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2011年9月14日 (水)

遠近法

 日本人が苦手なのは英語だけかと思っていたが、最近では国語(日本語)も不得意なのだそうだ。

 「最近の閣僚は身体検査などより国語力検査が必要だ。国語力さえあればあとは役人が何とかしてくれる」と民主党長老が皮肉ったと産経新聞にある。
 もちろん産経なので毒のスパイスが振られていることは注意(笑)。

 そんな、どーしようもない話をしてもしょうがない。もっとためになって面白い話が知りたい。

 4GamerのCEDECの記事。これは相当面白かった。 

http://www.4gamer.net/games/131/G013104/20110910008/

 このアート集団がいかなる存在なのか、寡聞にして知らないし、調べるほどのめりこむつもりもない。素朴な物言いの陰にはブレーンがいて、相当な理論武装をしているのか、そんなことぜんぜんしていないのかも知らないし、知りたくもない。

 講演者が語っている内容が、比較文化論的にあまりにも面白い。ただそれだけ。 

 ・・・インタラクティブハンガーの面白いところは,例えばCDショップにおける検索機のように,利用するための新しい操作を必要としないことだ。「顧客に新しい行為をさせるのはリテラシーを要求することになる。新しい行為で新しい価値を,ではなく,今までの行為の中に新しい価値を付加するほうが望ましい」

 講演者はこうした「行為」に着目した独特のアートスタイルについて、「スーマリ」と「茶の湯」によって開眼したと言う。

 ここであげているのが「茶の湯」だけだったら、私なんかは「あー、はいはい」。これがテレビ番組だったらもう、瞬時にザッピングしているところだ。陳腐!

 「スーマリ」ときたか。ずるいな(笑)。こういうところが論者のインテンショナルな仕掛けなのか、それとも朴訥に語っている内容がそのまま「知恵」になっているのかはわからないが、これは読み続けるしかあるまい。

 あとは読んでいただければそのまま書いてあるのだが、洞察に優れた点も多い。
 ただし4Gamerのいつもの悪い癖で、論者の意見に勝手に記者個人の意見を混入させるという大新聞のようなことをやっているようなので注意が必要。そういう部分ははがして読んでみよう。

 「従来のテクノロジーは国によって格差が発生した。「例えば製鉄技術のようなテクノロジーは,先進国と発展途上国で技術格差が存在していた」(猪子氏)。

 「言語化される領域の共有スピードが速すぎて,もはや情報は競争で優位に立つ条件にはならない」

 「これまでのテクノロジーは,背後に自然科学があった。自然科学は物理世界の現象を扱い,そこから汎用的/客観的な現象を抽出する。その結果,例えば車であれば,時速100kmとか,100馬力とか,そのように客観的な形で表現できる」

 「先進国の優勢は,文化だ」、「とくに,文化依存度が高くて,言語的に説明できない領域――例えば『カッコイイ,カワイイ,気持ちいい,面白い』という領域において,先進国が優位である」

 そこで猪子氏らは、「では,自分達の文化はどのようなものであるか」を考察し、日本人が西洋文化に触れる前の日本画に着目する。

 「西洋文化に触れる前」とはすなわち「遠近法」を知らない時代のこと。「日本画の描写法に対して遠近法が優れている」ということをコノートしてはならないので、「知らない」というコトバも注意が必要ですね。

「日本人は,空間をレイヤーとして見ていたのかもしれない。レイヤーに見えていたからこそ,逆に,空間をデザインするときにも,レイヤーとしてデザインしたのではないか」

 ここで日本画と発想が酷似しているという、スーマリとドラクエのような空間表現を例示するわけです。

 スーマリの前身のドンキーコングで「ドット絵でも見栄えがするように」あのマリオの容姿になったというのはあまりに有名な話。
 堀井さんによれば25年前、ドラクエの最初の作品「当時は開発チームがごく少人数で,ROMも64キロバイト,いまで言うと携帯電話の待ち受け画面程度の容量しかなかった」という開発環境だったそうなので、私は、やむにやまれずこういう世界観になったのかと思い込んでいましたが、これは日本人が造る以上「無意識の必然」であったという説ですね。

 そしてまた「遠近法」も実際には不自然な表現法であると看破する。

「人間はタイムラインの中で目のフォーカスを急激に動かしている。狭くて浅いフォーカスの範囲を,脳で合成して,遠近法の絵のように見えているだけ」。

 私なんかがゴチャゴチャ言うよか、いっそ全文読んでもらったほうがよい。

 質疑応答で「日本画的表現に対し,西洋人の意見を聞いて,なるほどと思ったようなことはあるか」と問われて、この方は色々答えていますが最後に「質問にちゃんと答えるなら,『外人の言うことは聞かない』」と言っているのが心地よい(笑)。

********** 

 一人称ゼッタイ堅持の「主流派」(FPSなど)でなければ名作と認めない、という昨今のヴィデオ・ゲームの風潮を苦々しく感じているから、お前はこういう「異説」にとびつくんだろ?

 し、心外であります! いや、その思い皆無とは申しませんが・・・。(by バタシャム中尉)

 先日読んだ「ふしぎなキリスト教」の論旨に通じるので興味深く思ったのだ。

 「遠近法」はキリスト教文化。なんで?
 
 唯一絶対神が創造したからこの世界は完璧。完璧な作品だから神はもういなくてよい、常時不在。たまに見にきて、こないだ製作した作品の壺が気に喰わないから「ええい!」って割っちゃうかもしれない(ノアの箱舟伝説)けどね。
 完璧な時空世界だから、ちょっといじくって時空を曲げてあげると「奇蹟」のできあがり。でもそんなことができるのは絶対神だけ。
 
 この世界のスチュワードシップ(ま、管理人?)を委ねられた人類は、基本好き勝手やっていい(論者は、キリスト教文化を旗頭に白人が好き勝手やってきた歴史を言っている)のだが、同時に神の作品を観察し、神の偉大さを解明しないといけない。それが信仰にも繋がる。

 色々考えてみたら、この世は数学と物理で説明できる、美しい(ここ、とても重要)世界が展開している。神はそういう風におつくりになったに違いない。
 そもそも(神がお造りになった)人類の視点(パースペクティヴ)だって、数学的(幾何学的にかな)に解明できちゃうじゃないか。で遠近法が生まれる。(いまだに森林が国土の大勢を占める日本で、遠近法なんて面倒くさくてやってらんなかった、という上述の猪子氏の視点も面白い)

 もちろん美学にお詳しい方は「遠近法の限界なんて、才能ある著名な画家たちは過去からとっくにみんな絶望してたんだよ!」なんて話をされるんでしょうね。パブロ・ピカソ、キュビズムあたりが思い浮かぶが、私はそんなに詳しくないからやめる。

 大事なのは「美しい世界」。以前、生物学者の先生の話を書いたが「好きだから、美しいから研究対象にするのは傲慢」と暗に数学・物理優位の教条主義を批判していた。
 一方で数学者は、世界の美しさに耽溺していることを公言して憚らない。そして人類社会はそれに比較していかに醜く、混沌(カオス理論でも解明できないくらいケイオティック(笑))としているのかと嘆く。
 
 「愛」が「美徳」ではないように、「美」もまた「美徳」ではありません。お、なんだかわけわかんなくなってきた。わかんないけど正しいよな。最凶の魔女は絶世の美女であったりするわけだし。「美徳は美しいけど、美は美徳じゃない?」 んー。

 まあ、こんな話いつまでも書き続けられますが、飽きてきたと思いますので、最後に「行為」に着目した猪子氏らの話から連想するお話をふたつ。

 それこそ日本画の巻物で散見されますが、昔の日本人って疾走するときは、両手を頭の上にあげて万歳するみたいな格好で走ってんですよね。陸上競技のスプリンターのように腰のわきに添えて小さく振るなんてしていなかったようだ。なぜか。
 でも時代劇のお侍さんたちは、利き腕じゃないほうの手で腰の大小の刀を支えて、すり足で「ささささっ」て走りますね。なぜか。

 シナイ半島、イスラエル軍の戦車に投石するパレスチナ人などは、昔はみんなサイドスローでした。オーヴァー・ヘッド・スローも、スリー・クォーターもいない。なぜか。
 よくみていると、最近では実はスリー・クォーターくらいは増えてきた(悲しいかな投石の映像自体は全然減っていない)。なぜか。

 全部「文化」だからですね。逆に言えば学ばずほおっておくと万歳して走るし、サイド・スローしか投げられない。関節の造りから自然な動作が決まるとか、理由はあるのでしょう。プロ野球のピッチャーが降板後に肩を思いっきり冷やしてる(アイシングしている)のは、かなり無理な負荷がかかっているからでしょうね。サイド・スロー・ピッチャーが冷やさなくてよいのかどうか知らないけど。

 ベースボール好きな日本人(かつては少なくとも男子)は、子供の頃からスリー・クォーターくらいでボールを投げてキャッチボールをする(おおっと、キャッチボールのキャッチもまた訓練の賜物だがややこしいので除く)。ピッチャーをやるならオーヴァー・ヘッド・スローも習うでしょう。
 アメリカ人は、ベースボールのピッチャーもアメフトのクォーターバックもオーヴァーヘッド・スロー(またはスリー・クォーター)ですから、ガキの頃から自然とああいう投げ方を身につける。観てるほうも視覚から学ぶので、とっさのときはそういう投げ方になる。

 でもオリンピック競技だとせいぜい「槍投げ」くらいしかないんですよね(あれも厳密には違うのかな)? 

 (追加)
 そうそう、どうして世界中でみると、サッカーの競技人口がダントツ一位なのか。パレスチナ人だって中東の人だって、平和なときはサッカーをやってるし。日本人がいつの間にサッカー好きになったのか良く知らないけど。野球部とサッカー部のない学校は確かに珍しかったかな。

 (余談:日本人がなぜベースボール好きになったか。諸説あるでしょうけど、バッティング・オーダーが大事かな。他の集団スポーツでは順番に出番が回るってのはごく稀。一対一の「対決」も(マン・トゥー・マン・ディフェンスなど)プレイの文脈の中では生まれるけど、予めルールとして「対決」が義務づけられているのは他に例を見ない。
 ここが「侍文化」というか「武道ぽい」から琴線に触れたのかしら? それと根っからの統計好きもあるかなあー。10回中7回しくじっても大打者っていうところが世の無常を醸し出してるからよかったのかな)

 (日本以外は)みんな植民地だったから西洋文化に被れた? いや、どうかな・・・。ラグビーはぜんぜん流行ってないよね。クリケットだって大英帝国以外ではからきしダメだ。
 やっぱ「蹴る」動作は自然だからじゃない?
 猪子氏のコトバを借りれば「リテラシーを要求しない」からかな。逆にゴールキーパーが超絶難しいらしいけど。

 ラグビーはまだ試合中に(キックもパントも)蹴る局面が何度かあるからいいとして、アメフトをご存知の方ならいまだに頑なに「フットボール」と呼んでいるのは不思議ですよね。
 アメフトのボールはほとんど蹴りませんよね。もっと大事なことは蹴る人が決まっていること。プロチームでもボールを蹴ることでお給料もらっている人は40人以上の選手のうちキッカーとパンターのふたり(あと控えがいるかも)しかいない。もう「ギルド」と呼んでいいくらいガチガチの専門職。
 でもフットボール。不思議。

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