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2011年1月19日 (水)

Japan's Decline (2)

 続きです。

 無我夢中

 イナフネ氏が産業の危機を叫び始めた頃、ただの誇張であるとしかみなされなかった。数年もしないうちに日本のゲーム産業が国際的に占める地位は脅かされていく。多くの大手ゲームサイトの2010年ゲーム・オヴ・ザ・イヤーに日本産のゲームは選ばれていない。評論家から絶賛されたスーマリ・ギャラクシー2ですら見過ごされている。もちろん、セールス的にも成功した日本産のゲームは指折り数えられるほどしかない。IGNの2010アワードでもその状況がわかるだろう。

 昨年、日本産ゲームが注目を浴びたのは驚くべき質的向上を達成しているPSP分野だ。市場の断裂という場合、こちらのほうが証拠として適切かもしれない。その普及度は西洋と変わらないとしても、その人気度、そしてそのまま開発者の注目度の高さは、日いずる国以外では決してお目にかかれないものだ。

(画像のキャプション)
”日本ではサヨクの人気が高いが、ウヨクにもリベラルの発想が必要だろう”
(訳: いや・・・、自分、どれが面白いと思ってキャプションの翻訳はじめたんだっけ?
 これは画像を見ないとわからないね。左にモンハン、右にもモンハンのあれかな?ネコみたいな。良く知らんけど。要するにPSPでモンハンしかしていない人たちの住む国かな)

 電車待ち時間をPSPでつぶす光景は東京だけじゃなく、日本全国どこでも見かける。ハンドヘルドではDSも同様に普及しているが、PSPの後塵を拝している。
 まだほんの一ヶ月前、(豪州の販売店では誰も興味を抱かなくなっている)PSPが日本で記録的なセールスをあげたタイトルは、GTAでもGoWでもなく、モンハンポータブル3だ。日本だけで、1週間で2百万本売り上げたとの説もある。全てPSP向けだ。
 日本市場と我々(この記者は豪州の人だ)のそれの間に大きな亀裂があることは間違いない。戦場のヴァルキュリアのようなタイトルがPSPに移住するのも頷ける。

(画像のキャプション)
”日本のゲーム小売店のPSPタイトルの棚のごく一部。並んでいるタイトル全てを一枚の写真に収めるのは単純に不可能”
(訳: ここだけ妙にふつう。んー、隠し意味として"one size fits to all"の裏返し「全てのニーズをひとつでは満たせない」があるのかと思ったが・・・。繋がらないね)

 上の画像が示すように、PSPのタイトルはモンハンだけじゃないが、突出していることは間違いない。PS2の衰退にあわせてPSPへの移植は進む。HDコンソール機への移植より安上がりだからだ。

(訳: ここの原題はcarried away。「無我夢中」でいいんだろうけど、モンハン狂いの日本人ゲーマーをそういう軽い言葉で言っていいんだろうか、とちょっとだけ考えたが代案思いつかなかった。
 一生電車など乗らずに終わる人生を過ごせる人たちに理解できるとも思えないというのもありますけど、なんつーか、国土事情、住宅事情まで持ち出さなくとも、PSPとかDSとか、文化人類学的に他者との距離とかそういうの関係ありそうですね。なぜ日本だけではやるのか誰かもう指摘してるだろうけど。
 ところで大手ゲームサイト云々のくだりは、これはもうマッチポンプでしょう。だって彼らには理解できないんだから当然そうなるよね。「我々には理解できないからリストにない、リストにないから評価されていない、評価されていないのは我々に理解できないからだ」という循環論法だ。
 筆者を弁護するとしたら、かつては日本製が各ジャンル支配的だったのに「昔の光今いづこ」ということかな)

 洋才迎合

 AAA級のHDゲームを開発するのはリスキー・ビジネスだ。「セガはシェンムーに7千万USDかけた」(ユウ・スズキ談)はずだが、ギネスブックには「2千万USD以上かけた」と登録されていた。GTAIVが1億USDを投じた今、セガのどちらの数字が正しかろうが影は薄いし、ギネス上の記録は「特例」ではなく、もはや「規範」になった。

 重要なことは、シェンムーが傑作であるにも係わらず、商業的には振るわず、結果的にセガはドリキャスでコンソール機の製造をやめパブリッシャーになった結末だ。成功の確証がない(成長している海外市場で地歩を築けるかどうかもわからない)1タイトルにそれだけの資金を費やすことがいかにリスキーかをはっきり示す例だ。

(画像のキャプション)
”傑作だったか失敗作であったかに係わらず、シェンムーによってセガは莫大な財産を喪った。”
(訳: もうジョークのかけらもなくなってきたな。やめようかなここのキャプションの訳)
 

 高齢化社会の問題などが与える影響など遅々たるものだろうが、日本のゲーミング市場のサイズも影響力も小さくなっており、開発コスト急騰の問題とあわせるとアイデンティティ・クライシスとまで呼べる事態を招くかもしれない。

 故に、一部は過剰なまでに西洋に迎合しようとする動きも説明できよう。Halo、GTA、CoD、GoWなどが生み出す金銭は無視できるものではなく、こうした成功を模倣しようとする動きはまず避けられない。
 時には成功もあるが、多くの場合、ターゲット層にとっても困惑するだけのただのクズとなり、すべての者から度外視されるものを生み出すだけとなる。

 Quantum Theoryのチームは例えば国内ではなく海外での成功を狙っていたのは間違いない。EpicのGoWを猿真似したタイトルはスクラッチで作り上げなければならないため初歩で躓いた。一方Epicはこのジャンルにおける長い経験と熱狂的ユーザーからのフィードバック、ゲームエンジンへの理解により、完璧なタイトルを作り上げている。

(訳: ふたたび循環論法っすね。 GoWは売れている。だから優れている。優れているから売れる。
 シェンムーの失敗の本質は、要するにドリキャスの発売に至るまでのセガの混迷ぶりにあるんでしょう。開発にしくったとかそんなレベルじゃないと思います。余り詳しくないし、ほっといても知ってる人たくさんいそうなのでこれ以上はやめよう。
 ただここで大事なのは、別にこの筆者などに教えてもらう必要もないが、リスクに対する姿勢がここにきて彼我で非常に違ってしまっているという事実ですね。すなわち最近ではエピック・フェイリアのネタすら提供することが・・・、あ、あるか。FFXIVがあるな。
 勝負事は必ずそうですね。守りに入るといつか取り返しのつかない大ダメージを受ける。FFXIVは攻めた上で結果と信じたいが・・・、まあ冷静に見て違うかな)

 失礼ですが、どちら様?

 Quantum Theoryの最大の過ちは自分たちが理解していないユーザーに訴求しようとしたことだ。開発者はGoWの見かけの部分だけをコピーできたにすぎないことが明らかとなった。この話題は(訳:英語圏の)ネット上に多く出回っている。イナフネが「日本は西洋に対して5年遅れている」と訴えていたのも、開発費用高騰とチーム大規模化の時代における開発プロセスやマネジメントの改革についてであった。

(画像のキャプション)
”どっかで見たことある? そりゃそうさ、だってFableのパクリだもん!”
(訳: 失笑。)

 アツシ・イナバもHD開発における欧米の先行ダッシュが単なる市場ニーズの取り込みなんてものでは済まないレベルであると感じている。

「HD開発の分野では欧米が主導権を握っている。理由のひとつは彼らがフォトリアリスティックCGの研究を実際に活用されるずっと前から行っていたことにあり、今その努力が実っていること。別の理由は、欧米では今『リアルさ』の戦いが推奨されていて、それがHDの真価を世に問う格好の土俵になっていること。最後に、本質でないとみなした分野の品質を大きく切り捨てる欧米の開発戦略があるということ。そうした本質ではない分野がどの程度まで大きく切り捨てられているかを目にすると心底驚く。結果的に本質部分だけを存分に磨き上げることができるわけだ。
 この意思決定・創作パイプラインの発想は、日本の開発者には理解困難だと感じる」

 こうしたスロースタートの及ぼす悪影響はスクウェア・エニックスのヨウイチ・ワダも感じており、彼はFFXIIIの開発プロセスが一時期頓挫していたことを認める発言をしている。E3ではヴィジュアルコンセプトしか提示できなかったことを認め、FFVII映画「アドヴェント・チャイルド」のBDリリースと同時にプレイアブルデモを公表した後で、ようやくなんらかのヴィジョンに辿り着きはじめたと述べた。開発チームは開発期間のほとんどを明確な目標もなく活動していたわけだ。単なる憶測に過ぎないが、PS3発売から遅れに遅れたグランツーリスモ5もそうであったかもしれない。

(画像のキャプション)

”ライトニング、スノウ、それからそこのねえちゃんが、あらぶるファンボーイが津波のように押し寄せてくるのを唖然として見詰めるの図。”
(訳: ごめん。英語のほうが面白いわw。いやね、このヴァニラちゃんをつかまえて「そこのうるさい女」とか「キンキンわめくな」言うのが欧米の流行だったのだ。まあ確かに声優も違うからなんともいえんが、FFXIIIをプレイしてる間、日本人以外に受けたらこりゃ大したものだと思ってましたよ。あー、刺しにいくなら相手は私じゃないよ。海外に行ってね)

 延期の末のリリース時にもFFXIIIは問題に見舞われる。本国では百万本以上売り上げたが、小売価格はどんどん急激に下げていったのだ。欧米でのリリース時には好評なレヴューが大半であったが、抑圧された失望の声は多くのゲームフォーラムで乱暴な中傷にまで変質していった。

 13番目のナンバリング・タイトルを開発しようというとき、スクエニはJRPGに対する欧米での厳しい批判の目には気がついていたはずなのだ。批判はリニアリティ(一本道)とコマンド入力方式のコンバットシステムの二つに収斂する。FFXIIIが今までになく過剰なまでに一本道であったのは不可解だ。理由はプレイテスティングを欠いていたからに他ならない。

 ワダが語った内容のうち最も興味深いのは、「インターナショナル・フォーカス・グループが活用できるようになったときにはFFXIIIはもう開発がずっと進んでしまっていた」というものだ。彼は欧米の批判は良く知っていたはずだからこれはおかしい。だがこれも特別な話ではない。任天堂を除き、日本の開発シーンでプレイテスティングの正しい手順が見られることはないし、開発チーム自身がテストを請け負うなどしばしばだ。

(訳: FFXIIIの話もFFXIVの話も、ぜひ聴いてみたいのは私も一緒ですね。ただ、GoWなどのスキームがあのままじゃおそらく何年ももたない(ちゅうか、あの世界そろそろ終わってるかもしれないし、儲けの分捕りあいでスタジオ解散とかなるだろうし)のに対し、FFは毎回趣向を変えるリスクを背負ってはいる。もちろん背負ってればいいなど言うつもりはない。
 それが大きく外れるときもある。空振り三振でも次があるならいいけど、もしかして構造的にヤバイんじゃねえの?というのはユーザーとしても感じている)

**********

 この筆者はプレイテスティングに話題を矮小化するところが欧米人風だな。

 なお、ここでいってるのはQAとしてのテストではない。マーケティングとしてのテストね。そこ間違えないようにね。

 古式ゆかしいマーケティングの発想が通用する局面のほうが限定的だ。プレイテスターがGoWを知ってるから「こんなふうに改良したGoWは好き嫌い?」といくつも比較して聴けるのだ。
 誰も見たことないFFを「これ好き嫌い?」と聴けば答えが「キライ」になるに決まってる。人間見たこともないものは「キライ」なのだ。んなもの日本も欧米も変わらんでしょう。

 この話、あまりやると工業製品か芸術(少なくとも工芸製品)かという形而上学の論争になるからやめる。
 MBAが跳梁跋扈するあちらのメガパブリッシャー、金科玉条のようにプレイテスティングを持ち出すのはわかる。でもその行き着く先は?
 じゆうしゅぎけーざいなのに、どうしてウォルマートでしかお買い物ができないの、パパ?
 どうして頭痛薬は二種類しかないの? どうしてコーラは二種類しかないの?
 わらわらと出てくるシューターもそのうち2つないし3つに淘汰され、最後はチャンピオンのみ生き残る。というかなんかもうそうなってる。

 欧米化がそう言う意味なら、いらないね。少なくともヴィデオゲームの世界では。
 スクエニ他に求められてるのは、そこを迎合などせずどうやって賢く潜り抜けるかなんですけどね。今のところ確かにうまくは行ってない。

 理由の一つは、上場しちゃうと(あるいは銀行・ファンドからたくさん資金借りちゃうと)ユーザー(ゲーマー)よか株主(債権者)に顔が向いちゃうってことだよね。多くのビッグビジネスが破綻する際にたどった道だ。

 長いなあ。もう一回あります。

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