メチャクチャな構成のパーティーの影には、ブログ主のこんな物語があったと思っていただければ幸いです。

 ♪あのフェリシアのせいで メンツの枠が足りなくて
  パーティーバランス取るため何度も考え直して 本日 
  三人目主人公 メイジ抜きパーティーでとうとう MotA はじめました♪

(オリジナルをYouTubeで何度も聴いて書いてるんだ、こっちはよ!)

 ♪夏に間に合うように 春先から取り掛かって
  味にナットクするまで何度もやりなおして 本日
  十二月二十日 うちのラーメン屋でもとうとう 冷やし中華 はじめました♪

 

【DA2】DA3への期待(5)

 最後、五回目はBioWareはDA2で喪った名声をいかにして取り返すか? 

 それはファンが考えることじゃないだろう。

 私の答えは、「イヤなら来るな」。「お前に食わせるチーズはねえっ!」

 http://greywardens.com/2011/10/da3-qa-question-five/

 以上で? まあ暇だしな。

・コンパニオン面を強化、イントロから四つに分岐しエンディングに戻るパターンに戻るべき。
 一般的に言われていることははっきりしている。コンバットがアクション寄り過ぎる、マップ使いまわし過剰、コンパニオンとの関係が希薄、選択が本当に結果に影響を与える場面が少なすぎること。

・DA:OとDA2の見事な融合。

・DA2は新しいスタイルで新しいストーリーを語るというとてもチャレンジングな試みではあった。DA:Oのファンを取り戻したいなら、DA:O寄りとDA2寄りの間のバランスを取る。

・電車道ストーリー、原因と結果の関係がずっと後になるまで不明。プレイヤーに選択権がないと感じられてしまう点。

(訳:省略しますが、この人のDA:Oのジェニティヴィを探すクエストと、DA2のテンプラー・ケランを探すクエストの対比は面白く、そして説得力がある。)

・選択が結果になんの影響も及ぼさない場合が多すぎる。

**********

 な。素人が考えたってこんなもんだよ。
 だいたい生活かかってない奴が何言っても言いっぱなしだよ。

 そういう点は今までも散々騒がれた。DA3でどう料理するかは、BoiWare次第。

 しょせん商業ゲームは(いや、ほとんどの工業・工芸製品は)、"Take or leave."、「いやなら帰りな」なんですよ。違うのは電力とかガスとか水道とかライフラインくらいか。

 そして、これだけはお願い。「ファンが求めるもの」に追従するのなんて、ゼッタイやめてくれ。愚策も愚策。ほんとにDAが滅んじゃう。商売根性じゃなくて、デザイン魂を発揮して欲しい。

 だってそれやったら、究極的にはDragon AgeをFPSにしなくちゃならなくなるでしょう。あっちユーザーベース2千万人とかだよ? こっち2百万から3百万なのに。多くのファンが求めてるのはFPSだからな。

 ただし。

 できましたら2012年暮れくらいにリリースが嬉しいなあ・・・。

 待ちくたびれて死んじゃうもんなあ。

 

【DA2】DA3への期待(4)

 第四回は、DA3にどのキャラクターが再登場するか(してほしいか)という質問。
 継続性(辻褄。レトコン、レトロ・コンティニュイティ)にも絡む問題です。

 ちなみに私の予想(希望)を言っておくと、フレメス、レリアナは鉄板でしょが、モリガン、カッサンドラが希望。あとは・・・、いいんじゃね?

http://greywardens.com/2011/10/da3-qa-question-four/

 (以下、DA:OとDA2のキャラクターの運命に関するネタバレあります。ご注意)

・DA2にも登場したレリアナが、シーカーという役割からみても。ザ・ディヴァインそのお方と懇意であること(「レリアナズ・ソング」と「セバスチャンDLC」参照)からも、DA3に再登場は固い。コンパニオンとしての登場は望みすぎだが。
 そのほかのキャラクター、あるいはウォーデン、ホークですらちょい役でも出ればうれしい。

 (訳:レリアナはシーカーだったっけ? 「シスター」を名乗ってるんだから、シーカーとは別組織じゃなかった? あのDA2エンディングのシーカーの鎧は偽装だったような気がするのだが。調べると"Faith"で登場する時点ではそうではないが、エンディングの時点ではシーカーに参加しているそうだ。
 ところでこの人(スティーヴ)は、以前ウォーデン/ホークの再登場は継続性の問題とルックスの問題があるからダメと言っていなかったっけ? 節操ねえな)

・ストーリーテラーとしてヴァリック、ただしカッサンドラよりも同情的な聴き手を希望!
 オーザマーのベーレン/ハロウモントの再登場もうれしい。DA2では無視だった。
 エルフもDA2では若干おざなりの扱いだった。キーパー・ラナーヤ、あるいはシアニの再登場はうれしい。

・フレメス。ゴッド・ベイビー。

・DA2のコンパニオンでも、アンダース/ジャスティスの物語だけはまだ終わっていない気がする。次点でヴァリック。

・ウォーデン/ホーク。

**********

 これまでずっと考え抜いた結果なのか、意外と保守的ですな。一個一個撃破して行こうかと思ったのだが。

 レリアナは鉄板だと思う。DA:Oのあるパターンでは「死んだはず」なのに、BioWareはそれをチャイにしちゃった(チート・デスさせちゃった)から、もう無敵。
 でもコンパニオンはないかな。

 ウォーデン・ホークは、ちょい役、噂ならあるかもしれない。ちょい役の場合、例え後姿だけでも「私のウォーデン/チャンピオンは女(男、エルフ、ドワーフ)だよ!」問題が発生するけど。あと、ウォーデンが「死んだ」場合のレトコン問題はある。

 ヴァリック。決して死なないのでレトコン・チェックOK。結構重要なゲストでは登場すると思う。あの声優(本職俳優)のあんちゃんしだいかなあ。

 カッサンドラも同じ理由でOK。メイジ・テンプラー抗争の続きなのに、彼女が登場しないのは不自然。コンパニオンかどうかはわからないけど。

 オーザマー。生き残ってるほうの統治者ですね。全然おかしくないと思う。
 ただあれから十年経ったんだよねえ。ゴーレムを復活させていないと、統治者はDA:Oのアフターマスで死んじゃう(暗殺されちゃう?)んだよね。時間軸はハッキリしてなかったけど。でもオーザマー再訪はありそうかも。

 キーパー・ラナーヤ! 私だってそれはDA2リリース前から希望してたの。でもね、ザスリアンが死なないケースもあるからね。あと、口にしたくないけど、デーリッシュ皆殺しのパターンがありますね・・・。
 ま、ふたりセットで出てもいいんだけど、DA2ではキーパー・マレサリの部族中心だったので、混同しそうだなあ。

 シアニお姐! 私だってそれはDA2リリース前から希望してたの。 彼女も必ず生き残るとは限らないんじゃなかったかな。シティ・エルフ・ウォーデンじゃないと絡みも薄いしね。

 フレメス。鉄板。

 ゴッド・ベイビー。すなわちモリガンですね。これは祈るような気持ちですねえ。ぜひ出て欲しいが。すべてのインポートファイルにゴッド・ベイビーがいるわけじゃないんで、レトコン問題の代表格ですね。
 ゴッド・ベイビーの有無に係わらず、エルーヴィアンは一方通行だって言ってたしなあ。

 アンダース。ついさっき、とうとうアンダースを処刑する選択肢のプレイスルーを経験しました。アンダース/ジャスティスとして考えれば、再登場はできなくはない。

 上に列記したメンツが(ドワーフ、エルフはともかく)、まあ当然想起するメンツですね。
 そのほかのコンパニオンは(まだ生きていれば)顔出しで再登場する人もいるでしょう。

 ゲイダーさんのDA新作小説に登場するというシェイルとウィン?のほうが、逆にDA3に顔出しする確率低いかも。 

 当然思いつくのは、DA:OのLI(ロマンス相手の)アリスター、ゼヴランあたり。DA2だと、イザベラ、フェンリス、メリル、そのほかのメンバー、アヴェリン、セバ、ホークの妹弟も出しやすい?

 バン・ティーガンもMotAに登場するなど、ここまで引っ張ると思わなかったので、ちょい役でまた出るんだろうね。その線で行けば、オーレイ・フェラルダン間にまた戦争の危機があるとしたら、レッドクリフだけじゃなく、同じく国境に近いクースランドの領主であるファーガス(ウォーデンがヒューマン・ノーブルだった場合、兄にあたる)とか。
 カークウォールの脇役だと、テンプラー・キャプテンのカレンくらいしか残ってないかな。昇進してるだろうけど。「スター・ウォーズ」のウェッジじゃないけど、三部作を通じて生き残り、どんどん昇進していく(ヒラ、キャプテン、コマンダー)ってキャラもいいかも。

(余談ですが、カレンにもレトコン問題あるんですね。DA:Oウォーデンがメイジ女性の場合で、サークル・タワーでライト・オヴ・アナルメントを発動しない場合、アフターマスではカレンは頭がおかしくなってメイジを殺して逃亡してしまう。
 女性メイジ主人公をずっと恋焦がれていた思いと、テンプラーの任務遂行との葛藤によって心が歪んでしまったという設定だそうだが、私のDA2メイジ主人公にインポートしたファイルはまさしくそれ。でもカレンは普通だったんだよな?)

 ボウダン・サンダル親子はもう再登場が確定の扱いなので誰も記載がないですね。

 脇役で思い出した。あたしは、あの、オステガーDLC以来待ち望んでいるのですが。オーレイの女帝セリーネ一世そのお方にぜひご登場願いたい。

"Her Imperial Majesty is many things, 'careful' not being one of them." - Duke Prosper

【DA2】DA3への期待(3)

 すでに前回自分の予想は書いてしまったが、三番目の質問は、DA3の舞台はどこか?

http://greywardens.com/2011/10/da3-qa-question-three/

・オーレイが鉄板で、ほかにテヴィンター。チャントリー弱体化を奇貨として帝国の版図をもくろむものの、クナリと対峙していて動きが取れない。「自由メイジ」を手に入れてパワーバランスを崩すことができる。 

・オーレイを期待する声が大きいが、他にも新しい土地を見せてくれるだろう。ネヴァラ、リヴァイン、アンティーヴァなどが出てもおかしくない。個人的にはテヴィンターも登場することを希望。

・自分はここですでに、オーレイ、アンティーヴァ、テヴィンターという予想記事を書いている。

・(まず可能性はなさそうだが)グレイ・ウォーデンの総本山ワイズホプト。そこに訪れないのであればテヴィンターが面白い。 コリフェウスの関連でも出てくるかもしれない。

・テヴィンター、オーレイ、アンティーヴァがありそうで、オーレイは確実か。オリージャン・アクセントには辟易しそうだが。BioWareのことだから、まだ未登場である大陸の色々な土地に訪れるようにするのではないだろうか。クナリ関連の話が多くなってきているので、パー・ヴォレンもあるかも。

**********

 ち、ワイズホプト出てきやがったか。大穴狙いだったのに。

 オーレイが鉄板、テヴィンター有力、アンティーヴァ人気ありというところですね。
 
 BioWareのことだから、と言うのであれば、すでに登場したフェラルデン、カークウォール(主要な建築物はドワーヴン・メイクですが)などと決定的に建築様式が異なる土地を登場させるとしたら、相当な開発負荷がかかるということは言わなければならない。ひとつ街を増やすなら、特徴ある地形だけではなく、建築、服飾、その他こまごました生活レベルの文化デザインまで丸ごと必要だ。 

 オーレイの建築様式はフェラルデンともドワーヴンとも全く違うはずだ。(MotAのシャトー・ヘインの城塞はオリージャン・メイク)。街ひとつ創造するには、基礎デザインレベルからはじめないといけないでしょう。

 テヴィンターも同様です。ただしテヴィンターは(カークウォール占領時代のように)建築分野をドワーフに委託しているというのであればカークウォールの発展形でいいかもしれない。

 そうした大都市を新たに登場させるとしても、がんばってせいぜい三つかなあ・・・、と勝手に思っている。私がアンダーフェル(ワイズホプト)を主張しているのは、実は要塞以外にめぼしいものがなにもなくても辻褄があうからだ(笑)。

 同様に、私はほとんど興味がないのだが、クナリのパー・ヴァレンもモンゴル民族(ゴールデン・ホード)か、アメリカ・ネイティヴ・インディアンのような暮らしぶりだと思われるので、開発負荷いらない(いや、これ大真面目だよ?)。

 よって、建築様式からみた私の読みは次のようなもの。

・オーレイは首都ヴァル・ロヨー大宮殿を含め、チャントリーの総本山カシードラル(大聖堂)、郊外のオリージャン・ウォーデン拠点、有力シェヴァリエの拠点、悪名高いエイリアネイジを含む市街地など、複数拠点を含め丸ごと開発。つまり最低でもDA2カークウォール・クラスの街を創出。

・テヴィンターは首都ミンラソウス市街地、チャントリー(ブラック・ディヴァイン支配下)、支配層セネター(元老院かな)らの集う大議事堂などこれもフルセットまでいかないが大規模に開発。

 このふたつでもう、理屈上DA2の開発負荷の倍いってるわけですね。
 それ以外にも野外拠点がある。テヴィンターつながりで太古のエルフの廃墟なんて出したらさらに大変だ。

 しかも、オーレイはセダス文明の文化の中心、ヴァル・ロヨーは花の都パリ。
 テヴィンター帝国もかつての勢いはないとはいえ、古のセダスの覇者。
 デネリム(すなわちロンドン)みたいにこちゃこちゃとせせこましい掘っ立て小屋が並ぶような街並みではナットクされないでしょう。

 時代考証を無視していえば、ヴァル・ロヨーの宮殿はベルサイユ宮殿、カシードラルはノートルダム大聖堂あたりの規模感がないと。 お、ルーブルなんかもいいね。(自分で作るわけじゃないから言いたい放題だな)

 なぬ、であれば、ミンラソウスにはクレムリン大宮殿か、はたまたベルリン大議事堂か?
 いや・・・。BioWareもテヴィンターがソビエト・ロシアともナチス・ドイツとも言っていないからね・・・。リアル地球の中世にはモデルが存在していない扱いだし。(ただしアンダーフェルはドイツがモデルという設定なので、暗黙裡にテヴィンターはロシアなんだろうかね)

・そのほか、ワイズホプト(ツンドラです)のようにあまり開発のいらない拠点が複数。
 パー・ヴォレンもその口。湿地帯とかジャングルでしょうね。

 よって、ネヴァラ(モデルはスペイン、首都ネヴァラ・シティかカンバーランド)、アンティーヴァ(モデルはイタリア、アンティーヴァ・シティ)、リヴァイン(モデルはギリシャとか中東の今のレバノンかイスラエルあたり?)、首都ディアスマイド、あるいは海賊艦隊の名前にもなったロメリン)など登場させるとしたら、ある拠点ひとつかその周辺のちょっと見せかな、と思っています。

 もちろん、アンティーヴァもフルセットで開発してくれるなら、うれしいですよ。
 ただ、骨の髄からイタリアーンなはずのアンティヴァの建物などの風景がカークウォールと一緒、コピペってのは、ちょっとどうかと思うよ?

 そういえば、私はカークウォールは地中海に面したトルコ(イスタンブール)かギリシャのイメージだったんですが・・・。

 まじやばい感はいまや完全にギリシャですな。

 

2011年10月15日 (土)

【DA2】DA3への期待(2)

 さて、第二回。DA3のプロット、ストーリーラインがどこに向かうだろうか、と言う質問にgreywardens.comのスタッフが回答している。

http://greywardens.com/2011/09/da3-qa-question-two/

・シーカーが前面に出てくる、中心になるのではないか。プレイヤーが選べるか、それともコンパニオンで登場するかに係わらず。
 叛乱メイジについてはプレイヤーはセダス大陸のメイジの運命を決める重要な立場であろう。
 またフレメスとモリガンの対決を期待したい。メイジの運命を左右する立場で登場するかもしれない。よほど邪悪で気が狂ったような目的なければフレメスにつきたい。

・メイジの叛乱はDA3のごく一部であろう。他にも多くのポイントがある。フェラルデンとオーレイの間の戦争勃発の危機、オーザマー・ドワーフの危機、メイジの叛乱がなくても、カークウォールの街自体がディーモンをひきつけると言う事実。テヴィンターとエルフの間の太古の戦争にしてもまだほのめかされただけである。

・物語の中心がウォーデンでもホークでもないというなら、チャントリーを中心とした物語となり、シーカーに焦点があたるかもしれない。オーレイが重要な役割を果たすというヒントもあった。チャントリーの本山はオーレイの首都ヴァル・ロヨーである。またコリフェウスの登場によって、マジスターたちの盛隆やグレイ・ウォーデンの関与するサブプロットもあるかもしれない。

・メイジ・テンプラー抗争が中心であるのはわかっているし、ホークの物語はまだ終わっていないという話もあった。DA2でホークが選んだ道でDA3の主人公の道が決まるのではないか。デヴィッド・ゲイダーは、DAは究極的にグレイ・ウォーデンの物語と語っていたはずだ。コリフェウスの登場に伴って次のブライトの勃発もあるかもしれない。

・Mass Effect 3の大団円と似てしまう恐れがある。DA:Oを超える危機を創出しなければならない。DA:OやME3のように同盟を数多く集める話になるのではないか。あるいはそういう批判を受けているので敢えて変える道を選ぶのか。
 フレメスとモリガンの対決はあると思う。プレイヤーはどちらにつくか選択を迫られるだろう。ジ・アーキテクトの計画が蘇るかもしれないし、メイジの役割は向上するのではないか。

**********

 まとめると、

 ・メイジ・テンプラー抗争(チャントリー、チャントリー・シーカーも含む)
 ・フレメス・モリガン抗争(プレイヤーに選択を迫る)
 ・ウォーデン・コリフェウス対決(次のブライト?、アーキテクトの計画?)

 ここら辺が多数意見。下の少数意見も、実は上のプロットラインにこじつけることができる。

 ・オリージャン・フェラルデン戦争勃発(メイジ・チャントリー問題と関連しているともいえる)
 ・テヴィンター・エルフの太古の戦争(フレメス・モリガン問題がなんらかの関係?)
 ・オーザマー・ドワーフの危機(コリフェウス問題と関連しているともいえる)

 私個人のDA3に登場する舞台の予想は、オーレイ、テヴィンター。アンダーフェル。
 それからすると、テヴィンターの影が薄い結果となっております。アンダーフェルは大穴狙いだ。固く行くならオーレイ、テヴィンター、アンティーヴァの三連複でしょう(かなり冒険していて固くもないが)。

 だがセダス全土を巻き込む大変化の中、メイジ支配国家でかつ侵略好きなテヴィンターがメイジ・テンプラー抗争になんの関与もしないのはおかしくね? 
 
 もちろん、メイジ・テンプラー抗争の後ろ盾がそれぞれフェラルデン・オーレイとなって、やがて両国の代理戦争化するという読みがありますね。それでも全土じゃないよなあ。 

 Mass Effect 3でシェパード艦長の物語は終わるというのは公言されていますが、Dragon Ageは三部作で終わるって話はたぶん誰もしていない。ME3に似てくるもなにも、地球が(人類が、銀河が)危ないっていう話だったら、(商業ゲームとして造る限り)どれもオチは似てくるに決まってるわな。「ヱヴァ」オチとか、「イデオン」オチとかはないよ。

 ありゃ、物語の舞台の話は次回だったのか。まあいいや。

【DA2】DA3への期待

 本当はこういう記事も新ブログのほうでやるべきなんでしょうが、こちらに比べて、新ブログMotAの読まれなさぶりが深刻なので、どこまで読まれないのか、ちょっと試験的に隔離実験をしています。

 ああ、Redemption? 見てねえよ。おもしろいの? つうかただで見れるの?
 お、YouTubeか。Episode1。

http://www.youtube.com/watch?v=-093SQo9NWM

 最近はYouTubeにもキャプションがあるのか。これは便利だ。

 クナリが・・・。えーっ。テンプラーが・・・。えーっ。これでいいのか?

 この短期間で再生回数50万回ってのはやっぱすごいのでしょうか? 12000人の高評価と800人の低評価。6%のヘイターか。私のセオリーだと必ず10%はいるはずなんだが。もちろん視聴者がのべ50万人ではないとしても、評価している人はそんな割合なんだね。

 国別で見ると、欧米の英語圏はともかく、ブラジルか。そしてなんとロシア! 娯楽がないんだろうかなあ・・・。日本はやっぱダメみたいですね。英語版だから。

 まあ、おいといて。

 greywardens.comの記事。

http://greywardens.com/2011/09/da3-qa-question-one/

 まだ正式に開発が発表もされていないのに、気が早い。そんなに間が開いたらつかれちゃうんじゃないの、と心配になるが。

 5回連続で、greywardens.comのスタッフたちが、DA3への期待、予想、要望などを書いている。

 またしても非常に長いので、私が気になった点、お、それいいね!という点だけまとめます。

 第一回目はゲームプレイ・メカニズム。よって丸ごとパスします。

 ん?

 だって、それはデザイナーや開発陣の専権事項だろ? 
 ストーリーとかキャラクターとか設定、その継続性(コンティニュイティ)できゃっきゃきゃっきゃ騒ぐのはファンの特権だが、メカニズムは違うでしょうよ。じゃあファンに造れますか?

 とはいえ、まるでサボっていると思われるとあれだし、読んでみるとなにもコンバット・メカニズムだけの話でもないようなので、超さわりだけ。

・DA2のコンパニオンとの会話システム(いわゆるホームベース制)はよくない。DA2のコンパニオンはあまりに見た目どおりで、Originsのレリアナのような「実は・・・」という瞬間がなく物足りない。

・DA:Oの無言の主人公、オープンエンドの世界とDA2のセリフつき主人公、電車道の世界。どちらもファンがいる。バランスを取るのは難しい。

・マップ再利用過多は修正されそう。だが選択肢の意味がないとみなされている点のほうが重要。ストーリードリヴン・ゲームでは元々難しいが、少なくともDA2はそういう評価が定着してしまっている。些細な点だがタクティクスは複数セットを保存したい。

・モブの時間差湧き(波状攻撃)。戦術が組めない。マップ再利用。初めて訪れるはずの場所の構造をすでに知っていて戦術をたてられるのはおかしい。

 最後のは同じ人のふたつの意見。矛盾してますけどね。最初にモブの全容がわからないと戦術がたてられない、でもマップがわかっていると戦術がたてられてしまうのでおかしい。

 そうじゃねえんだ。時間差湧きが多用されたのは、そもそもマップの数も広さも圧縮したから。狭いマップでバトルを濃密にしなかったら、スッカスカなプレイになるから苦肉の策。
 だから、マップの数を増やして使いまわしの頻度を下げるなり、広さを十分に取って再度訪れても驚きがあるようにするしかない。それはBioWareももう気がついていますね。

 一番最初の(スティーヴの)、コンパニオンのホームベース制がしっくりこない、というのは耳新しい意見だが、他はすべてリード・デザイナーのレイドロウ氏本人や、プロデューサーのメロウ氏が改善を約束している項目だ。
 またスティーヴの指摘(ホームベース制ではコンパニオンにコミットできない、コンパニオンが見たまんまで驚きがない)というのも、どちらかというと私はやはりコンパニオンに関する選択肢(ロマンスやプライベート・クエストの展開)が狭いから彼が不満に思っているのだと思う。(なにしろDA2では、心に決めた相手に失恋をするのは難しいのだ)

 それらも含めてDA2は短納期が元凶というのが私の意見。DA3がより面白くなるためにはヴォリュームの拡充が必要で、ファンには残念だがそれにはやはり時間がかかるのは覚悟しないといけないと思う。

【DA2】マイクすまんかった。

 MotAに関して、先の感想記事でマイク・レイドロウ氏がまた紛らわしい余計なこと言ったと書きました。

 申し訳なかった、まだ見ていない部分の話だった。

 感想記事(ネタバレあり)は修正しておきます。

 中身はともかく・・・、あることはあったので、謝っておきましょう。

 どうもすいません!(なんで顔が怒ってる?)

【DA2】MotA GameSpotレヴュー

 これは正直意外でした。

 GameSpotのケヴィンが、Mark of the Assassinをレヴュー。しかも7.0とDLCにしてはかなりいい評価。

 まず、GameSpotはMotAをシカトしてレヴューしないのではないかと思っていた。
 万が一レヴューされても、Legacyが5.5(X360、PC)と酷評であったことからみて、そこから大きく違うことはないのではないかと思っていた。(Legacyはボス戦などがバグったという指摘で減点されているので、それがなければおそらく6.0くらい)

 軽く読んでみる。ちなみに評価対象のプラットフォームはX360のみ。

http://www.gamespot.com/xbox360/rpg/dragon-age-ii-mark-of-the-assassin/review.html

良い点

 ・タリスは面白くて賢い新メンバー。
 ・環境は以前よりもゆったりと広く、そそられる。
 ・ユーモラスなセリフとストーリー設定。

  • Tallis is a fun and clever new party member
  • Environments are more spacious and inviting than before
  • Humorous dialogue and story situations.

悪い点

 ・ステルスプレイがバグっぽい。
 ・たまにユーモアがすべっている。
 ・オーディオ不良。

  • Buggy stealth gameplay
  • Some humor falls flat
  • Some clumsy audio details.

 まずMass Effect 2の「カスミ:ストールン・メモリー」との間での設定、プロット、キャラクターなどの類似性について触れ、BioWareのプロットアイデアの井戸もそろそろ枯渇しはじめたかとは言っているが、Legacyよりは出来がよいとのこと。タリスの魅力が大きく、ステルスプレイはいまいちだが、悩ましい選択肢と、簡単だが面白いボスファイトのおかげで救われていると。

 宴会でのユーモラスなやり取りは賞賛しているが、笑いがすべっているというのは、例のホモセクシャル、トランセクシャル関係のネタのことのようだ。面白くないし必要もない。確かに、失笑してしまったもんな・・・。

 そして、オリージャンのきついフレンチ訛りは茶番劇のノリ(on the farcical side)で、ジェラール・ドパルデューの「シラノ・ド・ベルジュラック」というよりは「ピンクパンサー」のクルーゾ警部に近い。(ちょっと、私自慢していいでしょうか?! こないだの感想に"farce"のノリって書いたよね? もちろんケヴィンは「ちょっとやりすぎ」という意味で言っているのですが)

 狩り場のバトルは、DA2の今までどおりボタン連打で済むものだが、大物狩りもあり、数多くの小物との戦いもあり、ヴァラエティはある。本編に比べ森林や洞窟などの景色も見ごたえがあり、いくつかのViewpointは、BioWareが本編から変えているのだと強調するために配置されているかのようである。

 ステルスプレイは、給仕たちのおしゃべりを盗み聞きする楽しみはあるが、失敗してやり直す場合、衛兵たちの行動がバグる。オーディオ面でも、コンパニオンの会話が食い違う、中断されるなどの不良がある。
 DA2の世界で最も魅力的なキャラクターのひとりであるタリスがDA2のフルメンバーにならないのが残念だ。
 とはいえ、彼女はこのくすんだ世界観の中に陽気な雰囲気を持ち込んでいる。

 もちろん一番大事なことは、食べ物に感情の味付けがあることだ。悲しみのチーズは食べてみたかい?

 「チーズは絶望の味がする」などの部分に敏感に反応するケヴィンは美食家なのか、その手のネタに弱いようだ。 本編ではフェンリスの場面あたりでワインが出てきたくらいでしょうか。ただしフェンリスが飲んでいると、どうしてもドイツワインに見えてしょうがないんだが。後のメンバーは、酒にこだわらないただの飲んだくれだし。

 元々フェラルデンは「はらわたもなんでもとことん煮込んでしまう味音痴」(「レリアナズ・ソング」のセリフを拡大解釈)と他国民から馬鹿にされるくらい食文化が貧困。これも粗食のブリティッシュをインプライしています。
 対してオーレイはもちろん世界の食の中心フランスがモデルですから、ワインもチーズも豊富で、料理は豪勢。

 でも、どこでもタリスの評判が良くてびっくりします。そんなもんなのかなあ。

2011年10月14日 (金)

【DA2】MotA反省会。

 私のひとり反省会。というよりも感想。

 なおプレイスルーは下のブログに書いていますが、読者の方々のあまりの興味のなさに今更ながらナットクしております(驚いてはいない)。

 http://vanitie3.cocolog-nifty.com/blog/

 引越し失敗とかいうレベルじゃないな。やっぱコンテンツだなあ・・・。 

 どうしてもぼやかしようのない部分に触れていますので、「続きを読む」の下。

 

続きを読む "【DA2】MotA反省会。" »

2011年10月13日 (木)

【ME3】ごくふつうのCo-opのようです。

 期待しただけ損した感。

 BioWare Pulseのケーシー・インタヴュー、そしてFAQが出ていた。

http://masseffect.bioware.com/me3/game/multiplayer

 全部はめんどいんで(私にとって)大事なところだけ。

・マルチ・プレイヤーは、シングル・プレイヤー・キャンペーンのボーナス的要素である。

 そのわりには、シングル・プレイヤー・キャンペーンの進行に直接影響を与えるとか書いてあるけど。

Success in multi-player will have a direct impact on the outcome of the single player campaign, giving players an alternative method of achieving ultimate victory against the greatest threat mankind - and the entire galaxy - has ever faced.

 オルタナティヴ・メソッドが手に入るというところがポイントみたい。そこを中心にFAQを呼んでいくと。

・シェパード、ギャレス、リアラ、アシュレイは登場しない。マルチ・プレイヤー用のキャラクターを作り出してプレイする。(ヒューマンに限らず)、テューリアン、クローガン、アサリなどが選べる。アルコーとハナは・・・決してないとは言えない。

・どうやら、マルチを戦えば戦うほど、Galactic Readinessなるものが蓄積され(?)、シングルプレイヤーのクリア基準が楽になるとか、そんな報酬が得られるみたい。

 シングルプレイヤーできめ細かくプレイしないと到達しない最高レベルの成功を、マルチをプレイしていれば雑にやっても手に入るようになるわけだ。

・マルチを遊ばなくても、シングルプレイヤーキャンペーンに影響はない。

 まあ、ものは言いようですが。シングル・プレイヤー・モードでストーリー面で最高の選択をし続けて手に入るレベルの成功が、マルチで口開けてクリックしていると楽に(?)手に入ることが、「影響はない」というならそうでしょう。いやいや影響あるだろ。 

 そんなところでした。ケーシー、こんな陳腐な内容の、一体どこがスペキュタキュラーなんだよ?!

 

Why is now the time for the series to have multiplayer?

  • Being able to explore and fight alongside your friends in the Mass Effect universe has always been something we thought would be fun and compelling, and many players have asked for it for a long time as well.
  • Mass Effect 3 is the best place for us to introduce multiplayer through co-op because of the premise of the game - all out galactic war.
  • We also feel that Mass Effect 3 has the combination of world class combat and progression systems that will make for a fun, addictive multiplayer experience.

Why only co-op? Why not a versus mode?

  • We have always maintained that we would only add multiplayer into the Mass Effect series if it made sense and did not compromise the power of the single player campaign. Fighting together against a common threat was the multiplayer experience that made the most sense for Mass Effect 3.
  • The way we have designed co-op as a way to take control of key conflict zones in the galaxy is a natural extension to the premise of Mass Effect 3.

Why did you decide not to include it as part of the main campaign?

  • Our priority and focus with Mass Effect 3 has and always will be to deliver a complete and satisfying single player experience.
  • The Mass Effect 3: Galaxy at War system is meant to complement that amazing game and we're excited we can give it to our fans as a bonus for those who want to experience Mass Effect in different ways.

How did developing multiplayer impact the single player game?

  • BioWare is dedicated and focused on delivering an engaging, fun, and action-packed experience for Mass Effect 3, one that lives up the BioWare standard. To reach that level of quality, BioWare has a dedicated studio in Montreal that is home to designers, programmers, engineers, and other developers. Both studios work together as partners, lead by the core Mass Effect team, unified in a single vision. Under the direction of Casey Hudson and other team veterans, both studios make contributions to both the single player and multiplayer modes in Mass Effect 3. Rest assured that no compromises were made to either of these modes in the development of Mass Effect 3.

Which characters can I play in co-op multiplayer? Can I play as Commander Shepard?

  • Commander Shepard's part in the war will take place in the single-player campaign, as will that of other beloved characters in the franchise such as Garrus, Ashley, and Liara...these characters do not appear in the multiplayer missions.
  • In multiplayer, players will create custom characters to fight on different and unique fronts in the war. This will include the ability to play as favorites like Turians, Krogans, Asari and more... each with their own unique set of abilities.

Including Elcor and Hanar?

  • ...Never say never...

What if I don't like multiplayer - will my experience be negatively impacted?

  • Mass Effect 3 is a complete, standalone game that will deliver a satisfying story experience, even if you choose not to try multiplayer.
  • The Mass Effect 3: Galaxy at War system and all of the individual components are meant to complement that amazing game and can be enjoyed on their own or as part of the Galaxy at War experience.

What if I am not good at / do not like multiplayer? Will my readiness rating go down?

  • ME3 is a story about a war against overwhelming force where the most you can hope for us survival. The more you do to fight that war, the more you can change that story into a more optimistic one.
  • You can reach the highest levels of success in the single player experience alone, but Galaxy at War gives you alternative ways to get there.
  • It's about choice, and allowing players to find their own ways to stay immersed in the Mass Effect universe.
  • We aren't going into any specifics on numbers right now.

Will you be adding any additional maps or modes through DLC?

  • We can't comment on specifics right now, but can confirm that we are planning on having DLC for Mass Effect 3.

Do save games from ME1 or ME2 impact the co-op multiplayer missions?

  • No.

Do characters level up in co-op multiplayer? What is the progression system?

  • Character progression, weapon upgrading and leveling up is present in co-op. We'll release more information on this topic in the months leading up to launch.

Is there more info about the other platforms of Mass Effect 3: Galaxy at War?

  • We are not going into details about the other components of the Galaxy at War at this time except to say we are designing each to make sense for that platform.
  • Each component will be able to affect a player's "Galactic Readiness" level in a different way.
  • Again, participation in any or all ME3:GaW elements is entirely optional

2011年10月12日 (水)

【DA2】MotA書き始めました。

 オリージャンの貴族のおっさんの慇懃無礼さ、というか褒め殺し具合が素敵なので、早く訳したい!

 そのためにはフェリシアの冒頭のPV部分を越えなければならない!

 フェリシア越えきっつい。

 だがそんなことは言っていられん。

 ということで、Rain Dancing Vanity 3(「なんで3なの?」とか聴かないように)のほうで、MotAはじめました。

 プレイ自体は止っているんで、しばらくすると中断しますが。

 それとあっちのブログはまだデザインとか体裁もぜんぜん整っていないですが、気にせずに。「テスト」という記事は、何か書くために残してあるので気にせずに。訳もまだこなれてないけど後から直すんで気にせずに。

http://vanitie3.cocolog-nifty.com/blog/

 

 

【DA2】MotAピーピング。

 冒頭だけさらっと。

 おおっと、続きを読むの下。

 しばらくやってなかったから、お作法忘れてた(笑)。

 正式なプレイスルーはRDV3(新ブログ・・・)のほうでやりますが、今週中にプレイ完了するかどうかも不明。

続きを読む "【DA2】MotAピーピング。" »

【DA2】本気で気が重いかも。

 あ、もう明日(零時を回ってるから今日?)か・・・。
 どうせ深夜帰宅だからまともに遊べないだろうな。今週はリアルの予定詰まってるけど逆にいいか。

 だるいなー。荷物でも整理しとくかな・・・。
(子供の頃、遠足の前日に本気で期待で胸が一杯でてんぱってたのって最後はいつだろう。おそらくかなり早くに「だりいなあ」とか「雨降らねえかな」の世界に突入してたと思う。さすがにさぼったことはないけど)

Screenshot20111012005113087
 リュックサック(バックパック)一杯にばかみたいに荷物入っているな。
 あれ、あれがないぞ、かあさん?ってもう死んでるか。

Screenshot20111012005044844
 ここまで減らしたけど、そういえば誰一緒に連れてくんだっけ?

 ちなみにウォーリアー男子ホーク。
 まずオリージャンつながりでアヴェリンだな。これでウォーリアー枠埋まっちった。フェンリスは次回。
 メイジがいるよな。アンダースかメリルか。無難にアンダースかなあ。いやメイジ主人公のほうでアンダースが一緒がいいかなあ。んじゃメリルかなあ。気のきいたセリフこれっぽっちもなさそうだなあ。ベサニーはたぶん呼べないだろうしね。
 ほんとはロマンス相手のイザベラが一緒だと面白そう。ヴァリックも捨てがたい。

 でもフェリシアじゃねえや、あいつがパーティーに入るんだっけ? パチモンローグ。

 むー。カギとかちゃんと開けられるんだろうな?

 あ、セバスチャンは話題にも出ない。しょうがないね。ローグだらけだ。なんだかファーストばっか一杯いる昔のジャイアンツみたい。

 テンションひっくいなあ。

 ほんと、これが最後のDLCとかまじ勘弁だよな。ドラゴン・エイジだけに竜頭蛇尾なんちって(笑えない)。

 あ、寝る前にみたら買えちゃった。

 Checkout

 お金が足りないと。んじゃいいか(違うか)。

 BW800PT、905円ね。PSN9.99USD。円高差益享受させない気ね。
 

 あら、サイズでかいな、これ・・・。最初だけちょっと見てみようと思ったけど、もう眠いんですけど。  

 1.2GB。レガシー(800MB)よかでかい。インストール・・・。ふぁあ。

 さてちょっと覗くか・・・。

 なぬ、ヴァリックがロックト・コンパニオン???

 ああ、タリスのプレースホルダーかな?

 そしてベサニーはグレイアウト・・・(セバスチャンは最初からおらんかった)。

 しょうがない、ホーク、ヴァリック、アヴェリン、メリル・・・。

 ま、ちょこちょこっとやった画像は次に。眠いんで明日かな。

 

 

 

2011年10月11日 (火)

【ME3】Co-opマルチプレイヤーでした。

 完全に予想が裏切られた。Co-opマルチであった。

 http://www.gamespot.com/pc/rpg/mass-effect-3/news/6339039/mass-effect-3-cooperative-multiplayer-confirmed

 公式Twitterでそう宣言されたそうです。

"There will be a multiplayer component for #ME3,"

"Full details soon, so wait until then before making your decision. We think you'll like it!"

ケーシーのTwitter。

"it's nothing of what you've feared."

 いや、そう言われるとますます不安になんだろうが(笑)。

 でもCo-opってのはどこでわかったんだろ?

 Twitter面倒なんで、ちょっとfacebook行ってきます。

 これか。お、ケーシーが引用されとるな。

「そう、ME3にはCo-opマルチプレイヤー・ミッション(ズ)がある。こいつは本物だ。そして眼を見張るくらい強烈だ。何も不安がる必要はない。もうすぐさらに明らかにする」

"We can officially confirm that there will be a multiplayer feature in Mass Effect 3. However, please reserve your appraisal until we are able to give more information. Our Executive Producer Casey Hudson says it best: "Yes, co-op MP missions for ME3: they're real, and they're spectacular. Rest assured it's nothing of what you've feared. More soon..."

Tune in for a special BioWareTV episode at 10AM on Wednesday October 12th to have all your questions answered! "

 マルチって一体何人なのかもわからないが・・・。せいぜいふたりとか4人?
 それのどこがスペキュタキュラー?

 あああ!

 もしやリーパーズの母艦を皆で乗っ取るとか?
 64人とか?
 100人超えちゃうとか?

 しかしケーシーを含め、公式のPRがどれも「まだ何も情報は出してない、皆まだ安易に決め付けないでくれぇっ!」と叫んでるのが受ける。

 DA2で散々懲りたんだろうな。

 でも大人数(のシェパード(笑))でリーパーズと戦うとか、面白そうだな。

 シェパード100人って。

 サイファイですからどうとでも辻褄つくね。パラレル・ワールドだ。クローンだ。

 なんか喜んでいるって?

 だってCoDMW方式(Uncharted方式)だったら、「石橋を叩いて渡ろうとして落っこちる」と思ってたからね。
 最悪Borderlands方式なら陳腐だけどまだいいか、と思ってたけど。
 でもスペキュタキュラーでしょ。あれはそうじゃないもん。
 先の記事じゃないけど「BioWareなに考えてるかわかんない」ほうがずっと期待できます。
 

 おー、リーパーズ船占拠とかいいなあー。お祭りみたいだし。(妄想拡大中)

 さて、ヘイターの叫びでも覗いてこようっと。

マネジメントとマジック

 さあ、どんどん行くぞ。

 フェリシアDLCをプレイせざるを得ないことからの現実逃避とでもなんとでも呼べ。

 BioWareのゲームで、こんなのはじめてだよ。"Forced to Play"、やらされ感爆発。 

 ミンツバーグ教授のお話の続き。

 とはいえちょっとは読んでいただきたい気もするので、ゲーム関係(マジック)にちょっち迎合した。わけでもない。

 このブログが「雨乞い」ブログっていう意味は何度か説明しました。そそ、蘇我蝦夷が雨乞いにしくじったけど、皇極天皇(後に重祚して斉明天皇)が成功なさったという話。
 蘇我蝦夷なんてたった四日やっただけで効果がないので飽きちゃって「だから無駄だっていったじゃん、やめやめ」とやめた。「もー、だらしない。ちょっと貸しなさいよ!」と経典を取り上げて試した女帝が成功させた。日本人って太古の昔から変わらないね、のんきだったのねー、というね。

 ちがう、マネジメントも雨乞いも、結果と直接関係ない「儀式」にやたら凝りまくっているという話です。
 それに関連する。

 マネジメントとマジックに関する考察。

 次の話は有名なのでしょうか。私ははじめて読んだ。Rise of Nations、いやもっと古い往年のRTS、Age of Empiresあたりをイメージしてしまった。

 社会人類学者の研究。

 パプア・ニューギニアのソロモン海に面したTrobriand Archipelago(現在では公式名称Kiriwina Islands)。内陸の村では近くのラグーン(潟湖)で安全にそして良く魚が獲れる。一方外海に面した村では、漁業に危険が伴う上に漁獲高も安定しない。

 前者には漁業に関する一切の魔術的儀式が存在しないが、後者では多数観察される。

 論点はこうだ。人間の行動には根本的な矛盾が存在する。将来が予見できない、不確実性が増せば増すほど、人々はこの先どう行動すればいいかを決めるため、予測や予見を行う手法に頼る。 

 文化人類学者も心理学者も、魔法の儀式や迷信に基づく行動の重要性について長く指摘をしてきた。人々はそれらによって世界をより決定論的に見ることができ、環境とうまくやっていけるという自信を植え付け、部族をまとめ、少なくとも「吉兆」が得られたときには行動を促進する。
 そして儀式はステータス・クオ(現状の体制)を維持することに役立つ。 

 迷信は、疫病、飢饉、戦乱などの困難な時代において、その数も強度も増大する。「人は、自らの知識によっては結果も環境も確実にコントロールできないときにのみ、魔法に頼る」というのが、先に書いた漁村を観察した学者の言葉であるそうだ。 

 もちろん、ミンツバーグ教授の論点は、畢竟マネジメントも人間の行動であり、同じパターンをとりがちであるということだ。古代人の視点を現代人の高み(と勘違いした立ち位置)から見下ろして嘲るような愚はもちろん犯さない。 

 世界が不確実になればなるほど、マネジメントは予見技術や技法に頼る。それらは本当にうまくいってるのか? もしうまくいっていないのに使い続けているなら、それは迷信とどこが違う? (教授はもっとずっと皮肉っぽく、「合法的にそれらを迷信と命名してもかまわないよね」と言っている)

 迷信といえば、カルト・リーダー(新興宗教の教祖)やウィッチ・ディテクティヴ(魔女探偵)の形で現れるが、現代社会でも、魔法使い、魔女探偵(現代アメリカなどではテレビ番組で犯罪を透視して死体のありかや犯人の居場所を言い当てる、あれ)、コンサルタントなどが生まれる。なぜか?  

 実はこの話にとてもそそられたのはここまでの部分だ。日本の主たる新興宗教が発生した時期と、その地方は、極めて偏っている。実例を挙げるのは憚られるのでやめておくが、調べてみられればいい。上のセオリーがジャスト・フィットしてしまうのだ。なぜか日本の場合、教祖は女性が多いというところは私には材料が乏しいのでよくわからないが。まあ薄々わかるが、それも書くのは憚られる。

 先の記事でまったく違う著者の書籍から引用した経済学者・未来学者のガルブレイスがここでも登場する。セレンディピティ?! いや、そういうテーマで書いているから当然のことか。

 経済学や精神医学のように不確実性な対象を扱う分野では、自分が間違いないという者たちを信じずにはいられない驚くべき何かがある。
 金銭に関する議論の多くにも、ネクロマンティック(降霊術、黒魔術的)な側面がある。神秘性、魔法ですら関与していると看做される。その神秘性を認め、それを解明できると目される者たちに特別な評価が与えられる。彼らはオカルト、超自然的なにかと共鳴しているのだ。皆彼らを信じるべきだと。

 迷信こそ、カリスマティック・リーダーが混迷の時代に確かな将来を展望させる手段だ。リーダーによって人々の間に自信が生まれ、行動の指針が与えられ、もし事態がまったく改善されなければ、スケープゴートの役割まで担ってくれる。

 現代の経済予測の専門家と、雨乞いの儀式を執り行うシャーマンとの間の違いは、その見かけのほうだけであって、予測の本質は何も変わらないのかもしれない。 

 お気づきのように、ここまでの話の根底には、迷信は「よくない」、事態を把握(コントロール)できているという幻想は「抱くべきではない」というものがあります。

 だがミンツバーグ教授は迷信と魔法の大事な点(効用、効能というべきですかね)を見落としてはならない、という。

 まず第一に、人は本当に絶望的なまでに将来が不確かなとき、なにも行動を起こさなくなる傾向がある。
 そういうときこそ何か、いや「何でもいいから」行動を起こさなければならない。そうすることで直面する不確かさの一部でも解明されるかもしれないから。そう言う意味で迷信は行動を促する手段となる。 

 二つ目の点は、でたらめな(ランダムな)世界では、でたらめな行動パターンがベストなこと。よく練られた魔法の儀式はまさにこれだ。でたらめな(行き当たりばったりな)行動を促する。 

 カナダのラブラドール(Labrador)インディアンは狩りがうまくいかない日が続けば、トナカイ(caribou)の骨を焼く。骨に亀裂が入り、次に向かうべき方向を「ランダムに」教えてくれる。

(「オラクル」ですね。亀の甲羅と動物の骨、亀甲獣骨文字というものが古代大陸の殷(商)の時代にありました。占いは日本にも輸入されました。卑弥呼の亀甲占いは(史実的に正しいのかどうか知らないですが)キャラクター・イメージとして定着しました。
 映画なんかにもありますね。映画のエンディングで主人公が立つ荒野のどまん中で消えかけた道が二つに分かれている。主人公はコインを投げる。あるいは枯れ枝を投げる。どの道風任せの旅だし)

 これは非常に有効な戦術である。トナカイの骨はランダム・ナンバー・ジェネレイターだ。

(ゲーマーたちの大好きなダイス(さいころ)がかつては動物の骨などで造られていたのも意味があるんでしょうかね。die(dice)のほうは語源は「遊ぶ道具」だけど、同義語にboneがあるように過去骨で作られていたことを示す。骰子(さいころ)の「骰」は骨を投げること。投げる骨。賽子(さいころ)の「賽」は「賽は投げられた」と使われますが、賽の河原とお賽銭があるように神仏の世界に関連するらしいけど、語源はなんかはっきりしないみたい。ただ要塞の「塞」と「貝」からできている。「貝」のほうは、宝貝(「封神演義」の「ぱおぺい」ですね)、タカラガイの貝殻を投げて裏表を見て遊んだり、占ったりしてたそうだ。あ、「殻」にも投げるが入ってる! きりがねえな)

 この装置がなければ、ハンターたちは、過去のバイアスに囚われて、すでに何度か手ぶらで帰ってきた方向にまた向かってしまうかもしれない(そして当然今度も手ぶらで帰ってくる確率が高い)。またハンターたちが決まりきったルートを選べば、獲物の動物たちのほうもそれを知って回避戦術を取る確率も高い。

 迷信が行動をランダム化するのに有効であるのに対し、魔法はそのランダムな行動を「正当化」する。これは二次的だが大事なポイントでもある。

 ところが、今日の経済予測や企業の事業計画手法は、概ね機能不全を起こしている。なぜか。
 過去のパターンに囚われ、バイアスがかかっているからである。イノヴェーションに踏み出すのではなく、過去を正当化してしまっているからである。
 ほとんどの予測テクニックからはランダムな結果ではなく、バイアスのかかった数値の羅列しか出ない。
 トナカイの骨を焼くほうがよっぽどいい。 

 というお話でした。  

 迷信をバカにするのも自由だが、今笑っている君のその存在自体が、ご先祖様の大真面目な魔術的(呪術的か)儀式のおかげで、飢饉に際しても辛うじて部族が生き延びることができて、脈々と続いてきた種族の末裔であることは否定できないのかもしれない。  

 丁度、マジック(呪術、翻訳者によれば咒術)とテクノロジー(エンジニアリングが近いか)の関係を描いたジャック・ヴァンスのサイファイを読み終えたところなんで、その関連でも面白かった。
 イノヴェーション(つまり実験科学、エンジニアリングも含む)を否定する咒術師たちと、「ランダムに」実験を繰り返して、皆を困らせるできそこないのアプレンティス。

 でも、結局異種族との戦い、種族存亡の秋(とき)には、咒術師たちの使う術(幻視によって敵の士気を粗相させ、味方の兵士の力を倍増させるような、DnDでいう「心術」)は全く通用せず、実験主義のアプレンティスの編み出したやり方が勝ってしまうというお話。
 メタ的にこう書くと「科学万歳!」ですが、その世界では咒術こそ体系だった「科学」であり、実験主義が「でたらめな魔術」なんですね。なかなか面白い話でした。  

 なんかゲームにこじつけるか・・・。

 そうね、Age of Empiresでも、Civilizationでもいいけど、まっさらな(暗黒の)地図の中に最初のユニット(セトラーとか、ウォーリアーとか)がポツンと立っている風景が大好きですね。なんの手掛かりもない。どっちの方角に向かっても危険も実りも確率は一緒。満を持してある方向に向かっても山続きであげくは通行不可能な海に出てしまう。広大で肥沃な土地を見つけて喜んでも、すぐそばには蛮族が待ち受けている。
 

 なぜかその瞬間が一番充実していた。産業化・工業化が進むと、やることがルーチン化していって(要するに先が見通せて)なんだか飽きちゃう。 

 一般に砂場式(Fallout: New Vegasのようなオープンワールド)のCRPGのほうが、箱庭式(Bioware系)のものより受けるというのも、そういう(風任せな)ところの心地よさが普遍的だからでしょうね。箱庭式は遊び手のほうに「翻訳」、「解釈」が必要ですから確かに敷居は高いかもしれない。  

 New Vegasは、その舞台がザ・ストリップ、Vegasの快楽街。ギャンブルとチャンスが支配する街。だから二重の意味でランダムな世界ってことですね。あの冒頭のベニーのセリフは、オリジナルのFallout冒頭の「戦争は、いつの時代も変わらない」に負けないくらい、名セリフだと思います。 

 「このゲームは、最初からイカサマだったんだよ!」 

 はいはい、お前の訳など信用できんでしょ。原文だ。いやあ、名文だよ、これ。「18カラット(18金)の凶運続き」ってなんだよ。

"From where you're kneeling, it must seem like an 18-carat string of bad luck. But the truth is... the game was rigged from the start."

 本当に優れたローグライク・ゲーム(もどき)なら、喜んでプレイしますね。なかなか作るのは難しいでしょうけど。 

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 スティーヴィー・ワンダーのSuperstitionを久しぶりにむしょうに聴きたくなったな。いやオリジナルのジェフ・ベックのヴァージョンにしようかな。

(でもあれは、「迷信はいい加減信じるのやめようぜ」って歌詞なんすけどね)

 

 

 

 

 

よいこのためのゲーム・マーケティングこうざ(2)

 だいたい、こんな話を親子で長くやるはずはないと思っているのですが・・・。観たいテレビも遊びたいゲームもあるだろうし。

 昔丁度この年頃、観たいテレビがあるのに、やりたくもない将棋を父親に付き合わされて泣いたことがある。あげく将棋の塾に通わされそうになった。親ばかってほんとに怖い。

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「ダウンロード・コンテンツにはもうひとつの意味が、っておいもう飽きたのか?」

「もうって、パパ、うちの薫子先生より話が長くてヘタだよ」

「ああ、あの先生な。でも若くてなかなか可愛いよな。メガネが似合ってるし。パパはメガネっ子好きだしな。ママもOL時代の昔は・・・」 

「早くしてよ」

「ダウンロード・コンテンツには、コンジューマー・サープラスを獲得するもうひとつの意味がある」(破綻)

「ダウンロード・コンテンツには、さっきのコレクターズ・エディッションと同じ意味、お客さんに払いたいだけ払ってもらおう、という意味もあるんだ。6千円のゲームにあと一銭も払いたくない人もいるだろうし、千円、3千円、いやあと6千円でも払う人もいる。
 

 コレクターズ・エディッションなら例えば1万円の一種類しかない。だから、買わない、6千円、1万円のパターンしかないよね。ダウンロード・コンテンツは例えば千円のものを十個出せば、人によって一つも買わない、二つ買う、全部買うなどパターンが多くなる。
 だからゲーム会社はお客さんの払いたいお金をもっときめ細かくぼったくれる・・・、払ってもらえるようになるんだ」

「美紀ちゃんのパパは言うとなんでも全部買ってくれるって。こないだも四台目のPSP買ってもらったって。美紀ちゃんちに行くとPSPがなくてもモンハン遊べるようにするためだって。全部ピンクなんだって。PSVitaも、もう美紀ちゃんのパパの知り合いがいるから四台予約したって」

「だから、よそはよそ。うちはうち(そんなにいいなら美紀ちゃんちの子になるか、と言いそうになって、「うん」と言われそうなのでやめる)。 

 お前にはまだ早いが、半島や大陸のMMOとか、ネットの無料ブラウザゲームなんつうものは、さらにこれを進めて、課金アイテムってやつで、すべてのお客さんひとりひとりの払いたいお金を全部むしりとる・・・、払ってもらうシステムなんだよ」

「PS3もDSも色違いとか出るたびに一台づつ買うんだって。一個しかいらないのに」

「でもPS3はブルーレイも観れるから無駄でもないんじゃないのかな」

「美紀ちゃんちは全部のお部屋にホームシアターがあるんだよ。全部のお部屋で同じ映画も観れるし、別々のも観れるんだよ。色違いのPS3なんて箱に入ったままで積んであるよ。美紀ちゃんのママはPS3も3DSも安くなってありがたいわーって言ってたよ」

「PS3は発売後だいぶたって普及したので経験曲線の問題とそれに伴う期待収益のレベルが下がったこともあるからちょっと事情が違うだろうけど、3DSはツー・タイヤー・プライシング(Two Tier Pricing)で苦悩してると言えるね。後者は実際一時期もてはやされたセオリーだけど、ぶっちゃけなんちゃってセオリーみたいなもんだね」(破綻)

「PS3も3DSも家庭用ゲーム機は全部そうだけど、本体とソフトウェアの値段の関係を決めるのが大変だよね。PS3の値下げは、発売後しばらく経ったこともあって、工場で作る人たちも慣れてきたし、材料をたくさん安く仕入れることができるから作るための費用が以前より安くなったということもあると思う。
 もうひとつは、そうやって安く作れるようになったから、値段を据え置きして少ない数売って儲けを上げるより、まだPS3を買っていない人、買い換えようか迷っている人に買いやすくして沢山買ってもらおうという作戦でもあるだろうね。

 3DSのほうは、本体が高すぎるからお客さんが買い控えたというけれど、実際には遊べるソフトウェアが充実するまで待とうという気持ちもあったんじゃないかな。
 パパの髭剃りみたいに本体を買う値段と、刃を買う値段が別なものがあるよね。ディズニーランドも入場料のほかにライドでお金を払わないといけないよね。お客さんが沢山お金を使ってもらえるように、そういう二つの部分の値段をうまく決めるのは難しいんだよ」

「美紀ちゃんちにはディズニーランドでお金を払わなくても済むパスが何枚もあるんだって。ディズニーシーも何でも行き放題だし、ホテルも泊まれるんだよ。誘われたけどママが行っちゃダメだって」

「パパも反対だな。そんなこじ・・・、ただほど怖いものはないからねえ」

「あと美紀ちゃんのパパは、iPhoneとiPadがあるからゲーム機なんて本当は要らないんだって。もうそろそろ世の中からなくなるって言ってるって。もうパソコンとかも古い古いって」

「あんなもんはゲームじゃねえだろ。認めない。いい加減にしろ、ゲームをなめるな!」(破綻)

「まあ、ゲームは種類が幅広いからね。お前の遊んでるゲーム機のもあれば、ママがはまってるソーシャルだってあるし、パソコンゲームもある。そういった全てのものをひとつの機械で満足できるかってのはパパは疑問だな」

「でもゲーム機に色んな種類があって、たくさん売れ残るのはエコにやさしくないんだって。ゲームもiPhoneの音楽みたいに全部オンラインで売ればいいのに、パッケージで売ると売れ残ったり、それをうんぱんするトラックが燃料を燃やすから地球環境にやさしくないって先生が言ってたよ」

「ああ、可愛い顔して、やっぱかぶれてんのか・・・」

「それから、PS3とXBOX360で競争していくと、最後はどっちも儲からないようになって、結局きぎょうがひへいしていって、ゲームを作る人たちも不安になるからダメなんだって。それとパソコンも入れて三つも同じものを決められた時間でかいはつしないといけないから、ろうどうしゃがこきつかわれて、完成したら給料払いたくないからクビになってかわいそう。
 
 iPhoneとiPadだけならそういうことはないから、みんな安心してゲームを作れるし、エコにもとてもいいんだって」

「久しぶりに聞いたな、マルクス経済学。最近は逃げ隠れしてエコ方面に生息しているらしいからな・・・」

「あと、パパのほうがいい大学のけーざいがくぶ出ているのに、美紀ちゃんのパパは私立なのにお金持ちですごいねーって先生言ってた。先生も将来のこと考えないとねーって」

「だから女って奴は・・・」

「ママ、パパがアマゾンのキンドルを勝手に買ったってすっごい怒ってたよ。どうせ買うならiPadを買えば私も使えたのに、使いもしないものをって」

「いや、あれは英語をもう一度勉強しなおそうと思ったんだよ。ビジネス書を電車の中でも読めるし」

「だってキンドルなんて英語の本しか読めないし、iPadなら英語だって日本語だって読めるし、音楽も映画も、ゲームもなんでもできるから、パパのパソコン捨てちゃってもいいしって」

「いやキンドルは眼に優しいんだよ。iPadは結局液晶だからな」

「見もしなければ眼にやさしいもへったくれもないって言ってたよ。ママがLEDの照明に変えようって言ったときも、そんな言い訳して結局今のほうがお金かかってるって」

「みもふたもねえな」

「僕も将来お金持ちになるためしりつに行きたい」

「お前なあ。だって美紀ちゃんちのパパはお受験組だろうが! 資産だって親の遺産だろうが! だいたいうちのどこにお前を私立に通わせるお金があるんだよ?」

「パパ、そんなにお金の仕組みに詳しいのに、どうしてうちにはお金がないの?」

「そんなことは、お前は知らんでいいの!」

 

よいこのためのゲーム・マーケティングこうざ

 産経新聞は、あの大陸国のおっさんが生きてたのを目撃されても、「ありゃあ電脳だぜ!」(CV山ちゃん)と叫べばよかったのにね。
 一切知らん振りするんだろうな、社長クビだもんな。いちおう「おわび」は出てたけど。
 腐っても大資本。売国新聞とやっぱ変わらないんだな。

 どこの新聞にも「親子のニュースこうざ」みたいなのがあるね。

 おそらく記者が落語のご隠居さんを気取ってスマートにやってるつもりだろうが、読者は誰も期待していないコーナーだし、そもそも子供は新聞読んでいないし、そんなところを書かされて記者も卑屈になってるから、中身は非常にみじめったらしい。

 あの答えに窮すると「いい質問ですねー」とごまかすおっさんも「こどもニュース」やってたの知ってた? あれが受けていたらしい、国民が喜んでいたということは、「日本国民はこどもである」ということなんだけど。 

 その手の企画記事はだいたい次のふたつのパターンで破綻しますよね。「家庭の国家予算講座」みたいなのも同じ。サラリーマンのおっさん、専業主婦、高校生のあんちゃん、中学生のねえちゃんあたり登場する。最後は必ず「パパのお酒(お小遣い)も減らさないとね!」で「ぎゃふん!」で終わり。ぎゃふんって。

1.あんまり大雑把に省略して、すげえ薄っぺらで、まったくわけのわからない話になっちゃって、聴かされている子供が不満そう。
 例えば「『はやぶさ』は砂クズ拾ってきてなんであんなに大騒ぎしているの?」という質問には「それはね、地球、月、火星以外の天体のことを調べる大きなチャンスだからだよ。宇宙のなりたちを人類が理解し、進歩に貢献すると期待されているんだよ」とか。なにがなんだか。

2.結局ある概念を子供にまともに説明できずに、むき出しのまま残って、不気味でかつ理解不能な話になって子供が居心地悪そう。
 
 例えば「役人」。これは説明できない。「官僚主義」など、そのコノートするものが子供に理解できるようには。「天下り」も説明が破綻する好例だね。

3.「子供はまだそんなこと知らなくていい!」と怒って誤魔化す。 

 あれ、みっつか。 

 ちなみに「子供」をそう書くのは差別だから、大新聞様は「子ども」と書いているそうだ。
 

 ところが「ども」には、「野郎ども」などでそうなように、元から「しょーもない連中」という意味があるらしい。でも大新聞が「お子ちゃま」と書くわけにもいかんので、誤魔化している。

 よいこのためのヴィデオ・ゲームのマーケティングこうざ。

 

 登場人物はステロタイプにサラリーマンのおやじと小学生4年生くらいの男子。

「ねえ、コレクターズ・エディッションてなんであるの?」

「それはね、パブリッシャーがコンジューマー・サープラスを獲得するためのマーケティングの手段なんだよ」

 まあ、ここで「パブリッシャー」と「コンジューマー・サープラス」と「マーケティング」とで、もうすでに説明が破綻していますね。

「それはね、ゲーム会社がお客さんからできるだけ金を搾り取るための作戦のためのものなんだよ」 

「どうして同じものなのに値段が違うの?」
(大新聞様のニュース講座でもそうですが、上の親父の答えじゃ話にならねえ、そこガンガン突っ込めよ、子供!と思っていてもなぜかスルーするんだよね)

「それはね、コンジューマーをセグメンテーションしてるからなのさ」(破綻)

「それはね、お客さんの中には、同じ用途の商品でも多くのお金を払っていいと思っている人たちと、払うお金はできるだけ少なく済ませたいと思っている人たちがいるからなんだよ。そういう人たちそれぞれにだいたい満足するような金額を設定するのさ」

「でもゲームの中身は一緒だよ? お小遣いも限られているし、払うお金は少ないほうが得じゃないの?」

「まあ、お前にはまだわからんだろうが、お客さんそれぞれ財布の中身が違うんだ。お前だって美紀ちゃんのお小遣いが多くて羨ましいっていってただろ。だから多くお金を払ってもいい人はいるんだよ。でも全く同じなのに価格が違うとおかしいから、コレクターズには要らない地図とか、しょーもないゲーム内アイテムとか、くだらないDVDなどがオマケについているんだ」

「パパがフィットで我慢するって言ってるのに、ママは隣の美紀ちゃんちのママが自慢げにレクサスを運転してスーパーに買い物に来ているから怒ってるのと一緒?」

「いや、それはよく誤解されるけどまったく違う。ディフレンシエーションなんだ。セグメンテーションてのは総需要曲線と呼ばれる、すべてのコンジューマーの需要動向を示す需要曲線一本を、層別に細かく分解したもの一本一本、すなわちそれらがセグメント(ツ)なのだが、それらを別なマーケットと看做して個別に相手にして商売をすること。

 ディフレンシエーションは、そもそも異なる需要曲線を有するコンジューマー間で商品差別化をすることなんだ。フィットのユーザーとレクサスのユーザーはそもそも需要曲線が別なんだよ。レクサスのユーザーは購入価格とか運用コストとは別のものを求めている。実際メルセデスやビーマーなどに対抗しているからね。
 でもフィットと例えばプリウスは同じセグメント内での競争といえる。どちらもユーザーは購入価格と運用コストを真剣に考える層だからね。そういうものを求める人たちでも自動車に払おうとするお金は違う。それらを満遍なく取り込もうとして、自動車メーカーは品揃えを広げるんだ」(破綻)

「いや、それはよく誤解されるけどまったく違う。フィットとレクサスはぜんぜん違う。レクサスはメルセデスに、フィットはどちらかといえばプリウスに似ている。それだけわかってればいい」

「でも日本のゲームには予約特典とかあるけど、あまりコレクターズ・エディッションとか聴かないよね」

「だからMBAマーケティングを専攻したプロが多数いる欧米のゲーム会社から、日本人ってのはマーケティングのイロハも知らないアホ、劣等民族と思われてるんだよ」(破綻)

「日本のゲーム会社は良いゲームを作ることに力点が置かれていて、あまりそういう一攫千金みたいな商売を前面に打ち出さないね。予約特典は早い者勝ちだから、ちょっと意味あいがコレクターズ・エディッションと違うけど、お金を払いたい人だけから多く貰うというのはほぼ一緒と考えていいかな」

「ダウンロード・コンテンツとか、どうして別売りするの?」
(え、コレクターズの話、もうナットクしたんかい?!)

「それはね、リセール(中古)、レンタル潰しの一環なんだ。利潤最大化を求める企業がただ乗り、フリーライダーと呼ばれる寄生者皆殺しをもくろむプレダトリーな戦術なんだね」(破綻)

「ダウンロード・コンテンツには二種類あるよね。ゲーム発売と同時に出すものと、ゲーム発売からしばらく経って出すもの。

 欧米ではレンタル屋さんがとても発達していて、とりあえずゲームをレンタルで遊ぶ子が多いんだ。ゲームを買うより払うお金が安いので、つまらなければそれで出費が済む。本当に欲しくなったらゲームを買うから損してるんだけどね。

 赤の他人のレンタル屋さんがいくら儲かってもゲーム会社は嬉しくないよね。

 ゲーム発売と同時に出すダウンロード・コンテンツは、レンタルで遊べるものより中身が多いし、本体を買わなければ遊べない。だからみんなレンタルはやめてゲームを買ってくれということだね。

 それと、これも欧米では中古屋さんが発達していて、ゲームを買った子は遊び終わるとすぐそこに売っちゃうことが多いんだ。レンタルで遊んでゲームを気に入った子は、安く済ませようとして中古品を探すよね。中古品が売れてもやっぱりゲーム会社は嬉しくない。 

 ゲーム会社が、ゲーム発売からしばらく経って出すダウンロード・コンテンツは、ゲームを中古に売らないで長く遊んで欲しいという意味だね。中古に出回るゲームが少なくなると、遊びたい人は新品を買うしかないからね」

「ドラゴンクエストはすれ違い通信のおかげで誰も中古に売らなかったから、中古屋が泣いててざまあみろって、ファミ通で任天堂の岩田が言ってたよ」

「岩田ってお前、任天堂の社長? 岩田さんだろ。そうそう、あれはダウンロード・コンテンツだけじゃなくて、もっと画期的にマルチプレイヤーのネットワーク・プレイを意識してうまくいったんだよね。だから長く遊ばせる方法は他にもあるってことだよね。
 お客さんが中古に売らないように、長く遊ばせるようにするためには、アクション・ゲームがマルチ・プレイヤー・モードつけるのなんかもそうだね。マップと追加の武器でも開発すればいいから安あがりですむ」

「日本だと、アバターとか、メイド服とか100円程度の別売りコンテンツはあるよね」

「お前、メイド服は買っちゃダメって言ったじゃないか。そうそう、日本のゲーム会社もそんなもので儲けるのは申し訳ない、フェアじゃない、武士の名折れと思っているのか、こそこそ小出しにしている感じだね。儲けるというより、ゲームを買ってもらったユーザーの興味を切らさないようにしているほうが目的かな。

 ところが、ダウンロード・コンテンツにはもうひとつの意味があるんだって、随分長くなったな。続きはご飯の後にしようか」

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 メルセデスもレクサスも、フィットやプリウスとのセグメンテーションじゃないのか?

 そうなんだよね、セグメンテーションとディフレンシエーションの定義は上であってるはずだけど、本当はここでディフレンシエーションのことがはっきり誰でもわかるようにフェラーリかランボルギーニが登場するべきなんだ。

 だがフェラーリのどれでもいいが登場させて、主婦がそれでスーパーに買い物に行くって、そこどこの街だよ!って話がぼやけてしまう。非常に苦しいけどメルセデスやレクサスで間違っているわけではないだろうから許してくれ。物語のため正確さは犠牲にしてしまった。

【ME3】Mass Effect マルチプレイ

 不安が現実のものに。
 次はGameSpotのニュースヴィデオ(GameSpot(UK)作成)。マルチプレイの画像が出ているわけではなく、PC PowerPlay(AU)なる雑誌の10月号にMass Effect 3マルチプレイ化の記事が掲載予定であるというニュースを述べているだけだ。

 ただ、出ているおにいちゃんの「どんなマルチプレイだろうね? デスマッチ? それともキャッチ・ザ・クローガン?」というのが受けた。キャッチ・ザ・フラッグじゃないのね。

http://www.gamespot.com/shows/start-select/?event=startselect20111010#toggle_video

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 Mass Effect 3というタイトルを良く見ると、"Multiplayer comes to"、マルチプレイ化と描いてありますよね。

 そして、喜べクローガン・フリーク?!
 いや、違うな。これは雑誌側のアーティストが描いたものでしょう。
 クローガンがコンパニオンになることについてはまだ今のところ公式情報がない。

 確かにこの雑誌のホームページにはその趣旨のことが書いてある。 

 すべては、Mass Effect 3のパッケージをリセール(中古)市場に放出されないようにするためのEAマーケの目論見か。

 このブログでの以前の記事でもMass Effect 3がマルチプレイを搭載するのではないかという観測について触れていた。

http://vanitie2.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/mass-effect-3-2.html 

 みんなでスペキュってたのはほぼ正解だったみたいです。IGNはMass Effect 3がマルチプレイを搭載していることを本日(現地)確認したとか。

 まだ詳細はまったくわからない、CoDMW、Uncharted、RDRスタイルのシングルキャンペーンモード+マルチ(コンペティティヴ)シューティングなのか、Borderlandsスタイルのシングルキャンペーン+マルチCo-opキャンペーンなのか。シェパードが一体全体何人登場するのだ?

 RPGにはセリフ問題があるんで、きっとCoDMWスタイル(比重から言うとUnchartedスタイル)なのかなーと考えてますが、まず何人のマルチなのかもわからんので、考えてもしょうがない。でもやっぱ考えたくなる(笑)。

 EAの優れたシングル・プレイヤー・ゲームが、マルチプレイに移行して台無しにされた直前の例はDead Spaceのようである。どんなだっけ? 自分でやるわけないし、ニュースにもあまりならないので忘れました。

 Co-opだった場合は、「誰が本物のシェパード」問題がありますが、Mass Effect 2で1ダース以上いたクルーの人数が、Mass Effect 3ではオリジナルMass Effctくらいまで激減したってのも関係あるのかな? 「誰が本物のシェパード問題」を避けるため、まさかリアラ役、アシュレイ/カイダン役をマルチプレイの誰かがやるってこと?
 それでも本物のリアラじゃないし、ロマンスシーンあったとしたら、エッチしずらくなるよな?

 次のIGNの記事でも、IGN記者が「賛否両論」とあるが、なんのこたない、多数の「反対」と少数の「棄権」しかいない。

 「反対」の理由はだいたいが、「マイ・シェパードの物語じゃなくなるから、それと関係がないから」というもの。自分だけのマイ・ストーリー(という幻想)がBioWareなどのストーリー・ドリヴンのRPG人気を支えており、マルチプレイヤーはそれにそぐわないと考えているから。

http://games.ign.com/articles/119/1199420p1.html

 BioWareがEA傘下になって以来、わかりやすくダメになっていっているというのは、多くの人が指摘している。「EA傘下になって良くなった開発会社はない」、「EAは続編で開発会社をつぶす」というのは昔から言われていて、もはや「定理」になっている。 

 別にEAだけがそうではないのだろうが、かつてはActivisionも、Blizzardも、EAと張り合えるほど大きくなかったのだ。「EA傘下になる」は、かつては「大資本に組み込まれる」と同義であった。「資本は人間を疎外する」ことがここでも観察されているのかもしれない。

 Dragon Age 2でもヒヤヒヤさせられ、オールドスクール派などのEAの定理を主張する者たちにとっては、格好の攻撃材料、証拠が増えた。Mass Effectまでそれやらかしたら、私も「BioWareが汚染された」ということをちょっと否定できなくなる。

 「BioWareは、まったく無駄なものを安易にゲームに入れて、全体を台無しにするほどバカじゃないよな?」と上の記事に書いている記者の意見に同意し、それを信じたい。

 そして、約半年弱のリリースの遅延は、ストーリーやゲームプレイの最後の作りこみなんかではなく、やっぱりマルチプレイ開発のためであったようだ。 

 Dragin Age: Originsは当初PC版先行発売の予定だったが、マルチ・プラットフォーム同時発売化のため9ヶ月?と大幅にリリースが遅れた。

 すべてはマーケの要請によるもの。マルチプレイ導入の主眼はリセール(中古)潰し、レンタル潰し。
 

 まさか、CoD Eliteみたいに、マルチプレイの課金しようなんて考えてないだろうな?
 いや、マップパックで儲ける気マンマンでしょ? 今年最大の発明(イノヴェーション)らしいからさ!

 Dragon Age 3 もマルチプレイ化のためリリースが遅れたら困るんですけど!

 (いや、ないだろう、つかまだ本当に開発しているという正式な発表すらないし)

2011年10月10日 (月)

Dark Soulsで考えるマネジメント?

 もうすぐBlog移行なんで何書いてもいいことにする(ずっとやってきてるじゃないか)。

 Dark Souls をじわじわとプレイしていて、意外とまだ挫折していないことには我ながら驚きます。

 シナリオ上で「まじかよ?!」と腰を抜かしたのは何点かあったけど。Wikiもほとんど見ておらずにびくびくしながらプレイしているので、びっくりさせるための展開のたびにまんまと驚かされている。 

 さて、私のプレイなどどうでもいい。プレイ時間は30時間ちょいでまだ半分も終わってないはずだ。 

 
 またしてもミンツバーグ教授に登場していただく。そう、私自身のメモ代わりだ。そんなの読まされるのはたまらんと思うなら常に退席自由です。

 ミンツバーグ教授の最新刊は"Managing"で、これはまだざっと眺めたくらい。彼は30年以上前に、実際の組織(営利企業に限らない)のマネージャーたちの行動を観察して、マネジメントとは実のところ何か、マネージャーは一体何をしているのかをまとめた研究を世に出している。それが彼の出世作となった。
 新著は、組織を取り巻く環境が大きく変わり、インターネットが当たり前となった今の時代、その観察がまだ通用するのか、どこが変わって何が変わっていないのかを再度研究したものだ。どうしても固めの内容になる。彼の著作にしては珍しいことに日本語版もすぐに出ていたみたいだ。

 彼はだいたい同時期に、軽めのヴァージョン、"Management ?: It's Not What You Think !"(共著)という本も出した。ここではこちらの著作について触れる。
 

 彼の場合、何が最大の特徴、ユニークさかというと、なんと"managers"がキーワードなことだ。彼の研究対象は格好いいカリスマティック・リーダーでもなければ、最高経営者(CEO)にも限らない。マネージャー、すなわち世の中のどこにでもいる管理職まで含まれるのだ。(そして実は知見を活用できるのは管理職にすら限っていない)

 こういう論者は、実はそんなに多くない。日本で流行しているドラッガーのいうマネージャーは、(皆をガッカリさせて大変申し訳ないが)どちらかというと企業では最高経営者のことだ。なぜなら彼の言う「戦略」とは、この世でたった一回しか起きない、過去に例のない、未曾有(みぞゆうじゃないよ)の事態について対処する方策を考えることだから、ルーチンな物事に対処することは全て違う。M&A戦略? 新事業戦略? それだけで言っているなら全部違う。

 ビジネスが対処するほとんどの物事はいくら重大そうに見えても前例がある、ルーチンであるし、もしそういう未曾有の事態が(厳密には過去何度か発生しているので違うけど、例えば大震災が近いかもしれない)現に発生したとしても、対処する(戦略を考える)のはすべからく(全てという意味じゃないよ、当然という意味)組織の最高責任者のレベルであるから。

 わかりにくいよね。私も実は大震災までなんのこっちゃと思っていた。だが大震災自体は規模の大小はともかく過去何度か経験しているとしても、例えば(ノンポリでいきますが)、「核燃料発電はもうやめよう」というなら、これは「未曾有の出来事」だ。

 であれば過去には化石燃料への移行があったし、そして核燃料発電の普及があった。そういうものは人類史上一回しか発生しないだろう。銀河は何度も滅亡・再出発を繰り返してきたというMass Effectの世界でもない限り。
 ドラッガーが言っているのはそういうレベルのお話。だから今の日本に「戦略」がないというなら正しい。だがそれは「復興予算を捻出する戦略」なんかじゃなく、ポスト核燃料発電の時代が到来するとしたら国家は、企業は、国民はどう対処するのか、ということ。
 

 いやいや、女子高校生が考えたっていいんだよ? 誰も女子高校生が国民じゃないなんて言っていない。今のところ有権者ではないだろうが。だが、そういうレベルの話であるということは言っておきたい。  

 ドラッガーのように深い考察に基づいているかどうか知らないが、それ以外の多くのビジネス書、ビジネス・コンサルタントが語る「戦略」は、(結局お金を出してくれる)最高経営者、最高責任者に向けて言葉を発している。

 だから将来そうなるつもりでもなければ、(これもガッカリさせて申し訳ないけど)実はまったく意味がないものがほとんどである。ほんとすまん。

 ミンツバーグはそうではない。そういう世界に興味がおありなら、日本語版でもいい(読んでいないから保証はできないけど)、ぜひ眺めてほしい。  

 相変わらず前置きが長い。

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 先に、「ビジネスの世界にミリタリー・アナロジーを持ち込む一切の試みを疑え」みたいなことを書いた。そんな格好いい言い方はしていなかったけど。
 マーケティングは顧客を爆撃したり、狙撃したりするわけではないし、セールスマンは来客者を待ち伏せして殲滅するわけでもなければ、「ひとりも生かして帰すな!」とときの声をあげているわけでもない(自動車のセールスマンがそう叫ぶハリウッド映画は本当にありましたが)。

(ただし、本当にミリタリーのアナロジーを企業戦略に使うケースもある。例えばスターバックス・コーヒーは日本上陸に際して最大の敵ドトール(の高級店)の個店を地理的に本当に「包囲する」出店戦略を用いた。このように例外はある)

 これは(もちろん私以外にも言っている人は多いだろうし)ミンツバーグ教授が直接言っているわけではない。でももっと普遍的に「全てのアナロジーも疑っちゃえ」と言い切っても正しいかもしれない。
 

 本書ではまず、マネージャーの仕事について、誰もが思いつく「オーケストラのコンダクター(指揮者)」のアナロジーを疑う。ミンツバーグだけはなくてドラッガーはじめありとあらゆる論者が疑っていた。
 コンダクターには「スコア(譜面)」がある。マネージャーにはない。オーケストラは完璧な演奏をするとみなされる。どんなマネージャーでも完璧な仕事は望めない。例えるならむしろオーケストラのリハーサルである。誰かがヘマすれば、あるいは指揮者が満足しなければ演奏は何度も中断され、何度もやり直し、手を変え品を変えて「作りあげ」続ける。いつまでかかるかすらわからない。演者一人ひとりは生身の人間でもあり、それぞれに演奏以外の心配事も抱き、演者以外のクルーも仕事をし、スポンサーはコンサートの演目について余計な口を出し続ける。 

 意思決定は次のようなサイクルで遂行されると目され、信じられている。すなわち、define(問題定義)、diagnose(現状分析)、design(企画立案)、deside(意思決定)。

 一言で言えば、"Thinking first"である。まずじっくり、頭を使って考える。さすれば道は開ける。
 だが実際にそんな風に意思決定が行われていることなどあるだろうか? あなたの日常生活で? いや、ビジネスの世界は家庭生活や趣味・レジャーとは全然違う?

 考えている間にも事態は刻々と変化していないだろうか? 予期せぬ方向に動き始めていないだろうか。本当に事態を把握して将来を見通せているのか。逆に、そんなプロセスを経なくても名案が一瞬にしてひらめいたりしないだろうか。途中で浮気した発想のほうが良かったりしないだろうか。

 別な書物で、"conventional wisdom"というものへの批判があった。経済学者ガルブレイスが用いたのが普及のはじまりらしいが、日本語では「社会通念」などと訳されている。「良く行われる習慣」などのことだ。つまり「真実」とは限らない。もっと言えば「ちゃんと考えて行われている」わけでもない。
 

 そして未来学者でもあるガルブレイスが批判的に使い始めたことからもわかるように、もっぱら「不確実な未来を予測せざるを得ないとき、人々が頼る、拠り所にする発想」のことだ。

 日本語だとどんな言い方が一番近いのかな。考えているけど、ちょっと思いつかない。

 上記の意思決定のメカニズムなど、その際たるものではないだろうか。  

 この一見スッキリとした"Thinking first"の意思決定の発想に対して、ミンツバーグ教授は、もっとごっちゃごちゃで現実的な意思決定の発想として、"Seeing first"をあげる。モーツアルトによればシンフォニー作曲の一番素晴らしいところは「全体を一瞬にして心の中に浮かべることができる」ことだという。

 ゲシュタルト心理学によれば、創造的発明のステップは、preparation(しこみ)、incubation(あたため)、illumination(ひらめき) verification(たしかめ)である。
 訳語は申し訳ないが探しきれなかったので私。「しこみ」は他と語呂も悪いしとても苦しいが「ネタを仕込んで待ち受けていなければチャンスはやってこない」という意味。ネタ・知見は十分に蓄積しておかなければ目の前を大アイデアが通り過ぎても気づかず、発明には結びつかない。
 あとはおわかりいただけると思う。調べるとゲシュタルト心理学自体の主張は「人間の心理現象は要素の総和によるもの」だそうなので、ここに登場するのも当然といえば当然。 

 ではひらめきも、考えも浮かばなかったら?
 "Doing first"、スニーカー屋さんではないが"Just do it."、「実験」だ。サイクルは、enactment(実行)、selection(選別)、retention(保持)。

 先に書いたスパゲティー・トッシング、壁にスパゲッティーを投げつけて、どれが貼り付くか(残るか)眺めてみよう、という実験精神はまさにこの"Doing first"のことだ。一方でアナリスト氏が言っていたリスク回避行動というのは"Thiking first"。ここでまた登場することに我ながらビックリしているがそれも「しこみ」があればこそか。

 「手を動かせば頭がついてくる」という。「走りながら考える」とも言う。日本のコンビニ食品の商品開発手法をマーケティングの専門家は揶揄して「撃て、狙え!」という。いや正確には「狙い」なんてなにそれ、「撃って撃って撃ちまくれ!」か。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」か。「当たらなければどうということはない」っつのもあったな。関係ないか。 

 私はユニクロの成功の秘訣は、もうこの一点ではないかと思っている。試行錯誤というやつだ。最近は苦悩しているそうだが、悪しきマーケティングの発想、すなわち"conventional wisdom"に毒され始めたのか。 

 ミンツバーグ教授によれば、90年代に(日本でも)流行った「コア・コンピタンス」なる発想に囚われた企業はその後軒並み苦悩したそうだ。変化の時代に自社の何が強みで何が弱みか、やってみなければわからない。"Thinking first"の最大の問題は「学習」を忌避することであるという。

 珍しくいい記事を読ませてもらったのでちゃんと日経新聞と呼ぶことにするが、「ソニーの覇権奪回?」について、「商品」ではなく「経営」(マネジメント)にしか興味がない出井の時代に凋落が始まったと書いてあった。卓見だと思うというか、ようやくそれが書けるようになっただけかな。

 そして、三つの意思決定のアプローチについてキー・ワードをまとめたものが次。 

Thinking first; Science, Planning, programing, The Verbal, Facts

Seeing first, Art, Visioning, imagining, The Visual, Ideas

Doing first, Craft, Venturing, learning, The Visceral, Experiences

**********

 それとDark Soulsと、一体どこが関係あるんだと? 

 プレイした(している)方にはおわかりいただけたのではないかと。

 Wikiをなぞってプレイしているなら別だが(それもご苦労さんだが)、私の当初のプレイパターンは、まず"Thinking first"であった。自分のアクション・ゲームの得意不得意からみて、打たれ強いナイト、ヒールも使える楯と剣スタイルを選ぶ。じっくりと作戦を練る。それで壮絶に頓挫する。思ってたのと違う!
 相手のこともわからないので、考えてもしょうがないことに気がつく。途方にくれる。せこくソウルを集めるべきかと計画を練る(Planning)。まあ、それもうまくいかない。うまくいかないように作ってある。
 

 でも考えていても一歩も進まないので、とりあえず"Doing first"、色々やってみる(Venturing)。
 繰り返すからプレイの腕前は徐々にあがる(Learning)が、特定のボトルネックではなかなかうまくいかないことが続く。
 しょうがないから寝る。飯を食いながら(ここだけの話オフィスで仕事をするふりをしながら)あれこれ思い出しては考えを弄び(Imagining)、「あ!」と妙案らしきものを思いつく(Visioning)。帰ってやってみる。うまくいかない。じゃあ少し変化させてみる。うまくいった! ここが"Seeing first"。

 
 もうその先で殺されてやり直さなければならなくなっても、(まあたまには大事なことを忘れたりしてあせったりするけど)もう作戦が確立している(Programing)ので、滅多なことでは死ななくなる。 

 私はただ、これを繰り返している。もちろん、まだ見てもいない場面であれこれ考えたりはもうしない(人一倍びびりはするが)。まずやってみる。

 そして、それがとても面白い。正直まだ見ていない部分をいずれ見ちゃうことになるのが、もったいないと思い始めている(そう簡単に先に進めないけど!)。

**********

 ミンツバーグ教授の教えを一言で言うと、 「考えてわかるほど世の中甘くない」だ。
 

 マネージャーの仕事は、椅子に深々と腰掛け、じっくりと瞑想に耽っているようなフォークロア(民間伝承)のイメージとは大きく異なり、ケイオティックで、メッシーである。マネージャーの仕事は混乱しており、しょっちゅう中断を余儀なくされ、「予定は未定のこと」を地で行っていて、物事がうまくいっても短命で、多岐にわたり、極めて行動中心である。 

 上で紹介した内容は本書のまだごく一部だが、全体を貫くトーンはそういうこと。他にも知見が得られた話があるが、それはまた。
 

 下の引用文は本書のもの。

 "If you're not confused, you don't know what's going on. " (ジャック・ウェルチ、GEのCEO時代)

 スズカのF1日本グランプリも終わった。私がいつも引用している元F1チャンピオン、マリオ・アンドレッティの名言も再掲しておく。ウェルチとまったく同趣旨だが、こっちがだいぶかっこいいから。

 "If everything seems under control, you're not just going fast enough."

 

 

 

 

 

2011年10月 9日 (日)

第三艦橋へ。

 面倒なことは切羽詰らないとやらない性格ですが、ようやく三つ目のBlogも設定しはじめました。

 Dragon Age: Originsのリリースにあわせてはじめた雨乞いブログ。

 一つ目は2009年11月から2010年1月まで、容量オーヴァーで放置化。
 

  Dragon Age: Origins、Awakening、Mass Effect 2とそれらのDLCのプレイスルー記事が中心でした。

 今(2011年)の洋物CRPGの日本語版リリース状況からすると、たった2年前なのに隔世の感がありますが、それらの作品に限らず、洋物CRPGの日本語版リリースは影も形もない、とんでもない日照り続きだったのです。 

 日本のゲーム会社は、そうやって内にこもったままこの後ずっと鎖国を続けるのかと、本気で心配になったのが、この(Wikiでも攻略でもない、一体誰にとって有益かわからない)Blogをはじめた理由のひとつでした。  
 

 今日では上に並べた作品はすべて日本語化され、まさかと思っていたThe Witcher 2まで日本語版になってしまうんですもんね。プラットフォームを選ばなければほとんどの大物CRPGは日本語で遊べるようになりました。

 さらに、自分ではあまり日本語版を遊ばないのでわかりませんが、ヴィデオゲーム全体の日本語訳の水準も、一部を除けば相当あがったそうです。ご同慶の至り。

 二つ目(このBlog)は、2010年1月からはじめて、まだ完全閉鎖はしませんが、2011年10月中には終わるでしょう。 

 結局カヴァーしたのはDragon Age 2ワンタイトルだけでした。
 

 一つ目のBlogは、当初ベタ訳をしておらず、面白そうなところだけピックアップして翻訳(超訳)をやっていたのですが、実は「まとめ」たり「省略」したりするほうが頭を使うので、ベタでやるよりずっと面倒。これはおやりになればわかります。ただ翻訳するだけならどうということはないんですが、コンテンツの「編集」はおそろしくタイム・コンジューミングなんです。
 

 Mass Effect 2あたりから、プレイした場面のベタ訳記事が中心になってしまった。

 Dragon Age 2も同様、頭をあまり使わない方式になっている。

 逐語訳の場合、原文も掲載しておかないと「お前、訳が違う」という指摘ももらえないし、自分で見直しても問題なしみたいな気になってしまう。よってセリフの部分はできるだけ省略せず掲載するようにしている。

 そういう関係で画像数がやたら増えてしまい、一つ目と違って一年もたずに容量満タンになってしまったわけです。

 翻訳についても、「自分で老後に読んで楽しめるように」というのが一番の主眼です。広い意味も含む誤訳だけは気をつけているつもりですが、プロでもなんでもないんで、日本語から原文を想像できるようなきちんとした逐語訳にはなっていません。

 でも、(これもプロじゃないからお作法を知らないけど)、テレビドラマや映画を見ていると、日本語で聴いた時に自然かどうかに力点が置かれているようなんで、時代の流れにはあっているかな、と思います。(テレビや映画では尺をあわせる必要があるためか、気の利いたセリフの細部もメチャクチャ省略しちゃいますけどね)

 これは「吹き替え版」の横行・・・、もとい普及によるものもあるんでしょうね。
 

 もう、「字幕版」では映画を観る事ができない層が増えているとか。そういうところもアメリカ人に似てくるんでしょうね(あちらではそもそも「外国映画」なんて好事家しか鑑賞しません。一等国の特権かな)。

 俳優本人の肉声を知らないってことなんだよな。

 BioWareゲーム以外、この手の試みを広げることにあまり乗り気がしないのは、やっぱテキストとして面白いかどうかによりますね。 BioWareはなんといっても業界ナンバーワンのライター・ピットを抱えている。辛うじて(BioWareのようにインハウスで大勢は抱えられないみたいですが)Obsidianが雇うライターのものが興味をそそる点では追いついてるかなと思いますが、Fallout: New Vegasは最初から日本語版が用意されていましたし、Dungeon Siege IIIもそうか。日本語版がなかったAlpha Protocolは・・・、まあグチはやめましょう。 

 気になっているのはDnDお抱えライターのサルヴァドーレさんがシナリオを書いた(監修した?)という、Kingdoms of Amalur: Reckoning(2011年2月発売予定)。
 シナリオはDnDライクで期待できそうですが、ゲームとして面白いかどうか見極めたいと思っています。プレヴューを見ているとアートスタイルがWoWライクになってる気がするんだけど、どうなんだろ。

http://www.gamespot.com/pc/rpg/kingdoms-of-amulur-reckoning/video/6337549/kingdoms-of-amalur-reckoning-video-preview
 

 ま、今の流れだとこれも日本語版になるかもしれませんけどね。

 Mass Effect 3の日本語版は英語版と間を置かずに出るかもしれない。IGNのこのページに"Japan: Q1, 2012"と確かに書いてある。

 http://xbox360.ign.com/articles/118/1188499p1.html

 Dragon Age 3はまだ影も形もない。まさかフェリシアDLCでDA2のコンテンツは最後なんて変なことにはしないと思いますが・・・。

 

2011年10月 7日 (金)

ヴィデオゲームのせいで男はダメになりました。

 ああ、また読者が興味を喪うだろうけど、もういっちゃう。
 どうせこのブログも、DA2のDLC、MotAから第三艦橋に移動予定だし。

 ブルックリン橋のデモがどうなるか、私は気になってしょうがないのだが、金曜日(現地)で21日目に突入するそうだ。驚くべき広がり(悪く言うと趣旨の拡散)をみせている。

 CNN、ひとつめはこれまでの出来事を概括した記事。ふたつめはプロテスターの素顔に迫るというものだが、そっちは当然記者のバイアスかかってますから、注意ね。

 http://www.cnn.com/2011/10/07/politics/occupy-wall-street/index.html

 http://www.cnn.com/2011/10/06/us/us-occupy-protest/index.html

 二つ目の記事、その何枚目かの写真に、プロテスターの素性(バックグラウンド)についてのこのような観察があった。つまり、ヒッピーとパンクだけではないよ、という意味だ。

"There were students, war veterans, Black Bloc anarchists, hippies, punks, professionals, feminists, even tea party supporters. It was a mix representing different subcultures and political groups."

 日本の新聞記事では、UAWなど労働組合も合流するみたいなことも書いてあった。
 とりあえずなんらかの「差別」や「格差」や「貧困」で憤慨あるいは困窮している者、国の、そして自分たちの行く末に「不安」を抱いている者たちが集まって来ている。

 私の読みは、この広がりこそ「アトム化」の最たるものであり、結局際限なく拡散してしまう、というものだが、ひとつ読み違いをしていたので懺悔しておく。
 オバマ再選まじやばい問題と、ティーパーティー運動への沸々と煮えたぎる怒りは見逃していた。そしてオバマ、あるいはバイデンがこのデモについてレスポンドしている。

 今のところオバマは「ウォールストリートは国家経済再建のためなくてはならない」というスタンスのコメントである。バイデンはティーパーティーと比較しつつ、どちらも「アメリカ国家との取引きについて裏切られたという国民の気持ち」によるものだと説明している。

 同じニューヨークだったと思うが、アップルのiPhoneの不具合についてのクレームを申し出た若い兄弟がカスタマー・サービスからゴミのように扱われ、ネット上でその怒りをぶちまけ結構な騒ぎになったという話を日本語版ニューズウィークかどこかで読んだ。アップルが異常な速さと規模で修復を図ったそうだ。
 そうか、私はそこを忘れちゃっていました。日本ではありえないのだが、あちらはイメージ先行文化だった。

 オバマ、バイデンという政権当事者たちは、この件についてなんらかのアクションを迫られちゃっているわけだ(日本では政権から無視されるか、バカな政治家が余計な失言して火達磨になる)。
 それをもって(デモ寄りのなんらかのコメントを引き出してそれをお土産に)終息しちゃうかも。 

 その流れかどうかわからないが、下はある意味予想された話か。

http://games.ign.com/articles/119/1198484p1.html

 CNN Todayのeditorialに William Bennett(かつて父ブッシュ政権でUSの教育担当大臣であった)の説が載っている。「過去40年間、地位向上が図られてきた(アメリカの)女子に対して、男子があまりに情けない」。その理由のひとつがヴィデオ・ゲームである、という説。IGNが反論。

"He mentions high rates of unemployment as if this were the fault of men too apathetic to rise from our Gears of War marathons, rather than a direct and very obvious consequence of a global economic recession."

 グローバル経済不況ではなく、Gears of Warのマラソン・プレイが失業率の原因だとは何事だとIGNが噛み付いている。

 だがバネットの記事をちゃんと読めば、確かにアメリカ男性の就労可能年齢層の20%が働いていない(失業率でいう失業とは同義ではないです)という点について指摘しているが、根本は昨今の失業問題というよりは、「躍進しつつある女性」と「成長しない(でヴィデオゲームばかり遊んでいる)男性」との対比で、「お前らやる気あんのか」と叱咤激励しているものだ。

 もちろん、バネットが根拠として例示している、アメリカ女性の大学卒業率の向上、そして今や大学卒業生に締める割合は男性に対して女性が上回っている、逆転しているというその事実そのものが「女性差別」の結果であることは、(わざとかもしれないが)触れていない。女性はカレッジ・ディグリーがなかったらはなから相手にされないから頑張ったんでしょ?

 「ハリポタ」を観るまでもなく、学園生活を経験していれば女性のほうが優等生なのはわかりきったこと。東南アジア諸国なんて、男性は最初から全然ダメなんで、社会の要職を女性が占めるなんてあたりまえ。日本もそろそろそうなるか?

 そういうように、放置すると「野郎はいざというときクソの役にもたたない」となってしまう状態から、今までどうしてアメリカは逸脱してこれたのか(本当に逸脱していたのか)、を考えたほうが早い気がするんですけど。

 残念ながらバネットは、「ふがいない男子」が増えている原因を短絡的にヴィデオゲーム、テレビ、音楽のせいにしちゃっているから、(その全ての批評メディアを標榜する)IGNとしては「ちょっと待て」と突っ込まざるを得ない。ちなみにIGNはマードックのNews Corporation傘下。テレビ局は保守派のFOXを擁しており、CNNと直接の関係はない。

 いろいろ考えは駆け巡るけど、もう週末だ。Dark Soulsでも遊びながら、CNNでデモの騒ぎの中継でも観続けよう。

 

スパゲッティー・トッシング

 これも何度繰り返したかわからない話題ですが。

 日本のコンビニに通っていれば誰でもわかることでしょうけど、清涼飲料水、アルコール類(もどきも含む)、カップラーメン、スナック類、いったい年間に何種類発売してるんでしょうと思うくらい毎週、毎月、新製品が出てはほとんどがまた消えていく。

 世界中どこもそうだろうと思ってはいけない。全く逆だ。日本以外にこんなことが続いている国はひとつもない。ヴァラエティからいったら、日本の数百に対して十種類前後。桁が一つ、下手すると二つは違うはずだ。
(最近は大陸国に行っていないので、今じゃあっちも同じだよというなら指摘して欲しい。多分違うと思うけどね)

 そういうとふたことめには「エコがっ!」とか目くじら立てる奴がいる。廃棄がっ、ムダがっ、資源がっ。

 崩壊前のソビエト・ロシアで生活したいなら、ご自由にどうぞ。
 確かに、棚に何十種類並んでいても自分が買うものは大抵決まっている。目新しいものをちょっと試すくらいはする程度。

 じゃあ、自分がいつも買う商品だけ、ソビエト・ロシアみたいに一種類ずつしか置いていないとしたらどうか。ソビエト・ロシアと違って行列しなくても買えるのであれば、実質影響はないのである。
 でも、やっぱイヤだよね。

(ちなみにモスクワの行列は何かを目的に並ぶものではなかったそうだ。行列ができていればとにかく並ぶ。何で並んでるのか前の人に聞いてもその人も知らない。相当前の方に聞かないとわからない。でもそんなことをしている間に行列が伸び続けるから、見かけたら脊髄反応で並ぶ。だから市民は誰でも日常でかい袋を携帯しているのが常識であったという)

 そういったコンビニの食品の分野だけじゃなくて、日本だけ異常なヴァラエティが存在する世界は他にもきっとあるでしょう。薄々あれもそうかなというのはあるが、私が自信を持って書けないだけ。

 本業以外の分野で(信じられないでしょうけど本業があるんです!)真剣にウォッチしているヴィデオゲームの世界だって、4Gamer(しか頼るメディアがないというのは問題あるかも!)を眺めていれば(中身はともかく)凝りもせず物凄い数のタイトルが出続けているのが手に取るようにわかる。しかもモバゲーの多くはいちいち記事になっていないはずだから、それでも氷山の一角か。

 日本は島国で、鎖国好きで、内向きで、98.5%が同一民族で、ほとんどが日本語が母国語で、80%から70%程度が神道か(と)仏教を信仰しており(ま、大多数はなんちゃって宗教?)、当然のようにモノカルチャーで、もっというとモノトーンで、金太郎飴(死語か)で、おしなべて社会から抑圧されていてダメとかいう連中には、必ずそのヴァラエティの話をつきつけることにしている。誰であっても容赦はしない。
 むっとされるけど、矛盾しないまともな解説はいまだかつて聞いたことがない。(数字は手っ取り早いんでネットで閲覧できるCIAのカントリー・ファクトブックによる)

 日本のラーメン屋の数とそのヴァラエティにも驚愕するものがあるが、これは他国だってデリなど探せばヴァラエティは結構ある。パック旅行で決められたコースしか行かないとわからないけど。欧米旅行の際には、ぜひ自由時間にそういうところでランチなどを食べて、ぼったくられて泣く経験をされたらいい(実はパック旅行に組み込まれている店のほうがずっとぼったくられ度が大きいんだけどね)。

 おっと前振りがまた長くなった。

 http://www.gamespot.com/features/6338540/aaa-or-bust/index.html

 GameSpotのこの記事。
 これから書くのは私の感想、というよりも自慢である。 
 これは新自由主義経済下において避けられない、イネヴィタブルな道。
(あれ、お話はこれからなのに、もう帰っちゃうの?)

 アクティヴィジョン(Call of Duty)以外全滅の世界を恐れるGameSpotの記者が、業界アナリストにe-mailでヴィデオゲーム産業の今後について質問したというお話。

 FPSはいずれ首位CoDと(恐ろしく離された二位の)BFと、そのふたつしか残らない。それ以外は死滅するというのは私がだいぶ前に書いた。
 記者は、さらに極端なケース、CoDしか残らないケースを危惧している。
 発想は全く同じだ。日本人だから私のほうが(武士の情けなどに期待して)甘いだけかもしれない。

 昔、まだコンパック・コンピューターがヒューレッド・パッカードになる前、バカ勝ちしていた時代のBusinessWeek誌上の同社の見開き広告が忘れられない。
 そこにはアメリカのどこかの街角の、つぶれて閉鎖されたPCショップの写真が三つくらい載っていた。つまり、コンパックはプレダトリーな(弱肉強食に生き残った)会社である、と誇らしげに宣言していたわけだ。
 そのコンパックもHPに呑みこまれ、さらに今HPはPCビジネスが重荷でどうしようもないと嘆いている。一部はビジネスを打ち切ったようだ。時代は流れる。人生は長い。

 アメリカ人であろうGameSpotの記者は、もちろんマルクス経済学など勉強したことはないはずだ。だから資本が人間を疎外するとか、資本は自己増殖のみが目的であるとか、そういうことは見聞きしていてもピンとこないかもしれない。
 でも自由競争の行き着く果てには何があるか、それはアメリカ人であればみんな身をもって経験しているはずだ。

 衝撃的なのはこの数字だ。NamcoBandaiは、2010年の会計年度には239SKUで21百万本売った。今年度は同じだけの本数の売り上げを見込んでいるが、SKUは前年度より60も少ない。実に25%減である。

(注)SKUはshelf(stock) keeping units、ロジスティックスの専門用語だが、ここでは「タイトル品揃え」程度の理解で十分。ほんとはややこしい)

 つまり、ヴィデオゲーム商売では、いわゆるAAAクラス、大物重視、大作指向の傾向が加速しているという。

 アナリスト氏によれば、コンソール・ビジネスは(ヴィデオゲーム業界の中では)最も予測しやすい分野である。
 「市場が成熟すると、企業はスパゲッティを壁に投げつけてどれが貼り付くか(生き残るか)眺めていた世界から、売り上げ予測手法を身につけて精度を高めてくる」

"As markets mature, companies tend to move from throwing spaghetti at the wall to see what sticks to becoming more methodical and precise with their releases."

 マーケティングの教科書どおりの発想ですが、これが日本のコンビニの商品棚では通用しないこともおわかりですよね。いまだにスパゲッティならぬカップ緬を壁に投げつけている!(もちろん、褒め言葉です)

 「今の時代、クソゲー(a flop)はパブリッシャーにとって破滅(doom)を意味するが、リスク・リワードの関係は変わっていない。過去は1、2作がまあまあの成功を納めて全体で利益を産むためには、10作リリースしなければならなかっただろう。今日では、顧客の購買動向の理解が進んだことによってクソゲーを産むリスクは大きく減ってきた。少数の大規模なタイトルに開発投資を集中することができるようになった。
 兵器のアナロジーがよくわかるだろう。爆撃機が目標に1発当てるため100発落とさなければいけなかった時代から、一発必中の時代に変わったようなものだ」

 なお、ビジネスの世界におけるミリタリー・アナロジーは一切信用しないほうがいいです。全く違う世界だから。パブリッシャーは顧客を爆撃してるんじゃないし。タリバンの拠点は動かないけど、顧客動向は変化しますし。ま、マーケの連中の発想はこの程度ということがわかればいいかな。

「逆にソーシャル・ゲームのような新規分野ではそこまでの情報がないから、スパゲッティー・トッシング(spaghetti tossing)戦略が用いられている。ただし、そこでも情報が集まってきているから、やがて少数大規模の世界に移行するだろう」

 ここでGameSpotの記者は私の質問を代弁してくれている。
 「でも、スパゲッティー・トッシング(spaghetti tossing)は、イノヴェーション(innovation)と同義語では?
 そしてスパゲッティーだらけの壁がありますよね。Wiiとか、DSとか、コンソールのFPSとか、ギター・ヒーロー、ダンスゲーム、フェイスブックゲームなどなど。それらはイノヴェーションであり、大きな成功を収めてきた」

 「イノヴェーションと実験は不可分だ。でも技術的制約というコインの裏面がある。X360はリリース後6年を経過して、もうあまりイノヴェーションの余地はない。
 次世代コンソールや、高価なファイアーウォールなしでどれだけイノヴェーションの余地が残されているだろう? Call of Duty Elite(有料サービス)が好例だ。私はHDゲームにおける2011年最大のイノヴェーションだと思っている(訳:ほんまかいな?)。MSとSonyはEliteサービスのために、おそらく相当な費用のかかる、オンラインサービスの大幅な改変を余儀なくされた。CoD以外のタイトルの場合、MSやSonyがそんなことにつきあっただろうか?

 どんな技術でもイノヴェーションは最初の33%くらいの期間に発生する。時間が経てば市場が成熟し、技術の制約もあって、もう壁に投げつけるスパゲッティーは残っていない」

 Call of Duty Eliteが今年最大のイノヴェーション? お前頭悪いんちゃうか?
 読んでいるこっちがだんだん腹立ってきたが、記者はきちんとつっこんでくれている。

「ビッグ・プレイヤーたちがなんだかわかんない新兵器とやらを駆使して、スパゲッティをできるだけ壁に投げないようにするのは、産業全体にとって良くないことでは? 最大のイノヴェーションがDLCのマップパックですって?」

 言ってやれ言ってやれ!

 最後はアナリストの言い訳。「リスク回避戦略が業界にとって悪いことだとは思えない。多くの情報があって追加リスクを取る必要がなく、技術的制約でイノヴェーションの余地が残されていないのであるから、当然の帰結だ。(出ました、キーワード、natural results)
 次世代コンソールが出ればまたパブリッシャーは実験を迫られるだろう。どうなるか? いや、まだスパゲッティーは投げられていないからわからない」

 さて、まじめに読まずに書き始めたので、私には予期せぬ知見が得られました。

 ・マーケティング理論こそflopである。

  ま、これは予想どおり。今更のようにガッカリ。

 ・業界アナリストは、資本主義の走狗、亡者である。

 ここまでハッキリそうだとわかったのは驚きである。CoD Eliteがなぜ素晴らしいか?
 アクティヴィジョンが顧客からさらに金をむしりとれるから(利益があがるから)である。
 どう考えても、パック旅行で指定されたレストランで受ける以上の「ぼったくり」なのに。

 そしてCoD以外のタイトルにMSやSonyは金のかかる改変を買って出るようなお付き合いはしない。その他で相手にされるのは辛うじてEAのBFかな。小規模のFPSはコンソール・ビジネスの入り口でシャットアウトされてしまうわけだね。

 ・GameSpotの(少なくともこの)記者は、とてもまともだ。その心配もよくわかる。
 
 記者が、ヴィデオゲーム全体のヴァラエティ、「多様性」を喪うことに本能的に危機感を抱いて発している(恐竜だけになっちゃったら滅んじゃうんじゃないのという)問いかけに、アナリスト氏は(資本主義システムにおいて利益最大化を計るパブリッシャーが現在のリスク回避行動パターンを取るのは)「当然の帰結」であると答える。恐竜万歳!

 ここまで蝕まれてるんだね。

 本当にこのまま滅びの道を進むのかなあ。

 「FPSならなんでも取り揃えてございますよ。CoDのスタンダード、CoDのエリート、CoDのコレクターズ!」

 資本主義、行き着く先は社会主義。マルクスの予言、そこまでは正しかった。
 「革命によって大衆が主人公になる」というところは間違っちゃった。

 でもガラパゴス日本は、最後まで気がつかずに、凝りもせず、10%の名作を生むために、90%クズといってもいいような、しょーもないゲームを作り続ける(カップ緬を壁に投げつけ続ける)んだろうかなあ。

 ほんと日本人でよかった・・・。今のところは?

2011年10月 6日 (木)

Big Trouble in Big China

 "Big Trouble in Little China"なる映画をご存知だろうか。

 imdbによれば同名の作品はいくつかあるみたいなんで、ジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル主演のこっち。1986年か。時代は流れたなあ・・・。

 http://www.imdb.com/title/tt0090728/

 このコンビの「ニューヨーク1999」、"Escape From New York"(1981)があまりに面白かったので、これも騙されたつもりで観た。

 映画の中身自体は、どーってことない。パルプ・フィクション的サイファイ・ファンタジー・アクション・スリラー。
 普通のトラックの運ちゃん、腕っ節と反射神経(reflexes)には自信のあるブルーカラー丸出しのラッセル。仲間を何の気なしに助けたら、サンフランシスコのチャイナタウンに巣食うニ千年以上生き続けている呪術師と、その配下の雨(Rain)、稲妻(Lightning)、雷(Thunder)なる三体の呪術師率いるおっかない地下集団と戦う羽目になったというお話。

 B級RPG丸出しやん、というプロットですが、その三体の呪術師との戦いは確かに面白かった記憶がある。当時としてはSFXもかなりまともだった。

 敵の呪術師のボスと、主人公ジャック(ラッセル)のやりとり。

 "You ready, Jack?"
 "I was born ready."

 記事の中身とは関係ない。表題はただのしゃれ。
 L.A.のチャイナタウンは、昔の面影今いずこなほど廃れてしまったとどこかで読んだ。サン・フランシスコのほうはどうなんだろうか。

 大陸国のほうはもうLittleでもなんでもない。Bigになっている。国力もヴィデオ・ゲーム産業も。

 悲しいお知らせだ。いや、薄々こうなることは予期していたので、悲しみもだいぶ減殺(げんさい)されている。

Big Changes to Cryptic's Neverwinter

http://pc.ign.com/articles/119/1198498p1.html

 記事冒頭にある"sugardaddy"。なんと、「援交」のことだって?!
 あ、そうか、シュガー・ダディ、甘い言葉で引き寄せるダディ(おっさん)か・・・。新自由主義社会いずこも同じ拝金主義か(その話題書くと読者が減るからやめ!)。

 簡単に経緯を。 

 借金でクビがまわらず存続すら危ぶまれていたAtari。株主と債権者の突上げも厳しく、手っ取り早くキャッシュが欲しいので、売り物になる資産を探したら、Star Trek Online、Champion Onlineを開発した子会社Crypticが目に留まった(というか他に目ぼしい物件がなかった)。

 大陸国の有名MMO会社であるPerfect Worldが買い取った。

 Crypticは、Dungeons and Dragons(DnD)4.0準拠のマルチ・オンライン・ゲーム(MMOではない)、"Neverwinter"を開発していた。

 Atariは、DnDに関するデジタル・コンテンツのライセンシー契約をWizards of the Coastと交わしていた。訴訟が色々あって、このPerfect WorldへのCryptic売却が引き金となったのか、一部を除いてすべての契約を解消した。
 例外が、(過去リリースしたものを除くと)丁度リリース・開発時期にはいっていた次の三つ。これで打ち止めということ。

 "Daggerdale"。すでにリリースされている。だが開発資金が底をついたのか、眼に見えるバグすら修正できない状態。DnDの世界観も踏襲し、コンバットもなかなか面白かったので非常に残念な作品。続編も今のところ期待できない。  

 "Heroes of Neverwinter"(HoNW)。facebookの非同期ブラウザゲーム。オープンベータ中だが、私の場合クローズドで飽きてしまった。DnDシステムの弱点であるが、低レベルの冒険者たちはそこらのおっさん(おばはん)と変わらない能力しかない。そこを飽きさせずに遊ばせるには何らかの工夫がいるのだが、特にこれといったことをしていないので、いっぱしの冒険者になるまでの繰り返しバトルが異常に長く、おそろしく退屈で、億劫。

 そして、Crypticが開発中であった"Neverswinter"。そのライセンシーの権利はPerfect Worldに引き継がれた。

 DnDファンにとって、ついにAtariがDnD独占ライセンシーを手放したのは吉報である。
 "Neverwinter Nights 2"、そして"Dungeons and Dragons Online"(DDO)以来久しく世に出なかったまともなDnDゲームが、ようやく出るんじゃないかと期待させられるから。
 なお、以前から稼動中のDDOについては、開発運営会社ターバインと、そこを買収したワーブラが権利を保持している。

 Crypticの"Neverwinter"開発コンセプトは、未だかつて他では二度と実現していないほど大規模でかつ活発なユーザー・コミュニティーが存在していた"Neverwinter Nights"(BioWare)のようなファンに熱狂的に受け入れられる世界の再現であった。
 よって、自社の"Star Trek Online"、"Champion Online"のようなジェネリックなMMOの路線はとらず、マルチ・オンライン、インスタンス・ダンジョン・ベースのco-opマルチ・プレイを模索していた。
 この発想のマルチ・プレイ・オンラインにはあまり類似のものが見当たらないが、上記のDDOや"Guild Wars"が近いかもしれない。

 しかもその肝となるのは、「ユーザー・メイク」の自作ダンジョンになるはずであった。これはHoNWでも試みがなされている。まあ、あまりご存知ない方は、「リトル・ビッグ・プラネット」の自作ステージを見ず知らずのみんなが遊んで評価する、と思えばいいかも。

 IGN記者がこの買収を「援交」とまで言ってしまうのは、結局Perfect Worldは、Crypticが進めてきたco-opマルチ・プレイを全部否定し、(私も、IGN記者も言外にそう思っている)「ジェネリックな」フリー・トゥ・プレイのMMOに路線を大幅に変更したからである。

 そして記者が危惧するとおり、"Vindictus"(「マビノギ」かな)のようなジェネリックなMMOを目指すということは、本来DnD4.0ルールセットが指向していた「アクション」を完全に否定してしまうことなのだ。
 コンバットはマウス・クリックで行なわれ、パターン分析と反射神経(reflexes!)が重要である。それにあわせるためにDnDルールセットは大幅に改変されてしまうのではないか、と記者は予想している。

 数多くのカスタマーを誘引するには、「アクション」主体のDDO、「タクティクス」主体の"Baldur's Gate"、"Neverwinter Nights"は「敷居が高すぎる」。

 そして前身である"Star Trek Online"、"Champion Online"と同じエンジンを用いるのであるから、MMOに作り変えられた"Neverwinter"の出来栄えは(前作ふたつを少しはプレイしてみた私に言わせれば)簡単に予想可能である。つまり、長い間遊ぶに値しないものになる恐れが大である。

 有料コンテンツは、さらに恐ろしいことになるんではないだろうか。例えば当初の5つのクラスは無料でも、パラディンなどの新クラスは有料になる?

 「無料」と称して、その実、課金でコンジューマー・サープラスを絞りつくす商法。
 ゲームが面白いかどうかではなく、どれだけ儲かるかが主眼の開発手法。

 "Dark Souls"はDLCを出さないそうだ。欧米(大陸も半島もだ)のパブリッシャーから見れば「だから日本人はバカだ。商売を判っていない」と笑うだろう。

 バカが勝つ時代はもう来ないんでしょうかねえ・・・。

 

 

 

サイボーグ009リメイク!

 これは正直心底嬉しかった。

 あの神山さんがサイボーグ009のリメイク・アニメを監督として手がけるというもの。

http://www.gizmodo.jp/2011/10/009_1.html

 ギズモードがなんらかの理由で開かない場合、プロモ・ムーヴィーはYouTubeのここ。

http://www.youtube.com/watch?v=vrmbrbQ6c40

 かつていままで、日本のアニメ・特撮リメイクもので「これはお奨め!」というものがあったたろうか?

 まあ、たしかに自家栽培の「ヱヴァ」はそうですね。

 特撮なら、なんと言っても「平成ガメラ」。すでにオリジナルと比べるような代物でもないけど。
 そしてそれに触発された「ゴジラ」。

 あと、なんかありましたっけ?というくらい、リメイク事情はお寒い。内容的にも商業的にも。

 神山監督ならナントカしてくれる!

 フランソワーズが全然別人でもいい!

(ちなみに当然震災前のお話ですが、私は、石巻の石ノ森萬画館でお土産を買っていたら、知らないうちに袋一杯にフランソワーズ・グッズを買ってしまっていた自分に気がついたほどのフリークである・・・。恥ずかしい)

 フランソワーズがまるで草薙少佐みたいでもいい!(髪型でしか見分けつかないな、ちゅうか髪型も少佐に近いか)

 プロモだけで判断すれば、ガッツガツのオリジナル重視であることも、とても期待できると思う。

 ただし、ひとつだけ・・・。

 あーーーっ、ジョーの加速装置の表現が「ジョー視点」なのかぁ!

 ぜひ「一般市民(加速装置ない人)視点」の戦いの絵も見せていただきたいなあ。

 悲しいくらいの出来栄えのテレビ版でも、あの加速装置持ち同志の死闘だけは、見逃せないものであったから。いまだに敵のおっさんの名前を覚えていないけど、あいつあいつ。

 つうか、009といえばあれでしょう・・・。(いや、パチンコの話じゃねえから)

 石ノ森先生は「いずれ神々の戦いをものしたい」とおっしゃりながら亡くなられたのですが、私は、あの戦いの場面ですでにその一端は描いていた、と考えているから。

 あー、はいはい、君らは「ジョー、どこに落ちたい?」のとこでしょ?

 わかってるっつの。

 (プロモ・ムーヴィー最後あたりの002のブースターの表現にはちょっち受けた。信者の皆さんはジェットの鼻にケチつけてるようですが、悔しかったらお前たちがリメイクしてみろと)  

 

ミスター・ビル・ゲイツからのお悔やみ。

 ミスター・スティーヴ・ジョブズへのお悔やみ。
 ご逝去の報に触れ、謹んでお悔やみ申し上げます。

 真っ先にリアクションを知りたかったのは、やはりこの方。ウィリアム・ゲイツ三世。

http://blogs.wsj.com/digits/2011/10/05/gates-i-will-miss-steve-immensely/

 WSJのページは、変な画面開いたりするようなんで、引用のところだけコピペ。

Mr. Gates’s full statement:

“I’m truly saddened to learn of Steve Jobs’ death. Melinda and I extend our sincere condolences to his family and friends, and to everyone Steve has touched through his work.

Steve and I first met nearly 30 years ago, and have been colleagues, competitors and friends over the course of more than half our lives.

The world rarely sees someone who has had the profound impact Steve has had, the effects of which will be felt for many generations to come.

For those of us lucky enough to get to work with him, it’s been an insanely great honor. I will miss Steve immensely.”

 30年来のお付き合いだったんですね。ちょうどあのTV映画、"Pirates of Silicon Valley"で描かれている時代の頃か。

http://www.imdb.com/title/tt0168122/

 もう一度観てみたくなったけど、家にはVHSで録画したものしかない。YouTube探せばきっとあるかな。

 マッキントッシュは1984年1月発表。

 あのリドリー・スコットが監督した、スーパーボールXVIIIのハーフタイムのCF、ジョージ・オーウェルの小説をもじった「ビッグブルー(IBMのこと)をつぶせ」というテーマの"1984"はあまりにも有名でしょう。

 Windows 1.0 (ソフトウェア)は翌1985年11月発売。

 パーソナル・コンピューターが一般のオフィスや家庭に普及しはじめてから、まだ30年も経っていないということに、改めて驚愕してしまいます。

 そうか、生まれたときにすでにパソコンが身の回りにあった人ももう随分いるわけか。

 年寄りの昔話は嫌われますな・・・。

 

 

2011年10月 4日 (火)

Street Cleaning Simulator Video

 前回までの記事を書く最大のきっかけとなった(うそ)、Street Cleaning Simulator のユーザー・スコア。レヴュアーの1.5に対してユーザー平均は9.1。

 既存権威に対して怒れる大衆ゲーマーたち。

 話題沸騰、とうとう映画化?

 いや、このヴィデオを見てください。

http://www.gamespot.com/pc/sim/streetcleaningsim/video/6328075/the-gamespot-community-reacts-to-street-cleaning-simulator

 

 苦笑。

Circulation of Elite(5完)

 ネタばらしをすれば、やはり世の識者に頼ることにした。

 アンチョコは佐藤優氏の「テロリズムの罠」(左巻・右巻)だ。2009年2月。
 既に彼の著作は何冊も読んでいるがたまたま手元にあったこの二冊でいいかなと思われた。

 ご本人が起訴休職外務事務官の頃にウェブブログに書いたものを加筆・編集しているそうなので、最初からきちんと項目立てされているわけでもない。なにか系統だった学術的なものを期待しているとまるで違うのでガッカリするだろう。
 
 さらに彼の場合は、特に原典の引用が長い。アカデミックな世界やインテリジェンスの世界ではそれは当然でも、雑誌や新書版だと「行数稼ぎ?」と受け止められかねないのではと心配になる。

 またこれは私個人の志向だからどうでもいいが、彼の本業であった対ロシア・インテリジェンス時代の話に関する興味も残念ながらあまりない。なぜなら、インテリジェンスは普通に考えられているのとは違って、ひっじょーに根気のいる、とっても退屈で、性急な成果を求めることのできない仕事であると薄々知っていたからでもある。

 書き手が悪いんじゃない。中長期的視点から国際情勢を紐解くという作業は元々派手さはないし退屈にならざるを得ない。それでいいんですけどね。ジェームズ・ボンド、ジェイソン・ボーン、ジャック・バウアーの3JBが大活躍するような世界はやばいっすよ。血湧き肉踊っちゃダメでしょ。もっとも彼らは「工作員」でしょうけど。

 ただ、インテリジェンス全般に関して彼が述べていることは傾聴しているつもりだ。インテリジェンス分析官はおしなべて悲観主義者だそうである。その描くシナリオは常に最悪のケースを想定する。だが同時に、「悲観主義者とは、十分な情報を持っている楽観主義者」であるそうだ。

 また国家はその規模に応じただけのインテリジェンス能力を有しているので、一般に考えられているように日本がダメというわけではない、というのもうなずける。少なくとも(元)手前味噌ではないはずだ。自分から「こんなに頑張ってますよ」と申し立てるインテリジェンス機関なんてないだろうし。

 それからロシア関係、最近ではプーチン再登板に関する話などは、彼の見立てを信用することにしている。北方領土問題については「この人まだ何か言ってないことあるよね」と注目している。

 一方で、こちらの興味のせいもあるだろうが、神学、国際政治学、社会学、経済学などを踏まえた現代社会(国内外)に関する考察はとても面白い。

**********

 そのうち新自由主義に関する部分が今回のネタ元。

 マルクス経済学を理解しなければ、新自由主義がもたらした今日の問題が資本主義に内在する宿痾(しゅくあ)であることは理解できない。 
 一方で新自由主義のもたらした「格差」あるいは「貧困」はいかにして克服できるのか、一歩間違えれば世界はファシズムへの道を再度突き進むのではないかと心配されるが、これは回避できないのか。

 ああ、退室は自由。でもマルクス経済学の中身のことなんて、ここにはほとんど登場しません。
 自慢じゃないが私が学生の頃はまだマルクス経済学は必須だった。もちろん劣等生だったけど。他にやること一杯あったもんで(笑)。

 なお、最初にお断りしておきますが。右巻のまえがきになんと、パレートが登場する。
 実は私もさっきそれを知って唖然とした。一度ざーっと読んだときには目に留まらなかったんだけど。

 もしかしたら今まで苦労して書いてきたことが全部載っているとか? しかも私の理解が間違っていたとか?
 もっと恐ろしいのは「お前、その本ただパクッただけじゃねえの?」となってしまうことだ。
 
 まえがきに「戦前の日本でもファシズムの理論家として紹介されている」と触れられているのみであった。本文には登場しない。一安心。

 あー、もうこんなに長くなってる・・・。今回で終わろうと思ってるのに。

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 可能な限り要点だけまとめていく。実は「まえがき」と「あとがき」にほとんど書いてあるんだけどね。その意味は内容を読まないとピンとこないかもしれない。

 なお本書の時代背景を羅列すると、安倍政権自壊(2007/9)、「蟹工船」流行(2008/1高橋源一郎・雨宮処凛対談、2009/7リメイク映画上映)、秋葉原の例の事件(2008/6)、ロシア・グルジア戦(2008/8)、リーマン・ショック(2008/9)、年越し派遣村(2008/12)、オバマ大統領就任(2009/1)など。

・リーマン・ショックは、新自由主義に基づくグローバル資本主義が終焉を迎える前触れではないか。それとも(大衆はただ搾取されるだけの原材料となる)純粋な資本主義への移行が進むのか。

「新自由主義は、アトム(原子)的世界観をとる。ばらばらになった個体(個人・企業)が市場での競争を通じて、最適の配分がなされると考える。新自由主義を究極まで推し進めると「規制緩和」ではなく「無規制」になり、「小さな政府」ではなく、「無政府」になる。
 新自由主義は、国家を認めないアナーキズムと親和的なのである」 

 上の部分を引用するだけで、もう私が言いたいことの準備は大体終わりました。とはいえ、それじゃよくわからんと言われるだろうから、「国家」が登場する部分をかいつまんで言う。そのまま引用だと長くなるんで。

・競争に勝利しても暴力によって成果を簒奪される。そのことを避けるため、新自由主義であっても合法的に暴力を行使できる「国家」の庇護が必要である。新自由主義が称揚したグローバル資本主義が、唯一のスーパーパワーとなった米国と結びついたのは当然である。 

 佐藤氏は、日本における小泉・竹中の新自由主義「改革」が「格差社会」を生んだという糾弾について、あの「改革」は必然であり避けられなかったという。冷戦後(ソビエト崩壊後)、それまで社会主義革命を阻止するため自ら社会主義的政策(たとえば社会保障)を取り込んでいた資本主義各国は、その脅威が去ったので本来の資本主義、新自由主義の世界に露骨にシフトしていった(大きな政府から小さな政府へ)。

 資本主義は、その全身が社会主義に汚染されることを真剣に恐れ、自らその一部を取り込むことで、比喩が適切かどうか知らないが体内に「抗体」を作ったといえるのかな。だから目的は友愛でもなんでもなく、自己防衛反応であったというのは昔から私も納得している話でした。

・また市場原理主義から、デリバティヴなる投機目的の商品が生まれるのは必然であった。そのような賭博経済が破綻するのも明白であった(リーマン・ショック)。第二次大戦後初の不況が世界を覆い、各国は国家機能の強化を図っている。

 出版時点では、ギリシャまじやばい問題はまだ表出していなかった。でも私は、アメリカほど新自由主義が蔓延しているわけではない(社会主義的政策も色濃く残る)西欧各国がこのままもとの木阿弥、分離すると言うのは考えにくい。やはりあれ(EU)は二度の世界大戦でもう懲り懲りしたヨーロッパ各国(エリート)の叡智なんだろうと思うから。もちろん通貨統合はグローバル資本主義的発想が忍び込んだものだろう。各国の規模を見ればドイツはともかく、フランスがギリで、後はとても単独で戦えないから。

・しかし、新自由主義において個体に分断された人々は民族や国家としての連帯感が希薄となった。

 ここで佐藤氏は、当時日本を騒然とさせていた非正規社員雇用の問題、労働組合の連帯感の希薄化、あるいは株主利益重視主義の蔓延に伴う企業リストラの横行などについて触れている。 

 一旦ここでまとめ。

 「新自由主義は、アトム(原子)的世界観をとる」

 私は、おそらく全ての問題はここで言い切れるんじゃないかと思っている。

 この間「実力主義」とかバッカじゃねえの、と書いた。さすがに大手企業でも言ってるバカはもういないんじゃないか? 何、あなたの会社はまだ言っている? ・・・だいじょぶ?
 「実力主義」とは、アトム化した個々人が自分の業績を最大化することによって(あるいはあたかもしたかのように見せかけて)、受け取る報酬も最大化することだ。つまり隣の席の同僚は「赤の他人」どころか「敵」だ。なぜならゼロサムゲームが前提にあるから。

 その集大成が新自由主義の市場経済であるから、企業も同様の行動をとる。本来必要なら協調すべき同業者は、叩き潰すべき(呑みこむべき)敵だ。周りを出し抜くのが一番賢いプレイヤーだ。あるいは疑心暗鬼こそ経営者の務めだ。アップル、グーグル、MS、Sバンク。
 
 資本家も同様だ。株主などの利益代表者は皆それぞれの利益最大化を狙う。理屈上企業の業績はコンスタントに成長させなければならないが、そもそも業績が出るのを悠長に待ってなどいられない。四半期決算? バカ、戦争終わっちまうぞ!

 当然、即座に手に入るキャピタル・ゲインを狙う。キャピタル・ゲインを提供できない(簡単に言うと株価を上げられない)経営者はあっさりクビチョンパ。それが怖いから業績を取り繕う。よくわかんない新事業でもぶちあげよう。とはいえ新事業なんて早々実るものではない。しかも最近はアナリストも賢くなってきてそんなものは眉唾だという。手っ取り早いのがリストラ。従業員レイオフ、カットが一番簡単だ。

 そしてせっかく減った人口です、株価が上がったからって、どうしてまた増やす必要がありますか? テンポラリー・スタッフでいいんじゃないですか。トータル・コストも安いし人数は変動させやすいし(日本の場合、正社員は簡単にそして安価にはカットできませんよ?)。

 でも、やっぱ株式は最終的に企業業績(実体経済)に左右されるからつまらんね。もっと速攻で儲かるものはないのかね? お客さん、ございますよ、デリバティヴ(私はこんな用語が生まれた当時知らずに、古き良き時代のヘッジ手段、オプション・フューチャーを含むと知って驚愕したおぼえがある。あの頃から破滅の序曲は奏でられていたのか)。為替でも、原油でも、農作物でも、天候でも、あなたの借金でもなんでも組み込みますよ。

 でもみんな同じこと考えるんだよな。結局睨み合いの手詰まりで旨みがない。
 仕方ありませんね。ローンなど絶対組めない貧乏人に不動産(家)でも買わせますか。そいつらへの債権を証券化すればなんとかなんでしょ。ろくでもない連中だけど全員がこけるわけでもないし。もしかしたら家を手放したくない一心で馬車馬のように働くかもしれんし。グリーンスパンも見逃すいうてるし。なんか格好いい名前でもつければみんな騙されんじゃねえの、サブプライムとか。

 さて、あとは何を言っていないんだっけ?

 そうそう、「カラー革命」や「アラブの春」とブルックリン橋や日本のどこが違うか?

 だって東欧も中央アジアも北アフリカも中東も新自由主義じゃないから。大衆がアトム化していないから。あれだけの圧政が続けば、きっかけさえあればそりゃ集うでしょ。連帯するでしょ。隣の見知らぬ人は「赤の他人」だなんてとんでもない、「共闘する同志」でしょ。まだアトム化されていないアメリカや日本だって大衆運動はたくさんあったでしょ。
(もっと言えば、東欧や中央アジアは私はわからんけど、北アフリカや中東ではそういうときに暴れる男性が尊敬される、もてる、格好いい、リーダーになれるから、男前だから)

 アメリカでは残念ながらそこまで集まらんし、爆発的にもならないと思う。私も最初は、先進国の人はオポチュニティ・コストが高いから、と思ったけど違う。アメリカの場合、隣の他人は「同志」ではなく就職を争う「敵」。そのうち就職が決まる者が出てくれば、ぽつぽつ抜けていく。ババ抜きではないが、最後悲惨な結末にならないかと心配している。

(追加:思い出した。たしか丁度この佐藤氏の書籍がカヴァーしている時代、日本でも同じ問題ありましたね。「企業の新卒採用がない」ことに不満の大学卒業生がデモ集会らしき活動をやっていた。代表者たちは「朝生」にも呼ばれていたんじゃないかな。あれがどういう結末を迎えたか。そもそも結末すら報じられませんでしたね・・・)

 日本に関してはもっと悲観的。佐藤氏が言うように、日本の場合すでに「差別」の構造がはじまってしまっているのではないかと心配されるから。差別構造を「社会的耐エントロピー構造」と呼ぶ説があるようだが、ある属性、例えば赤毛の子は仲間の子供にからかわれるけど、社会の中に均等に分散していって(エントロピーが増大して)、やがて溶け込んでしまい別に差別はされない。同じように百貫デブはどこにでもいるから、からかわれるけど差別対象ということはない(ケンカすると強い場合もあるし)。

 だがある属性がそうやって分散せず、社会のどこか特定の部分に集中して留まってしまう傾向がある、つまり耐エントロピー構造があると、これは差別の対象になりうる。

 そもそも「派遣村」のスタート時に、「こいつらほんまに働く気あんのかね?」らしきことをのたまった政治家がいた。官僚ではない、日本人が選んだ政治家だ。官僚は賢いから絶対にそんなことは言わない。多数の日本人の気持ちを代弁していないと言い切れますか?
 そして震災が発生してからこの方、もはや非正規労働者の話題なんて、マスコミは誰もしない。正社員のほうだっていつリストラくらうかわからないから、同情すらしない。もちろん企業は、政府があれ以降面倒臭いこと言い出したからそもそも雇用しない。

 明るい話するっていったよな? どこが明るいんだ?

 言っていません。暗い話で終わるのはどうか、とは言った。

 まず佐藤氏のいう、日本国家の向かう三つのシナリオ。

・新自由主義から脱却できずそのまま弱体化。
 (滅びへの道、座して死を待つ道)

・シンボル操作によって排外主義を煽りたてて、国民の活力を国家に糾合する。
 (後に出てきますが、ファシズムですな)

・日本で生活する人々が、国家の干渉を極力廃止、相互扶助、贈与を行なうことで社会を強化していく。その結果、国家が強化される。
 (佐藤氏のいう右翼的、保守的発想)

 ここでは佐藤氏はこの中では三番目しか選べないんではないかと述べている(下では違う道も示している)。

 ちょっと待て。そこまで行き着いたら大衆革命だろ!

 きっと、ここからお読みになったんでしょうね。歴史はエリート集団からもう一方のエリート集団へ権力が引き渡される繰り返し、という話をずっとしてきました。だからたとえ大衆革命が成功したとしても、次に登場するのは、結局今と実質変わらないエリート集団です。
 だって、あなた方政権交代とやらでつい先ごろ経験したんじゃないんですか?

 わかった、クーデターだ!

 職業軍人は官僚です。自衛官の「官」ってなんだと思ってました?
 官僚支配なら、軍人以外でも行き着く先は一緒。お隣に軍人かつ官僚である階層が支配する国があるじゃないですか? 結局別のエリート集団に権力を委ねるだけで、上と変わらない。
 軍隊怖いとかそういうのはこの場合関係ない。そもそも日本の軍隊は排除すべき相手以外の日本人に銃口を向けないんじゃないかな。宮崎駿のアニメ以外では。

(エジプト・カイロ中心部で群集が集結していたとき、鎮圧のため出動した戦車を見ていたら、初日M-60とかすごい旧式の戦車だったのが、二日目以降は最新式M-1エイブラムスに代わっていた。テレビにずっと映って見てくれ悪いから変えたのかと笑っていたけど、当初M-1戦車を取り囲んでいた国民がやがて後ろ(エンジン部)や砲塔に坐りはじめた。することがなくて暇そうな戦車長がハッチに腰かけてそれをずーっとただ見ていた。
 ああ、エジプト陸軍ってやっぱ国軍、国家エリートなんだなあ、とわかった。国民に銃を向けるのは決まって党の軍隊か私兵だかんね。その後、治安部隊との小競り合いはあったようだが、あれは大統領の親衛隊みたいなもん、私兵でしょう) 

 ただ、佐藤氏は、別の部分でこのような処方箋も書いている。 

○社会による道。
・日本の伝統である「一味同心」(同じ心になって力を合わせること)、極端な富裕も貧困もないのが日本であるという右翼的文化の影響を拡大する。伝統や社会的慣習で資本主義の純粋化を食い止める。保守的な方向。
・あるいは労働組合の力によって雇用確保、賃上げ、労働強化反対など改良闘争を目指す左翼的発想。

○国家による道。
・国家が経済過程に(自由主義原理をできるだけ尊重して)介入し富の再配分を行なう。
 設計主義、構築主義によって理性的な社会の建設を目指す社会民主主義システムを用いる道。
・理性を信頼せず、神話による動員で国民の一体性を確保する道。ファシズム。

 ところが社会民主主義システムは、政党、労働組合、宗教団体など国家に依存しない中間団体が圧力団体となってはじめて機能する。アトム化によってそうした中間団体が解体された場合はそういうシステムの実現の可能性が低い。その場合ファシズムが有効性を持つ思想として登場する可能性がある。ファシズムという名前はもちろん用いないだろうけど。

 なんだかどれも遠い道のような気がすんだけど。右翼はいやだなあ。でも労働組合なんて機能してる? 社会民主主義システムなんて日本にもう移植されてんじゃないの? 

 佐藤氏は、おそらくそういう感想をわかって書いている。そもそもこの書籍のテーマである、日本にファシズムの思想が生まれる危険性を示しているのだろう。

 だが上にも書いた。インテリジェンス分析官は悲観主義者だが、「悲観主義者とは、十分な情報を持っている楽観主義者」であるそうだ。
 そして不安に満ち溢れた悲観的なリアルを正面から見つめて、楽観的な解を導き出す。それがインテリジェンスの幹部の役割でもあるそうだ。

 基本的に電気が蓄積されることはないのを知らずに、ピークタイムだけではなく、24時間のべつ幕なし「節電」する日本人って本当にバカだなーと思う。関東・東北以外で「節電」しても本来あまり意味がないのを知らずに「節電」する日本人もアホやなーと思う。でもそのおかげで、本当にベースロード(つまり核燃料発電が担う分の一部だ)が削減できる分まで節電しちゃったかもしれないくらい効果が上がったのだったらバカってスゴイなとも思う。

 佐藤氏の言う中では(彼は保守と右翼があまりにダメで情けないから挑発的にわざとそう言っているんだと思うが)、右翼・保守的方向が一番の道ではないかしら。今日明日に実現するものでは、そもそもないけれど。

 

 

Circulation of Elite(4)

 もう一回書くと言って大変後悔しております。
 なかなかまとまらないのでDark Souls に逃避しておりました(笑)。

 ツヴァヘンダー?(ドイツ語不得意)なるものがようやく使えるようになって、クレイモアから切り替えてぶんぶん振り回しております。ざくざく肉を切られても骨を切る感じで(って亡者ってほとんど骨だけか)。

 私のプレイはともかく、GameSpotのケヴィンはじめ、大手サイトのレヴューが出揃い始め、軒並み好評のようです。IGNのレヴュアーのおねえちゃんの記事を読んでいてわかりましたが、やっぱりレヴュアー同志のコミュニケーションは(活発かどうか知らないけど)確実に取っているようです。
 よって、(少なくともDark Soulsに限って言えば)レヴュアー単独の独立した評価だけではなく、以前書いたデルファイ法のような(他レヴュアーの意見を参照して自分の意見を修正する機会が与えれる)評価になっているようです。
 まあ、ファミ通のクロスレヴュー(今もある?)なんてのも、編集者同士で意見交換して自説を述べていただろうからね。

********** 

 冒頭に載せていた、ブルックリン橋のウォールストリート占拠問題。
 今日(日本時間)になって、逮捕者は再結集。また同調者(共鳴者・同情者)が他の大都市にも拡がりを見せているようである。

 読売。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111003-OYT1T01429.htm

 産経の記事のほうはまだネットに掲載がないようだが、東京15版によえば、「抗議デモ、全米に拡大」となっていて、ボストン、シカゴ、LA、シスコにも「連帯」デモがおきているという。また「トウキョウを占拠しよう」というサイトもあるとか。

 現場には「私たちは99%」のほかに「銀行家はナチスのようだ」というプラカードがあったという。
 UCバークレーのサエズ氏によれば、上位1%(76万世帯)の年間世帯収入「最低値」は368千USD(約2800万円、っても極端な円高だからねえ・・・)。残念ながら上位1%にどれだけ富が偏在しているかについての記述はない。

 (今見たら載っていた。また続報も、とうとう「ゾンビ」が登場したらしいので載せておく)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/111003/amr11100313310003-n1.htm

http://sankei.jp.msn.com/world/news/111004/amr11100411090003-n1.htm

 「ゾンビ」のほうは、さすがにこの前書いた日本語の「金の亡者」って意味ではないだろうが、資本が人間を疎外する、資本家は生きたまま死人(しびと)、Dark SoulsでいうHollowed menになる、というならうまいシャレだと思う。

 まさかと思うが、もしかして気がつかない人もいるだろうから指摘しておくが、368千USDは、言ってみれば大リーグ選手の最低クラスの年俸程度の感じで、上は上で果てしないほどの広がりがある。だから上位1%の人の年収の「平均値」(mean)はこういうときには用いない。記事の学者は、(どれだけ所得が高額でもひとりはひとりとカウントするので)通常はそうした「外れ値」(outliers)があっても揺らぎにくい、頑健(robust)と言われている「中央値」(median)ですら適当ではなく誤解を招きやすいと考え、とても慎重になって「最小値」(minimum)を示していると思う。

  年収2800万円なら、自分280万円(560万円)だから十(五)倍かー、すごいね、なんて誤解しないように。逆に十倍程度の格差で済んでいれば、こんな騒ぎには絶対ならない。

 それからアメリカに限って言えば、キャピタル・ゲイン課税の問題が騒がれている。株式等の金融商品(証券化されているようだから区別する必要あるかどうかしらないけど不動産を含む)の売買益に課税されるもの。そのうち長期のものに対する課税が優遇されている。詳しくはそういうサイトは山ほどあるからそちらを参照。

 本当かどうか知らないが、日本語版ニューズウィークによれば、大富豪ウォーレン・バフェットは、自分の秘書(給与所得者)の所得税率(最大35%)よりも自分がキャピタル・ゲイン課税で納める税率が低い(15%)ことを嘆いたと言う。よってオバマ大統領に対し「私らからもっと税金を取ったらいいのに」と善人面してのたまったとか。

 一方で保守派に言わせれば、トップ1%はすでに連邦税の38%を納めているのに対し、ボトム50%はたった3%しか納めていないという。高額所得者にこれ以上負担させるなというわけだ。国を支えているのが誰かわかってんだろうな、オバマ、と。

 リベラル派バフェット、オバマに保守派がきれる。要するに二つのエリート集団のケンカである。

 実はデモ隊もエリート層予備軍だと思う。主張は「自分たちにも分け前をよこせ」だ。まるで排他的クラブのように「自分たちを入り口でシャットアウトするな」ということだろう。「富を平等に分配しろ」というニュアンスはまだ読み取れない。"Life is Unfair"というのはわかるとしても、それが度を超しているのは許せないということか。

 アメリカでもいまだに貧困問題は根深いだろうが、今騒いでいるのは「格差」、学生と失業者である。そもそも働いている貧困層はデモなんかに参加する暇も余裕もない。

 日本の「格差問題」とは、「非正規社員」問題でクローズアップされたように、主に低額所得者の数が急増している問題として捉えられている。だから「貧困問題」であるはずだ。

 具体的に所得どのくらいがそうか、というのは世帯で見るとか、そもそもどういう収入・所得であるとか色々慎重に考えなければいけないので他のブログに譲る(信じられないくらい数がある)。逆に世帯年収1000万円クラブなるブログもあるのでのけぞった。ダブル・インカムも含めるのであろう。「勝ち組」のつもりなのかもしれない。ま、余計なお世話かもしれないが言っておく。人生は長い。色々起きる(Life goes on.)。

 「貧困問題」の場合、主張は「自分たちがちゃんと食えるようにして欲しい」だ。

 だが、(アメリカの)エリート予備軍締め出し問題も、(今日の日本の)貧困問題も同根である、という話にもっていきたい。それから、アメリカの騒ぎは、なぜ「カラー革命」や「アラブの春」のような爆発的な活動にならないと思っているか、も言えるとありがたい。

 たぶん途中で挫折するだろう。だがDark Soulsで挫折はもう慣れっこだ。  

 

2011年10月 3日 (月)

Circulation of Elite(3)

 パレートは、社会学的考察の際は人間の非理性的行為に着目すべきとの考えを持っていた。経済学的考察が理性的行為、いわゆる「経済人」なる合理的判断の持ち主を想定していることとの対比であろう。
 最近では、「経済人」を行為主体と想定しない経済学、「行動経済学」なる分野もあるので付け加えておく。

 Circulation of Eliteは、よって非常に思念的な発想である。情念的とまでいえるかもしれない。英文で読むと、論文というよりはエッセイのような感じである。

 そもそもエリート(集団)の定義が曖昧である。

 ひとは肉体的にも、知性的にも、道徳的にも平等ではない、という公理に基づくのは確かである。ひとことでいえばエリートとそうでない者を分け隔てるのは能力差である。社会に必要とされている能力の優劣、有無である。

 パレート自身は「こういう人物なら10点満点で何点、こっちは何点」といった点数で評価する方式で説明しているので、そんなに深い意味合いがあるわけでもないと思う。
 ナポレオン・ボナパルトが善人か悪人かは関係ない。その能力が類稀であればよい。ある人が紳士だからという理由で盗みは一切しないなら、盗賊としての評価はゼロだ。
 また「この子はやればできる子」かどうか、潜在能力も意味はない。顕在能力でなければならない。

 だがここが重要だが、能力のある者は機会均等でなければいけない、という発想が彼の根底にある。
 ひところ日本企業で流行った「実力主義」というのとは全然、100%違う。あれは集団の業績を否定して個人の業績のみ追求するように仕向ける制度だ。よって個々人はもてるノウハウ、貴重な潜在顧客などの手の内を同僚にすら明かさなくなる。チーム(日本人の大好きな曖昧な言葉で言えば「総合力」、佐藤優氏によれば「一味同心」なる右翼的文化)で勝っていた会社は、金で働く傭兵部隊以下に成り下がった。日本企業の退潮が言われて久しいが、個人的には一部はそのせいじゃないかと思っている。

 この「実力主義」なるものは、次回記事に登場する(はず)の「新自由主義経済」の概念とも密接に関連している(はずだ)。まだ書いていないのでわかんないけど。

 ところが、パレートは既に権力の座についている集団をエリート集団と呼ぶこともあるのでややこしい。そして既に権力の座についている者が必ずしも「必要とされている能力」、英語で言うところのcompetenceを有しているわけではないことも、完全なる適任者がそういう地位についていないことがあることも、今更説明する必要もないであろう。

 "Life is unfair."
 人生は不公平だ。

 よってエリートの機会均等を実現するため、社会的な地位には現に能力を有する適任者が就くようにするためには、社会に完全なる人材流動性がなければならない、という発想に行き着く。現代の言葉でいうと適材適所、機会均等だ。もちろん、現代だろうがいつだろうが実現していない。どじょう内閣だってだめだ。そもそも、どじょうって。

 まてまて、おれにはそういった人に見せることのできるこれといった能力みたいなものはどうやらないようなんだが、この話のどこに登場する?
 登場しません。話は一番最初から、すでにエリート層に限られている。

 このゲームは、はじめからイカサマだったんだよ!

 まあ、腹を立てずに、いや腹を立ててる人こそできれば最後まで聴いて欲しい。私だって権力の座になんて就いていない。

 人間社会には遺産相続、人脈(血縁・縁故)などがあるため、完全に自由な人材交流など実現しない。それ故に、地位と能力の間に乖離が生まれる。

 原初的には、連戦連勝の歴戦の将軍、政治の天才、知恵に満ちた敬虔な僧侶、抜群の能吏、才覚溢れる豪商などがそういうしかるべき地位を占めていた。日本人なら戦国時代の話が一番愉しい(ときの権力者はおちおち寝てもいられなかっただろうが)のも、渡部昇一氏が「戦国時代がなかったら日本の歴史はさぞつまらなかったであろう」と言うのにうなずけるのも、それからなぜか大陸国の人間よりはるかに三国志が大好きなのも(本当)、草履取りの木下藤吉郎の話とか、曹操の「ただ才のみ挙げよ」という格言であるとか、そういう時代だったからだと思う。

 日本人は、神様がちょっかい出すのも、お上が面倒くさいのも大キライ。

 ちなみにあの「銀英伝」の作者(田中芳樹氏)によれば、大陸国で受けるのはやはり「隋唐演義」とかそっちであり、日本人が「三国志演義」びいきなのは、なんだかなあと昔書いていた。今調べたらご本人が日本語訳「隋唐演義」を出してますね。

 だが時が移ろえば、禅譲だの、謀略・腐敗だの、慢心・惰性だの、制度疲労だの色々あって権力者の地位と能力がどんどん乖離していく。もちろん悪いほうに。大陸国史をご存知なら、そういった例は枚挙に暇がない。エリート層は数だけではなく、質も、意欲も喪っていく。権力の座に就いていなかった下層民のほうが数も、能力も、意欲までも上回り、エリート層はそうした新興層の力に頼らざるを得なくなる。
 そうした新興層の流入を妨げれば、当然のように社会秩序は乱れる。もはや無能化した権力の座にあるエリート層は、再度門戸を開放するしかなく、そうでなければ革命などの政権転覆によって追放させられ、別のエリート層に席を譲ることになる。

 ひとつのエリート層が具体的に誰で、もうひとつが誰、ということではない。アイスホッケーのチームは疲労による戦力低下を避けるため、Aセット、Bセットなど機能自己完結した選手の集団を複数組むが、そのようなものと考えたほうがいい。複数のセットが交互あるいは順番にリンクに出てくるような感じ。観客に代わりに滑らせることはない。
 二大政党制というのは、言ってみればこの交替制を政党単位で実現しようという試みであろう。それ自体は良くも悪くもない。

 よって、このシナリオに一般大衆(どちらのエリート集団にも属さない者)が登場するとすれば、彼らが活躍する門戸が閉ざされ、あるいは喰えなくなって怒れる大衆となった場合である。だが一般大衆が不平不満によってときの権力者を何らかの方法で打倒したとしても、代わりに権力の座につくのは、また別のエリート集団でしかない。

 以上は、パレートがマルクス史観に対する批判としてぶちあげたものであったが、結局エリートとは何か、という部分は曖昧なままであったため、(別のエリート層であると自負していた)ムッソリーニのファシスト党に影響を与えてしまうことになる。パレート本人はファシスト党の活動には無関心であったようだし、彼らが政権についた後、本格的に猛威を奮うのを見る前に亡くなっている。

 だが思念的で、学術的・理論的には曖昧であっても、人類の歴史を観察して得られた発想であり、最近の国内情勢、世界情勢を見れば、尽くそのとおりになりつつあるといわざるを得ないのではないか。

 「カラー革命」、「アラブの春」なるもので長期政権が転覆されていくのは、ツイッターのおかげばかりではないだろうが、確かに一般大衆の憤りが爆発したものだろう。
 だが空白となった権力の座を埋めるのは、結局また別のエリート集団である。
 

 警察官の汚職があまりにむごたらしい、abysmalなことに激怒して始まったチュニジアなど北アフリカの暴動のおかげでときの権力が転覆しても、また新しいエリート集団が権力を握ってしばらくたてば警察機構が汚職をはじめる。

 ブルックリンでいくらデモ隊が騒いだって、アメリカの宗教ともいえる新自由主義の牙城、ウォールストリートは変わらない。もちろん、あるエリート集団が下手こいたので一時期一斉に退場はしただろうが、その代わりはいくらでもいる。実際に退場したのだって、その多くは実は一般大衆層じゃないかな。エリートは情報持っているだけに逃げ足は速い。
 そういえば「自分は高杉晋作のように逃げ足が速い」と自慢げに嘯いていたバカ宰相もいた。ア・バオア・クー脱出時のキシリアのグワジン(ザンジバル?)のように火達磨になればいいのにと思っていたが。

 ときの権力者であったエリート集団が制度疲労のせいかなにかわからないが、使い物にならなくなったので、大衆は政権交替が必要であるとみなし、選挙によって舵取りを新政権の手に委ねた。結局権力の座についたのは、やっぱり別のエリート集団に相違なかった。影のエリート集団たる官僚は依然として(悪い意味で)健在であるのもよく指摘されるところだ。 

 結局、救いがない話じゃないかって?

 パレートも、皆がマルクス史観に踊らされてabysmalな事態を招くことを看過できず、ましなほうの悪、レッサー・イーヴィルとしてこうした発想をぶちあげたのかもしれない。

 日本の場合、能力に満ち溢れている新しいエリート集団が現れるまで、祈り続けるしかないんじゃないかしら。それまで首相を何人ツモってはツモ切り、クビチョンパしても別にかまわないと思うけど。実際にギロチン台に送るわけじゃないし。
 

 いやー、それじゃ海底(ハイテイ)まで、ツモらんのじゃないって?

 そのうちでかい手に振り込んでハコテンくらうって? 
 

 という暗い話で終わるのもなんなんで、もう一回書こう。

 少しネタを仕込まないといけない。

Circulation of Elite(2)

 さて、循環史観とはどういうものか。

 それだけなら、先の記事で書いたように一言でいえてしまう。

 "There is no progress in human history. "

 言い換えて、あまり扇情的ではない表現を使えば、「歴史は一般に、同じところをぐるぐる回る」。

 ただし、これだけで「社会的な発展すらない」という意味ではないのでご注意。

 薄々お気づきだと思いますが、パレートの経済学的な功績は、数学的な検証を積み重ねられているというか、まがりなりにも検証に耐えうるという一方で、社会学的な功績は、彼本人が「非理性的な行為」に基づくと考えているように、思想、アイデオロジー(イデオロギー)の面が強い。

 ただし、循環史観を再現しようという数学モデルの研究も進んでいるそうで、その前提となるシナリオは次のようなもの。ロシアなどで盛んな分野だそうで、農本主義的発想ではある。佐藤優氏によれば、ロシアは今でもガチガチの農本主義だそうだ。

(こういうものを、あんましマジメにやっても面白くないので、例えばシド・マイヤー先生のCivilizationシリーズなんかを念頭に置いて考えると、正確さはないが、愉しくわかりやすいかもしれない。
 もちろんヴィデオ・ゲームのCivilizationは、人類文明は時代と共に「発展」するという発想に基づいていますが、例えば「人口爆発による飢餓・暴動」、「Golden Ageが到来した」、「セレブレーション・デイズ」などという循環史観の発想もそこここに見え隠れはしています)

・人口が、その土地の農作物が賄える最高レベルまで到達してしまうと人口成長率はゼロ近くまで落ちる。

・一般住民の生活水準の低下により社会システムは飢餓の深刻度が増したり、暴動が多発するなどの大きなストレスを受ける。

・本来、農本主義的な経済システムは変化に対する堅牢さを維持するための蓄積を有しているのだが、50年から150年の間にそれを喪失し、人口動態崩壊(Malthusian catastrophe)を経験することになる。深刻な飢餓や疫病が増加し、内紛が続発するなどの災害が多発するため、人口は劇的に減少する。

・崩壊の結果、自由に用いることのできる資源が入手可能となり、ひとりあたり生産と消費が増加していく。人口成長は復活し、あたらしい社会人口動態サイクルがはじまる。

 マルサスの人口論(人口爆発論)はお聴きになったことがあるだろう。上でいうMalthusian catastropheとは、マルサス学説に基づくカタストロフィー(破綻・破滅)をいう。

 人口論は、ダーウィンの進化論への強力な支援になったほか、ローマクラブの「成長の限界」という報告書(1972年)の発想の根底にも流れている。「成長の限界」の警告は、人口増加、環境破壊、石油などの資源利用のレベルが当時のまま続けば、人類の成長は100年以内に限界を迎えるというものであった。

 石油枯渇問題、地球環境問題への注意喚起を図った功績はあるものの、そもそも曖昧なデーターや前提に基づくトンデモ科学であるという批判がある。また地球全体での繁栄が継続できないなら一部の発展に限るという、非常に危険な人種差別的な発想を生んだと批判もされているので付け加えておく。地球規模の陰謀説まである。
 また最大の批判は、事後的な指摘であるが、報告以降に発見された石油の可採埋蔵量がどんどん増加していったことだ。「動的分析」を怠ったというものである。

 なお、戦後日本(および先進各国)のエネルギー政策が核燃料発電にシフトをはじめたのは、第四次中東戦争(1973年)が引き金となったオイル・ショック(オイル・クライシス)のためばかりではなく、直前に発表された、この「成長の限界」の影響も大である。

 そして今また人類社会は、地球温暖化問題に関して、根拠薄弱なトンデモ科学である、一部地域の発展に制限せざるをえない、というふうにまったく同様の騒ぎを繰り返している。そういう意味では「歴史は繰り返している」のかもしれない。

 根底の発想が農本主義だからといって、循環史観が普遍的ではない、とは言い切れないことは、ローマクラブの「成長の限界」を紐解かなくても明らかである。日本人にとっては食糧問題のみならず、資源問題、環境問題、格差問題、わざわざあげたてる必要もないだろう。

 正しい、正しくない以前に人々の「漠然とした不安・恐怖」に訴えかける説であるところが、重要かもしれない。

 パレートのCirculation of Eliteは、(歴史は結局同じサイクルを繰り返すという意味で)この循環史観に形式は似ている。

  •  だが着目しているのは、食糧でも資源でもない。社会の指導層、エリート層だ。
  •  
  •  誤解を恐れず非常に簡単に言ってしまえば、次のとおりだ。

     革命など(それに限らない)権力体制変更によって引き起こされる支配層の交代に伴ってときのエリート集団が放逐されても、その後に支配層の地位につくのはもう一つ別のエリート集団である。
     下層の者たち(定義は難しいがふたつのエリート集団以外の者たち、一般大衆)が代わりに権力の座につくことはない。
  •  そして歴史とは、このふたつのエリート集団の間で権力を交互に交換し合うことである。
  •  よって人類の歴史に進歩はない。
     歴史は貴族(上流階級)の墓場である。ギロチン台に昇るのは常に上流階級の支配層であるから。
  •  
  •  パレートは、比喩として現在支配層にあるエリート集団をライオン(lions)、そうでないほうのエリート集団をキツネ(foxes)と呼ぶ。
    (ここは原文をちゃんと読んだらちょっと間違いかもしれないが、ただ面白いので残しておく)
     これは日本人にはとても判りやすいのではないか。江戸時代末期に特に顕著となった、幕府(武家)と朝廷(公家)の権力の二重構造をまるで知っていたかのような比喩である。
  •  ちょっと待てと。では、一般大衆はそうした体制変更になんの関係もないのか? 
  •  そうではない。少なくとも革命や、民主主義における政権交代においては一般大衆の力が原動力となる。なくてはならない場合も多い(必ずしもそうではないのは、日本人なら明治維新を想起すれば一発でわかる)。
  •  だが大衆はあくまで別のエリート集団のフォロワー、あるいはサポーターであって、大衆自身が権力の座につくことはない。

    (明治維新について言えば、「官軍」の錦の御旗を手に入れるか入れないかで勝負が決まったと言う説はある。一般大衆が戦さに巻き込まれたことはあっても、自発的に銃や刀を取ることはなかった(そもそも持っていないし大規模な徴兵もない)。しかし万世一系と教えられてきた皇族への思い、その大衆心理は主たるプレイヤーたちである、ふたつのエリート集団の行動に間違いなく影響していたのではないだろうか。いわゆる「大義名分」である)
  •  なんだか、それって危ない話じゃないのか。階級差別を前提にしていないか?
  •  そうでもない。そうでもないが、ちょっと話が込み入ってくる。
  •  詳しくは次回に。

  •  なお私も勉強しながら書いているのでとても愉しい。今回は読者数は気にしないことにする(笑)。
  •  
  •  

    Circulation of Elite

     成分ゼロではないが、あんましヴィデオゲームに関係ないかもしれない。

     自分用に気になっていたことの整理みたいなもの。自由退室可です。

     まず、ブルックリンでのこの騒ぎ。

     700名が排除されたというが、「交通安全確保」が眼目のようで、即座に解放されているそうだ。
     昨日の記事と、今日の記事。読売。
     スーザン・サランドン、マイケル・ムーアまで現地に登場したので俄然ニュース価値が高まったのか。

     それから、産経の今日の記事がこれまでの経緯にちょっと詳しいのでそれも。
     ただし、産経の場合は「リベラル・オバマやめちまえ」が前面に出てきているので注意。「オバマめ、リベラルを標榜しながら失業率の改善もできず、あげく国家暴力でデモを排除しやがった」という意味らしい。だがNYPDにオバマ政権が関与できるはずもないので、これは誘導。
     経緯としてポイントなのは、先週はたかだか80名だったのだが、催涙スプレー(マスタード・ガスかな)の映像が流れたため共感者・同情者が集まり、今では1000名に拡大していること。 

     http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111002-OYT1T00332.htm

     http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111002-OYT1T00728.htm

     http://sankei.jp.msn.com/world/news/111002/amr11100216590004-n1.htm

     デモ隊が「私たちは99%!」というのは、残り1%がウォール・ストリートを中心に富を搾取している、という意味でしょう。ニューヨークで1000名のデモとはなんとも穏やかですが。
     きっとあちらの失業者はみなMMOで遊ぶのに忙しいのか。

     そういえば先日東京でも「半島国偏重テレビ抗議デモ」というのがあったが参加者2500人だったかな。あれもとても穏やかだったそうですが。テレビごときにマジメに怒っている時点で平和なのかもしれない。

     さて、全く関係ないように見えるのが、GameSpotのこちら。 

    http://www.gamespot.com/pc/sim/streetcleaningsim/index.html

     Street Cleaning Simulator

     くそげーレヴューが大のお気に入りの私ですから、以前から知っていた。もちろん現物は見たこともない。

     だいたい、あの深夜に街路を清掃する特殊車両(スウィーパー)がゲームに登場するなんて、カーチェイスものの障害物代わりとか、盗賊団のカモフラージュとか、普通に考えたらそんなところでしょう。
     このゲームはどうやら「いかに街路をきれいにするか」に目的があるらしい。 
     もう、そこだけで大笑いだが、中身も壮絶にひどいようだ。

    Street Cleaning Simulator is a broken, unrealistic mess that takes a relatively boring concept and makes it even worse.

     このくらい皮肉まみれのサマリーを書いてみたいものだ。"relatively boring concept"、「比較的退屈なコンセプト」ってところが受ける。いやいや、比較的って。どう考えてもゴミ回収車を操作するほうがずっとエキサイティングだと思う。

     さらにいえば、ある程度の規模の都市のゴミ回収車の運営シミュレーション(すなわちプレイヤーは清掃局の運営担当)なら立派なゲームになる。シム・シティの系列に繋がる名作となるかもしれない。日本人が作ったら、クチブトカラスさんたちを登場させちゃうかもしれないけど(笑)。え、もうすでにあんの?!(いや、よく知らない)

     よい点。

     Nicely detailed sweeper vehicles.

     悪い点。

  •  
  •  Not a realistic simulation
  •  AI vehicles do their best to try to destroy you
  •  Horrendously slow
  •  No replay value.
  •  GameSpotのレヴューは1.5でabysmal。むごたらしいくらいひどい、ということかな。

     そしてユーザー・レヴューは現状1300人くらいで、平均9.1。最近では10点満点が連発している。
     こちらも一種のしゃれ。(おそらくプレイなんかしたこともないこのゲームについて)どれだけ褒めちぎれるかを競い合っているお遊び。まあたわいもない悪のりです。

     このおふざけ。、誰ともなくはじまったのか、それとも今流行りのツイッターあたりで誰かが確信犯的に呼びかけたのかはわからない。GameSpotのユーザー・レヴューはメタスコアと違って誰もなんの重きもおいていない(GameSpotを参照しなければ目に触れない)だろうから実害もない。むしろPC部門でRage、Diablo III、Minecraftなどを抑えて堂々注目度トップに躍り出たので、数百本だった売り上げが数千本くらいにアップするかもしれない。しないと思うけど(笑)。

     別にこの話を、Dragon Age 2が「風評災害」なるもので売り上げが落ちた、と騒がれていることに結びつける気もない。まず「風評災害」で売り上げが落ちたのかどうか私は知らない。

     とはいえ無視する必要もないから、一応触れておく。

     例えばDA2のPC版、GameSpotではレヴュアー8.0に対して、ユーザー7.2(4200人台)。そんなに乖離しているわけでもない。ユーザースコアを一切信用してないので付け加えておくと、GameSpotでは算術平均に一部補正をしているようだが、たぶんヘイター(低スコアー)と普通のユーザー(中から高スコア)の最低二つの山がある、フタコブラクダのグラフになっていると思う。「算術平均」ときいて皆が想定するような綺麗な釣鐘状にはなっていないはずだ。サイトで確認できる円グラフだけみてもこの推測は正しいと思う。

     DA2のメタクリティックではクリティック・スコア8.2に対してユーザー・スコアは4.2だが、こちらもたかだか3200人台。

     ブルックリンの話同様、「たかだか数千人で騒ぐな」という話だな、と早とちりもしないで欲しい。そんなことはデータを見ただけで誰でもわかる。

     そうではない。

     たかだか数千人で世の中が動く、動かせるという発想、その根底には何があるのかについて考えていくつもりだ。

     もしかしたら「格差社会」の話になってしまうかもしれない。中身はできるだけノンポリでいきたいけど。

     Circulation of Elite(s)という概念がある。イタリアのヴィルフレド・パレートという19世紀から20世紀にかけて活躍した経済学者、社会学者が提起した。彼の父親はイタリアの社会主義革命家であった。
     経済学では、一般均衡理論の継承者、厚生経済学の始祖。

     パレートときいて、「パレートの法則」を想起する人も多いだろう。「2割の高額所得者に全体の8割の富が集中している」というあれだ。「富の偏在」と言われる。
     日本でも「富の偏在」とは直接関係のない世界で、ごく一般に「上位2割のムダな仕事がコストの8割をしめている」とか、「社員の上位20%の仕事が企業利益の80%を産んでいる」とか、20:80の法則とかよく耳にするかもしれない。それらが経験的に観察できることがあるらしい。

     パレートによれば、"It is a social law in the nature of man"。(原文はイタリア語だろうけど、私は英語以外さっぱりなのでまた引きで勘弁して欲しい)
     アリ・ハチの社会でも上位20%の働き者を排除すると、残った働かない者集団の中の20%が働き者に変わるという(本当かどうかはしらない)。あるいは人間だけではないのかもしれない。

     ブルックリンのデモ隊が「99%!」と叫んでいるなら、アメリカの富の集中はパレートの法則を超えるレベルに達してしまったのか。最近では色々な手法で「格差」を指標化しているから、そちらを参照。ここでは、デモ隊の叫びはパレートの法則に関係がある、とだけ言っておく。

     「パレート最適」というのも重要だ。「最大多数の最大幸福」とか厚生経済学などでいう「最大多数の最大利益」とかいうのは数学的に誤り(実現できない)と証明されたそうで、代わりに「パレート最適」を用いるという。

     簡単に言えば、「成員の誰かの幸福(利益)を減少させずに、他の成員誰の幸福(利益)をも増加させることのできない状態」。その状態が本当に(哲学的に)「幸福」かどうか知らないし、成員間で「平等」かどうかも関係ないけど、他人を不幸にしない限りは誰もこれ以上は幸福にならないと言う意味。成員間で資源の配分を行なうときに、もうこれ以上交渉する必要のない状態。だから「最適」。これは幸福(利益)を指標化できるなら数学的に解ける。

     どこかの国のバカ宰相が、元ネタを何も理解せずに、勝手に翻案して、結果国民に最大級の不幸を強いる社会を実現したことは記憶に新しい。

     もちろん、パレートの学説は、ムッソリーニなどファシスト党の注目を集め、一部は実際に政策に用いられ、そして「一時は国民から絶大な好評を博した」ということも触れておかなければならない。
     おそらくそういう理由もあって、日本ではあまり知名度がないのかもしれない。

     おっと、ノンポリで行くはずだったな。

     Circulation of Elite(s)は、経済学の一般均衡などの発想を社会学にもちこんだもので、社会全体には性質の異なるふたつのエリート集団が存在し、統治者・支配者として交互に支配を繰り返していく循環史観である。

    "history is a graveyard of aristocracies." (歴史は貴族(上流階級)の墓場だ)

     お気づきのとおり、社会進化論批判、マルクス(唯物史観)批判である。

     そして、そこから空恐ろしい結論が導き出される。

    "There is no progress in human history. Democracy is a fraud."

     「歴史は繰り返す」というのは嘘でしょうが、「歴史は、いつもあまり代わり映えしない」、「以前の歴史の焼き直し」なのは本当かもしれない。
     あのFallout の冒頭の有名なセリフにある、「戦争は、いつの時代も変わらない」("War..., war never changes.")という発想にもつながりそう。

     これは私個人の考えでもあるのですが、皆誰でも赤ん坊のときは真っ白な脳みそで生まれ、そこからよーいどんで経験・学習を積んで行くわけだから、ほおって置くと「人間はいつの時代も変わらない」。「知識」や「知恵」は個々の人間の脳みその中にしかない。誰でも死ねば消える。後に残されたものは「情報」のみ。

     ただし人類の「叡智」なるもの(実際には「情報」ですが)の蓄積は後世になるほど活用できるので、いつまでも石器時代が続くわけではない、(そうした情報の蓄積を活用した)医療などの発展によって少なくとも寿命は延びてきている、そして前にも書いたgoogle図書館などのインフラが実現すれば、個々人が過去人類が築いてきた情報を獲得する作業は格段にスピード・アップされる。

     過去の遺産を引き継ぎ、個々人が情報を蓄積する時間が長くなり、収集ツールが与えられて作業が迅速になるのを「発展」というのならそうでしょう。先達の経験に学んでいるから、人類全体は「賢くなっている」というならそうでしょう。中世暗黒時代に人類(ヨーロッパ)の「発展」が長期間停滞したというなら、それはもう繰り返したくないよな、と誰でも思う。よくよく調べたらそんなに「暗黒」でもなかったそうだが、それがわかったのだって叡智の蓄積によるものだ。

     もうひとつ、ここの話とは直接の関係はないが、パレートの業績で社会学的に大事なことは、経済学は人間の理性的行為に基づくが、社会学は非理性的行為に基づいていると考えたことだそうだ。

     最近では行動経済学などで、そうした経済学、社会学、あるいは心理学の枠組みを超えた学術的取り組みがなされてきており、そちらもとても面白いのですが、ここでは省略。

     さて予想通り長くなりそう。あと2、3回続くので、ご興味がない場合はご容赦下さい。

     また、これでも一応勉強した内容に基づいていますが、パレートの専門家でもなんでもありませんので、「お前、それ言いすぎ」とか「事実と違う」というならご指摘下さい。

    2011年10月 2日 (日)

    Mass Effect 3 マルチへ?

     ではないかと、みんながスペキュっている。

     来月号のX360専門誌(Xbox World magazine)に「新しいキラー・コンテンツが紹介」されるという話が発端。

     http://xbox360.ign.com/articles/119/1197662p1.html 

     本当なら、おそらくUncharted方式、あるいはRead Dead Redemption方式の、メインストーリーとまったく異なるマルチ・シューティング(だけじゃない、バイオテックもあるけど)モードになるんでしょう。 

     ちょっと気になるのは、(本来今年のクリスマス向けだったリリース予定が)来年3月まで延びたのも、それを追加するためじゃなかったのか?って話。
     

     そういう試みがBioWareからあがるってのは、まずなさそうなんで、発想はEAマーケのほうかな。

     すでに昨年、EAのジョブ・リスティング(求人)にそういう方面の人材募集があったそうだ。

     また、従来MEシリーズはBioWareエドモントン・スタジオが手がけていたが、その求人は(SWTORを開発中の)BioWareモントリオール・スタジオのものであったとか。

     すると先にご紹介した、あのMass Effect 3のサウンド・クリエーターの話、BF3のEA DICEのメンツとコラボしてノウハウを吸収している、なんてのも実は関係してたんじゃないだろうか。

     IGNなどのプレヴューによれば、ME3のコンバットの感覚は前作までとは「まったく異なる」リアルなものであったという。確かに前作までのノリでマルチプレイヤーというのはないでしょう。エンジンをリアルなものにしたから、マルチプレイの発想が生まれたのか。私は逆だと思う。おそらくマルチ・プレイ導入を狙うためコンバット・メカニズムを一新したのだ。

     先のコンバット・スキップ・ボタンの話ではないが、ME3の場合、そのぶんメイン・ストーリー部分が圧縮されるなんて心配はしなくていいと思う。
     しかもDA2と違って、MEシリーズにはRPGオールド・スクール派のファンというのはそもそも少ないはず(バカにしているはず)だから、DA2のコンバット・メカニズム変更時のようにあそこまでの怨嗟の声が上がるとも思えない。 

     (実はRPGオールドスクール派は、親マルチ・プレイ派である。デヴィッド・ゲイダーなどのライターが書いたセリフなんかじゃなくて、自分たちの好き勝手にプレイしたい、というのが真の姿。だから彼らは、本来マルチ・プレイ(今で言うCo-opだけではなく、ダンジョンマスター(DM)を置くこともできた)専門ゲームとして製作された、Neverwinter Nightsの再現を今でも祈っているわけです)

     でもコメント欄を読んでいると、Co-opならまだしも(私が思うにME3に関して言えばむしろこっちこそないと思うんですが)、マルチ・プレイヤー・キリングは要らない!という意見はかなり多い。

    「マルチ・プレイは病気だ。全てのゲームの開発者が、本当に必要かどうかに係わらず導入しようとしている。まるでヴィールス感染が拡大しているかのように」 

     私としては、BioWareに対するEAの過剰な関与こそが「感染」じゃないのか、と最近本気で心配し始めている・・・。 

     早くSWTORがローンチして、EA全部の興味がそっちに向かえばいいのに。

    (もちろんSWTORの成功を祈ってますよ。こけたら・・・、FFXIVなんて比較にならない大ディザスター)

     

     

     

    RPGこわい。

     殺す気か(笑)。

     死ぬのはDark Soulsでもう慣れっこになった気でいたが、これはないわ。

     いやいや、あのゲーム内の話ではない。

     ああ、ゲーム内の話だとあれ。呪い。

     ネタバレにならない範囲で書く。あれは、まじでのけぞった。しかも解決方法のヒントがサッパリ意味不明。昔と違って、きちんとメモつけて遊んだりしていないしね。
     

     これ、ひょっとしてつんだかも? その頃で20時間程度は進んでいたのかな。見事に無駄になったかと。
     

     結果的には、なんとか社会生活?に復帰となりましたが、もう二度と御免だと思った。
     

     でも、もう一回だけどーしても行ってみたいところがあって、試しにやったらまたくらった。

     死ねばいいのに(あっちも、私も)。 

     

     殺す気かというのは、ここのところのCRPGアップデートラッシュ。

     あちら、今ってなんかのホリデイ・シーズンだっけ?  

     Fallout: New Vegas、アイテム・パックふたつ(ひとつは射撃場でもついてくんのかな。(修正)違った、チャレンジの種類が増えているだけ)。
     合計しても6USD。二丁あがり。 

     ま、これはObsidianへの餞別代わりってことで。

     しかし、Steamの買い物チェックアウトのときの「お待ちください・・・」かなんかの表記はいつまで「開発中」なんでしょうか? もう日本人(日本語を解する)開発者いないのか。

     さらに、Deus Ex: Human RevolutionのストーリーDLCとアイテムDLC。 

     Two Worlds II、Expantion Pack。 

     DA2のDLCもまもなく来るので、これらはちょっと手が出ないなあ・・・。問題はお金ではなくやってる暇がない。

     
     なんでもかんでも買うわけではないんだな、と自分で気がついた。

     なんとなく気になって、The Witcher 2(クリア直前停止中)を久しぶりに覗いたら、やっぱアップデートがあった。しかも2.0とは、メジャー・アップデートだな。

     これもくわしく覗く暇ないなあ。いつものように、きっとオマケのコンテンツがついているだろうけど。

     CRPGは絶滅危惧種? 

     ほっときゃそのうちSkyrimが届く。

     「碧の軌跡」、「零式」、「XIII- 2」、和製で最低限触りたいものでこんだけあります。しかもこれまだVita前だからね・・・。その後は「ペルソナ4」もありーの。

     そして The Wircher 2 アップデート失敗・・・。

     要再インストール。 

     貴重な時間が。

     天も地も怖くはないが、あたしゃただCRPGが怖い(笑)。

    ・ 

     しっかし、Dark Soulsで心が折れたり、手近にあるものをぶん投げたりすることはないという自信ならあるが。
     

     The Witcher 2の再インストール後のアップデートは。

     必要なものにたどり着くまでの迷路のような説明だけで、すでに心が折れました・・・。

     お前ら、仕事できんのか?

     

     

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